一緒に生活していくうちに、この二人は本当の夫婦になり、仲睦まじく幸せな日々を過ごすようになるかもしれない。内海唯花は我に返ると、慌てて弁当を自ら届けてくれたマネージャーにお礼をした。彼が車に乗って去るのを見送ってから彼女は店へと戻った。二人分、聞くまでもなく片方は牧野明凛の分だった。内海唯花が店に戻ると、牧野明凛はすでにきれいに手を洗って店の裏にある従業員休憩スペースに座っていた。親友が店に入って来るのを見ると、笑顔で彼女を呼んだ。「早く食べようよ。スカイロイヤルは七つ星ホテルよ。この間パーティーに参加した時にあそこの料理は食べたじゃない。あの日家に帰った後も、あの味を思い出していたのよ。私ってば、唯花のおかげでご馳走にありつけちゃったわ」牧野明凛は箸を内海唯花の手に持たせ、笑いながら結城理仁を褒めたたえた。「結城さんがこんなに気が利く人だなんて思ってもなかったわ。昼食を買って届けさせるなんて。彼、絶対あなたがデリバリー頼むのを見て、もっと良い物を食べさせてあげたいって思ったのよ。唯花、結城さんって、良いところがたっくさんあるみたいね。確かにあなたに警戒して半年で離婚するなんて契約をしたけど、お互い長く一緒にいれば、彼のほうからあの契約を破棄したいって言い出すかもだよ。あなたと一生、正真正銘の夫婦になりたいって。そしたら、どうするかしっかり考えなきゃだよ」内海唯花は苦笑して言った。「ただ今回食事をご馳走してもらっただけで、明凛ったら彼の口利き役になったの?彼とはまあまあうまくやってるわ。今のところ、私たちはどちらも深い関係になろうとは思ってないわよ」「私が食事一回奢られたくらいで丸め込まれる人間だと思うの?それに、あなたは私の一番の親友なのよ。なにがあっても、どんな状況でも、私はいつだってあなた側に付くんだから。唯月さんの旦那と比べて、結城さんが良くないって言える?」二人は食べながら、男の良し悪しについて熱く語った。「義兄さんも以前はお姉ちゃんにとても良くしてくれてたのよ。陽ちゃんが産まれてから、態度がだんだんひどくなっていったわ」人間というものは変わり身の早い生き物なのだ。彼女と結城理仁が夫婦になって一か月しか経っていないというのに、どこまでお互いに知ることができるだろうか?彼女は結城理仁のことをそこまで理解できてい
それを聞いて、そこにいる社長たちはとても驚き、すぐに九条悟に尋ねた。「九条さん、結城社長に好きな女性ができたんですか?一体どこのご令嬢ですか?」まさか結城理仁のような堅物に春がやってくるとは。「しいー、秘密ですよ。秘密にしてもらわないと、また社長から私がおしゃべりで噂好きな男だと言われてしまいますからね。社長は彼女に愛が芽生えたわけではなく、その方に興味を示している段階です。社長がその方を好きになれば、彼の性格から言ってきっと公表されることでしょう」公になれば、神崎姫華のように彼を慕って付き纏う人はいなくなるだろう。社長たちは激しくそれに同意した。彼らは結城社長はちゃんと女性を好きになるのだと知ることができただけで十分だった。ある社長の家には結婚適齢期の娘がいて、自分にも、もしかしたらチャンスがあるかもしれないと企んでいた。結城社長が女性を好きならば、彼は今後結城グループとの商談の時に娘を勉強のためにと一緒に連れて来て、社長に気に入られないか試してみてもいいのだ。どのみちその社長が気になっているという女性もまだ恋人関係になったわけでもないのだから。それなら公平にライバルとして張り合えるだろう。理仁は自分の頼りになる秘書が彼を売るような真似をしているとは知りもしなかった。彼は部屋の外で妻からの電話に出て、気分は上々だった。口元には笑みを浮かべていたが、もちろん話をする時にはいつも通り声を低く落ち着かせて「どうした?何か用事?」と尋ねた。「何もないんだけど、ただあなたに電話したくて。昼休憩中だった?もしかして邪魔しちゃったかな?」内海唯花は昼休憩の時間帯だから、彼の邪魔になっていないか心配していた。「今昼ごはん中なんだ」内海唯花はそれを聞いて「えっ」と一言漏らし、続けて彼に聞いた。「昼ごはんには少し時間が遅くない?仕事が忙しいのは知ってるけど、やっぱり12時になったら食べたほうがいいわ。胃が荒れちゃうわよ」「わかったよ」誰かから心配されるのは、はじめての事ではないが、唯花から心配されるのは他の人からされるのとは違って格別に心が温かくなった。「あの、結城さん、私にお昼ご飯を頼んでくれてありがとう。とっても美味しかったわ。食後のフルーツもとても新鮮だったし」やはり高級ホテルのサービスは最高だ。結城理仁は相変わ
「今日は給料日だから、後で君に生活費を送金するよ。きちんと食事をするのは大切だし、必要なものは買ったらいいさ。そんなに節約しなくていいよ」「ううん、必要ないわ。前、私にくれたあの200万円の生活費、まだたくさん余ってるもの。うちの支出は少ないし、そんなにお金は要らないよ」彼女は家具を購入するときに数十万使った程度だ。残りのお金を生活に使うだけなら、あと数か月はもつだろう。それに、彼女も彼のお金だけ使って生活するわけではない。「使い切っていないなら、それを貯金しておいたら。男は金を気前よく使うものだからな。金は君の口座に入れておくから、貯金しておいて。今後もし何か急で必要になったら使えばいい。じゃないと、その金は俺が全部使ってしまうよ」内海唯花は少し考えて「そうするわね」と言った。彼女は家計簿をきちんと付けておくタイプだ。彼が毎月彼女に入れるお金はきちんと貯金しておいて、いくらもらったのかも記録をしている。将来、二人が本当に離婚することになった時、そうしておけば話が早いからだ。「結城さん、じゃあ、邪魔しないように電話切るわね」「今夜はたぶん遅くなるから、内鍵はかけないでおいて。俺が帰るのを待つ必要はないよ」内海唯花は彼が帰るのを待ったことは今までないが、理仁はたまらずこのように言った。内海唯花は一言うんと答えて、その後は何も言わずに電話を切った。彼女のこの態度で結城理仁は、彼女は彼がいつ帰って来るのかなど、全く気にしていないことがわかった。ああ、これも彼らが結婚当初にした契約のせいじゃないか。彼のやることには干渉するなと言ったのは彼なんだから。結城理仁は暫く黙ってから、ペイペイで唯花に40万円送金した。内海唯花はそれを受け取った。彼女がお金を受け取ったのを確認し、結城理仁はなぜだか気分がまた良くなった。旦那が稼いで、妻が使えばいいじゃないか。内海唯花はそれから少し昼休憩をとった。彼女は少しだけ昼寝した後、ハンドメイドの道具と材料を取り出して、再び手作りを始めた。それからどのくらい経ったのかわからないが、店の外に車のエンジン音が聞こえた。そしてすぐにカツカツと足音が聞こえ、自然にその方へ目線を向けた。「神崎さん?」内海唯花は驚いて一言声を漏らした。突然そこへ現れたのは神崎姫華だったのだ。
「唯花、あなたってこういうハンドメイドもできるの?とってもキレイ」神崎姫華は内海唯花の作ったハンドメイド作品を見て、それを誉めた。彼女はさっきできたばかりの鶴のビーズ細工を手に取り、じいっと見つめた後それを絶賛して言った。「本当によくできてるわね!」「神崎さんが好きなら、いくつかプレゼントするよ。でも大した金額のものじゃないんだけど」「そんなことない、私とっても気に入ったわ」神崎姫華は立て続けに頷き「先にお礼を言っておくわね」と言った。そして、彼女はまた尋ねた。「唯花、これって売ってるの?」「ええ、そうよ。ネットでお店開いてるの。こういう手作りを売る店ね。普段から売り上げはまあまあで、今月は特に良かったの」神崎姫華は笑みを浮かべて言った。「後でそのネットショップをシェアしてちょうだい。インスタにアップして宣伝してあげるわ。とってもキレイだもの」内海唯花が今までとても苦労していたことを知っていて、神崎姫華は喜んで唯花の商品を宣伝するつもりだ。彼女ほど目の肥えた人間でも唯花の作ったハンドメイドを綺麗だと言うのだから、他の人も気に入るだろう。気に入らなくても、彼女のお勧めなのだから、彼女の顔を立てて唯花の売り上げに貢献するはずだ。神崎姫華は社交界においてかなりの影響力を持っているのだ。「どうもありがとう、神崎さん」内海唯花は神崎姫華に座るよう言い、彼女にお茶を入れた。挨拶の会話を済ませた後、唯花は尋ねた。「神崎さん、突然私のところに来て、何か私に用事があるの?」もちろん、彼女は自分に神崎姫華を手伝えるようなことがあるとは思っていなかった。なんといっても彼女は神崎グループのお嬢様なのだから。内海唯花は数日前、親友と結城家御曹司と神崎姫華の噂をしていて、その数日後にこうやって神崎姫華本人がまさか彼女のところにやって来るとは夢にも思っていなかった。二人はまるで長年付き合ってきた友達のような感じだ。こんな縁があるとは内海唯花も信じられなかった。本当に幸運の持ち主だとしか思えない。神崎姫華のような本物の名家の令嬢と知り合えるなんて、牧野明凛のようなお金持ち家庭出身者でさえもそんな機会には恵まれない。彼女はそのような人たちと無縁の一般人なのにこのような出会いがあるとは。内海唯花は夜家に帰る時に、宝くじを二枚買って
神崎姫華が結城理仁を追いかけることは家族だけが反対しているのではなく、彼女の親友でさえも彼を追いかけるのは難しいから、諦めるように諭していた。さらに言えば、お互いの会社はライバル関係にある。それに比べ内海唯花は彼女にエールを送った。それで彼女は内海唯花に頼り、唯花を気持ちを打ち明けられる親友と捉えるようになったのだ。「もし結城社長に妻子があったり、それか彼女がいるとするなら、彼がいくら優秀でも私だって追いかけるようなことはしないわ。私、神崎姫華は優れた人間なんだから、他人の男を奪うような真似なんかしない。でも、彼は独身なんだし、彼のことが好きなら行動を起こさなきゃ。努力したなら、たとえ結果がどうなっても後悔することなんてないでしょ」神崎姫華は心に溜まった本音を一気に吐き出した。内海唯花は心の内で思った。神崎姫華の性格は他の金持ち同様、傲慢だと聞いていた。彼女にはそうなるだけの条件もあるし、横柄でわがままだと。しかし、この時、彼女には姫華が恋に悩む普通の女の子にしか見えなかった。神崎姫華のこの考え方を内海唯花も理解できた。それにその考え方はとても良いとも思った。親友に付き合ってパーティに参加したあの夜、結城社長に関する噂は耳にした。彼はまだ独身で、出かける時にはボディーガードを従わせて若い女性が近づくのを許さないと。彼はどのような若い女性にもそのチャンスを与えなかった。神崎姫華だけが大胆にも公の場で彼に告白し、それでようやく結城社長と噂になったのだ。「神崎さんは間違ってないわ。誰にだって本当の愛を追い求める権利があるのよ。神崎さんがさっき言った言葉を借りれば、結城社長は未婚で、彼女もいないんでしょう。それなら、あなたが彼を追いかけたって違法じゃないんだし、倫理的な問題もないし、いたって普通のことだわ」神崎姫華はそれに激しく頷いていた。「唯花、あなたが最初に私が結城社長を追いかけるのに賛成してくれた人よ」内海唯花は笑った。これで神崎姫華がどうして彼女のところに来たのか理解できたというものだ。何かをする時に、家族や友人から支持を得られず、突然ある人が彼女の味方について支持してくれたら、当然その人のところに行って、自分の気持ちを訴えるだろう。「唯花、あなたは恋愛経験がある?」「私?大学の時に一度恋愛したことある
「男の人を追いかけるっていうなら、実際のところ男性が女性を追いかけるのとだいたい同じよ。相手に合わせて諦めないで、根気強く努力を続ければいつか必ず結果が出るわ」神崎姫華は少し考えてから言った。「根気強く続けて、諦めないってのはわかってるの。実を言うとね、私の義姉さんも当初、積極的に兄さんを追いかけていたのよ。私はそれをずっと見ていたの。あの時はね、兄さんは結城社長と同じように傲慢で冷たく、全く心を動かされなかったんだから。義姉さんは毎日毎日、兄さんに付き纏ってたけど、一生懸命真心込めてやれば結果は出るのよ。兄さんは最終的に義姉さんに心動かされたわ。ある時から義姉さんはもう諦めようと思って、兄さんの前には現れなくなったの。ところが兄さんは彼女がいることに慣れちゃって、もう姿を見せない、諦めるって気持ちを見せたとたん、今度は兄さんのほうが追いかけるようになったの。今はね、この町で私の兄が奥さんを溺愛しているって知らない人は誰もいないわ」神崎姫華が最も憧れているのは兄嫁の大恋愛結婚だった。兄嫁がはじめ兄を追いかけていた頃、今の彼女と同じように確かに苦しい時期を過ごしたが、最後はまるで甘いハチミツの中に溶け込んだかのように、兄からとても愛され甘い日々を過ごしている。結婚した後も、彼女の兄は妻を依然として溺愛していて、さらに磨きがかかっている。内海唯花は神崎グループの当主である社長が妻から追われる立場で、最終的に結婚すると決めたとは思ってもいなかった。彼女は笑って言った。「あなたのお義姉さんが実例としているんじゃないの。お義姉さんに習って、その経験を教えてもらったら」「義姉さんは今、私を応援しようとはしないの。兄さんが反対しているから。前は私側についていてくれたんだけど、家族が頑固として反対するものだから、義姉さんもそっちに流されちゃったのよ」内海唯花は同情して神崎姫華を見ていた。名家の令嬢、地位の高い女性は結婚に関して、たぶんそんなに自由ではないのだろう。名家の間では政略結婚なるものは多いらしい。「彼が好きな物を毎日贈ったら?それから、男性を捕まえるにはまずは彼の胃袋を掴まなきゃ。毎日美味しいものを届けるのよ。最初は彼が全く相手をしてくれなくて、あなたを困らせるようなことをしたとしても、粘り強く諦めなかったら、ある日あなたを受け入
神崎姫華「……」彼女は横柄でわがままか?少し考えて、神崎姫華はそれを認めるしかなかった。確かに自分は少しわがままなところがある。彼女は神崎家の皆から可愛がられてきた。そのせいで傲慢で人を見下すような人間にはなっていないが、確かに人付き合いがしやすい人間というわけではない。彼女が気に入らない人が目の前に現れたら、遠慮なしに人に指示して二度とその人間を目の前に現れないようにする。相手には少しも面子など与えてはやらない。それは神崎家と関わりのある親戚でさえも例外はない。暫くして、神崎姫華は感激して内海唯花に言った。「唯花、ありがとう。この年になってもこの私に面と向かってこんなふうに性格を直すよう注意してくれる人はいなかったの」内海唯花は心の中で、あなたの身分を考えたら、誰があなたを怒らせるようなことが言える?と思っていた。彼女と神崎姫華は同じ世界に住む人間ではなく、さらに姫華が彼女を恋のアドバイザーとして思っているから、大胆にもこのように言えたのだ。「唯花」昼休憩をしていた牧野明凛は内海唯花と誰かの話声を聞いてやって来た。神崎姫華を見た瞬間目をこすってみたが、ああ、知らない人だと思った。しかし、どうも顔に見覚えがあった。どこかで見たような気がするのだ。牧野明凛は神崎姫華本人と直接会ったことはないが、見覚えがあると思ったのはネットで彼女の写真を見たことがあるからだ。彼女が結城社長と神崎姫華のゴシップの噂をする時、親友と一緒になって、この二人は家柄が釣り合っていると話していた。「明凛、休憩は終わったの?」内海唯花は親友を呼んで神崎姫華に紹介した。「神崎さん、こちらは私の親友でこの店の共同経営者である牧野明凛よ」神崎姫華は牧野明凛に対しては、あの時感じたような親しみは持てなかったが、内海唯花からの紹介であるから、無下にはせず高貴で優雅な様子で明凛に対して会釈した。これが彼女なりの挨拶と言える。牧野明凛は目の前にいるこの女性が見たところ傲慢で美しい女の子だと思った。それが神崎グループ率いる社長兼神崎家当主の妹で、公に結城社長を追いかけている神崎姫華だと知り、あまりの驚きですぐには反応できなかった。そのぽかんとした彼女の様子に、神崎姫華は思わず笑ってしまった。神崎姫華は内海唯花に好感を持っていて、思っていることを喜
神崎姫華を見送った後、牧野明凛は興味津々で尋ねてきた。「唯花、あなたどうやって神崎さんと知り合ったの?しかも彼女からあなたに会いに来たんでしょ」内海唯花は神崎姫華にバイクを止められ、彼女を結城グループに送ってあげたことを牧野明凛に教えた。牧野明凛「……そんなことまでやっちゃうとは」神崎姫華は結城家の御曹司を追いかけるのに必死で、勇気もやる気も満々だと言わざるを得ない。「神崎さんって、噂に聞くような破天荒な性格じゃないように思うわ。彼女は確かにちょっとプライドが高いところがあるけど。彼女の家柄を考えればそうなるのは当然よ。実際は、彼女の考え方ってすごくまともよ。彼女はとても結城社長のことを好きだけど、もし彼に彼女がいるんだったら、絶対に彼を追いかけるようなことはしないって言ってたし」プライドの高い神崎姫華は他人の恋路の邪魔をするようなことは絶対にしないのだ。牧野明凛はそれに賛同して言った。「そういうことならいいじゃない。私たちと彼女は住む世界が違うから、付き合ってみないと彼女の本当の人柄は分からないし。噂話なんて完全に信じちゃダメね、自分の目で見たことですら、それがいつも真実とは限らないんだから。人から聞いたことなんてなおさらよ」神崎姫華は高貴な身分であるから、多くの人が彼女に嫉妬して、わざと彼女は横柄でわがままな理不尽な人だと噂を流した可能性だってあるのだ。神崎姫華が自分のところにやって来ても内海唯花にはなんら影響はない。唯花はいつもやっていることをいつも通りするまでだ。しかし、牧野明凛はまた内海唯花に、あるおばさんの誕生日パーティに付き合ってくれとぐずり始めた。「今度のパーティーは大塚家の別荘で行われるの。大塚さんはおばさんのお隣さんで、ビジネス上の付き合いがあるのよ。だから仲はとても良いの。そうじゃなきゃ、おばさんだって私を連れて行こうとしないわ。唯花、お願い一緒に来て。おばさんは私と大塚家のお坊ちゃんとの仲を取り持つために呼んだのよ」牧野明凛はこの大塚家の御曹司に少し覚えがあった。結局、彼女はよくおばさんの家に遊びに行っていたし、大塚家とは隣同士だから彼に会う機会はあったのだ。大塚家の坊ちゃんは背は低めでふっくらとしていて、容姿は普通だ。彼がもし名家の生まれでなかったら、街中で誰一人として彼に注目する人はいないだろう
佐々木陽はお菓子を食べ終わった後、店で遊んでいた。持ってきたバッグの中に、彼が一番お気に入りのおもちゃが入っていた。おもちゃをあげると、佐々木陽はずっとそこに座って遊び続けていられる。牧野明凛も内海唯花に「陽ちゃんは結構大人しい子だね、おもちゃで遊ぶ様子から見ると分かるよ」と言った。「まだここに慣れてないからよ。慣れてくれば、屋根も取り壊せるくらいやんちゃな子だよ」内海唯花はよく姉に手伝って子供の面倒を見てあげたから、佐々木陽のやんちゃぶりをよく知っていた。言いながら、彼女は道具を取りだし、ビーズ細工を作ろうとして、夫の小言をこぼした。「せっかく神崎さんが私の作ったビーズを気に入ってくれたから、結城さんにあげようとした鶴を神崎さんにあげたの。あとでまた結城さんのを作ってあげたらいい話でしょ。夫婦で一緒に住んでいるから、いつでもあげられるじゃない?でも、結局それを知ったら彼、めっちゃ怒ったの。私は謝ったし、間違いを認めて、おまけにもう一つ多めに作ってあげるって約束したりして、ようやく機嫌を直してくれたのよ。今晩家に帰って、またあの氷のような冷たい顔に見られないように、今日のうちに約束したプレゼントを用意しとくわ」牧野明凛は彼女に言い聞かせた。「その鶴を結城さんにあげると先に約束した以上、もう彼のもので、同意も得ないで、神崎さんにあげたら怒って当然でしょ」「わかってるよ、私が悪いの。だから謝ったのよ。でも結城さんは昨日帰ってきた時からとにかく機嫌が悪そうだった。仕事で何か困ったことがあったんじゃないかな」結城理仁はこの話を聞いたら絶対呆れるだろう……彼女がプレゼントしてくれた服を着て出勤していたことに気づいてもらえなかったことに怒っていたのだ。「リンリンリン……」内海唯花の携帯が鳴りだした。ズボンのポケットから携帯を取り出し、着信表示から結城おばあさんからかかってきたのがわかり、電話に出た。「おばあちゃん」「唯花ちゃん、今忙しい?」「そんなに忙しくないよ。おばあちゃんどうしたの。用事があったら何でも言ってね。どんなに忙しくても手伝うから」結婚する前、内海唯花はよく結城おばあさんに会い、おしゃべりしていた。結婚してから、おばあさんはあまり来なくなった。結城理仁と二人で一緒にいる時間を作ってあげて、冷やかし
金城琉生が会社へ行くと、牧野明凛は心配した顔で尋ねた。「唯花、お姉さんはまた旦那さんと喧嘩したの?」内海唯花は甥の頭を撫でながら口を開いた。「義兄さんはまだ彼の実家にいて帰ってこないよ。それに、残った生活費を返せと姉に言ってきたわ。今家でご飯を食べていないし、その生活費を使うところがないからって」牧野明凛は「……そういう男とは早く離婚したほうがいいんじゃない」と呆れて言った。内海唯花はしばらく黙ってから言った。「姉は今の生活が落ち着かないと、これからのことを考える余裕がないかもね」牧野明凛もこれ以上は言えなかった。「そういえば、参加したパーティーはどうだった?それから大塚さんからの電話があった?」「今でも頭がまだちょっと痛いのよ」内海唯花は目をぱちぱちさせて、思わず笑い出した。「まさかパーティーで酔っ払って暴れたんじゃないでしょうね」社交界の方々はみんな教養とかを重んじているのだ。もし牧野明凛が本当に大塚夫人の誕生日パーティーで酒を飲んで暴れでもしたら、ほとんど玉の輿に乗る道を自ら断ったのと同然だ。「酔っ払ってないんだけど、ただお酒を多めに飲んで、酔ったふりしたり、そのまま床に横になって寝たふりをしたりしただけだよ。すると、おばさんが慌てて私をそこから引きずり出したの。もうこれから、こんなパーティーに私を連れて行くことはないと思うよ」彼女を玉の輿に乗らせるのを諦めてもらうため、牧野明凛も思い切り最終手段を行使したのだった。大塚夫人の誕生日パーティーには、東京で有数の名門の夫人達が参加していなくても、大金持ちの奥様ばかりが集まっていたはずだ。牧野明凛が酔ったふりをして床に寝転んでしまったのは、極めて恥ずかしいことだ。社交界ではそういう噂は口伝えですぐ広まってしまう。身分のある奥様達はもちろん牧野明凛のことを恥知らずな小娘だと思い込んだだろう。そうすると、牧野のおばさんたちが明凛に玉の輿の道に行かせたくても通用しない。牧野家は昔から東京に住んでいた。昔、国の土地計画で、家の所有地の権利を国に譲り、大金をもらったことで生活が豊かになったのだ。それから牧野明凛の両親が上手くビジネスを行ったことで、その資産は以前より何倍にもなったというわけだ。しかし、名家の名士たちから見ると、牧野家はただ国が行った土地計画から巨
内海唯花は甥っ子を抱いて、金城琉生と一緒に店に入った。「どうして陽ちゃんを連れてきたの?陽ちゃん、こっち来て、明凛おばちゃんが抱っこしてあげる」牧野明凛は椅子から立ち上がると、内海唯花の腕の中から佐々木陽を抱き上げた。彼を抱きながら座るとまた聞いた。「陽ちゃん、お菓子食べる?」佐々木陽は内海唯花のほうへ視線を向けた。「一個だけ食べさせてあげよう、あまり食べ過ぎると、昼ご飯が食べられなくなるよ」唯花は金城琉生からカバンを受け取り、レジの下に置いておいた。「お姉ちゃんはもう決めたの。今日から仕事を探し始めるから、私が代わって暫く陽ちゃんの面倒を見るわ。お姉ちゃんは昼になったらこっちに来るよ」牧野明凛はお菓子を一つ取って佐々木陽にあげた。佐々木陽はそれをすぐには手に取らなかった。そして、自分の小さい手を開いて見せた。「きたないよ」お菓子をいったん置いて、牧野明凛は彼を抱いて奥にあるキッチンで手を洗ってきた。彼女は佐々木唯月は本当に佐々木陽をよく育てていると思っていた。よく子供はやんちゃだと言われているが、これは子供が生まれ持った本性だ。もし子供が一日中木のように動かず、ずっと静かに座っていたら、親はまた子供の知能を心配し始める。子供自身も困っていると思う。動いたらやんちゃだと、大人しくすると知能に問題があるじゃないかと言われるなんて、理不尽だろう!キッチンを出て、牧野明凛はまたそのお菓子を佐々木陽に渡した。彼は大人しく受け取った後、礼儀正しく「ありがとう、あかりおばちゃん」と言った。「いい子だね」佐々木陽を見るたびに、牧野明凛は結婚して子供を産みたいと思うのだった。「唯月さん、ようやく第一歩を踏み出したね。琉生に聞いてみたんだけど、彼は今はまだ会社では経験を積んでいる段階だから、財務部に人を雇わせるような力はないって。おばさんの旦那さんにもお願いしたけど、今人手は足りているから、募集する予定がないの」こう話している牧野明凛はちょっと気まずくなった。佐々木唯月の力になれないからだ。金城琉生も申し訳ないような顔をしている。彼は確かに後継者として認められているが、まだまだ若くて、今経験を積んでいる途中なので、すぐには金城グループをまとめることはできない。会社の重要な部署に誰かを雇わせる権力などまだないのだ。
内海唯花が甥を連れて店に着いたところ、店の前に見慣れた車が止まっていた。それは金城琉生のだった。金城琉生はまた牧野明凛のために食べ物を持って来ていた。今回は朝食だけでなく、家のシェフにお菓子を作らせて、作りすぎて家族だけで食べ切れないという言い訳をして、従姉に持ってきたのだ。牧野明凛はあまり深く考えなかった。彼女も内海唯花もおいしい食べ物が大好きだったし、おばさんのところには毎日新鮮なお菓子がたくさんあることも知っていたからだ。従弟が持ってきてくれたものだから、何も気にせず、お菓子を何個も食べてしまった。牧野明凛がお菓子を全部食べてしまうのではないかと心配になった金城琉生は、内海唯花が店に来ていない間、ずっと外をチラチラと見ながら、従姉に尋ねた。「明凛姉さん、唯花さんは今日店に来ないの?」「来るよ、ちょっと遅れるけど」牧野明凛はあまり気にしていなかった。牧野明凛の家は店に近いので、朝はいつも彼女が店を開けて、朝の仕事を任されている。内海唯花は夜の当番だ。「独身の女性と結婚した女性とは違うと思うよ。唯花は以前、お姉さんの家に住んでいた時、お姉さんの旦那さんに不満があるんじゃないかって心配して、いつも家事を手伝ったり、買い物をしたり、朝食を作ったりしてた。だけど、彼女は結婚した今も相変わらず、毎日忙しいのよ」そう言って、牧野明凛は従弟をチラッと見ながら笑った。「お菓子が全部食べられてしまいそうだっていう心配ならしないで。こんなにたくさん持ってきたから、私がどれだけ食いしん坊だと言っても、さすがに一気に全部食べられないよ。唯花の分は絶対残るから」従姉に見透かされて、金城琉生は少し顔が赤くなって、恥ずかしそうに言った。「唯花さんも甘い物が好きだよね。うちのシェフがわざわざカフェ・ルナカルドへ行って、こっそり見習って、帰ってから試作品を作ってくれたんだ。食べてみたら、確かに前に作ったものよりおいしくなったと思った」「カフェ・ルナカルドのお菓子、確かに美味しいよね」牧野明凛は以前そこでお見合いをしたことがある。縁談はうまくいかなかったが、お菓子がおいしかったから、食べ物に対して大変満足していた。その時、車のエンジンの音を聞いた牧野明凛は金城琉生に言った。「誰が来たか、見てきてくれない?」金城琉生がうんと返事して店を出る
佐々木唯月はもう家の前で妹を待っていた。彼女は息子を抱きながら、両手の片方にはバッグを、もう片方にはリュックをぶら下げていた。遠くを見ていたせいか、車が走ってくることには気づかなかった。というより、走ってきた四輪車には注意を向けていなかった。妹の内海唯花はいつも電動バイクに乗っているからだ。内海唯花は車を姉の横に止め、車の窓を開けて彼女を呼んだ。「お姉ちゃん」内海唯月はきょとんとしていたが、すぐに笑顔を見せた。「電動バイクで来ると思っていたの」義弟が無理やり妹に新しい車を買ってくれたことは知っていたが、内海唯花は滅多にそれを使わなかった。この車でここへ来るのは初めてだった。内海唯花は車を降り、姉の手からバッグを取ると、後部座席のドアを開け、それを車の中に置いた。「お姉ちゃん、必要なもの全部準備したの。粉ミルクと哺乳瓶がないと大変だから」「全部入れたよ」佐々木唯月は息子を妹に渡した。妹が息子をしっかり抱いた後、名残惜しそうに息子の頬にキスをして、念を押した。「陽ちゃん、ちゃんとおばちゃんの言うことを聞くのよ。お母さんはすぐに帰ってくるからね」佐々木陽は元々内海唯花と仲がいいから、叔母に抱かれても泣いたり騒いだりしなかった。大人しく小さな手を振って母親にバイバイをした。唯月は少し悲しくなった。息子はまだ2歳で、幼すぎる。息子が幼稚園に入ってから職場復帰しようと唯月は思っていたが、現実は残酷なもので、今は一刻も早く仕事を探さなければならない状態に追い詰められているのだ。「お姉ちゃん、義兄さんはまだ帰ってこないの?」夫婦喧嘩してからもう数日が経っていた。佐々木唯月は少し暗い顔で答えた。「帰ってないよ、しかも、生活費を返せというメールなら送ってきたのよ。最近家で食事をしていないから、前に送った生活費を返すようにって」佐々木俊介が今やっている一つ一つのことが鋭いナイフのように、佐々木唯月の心をズタズタにしている。彼女をとても苦しめていた。彼女はどれだけ見る目がなくて、あんな男を愛し、妻となり、子供まで産んであげたのだろうか。3年もしないうちに、彼に愛想を尽かされ、暴力も振るわれた。「お姉ちゃん、それを返したの?」佐々木唯月はしばらく黙っていたが、頷いた。「返したわ。しっかり割り勘を通したつもりで、彼から
内海唯花はそのお金を突き返した。「結婚してから、あなたがこういうお肉を食べないことを知らなかったの。今度作る時には入れないわよ。でもお金はしまってちょうだい。そのよくお金で解決しようとする癖は本当によくないよ。ビルでも建築できるほどの大金持ちだとでも思ってるの?」もし出来るなら、数えきれないほどの何千万円の現金をパッと出してみてくださいよ。「さっき作ってる途中で言ってくれればよかったのに。鼻の下にちゃんと口があるんだから、言いたいことを言ってくれないと……」そう言っている途中で、お金の束が持っていた空のどんぶりに入れられた。内海唯花のこぼす愚痴は、そこでピタリと止まった。結城理仁はお金を押し付けると、これ以上返す機会も与えず、すっと去っていった。中に入れられたお金をみてから、逃げるように去って行った男の姿を確認してみると、もう玄関のドアを開けて、外に出てしまっていた。「結城さん、私は町で放浪してる物乞いじゃないのよ」返事してくれたのはバタンッとドアが閉まる音だった。ドアを閉めると、結城理仁自身も思わず笑ってしまった。内海唯花はどんぶりの中のお金を取り上げて、ぶつぶつと言った。「お金があるから偉いとでも思ってるの。あなた自ら私にくれたよ、私がゆすったんじゃないからね。お金で口止めするなんて、何回も成功できると思わないでよ」そのお金を少し確認してみると、四万円くらいだった。「なんだ。たったの四万円。できればお金を詰めた袋を丸ごと私へ投げてちょうだいよ」内海唯花はまた小言をこぼした。結城理仁がお金を押し付けてくるその態度が、かなり侮辱的だと感じていた。しかし、もし彼がこの方法で彼女の口を止めるのが気に入ったのなら、内海唯花は喜んでそうさせようと思っていた。お金をポケットに入れ、キッチンで食器を洗い、少し片づけた後、作っておいた料理を分けて昼ご飯として店で食べることにした。準備を終えて、内海唯花も仕事に行った。家を出たとたん、佐々木唯月から電話がかかってきた。「もしもし、お姉ちゃん」唯月からの電話なら、彼女はいつもすぐに出る。姉に何かあったのではないかと心配しているからだ。「唯花、もう仕事に行ったの?」「家を出たばかりだよ、どうかした?」「さっき陽に、もうご飯を食べさせてあげたから、今か
これはこれは、ますます面白くなってきた。今の内海唯花はまだ知らない。このわずかな数分の間に、彼女の夫がまた一つの面倒事を解決してくれたことを。できたての肉うどんを、用意した二つのどんぶりに入れて、それから自分のうどんに少々七味を入れた。もちろん、注意して入れすぎないようにした。あまり辛くすると、食べられなくなるのだ。彼女自身は辛さに少々弱いからだ。「結城さん、うどんが出来たよ」内海唯花は自分の分を持ちながらキッチンを出て、ベランダにいた結城理仁を呼んだ。返事はしないが、彼はそれを聞いてちゃんと部屋へ入ってきた。テーブルに自分のうどんがまだ出てきていないのを見て、自らキッチンに行って、自分の分を取ってきた。「七味か柚子胡椒がいるなら自分で入れてね。お姉ちゃんがくれたのよ、辛いのが好きだから」同じ母がお腹を痛めて産んだ子供なのに、姉妹二人の食べ物の好みはあまり似ていない。内海唯花は麺類を食べる時だけ少し七味を入れるが、それ以外は辛い物を食べないのだ。一方、唯月のほうは、辛くないと物足りなく感じる。お粥を食べても自家製の唐辛子ソースを入れるほどだ。家のベランダには大きな植木鉢がいくつも置かれていたが、そこには花ではなく、何種類かの唐辛子やハーブが植えられている。「七味も柚子胡椒もあまり好きじゃない」内海唯花は結城理仁を見つめながら笑った。「辛いのが苦手なの?じゃあ、今度作る料理に全部唐辛子を入れてみようかな、食べる勇気ある?」結城理仁「……」うっかりして、彼は自分の小さな弱点を口にしてしまった。顔を強張らせて黙々とうどんを食べていた結城理仁を見ると、内海唯花はつまらなくなった。この人と一緒にご飯を食べるとお喋りもできず、よく時間を無駄にするのだ。彼女は携帯を取り出し、朝ごはんを食べながらニュースを見た。こうすると朝食を食べるスピードが速くなる。あっという間にスープまで胃袋の中におさまった。携帯をしまい、自分の食器を持ってキッチンへ行こうとした時、向かいに座っていた結城理仁のどんぶりにはうどんとスープはなくなったが、肉、ネギ、白菜など全部残っていた。普段仕事が忙しい彼のことを考え、すぐお腹が空いてしまうのではないかと心配して、肉を多めに入れてあげたのに。まさか、全然食べないなんて!ネギと白菜も!
それから夫婦一緒に下へおりていき、結城理仁はジョギングに、内海唯花は電動バイクで市場へ買い物に行った。内海唯花がバイクに乗った時、結城理仁は彼女に注意した。「食材を多めに買っといて、店に持って行くといい。昼は自分で料理作ってよ、デリバリーなんか注文しないでさ」「わかったわ」「またデリバリーでも頼むとわかれば、毎日スカイロイヤルホテルに頼んでそっちに送るぞ」内海唯花は彼のほうを向き睨みつけた。「分からず屋!」結城理仁は思わず暗い顔をした。近くで通りすがったふりをしていたボディーガードがその言葉を聞いて、思わず笑い出した。その分からず屋にこれ以上話したくなくて、内海唯花は電動バイクに乗って走り出した。「聞き分けのない小娘!」彼女が遠ざかるのを見て、結城理仁は呆れたようにそう言った。内海唯花は市場で新鮮な野菜と日持ちのいい果物をたくさん買ってきて、冷蔵庫にぎっしりと詰めた。ジャガイモやかぼちゃ、苦瓜、玉ねぎなどが袋に入れ、袋を開けたままに床に置いていた。ジョギングしてから着替えをすませた結城理仁はその成果を見て、絶句した。しかし、彼は何も言わなかった。一方、内海唯花はうどんを作る準備をしていた。買ってきた牛肉を取り出し、それから二本のネギと白菜も洗った。食材の準備が出来てから鍋も取り出して洗い始めた。結城理仁はキッチンの入り口からチラッと覗き、ベランダに出て、そこのハンモックチェアに座った。ベランダに植えた元気いっぱいの植物たちを見ながら、ブランコをぶらぶらすると、確かに居心地がいいものだ。どうりで彼女は毎日暫くここに座っているわけだ。「プルルル……」結城理仁の携帯が鳴り出した。それは九条悟からの電話だった。キッチンにいる妻に聞こえないように、声を小さくして電話に出た。「理仁、奥さんのクズ親戚たちがどっかのテレビ局に頼んで、奥さんとの仲を取り持ちに行くと聞いたぞ」社長夫人に関する問題は大体九条悟が直接対処しているので、何か動きがあったら、彼が真っ先に知らせてくる。結城理仁は冷たい目で声を低くした。「まだそいつらを奈落の底まで叩き落してないのか」「まだだよ。一気にやっつけるのは簡単だが、それじゃあ生温いだろ。ゆっくり泳がせておいて、今持っているものを少しずつ失わせて、絶望させたほうが復讐
彼がもし男が好きだったら、九条悟は絶対真っ先に辞職し、彼から遠く離れるだろう。彼のアソコに障害がある?今のところはそのことにあまり興味がないから、彼女をそういう目で見ていないだけだ。もし本当に興味を持って本当の夫婦になった時、覚えていろよ!やがて、結城理仁は腰を上げて、自分の部屋に戻って行き、勢いよく扉を閉めた。ドンと大きい音がしたのは、彼が今どれほどイライラしているかを示していた。内海唯花は彼がドアを閉めてからようやく体を起こした。その紙を手に取って丸め、ゴミ箱に捨てて、小声で呟いた。「よく考えてよかった。そうじゃなきゃ、彼に負けるに決まってる」今回のことで、相手の情報を完全に把握していない時には気安く賭けなんかしない方がいい、絶対負けるからと思うようになった。自分が先に賭けを申し出て、また後悔し、前言撤回したことについて、内海唯花は全く気にしていなかった。まだ契約書にサインしていないので、後悔しても問題はない。内海唯花は鼻歌を歌いながらリビングの電気を消し、機嫌よさそうに自分の部屋に戻った。大きいベッドで携帯を暫くいじってから、シャワーを浴びて寝た。翌日、起きてからいつもの癖で厚いカーテンを開け、窓を開けると、冷たい空気が一気に入ってきた。内海唯花は体を縮めて、急いでまた窓を閉めた。空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降りそうだ。先ほどの冷たい空気が、彼女にこれから気温が下がり始めることを教えてくれた。東京とA市は大体同じ地域にあり、気候は似たようなものだ。秋が深り初冬の頃、朝と晩は常に肌寒さを感じるが、お日様が顔を少しだけ出したら温度がだんだん高くなっていき、寒さは全く感じられなくなる。気温が下がって雨も降ってくると、薄手のコートが必要だとようやく気づくのだ。一伸びしてから、内海唯花は顔を洗い、歯を磨いて着替えて部屋を出た。それからキッチンに入って結城理仁にうどんを作ってあげようとした。今日うどんが食べたいと彼が言っていたから。冷蔵庫を開けると、食材がほどんどなく、卵がいくつしか残っていないことに気付いた。彼女がよくうどんに入れるネギは、昨晩全部食べてしまった。そこで、市場へ野菜を買いに行くことにした。内海唯花がキッチンを出ると、ちょうど結城理仁が部屋から出て来た。彼は青い運動着を着て、スニー