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第269話
最終更新日:
2024-11-20 18:00:00関連チャプター
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第270話
霜村冷司は彼女の顎を片手で掴み、無理やり自分を見つめさせた。目の前の男は、かつてと変わらず高貴で端正な顔立ちをしている。だが、深い瞳の下には薄く黒いクマが浮かんでいて、それでも彼の容姿には一切の陰りがない。彼の髪はきっちりと整えられ、その厳格で禁欲的な雰囲気をさらに引き立てている。白いシャツのボタンが二つ外れ、襟元が少し開いて、そこから覗く鎖骨と、その下に続く引き締まった胸筋、そして長い脚が見える。和泉夕子は、帰国してから初めて彼をじっくりと見つめ、彼が変わったようで変わっていないことに気づいた。霜村は、彼女の瞳に自分の姿が映るのを見て、ほんの少し口元を緩めた。この瞬間だけ、彼女の瞳には自分がいるのだ。彼はその細い指で彼女の短い髪を撫で、「昔は長い髪が好きだったよな」と言った。夕子のまつげが微かに震えた。かつて彼が長い髪を好んでいたため、彼女はそれを切ることなく保ち続けていた。しかし今、池内蓮司に強いられて短く切った髪は、彼女が過去と決別し、もう彼のために長髪を保つことはないことを象徴している。霜村は彼女の髪からそのまま手を下ろし、彼女の心臓のあたりに触れた。その瞬間、何かを思い出したかのように、彼の表情には罪悪感が浮かんだ。そして、震える声で彼女に問いかけた。「ここ……まだ痛むか？」夕子は軽く首を横に振った。「心臓を交換してからは、痛まない」彼女は心臓に触れられている手が微かに震えているのを感じた。思わずその手に目を向けると、彼の手首には深い傷跡が四本も刻まれていた。まるで刃物で切られたように、その傷跡は手のひらにも続いており、癒えた今でも、骨に届くほど深かったことが伺える。夕子は、霜村冷司のような立場の人物がそんな傷を負うとは思えず、誰が彼を傷つけたのかも分からないまま、彼をじっと見つめた。罪悪感で心を満たした霜村は、再び彼女の心臓に触れることができず、彼女をしっかりと抱きしめた。長い沈黙の後、彼は再び口を開いた。「この三年間……どうだった？」夕子は彼の肩に寄りかかり、感情を表さずに答えた。「まあまあよ」そのたった二言で、彼女が自分のことを話したくないのだと悟った霜村は、それ以上追及せず、彼女の背中を撫でながら静かに言った。「水でも飲むか？」夕子は首を横に振り、窓の外を見つめて、早く到着することを待
最終更新日 : 2024-11-20契約終了、霜村様に手放して欲しい 第271話
彼女はかつて、決して他人の第三者にはならないと誓った。だからこそ、彼は彼女を失望させるようなことをするわけがなかった。霜村冷司は彼女をしっかりと抱きしめながら、自分の本心を吐露した。「もし君が戻ってこなければ、私は一生誰とも結婚しなかっただろう。」和泉夕子は驚きを隠せず、思わず目を見開いた。まさか彼がそんな考えを持っていたとは思わなかったのだ。心の中で戸惑いと驚きが渦巻いていたが、結局何も言わなかった。彼がなぜ結局、藤原優子と結婚しなかったのかも聞かなかった。霜村冷司は彼女の頬にそっと触れ、「私が結婚したかった相手は、ずっと君だったんだ」と低く囁いた。彼の声には沈んだ情熱と深い愛情が込められており、夕子の心が一瞬揺れ動いたが、すぐにその感情を否定した。彼がさらに何かを言おうとした時、前方から相川涼介の声が響いた。「霜村様、目的地に着きました」霜村冷司は一瞬微かに首を上げ、彼女を見つめた後、もう一度彼女を抱きしめた。和泉夕子は冷淡な表情で彼を見返し、まるで彼の気持ちを責めるかのように視線を向けていた。霜村冷司は唇に苦々しい笑みを浮かべ、淡々と言った。「これで終わりだ」夕子は彼を一瞥すると、腕を放して車から降りようとした。その瞬間、彼が再び声をかけた。「夕子」夕子は振り返り、車内に座る彼を見た。暗い車内で、彼の顔は見えづらく、まるで陰影の中に沈み込んでいるかのようだった。彼はわずかに頭を傾け、赤く充血した目で彼女を見つめた。「君が私の愛を信じないのは、私が以前冷たくしていたせいなのか？」夕子は逃げずに、軽く頷いた。霜村冷司はまるで笑うかのように苦笑しながら、視線を下に向けた。夕子は彼の表情が理解できず、問いかけた。「何を笑っているの？」彼は唇をわずかに引きつらせ、苦々しい声で告げた。「あの五年間、君は夢の中で桐生志越の名前を152回も呼んだんだ。」霜村冷司は赤い目で彼女を見つめながら続けた。「君が彼の名前を呼ぶたびに、私は君から離れたくなった。だけど、私は君をどうしても手放せなかったんだ」和泉夕子は驚愕し、自分が夢の中でそんなに多く桐生志越の名前を呼んでいたことを全く知らなかった。彼と一緒にいる時も、彼女は何度も桐生志越の夢を見たが、それは恐怖と絶望に満ちた悪夢だった。夢の中で、彼女は心臓を蹴られ、指を折られ、
最終更新日 : 2024-11-21契約終了、霜村様に手放して欲しい 第272話
霜村冷司は、掌を広げ、自分の手に残る傷跡をじっと見つめたまま、突然ふっと笑みを漏らした。そんな絶望の淵に立つような微笑を、和泉夕子は初めて見た。思わず一歩彼に近づこうとしたが、彼は「近づくな」と低い声で遮った。車内からくぐもった声が響く。「前に見えるあの別荘だ。あそこに彼がいる。会いに行け」夕子は別荘の方を見てから、車内の彼に視線を戻そうとしたが、結局振り返らずに歩き出した。彼女がその背を向けたとき、冷司の瞳がじわじわと赤く染まっていった。彼は掌をゆっくりと握り締める。過去をその手の中に閉じ込めるかのように、もう二度と持ち出すことも、求めることもなく。後部座席にいた相川涼介が冷司を見て、ぽつりとつぶやいた。「霜村様、あなたも彼女のために命をかけてきたのに……」冷司は軽く唇を歪め、「その話は彼女には絶対にするな」と静かに答えた。涼介は困惑し眉をひそめた。「なぜですか？」冷司は視線を遠くへと向け、淡々とつぶやいた。「彼らが成就するようにしてやれ……」「では、霜村様はどうなるんですか？」涼介は彼が耐え忍んできた愛の重みを知っているがゆえに、その問いを抑えきれなかった。彼は、どんなに彼女を想い続けても、彼女をその腕に抱きしめることはできないのだろうか。冷司は答えず、ただ窓の外の青い空を見上げていた。光はまだ存在しているが、それは彼に届くことはなく、温もりさえ感じることはない。感情を抑え続けてきた彼は、愛することを教わることなく、孤独の道を歩むことが運命づけられているのかもしれない。一方、夕子は別荘の扉の前で足を止め、再び振り返りたい衝動を必死に堪え、歯を食いしばって扉のベルを押した。「どちら様でしょうか？」と、愛らしい声がインターホン越しに返ってきた。「霜村さんに言われて来ました」と答えると、しばらくして「ああ、どうぞお入りください」と応えがあり、扉が開いた。夕子は中に入り、家庭的な雰囲気が漂う庭を通って進んでいった。そこにはたくさんの花や果物、野菜が育てられ、どこか温かな生活感が漂っていた。少し先で水やりをしていた女性が夕子に気付き、笑顔で話しかけてきた。「和泉さん、もしかして桐生さんに会いに来たんですか？」夕子は軽くうなずき、震える声で「はい、彼はいますか？」と答えた。「いますよ。こちらへど
最終更新日 : 2024-11-21契約終了、霜村様に手放して欲しい 第273話
彼女の声が聞こえた瞬間、桐生志越はその場で凍りついたように動きを止めた。彼はゆっくりと振り返り、階段の上に立つ女性を見つめた。赤いロングドレスに短い髪が風に揺れている。その顔は、彼の記憶に深く刻まれ、幾度も夢に現れたその姿そのものだった。見慣れた姿とは少し違うが、それでも変わらない彼女の美しい顔がそこにある。光の中、花畑を越えて、彼はその姿を見つめた。まるで夢の中にいるようで、現実とは思えない。彼女は何度も夢の中に現れては消えていった。きっと、今回も手を伸ばせば消えてしまう幻影に過ぎないのだろう……。「志越……」柔らかく彼の名を呼ぶ声が、再び彼の心を揺らした。彼女が階段を降りて花畑を越え、自分の目の前にやってきたとき、ようやく彼は現実だと気づいた。手にしていた本が地面に落ち、彼は驚愕しながら顔を上げ、目の前の彼女を見上げた。「き、君は……」その声は長い間封じ込められていたかのように、かすれ、震えていた。涙に濡れた瞳で彼を見つめながら、彼女もまたその姿に見入った。洗練された美しい顔立ちに、優しさと落ち着きを漂わせるその姿、そして暗い瞳の奥には陰りが見えたが、彼女の姿を映すときだけ、微かな光が差し込むようだった。白いシャツに黒のスーツパンツ、かつてのように彼は変わらず優雅で知的な佇まいを保っていた。しかし、そのスーツパンツの下にある脚は無力に見え、車椅子に頼らなければならない現実がそこにあった。彼女は静かに膝をつき、そっと彼の脚に手を触れた。「志越、あなたの脚は……どうして？」彼はまだ驚きのまま、ほとんど信じられないような瞳で彼女を見つめていた。「君……本当に僕の夕子なのか？」夕子は彼と目を合わせて頷いた。「志越、私はあなたの夕子よ。戻ってきたの」彼の眼が潤み、赤く染まっていった。ようやく震える手で、彼はそっと彼女の顔に触れた。温もりを感じて、彼はそれが夢ではなく現実だと信じることができた。深く息を吸い込みながらも、こみ上げてくる感情を抑えきれずに彼は問いかけた。「どうして……どうしてこんなに遅くなったんだ……」その震える声に、夕子の涙が零れ落ちた。「ごめんなさい、志越……遅くなって、本当にごめんなさい……」彼は優しく彼女の涙を拭い、「泣かないで……」とそっと声をかけた。昔と変わらず、彼は彼女を優しく包み込
最終更新日 : 2024-11-21契約終了、霜村様に手放して欲しい 第274話
彼は彼女を火葬場へ送り出したはずなのに、どうして彼女がこんなにも完璧な姿で目の前にいるのだろう……彼は目の前の彼女が本物であるかどうか疑いながらも、背中に触れた指先から彼女の体温を感じ、確かに現実の存在であることが分かった。震える手で泣き崩れている彼女を引き起こし、彼は彼女の顔を両手で包み込み、細かくその顔を見つめた。三年という時が過ぎたにもかかわらず、彼女は全く変わっておらず、むしろ病的な蒼白さが消え、肌には健康的な血色が戻っていた。病気に苦しめられた過去を捨て去り、今や彼女は新たな命を得たように生き生きとしていた。彼はそんな彼女を見つめながら、そっと口を開き、「夕子……」と名前を呼んだ。夕子は涙を浮かべた目で彼を見上げ、微笑みを浮かべた。「ここにいるよ」彼女はここに、本当にいるのだ……桐生志越の穏やかな顔にも、同じく微笑みが浮かんだ。「よかった。君の言葉を信じて……」夕子は不思議そうに首を傾げた。「何のこと？」桐生志越は一瞬戸惑いの表情を見せた。彼女はその言葉を忘れてしまったのかもしれないが、それでも構わない。彼は覚えていればそれでいい。彼は両腕を広げ、全身の力を込めて、小柄な彼女を強く抱きしめた。彼女の耳元でささやくように言った。「夕子、今回は君を忘れなかったよ……」彼は何度も何度も彼女を思い出し、彼女の姿を心に深く刻んできた。時にはその記憶が霞むこともあったが、それでも彼は彼女を忘れることはなかった。彼の夕子が、次の生でも自分を忘れないでほしいと願ってくれているから……夕子はさっきまで止めていた涙が再び溢れ、「ごめんなさい、志越……」と呟いた。彼をこれほどまでに愛してくれる人がいるのに、彼女は死の間際、別の男性に会いたいと願ってしまった。その時の彼の痛みはどれほどだったのかと想像するだけで胸が痛む。桐生志越は彼女を抱きしめ、何度も「夕子、君は何も悪くない……」と優しく言い続けた。夕子が涙で言葉を失ってしまうと、彼はただ彼女の背中を優しく撫でて、その心を落ち着かせるように慰めてくれた。二人は互いに寄り添い、かつてと同じように、お互いを支え、愛を深め合っているようだった。変わってしまったのは、彼が五年間の記憶を失い、そして彼女がいなかった三年間だけだった。階段の上に立っていた
最終更新日 : 2024-11-21契約終了、霜村様に手放して欲しい 第275話
彼女はしばらくぼんやりと考え込んでいたが、ふと我に返り、彼の足に視線を向けて尋ねた。「あなたの足も……どうしたの？」桐生志越は彼女の視線を辿り、自分の不自由になった足に軽く手を触れ、淡々と言った。「ただの銃創だよ、心配しないで」「銃創……」その言葉を聞いた瞬間、彼女は彼が殉情しようとしたことを思い出し、顔に自責の念が浮かんだ。「もしかして、私の墓前で……？」桐生志越は静かに首を振り、否定した。「違うよ、君には関係ない。そんなふうに責めないで」彼の言葉を信じられず、眉をひそめて彼女は言った。「志越、私たちはこんなに長く知り合っているのに、隠さなきゃならないことなんてある？」彼らは互いにとって初恋の相手であり、家族のように多くの時間を共有してきた。時が経とうとも、その絆は消えることがない。彼はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。「君の死後、七日目の日、君を追ってあの世へ行こうとしたんだ。でも、霜村冷司に止められた……」彼は言いかけて、ふと彼女の表情を窺った。彼女に変わった様子がないのを見て、続けた。「彼が銃を取り上げたけれど、それでも僕は死ぬことを決意していて、もみ合っているうちに自分で足を傷つけてしまった……」夕子は彼をじっと見つめ、「どうしてそんな馬鹿なことを……」と震えた声で言った。桐生志越は淡い笑みを浮かべた。「夕子、君がいなければ、生きている意味なんてないんだ」彼女の胸には再び罪悪感が募り、自分がどれほど彼に苦しみを与えたのかを思い知らされ、耐えがたい気持ちになった。桐生志越は今も生きているものの、足の自由を失ってしまった。それでも彼は「君には関係ない」と優しく言ってくれるが、彼の状態がこうなったのは自分のせいなのだと、彼女は感じていた。彼女はそっと彼の足に手を当て、「ごめんなさい……私があなたを傷つけた」と申し訳なさそうに言った。桐生志越は気にしないふうに微笑み、彼女を安心させるように言った。「夕子、本当に君には関係ないよ。僕が自分で足を傷つけたんだ」彼女は首を横に振り、涙ぐんで言った。「もし私が突然死ななければ、あなたも……」彼は彼女の唇にそっと指を当て、言葉を遮った。「君がいつ亡くなろうと、僕は君の後を追うつもりだった。誰にもそれを止めさせない、君自身にもね」彼はずっとそのつもりで、誰が
最終更新日 : 2024-11-22契約終了、霜村様に手放して欲しい 第276話
彼の背中を見送り、夕子が躊躇なく別荘を去っていく姿を目の当たりにして、桐生志越の瞳が赤く染まっていく……彼の心臓は千切り裂かれるような痛みに襲われ、息もできなくなるほどだった。すぐにでも彼女を追いかけ、抱きしめて引き止めたい気持ちでいっぱいだった。しかし、この動かない足で、彼女を引き留める資格があるのだろうか……。彼は夕陽に照らされた空を見上げ、涙を堪えようとしたが、意に反して涙は止めどなく溢れてきた。彼が片手で目を覆い、胸を引き裂かれるような泣き声を上げていると、小柄な人影が現れ、彼に降り注ぐ眩しい陽光を遮った。志越は指の間からぼんやりと夕子の姿を見た。彼女は微笑みながら、手に持っていたミネラルウォーターのボトルを開け、彼の唇に差し出した。「志越、唇が乾いているみたいだったから、悠ちゃんにお願いしてお水をもらってきたの。飲ませてあげてもいい？」彼女は去っていなかったのだ……喜びと不安が入り混じった感情の中で、彼はただ素直に口を開け、彼女の世話を受け入れた。夕子が優しく微笑むと、彼女は再び彼の前にしゃがみ込んだ。「志越、あなたが私を気遣って、負担をかけたくないからこそ、私を遠ざけようとしたのはわかっている。でも、私はあんなに重い心臓病を抱えていたのに、あなたは私を決して見放さなかった」「それなのに、今度はあなたが足を負傷して動けなくなった時に、どうして私があなたを見捨てられるの？」彼女は彼の足に触れながら、決意を込めて言った。「あなたが再び立ち上がるその日まで、私はあなたのそばにいるよ。もしその時に私が煩わしくなったら、改めて私を追い払ってくれればいいから……ね？」彼女の強い意志と思いやりに、志越は心の温もりを感じた。「夕子、君は本当に……僕よりもずっと愚かだよ……」夕子は柔らかい笑みを浮かべ、「桐生さん、愚か者はあなたの方よ」と冗談を返した。あの日、彼女は彼に冷たく突き放すような言葉を投げかけたが、それでも彼は彼女の後を追いかける覚悟を捨てなかった。「日が暮れてきたわね、志越。お屋敷に戻りましょうか？」夕子は空を見上げ、そう提案した。彼の顔からは葛藤と躊躇いが消え、幸せそうな笑みが浮かんでいた。「ああ、そうしよう」夕子は彼の車椅子を押し、ゆっくりと別荘へと歩き出した。夕日が二人の体に降り注ぎ、その影は
最終更新日 : 2024-11-22契約終了、霜村様に手放して欲しい 第277話
彼女がぼんやりとした表情で小悠を見送っていると、彼女の様子から思案にふけっていることが伺えた。そんな彼女を見て、桐生志越は手に持っていた箸をそっと置き、複雑な表情で彼女を見つめた。「夕子、この三年間、霜村冷司が僕を生かし続けるためにいろいろと尽力してくれた……」「彼は、赦しを求めるように見えたけれど、何の罪を償おうとしているのか僕にはわからない。でも、彼が君を深く愛していることだけは、よく伝わってきた」志越はその言葉で、ずっと夕子に伝えそびれていたことをやっと告げることができた。彼は少し安堵しながらも、夕子の表情をじっと伺って、三年が経った今でも、彼女の心に冷司への気持ちが残っているのかを確かめようとしていた。だが、夕子は視線を伏せ、彼への答えを避けるように別の話題を口にした。「あなたはまだ生きているのに、どうしてニュースではあなたが亡くなったと報道されたの？」彼女ははっきりと彼の問いには答えず、まるで心の中にまだ冷司の存在が残っているかのようだった。それとも、もうその気持ちを完全に断ち切ったのか……。志越はさらに追及することをやめ、気づかれないように静かに答えた。「僕を狙う者がいたんだ。霜村は僕を守るために、あえて偽の情報を流した……」志越はあの日、彼女と殉情しようとしたものの、突如現れた襲撃者に銃撃されたこと、そして冷司が身を挺して彼を守り、単身で彼らと渡り合ったことを彼女に話した。「もしも霜村の部下たちが駆けつけなければ、僕もその夜、墓地で命を落としていたかもしれない」彼は、夕子がこの別荘を訪れたこともまた冷司の計らいによるものだろうと感じ、彼の救いの手に感謝していた。どんな理由であれ、今彼女が目の前にいることが大切なのだ。夕子はかすかに震えたが、表情には出さずに尋ねた。「志越、あなたを狙ったのは一体誰だったの？」志越は彼女が冷司のことに触れようとしない様子を見て、二人の間で何があったのか詮索しないまま、静かに答えた。「望月の一族さ」霜村は一夜にして真相を突き止め、彼を亡き者にしようとしたのが彼らだと知ったという。志越の側近である望月の哲也が彼に忠実であると分かった冷司は、彼をこの町に送り出し、望月家には「彼の」遺骨を持ち帰るよう指示してくれたのだ。今や望月家は彼が死んだと信じ込んでいる。だからこそ、
最終更新日 : 2024-11-22
最新チャプター
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第386話
霜村冷司は和泉夕子の手を引いて、ホテルの最上階にあるフレンチレストランにやって来た。ここからは、下の夜景が一望できる。彼はレストラン全体を貸し切っているようで、テールコートを着て蝶ネクタイを締めたウェイターたちが、彼らだけのためにサービスを提供していた。スーツ姿で活気に満ちたフランス人マネージャーが、彼らをテラスに案内し、豪華なメニューを差し出した。霜村冷司はそれを受け取り、和泉夕子の前に置いた。「夕子、何が食べたい？」和泉夕子がメニューを開くと、そこにはフランス語が並んでおり、彼女の顔に一瞬の困惑が浮かんだ。理解できない彼女は、無意識に耳元の短い髪を触りながら、少し恥ずかしそうにしていた。対面に座っていた霜村冷司は、すぐに彼女の手からメニューを取り上げた。彼は彼女が何を好きか知らなかったので、自分で選ばせようとしたが、そこまで考えが及ばなかったことに少し自責の念を感じた。霜村冷司は和泉夕子を見つめ、何も言わずにフランス人マネージャーに前菜とメインディッシュを英語で注文した。そして再び和泉夕子に向き直り、「夕子、デザートはマカロンとタルト、どっちがいい？」と尋ねた。彼女の注意を少しでも逸らすために選択肢を与えた。和泉夕子は小さな声で「タルト……」と答えた。彼女は柔らかくて甘いものが好きで、タルトは彼女の好物だった。霜村冷司は軽く頷き、メニューを閉じてフランス人マネージャーに下がるよう示した。フレンチレストランの独特なテーブルには、いくつかのキャンドルが灯されており、その光が彼らの顔を照らしていた。白いシャツを着て、襟元を少し開けた霜村冷司は、その薄暗い光の中で非常に高貴で神秘的に見えた。彼は片手でワイングラスを持ち、革のソファに寄りかかりながら、深い星のような目で対面の女性を見つめていた。和泉夕子はずっと頭を垂れ、自分の指を見つめて一言も発しなかった。おそらくこの環境が彼女を緊張させていたのだろう。霜村冷司はしばらく彼女を見つめた後、突然指を鳴らした。マネージャーがすぐに駆け寄ってきた。「ご主人様、ご用命をどうぞ」彼は今度はフランス語でマネージャーに耳打ちした。和泉夕子にはその内容がわからなかったが、しばらくすると有名なチェリストがレストランにやって来た。そのチェリストは彼らに軽く会釈をした後、レストラン内で演奏を始めた。
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第385話
和泉夕子は彼の胸に抱かれ、その愛情を隠さない瞳としばらく見つめ合った後、おとなしくうなずいた。彼女のこの穏やかで静かな様子は、まるで昔に戻ったかのようで、霜村冷司の目の奥には淡い笑みが広がっていた。彼は和泉夕子を抱きしめ、衣装部屋に連れて行き、ソファに座らせた後、壁の隠し自動スイッチを押した。数台の高級クローゼットが素早く開き、似たようなスタイルのオーダーメイドのロングドレスが一列に並び、和泉夕子の目の前に現れた。彼女はこれらの服を見て少し驚いた。これは彼女がかつての服装スタイルであり、霜村冷司がまだ覚えているとは思わなかった。「君が家に戻ってきた後、私が使用人に前もって準備させたんだ」霜村冷司は簡単に説明し、その中からウエストを絞ったAラインのロングドレスを選び、彼女に渡した後、試着室の方を顎で示し、先に着替えるように促した。和泉夕子は手を伸ばして受け取り、少し躊躇しながら霜村冷司を見つめ、下着があるかどうかを尋ねたかったが、恥ずかしくて口に出せなかった。彼女が裸で着るつもりだった時、霜村冷司の骨ばった手が突然クローゼットから一枚の下着を取り出し、彼女の前に差し出した。「君の体型はあまり変わっていないから、昔と同じで合うはずだ」和泉夕子はそのピンクの下着を一瞥し、無表情の男をもう一度見た。彼女も何事もなかったかのように手を伸ばして下着を受け取り、素早く試着室に入った。彼女はバスローブを脱ぎ、ロングドレスに着替え、鏡に映るしなやかな体型がすぐに現れたが、服は非常に保守的だった。長袖が腕を覆い、スカートの裾が足首を覆い、首元以外はすべてしっかりと覆われていた。彼女はあまり気にせず、着替えを終えて出てくると、霜村冷司は彼女の白く滑らかな手を取り、リムジンのリンカーン車に乗り込んだ。和泉夕子は後部座席に座り、窓の外を流れる輝く光に包まれた建物を見つめ、霜村冷司は片手で頭を支え、彼女を見つめていた。彼らの間の距離は、以前のように越えられない溝のようなものではなく、今回は非常に近かった。彼は彼女の腰を抱き、彼女の背中を自分の胸にぴったりと押し付けた。指先で彼女の体温を感じ、馴染みのある淡い香りを嗅いだ時。何年も空虚で痛んでいた心が、この瞬間、短い温もりで徐々に癒されていった。車が出発して間もなく停
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第384話
和泉夕子は深く息を吸い、小さな顔が真っ赤になっていた。彼女はさっき、心を許して妥協するべきではなかったのだ。彼女の怒った様子を見て、霜村冷司は微かに口元を緩め、目には少しの笑みが浮かんでいた。彼は我慢できずにもう一度彼女にキスをし、それから彼女を放した。「もういい、起きて食べ物を食べよう」和泉夕子は食べる気分ではなかった。まだ十分に寝ていないのに、彼にキスで起こされて、怒りでお腹がいっぱいになりそうだった。霜村冷司は彼女が起きたくないのを見て、無理に起こさず、お粥を持ってきて、ベッドのそばのソファに座った。彼は碗の中のお粥を冷ましながら、一口ずつ彼女の唇に運んだ。「口を開けて」和泉夕子は彼を一瞥し、体を横に向け、両手を枕にして窓の外の庭を見つめていた。霜村冷司は彼女の背中を見つめ、目には優しさが浮かんでいた。「夕子、お腹が空いていないなら、他のことをしようか？」和泉夕子はその言葉を聞いて、体を回し、澄んだ大きな目で彼を睨んだ。霜村冷司は肘を膝に乗せ、彼女の目を見つめた。「夕子、何年も我慢してきたんだ、辛いんだよ……」和泉夕子は彼の無茶な言葉を聞きたくなくて、布団を巻いて起き上がり、彼に手を差し出した。「お粥をちょうだい」霜村冷司は軽く首を振った。「あーんしてあげるよ」「自分でできるわ」霜村冷司は答えず、冷静な目で彼女を見つめていた。和泉夕子は深く息を吸い、少し口を開けた。彼は再びスプーンを手に取った。彼は一口ずつ彼女に食べさせ、食べ終わると優しく尋ねた。「まだいる？」和泉夕子は首を振り、粥碗を置いた霜村冷司がナプキンを取り、彼女の口元を拭くのを見つめた。彼女のまつげが微かに震えた。以前の彼はこんな風に彼女に接することはなかった。今の彼は少し変わったようだ……霜村冷司は彼女の微細な表情を見逃さず、すぐに彼女が何を考えているのか理解し、口元に微笑を浮かべた。彼はナプキンを置き、骨ばった指で彼女の顔を軽く触れた。「夕子、ホワイトハウスの近くの夜景はとても美しいよ。見に行こう」ホワイトハウスという言葉を聞いて、和泉夕子は少し心が動いたが、彼女はまだ図面を描く時間を確保しなければならなかった。残り一年ちょっとの時間で、姉のプロジェクト図がまだ五十枚以上も設計されていない。
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第383話
三ヶ月以上も電源を入れていなかったので、バッテリーが不足していると表示され、充電しようとしたところ、沢田がやって来た。彼は携帯電話を脇に置き、沢田がたくさんの物を持って入ってくるのを見上げた。「仕事を頼んだはずだが？」沢田は大きな袋を机の上に置き、得意げに言った。「行ってきましたよ。これ、全部持ってきました」彼は「霜村さん、褒めてください」という表情を浮かべたが、霜村冷司はその山のような物を見て、目の笑みが一瞬で消えた。「誰がそんなに早く見つけろと言ったんだ？！」沢田は驚いた。彼らスパイのやり方は、いつも迅速で正確である。霜村さんはそのルールを知っているはずなのに、なぜ彼の迅速な仕事を非難するのか？霜村冷司は顔を黒くし、その山のような物を彼の前に押し戻した。「返してこい！」沢田は驚きと困惑の表情を浮かべた。「霜村さん、なぜですか？」霜村冷司は深く息を吸い、目の中に冷たい霜が浮かび、沢田を凍りつかせるほどだった。沢田はその冷たい視線を見て、彼がいつでも自分の迅速な仕事の腕や足を取り外すのではないかと感じた。沢田は震え、瞬時に悟った。「霜村さん、今後和泉さんに関することは、仕事の効率を極端に遅くしますので、ご安心ください……」沢田はそう言い終えると、手を挙げて彼に手を振った。「先に失礼します。お幸せに」彼は足早にその場を去った。霜村冷司はその背中を見つめ、顔色がますます青ざめた。彼は冷たい視線をその山のような物に移し、一秒も迷わずに立ち上がり、それらをすべて本棚にしまった。彼はキャビネットの扉を閉めた後、キッチンに向かった。中にいた使用人は彼が入ってくるのを見て驚いた。「霜村さん、どうしてここに？」「出て行け」使用人は彼の冷たい声を聞いて、急いでキッチンを出た。霜村冷司は壁のキャビネットのそばに行き、料理本を取り出し、長い指でページをめくった。彼は一度も料理をしたことがなく、和泉夕子が何を好むのかも知らなかった。しかし、三年前、彼女が心臓病を患っていたことを知り、彼女を別荘に連れて帰ったときに、お粥を食べさせたことを覚えていた。彼女はその時たくさん食べたので、きっと好きなのだろう。霜村冷司は濃いまつげを伏せ、お粥の作り方をじっくりと見た後、料理本を投げ捨てた。陽光がガラス窓を
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第382話
彼の行動に驚いた夕子は、慌てて足を引っ込め、恐怖の表情で言った。「そんなことしなくていいのよ」この間、彼女を傷つけなければそれでいい。そんなにへりくだる必要はない。かえって不快に感じる。霜村冷司は澄んだ深い瞳を上げ、夕子に軽くうなずいたが、それでも彼の言うことを聞かず、もう片方の靴を脱ぎ始めた。彼は脱いだ靴を床に置き、夕子を抱き上げ、布団をめくって彼女を柔らかい布団の中に入れた。彼女に布団をかけた後、彼は手を上げて彼女の頬を撫でた。「少し寝てて。目が覚めたら、何か作ってあげるから」夕子は眉をひそめた。「そんなことしなくていいのよ。前のようにしてくれればいいの......」霜村冷司はその言葉を聞いて、彼女の意図を誤解したかのように、突然彼女をベッドから引き上げた。彼は驚いた表情の夕子を抱きしめ、ソファに座り、彼女の腰を押さえて自分の膝の上に跨らせた。そして、骨ばった指を上げて彼女の後頭部を押さえ、彼女の頭を少し下げさせ、自分は頭を上げた。二人の鼻がぶつかると、霜村冷司は顎を上げ、薄い唇を軽く開いて彼女の唇を強く吸い込んだ。彼が触れなければよかったのに、触れた瞬間、彼は狂ったようになり、最初の軽いキスが肌に触れた瞬間、深くなった。彼のキスは非常に支配的で激しく、長年抑え込んでいた感情が突然爆発したかのように、無制限に狂気じみていた。夕子は彼のキスで息が詰まり、彼の肩にしがみついて必死に押し返そうとしたが、無駄だった。「冷司！」男が彼女の首を狂ったようにキスしているとき、夕子は一瞬の息をつく機会を得た。「あなた、私の言ってることを誤解してるんじゃないの？！」霜村冷司はぼんやりとした桃花眼を上げ、濃いまつげを少し閉じて彼女を見た。「うん？」彼女が前のようにしてくれればいいと言ったのは、そういう意味ではないのか？夕子は彼のキスで赤くなった唇を開き、説明した。「前のように私に構わないでって言ったのよ。そういう意味じゃないの！」霜村冷司の目には長年抑え込んでいた欲望が少し和らいだが、それでも手放すことができなかった。彼は数秒間だけ止まり、再び角ばった顎を上げて柔らかい唇を噛んだ。唇が触れ合う間、夕子は彼が言うのを聞いた。「夕子、君と一緒に寝たい」こんな大胆な言葉に、夕子の顔は赤くなった。彼
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第381話
そのような温かく卑微な言葉が耳元から聞こえてきて、彼女の心が震えた。彼女は微かに頭を傾け、背後からしっかりと抱きしめている霜村冷司を見た。彼の顔は痩せこけ、顔色は青白く、目は血走っていて、目尻まで赤かった。彼女の記憶の中の霜村冷司は、いつも高慢で、誰にも負けない存在だった。今の彼は、彼女を掴むために、何度もその高慢な態度を捨てていた。まるで夜空に輝く手の届かない星が、突然地上に落ちてきたかのように。しかし、地上に散らばった星も、天上の非凡なものであり、彼女のために変わることはできない。彼女は手を上げて、彼の額前の濃い髪を触れた。そのような優しい触れ方に、霜村冷司の体が一瞬硬直した。彼は目の前の手の届く女性を見つめ、彼女の目の中に優しさの下にある決意を見たようだった。彼は無意識に彼女をさらに強く抱きしめた。「夕子、お願いだ、そんなに冷たくしないでくれ……」その強い力は、彼女を骨の中にまで押し込むかのようで、和泉夕子が口に出そうとした言葉を無理やり引っ込めさせた。彼女は手を引き、まつげを伏せて、彼の傷だらけの右手を見つめ、しばらく沈黙した後、深くため息をついた。「あなたが言った数日って、具体的にはどれくらい？」霜村冷司の表情が一瞬止まり、暗かった目に再び希望の光が宿った。彼の夕子は心を和らげた。彼女はやはり昔のまま、優しくて従順な夕子だった。彼は彼女を抱きしめる手にさらに力を込め、まるで失ったものを取り戻したかのように、もう二度と手放さないようにしっかりと掴んだ。「君の物が見つかるまで、それで終わりにしよう、いいかい？」彼は永遠を求めたかったが、彼女には桐生志越がいるため、永遠に一緒にいることは不可能だった。彼は彼女が既婚であることを知りながら、このような要求をするのは、非常に馬鹿げていて、無理で、卑劣だと分かっていた。しかし、彼は光の当たらない地下の恋人であっても、彼女と一緒にいたいと思っていた。たとえそれが短い数日であっても。和泉夕子は手のひらを握りしめ、数秒間ためらった後、妥協した。「分かった、約束するわ」霜村冷司は彼女を強く抱きしめ、彼女の耳元で感謝の言葉を囁いた。「夕子、ありがとう、もう一度やり直すチャンスをくれて……」和泉夕子の澄んだ瞳はゆっくりと上を向き、窓の外の夕
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第380話
彼の言葉に、和泉夕子はあの荒唐な光景を思い出し、顔が瞬く間に赤くなった。霜村冷司はまるで気づかないかのように、長い指を伸ばして彼女の熱くなった頬に触れた。「和泉さん、あなたと私が一線を越えたその瞬間から、もう桐生志越に対して申し訳ないことをしているんだ。今さらこんなことにこだわる必要はない」彼はそう言い終わると、和泉夕子が返事をする前に彼女を抱き上げ、浴室の方へと歩き出した。彼女を浴槽に入れた後、「疲れているようだね。ゆっくり休んで」と言った。男は使用人から受け取ったタオルを浴室の棚に置き、振り返って出て行った。和泉夕子は閉じられたドアを見つめ、深いため息をついた。霜村冷司の言う通り、昨夜すべきことはすべて終わった。もう彼とこれ以上関わりたくなくても、それはすでに事実となっている。彼女はそのことを考えると、気持ちが重くなり、全身が疲れ果てた。彼女は考えるのをやめ、ドレスを脱ぎ、水を張った浴槽に身を沈め、天井の灯りをぼんやりと見つめた。霜村冷司は浴室を出ると、急いで書斎に向かった。沢田は彼が入ってくるのを見て、すぐにソファから立ち上がった。「霜村さん、お帰りなさい」霜村冷司は軽くうなずき、書斎の机に座ると、冷淡な目で沢田を見た。「ワシントンの件はどうなった？」「問題のある人物はすべて解決しました。支社に対する脅威はもうありません」「もう一つやってもらいたいことがある」「先生、ご指示をどうぞ」霜村冷司は二枚のホテルのルームキーを沢田の前に投げた。「ワシントンで名の知れた常習犯が、昨夜この二つのスイートルームから物を盗んだ。それを取り戻してくれ」「かしこまりました」沢田はルームキーを手に取り、すぐに出て行こうとしたが、霜村冷司の冷たい声が背後から聞こえた。「裏庭から出て行け。彼女に見つからないように」沢田は振り返り、うなずいてから急いで去って行った。和泉夕子は入浴を終え、タオルを巻いて浴室から出てきた。彼女は木製の床に足を踏み入れ、ドアの前に立ち、豪華に装飾された別荘を見回した。中に使われている布地、家具、設備はすべて最高級で、吹き抜けのリビングに垂れ下がるシャンデリアもクリスタル製だった。ただ、別荘はあまりにも広く、何階もあり、一階から上を見上げると、無限に広がる空間
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第379話
その動作により、やっと怒りを鎮めた霜村冷司は、突然制御を失った。彼は和泉夕子の腕を掴み、車内に引き戻し、暗紅色の深い瞳で彼女をじっと見つめた。「和泉夕子、ワシントンは安全じゃないって言っただろう？私の言葉を無視したのか？」「私……」和泉夕子が口を開こうとした瞬間、霜村冷司が先に口を開いた。「君が私の別荘に行きたくないのは分かってる。でも、ワシントンで誰を知っていて、どこに行けるんだ？」彼の怒りの声には、絶望の色も混じっていた。「なぜこんな状況でも私の助けを受け入れないんだ？そんなに私が嫌いなのか？」彼は一生懸命、彼女に近づこうとし、何度も心を開いてきた。彼女が動じないのは仕方ないとしても、彼女が最も助けを必要としている時に、なぜ彼を拒むのか？愛していないからといって、彼の愛を無視し、踏みにじることができるのか？和泉夕子は突然怒り出した彼を呆然と見つめ、しばらくしてやっと反応した。「私が出て行こうとしていると思ってるの？」霜村冷司が無言で冷たい顔をしているのを見て、彼女は自分の推測が正しいことを知った。彼女は深呼吸して、耐えながら説明した。「車の中が息苦しくて、ちょっと外の空気を吸いたかっただけよ」説明を終えた後、彼女はさらに付け加えた。「ワシントンが安全じゃないことは分かってるから、勝手に歩き回ったりしないわ。あなたの別荘に行きたくないのは、借りを作りたくないからで、嫌いだからじゃないの」彼女の言葉に、霜村冷司の緊張した表情が少し和らいだ。彼は彼女の腕を放し、体を起こして再び横を向き、手に持っていたタバコを消した。タバコを車内のゴミ箱に捨てた後、濃いまつげを上げて和泉夕子を見つめた。「君は私に借りなんか永遠にないさ」彼はそう言い終えると、冷たく美しい声に少し無力感が漂った。「失くした物は私が探させる。その間、私の別荘に住んでくれ」和泉夕子は彼の様子を見て、拒絶の言葉を口に出さず、ただ唇を引き結び、沈黙を選んだ。霜村冷司は彼女を一瞥し、心臓が痛みで締め付けられるように感じたが、同じく一言も発せず、再び車を始動させ、別荘に向かった。ワシントンのプライベート別荘は、広大な敷地に建てられ、アメリカ風の壮大な建築様式で、前後に庭園が広がり、白い高いフェンスには艶やかなバラの茨が絡みついていた。
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第378話
彼はわざと低くした声で、少し魅惑的に、まるで彼女を誘惑するかのように話しかけた。しかし、和泉夕子は動じることなく、しっかりと彼に向かって首を横に振った。「彼女とは関係ないわ」彼女は病院で明確に言った。彼を拒絶するのは、彼を愛することがあまりにも疲れるからだと。これまでの年月、彼らの間には一度もお互いに向かって進むことはなく、常に探り合い、疑い合っていた。たとえそれが誤解によるものであっても、その傷や絶望は彼女が実際に経験したものだった。そんな互いに傷つけ合い、絡み合う過去が、彼女に恐怖を抱かせ、再び愛することを躊躇させた。霜村冷司は彼女の目から嫉妬の感情を読み取ろうとしたが、何も見つけられなかった。まるで本当に森下玲のせいではないかのように。彼は少し距離を取り、深く冷たい瞳に失望の色を浮かべた。「君は私が誰と一緒にいるか気にしていないようだね」和泉夕子は彼を一瞥し、今回は勇気を出して彼に告白した。「以前は気にしていたわ」「以前」という言葉が、霜村冷司に彼らの間の溝が時間による障害であることを気づかせた。しかし、時間は戻ることはない。彼がどれだけ後悔しても、過去に戻ることはできない。霜村冷司の目の中の失望は次第に暗いものに変わり、その美しい顔色も少し青白くなった。彼はエレベーターのドアにかけていた指を引き戻し、体を横に向け、エレベーターの前方を見つめ、冷たい視線で下降する数字を凝視した。和泉夕子は目の前の孤高で冷たい背中を見つめ、手のひらを握りしめて説明した。「私はあなたが森下玲と一緒にいると思っていたから、あなたの別荘に住むのは不適切だと思って、そう言ったの。誤解しないでほしい」霜村冷司は振り返らず、何も言わなかった。まるで聞こえなかったかのように。エレベーターのドアが開くと、彼は彼女の手首を掴み、ホテルの外へと引っ張っていった。和泉夕子は彼に強引に車に押し込まれ、彼は彼女の意志を無視してシートベルトを締め、すぐに車を発進させた。車がワシントンの街を高速で走り抜ける中、和泉夕子は少し頭を傾けて霜村冷司を一瞥した。彼は冷たい顔をして、一言も発さず、その目には冷たい霜が宿っており、まるで彼女に怒っているかのようだった。和泉夕子はそんな彼を少し怖がりながらも、勇気を出して言った。「私……あなた
