彼女、内海唯花はきちんと道理をわきまえているし、年上を敬う人間だ。もちろん、その年長者が年長者たる品格を備えている場合においてだが。「内海さん、さっきの人たちは君の親戚?あいつらはまたあなたに何か言いに来たの?もしかして、まだあなたのおばあさんの医療費を出せとか言ってる?本当に恥知らずもいいところねえ。自家用車も持っていて、一軒家に住み、何千万もの貯金があるんでしょう。自分の母親が病気になってるっていうのに、両親を失った姪っ子にその金を出させようとするなんて」「今まで恥を知らない人間には会ったことがあるけど、彼らほど酷い奴らは生まれてはじめてだよ。本当にこの世の中どんな人間がいるかわかったもんじゃないな」「本当、本当。確か内海さんの両親が事故で亡くなって、その賠償金もあいつらが山分けして奪っていったんだろ。一億二千万なんて、大金だよ。やつらが今のような贅沢な暮らしができるのは、内海さんの両親のそのお金のおかげなのに、他人の不幸を利益にしたうえにあなたを侮辱するなんて」「内海さん、あなたはあんな恥知らずな奴らに優しすぎるんじゃないか。彼らが来たらすぐに箒で追い出してしまえばいいんだ。何も話をする必要なんかないよ。ああいう人たちは自分が犯した罪も認めず、自分たちのほうが正しく、他人が間違っていると言い張るんだから」「内海さん、あいつらがまたあなたにおばあさんの医療費を出せと圧力をかけてきたら、私に言ってちょうだい。私たちが一緒に、あの義理人情のないやつらを追い出してあげるからね」店のご近所たちは内海唯花と彼女の親戚が対立していることを知っている。さっきのように内海唯花が箒をもって年配者たちを追いかけ回したのを目撃しても、彼女が間違っているとは思っておらず、内海唯花は善良な人間だと思っていた。ご近所さんたちはドーベルマンを数匹飼っている。あのクズ野郎どもが再び現れようものなら、犬にあいつらを咬ませて二度と来られないように脅してやろう。無駄話でさえもあのようなクズ野郎どもとする時間がもったいない。内海唯花は渋い顔をして言った。「でもあの人たちも結局は私の父の兄妹姉妹たちです。私がかなり怒ったからやっと追い出すことができたんです」「追い出して当然よ。あの人たちはお父様の兄弟たちなのでしょうけど、薄情すぎるのよ。普通の人なら、彼らのような
内海唯花は恥ずかしそうに笑った。「今度私にはどうしようもない時、ぜひあなたにお願いするわね」彼女自身で解決できることは、彼が出る必要はない。わざわざ彼に借りを作る必要はないから。結城理仁は彼女に言った。「君にはどうしようもできないことって、例えば?」内海唯花はケラケラ笑った。「たっくさんあるよ。そうね、今は思いつかないんだけど。結城さん、お仕事に戻ってね」しばらく彼女を見つめた後、結城理仁は淡々と言った。「会社に戻って残業してくる。君は何時に店を閉める?後で迎えに来るから一緒に家に帰ろう。帰り道にまたあのクズたちが来るかもしれないし」「必要ないわ。内海陸はまだまだ若くてお子様だからあんなことやっただけだし。結局損したのはあっちのほうだから、二度とあんなことはしてこないはずよ。あのクズたち見た目はすごそうだけど、実際は臆病者なのよ。さ、仕事に戻って、私のことは気にしないで。夜遅くに店を閉めるし、それからたぶんお姉ちゃんの家に寄ると思うから」つまり、内海唯花は結城理仁と一緒に帰りたくないのだ。「お姉さんの仕事の件はどうなった?」結城理仁は佐々木俊介が不倫しているということはすぐには妻に教えなかった。彼は九条悟に調査させていて、今のところ彼からはその調査結果をもらっていない。不倫しているとはっきりしていない段階では、やはり言わないほうがいい。もしそれが真実でなかったら、佐々木俊介と唯月の結婚を壊した悪人になってしまうのだから。姉の就職活動の話になり、内海唯花の顔に陰りが見られた。「お姉ちゃんは毎日仕事探しに行ってるけど、まだ見つかってないの。仕事を見つけるってこんなに大変なことだなんてはじめて知ったわ」彼女の姉は結婚前、所謂ホワイトカラーだったが、たった三年仕事をしなかっただけで、また仕事に復帰しようとするのが、まさかこんなに難しいとは思っていなかった。結城理仁は慰めの言葉をかけた。「焦らず探したらいいよ。今は確かに仕事を見つけるのは厳しいから」「もしお姉ちゃんに仕事が見つからなかったら、お金を貸してあげるから何かのお店を開くとか、起業したらいいと思ってるんだけどね。陽ちゃんのお世話もしながら、少しくらいお金が稼げるでしょう」「それもいい方法だと思う」結城理仁も義姉は自分で何か事業を起こしたほうが良いと思って
脂肪肝が悪化すると肝硬変になる可能性がある。彼女はそのようにはなりたくなかった。マンションを出て、佐々木唯月は子供を乗せたベビーカーを押しながら歩いて粉ミルクを買いに行った。以前はいつも妹が粉ミルクを買ってきてくれていたのだ。歩いて行くのは少し遠いが、散歩のつもりでぶらぶらするのも良い。「パパ」佐々木陽が突然パパと呼んだ。佐々木唯月は慌てて周りを見渡したが、佐々木俊介の姿はなかった。彼女は息子に「陽、パパを見かけたの?」と尋ねた。佐々木陽は道の端に止まっている一台の車を指差して、パパと呼んだ。その車はパパの車だという意味だ。佐々木唯月が息子が指差したその車を見てみると、確かに夫の車と同じ車種だった。しかし、車のナンバーからその車が佐々木俊介のものではないことがわかった。彼女は笑って言った。「陽ちゃん、あれはパパの車じゃないわよ。パパのと同じ車だけどね、車についている番号が違うの。だから、あれはパパが運転している車じゃないのよ」息子は父親とのふれあいは少なかったが、父親の車ははっきりと覚えていた。佐々木唯月は、息子が父親を恋しく思っているのだと思い尋ねた。「陽ちゃん、もしかしてパパに会いたいの?ママがパパに電話するから、パパとお話する?」佐々木俊介が家に戻ってきてからも、やはり以前と同じように朝早く仕事に行き、夜遅くに帰って来る生活なのだ。佐々木唯月も彼にいちいち構いたくなかった。家庭内暴力の件から夫婦二人には大きな溝ができてしまっていた。佐々木唯月は自分が間違っているとは思っていなかった。佐々木俊介のほうも、もちろん自分が間違っていると認めることなどない。だから彼から唯月に頭を下げて間違いを認めるということはありえない。どのみち夫婦は一緒に住んでいても全くの他人のように暮らしている。しかし、夫婦の関係がどうであれ、佐々木俊介が陽の父親であることには変わりない。「うん」佐々木陽はお利口にそう返事をした。佐々木唯月はベビーカーに下げていたバッグの中から携帯を取り出した。毎回出かける時、便利だから携帯をそのバッグに入れる習慣があるのだ。呼び出し音が暫く流れてから、ようやく佐々木俊介は電話に出た。「また何の用だよ?」佐々木俊介のその口調はあまり耳聞こえの良いものではなかった。
佐々木唯月は携帯を耳元にあて、佐々木俊介が電話で彼女を怒鳴る声を聞いた。「お前、普段どんなふうに陽の教育してんだよ?陽は今、自分より年上の兄さんに対して失礼なこと言ってるぞ。家族仲良くすることを全く学んでないじゃないか。自分におもちゃを買って、従兄のお兄ちゃんには買うなって言ったんだぞ」夫にそう怒鳴られて、佐々木唯月もだんだん腹が立ってきて冷ややかに言った。「私が陽をどう教育しているかですって?あれは陽が間違ってるの?あんたの姉のガキが毎回陽のおもちゃを横取りするんじゃないの。しかも陽を叩いたのよ。陽の立場が弱いからこんな扱い受けてもいいっていうわけ?あれは明らかにあんたの姉のガキが間違ってんじゃない。あんたは父親のくせに自分の子供を守らないだけでなく、聞き分けがないって責めるの?陽のおもちゃ全部あのガキにやれと言うの?またあいつから陽が叩かれそうになったら、黙って見ている気?あの子、両親と祖父母から相当溺愛されてて、いっつも陽を平気でいじめるのよ。あんた達の目は使い物にならないんじゃない?何も見えていないんでしょ。俊介、あんたの息子は陽なのよ、陽の生みの親でしょうが!あいつはあんたの甥。どちらのほうが血の繋がりが濃いかさえわからなくなったわけ?」佐々木俊介は唯月に詰問されて、反論できなかった。そして、すぐに彼はまた口を開いた。「もういいだろ、俺は今忙しいんだ。終わりにしよう。お前、陽と一緒にどこに行ったんだ?周りが賑やかだけど」「あんたこそ、どこにいるのよ?会社じゃないでしょ?そっちも賑やかなのが聞こえてくるわよ。陽の粉ミルクがなくなったし、おむつももうすぐ切れるからこの子を連れて買い物に来たのよ。陽にかかるお金ももちろん割り勘になるわよね。私一人であなたの分の五か月妊娠してあげたし。この子の粉ミルク代くれるわよね?今すぐ送金してちょうだい」妹が取れるものはしっかり取るようにと言っていたし。佐々木唯月には息子の粉ミルクを買うお金はまだある。しかし、息子は佐々木俊介の子だから、彼にも子供を育てる責任があるのだ。彼に粉ミルク代を請求するのは、当たり前のことだ。「毎日毎日俺から金を取ることしか考えてねえのかよ。俺は銀行で、金を発行できるとでも思ってんのか。どこにそんな金がある?できるんならお前が金稼ぎにいけよ。ただ食べて食べて食べることし
成瀬莉奈は嫌がらないばかりでなく、とても喜んでくれる。佐々木俊介は成瀬莉奈からとても好かれていると思っていた。彼のお金には目もくれず、お遊びではなくお互い白髪になるまで一緒に連れ添いたいと思ってくれていると感じていたのだ。だから、彼女は最後の一線は越えず、彼と肉体関係はまだ持っていない。彼女がこんなに真剣に付き合ってくれているので、佐々木俊介ももっと真剣に彼女とのことを考えていた。彼は成瀬莉奈に、もっと貯金が貯まったら新しい車を彼女にプレゼントすると約束している。それで成瀬莉奈はとても感激し、彼に何度も熱いキスをした。キスされて佐々木俊介は何も考えられないほど彼女にもっと夢中になった。佐々木唯月はまだ何か言いたかったが、佐々木俊介はすでに電話を切っていた。そして彼はすぐにLINEペイに粉ミルク代の一万円送金した。粉ミルクの総額である二万円ではなく、その半分の一万円だったが、佐々木唯月はすぐに俊介が送ってきたお金を受け取った。「どうしたの?奥さん?」佐々木俊介が電話に出た時、成瀬莉奈は物分かりよくすぐに彼から離れていた。佐々木俊介が電話を切ったのを見て、成瀬莉奈は二人分のワイングラスを持ってやってきた。この日の成瀬莉奈は着飾っていてどこかの令嬢のようだった。全身ブランド物のドレスを身にまとっていた。もともと若くてきれいな彼女がブランドを着ることによって、その美しさが際立ち、もっと美しく、スタイルも良くセクシーだった。彼女が佐々木俊介と共にこのパーティーに現れてから、多くの男たちの目を引いた。成瀬莉奈は内心とても得意になっていた。彼女は自分の容姿とスタイルにとても満足していた。佐々木俊介は彼女のために惜しまずお金を使ったので、彼女は美しく着飾ることができたのだ。きれいなドレスを買ってあげただけでなく、金のネックレスにピアス、それからブレスレット二本も彼女にプレゼントし、この夜のパーティーに参加したのだった。成瀬莉奈は自分はどこぞの令嬢には及ばないかもしれないが、それでもそこまで大差はないと思っていた。「そうだよあの女だ、金目当ての。いっつも金、金、金とうるさくて、まるで俺が銀行でも開いてるかのような物言いなんだよ」佐々木俊介は妻に一万円あげた後、ぶつくさと文句を言っていて、とても不満そうだった。佐々木唯月に粉
成瀬莉奈は「息子さんはあなた達夫婦二人の子供だから、そもそもそれぞれが半分ずつ負担するものだし、あなたは間違ってないわ」と言った。佐々木俊介はもちろん自分が間違っているとは思っていない。彼は一口ワインを飲み言った。「スカイロイヤルって本当最高級のホテルだな。ここのワインは普段俺たちが飲んでるのよりも高級なやつだ」成瀬莉奈は笑って言った。「それに今日はパーティーでしょ。残念なのは今晩ここに来ているのは中小企業の社長とか、私たちと同じレベルのエリート達だということね。神崎社長や結城社長みたいな大物は一人も来ていないわ」彼女は結城社長のような超大物にもう一度会ってみたいと思っていた。以前偶然見かけたことがあるが、彼女は結城社長の顔を見ることができなかった。だから結城社長が噂で聞くように高貴で冷たいだけでなく、超絶イケメンであるか気になるのだ。「いつかは俺たちも結城社長や神崎社長のような人物に出会う機会があるさ」佐々木俊介は成瀬莉奈を慰めて言った。彼はそんな彼女よりも残念に思っていた。彼女は彼のただの秘書でしかなく、彼のほうはビジネス界のエリートなのだから大物に知り合えれば意味がある。もし結城社長のような人と話ができる機会があれば、今後彼が転職しようと思ったら今よりももっと良い会社に行けるだろう。それにもしかしたら結城グループにも入れるかもしれない。「俊介、あなたもいつか社長になれるといいわね」成瀬莉奈は佐々木俊介が自分で大企業を作り、社長になることを妄想していた。そして彼女は佐々木唯月を蹴落として、佐々木俊介の妻となり、大企業の社長夫人として君臨するのだ。佐々木俊介は笑って言った。「幅広く人脈づくりして、資金も貯まったら自分の会社を作るよ」二人はおしゃべりして笑い合った後、知り合いに挨拶をしてビジネスの話をした。成瀬莉奈はずっと佐々木俊介の傍にいて、彼が誰かとビジネスの話をする時には彼女もその話に加わった。もし今夜佐々木唯月が来ていれば、彼女の今の容姿を見て参加者はみんな嫌悪感を持ち、そのせいで佐々木俊介の評判を落としていたことだろうと彼女は思っていた。佐々木俊介が太った醜い妻を連れていると笑い者になっていたはずだ。しかも佐々木唯月は暫く社会から離れていて時代の流れについていけていない。唯月を佐々木俊介のパートナ
どの会社もトップの社長が変われば、会社上層部も人員入れ替えが行われる。新たに就任する社長は、自分の腹心を育てるに決まっている。森社長の説明を聞いて、佐々木俊介は金城琉生に対して急に好感を持った。彼は笑って森社長に尋ねた。「森社長、もしかして金城さんとお知り合いですか?私と彼の間をちょっと取り持っていただけませんか?金城グループの子会社にも電子製品を作っている会社があります。我々の会社は提携会社を探していますが、なかなかコネがなくて」スカイ電機株式会社と森社長のいる会社も提携関係にある。そうでなけれな二人は知り合いではない。森社長は笑って言った。「金城坊ちゃんも多くの人に囲まれて、もうすぐうんざりするでしょう。きっと休憩しにやって来て座るはず。彼が来たら、佐々木さんにご紹介しますよ」それを聞いて佐々木俊介は満面の笑みになり、森社長に非常に感謝し、お酒のグラスを持ち上げて言った。「森社長、乾杯しましょう」森社長は佐々木俊介と乾杯し、二口お酒を飲むと成瀬莉奈のほうを曖昧な目つきでちらりと見て、佐々木俊介に言った。「成瀬秘書は今日とてもお綺麗ですね。佐々木部長、あなたは美人に縁があるようだ。若くして会社でも高い地位に就き、給料もいい。それに美しい女性がすぐ隣にいてくれるとは、佐々木部長、本当に羨ましくて嫉妬してしまいますよ」佐々木俊介のように秘書と浮気関係にある人は決して少なくない。みんなわかっていて何も言わないのだ。彼らが接待をする時、妻の能力が高かったり、夫婦関係が非常に良好だったりしない限り、妻を連れて行くことは、まずなかった。それ以外は秘書や愛人を連れて行くのが普通だった。これが結城理仁や神崎玲凰などの本物の名家出身者がこのようなパーティーに参加しない理由なのだ。彼らのような身分の人間がパーティーを開けば、それに出席するのは身分も地位も高い者たちばかりで一緒に来るパートナーは決まって自分の妻だ。名家の妻たちの社交界には、正妻でなければ入ることは難しい。あのような不倫相手の女は、たとえ正妻にのし上がれたとしても、名家の妻たちに疎まれてしまう。佐々木俊介はニヤリとして成瀬莉奈をちらりと見ると笑って言った。「成瀬秘書は私の信頼するアシスタントですからね、彼女がいなくなると困るんです」成瀬莉奈は少し顔を赤く染めたが、おおら
「金城さん、はじめまして」佐々木俊介は右手を差し出し、金城琉生と握手をした。金城琉生は彼と握手をしながら言った。「佐々木部長のお名前、どこかで聞いたことがあるような」彼は佐々木俊介の名前に聞き覚えがあった。佐々木俊介はそれを聞いて、身に余る光栄に思った。「金城さん、私の名前をご存じなんですか?」まさか自分がビジネス界で名前を知られるほど有名になっているとは。今まで一度も会ったことのない金城家の御曹司ですら彼の名前を聞いたことがあると言っている。金城琉生は笑って言った。「なんとなく聞いたことがあるような気がして。たぶん誰かが佐々木部長の名前を出した時に耳に入ったんだと思います。以前、佐々木さんご本人にお会いしたことはありませんでしたが、今日こうやってお会いできましたね」佐々木俊介は急いで自分の名刺を取り出し、金城琉生に手渡して微笑み言った。「金城さん、こうやって知り合えたのも何かの縁でしょう。これは私の名刺です。よろしくお願いいたします」金城琉生は佐々木俊介の名刺を受け取り、それを見たあと名刺ケースに入れた。彼はずっとニコニコ笑っている成瀬莉奈を見て、この女性はかなりの美貌の持ち主だと思ったが、ただちらっと見ただけで、彼女から視線を外した。金城琉生の目には、内海唯花こそ、この世で一番素敵な女性なのだ。内海唯花以外の女性は彼はどうでもいい。彼らは金城琉生に席を勧め、一緒にお酒を飲みながらビジネスの話をし、会話が弾んだ。……佐々木唯月は子供用の粉ミルクとおむつを購入した後、ベビー用品店から出てきた。粉ミルクをベビーカーの上に載せると、いくつか買ったおむつの袋を置く場所がなかった。店員がおむつは五袋買ったら一袋おまけでついてくると言ったので、彼女は五袋購入したのだった。それプラス一つおまけだから、合計六袋もあった。ベビーカーは荷車ではないから、そんなに多くのおむつを載せるところなどなかった。仕方なく、佐々木唯月は再び佐々木俊介に電話をかけた。佐々木俊介は電話に出なかった。彼女は何度も電話をかけ、六回目でようやく佐々木俊介が電話に出た。「唯月、なんの用だ?俺が今忙しいってわからないのか?俺が今スーパーにでもいて、いつでも電話に出られるとでも思ってんのかよ。今後は何か大変な用事以外では俺に電話をかけ
「私たちの家は何階にあるの?」「十六階だよ」俊介は莉奈のスーツケースを車から降ろし、それを引っ張って莉奈と一緒にマンションの中へと入っていった。エレベーターで、ある知り合いのご近所さんに出くわした。彼らはお互いに挨拶を交わし、そのご近所さんが言った。「佐々木さん、あなたの奥さん、午後たくさんの人を連れて来てお引っ越しだったんでしょ?どうしてまたここに戻ってきたんですか?」「彼女は自分の物を引っ越しで運んで行っただけですよ」相手は莉奈をちらりと見やり、どういう事情なのか理解したようだった。そして俊介に笑いかけて、そのまま去っていった。なるほど、この間佐々木さんが奥さんに包丁で街中を追い回されていたのは、つまり不倫していたからだったのか。夫婦二人はきっと離婚したのだろう。唯月が先に引っ越していって、俊介が後から綺麗な女性を連れて戻ってきたのだ。もし離婚していないなら、ここまで露骨なことはしないだろう。「さっきの人、何か知っているんじゃないの?」莉奈は不倫相手だから、なかなか堂々とできないものなのだ。俊介は片手でスーツケースを引き、もう片方の手を彼女の肩に回し彼女を引き寄せてエレベーターに入っていった。そして微笑んで言った。「今日の午後、俺が何しに行ったか忘れたのか?あの女と離婚したんだぞ。今はもう独身なんだ。君は正式な俺の彼女さ、あいつらが知ってもなんだって言うんだ?莉奈、俺たちはこれから正々堂々と一緒にいられる。赤の他人がどう言ったって気にすることはないさ」莉奈「……そうね、あなたは離婚したんだもの」彼女は今後一切、二度とこそこそとする必要はないのだ。エレベーターは彼ら二人を十六階へと運んでいった。「着いたよ」俊介は自分の家の玄関を指した。「あれだよ」莉奈は彼と一緒に歩いていった。俊介は預けてあった鍵をもらって、玄関の鍵を開けた。ドアを開くと部屋の中は真っ暗闇だった。彼は一瞬ポカンとしてしまった。以前なら、彼がいくら遅く帰ってきても、この家は遅く帰ってくる彼のためにポッと明りが灯っていたのだ。今、その明りには二度と火が灯ることはない。「とっても暗いわ、明りをつけて」莉奈は俊介と部屋の中へ入ると、俊介に電気をつけるように言った。俊介はいつものようにドアの後ろにあるスイッチ
賑やかだった午後は、暗くなってからいつもの静けさへと戻った。唯月は結婚当初、この家をとても大切に多くのお金を使って内装を仕上げた。それが今や、彼女が当時買った家電は全て持ち出してきてしまった。そして、新しく借りた部屋には置く場所がなかった。彼女は中からよく使うものだけ残し、他のものは妹の家にではなく、中古として売ることにした。それもまた過去との決別と言えるだろう。唯月が借りた部屋はまだ片付けが終わっていなかったので、料理を作るのはまだ無理で、彼女はみんなを連れてホテルで食事をすることにした。そして、その食事は彼女がまた自由な身に戻ったお祝いでもあった。唯月のほうが嬉しく過去と決別している頃、俊介のほうも忙しそうにしていた。夜九時に成瀬莉奈が借りているマンションへとやって来た。「莉奈、これだけなの?」俊介は莉奈がまとめた荷物はそんなに多くないと思い、彼女のほうへ行ってスーツケースを持ってあげて尋ねた。「もう片付けしたの?」「普段は一人暮らしだから、そんなに物は多くないのよ。全部片づけたわ。要らない物は全部捨てちゃったの」莉奈はお気に入りのかばんを手に持ち、それから寝る時に使うお気に入りの抱き枕を抱えて俊介と一緒に外に出た。「この部屋は契約を解消したわ」「もちろんそれでいいよ。俺の家のほうがここよりもずっと良いだろうし」「あの人はもう引っ越していったの?」莉奈は部屋の鍵をかけて、キーケースの中からその鍵だけ外し、下におりてから鍵をそこにいた人に手渡した。その人は大家の親戚なのだ。「もう大家さんには契約を解消すると伝えてあります。光熱費も支払いは済ませてありますから。おじさん、後は掃除だけです。部屋にまだ使える物がありますけど、それは置いたままにしています」つまり、その人に掃除に行って、彼女が要らなくなったまだ使える物を持っていってくれて構わないということだ。おじさんは鍵を受け取った後、彼の妻に掃除に行くよう言った。俊介はスーツケースを引いて莉奈と一緒に彼の車へと向かい、歩きながら言った。「暗くなる前に、あいつから連絡が来たんだ。もう引っ越したってさ」同時に唯月は彼女の銀行カードの口座番号も送っていた。今後、彼に陽の養育費をここに振り込んでもらうためだ。そして彼女は俊介のLINEと携帯番号を全て削
理仁は悟のことを好条件の揃った男じゃなかったら、彼女の親友に紹介するわけないと言っていた。確かに彼の話は信用できる。一方の悟は、来ても役に立てず、かなり残念だと思っていた。彼が明凛のほうを見た時、彼女はみんなが荷物を運ぶのを指揮していたが、悟が来たのに気づくと彼のもとへとやって来た。そして、とてもおおらかに挨拶をした。「九条さん、こんばんは」「牧野さん、こんばんは」悟は微笑んで、彼女に心配そうに尋ねた。「風邪は良くなりましたか?」「ええ。お気遣いありがとうございます」唯花はそっと理仁を引っ張ってその場を離れ、悟と明凛が二人きりで話せるように気を利かせた。そして、唯花はこっそりと夫を褒めた。「理仁さん、あなたのあの同僚さん、本当になかなかイイじゃない。彼も会社で管理職をしているの?あなた達がホテルから出て来た時、彼も一緒にいるのを見たのよ」「うん、あいつも管理職の一人だ。その中でも結構高い地位にいるから、みんな会社では恭しく彼に挨拶しているよ」そしてすぐに、彼は唯花の耳元で小声で言った。「悟は誰にも言うなって言ってたけど、俺たちは夫婦だから言っても問題ないだろう。彼は社長の側近なんだ。社長からかなり信頼されていて、会社の中では社長の次に地位の高い男だと言ってもいいぞ」唯花は目をパチパチさせた。「そんなにすごい人だったの?」理仁はいかにもそうだといった様子で頷いた。「彼は本当にすごいんだ。職場で悟の話題になったら、誰もが恐れ敬ってるぞ」唯花は再び悟に目を向けた。しかし、理仁は彼女の顔を自分のほうに向けさせ、素早く彼女の頬にキスをした。そして低い声で言った。「見なくていい、俺の方がカッコイイから」「彼って結城家の御曹司に最も近い人なんでしょ。だからよく見ておかなくちゃ。結城社長の身の回りの人がこんなにすごいんだったら、社長自身もきっとすごい人なんでしょうね。だから姫華も彼に夢中になって諦められなかったんだわ」理仁は姿勢を正して、落ち着いた声で言った。「悟みたいに優秀な男が心から補佐したいと思うような相手なんだから、結城社長はもちろん彼よりもすごいに決まってるさ」「お姉ちゃんのために佐々木俊介の不倫の証拠を集めてくれた人って、彼なんでしょう?」理仁「……」彼は九条悟が情報集めのプロだということを彼女
部屋の中から運び出せるものは全て運び出した後、そこに残っている佐々木俊介が買った物はあまり多くなかった。みんなはまた、せかせかと佐々木俊介が買った家電を部屋の入り口に置いて、それから内装の床や壁を剥がし始めた。電動ドリルの音や、壁を剥がす音、叩き壊す音が混ざりに混ざって大合唱していた。その音は上の階や階下の住人にかなり迷惑をかけるほどだった。唯月姉妹二人は申し訳ないと思って、急いで外に行ってフルーツを買い、上と下のお宅に配りに行き謝罪をし、暗くなる前には工事が終わることを伝えた。礼儀をもって姿勢を低くしてきた相手に対して誰も怒ることはないだろう。内海家の姉妹はそもそも上と下の住人とはよく知った仲で、フルーツを持って断りを入れに来たので、うるさいと思っても住人たちは暫くは我慢してくれた。家に子供がいる家庭はこの音に耐えられず、大人たちが子供を連れて散歩に出かけて行った。姉妹たちはまたたくさん食べ物を買ってきて、家の工事を請け負ってくれている人たちに配った。このような待遇を受けて、作業員たちはきびきびと作業を進めた。夕方になり、外せるものは全て外し、外せないものは全て壊し尽くした。「内海さん、出たごみはきれいに片付けますか?」ある人が唯月に尋ねた。唯月はぐるりと一度部屋を見渡して言った。「必要ありません。当初、内装工事を始めた時、かなりお金を使って綺麗に片付けてもらいましたから。これはあの人たちに自分で片付けてもらいます。私が当初、人にお願いして掃除してもらった時に払ったお金とこれでチャラになりますからね」唯花は部屋の中をしげしげと見て回った。壁の内装もきれいさっぱり剥がして、床もボロボロにした。全て壊し尽くしてしまった。姉が掃除する必要はないと言ったのだから、何もする必要はないだろう。これは佐々木俊介たちが自分で掃除すればいいのだ。「明凛、あなたの話を聞いてよかったわ。あなたの従兄に作業員を手配してもらって正解ね。プロの人たちだから、スピードが速いのはもちろん、仕上がりもとても満足いくものだわ」明凛は笑って言った。「彼らはこの道のプロだから、任せて間違いなかったわね」「彼らのお給料は従兄さんに全部計算してもらって、後から教えてちょうだい。お金をそっちに入金するから」明凛は頷いた。「もう従兄には言ってあ
「あ、あなたは、あの運転代行の方では?」唯花は七瀬に気づいて、とても意外そうな顔をした。七瀬は良い人そうにニカッと笑った。「旦那さんに名刺を渡して何かご用があれば声をおかけくださいと伝えてあったんです。仕事に見合うお給料がいただければ、私は何でもしますので」唯花は彼が運転代行をしていることを考え、代行運転の仕事も毎日あるわけじゃないから、アルバイトで他のことをやっているのだろうと思った。家でも暇を持て余して仕事をしていないのではないかと家族から疑われずに済むだろう。「お手数かけます」「いえいえ、お金をもらってやることですから」七瀬はそう言って、すぐに別の同僚と一緒にソファを持ち上げて運んでいった。明凛は何気なく彼女に尋ねた。「あの人、知り合い?」「うん、近所の人よ。何回か会ったことがあるの。普段は運転代行をしているらしくて、理仁さんが前二回酔って帰って来た時は彼が送ってくれたのよ。彼がアルバイトもしてるなんて知らなかったけどね。後で名刺でももらっておこう。今後何かお願いすることがあったら彼に連絡することにするわ。彼ってとても信頼できると思うから」陽のおもちゃを片付けていたおばあさんは、心の中で呟いていた。七瀬は理仁のボディーガードの一人だもの、もちろん信頼できる人間よ。人が多いと、作業があっという間に進んだ。みんなでせかせかと働いて、すぐに唯月がシールを貼った家電を外へと運び出した。唯月と陽の親子二人の荷物も外へと運び出した。「プルプルプル……」その時、唯花の携帯が鳴った。「理仁さん、今荷物を運び出しているところよ」唯花は夫がこの場に来て手伝えないが、すごく気にかけてくれていることを知っていて、電話に出てすぐ進捗状況を報告したのだった。理仁は落ち着いた声で言った。「何台かの荷台トラックを手配したんだ。きっともうすぐマンションの前に到着するはずだよ。唯花さんの電話番号を運転手に伝えておいたから、後で彼らに会って、引っ越し荷物を義姉さんの新しいマンションまで運んでもらってくれ。もし義姉さんのマンションに置く場所がなければ、とりあえずうちに荷物を置いておいていいから」彼らの家はとても広いし、物もそんなに多くないのだ。「うん、わかったわ。理仁さん、本当にいろいろ気を配ってくれるのね。私たちったら
唯花は車を止めた。「唯花、どう?問題なさそう?」明凛が心配して尋ねた。唯花は笑って「大丈夫よ」と返事した。唯月は車を降りると、カードでマンションのエントランスを開けて管理人に言った。「引っ越しするんですけど、この方たちは引っ越しを手伝ってくれる人たちです」管理人はマンション前にいる大勢を見て、唯月に言った。「これは引っ越しですか?それとも、立て壊し作業ですか?あの人たちは、なんだかたくさん工具を持ってるみたいですけど、引っ越した後にまたリフォームをなさるんで?」「ええ、まあ、もう一度リフォームするようなものですね」しかし、それは彼女のお金を使ってではない。管理人はそれ以上は聞かなかった。喧嘩しに来たのでなければ、それでいいのだ。唯月が先頭に立ち、彼ら一行は威勢よくマンションの中へと入っていった。その仰々しい様子が多くの人の目を引き、みんな足を止めて見ていた。「唯月さん、こんなにたくさんの人を連れてきて、どうしたの?」知り合いが唯月に挨拶するついでにそう尋ねた。唯月は笑って言った。「引っ越しした後に、内装を壊すんです。もう一度リフォームする必要がありますから」「今のままでもすごく良い内装なのに、どうしてまた?」「今の内装はあまり好きじゃないので、一度壊してまたやり直すんです」その人は「ああ」とひとことだけ言い、すぐに褒めて言った。「それも旦那さんがよく稼いでらっしゃるから、こういうこともできるわね」普通の人なら、内装してある家をまたやり直すということはしないだろう。唯月は笑って言った。「それでは失礼します」佐々木俊介は確かに稼ぐことはできるが、今後の彼女にはそんなことなど何の関係もない。唯花と明凛はおばあさんを連れてその行列の一番最後についていた。先頭に立って一行を引っ張っていく姉を見て、唯花は親友に言った。「離婚したとたんに、お姉ちゃんが帰ってきたって感じがするわ。あの溌溂としていた昔のお姉ちゃんよ」明凛はそれを聞いて頷いた。結婚相手を間違えると、本当に女性を底にまで突き落としてしまう。「唯花ちゃん、お姉さんはこれからの生活はどうするつもりなの?」おばあさんは心配した様子で尋ねた。「もし再婚したいのであれば、おばあちゃんに声をかけてちょうだい。私が良い男性を選んでくる
「家電製品だって、全部あなたが買ったものじゃないわよ。勝手に持って行かないでちょうだいよ」佐々木母は唯月に全部の家電を持ち去られるのを心配していた。「おばさん、安心して。私がお金を出して買ったもの以外には一切触らないから。もし何か足りないものがあったら、遠慮なく私に言って」佐々木母は鼻を鳴らし、黙っていた。「プルプルプル……」俊介の携帯はまた鳴り出した。社長からの着信だとわかり、俊介は慌てて電話に出た。電話で社長に何を言われたのかわからないが、俊介の表情が急に険しくなり、慌てて返事をした。「社長、用事はもう済みましたので、今すぐ会社に戻ります。どうして注文が突然キャンセルされたんですか。わかりました、社長、ご安心ください。必ずその注文を取り戻します」電話を切ると、俊介は両親に言った。「父さん、母さん、会社に急用があるから、タクシーで帰ってくれないか」そして、唯月に言った。「唯月、今夜十時までに荷物をまとめて出て行ってくれよ。俺はその時間に帰るから」言い終わると、俊介は急いでその場を離れた。唯月に「お元気で」の一言も言わなかった。俊介の両親は息子の慌てて行った後ろ姿を見送った。佐々木父は唯月姉妹を一瞥したが、何も言わず、妻を連れてタクシーを探し、家へ帰ろうとした。唯花は姉を車に乗せ、荷物を運びに行った。「お姉ちゃん、どうやら彼の仕事がうまくいっていないみたいね」唯花は元義兄が上司の電話を受けた時の驚いたような顔を見逃さなかった。「彼が今の地位まで行けたのはお姉ちゃんのおかげかもよ。お姉ちゃんが人が良いから神様に家族が守られていたってことだよ。だからお姉ちゃんが傍にいなくなると、彼はすぐ谷底に落ちていくことになるんだわ」唯花は心からそう望んでいたのだ。ある男が成功できるためには、後ろにちゃんとできる妻がいることだ。こういう妻がいるからこそ、男たちは何の心配もなく、全力で仕事ができるのだ。こういう女性はお年寄りたちによく言われるいい嫁なのだ。唯月は淡々と言った。「彼の仕事なんてどうなってもいいの。どうせ私はもうちゃんとお金をもらったから。唯花、私が落ち着いたら、結城さんにあのお友達を呼んできて、食事に招待させてね。あの方はたくさん助けてくれたから。あの証拠がなかったら、俊介はきっと何の恐れもな
佐々木母は心を痛めて言った。「離婚して、あんな大金を唯月に分けたでしょ。唯月はせめてあなたのために息子を産んでくれたから、お金を分けてあげても一応義理はあるわ。母さんは惜しいと思うけど、仕方ないってわかるよ。でもすぐ結婚式を挙げて、結納も用意しないといけないなら、これもお金がかかるよ。俊介、自分が銀行でも経営してるつもりなの?そんなお金なんてないわよ」「母さん、心配しないで。莉奈との結婚式にかかる金は自分で出すから、父さんと母さんの手を煩わすことはないよ」自分からお金を出さなくても、佐々木母はそれが惜しいと思っていた。それに、彼女が愚かにも内海家に行って、彼らに唯月に離婚しないように説得してもらうために、数十万も出してしまったのを思い出し、道端の石で自分の頭を思い切り叩きたくなった。自分はどうしてあんな馬鹿なことをしたんだろうか?息子が離婚手続きが終わったら、彼女は絶対内海じいさんのところに行って出した数十万を取り戻そうと決めた。内海じいさんは図々しく数十万を要求し、唯花を通じて絶対唯月を説得すると大口をたたいたのに、何もできなかったから、お金を返すべきだ。十分後、全員役所に到着した。唯花姉妹は先に着いていて、役所の入り口で佐々木一家を待っていた。佐々木俊介が着くと、夫婦二人はためらうことなく、役所に入っていった。三年前、二人は手を繋いで役所に入って、結婚届を出したのだ。あの時、唯月は俊介と白髪になるまで一緒にいられると信じていた。まさかそれがたった数年だけで、夫婦二人はまたここに来ることになった。今回は離婚手続きのためだった。二人は協議離婚のため、これ以上の争うこともなく、必要な書類も揃っていた。順番が回ってくると、職員は毎日多くの離婚手続きをしていて、もう慣れたので、彼らを説得しようともせず、規定通りに離婚手続きを終わらせた。唯花と俊介の両親は傍で待っていた。三人を驚かせたのは、結婚届を出してくるカップルは少ないのに、離婚しにくる夫婦は長い列を作っていたことだった。唯花は隣の俊介の両親をちらりと見て、離婚率が高いのは夫婦二人の問題だけでなく、両方の家族にも問題があると心の中で思った。姉がここまで来たのも、佐々木家の人間のせいだった。「唯花」唯月が離婚手続きが終わり、気持ちが軽くなって妹を呼び
「今後、陽ちゃんに会いたい時、電話してちょうだい。陽ちゃんをあなたの実家のほうに連れて行くから。でも、ちゃんと時間通りに陽ちゃんを送ってきてちょうだいね」これは唯月が莉奈に保証したことだった。子供を利用して、莉奈と俊介の仲を壊すようなことはしない。そして、離婚後、できるだけ俊介と顔を合わせないようにするのだ。「わかった」俊介は特に異議はなかった。「今から役所へ行って手続きを済ませよう。俺は休みを取ってきているから、終わったら早く会社に戻らないと」俊介も落ち着いていた。唯月は妹の車に戻り、妹と一緒に役所へ行った。俊介は両親を乗せ、唯花の車について行った。佐々木母は車で暫く泣いていた。夫に散々説得され、もうどうしようもないとわかると、佐々木母は涙を拭きながら息子に言った。「手続きを済ませたら、唯月に荷物をまとめてさっさと出て行かせなさいよ。一晩も泊まらせないで。私はお父さんと先に家に帰って、荷物をまとめてからこっちに引っ越してくるよ。今年は星城で新年を迎えましょう。お姉ちゃんと義兄さんも休みになったら、彼女たちも呼んできてね。皆で一緒に新年を迎えましょう。それから、成瀬さんに正月は実家に帰らないで、私たちと一緒に過ごすように伝えなさい。その時、ご飯を作ってくれる人が必要だからね」俊介は、自分がどうしても離婚したくて、陽の親権も手放したことで、親たちをひどく悲しませたことを自覚していた。今両親が何を言ってきても、彼はできる限り全部応えた。莉奈に一緒に正月を過ごさせ、家族のために食事を作ってくれることについては、俊介は何の疑問も抱いていなかった。これまでは、正月の食事は全部唯月が作ってくれたからだ。役所へ向かう途中、俊介は莉奈からの電話を受けた。電話で、莉奈は彼に尋ねた。「俊介、手続きは終わった?」「今役所へ向かっているところだ。後十分ほど着くはず。さっき唯月の言った通りに、財産を分けたんだ」莉奈はほっとした。幸い、他のトラブルは起こっていないようだ。「全部終わったらメールをちょうだい」「わかったよ。莉奈、今夜、そっちへ行って、荷物を運んであげるからね」俊介は上機嫌だった。俊介は唯月が出て行ったら、すぐ莉奈を迎えに行くことにしていた。親と姉の家族たちが引っ越してくる前に、二人きりの時