「意味がない」―その言葉を聞いた瞬間、光莉の心は深い谷底へと突き落とされた。 ―そうだ、西也にとって藤沢家にどんな意味がある?私という母親にどんな意味がある? 彼は、光莉が母親だということすら知らない。 それは、彼女が臆病だったから。怖かったから。西也に憎まれるのが。 でも、母親として憎まれるより、ただの他人として憎まれる方がまだマシだった。 ―この痛みは、私一人が抱えていればいい。 西也が憎んでいるのが「他人」だと思っている方が、「母親」を憎むよりもずっといいのだから― 西也は少し疑問を感じながら、試しに尋ねた。 「僕、てっきり若子はおばあさんの家に行かれるものだと思っていましたが......まさかこんなレストランでお会いするとは。それに、ご主人と息子さんは?」 光莉は静かに答えた。 「二人とも忙しくて、今は時間がないの。だから今日は、お義母さんを連れて外に出ようと思って」 「......そうですか?」 西也はますます興味を抱いた。 他のことはさておき、修がどれだけ忙しいかは知っている。 でも、若子にすら会わないほどだろうか? これはチャンスだ。 ......いや、もしかすると修自身が、今日若子に会える可能性があったことすら知らなかったのかもしれない。 光莉という女、やはりどこか妙だ。 「あなたが、僕に息子さんを憎まないよう言われるのは......まぁ、別に構いません」 西也は肩をすくめ、ふと目を細めた。 「ですが、もし彼が今後も若子にしつこく付きまとうなら、どうするおつもりですか?」 光莉は顔を上げ、まっすぐな目で答えた。 「止めるわ」 「......え?」 西也は思わず耳を疑った。 ―親子なのに?だったら普通、味方するもんじゃないか? 「修と若子はもう終わったの。だけど、修が彼女に与えた傷は決して癒えない。これ以上関われば、若子はますます苦しむだけ。だから、二人は離れた方がいい。 もし、あんたが現れなかったら、若子はもっと傷ついていたでしょう。彼女のそばにいてくれてありがとう」 西也がどんな人間であれ、少なくとも若子への気持ちは本物だ。 彼は決して、彼女を傷つけようとはしない。 光莉の誠実な言葉を聞いて、西也は半信半疑だった。 「....
光莉は、西也の沈んだ表情を見て、胸が締めつけられるような気持ちになった。 「......私から彼女に話してみるわ」 俯いていた西也の瞳が、一瞬だけ鋭く光った。 だが、その光はすぐに消え、彼は驚いたように顔を上げる。 「......今、何て?」 「私が彼女に話してみる。早くあんたと一緒に海外へ行くように、そして記憶の回復を手伝ってあげるように」 西也は思わず目を細める。 ―信用できない。 光莉が、まさかこんなふうに協力的になるなんて。 「......冗談ですよね?」 「冗談なんかじゃないわ。本気よ」 「......どうして僕を手伝うんですか?」 「修のためでもあり、若子のためでもある。そして......あんたたち三人がこれ以上もつれないようにするためよ」 「......でも、若子のおばあさんは?若子は絶対に彼女を見捨てないと思いますけど」 「だから、私が話してみるのよ」 光莉は静かに言い切る。 「うまくいくかは分からない。でも、全力を尽くしてみる」 その頃、若子は華を支えながら、レストランへと戻ってきた。 二人は席に着き、改めて談笑を始める。 ―さっきまでお母さんと西也が話していたけれど、大丈夫だったのだろうか? 若子は内心で少し気を揉んでいたが、二人の様子を見る限り、特に揉めた様子はないようだった。 その後、四人でしばらく話し込み、ようやく店を出る頃には、日はすっかり傾いていた。 若子は華の腕を取り、名残惜しそうに寄り添う。 ......本当は、もっと一緒にいたかった。 駐車場に着くと、光莉がふと口を開く。 「お義母さん、先に車に乗ってて。すぐ行くから」 「......分かったわ」 華も少し疲れたようで、小さく頷くと車に乗り込む。 光莉は丁寧に彼女を支え、ドアを閉めた。 そして、ゆっくりと振り返り、若子の前に立つ。 その視線はまっすぐ西也に向けられていた。 ―その目には、何か複雑な感情が浮かんでいるように見えた。 少しの沈黙の後、光莉は口を開く。 「若子と二人で話がしたいのだけど、いいかしら?」 西也は軽く頷く。 「......じゃあ、車で待ってる」 若子も頷き、「うん、すぐ行く」と答えた。 西也が車へ向かい、光莉と若子
「若子、修と離婚した後、すぐに行くつもりだったんじゃないの?なのにずっと残ってて、今はもういろんなことがぐちゃぐちゃになってるよ。ちょっと気分転換に海外へ行ったほうがいいんじゃない?」 「お母さん、こんな時に出て行くなんてできません」 「なんでできないの?もしおばあさんのことが心配なら、安心しなさい。私とお父さんがちゃんと面倒を見るから。それに、修だって今はおばあさんの前に出ることすらできないわ。おばあさんはもう彼のことを覚えていないんだから」 「でも、お母さん......」 「若子」光莉は再び言葉を遮る。「おばあさんのことは、いつでも私が報告するわ。もし何かあれば、すぐに呼び戻す。だけど、ここはもう安全じゃない。あんたを誘拐した犯人はまだ捕まってないのよ?また襲われたらどうするの?それに......今はあんた一人じゃないでしょ。お腹の子のこと、ちゃんと考えなさい」 「でも......私、約束したんです。生まれたら一番におばあさんに見せるって」 「おばあさんは、もうその約束のことなんて覚えていないわ。突然赤ん坊を見せたところで、誰の子かもわからないでしょう?若子、もう意地を張るのはやめなさい。気持ちを整理するためにも、少し外の世界を見てきたら?国内のことは全部私が片付ける。それに......お母さんは、あんたに海外で勉強してほしいの」 「勉強......ですか?」 「そうよ。あんたの専攻は金融でしょ?だったら、海外でしっかり学んできなさい。もっと自分を高めるべきよ、若子。外に出て、世界を広げなさい。おばあさんのことは心配しなくて大丈夫だから」 ― 西也は車の中でじっと待っていた。だが、時間が経つにつれ、その忍耐も薄れていく。 どうも気がかりだ。 あいつ、若子に何を話している?まさか、俺の悪口でも言っているんじゃないだろうな? 口では綺麗事を言っていても、裏で何を企んでいるかわかったもんじゃない。 藤沢家の人間なんて、信用できるわけがない。 そう思いながら車を降りようとしたその時、若子がようやくこちらに向かって歩いてきた。 西也はすぐにドアを開ける。「若子、話は終わったのか?」 若子の目は赤くなっていた。 「泣いたのか?」 「......なんでもない。帰りましょう」 そう言って、若子は助手
深夜、若子は眠れなかった。 一人で庭に出て、ブランコに腰掛ける。夜風が頬を撫で、少しひんやりとした感触が心地いい。 その時、ふわりと温もりが肩にかかる。 振り返ると、西也が優しく毛布をかけてくれていた。 若子は口元をわずかにほころばせる。「西也、まだ寝てなかったの?」 「お前もな」 そう言って、西也は隣に座る。「どうした?話してみろよ」 「......おばあさんが心配で」 「気持ちはわかる。だけど、この病気は治るものじゃない。ただ、誰かがそばにいてやれば、それでいい」 「......私が面倒を見たいの。もし妊娠してなかったら......」 そう言いながら、胸が痛んだ。 あんなに待ち望んでいた子なのに、どんなことがあっても産むと決めたのに。 なのに今、「この子がいなければ」と思ってしまう自分がいる。 人の気持ちって、こんなにも変わるものなのか。 西也はそっと彼女の手を握る。「若子、そんなこと言うなよ。まずは無事に産もう。それからゆっくり考えればいい」 「......」 西也の言葉を聞いた瞬間、若子の頭にあることが浮かぶ。 ―私は、西也に絶対に離婚しないと約束した。 だけど、それは彼が記憶を失っている今だから。 もし記憶を取り戻したら?きっと、離婚できるはず。 離婚すれば自由の身になれる。そしたら、おばあさんのそばで暮らし、ずっと面倒を見られる。 でも今は―お腹の子を産むまでは、何もできない。 それに、お母さんの言うことも一理ある。 卒業してから妊娠のせいで勉強を続けられなかったし、仕事もしていない。この機会に、もう一度学び直すのも悪くない。 「......西也、海外へ行かないか?」 西也の顔が一瞬で驚きに染まる。 光莉に言われた時は信じなかった。まさか本当に若子がその気になるなんて。 西也の驚いた顔を見て、若子は微笑んだ。 「もともと行く予定だったでしょ?ただ、いろいろあって伸びちゃっただけ。それに、私も約束したし、ちゃんと一緒に行くよ。それに......西也には、一日でも早く記憶を戻してほしいから」 西也は、ふっと優しく微笑んだ。「......わかった。じゃあ、いつ行く?」 「いつでも」 「じゃあ、少し時間をくれ。会社のことを片付けてからにする
こうして、西也と若子は、ついに海外へ行く日を決めた。 それまでに、西也は常遠の買収を完全に終わらせなければならなかった。 常遠側は当然、買収を拒んだ。しかし、西也はあらゆる手を使い、容赦なく攻め続けた。 結果、常遠はついに耐えきれず、買収契約にサインをすることになる。 次のステップは、企業の譲渡。 ここで、西也はあることに気づく。 ―あの誘拐犯を、甘く見すぎていた。 西也は、譲渡を追跡することで、犯人の正体を突き止めるつもりだった。 だが、相手はそれすらも計算済みだった。 譲渡の受け手は、代理会社。さらに、その代理会社の裏には別の法人が絡んでおり、本当の所有者の素性は完全に隠されていた。 どんな手を使っても、買い手の正体を掴むことができない。 時間と労力をかけて追跡することは可能かもしれない。 だが、その間にも犯人は余裕の態度で西也を見下ろしている。 まるで、彼が必死に調べても何も掴めないと確信しているかのように。 そのことを悟った西也は、調査を中止することにした。 今、最優先すべきは、犯人を突き止めることではない。 ―奴の正体がわかったところで、動画がまだ手元にある限り、どうすることもできない。 ならば、無駄な足掻きはやめるべきだ。 今は、若子と一緒に海外へ行くことが先決。 俺には、もう時間がない。 海外へ行けば―全て、変わるかもしれない。 準備は順調に進んだ。 渡航手続きは全て完了し、アメリカ側の医療機関も受け入れ態勢を整えた。 そして、予定通り、二人は飛行機に乗り込む。 アメリカへ。 ...... 西也と若子が出国した後、表面上は何事もなく、平穏な日々が続いた。 それからの一週間、若子はずっと光莉と連絡を取り合っていた。 彼女の近況を知るたびに、光莉はほっとする。 二人とも、無事に新しい生活を始められたようだった。 西也も、治療を受けている。 若子は、体を大事にしながら、同時に勉強を始めた。 すべてが順調に進んでいるように見えた。 光莉は、今回の判断が正しかったことを実感する。 ―やっぱり、二人を行かせてよかった。 国内にいれば、修がいる。 どれだけ西也が若子を大切にしようと、二人の間にはどうしても「溝」ができてしまう
修は足を止め、振り返る。 母の顔には、明らかに言いづらそうな表情が浮かんでいた。 「一体何だ......何か隠してんか?」 「......あんた、本当に若子とは終わったの?」 その言葉に、修は目を閉じる。 握りしめた拳が、わずかに震えた。 「......若子が終わらせたがったんだ。俺に何ができる?」 「じゃあ、あんたはまだ彼女と一緒にいたいのね?」 修は苦笑する。「母さん、俺がどうして怪我をしたか知ってるか?俺が若子を助けに行った時、何があったのか......知ってるか?」 光莉は静かに問い返した。「......何があったの?」 修は一瞬だけ迷い、そして小さくため息をついた。 「......いや、もういい」 言わなくてもいいことだった。 誰にも言いたくない。 ただ、若子は西也を選んだ―それだけだ。 それが、すべての答えだった。 ―若子は、もう俺を愛していない。 修が去ろうとするのを、光莉が慌てて引き止めた。 「待って!一体どうしたの?ちゃんと話して」 その表情には、明らかな不安が滲んでいる。 「......話すことなんてない」 修は冷めた声で答えた。 今さら、両親と何を話せばいい? 誰も、自分の味方にはならない。 いや、そもそも自分に味方する権利なんてない。 自分が間違えたのだから、誰かに寄りかかろうなんて甘えたことを考える資格はない。 「修......お願いだから、話してくれない?」 光莉の声が、少し震えていた。 彼女は、このところ修の気持ちがひどく沈んでいることを知っていた。 それが単なる落ち込みなのか、本当にうつ病なのかは分からない。 でも、こんな時こそ、一番必要なのは家族の支えと寄り添いだ。 「......話して何になる」 「何にもならないかもしれない。でも、心に溜め込むのはよくないわ。どんなことでも、一人で抱え込まないで」 修は、ふっと鼻で笑う。 「抱え込むな?母さんが俺の話を聞いたところで、どうせ俺を責めるんだろ?」 「そんなことない。私はあんたの母親よ。あんたを傷つけるわけがないじゃない」 光莉の声には、強い意志が込められていた。 修は、しばらく彼女を見つめ―そして、ふっと笑った。 「......若子は
母さんが若子を庇うのは、本来なら嬉しいはずなのに。 ―だけど、どうしてこんなにも虚しいんだ? 修はいつも、「選ばれる側」ではなかった。 「排除される側」だった。 「母さん、俺は誤解なんかしてない。若子が遠藤を選んだことが、間違いだなんて思わない。どんな状況であれ、彼女には彼女なりの理由があったんだろう。だけど―俺の立場からすれば、それは『正しい選択』なんかじゃない......俺にとっては、破滅だった」 そう言いながら、修はそっと胸の傷跡に手を当てる。 深く刻まれた傷痕は、今もなお、うずくように痛む。 ―あの日のことを思い出すたび、あの痛みが蘇る。 決して、癒えることのない傷。 「修......」 光莉の目に、深い悲しみが宿る。 その手が、修の手をぎゅっと握りしめた。 「......あんたがどれほど苦しんだか、私にはわかるわ。でも、もう若子とは関わらないと決めたのなら、それでいいじゃない。あんたには、まだ未来がある。たくさんの素敵な人に出会えるわ。だから、過去に囚われないで」 その言葉とともに、光莉の瞳から、涙がこぼれ落ちる。 ―どんなに強くあろうとしても、母親には息子の痛みが伝わる。 修がどれだけ傷つき、どれだけ絶望したのか― 彼が何も語らなくても、痛いほど伝わってくる。 若子が西也を選んだ。 本来なら、彼女を責めるつもりだった。 怒りをぶつけ、罵倒するつもりだった。 だけど...... ―西也もまた、自分の息子だった。 修も西也も、どちらも光莉にとってはかけがえのない子供。 若子の選択が、どれほど苦しいものだったか、今ならわかる。 彼女は、どちらを選んでも苦しんでいただろう。 もし自分が彼女の立場だったとして、正しい選択ができるのか? ―おそらく、できないだろう。 だから、彼女がその瞬間に何を思っていたのかなんて、誰にもわからない。 感情のままに、勢いで言葉を発したのかもしれない。 深く考える余裕すらなかったのかもしれない。 だって― 彼女にとって、二人とも「大切な存在」だったのだから。 ......ただ、そのうちの一人は、彼女を傷つけたことがある男だった。 彼女の選択は、きっと間違っていなかった。 修は静かにため息をついた。「.
修は、西也と若子の間に何があったのかを知っている。 あいつは、少なくとも若子に誠実だった。 彼女が最も苦しい時、そばにいて、支え続けた。 だからこそ、彼女が西也を選んだことに、修はもう何も言うつもりはない。 ―でも、母さんは? 西也のために、母さんは何をした? 他の母親なら、自分の息子を守るはずだ。 なのに、どうして俺の母親は違う? ―いや、そもそも、俺は母さんに守ってもらったことなんて、一度もなかった。 子供の頃から、どんなことも自分一人で乗り越えてきた。 何かあったとき、親に助けを求めるという発想すらなかった。 だから、今さら期待なんてしていない。 でも― それでも、こんなにも露骨に態度を変えられるのは、さすがにキツい。 「西也」って―まるで、ずっと息子として可愛がってきたかのような呼び方じゃないか。 若子を守るためなら、母さんがあいつを庇うのも仕方ない。 それはわかる。 だけど、納得できないのは― あいつが何もしていないのに、母さんがそんなに優しく名前を呼ぶことだ。 ―俺がこんなに苦しんできても、そんなふうに呼ばれたことなんて、一度もなかったのに。 修は、自嘲するように目を伏せた。 ......これは、ただの嫉妬なのか? それとも、世の中が理不尽すぎるだけなのか? どうして、誰もがあいつの味方をする? ―母さんまで。 たった一言。 「西也」という呼び方だけで、心が真っ二つに引き裂かれた気がした。 光莉は、呆然と修を見つめる。 その瞳には、隠しきれない罪悪感がにじんでいた。 ―いや、罪悪感だけじゃない。 焦りと、動揺。 光莉は、ゆっくりと視線を落とした。 言葉が、出てこなかった。 今さら、何を言えばいい? ―西也は、自分の「本当の息子」だ。 ―自分は二十年以上もの間、彼の存在を知らずに生きてきた。 ずっと死んだと思っていた我が子が、突然目の前に現れた。 しかも、その子に、自分は何をしてきた? 罵倒し、傷つけ、突き放し、侮辱した。 それは全部、修を守るためだった。 そう、あの時の自分は―「修を守るため」に、そうしていたのだ。 ―どちらも、私の息子なのに。 どちらかを選ぶなんて、できるわけがない。
深夜、高級なプライベートヴィラの前に一台の車が停まる。 光莉はハンドルを握ったまま、しばらく降りようとしなかった。 コツン。 窓がノックされ、彼女はようやく窓を開ける。 窓の外では、高峯が笑みを浮かべて立っていた。 「来たんだな。ずいぶん待ったよ」 そう言いながら、彼はまるで紳士のように車のドアを開けた。 だが、光莉は知っている。 この男が、どんな顔をして笑っているのか。 彼女はバッグを手に取り、車を降りる。 高峯が手を差し出した。 「持ってやるよ」 「いらない」 彼を無視して、光莉はヴィラの中へと足を向けた。 高峯は軽い足取りで彼女の後を追いながら、何気なく問いかける。 「夕飯は食べたか?」 「食べた」 「夜食は?」 「いらない」 光莉は相手にするつもりもなく、まっすぐ階段を上がっていく。 そして二人が寝室へ入ると、彼女はバッグを適当に置き、無言で服を脱ぎ始めた。 高峯は腕を組み、その様子をじっと見つめる。 途中で、光莉は冷たく言った。 「何ボーッとしてるの?さっさと脱ぎなさいよ。終わったら帰るから」 「こんな時間に?帰ってどうする」 高峯は彼女に歩み寄り、優雅な手つきで外套を脱がせ、シャツのボタンを外していく。 「今夜はここにいろよ。明日の朝、一緒に朝食でもどうだ?」 彼は光莉の服を一枚ずつ脱がせると、そのまま抱き上げ、ベッドへと横たえた。 そして、唇を重ねようと顔を近づける。 だが、その瞬間、光莉は彼の口を手で塞いだ。 「......私のネックレスは?返して」 高峯は枕の下からチェーンを取り出し、目の前で軽く振る。 「これか?」 光莉はすぐに手を伸ばしたが、高峯はさっとそれを避ける。 「慌てるな。俺がつけてやる」 彼は片手で彼女の後頭部を支え、もう一方の手でネックレスをかけようとした。 だが、光莉は力強く振りほどいた。 「自分でできる。さっさと終わらせなさい。用が済んだら帰るから」 高峯は手にしたネックレスを握りしめ、光莉の両手を強く押さえつけた。 「今夜は帰るな」 「......命令してる?」 光莉は冷たく言い放つ。 高峯は穏やかに微笑みながら、彼女の頬に手を這わせた。 「ただ、お前にいて
「......言わないか?」 修は冷たく言い放つと、踵を返した。 「なら、お前は俺との取引のチャンスを逃したってことだ」 そう言い捨て、病室を出ようとする。 「待ってください!」 ノラが慌てて呼び止めた。 修は足を止め、振り返る。 「......考えを変えたのか?」 ノラは少し考え込むように視線を落とし、やがて言った。 「今すぐに交換条件を思いつきません。でも、先に貸しにしてもらえますか?後で僕が何かお願いするとき、ちゃんと聞いてもらえます?」 修はゆっくりと歩み寄り、ベッドの横で腕を組む。 「......いいだろう。約束する」 「なら、教えます。でも......」ノラは慎重に言葉を選ぶように続けた。「絶対に僕から聞いたとは言わないでくださいね?お姉さんにバレたら、怒られますから。僕、もう藤沢さんの味方ってことでいいですよね?」 ノラはベッドサイドのメモ用紙を取り上げ、ペンを走らせた。 「ここがアメリカで一番の病院です。西也お兄さんはここで治療を受けています。そして、こっちが住んでいる場所。病院の近くですよ」 修はメモに書かれた住所を一瞬で覚えた。 そして、無言で紙を握りしめると、そのままくしゃくしゃに丸める。 瞳の奥には冷たい光が宿っていた。 「僕たち、約束しましたよね?」ノラは小指を差し出した。「絶対に僕が教えたって言っちゃダメですよ。ちゃんと誓ってください!」 修はちらりと彼を見たが、何も言わずに病室を後にした。 侑子がすぐに後を追う。 「藤沢さん!」 しばらく無言のまま歩いていた修は、ふと足を止めた。 「......山田さん、さっきのことは忘れてくれ」 「でも......見ちゃったよ」 侑子は不安げに言った。 「住所を手に入れたってことは、アメリカに行くつもりなの?元妻さんに会いに?」 彼が元妻に会いに行くことが、彼のためになるとは到底思えなかった。 それに―あの人が、もしまた彼を傷つけたら? 前回、修があんなにも深く傷を負ったのは、あの元妻が関わっているせいだと聞いたことがある。 もし、また同じことが起きたら? それに、アメリカは危険な場所だ。銃社会でもある。 もし本当に彼女に命を狙われたら―? 「そんなの、関係ない」 修
修はチャットの履歴をスクロールし続けた。 そこには、若子とノラの親しげなやり取りが残されていた。 「お姉さん、見てください!ついに僕の研究室ができました!時間があったらぜひ見に来てくださいね。僕の仕事、自慢したいです!」 「わあ、ノラすごい!帰国したら絶対に見に行くね!」 「うんうん、じゃあ姉さんの帰りを待ってます!今、海外での生活はどうですか?順調?」 「うん、すごく順調だよ。心配しないで」 「それなら良かった!じゃあ、西也お兄さんは?記憶は戻ってきました?」 「少しずつ戻ってるよ。治療の効果は出てるみたい」 「お姉さん、きっと嬉しいでしょう?」 「うん、西也の記憶が戻ってくれたら、もちろん嬉しいよ。だって彼が記憶を失ったのは私のせいだから。どんなことがあっても、私は彼のそばにいる」 「お姉さんと西也お兄さん、すごくいい関係ですね!僕も嬉しいです!それで、二人で幸せに過ごせてますか?」 「うん、幸せだよ」 「西也お兄さんは本当にいい人ですね。姉さんがずっと幸せでいられますように」 「ありがとう。あ、そろそろ出かけるから、またね」 修は次から次へとメッセージを読み続けた。 どれもこれも、若子の「幸せ」が伝わる言葉ばかりだった。 画面をスクロールしながら、彼は必死に自分の名前を探した。 ―だが、どこにもなかった。 何百、何千と並ぶ文字の中に、たった一度たりとも彼の名前は出てこなかった。 ―俺はもう、完全に彼女の世界から消えたんだ。 ―彼女の口にすらのぼらない存在になったんだ。 修の指がわずかに震える。 横に立っていた侑子は、彼の変化に気づいていた。 彼の表情は、見る間に絶望へと変わっていく。 ―藤沢さん、まだ彼女を忘れられないのね。 そう思ってはいたが、ここまで執着しているとは思わなかった。 別れた女性が、他の男と交わした会話を何度も何度も繰り返し読み返すほどに。 ―こんなにも、彼の心は他の誰にも開かれないのね。 侑子はふと、彼の「元妻」に興味を持った。 写真でしか見たことはないが、一度会ってみたい。 修をここまで夢中にさせるほどの女性とは、いったいどんな人なのか。 ―私と、どこが違うの? ―彼にとって、私は「代わり」にすらなれないの?
「愛してる~本当に愛してる!」病室に響くのは、あまりにも感傷的な歌声だった。「お願いだから僕を置いていかないで!僕は本当に君を愛してるのに、どうして彼の腕に飛び込んだんだ?ああ~」 ―ドン! 突然、病室のドアが勢いよく蹴り開けられた。 修が冷たい表情のまま、中へと踏み込む。 ノラはベッドの上でイヤホンをつけ、目を閉じながら完全に音楽の世界に浸っていた。 誰かが入ってきたことにも気づかず、さらに熱唱する。 「君はついに他の男のものになった!僕は君を、完全に失ったんだ!」 ―なんなんだ、このタイミングでこの歌は。 修の眉間に深い皺が刻まれる。 こんな状況でこの歌を聞かされるとは、まるで火に油を注がれるようなものだった。 修は容赦なくノラのイヤホンを引きちぎるように外した。 「わっ!」 ノラは飛び上がるほど驚き、思わず叫びそうになるが、目の前の修を見て言葉を詰まらせる。 「......っ!ふ、藤沢さん!?なんで戻ってきたんです?もう帰ったんじゃ......?」 「お前、さっき若子と頻繁に連絡を取ってるって言ってたな―何を話してる?」 修自身、なぜこんなにも気になってしまうのか、理解できなかった。 だが、考えれば考えるほど、胸の奥がざわついて、どうにも落ち着かない。 若子は離婚してから、多くの人と関わるようになった。 新しい夫、友人、弟。 ―そして、自分だけが、彼女の世界から完全に切り捨てられた。 なぜだ? なぜ若子にとって、誰もが自分よりも大切なのか? たとえ道端で適当に拾った「弟」のような存在であっても― 十年の時を共に過ごしたはずなのに、たった一度の過ちで見捨てられ、憎まれる存在になったのか? ノラは修の険しい表情に怯え、言葉を詰まらせる。 「そ、それがどうしたんです?僕たちが何を話そうが、藤沢さんには関係ないでしょ?だって、もう姉さんと離婚したじゃないですか!」 「......っ!」 修の目が一気に鋭くなり、ノラの肩を乱暴に掴むと、そのままベッドに押し倒した。 「何を話してる?......言え」 声は低く、しかし怒りを抑えきれないものだった。 「言わないなら、力づくで吐かせるぞ」 修は決して権力で人を押さえつけるタイプではなかった。
ノラはびくっと肩を震わせた。 「......もう言いませんよ。そんな怖い顔しなくてもいいじゃないですか?お姉さんだって、藤沢さんに怯えて逃げたんですよ。だから、海外に行っちゃったんじゃないですか?」 突然、修の眉がぴくりと動いた。 「お前......彼女が海外に行ったことを知っているのか?」 ノラはあっさりと頷く。 「もちろん知ってますよ。それどころか、どこにいるのかもね。僕、お姉さんとよく連絡を取ってますから」 修の拳がぎゅっと握られる。 ―こいつと、よく連絡を? 胸の奥が押しつぶされるような感覚に襲われる。 それでも修は何も言わず、踵を返した。 しかし、足が動かない。まるで鉛のように重くなり、一歩も踏み出せない。 そんな修の様子を見て、ノラはニヤリと笑う。 「行かないんですか?それとも、僕が恋しくなりました?まさか謝りたくなったとか?」 修は振り返り、低く問いかける。 「......お前と彼女、そんなに仲が良かったのか?」 「もちろんです!僕はお姉さんのこと、本当の姉みたいに思ってますから。お姉さんも僕のことを弟みたいに思ってくれてます。距離は離れても、心は繋がってるんですよ」 ノラは悪びれもせず、笑顔で続けた。 「......もしかして、嫉妬してるんですか?」 修の瞳が鋭くなる。 「自業自得ですよ。お姉さんが藤沢さんを無視するのは当然です。だって、あんたはお姉さんの旦那さんを傷つけたんだから。それが証拠不十分で捕まらなかっただけで、本当なら牢屋行きですよね?」 修の手がノラの襟首を掴んだ。 「俺じゃないっつってんだろう!その話をもう一度言ってみろ。今度は、本当に殴るぞ」 「藤沢さん!」 侑子が慌てて駆け寄り、修の腕を掴んだ。 「彼、怪我してるのよ!今ここで殴ったら、大変なことになるから。落ち着いて!」 修は忌々しげに鼻を鳴らすと、乱暴にノラの襟を放した。 ノラは怯えたように肩をすくめる。 「......もう言いませんよ。でも、お姉さんもきっと怖がってましたよね?だから、今は幸せそうで何よりです」 ノラはニコリと笑う。 「西也お兄さんと一緒にいると、お姉さんはすごく幸せそうですよ。二人はラブラブで、見てる僕まで微笑ましくなります」 ―西也お兄さ
修の「若子」という言葉に、ノラは眉をひそめた。 「僕も気になりますよ、なんでこんなところで藤沢さんと会うんでしょうね。それに、まさか轢かれるとは......運転、ちゃんとしてました?」 「横断歩道でもないところを飛び出して、よくそんなことが言えるな?」修は冷たく返す。「ドライブレコーダーの映像を確認するか?赤信号を無視したのはどっちか、はっきりするぞ」 「僕、急いでたんです!」ノラは不満そうに唇を尖らせる。「それに、歩行者を優先するのが普通でしょ?運転するなら気をつけてくださいよ」 修はため息をつき、これ以上の言い争いは無意味だと判断した。 「とりあえず病院には連れていく。治療費も払う。それ以上は自分でなんとかしろ」 ノラが突然飛び出してきたせいで、修も反応が遅れた。 責任があるとすれば、どちらも半々だろう。 病院に連れていき、治療費を出すだけでも十分なはずだ。 「......本当に冷たいですね。だからお姉さんに捨てられて、別の男と結婚されたんですよ。自業自得じゃないですか?」 修の手がハンドルを強く握りしめる。 「......今、何て言った?」 ノラは痛みをこらえながら、薄く笑った。 「怒りました?でも、僕、嘘なんて言ってませんよね?前に病院で会ったときも、すごく怖かったですし。殴られましたし。そんな人と一緒にいて、姉さんが幸せになれるはずないじゃないですか」 「―!」 助手席にいた侑子は驚き、思わず振り返った。 「藤沢さん、この人と知り合いだったの?それに......殴ったってどういうこと?」 修はエンジンをかけながら、あっさりと言い放った。 「あぁ、殴った。殴られるようなことを言ったからな」 「......っ」 修の平然とした態度に、侑子はますます混乱する。 「え、ちょっと待って。二人とも知り合いで、しかもそんな過去があるの?」 偶然にしてはできすぎている。 ノラは肩をすくめながら、まだ痛みで顔を歪めている。 「一度会ったことがあるだけですよ。お姉さんの旦那さんが事故に遭ったとき、こいつが怪しかったんです」侑子は聞けば聞くほど混乱してきた。口を開きかけたその瞬間、修が言った。 「もういい。黙れ」彼は車内でこの話をする気にはなれなかった。怒りを抑えきれなく
修が車を降りると、若い男が地面に倒れ込んでいた。 カバンが傍らに転がり、男は足を押さえながら痛みに呻いている。 修はすぐに駆け寄り、声をかけた。 「大丈夫か?起き上がれるか?」 倒れていた男が顔を上げる。 その顔を見た瞬間、修の胸がざわついた。 ―見覚えがある。 若子の知り合いのひとり、桜井ノラだ。 以前、病院で会ったことがあった。 あのときは西也が事故に遭い、若子がずっと付き添っていた。 ―こいつが、どうしてここに? ノラも修を認めたようで、驚いた表情を浮かべた。 「......あれ?藤沢さん?」 顔をしかめながら、痛そうに呻く。 「うぅ......痛い......体中が痛くて、骨が折れたかもしれません......」 修は思わぬ再会に驚きながらも、目の前の怪我人を優先する。 「立てそうか?病院に連れて行く」 そのとき、助手席に座っていた侑子が、フロントガラス越しに修が男を支え起こすのを見ていた。 彼女は急いでシートベルトを外し、車を降りて駆け寄る。 「藤沢さん、その人......大丈夫?怪我、ひどいの?」 修が事故を起こしたのではないかと不安になったのだろう。 ノラは顔色が悪く、額には汗がにじんでいた。 彼は侑子を見て、首をかしげる。 「......この人は?」 「お前には関係ない。とにかく車に乗れ。病院へ行くぞ」 誰の責任かはともかく、彼は確かにノラにぶつかった。 ―こいつは怪我をしたようだし、ここに放っておくわけにもいかない。とにかく病院へ連れて行くしかない。 修はそう考えながら、ノラを後部座席へと押し込む。 後部座席のドアを閉めると、修は侑子の前に立ち、軽く頭を下げた。 「悪いな、山田さん」 そう言って、財布から紙幣を数枚取り出し、彼女に差し出した。 「タクシーで帰ってくれ」 侑子の表情が曇る。 「......そう。じゃあ、そうするわ」 だが、彼女は修の手を払いのけた。 「でも、お金はいらない。私、自分で帰れるから」 彼女の強い意志を感じた修は、それ以上押しつけることなく、紙幣をしまう。 「早く彼を病院に連れて行って。私は先に帰るわ」 そう言いながら、侑子は背を向け、歩き出した。 だが、数歩進んだところで
黒いセダンが静かに道路を走っていた。 修は運転席に座り、両手でハンドルを握りながら、じっと前方を見つめている。 助手席の侑子はシートベルトを締めながら、そのベルトを無意識に握りしめていた。 心臓が、ドキドキとうるさいくらいに鳴っている。 ―藤沢さんと二人きりの車内。 それだけで、緊張で息が詰まりそうだった。 好きな人といると、どうしても挙動不審になってしまう。 ちょっとした仕草も、変に思われないかと気になってしまう。 静寂が続き、少し気まずく感じた侑子は、思い切って話しかけることにした。 「......お母さん、本当に綺麗な人ね。お父さんもすごく格好良かったし。お二人とも、お似合いだったわ」 修は無表情に答える。 「見た目だけは、な」 その言葉に、侑子は一瞬、戸惑う。 ―もしかして、ご両親の仲は良くない......? なんとなく、家族の雰囲気がぎこちないとは思っていたけれど...... 侑子が聞こうとしたそのとき、修が先に口を開いた。 「......さっきは悪かったな」 「え?」 「病院で突然いなくなったこと。それに、この前も、お前に酷いことを言った」 修の声は静かだったが、どこか申し訳なさそうだった。 「それなのに、お前は俺を責めずに手を貸してくれた......感謝してる」 侑子は少し驚いた。 ―藤沢さんが、私に謝ってる......? 胸の奥が、ふわっと温かくなる。 「......気にしてないわ。あのときの言葉だって、私を傷つけようとして言ったんじゃないって分かってたし。むしろ、ちゃんと本音を言ってくれたほうが、曖昧に誤魔化されるよりずっとマシよ」 修はハンドルを握りしめたまま、小さく息を吐く。 「俺はそんな立派な人間じゃない......だから、元妻も俺を捨てていった」 それは、痛みを麻痺させるような独白だった。 侑子はそっと修の横顔を見つめる。 「でも、藤沢さんは自分の過ちを分かってるんでしょう?だったら、そんなに自分を責めなくてもいいんじゃない?」 「......そうかもな」 修は薄く笑った。 その表情には、どこか諦めの色が滲んでいた。 「母さんが、お前に食事をご馳走しろって言ってた。何が食べたい?礼をしたいんだ。もしかしたら、ま
侑子は立ち上がり、修に向かって微笑んだ。 「藤沢さん、おばあさまは休んだね。じゃあ、私もそろそろ行くから」 修は彼女の前に立ち、静かに言った。 「今日は本当に助かった。お前の時間を取らせてしまったな」 侑子は口元をわずかに緩める。 「大した用事はなかったし、むしろお手伝いできて嬉しいわ」 修は軽く頷く。 「送るよ」 侑子は遠慮しようとしたが、少しでも彼と一緒にいたい気持ちが勝り、頷いた。 「......じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう」 二人がちょうど玄関を出ようとしたとき、不意に声がかかった。 「二人とも」 光莉がこちらへ歩いてきた。 修は足を止め、ゆっくりと振り返る。 光莉は二人の前で立ち止まり、穏やかに微笑んだ。 その視線が、侑子に向けられる。 「山田さん、初めましてね」 侑子は丁寧に会釈し、明るく言った。 「こんにちは。おばさまは本当にお綺麗で、お若いですね」 それは侑子の心からの感想だった。 光莉を初めて見た瞬間、思わず息を呑んだほどだ。 三十代前半にしか見えない端正な顔立ち、美しく整えられた姿勢、そして気品に溢れた雰囲気。 自分もまだ二十代だというのに、彼女の前ではまるで幼い子供のように感じる。 ―こんなに美しい女性が、藤沢さんの母親なのか。 そして、彼の父親もまた整った顔立ちをしている。 ―やっぱり、美男美女の子供は違うんだな...... 光莉は微笑みながら、柔らかく言った。 「若い子には敵わないわよ」 「そんなことないです!おばさまのような品格や知性は、私たちにはとても真似できません。私はただの未熟者ですから」 「まあ、お世辞が上手ね」 光莉は小さく笑った。 世辞が上手い人間は世の中に多い。 侑子も、特に珍しいわけではない。 だが、悪い気はしなかった。 「修、こんな素敵な友人がいたのね。どうして今まで教えてくれなかったの?もっと早く紹介してくれれば、食事でもご一緒できたのに」 修は軽く肩をすくめる。 「今、知ったならそれでいいだろ」 彼の声には特に感情はなく、どこか淡々としていた。 けれど、その微妙な距離感が、光莉の表情を一瞬固くする。 「......ええ、そうね。知れたからいいわ」 侑子は