紗枝は感動した。「唯、ありがとう」 「私たちの関係で、感謝などはいらないわ。この前、お見合いに立ち会ってもらったじゃ、今度も助けてくれるだろう」唯は宴会など一番嫌いだった。 海外に行く前に、彼女はお父さんに各種の宴会に散々連れて行った。自分より裕福で実力ある婿を探すためだったので、彼女はとっくに飽きた。「いいよ」 唯が彼女を応援するように言った。「今回は、きっとこの生意気の啓司を落としてやろうよ」「うん」前回、もうちょっとで成功するところだったが、残念だった…明日、うまく計画しなければならないと思った。 突然思いついた。紗枝は唯に尋ねた。「おお爺さんの誕生日の祝宴に、葵も参加するだろう?」「それは当然だ。これは黒木家の機嫌を取り、お嫁になる絶好のチャンスじゃ、絶対に見逃さないと思うわ!」唯が急いで回答した。紗枝が口元を上げた。「今度、葵にも大きなサプライズを用意しよう」翌日。 景之が朝早く起きた。 おお爺さんの誕生日の祝宴は午前10時からだった。 景之が早起きしたのは、紗枝に知られるのを恐れたからであり、明一に招待されたからでもあった。 紗枝が景之に友達へのギフトボックスも用意した。 景之の友達が黒木家の上の孫の黒木明一だと紗枝は知らなかった。 景之は彼女に言えなかった。もし彼女に知られたら、絶対に黒木家の実家へは行けなくなるだろうと思った。 だから、景之はクラスの他の生徒の名前をさりげなく使った。景之は明一と幼稚園の入り口で会う約束だった。 暫くしてから、普通より長い車が景之の前に止まった。彼が異常に小さく見えた。 ドアが開くと、明一の誇らしげな顔が現れた。「お宅にはこのような車はないだろう?」景之はお世辞を言った。 「うん、ないだ。一番高い車はせいぜい数億円だ」景之の手を取って、引き寄せて彼の隣に座った。「今後、僕について、大人になったら、この車を君にやる」景之は言った。「君がボスになってからにしよう」 明一が聞いて気分が重くなった。「ボスだろう?家に行けば、僕の地位を分かる」実は、最近幼稚園で明一と付き合ったうちに、彼が黒木家にどれだけ大切にされているかを知った。 毎日、出迎えの高級車が違うし、ボディーガードも10人ぐらいいた。また、
景之が視線を戻り、気にしなかった。「そう」明一は彼がそれを信じていないと思った。「今ゲストを招待するホールに行こう。見てみろ!間違いなく証明して見せる」「よし、行こう」その時、ホールは準備中だった。おお爺さんの息子の嫁として綾子が現場で様子を見ていた。「おお爺さんの誕生日に、元気を出してね」彼女は生け花を修正しながら管理人に言った。「また、素敵なお嬢さんがいらた、教えてくれね」4、5年が経ち、葵はまだ啓司の子供を妊娠しなかった。彼女はほかに手を打たなければならなかった。「わかった」管理人はうやうやしく去っていった。ドアのところまで歩いていくと、ちょうど二人の子供に出会った。「明一坊や」彼は叫んだ。明一は彼に手を振った。管理人が彼の意図を分かって離れた。綾子はこの兄の孫に良い印象を持ったことがなく、彼と向き合うたびに、部外者に見せかけるだけの工夫をした。自分の孫ではなかったからだった。彼女は苛立たしげに顔を向け、彼に外で遊んでくれと言おうとしたが、突然視線が留まった。明一の隣に、顔が白い男の子がいて、遠くから一瞥しただけで、彼女はショックで動けなくなったあの子、どうして若い頃の啓司とそんなに似っているのか?彼女は正気に戻り、急いで使用人を呼んできた。「明一とあの子を連れてきて」「分かった」綾子は花瓶に入れてない花束を置いた。景之がマスクをしなかった。今日、最初に会ったのは自分の祖母だと思わなかった。昔、お母さんを苛めた人。使用人が二人を呼んだ。明一が景之に紹介した。「彼女はおじさんのお母さんだ」「うん」二人の子供が近づいて来て、綾子の視線は景之からずっと離れなかった。あまりにも似ていた。啓司が子供の頃と全く同じだった。景之はとても敏感で、彼女の視線に気づいた。もしかして、彼女は僕の事に気づいたのか。「お婆さんこんにちは」明一が甘い声で挨拶した。「こんにちは」綾子は冷たくうなずいた。景之は明一に従い、丁寧に「黒木お婆さんこんにちは」と挨拶した。景之の「黒木お婆さん」の一言で、綾子の冷たい心が一瞬で溶かされた。彼女は身をかがめ、すべての視線が景之の体に止まった。これは似てるだけじゃなかった。彼には特別な親しみがあっ
彼は警戒したふりをした。「お婆さん、他人のプライベートを聞くのは礼儀正しくないと先生に言われましたよ」 綾子は息を詰まらせた。やっと自分が聞きすぎたことに気づいた。 でも、目の前の子供は本当に賢く、こんなに若いのに、見知らぬ人に対して警戒が高くてすごいと思った。「ごめん!お婆さんが間違った」 彼女は景之の頭に撫でようとした。 しかし、彼はそれを避けた。 綾子の手がその場で凍りついた。 一方、明一は不快を覚えた。普段、あんまり声をかけてくれなかった綾子お婆さんが、どうして景之のことがそんなに好きだったのか分からなかった。「お婆さん、景之と遊びに行くから、お邪魔しました」 綾子は止めなかった。「いいよ。ゆっくり遊んでて、何か用があれば、いつでも言ってね」と言った。二人が離れた後、彼女はまだ気が済まなかった。 秘書を呼んできた。 「あの子の身分を調べて、特に親の身元」 「わかった」 この子は、子供の頃の啓司にそっくりだった。もし啓司に子供がいれば、間違いなく彼そっくりのはずだった。 「ところで、啓司は来たのか?」秘書は時計を見て回答した。「宴会まであと1時間ありますが、黒木社長は向かってる途中だと思います」 綾子はうなずいた。息子が来たら、若い女性にもっと注意を払ってもらおうと思った。できるだけ早く女を見つけて、孫を産んでもらいたかった。…一方。紗枝と唯が宴会に出席する前に、ドレスを選び始めた。 二人とも目立ちたくないと思って、普通でシンプルなドレスを選んだ。しかし、服がシンプルで普通であればあるほど、紗枝が艶やかで美しく見えた。唯が驚いた。「うわー、きれい」 「他の人達は服で自分を引き立てるが、君は却って服を引き立てるのだ」 紗枝は微笑み、さらに魅力的となった。 実際、唯も悪くなかった。 彼女は紗枝ほどきれいじゃなかったが、でも、見れば見るほどきれいだと分るタイプだった。 二人は出かけた。運転手さんの目を光らせた。車で黒木家の実家へ向かった。 前に黒木家の実家に行ったのは5年前だった。 時間はあっという間に過ぎ去った。 黒木家の実家の外。 高級車ずらりと並べていた。おお爺さんの誕生日で、桃洲市の大物はほとんど来ていた。しかもお子
しばらくして、車はバックしてきた。 車の窓が落とされ、啓司がパソコンを閉じ、頭を紗枝に向けて睨んできた。今日、彼女はアイボリーのドレスを着て、肌がダントツに白く見えた。 啓司の目を一瞬光らせた。でも、驚かなかった。用心棒から、彼女たちが黒木家に着いたことを報告された。「偶然だね」彼は揶揄しながら微笑んだ。 紗枝の目が輝いた。「そう、偶然ね」 「車に乗って」 啓司はそれ以上何も言わなかった。 紗枝が断らなかった。車に乗って彼の隣に座った。 「わざと僕に会いに来たのか?」この道は部外者に全く知られておらず、彼の運転手だけがこの道を走るのだった。「ここで失われた記憶を見つけられるかどうか見てみたいだけ」紗枝は落ち着いて嘘をついた。 これを聞いて啓司は不思議な顔になった。彼は運転手に「僕の部屋へ行け」と言った。 啓司が言ったのは、実家の中の彼の部屋だった。 「分かった」 紗枝はまだ彼の言葉の意味を理解してなかった。 啓司は彼女を振り返った。「思い出を見つけたいなら、まず私たちが結婚した時の部屋に行かなきゃ」 二人の新しい家は牡丹別荘だが、結婚した時に実家に住んでいた。啓司の部屋は以前と同じ、単純な色だった。部屋に入ってから、紗枝の前で服を脱ぎ始めた。 スーツ、そしてシャツ、ボタンを一つずつ外していた。紗枝は唖然とした。 体が少し硬くなった。 啓司がこんなことをするとは思っておらず、無意識に目をそらした。 啓司は彼女を見つめ、彼女の顔が半分赤くなっていることに気づいた。 彼はわざと歩み寄った。「どうして僕を見ない?「記憶を取り戻したくないのか?」彼の燃えるような視線が上から下へと彼女を見つめた。紗枝の頬は火のようだった。啓司を誘惑するつもりだったが、今は誘惑されたような気がした。彼女は複雑な気持ちを抑え、ゆっくりと頭を上げると、白いシャツのボタンが全部外された。 さらに上を見ると、啓司の黒くて深い目だった。啓司の喉が詰まった。彼女の手首をつかみ、彼女の手を自分の体に当てさせた。「触ってみて、覚えてるのか?」紗枝の手は彼のがっしりした腹部に触れ、全身が熱くなった。 彼女は落ち着くふりをした。 「まだ思い出せない」 彼女の手はわず
彼の声はかすれて魅力的だった。 我慢してどれほど苦しかったのか彼しか分からなかった。 しかし、紗枝の思うままにさせたくなかった。彼女が一体何を企んでるかを知りたかった。紗枝は一瞬唖然とし、目に涙を汲んだ「君はしたくないのか?」 彼女に目的があると分かって、啓司は突然言葉を替えた。「何か誤解でもしたのか?僕は君の記憶を取り戻そうとしただけだ。「今日はここまでにしよう。宴会に行く時間だ」 紗枝の顔が渋かった。先ほど6、7分間キスされたのは彼の戯れだったのか。彼女はそれを感情的に現れず、手を彼の体から取り戻した。啓司はクロークに行って服を着替え、彼女と一緒に宴会に向かった。…祝宴に、和彦と澤村お爺さんも来た。和彦のお爺さんもほかの親と同じ目的で来た。今回のまれな機会を利用して和彦のお嫁さんを選ぶのだった。和彦は強いられてきたので、まず黒木お爺さんに挨拶した。それからお爺さんに無理に連れられて、女の子と知り合うことに向かった。少なくとも20人の女の子を知らなければならないと言われた。 「忠告する。もし今日、聞いてくれなかったら、家から出てもらう。君と縁を切ってやる。「今になって、まだお嫁さんを貰えなくて、澤村家に恥をかかせるつもりか」お爺さんが指示を出した。和彦は何も言えなかった。彼の周りには女の子が少なくなかった。「わかった」 お爺さんに逆らうことをできないじゃなくて、お爺さんが心臓病を患っていたのだ。怒らせてはいけなかった。怒ると心臓がやられるのだとお医者さんから言われた。派手な服をした葵を目にして、お爺さんは目に嫌悪感でいっぱいだった。 孫に「この葵は絶対だめだ」と注意してやった。お爺さんが人を見る目が鋭かった。とっくに前で葵のことを調べた。彼女は恩知らずだった。今でもろくな人でなく、いろんな人と関係を持っていた。「安心して」和彦は命の恩人が紗枝だと分ってから、葵へ好感がすっかりとなくなった。お爺さんが唯一満足していたのは、和彦が彼女を諦めたことだった。今日の祝宴は規模が大きすぎて、明一と景之の二人が人の群れに混ぜて見えなくなった。 景之の明るい目は、葵を見かけてすぐに暗くなった。明一は彼の視線をたどり、すぐに説明した。「彼女は柳沢葵だ。噂でおじさん
葵は自分の足を抱えてくれたガキを見下ろして、少し煩わしいと思ったが、顔に現れなかった。彼女は身をかがめて微笑んで答えた。「そうよ、私だ。「お子さん、どうして一人でここに?お父さんとお母さんは?」真面目に目の前の子供を見つめて、なんてしっかりした顔と心をひく美しい目だった。一目で分かった。彼の両親は普通の人間じゃなかった。景之が明るい目で彼女を見つめ、真剣に言いだした。「お父さんが君に奪われたと聞きましたが、お父さんを返してくれませんか?」 葵の姿は突然凍りついた。 周りの数人の大家族の奥さんが聞いて、嫌そうに見てきた。彼女たちにとって、最も嫌いなのは、奥さんの座を乗っ取られたスターだった。「図々しい!」 「黒木社長がいるのに、また他の男性と付き合うのか?」「黒木社長が彼女と結婚しなかったのも無理はないね。彼女のような女、遊ぶだけでいい」 葵は突然気分が悪くなった。 彼女は怒りを抑え、しゃがみ込み、景之をまっすぐに見つめた。「お子さん、間違ってないか?「君のこと知らないし、君のお父さんも知らないわ」葵が話し終えて、再び景之に寄りかかり、肩に手を置き、声を低くして彼を脅した。「ガキ、でたらめ言うな。さもないと、海に捨てて魚の餌にしてやるぞ」目前に普通の子供だと思ったが、景之の演技力はなかなかのものだと思わなかった。次の瞬間、景之は彼女の手を強く叩き始め、泣き声で叫び出した。「おばさん、私は間違いました。私をつねらないで!痛いですよ…ウウ…」 葵は慌てて手を離れた。「つねってないよ」周りに記者もいて、急いでこのシーンを録画した。景之が涙を零れながら言った。「おばさん、ごめんなさい。わざと触ったじゃないです。僕を殴らないでください。魚の餌として海に捨てないください…」 葵は本当に彼の口を覆いたかった。 「私はしてない…彼は嘘だ…」葵は急いで説明した。 人がますます多く集まってきた。勿論、女と知り合う羽目になった和彦の目も引いた。和彦は一目でその子を分かった。この前、レストランで自分をだましたガキだった。隣の女性仲間が話出した。「子供に手を出すのか?」 「この女はひどすぎる」 和彦はこのガキが自分の夜遊びで生まれた子供かと思った。もちろん、ずっと彼にやられる
「分かった」 和彦は、このガキを疲れてもらうと思った。どうせ、黒木おお爺さんの祝宴が進行中であり、邪魔してはいけないと思った。でも、時間はたっぷりあった。…一方、啓司と紗枝が相次いで祝宴に着いた。紗枝は黒木家の人達の目を引かないため、わざと啓司が入ってから、少し遅れて入った。啓司は彼女の慎重な考えを見通して、何も言わなかった。 先ほどの混乱の後、葵はお金でやっと記者たちの情報を集めて片付いた。啓司が来るのを見て、彼女はすぐにやり直して迎えてきた。「啓司君、宴会が始まったよ。みんなおお爺さんに米寿祝いをしている。どうして遅れたの?随分待ったよ」啓司は自分のことを他人に報告する習慣がなかった。彼は冷たく答えた。「今後、待たなくていい」葵は息を詰まらせた。 彼女は悔しかったが、紗枝が後ろから来るのを見て、大体の事分かった。彼女は拳を握りしめた。啓司が来て、すぐ現場の人達の目を引いた。大部分の人がこの機会に黒木家を支える最年少の舵取りと交流したかったのだ。綾子は非常に誇りに思っていた。 啓司はまず上位に座ってる白髪で杖を手に取ってる目の鋭いおお爺さんに会って、米寿祝いをした。葵もこの機会を利用して、上流社会で顔を出そうと思った。「お爺さん、米寿祝いの贈り物を持ってきたの」 おお爺さんは彼女のことが嫌いだけど、綾子と同じ、啓司にできるだけ早く結婚してほしかった。それに、数日前、葵が書いたあの歌、彼女が単なる顔だけじゃないことを証明された。だから、彼女の贈り物を受け取った。 葵は和田玉(上質の玉石)をプレゼントした。 このようなものは、黒木家のような大家族では稀ではなかった。 でも、おお爺さんが受け取ったから、葵が黒木家に受け入れられたとの事だった。紗枝は人群れに立っていた。周りの噂を耳にしていた。「玉の輿に乗った」 「そうよ。孤児が大スターになり、そして今、黒木家の孫嫁になるのだ」 「運だけじゃない。彼女最近の新曲を聴いた?すごいよ」 紗枝は黙って聞いて何の表情もなかった。なぜなら、すぐ、彼女へのサプライズが来るのだ。葵は知らなかった。彼女は紗枝に一歩一歩近づき、周りの人々からの賛辞を聞き、誇りと誇りに満ちていた。 「紗枝、見たよね?世界は変わっ
彼女の息子の面子は何よりも重要だった。 「お父さん、怒らないで、すぐに彼女を追い出してやる」 この時、葵は何が起こったかまだわからなかったが、ただ周囲の人々の目がますます可笑しくなったと見えた。綾子が腹立って、葵に駆けつけて、携帯を見せながら言った。「お前がやったことを見てよ」携帯でユースを見て、やっとばれたと分かった。彼女が説明しようとしたが、綾子に止められた。「恥をかかせたくなかったら、すぐ出ていけ」黒木家はスターを追い出すにはハエを追いだすと同じくらい簡単だった。 葵はこんなに恥ずかしそうに立ち去るとは思ってもみなかった。 車に座って、長い間信じられなかった。 紗枝の言葉を思い浮かべると、彼女はすぐに分かった。 きっと紗枝がやったのだ!!…一方、唯もユースを見た。このユースは紗枝とアレンジした。わざとこの時に公開してもらった。 葵が追い出されたのを見て、彼女は紗枝にショートメールを送った。「この腹黒い女に恥を知ってもらったね」 唯は立ち上がって、葵の狼狽の姿を見ようと思ったが、突然、なじみのある人影に目が留まった。「景之?!」 景之がどうしてここにいたかと疑った。数名の用心棒が景之を捕まえ、片手で引き下げて、澤村家の若旦那様和彦の方に向かった。短い脚は数名の長い脚の用心棒に勝つわけがなかった。景之は最善を尽くしたが、結局掴まれた。彼は自分の小さい体に悔しかった。 「ガキ、とうとう捕まえたよ」和彦は彼を見つめながら言った。景之はまだ何も知らないふりをしていた。「おじさん、僕を降ろしてくれませんか?」 「貴方のこと知りません」 和彦は怒られてたが不意に笑った。 「僕を知らないのか?あの日、レストランでわざとお酒を零して、その後、僕の服と携帯電話を廊下に落としたのは君じゃなかったか?」 景之は否定し続けた。「叔父さん、間違ったでしょう。僕はレストランなど行ったことがないです」 このガキは認めないと和彦は分かっていた。よくそんな無邪気なふりをするとは思わなかった。彼は立ち上がり、景之の前に歩き、手を上げ、尻にパンチを食わせようとした。突然、叱る声がした。 「やめてよ!」和彦は立ち止まり、声に従って顔を向けた。優しくきれいな女の子が怒鳴
母の愛は強し。決意を固めた紗枝は、すぐに行動に移った。まず園長に投資の話を持ちかけると、すぐに快諾を得られた。次に、母親たちのLINEグループに溶け込もうと試みた。最初は静観を決め込み、会話の流れや、みんなが必要としているものを把握することに努めた。忙しい時は時が経つのも早い。逸之が眠そうな目をこすりながら声を上げた。「ママ、ごはんできた?」「ええ」紗枝はパソコンを閉じ、階下へ向かった。食事の時、逸之は意図的に紗枝と啓司を隣に座らせようとした。「ママ、僕の向かいに座って」その向かい側には啓司がいた。紗枝は啓司の様子を窺った。彼が何も言わないのを確認してから、ゆっくりと席に着いた。テーブルでは、家政婦が啓司の食事を用意していた。やっと人参抜きの食事が叶ったというのに、啓司の食欲は今ひとつだった。紗枝と啓司の席は近く、時折、紗枝の腕が啓司に触れる。距離を取ろうとした瞬間——「キィッ」椅子が床を擦る音が響いた。啓司が紗枝の椅子を掴み、強く引き寄せたのだ。紗枝は体勢を崩し、啓司の胸に倒れそうになる。「何するの?」思わず声が上がった。「見えないもので」啓司は素っ気なく答えた。「椅子を間違えた」そう聞いて、紗枝は諦めたように席を立とうとした。が、今度は啓司が彼女の手を掴んだ。「これも『間違い』?」紗枝の声には怒りが滲んでいた。「ママ」逸之が絶妙なタイミングで割り込んできた。「パパ、目が見えないんだから、少し大目に見てあげて」紗枝は呆れた。啓司は一体何を息子にしたというのか。こんなにも父親の味方をするなんて。力を込めて手を振り払い、黙々と食事を続ける紗枝。そこへ、携帯の着信音が鳴り響いた。画面を見た紗枝は、すぐに席を立った。エイリーからの着信だった。「エイリー?どうしたの?」「エイリー」という名前に、テーブルの父子三人の表情が一気に険しくなる。景之は母とエイリーのスキャンダル報道を知っていた。今どきの人気俳優なんて、ろくなものじゃない——そう考えながら、母を心配そうに見つめた。逸之が立ち上がろうとした。「どこへ行くの?」景之が弟の腕を掴んだ。「ママとエイリーおじさんの話、こっそり聞いてくる」「気をつけてね」景之は弟の手を離した。ママに見つからないように――
多田さんは紗枝の言葉に目を見開いた。人気のない角に紗枝を引き込むと、声を潜めて話し始めた。「ご存知ですか?夢美さんが会長になれた理由を」「黒木家は毎年、幼稚園に20億円を寄付しているんです。確かにあなたも黒木家の……でも、旦那様は……」視力を失ったという言葉は、多田さんの喉に引っかかったまま。紗枝は彼女の言いよどみの意味を理解していた。「もし、私がもっと多額の寄付ができたら?」多田さんは首を横に振った。「会長選出は学校幹部の意向と、保護者会メンバーの投票で決まるんです。新参者のあなたに、誰も票を入れないでしょう」「だって……誰が黒木家の逆鱗に触れたいと思いますか?私たち、必死になって夢美さんの家庭パーティーに呼ばれようとしているんです。彼女の一言で、主人の会社の取引先が決まることだってあるんですから」黒木家の実権を握っているわけでもない昂司でさえ、これほどの影響力を持っている。紗枝は改めて思い知った。黒木グループは、並大抵の力では揺るがせない存在なのだと。多田さんは紗枝の思案げな表情を見つめながら、思わず尋ねた。「もしかして、夢美さんに何か……?」昂司の妻である夢美とは義姉妹の関係。大家族の義理の関係に軋轢がないなんて、そんな都合の良いことはありえない。「ええ、大きな確執があります」以前の夢美は言葉による嫌がらせだけだった。でも今は明一を使って息子を危険に晒そうとしている。おまけに夢美の両親まで連れてきて、逸之に土下座を強要しようとまでした。多田さんは不安げな表情を浮かべた。自分が間違った相手に近づいているのではと恐れたようだ。「景之くんのお母さん、幼稚園なんて2、3年でしょう?夢美さんに謝って、頭を下げて、少し我慢すれば……」我慢?紗枝もかつてはそう考えていた。でも、我慢し過ぎれば、相手は自分を何とも思わなくなる。「ありがとうございます」多田さんの本心など知れたものじゃない。この会話が夢美への取り入りの種になるかもしれないのだから。多田さんを見送ってから、紗枝は車に乗り込んだ。家に着くと、逸之は疲れ果てた様子でソファーに横たわり、本を顔にかぶせて午睡をとっていた。小さな手のひらはまだ薄っと赤かった。景之はパソコンで何かを打ち込んでおり、分からないことがあると啓司に尋ねている
他の母親たちも、紗枝が金額を勘違いしているに違いないと、その失態を待ち構えていた。しかし紗枝は驚くほど落ち着いていた。「ええ、もちろん」そう言うと、バッグからカードを取り出し、テーブルに置いた。「今すぐお支払いできます」1億2千万円。今の彼女にとって、途方もない金額ではなかった。高価な服やバッグを身につけていないのは、単に好みの問題だった。経済的な理由ではない。夢美は今日、紗枝を困らせてやろうと思っていたのに、結果的に自分の立場が危うくなった。新参者の紗枝が1億2千万円も出すというのに、保護者会会長の自分はたった3千万円。「景之くんのお母さんって、本当にお優しいのね」夢美は作り笑いを浮かべた。紗枝が本当にその金額を支払えると分かると、他の母親たちの軽蔑的な眼差しが、徐々に変化し始めた。会の終了後、多田さんは紗枝と二人きりになって話しかけた。「景之くんのお母さん、あんなに大金を出すって……ご家族は大丈夫なんですか?」「私の稼いだお金ですから、家族に相談する必要はありません」紗枝は率直に答えた。多田さんは感心せずにはいられなかった。夢美のお金持ちぶりは、生まれながらの富裕層で、その上、黒木家という大金持ちの家に嫁いだからこそ。一方、紗枝は……多田さんはネットニュースで読んだことを思い出した。紗枝の父は若くして他界し、財産は弟に相続されたという。確かに啓司と結婚はしたものの、数年の結婚生活で、啓司も黒木家の人々も彼女を蔑んでいたらしい。お金など渡すはずもない。今や啓司は視力を失い、なおさらだろう。「景之くんのお母さん、本当にごめんなさい」突然、多田さんは謝罪した。「どうしてですか?」紗枝は首を傾げた。多田さんは周囲を確認した。夢美と他の役員たちが離れた場所で打ち合わせをしているのを見て、声を潜めた。「実は……夢美会長が私に頼んで、わざとお呼びしたんです。新しい方に寄付を募るなんて、普段はありえないんです。もし寄付をお願いする場合でも、事前に説明があるはず……」多田さんは申し訳なさそうに続けた。「会長は、あなたを困らせようとしたんです」紗枝はようやく違和感の正体を理解した。そうか。夢美のような人物が、自分を保護者会に招くはずがないと思っていた疑問が、今になって氷解した。「なぜ私に本当のことを
レストランは貸切状態。長テーブルを囲んだ母親たちは、既に海外遠足の詳細について話し合いを始めていた。紗枝が入店すると、会話が途切れ、一斉に視線が集まった。控えめな装いに、淡く上品な化粧。右頰の傷跡も、彼女の持つ高雅な雰囲気を損なうことはなかった。同じ子持ちの母親たちは、紗枝のスタイルの良さと整った顔立ちに、どこか妬ましさを感じていた。エステに通っている彼女たちでさえ、紗枝ほどの美肌は手に入らない。せめてもの慰めは、あの傷跡か。「おはようございます」時間を確認しながら、紗枝は丁寧に挨拶した。部屋を見渡すと、夢美の姿が目に留まった。明一と景之が同じクラスなのだから、夢美がここにいるのは当然だった。首座に陣取る夢美は、紗枝の存在など無視するかのように、お茶を一口すすった。会長の態度に倣うように、誰も紗枝の挨拶を返さない。そんな中、昨日紗枝を招待した多田さんが手を振った。「景之くんのお母さん、こちらにどうぞ」紗枝は感謝の眼差しを向け、彼女の隣の空席に腰を下ろした。夢美は続けた。「今回の渡航費、宿泊費、食事代は私が全額負担します。それに加えて介護士の費用、ガイド料、アクティビティ費用……私の負担する3千万円を除いて、総額1億六千万円が必要になります」紗枝は長々と並べ立てられる費用の内訳を聞いて、ようやく今日の集まりの目的を理解した。子供たちの渡航費用の分担について話し合うためだったのだ。「うちの幼稚園は少し特殊なんです」多田さんが紗枝に説明を始めた。「普通は個人負担なんですけど、保護者会のメンバーはみな裕福な家庭なので、子供たちと先生方の旅費を援助することにしているんです」紗枝が頷いたその時、ある母親が手を挙げた。「私、200万円を出させていただきます」すると次々と声が上がった。「私は400万円を」多田さんも手を挙げた。「私からは200万円で」そう言うと、深いため息をつき、周りに聞こえないよう小声で続けた。「主人の会社の経営が厳しくて、これが精一杯で……」ほとんどの母親たちは賢明で、一人当たりの負担額は最大でも1400万円程度だった。その時、夢美が紗枝に視線を向けた。「景之くんのお母さん、新しいメンバーとして、いかがですか?金額は少なくても、お気持ちだけでも」夢美は紗枝のことを調べ上げていた。
子どもの父親として、啓司には逸之を危険に晒すつもりなど毛頭なかった。万全の態勢を整えれば、幼稚園に通うことも自宅で過ごすことも、リスクは変わらないはずだった。先ほどの逸之の期待に満ちた眼差しを思い出し、紗枝は反対を諦めた。「わかったわ」指を握りしめながら、それでも付け加えずにはいられなかった。「お願い。絶対に何も起こらないように」啓司は薄い唇を固く結び、しばらくの沈黙の後で答えた。「俺の息子だ。言われるまでもない」その夜。啓司は殆ど食事に手をつけず、部屋に戻るとタバコを立て続けに吸っていた。なぜか最近、特に落ち着かなかった。二人の息子を取り戻せたはずなのに、紗枝が子供たちを連れ去り、他の男と暮らしていたことを思うと、どうしても腹が立った。一方、逸之と景之は同じ部屋で過ごしていた。「このままじゃダメだよ。バカ親父に会いに行って、積極的に動いてもらわないと」「待て」景之が制止した。「なに?」逸之は首を傾げた。「子供のためって名目で、ママを無理やり一緒にさせたいの?ママの気持ちは?」景之の言葉に、逸之はベッドに倒れ込んだ。「お兄ちゃんにはわかんないよ。二人とも好きあってるのに、意地を張ってるだけなんだから」隣の部屋では、紗枝が既に眠りについていた。明日は週末。保護者会の集まりがあり、遠足の準備について話し合うことになっている。翌朝早く。紗枝は身支度を整えると、双子を家政婦に任せて出かけた。啓司は今日も会社を休み、早朝から双子に勉強を教え始めた。景之には何の問題もなかった。しかし逸之は困っていた。頭の良い子ではあったが、さすがに高等数学までは無理があった。「バカ親父、これ本当に僕たちのレベルなの?」啓司は冷ややかな表情で答えた。「当然だ。俺はお前たちの年で既に解けていた」「問題を解いたら、答えを読み上げなさい」視力を失っている彼は、二人の解答を口頭で確認するしかなかった。「嘘つき」逸之は信じられなかったが、兄の用紙に複雑な計算式と答えが並んでいるのを見て、自分の考えが甘かったと気付いた。できないなら写せばいい――逸之が景之の答案を盗み見ようとした瞬間、家政婦の声が響いた。「逸ちゃん、カンニングはダメですよ」啓司は見えないため、家政婦に監督を任せていたのだ。
「パパ、ママ、お願い、喧嘩しないで」逸之は瞬く間に涙目になっていた。紗枝と啓司は口を噤んだ。「ママ」逸之は涙目で紗枝を見上げた。「幼稚園なんて行かないから、パパのことを怒らないで。パパは僕が悲しむのが嫌だから、許してくれただけなの」その言葉に紗枝の胸が痛んだ。啓司は息子を悲しませたくないというのに、自分は違うというのか?なぜ……何年も子育てをしてきた自分より、たった数ヶ月の付き合いのパパの方が、子供の心を掴めるのだろう?「ママ、怒らないで」逸之はバカ親父を助けようと、必死で母の気を紛らわそうとした。この甘え作戦で母の怒りが収まるはずだと思ったのに、逆効果だった。「逸之、行きたいなら行きなさい。でも何か問題が起きたら、即刻退園よ」そう言い放つと、紗枝はいつものように逸之を抱き締めることもなく、そのまま通り過ぎていった。逸之は急に不安になった。母はバカ親父だけでなく、自分にも怒っているのだと気づいた。一人になりたかった紗枝は音楽室に籠もり、扉を閉めた。外では、景之が密かに弟を叱りつけていた。「バカじゃないの?ママがここまで育ててくれたのに、どうして啓司おじさんの味方ばかりするの?」「お兄ちゃん、完全な家族を持ちたくないの?みんなに『私生児』って呼ばれ続けるのが、いいの?」逸之も反論した。景之は一瞬黙り込んだ。しばらくして、弟の頑なな表情を見つめながら言った。「前から言ってるでしょう。ママが受け入れたら、僕もパパって呼ぶよ」「お兄ちゃん……」「甘えても無駄だよ」景之はリビングのソファーに座り、本を開いた。啓司は牧野に、設備の整った幼稚園を探すよう指示を出した。逸之は母が出てくるのを待ち続けた。母の心を傷つけたことを知り、音楽室の前で待っていた。紗枝が長い時間を過ごして部屋を出ると、小さな体を丸めて、まどろみかけている逸之の姿があった。「逸ちゃん、どうしてこんなところで座ってるの」「ママ」逸之は目を覚まし、どこからか手に入れた小さな花束を紗枝に差し出した。「もう怒らないで。パパよりママの方が大好きだから。幼稚園なんて行かないよ」紗枝は胸が締め付けられる思いで、しゃがみこんで息子を抱きしめた。「逸ちゃん、あなたたち二人は私の全てよ。怒るわけないでしょう?ただね……健康な体を
選ぶまでもないことだろう?逸之は迷うことなく、景之と同じ幼稚園に通いたがった。「幼稚園がいい!」紗枝が何か言いかけた矢先、逸之は啓司の足にしがみつき、まるでお気に入りの飼い主に甘える子犬のように目を輝かせた。「パパ大好き!お兄ちゃんと同じ幼稚園に行かせてくれるの?」兄の景之は弟のこの厚かましい振る舞いを目にして、眉をひそめた。逸之と一緒に幼稚園に通うなんて、御免こうむりたい。「嫌だ」確かに逸之は自分と瓜二つの顔をしているが、甘え方も上手で、愛嬌もある。どこに行っても人気者になってしまう弟が、景之には目障りだった。逸之が甘えモードに入った瞬間、自分の存在など霞んでしまうのだ。思いがけない兄の拒絶に、逸之は潤んだ瞳で兄を見上げた。「どうして?お兄ちゃん、もう僕のこと嫌いになっちゃったの?」景之は眉間にしわを寄せ、手にした本で弟のおしゃべりな口を塞いでやりたい衝動に駆られた。「そんなに甘えるなら、車から放り出すぞ」冷たく突き放すような口調で景之は言い放った。その仕草も物言いも、まるで啓司のミニチュア版のようだった。逸之は小さな唇を尖らせながら、おとなしく顔を背け、啓司の足にしがみつき直した。啓司は、初めて紗枝と出会った時のことを思い出していた。彼女が自分を拓司と間違えて家に来た日、今の逸之のように可愛らしく後を追いかけ、服の裾を引っ張りながら甘えた声を出していた。「啓司さん、お願い、助けてくれませんか?私からのお願いです。ねぇ、お願い……」そう考えると、この末っ子は間違いなく紗枝の血を引いているな、と。もし次は紗枝に似た女の子が二人生まれてくれたら、どんなにいいだろう……「逸ちゃん」紗枝は子供の夢を壊すのが辛そうだった。「体の具合もあるから、今は幼稚園は待ってみない?下半期に手術が終わってからにしましょう?」その言葉を聞いた逸之は、更に強く啓司の足にしがみついた。心の中では、「バカ親父、僕がママと手を繋がせてあげたでしょ。今度は僕を助ける番だよ」と思っていた。啓司はようやく口を開いた。「男の子をそんなに甘やかすな。明日にでも牧野に入園手続きを頼むよ」紗枝は子供たちの前では何も言わなかった。牡丹別荘に戻ると、啓司を外に呼び出し、二人きりになった。「あなた、逸ちゃんの体のことはわかっている
明一は頭が混乱してきた。「じゃあ、僕の叔父さんの子供ってこと?」景之はその言葉を聞いても、何も答えなかった。明一はその沈黙を肯定と受け取った。「どうして騙したの?」「何を騙したっていうの?」景之が冷たく聞き返す。「だって、澤村さんがパパだって言ってたじゃん!」明一の顔が真っ赤になった。「そう言ったのはあなたたちでしょ。僕じゃない」景之はかばんを持ち上げ、冷ややかな目で明一を見た。「他に用?」その鋭い視線に、明一は思わず一歩後ずさりした。「べ、別に……」景之は黙ってかばんを背負い、教室を出て行った。教室に残された明一は、怒りに震えていた。「くそっ、騙されてた!友達だと思ってたのに!」その目に冷たい光が宿る。「僕の黒木家での立場は、誰にも奪わせない」校門の前で、景之は人だかりの中にママとクズ親父の姿を見つけた。早足で二人に向かって歩き出した。「景ちゃん!」紗枝が手を振る。景之は二人の元へ駆け寄り、柔らかな笑顔を見せた。「ママ」そして啓司の方を向いたが、「パパ」とは呼ばなかった。「啓司おじさん」景之は以前から啓司と過ごす時間は長かった。今では前ほど嫌悪感はないものの、特別な親しみも感じておらず、まだ「パパ」と呼ぶ気持ちにはなれなかった。「ああ」啓司は短く応じ、紗枝の手を取って帰ろうとした。その時、一人の母親が近づいてきた。「お子様の保護者の方ですよね?よろしければ保護者LINEグループに入りませんか?学校行事の連絡なども、みんなでシェアしているんです」紗枝は保護者グループの存在を初めて知った。迷わずスマートフォンを取り出し、その母親と連絡先を交換してグループに参加した。紗枝たちが立ち去ると、先ほどの母親は夢美の元へ戻った。「グループに入れました」夢美は満足げに頷く。「ありがとう、多田さん」「いいえ、会長」夢美は時間に余裕があったため保護者会に積極的に参加し、黒木家の幼稚園への影響力もあって、保護者会の会長を務めることになった。多くの母親たちは、自分の子供により良い待遇を得させようと、夢美に取り入ろうとしていた。「ねぇ、来週の海外遠足の件なんだけど」夢美は声を潜めた。「必要な物の準備について、保護者会で話し合うことになってるの。多田さん、紗枝さんにも明日の
今朝、会社に向かう啓司を逸之が引き止めた。お兄ちゃんに会いたがっているから、午後に幼稚園に一緒に来て欲しいと。景之に会う時期でもあると思い、啓司は承諾した。午後、運転手に迎えを頼んで帰宅すると、紗枝と逸之がすでに支度を整えて待っていた。「パパ!」逸之が元気よく声をあげる。「ああ」啓司が短く応じる。「行きましょうか」紗枝が前に出た。唯には電話を入れてある。今日は澤村家の人に景之を迎えに行かせないようにと。車内は三人揃っているのに、妙に静かだった。紗枝と啓司の間に座った逸之は、このままではいけないと感じていた。「ねぇ、どうしてパパとママ、手を繋がないの?他のパパとママは手を繋いでるよ」外を歩く他の親子連れを見て、逸之が言い出した。紗枝も気づいて啓司の硬い表情を見たが、すぐに目を逸らした。次の瞬間、啓司が手を差し出した。「ママ、早く手を繋いで!」逸之が後押しする。啓司の大きな手を見つめ、紗枝は恐る恐る自分の手を重ねた。途端に、強く握り返された。幼稚園に着くと、啓司と逸之に両手を引かれた紗枝は、人だかりの中で否応なく目立っていた。周囲の視線が集まる中、夢美の姿もあった。他の母親たちが「すごくかっこいい人がいる」と噂するのを耳にした夢美は、思わず見向けた。そこにいたのは紗枝と啓司だった。「なぜここに……?」「夢美さん、あの方たちをご存知なの?」裕福そうな母親の一人が尋ねた。夢美は冷笑を浮かべた。「ええ、もちろん。あの傷のある女性は、主人の従弟の嫁、夏目紗枝よ」「ご主人の従弟って……まさか黒木啓司さん?」別の母親が声を上げた。「なるほど、だからあんなにハンサムなのね。あの可愛い男の子も息子さん?まるで子役みたい!」周囲から上がる賞賛の声に、夢美は皮肉っぽく言い放った。「ハンサムだろうが何だろうが、目が見えないのよ。知らなかったの?」「えっ?盲目なの?」「まあ、なんて勿体ない……」「あの人のせいで主人が大きな損失を被ったのよ。因果応報ね」「でも、なぜここに?もしかして息子さんもここの生徒?」様々な声が飛び交う中、夢美は既に下調べをしていた別の子供のことを思い出した。確か景之という名前で、この幼稚園に通っているはずだ。「ええ」夢美は確信めいた口調で言った。「も