牧野明凛はグラスを口元まで持ち上げて、ワインを一口飲んだ。「小説の読みすぎじゃない?同名同姓の人なんかそこら辺にたくさんいるわよ。同姓というなら、京都の有名な大金持ちの苗字は鈴木だよ、世の中の鈴木さんは全部彼の親戚というわけ?」牧野明凛は笑った。「それもそうだね」「うちのはただのサラリーマンで、持ってる車も250万ぐらいのホンダ車よ。結城家の御曹司もそういう車にするの?もう、考えすぎだよ」内海唯花は玉の輿なんて考えたこともなかった。夢を見るのはいいのだが、見すぎるのはよくないと思っていた。「ところで、結城家の御曹司って、そんなに女性のことを拒絶してて、ホモなんじゃ?結婚してるの?」内海唯花はそのお坊ちゃんの顔には興味なかったが、彼がそんなに女性の接近を拒絶しているのは、高潔であるか、あるいは何か問題があるか、アッチ系なのかもしれないと思っていた。「結婚の話は聞いたことないわね。私たちは庶民とはいえ、結城家の当主が結婚したら、東京中、絶対大騒ぎになるよ。ネットといい、新聞といい、彼の結婚のニュースでもちきりになるわよ。それがないってことはつまりまだ独身だってことでしょ」牧野明凛はグラスを置いた。「そうだね、何か問題があるかもしれないよね。だって、そんなに立派な男性なら、恋人がいないなんておかしいわよ」「お金持ちの考えなんて、私たちには一生わからないかもよ。もう、食べましょうよ。食べ終わったらさっさと帰りましょ」「うん」と牧野明凛が答えてから、二人はまた遠慮なくご馳走を楽しんだ。多くの人が二人のことを見た。ある人はすぐ目をそらしたが、またある人は嫌そうな顔をして、あざ笑った。どこかのご令嬢が若い使用人を連れてきて、今までろくなものを食べたことがないみたいに、一晩中ずっと隅っこで飲み食いしているなんて、はしたない。それにしても、この二人よく食べたね!「明凛姉さん」牧野のおばさんの息子である金城琉生が近づいてきた。彼は牧野明凛より三歳年下で、幼いころから仲のよかった従弟だ。親に付き合って一週挨拶回りした後、母親は突然従姉の明凛のことを思い出すと、彼に頼んで探させた。「琉生、こっちに座って」牧野明凛は椅子を引いて、従弟を座らせた。内海唯花が笑顔を見せると、金城琉生は顔を少し赤く染めて、彼女にグラスをあげ、
牧野明凛は満足そうに食べ終ると、金城琉生の話を聞いて笑い出した。「琉生、おねえさんはね、逸材な男なんかに全然興味ないのよ。今晩唯花と一緒に来て、ただ視野を広げるついでに、ご馳走を楽しんでるの。さすが七つ星のホテル、食べ物が全部おいしかったよ。私たちはもう満足したわ」金城琉生は無言になった。「......」「もう満足したし遅いから、琉生、先に唯花と一緒に帰るね。おばさんに言っておいて」それを聞いた金城琉生は少し焦った。チラッと内海唯花のことを見ながら言った。「明凛姉さん、もう帰っちゃうの?パーティーはまだまだ続くんだ。まだそんな遅い時間じゃないじゃないか。十一時まで続くらしいよ」「私たち、明日も店を開かないといけないから、夜十一時までいられないよ」と内海唯花は答えた。金城琉生も二人につれて一緒に立ち上がった。「でも、店なら少しくらい遅れてもいいんじゃないんですか」内海唯花の隣について、彼は二人の姉をもう少し引き止めようとしていた。「そうはいかないよ。うちは毎日、登校下校塾帰りのラッシュ時間に稼いでるんだよ。朝を逃したら、結構な損なんだから」牧野明凛は自分の従弟の方を叩き、からかうように笑った。「琉生、一人で楽しんでね。まだまだ子供だけど、もし好きな子が見つかったら、恋愛はどういうものか、試してもいいんだよ」またチラッと内海唯花を見た金城琉生は顔を赤らめて、はにかんだように言った。「明凛姉さん!僕まだ大学を卒業したばかりだよ。何年か働いてから結婚のことを考えるつもりだ」海内唯花は何気なく言った。「男の子なんだから、そんなに焦らなくても。まだ二十二歳でしょう。二年でも経ってからまた考えてもいいんじゃない」金城琉生がうなずくと、彼女はまた懐かしそうに声をあげた。「琉生君に出会った時、まだまだ子供だったよね。あっという間にこんなに立派になっちゃって」「......」彼はまた黙ってしまった。姉たちを止められず、金城琉生はやむを得なく二人をホテルの外まで送り出した。 「明凛姉さん、車で来たんじゃなかった?」「おばさんが迎えの車を手配してくれたよ」牧野明凛は全然気にしてなかった。「唯花とタクシーで帰るから、琉生、戻っていいよ。おばさんに言っとくのを忘れないで。じゃ、先に帰るよ、楽しんできて」ホテルの入り口にもた
東京の商業界では、結城理仁に認められようものなら、これからチート人生が送れるに違いなかった。未来が保証されるのだ。金城夫妻が息子をパーティーに連れて来るのは、子供にここで友人を作ってもらい、将来のために後ろ盾を作っておいてもらいたいからだ。「金城さん、先程は?」「姉たちを送ってきたところです」金城琉生は結城理仁の言葉を待たず、先に自分が今何をしていたのか恭しく説明した。この場を好まず、ホテルのサービスも気にくわないと結城理仁に誤解されるのを恐れたのだ。スカイロイヤルホテル東京は結城家が所有するホテルの一つだからだ。結城理仁はうんと頷いて、金城琉生の前を通り過ぎた。ただ礼儀として目の前にいた金城琉生に挨拶を交わしたかのように。まだ状況をよく把握しきれない金城琉生が知ったのはただ、大勢の人に囲まれた結城理仁がここから離れると、自分がたちまち誰にも知られないモブになってしまったことだった。結城理仁はパーティーに出る時は、ほとんど少し顔を出すだけで、長居はしないので、みんなも慣れたことだった。どの短い時間に機会を逃さず結城理仁と商売の話ができた社長たちは思わずこっそり笑みを浮かべた。これはスピードの勝負だった。チャンスをつかんだ彼らはすっかり満足したのだ。まもなく、「世田谷XXX‐777」というナンバーがついたロールスロイスが数台のガード車に守られ、スカイロイヤルホテル東京から去っていた。「若旦那様、今日はどちらへ帰られますか」運転手は車を走らせながら尋ねた。結城理仁は腕時計を見て、まだ九時だと確認した。彼にとってこの時間はあまりにも早かった。暫く考えてから決めた。「トキワ・フラワーガーデンへ」畏まりましたとドライバーが応じた。 意外なことに、内海唯花より彼のほうが先に家に帰った。誰もいない、温かさも感じられない、誰もいない小さな家だ。結城理仁はソファに座り、退屈そうにテレビを見ながら、先にホテルを出てまだ帰ってこない妻を待っていた。ボディーガードはパーティーで撮った内海唯花の行動の写真を彼の携帯に送ってきた。結城理仁は一枚ずつゆっくりと見て、この女、何年もいい物をろくに食べたことがないかのようにずっと食べていた。という結論を出した。しかし、他の男を誘うよりは、隅っこでこっそり食べているほうがましだ
「うん」 結城理仁は低い声で返事した。内海唯花は透明なビニール袋を一つ持って、近づいてきた。「おいしい納豆を買ってきましたよ。食べますか」結城理仁は思わず暗い顔をして彼女を睨んでいた。パーティーでひたすら食べていたのに、あれでもまだ満足できなかったか。どんだけ食いしん坊なんだ!「匂いはきついかもしれませんが、食べれば食べるほどおいしく感じますよ。私が大好きだったあの男性も好きでしたよ」内海唯花はそのまま結城理仁の隣に座り、ビニールを開けた。納豆の匂いが漂ってくると、結城理仁は慣れない匂いにむせないように距離を取ろうと、さりげなく少し横へ体を動かした。「好きだった男?」「一万円札のあの方ですよ」「......」お金は結城理仁にとってただキャッシュカードに表示された無意味の数字の並べでしかなかった。「一口だけ食べてみませんか。本当においしいですよ。独特な匂いだけど、私は結構好きですよ」「いらない、自分で食べてろ。それに、ベランダで食べてくれないか?俺はこういう匂いが苦手なんだ」彼のへどが出そうな顔を見ると、内海唯花は慌てて袋をもって距離をとりながら心の中で呟いていた。収入が高い人は生活も普通の人と違って、拘っているんだねと。彼女はベランダで楽しんで残った納豆をいただいた。その後姿を部屋から見ていた結城理仁は顔色をコロコロ変えたが、結局何も言わなかった。人の好みはそれぞれだから。「結城さん、今晩残業がないなら、明日はちょっと早く起きてもらえませんか」ベランダで内海唯花は部屋にいる男に問いかけた。結城理仁はしばらく無言で、やや冷たく返事した。「なんだ?」もともと無愛想な人なのでしょう。だって初めて彼に出会った時から、いつも冷たい言葉遣いをしていたから。内海唯花は思わず心の中で彼のことをツッコんだ。しかし、ただ一時的に一緒に暮らすだけだから、それができなくなったら離婚すればいいだけの話だ。「車で市場の花屋まで送ってもらいたくて。鉢植えの花を買って、ベランダで育てたいんですが、車を出してくれたら助かります」結城理仁は何も言わなかった。「もし早く起きられないんでしたら、車を貸してくれるだけでもいいですから。自分でも行けますよ」「何時?」結城理仁は少し悩んだが、結局彼女に時間
「今晩店にいなかったんですよ。友達からパーティーに一緒に来てくれって頼まれましたから、その子に付き合って行ったんです。そういえば、結城さんに聞きたいことがあるんです。答えてくれませんか。」結城理仁の向かいに腰をかけた内海唯花は大きくてきれいな目で男を見つめた。彼女は知っていた。いつも無愛想で冷たく、彼女に対する態度もあまりよくない結城理仁は心のなかに防衛線を張っていた。他の人ではなく、彼女だけを警戒していた。しかし、彼は本当に整った顔をしていた。外の一番美しい風景のようで、見ているだけでも満足が得られる。「今夜のパーティーはスカイロイヤルホテル東京でやっていました。そのホテルは東京の大富豪が経営しているそうです。今夜、その大富豪の御曹司も来ていて、彼の苗字がなんと同じ結城だそうですよ。結城さんはその大富豪家と関係ないでしょう?」結城理仁は顔色も変えず、淡々と「五百年前なら同じ釜で飯を食べたことがあるかもしれない」と答えた。内海唯花はほっとした。笑いながら言った。「そうですよね。全く関係ないんですよね」ほっとしてから嬉しそうにしていた彼女に、結城理仁は思わず問いかけた。「俺にあの家と関係があってほしくないのか?」「もう夜ですね」内海唯花はニコニコしながら言った。「寝言なら寝て言ってくださいね」「もし大富豪の結城家と関係があったら、見知らぬ私なんかと結婚するものですか。どう考えても、答えははっきりしているでしょ。私が結城家のお嫁になる可能性は毎日スカイロイヤルホテル東京へ食事をしに行くほど低いですよ。たとえ結城さんが分家の人だったとしても、釣り合わないと思って、気楽に一緒に暮らせませんよ」「あなたたちが何の関係もなくて、私たちがお互い同じレベルにいるからこそ楽なんです」結城理仁は黙っていた。「おばあさんに聞きました。大企業で働いていますよね。結城御曹司のことを知っていますか。その大富豪家のお坊ちゃまのことです。彼が今晩来た時、まるで王様が帰還したように、周りの人にちやほやされていて、私は明凛と背を伸ばしても、ひと目も見ることができなかったんですよ」結城理仁は相変わらず沈黙を貫いて、内海唯花を見つめている目がさらに冷たくなった。「その結城さんにはいつもボティーガードがついていて、若い女性が近づくのは許されていないそう
「週末にあなたの両親に会った後、実家に戻って竹を二本切って持ってきますね」 理仁は淡々と言った。「必要ない。明日人を呼んで取り付けてもらうから」 立派な結城家の長男の嫁が、ただ洗濯物を干すために、わざわざ田舎に帰って竹を二本切って持ってくるなんて、よくもそんなことを思いついたものだ。 「それでもいいですよ。それならお願いしますね」 「ここも俺の家だ」 唯花は軽く返事をし、自分の服を抱えて部屋に向かって歩きだした。ドアを開けた後、振り返って結城理仁に言った。「もしよかったら、あなたが脱いだ服も出しておいてください。私が洗濯するときに一緒に洗いますから」 「いいよ、ありがとう。明日、洗濯機を買って運んできてもらうから。二つの部屋の浴室にそれぞれ一台ずつ置くと便利だしな」 「それでもいいですよ。洗濯機を買うのにいくらかかったか、また教えてくれます?半分は私が出しますので」 彼はすでに彼女に生活費用のキャッシュカードを渡していた。彼がまた洗濯機を買うとなると、彼にそのお金全てを出してもらうわけにはいかなかった。 結城理仁は淡々と言った。「洗濯機二台なんて大した金額じゃない。せいぜい数十万円だから、俺が十分に出せる。それに、これは俺たちの家のために買う家具だし」 彼女に家計を管理できない男だと勘違いされたくなくて、彼はされに説明を加えた。「普段、俺は仕事が忙しく、朝早く出て夜遅く帰るから、服はクリーニング店に出していた。それで洗濯機を買ってなかったんだ」 彼が家計を管理できないわけではなく、ただそれほど多くのことを考えていなかっただけで、生活に何が必要かもわからなかったのだ。この三十年間、できることは自分でやるが、彼は結城家の長男として裕福な生活を送ってきたのだ。 洗濯は本当にやったことがなかった。 「わかりますよ」 唯花も、多くのエリートサラリーマンは仕事が忙しくて、日常生活の細かいことを気にしないことが多いと知っていた。 「結城さん、あなたも早く休んでくださいね」 唯花は部屋に入り、すぐにドアを閉めて鍵をかけた。 理仁は彼女が鍵をかける音を聞いて、少し寂しい気持ちになった。彼女が自分を警戒していると感じたのだ。しかし、自分も夜寝る時は部屋のドアに鍵をかけ、窓も閉めて彼女を警戒していたことを思い出し、こ
「行こう」 結城理仁は歩み寄り、淡々と言った。 内海唯花は「うん」と言いながら、彼の後をついて行った。 夫婦二人は無言で歩き続けた。唯花は話題を探そうとしたが、彼の厳しい表情が見えた。彼はいつも仏頂面で、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しているので、唯花は話しかける気を失ってしまった。 彼のような人は、学校の先生になるべきだ。あんなに厳粛なのだから、きっと子供たちを大人しくさせることができるだろう。 しばらくして市場に着いた。内海唯花は結城理仁に空いているスペースに車を駐車するように言った。車を降りた後、彼女は彼に言った。「まず朝食を食べに行きましょう」 結城理仁は何も言わず、黙々と彼女について行った。 初めて市場を歩く結城理仁はあまり慣れていなかったが、内海唯花に違和感を悟られないように彼女の歩調に合わせて歩いていた。 二人は店でそれぞれ春雨スープを注文し、唯花はさらに朝から餃子を追加注文した。彼女はよく食べるので、春雨スープだけでは満足できなかった。 結城理仁はゆっくりと食べていた。内海唯花は彼の食べ方がとてもきれいだと思い、彼が食事をしている様子を見ていると、ますます食欲が湧いてきた。もし結城理仁に食べ過ぎだと嫌われるのが怖くなければ、彼女はさらに茶碗蒸しとアップルパイも注文していたところだ。 「お腹がいっぱいになっていないなら、食べたいものを何でも注文すればいい」 結城理仁は彼女がまだ食べたいと思っているのを察した。あの食欲では、春雨スープと餃子だけでは、到底満腹にはならないだろう。 昨夜のパーティで、彼女はずっと一時間以上も食べ続けていた。 それでもなお、彼女は外で納豆を買って家で食べた。 彼女はスリムで、標準的なモデルの体つきだ。これほどよく食べるのに、摂取した栄養はどこへ行ったのだろう。 「お腹いっぱいですよ。ただ、あなたが食べているのを見てると、またお腹が空いてくるんです」 結城理仁は眉をひそめた。 「えへへ、怒らないでくださいね。あなたの食べ方がすごくきれいで見ていると、まるで山海の珍味を食べているように感じるんです。それでつい食べたくなっちゃうんですよね」 結城理仁は彼女をちらっと見て、何も言わず頭を下げて春雨スープを食べ続けた。 彼は慣れていないので、こんなにゆっく
結城理仁はずっと彼女がじっくり選び、花屋の店長と値引き交渉しているのを見ていた。ひと鉢千円の花が彼女の手によって半額になる様を。彼女に売らなければこの花が売れ残ってしまうような錯覚を、彼女は店長に植え付けていた。結城理仁にとってはこの上もなく新鮮な光景だった。 このお坊ちゃまは、買い物する時に一度も価格を見たこともなければ、値段交渉などもってのほかだった。 まさか彼の妻が値引き交渉の達人だったとは。花屋の店長と同じように深手を負った戦士のような気分になり結城理仁も笑いたくなってしまった。 お金を払い、内海唯花は買った鉢植えの花を一つずつ結城理仁の車に運んでいった。 結城理仁は最初横で見ていたのだが、女性一人に鉢植えを運ばせて彼は車の横で立っているだけだなんて非常に目ざわりだろう。そして彼は内海唯花の花を運ぶのを手伝い、全ての花を車に積むと、彼の車は花たちでいっぱいになってしまった。 幸い花屋の店長が彼らに車の座席に敷くための紙をくれたので、車の座席を汚さずに済んだ。 「他に何か必要なものはあるか?」 結城理仁は車に乗りながら妻に尋ねた。 「車はもういっぱいだから、他のものは載せられないでしょう。今日はやめておきます。家のことは一日や二日でなんとかできるものじゃないし、時間があるときにまたゆっくり買い揃えていきますよ」 内海唯花はシートベルトを締めると、携帯を取り出して時間を見て彼に言った。「私は先に帰りますね。あとで姉の家にいかないといけませんから」 結城理仁は黙ったまま車を運転し始めた。 「結城さん」 「なんだ」 「週末はおばあちゃんとあなたのご両親が来るんですよね。私も姉に声をかけて姉夫婦も一緒に食事をしてもいいでしょうか。私にとって家長は姉と義兄なんです。私たち結婚したんですから。私たちの仲がどうとかそういうのは関係ないんです。ご家族に会うなら、お互いの家の家長が会ったほうがいいでしょう?」 道端で偶然会った時にお互い知らないなんて、そんな馬鹿な話はなかった。 内海唯花には田舎に祖父母やおじさんたちがいるのだが、彼らは彼女たち姉妹のことを嫌悪していた。両親が交通事故で他界した後、彼らの中にこの二人を喜んで養ってくれる人など一人もいなかった。それだけでなく両親が命と引き換えに残してくれた賠償金の一部も持
佐々木母はまた離婚協議書を取り、何回もよく見返した。唯月に分ける金額を見るたびに、胸が締め付けられるような顔をして言った。「半分分けるって言ったでしょ?この金額おかしいよ」「家と車は唯月が要らないって言ったから、別に彼女に補償金を払わなきゃ。全部合わせると、この金額なんだ」佐々木母「……じゃ、家のリフォーム代は?」俊介は答えた。「含めてないよ。俺はもうあいつに言ったんだ。リフォーム代は絶対返さないって」それを聞いて佐々木母はようやく気が少し楽になった。「リフォームにも数百万かかったから、これを請求してこないなら、うちは幾分かマシね」少なくとも、そこまで気が病まなかった。「俊介、唯月はどうやってこの証拠を集めたんだ?」佐々木父は息子の嫁にそんなツテはないはずだと思った。「もしかして、誰かが手伝ってあげたんじゃないか」「聞いたけど、答えてくれなかったんだ。一体誰に手伝ってもらったのか、俺もさっぱりわからない。ここまでできる人物は絶対相当な厄介者だぞ。俺にとっても爆弾みたいな危険な者だから、父さん、怖くないわけがないだろう。だから、妥協しかないんだ」佐々木母もようやく状況を把握して、疑いながら言った。「唯花夫婦がやったんじゃない?」「陽の一件では、唯月はこんなもん出してなかったから、あの時はまだ持ってなかったはずだ。たった数日でこれだけの証拠を集めてきた。きっと短期間で集めたものだろう。唯花の夫の家族には確かに人が多いけど、皆一般人なんだ。そんな能力はないはずだ。母さん、そんなに心配しなくてもいい。俺らが唯月の要求を受け入れれば、きっと大丈夫だろう。唯月も離婚協議書に、離婚後俺に絶対また報復したりしないと書いてるし」俊介の両親はまた黙り込んだ。俊介は時間を確認してから、彼ら二人に言った。「父さん、母さん、もう帰らないと。明日も仕事だ。午後になったら休暇を取って離婚の手続きをしに行く予定だから」二人は黙っていた。俊介はまた少し座ってから、帰って行った。彼が帰った後、佐々木母は夫に行った。「あなた、本当にこのまま俊介たちを離婚させる気なの?もう止められないの?」離婚しなかったら、お金を分ける必要もないし、孫もそのまま佐々木家の子だ。息子と唯月も夫婦のままなのだ。「俊介がもう決めただろう?俺らはどうしようもない
「あれは子供同士の喧嘩でしょう。偶然の出来事で、大したことじゃなかったのに。陽ちゃんのことを任せてくれたら、二度とあんなことは起きないと約束するから」佐々木母は心を痛めたように諭した。「俊介、離婚をやめましょう。母さんは耐えられないわ」彼女は子供同士の喧嘩が、孫の親権がどちらにつくか影響が出るとは思ってもみなかったのだ。彼女はこの年になるまで、一度も離婚のために裁判をする人を見たことがなかった。周りの人達が離婚すると決めたら、いつも女性のほうが荷物とともに家から出され、家も車も子供までも全部男側に残るのが普通だった。「確かに子供同士の喧嘩だけど、問題を起こしたことは事実だ。他人から見ると、陽がうちに残ったら、成長によくないと思うだろうな」俊介はゆっくりと両親を説得しようとしていた。「母さん、俺はもう唯月のことが愛せないんだ。向こうもそうだぞ。無理に一緒にいても幸せになれないんだ。このまま長引いてもみんな一緒に苦しむだけなんだ。それに、唯月ももう我慢できないと言ってた。離婚しか選択肢はないだろう。俺はもう決めたんだ。今回帰ったのは、ただ母さんたちに知らせるためだったんだよ」莉奈が言った通り、これは彼と唯月のことだから、彼が決めればいい話だ。その決定を親にひとこと言えば十分だ。佐々木母は泣きそうになった。そして、彼女は夫を叩いた。「あなた、何か言ってよ。だめよ。私は今から英子に電話する。英子に来てもらって説得してもらいましょ」彼女は言いながら電話しようとしたが、夫に止められた。「英子に任せたら、ただ問題を大きくするだけだぞ!」佐々木父は怒ったように言ってから、また息子に尋ねた。「どうしても離婚するか?あの写真やらなんやら、本当にお前にひどい影響が出るのか?」自分の息子のことだから、よくわかっている。もし脅されなかったら、息子はここまで譲って、唯月の言う通りにするわけがない。「お父さん、もし唯月がこれを全部うちの社長に渡したら、俺はもう終わりだ。こんな感情もない婚姻を終わらせることで、俺の将来が守れると思ったらいい話じゃないか」佐々木父は黙った。佐々木母は相変わらず罵っていた。「あの女、本当にひどいよ。あなたの将来を潰して、彼女に何が得られるの?」「俺は彼女を苦しめたから、彼女はやり返しただけだろう。
それを聞いた佐々木父は大体状況を把握した。きっと唯月と離婚するためのことだろう。佐々木母は息子のご飯を持ってきた。「先に言ってくれなかったから、あなたの分は準備してなかったのよ。残りはこれしかないよ。本当は犬にやろうと思ってたんだけど、あんたが食べちゃって。もし足りなかったら、またうどんを作ってあげるよ」「母さん、これで十分だよ」家に入ってから、俊介はただ母親が彼に食器を取ってあげたり、ご飯をついであげたりするのを任せっきりにしていた。当たり前のように、母からの世話を受けている。三人一緒に夕食を済ませると、俊介はあの黄色いファイルを父親に渡した。「これは何だ?」佐々木父は訝しそうな顔をしていたが、手を伸ばしてファイルを受け取り、開けて中から一束のプリントと写真を取り出した。佐々木母も近づいて覗いた。見ているうちに、夫婦二人とも眉をひそめた。「俊介、これほどのお金をこっそりもらったの?」佐々木母が一番驚いたのは息子がこれほどお金を持っていることだった。佐々木父は眉をひそめながら息子に尋ねた。「この資料は唯月に渡されたのか?」俊介は頷いた。「彼女は一体何をしたいんだ?」「俺の全財産がいくらあるか、あいつはすでに把握しているんだ。これらの証拠を持って離婚訴訟でも起こされたら、俺の財産の半分を彼女に渡さなければならないんだ」佐々木父は暗い顔をした。息子が実際どれだけのお金を持っているか彼は知らないが、結構早い段階でもう唯月を騙していたのはちゃんと知っていた。「どうしても半分渡すしかないのか?」それを聞いた佐々木母は声を上げた。「つまり、彼女に二千万くらい分けなければってこと?」「うん、大体二千万くらいだな」佐々木母は自分の心が抉られるような痛みを耐えている様子の表情で言った。「こんなことだったら、最初から彼女に四百万渡しておけばよかったじゃない?」そう言いながら、彼女はまた息子に一発ビンタをお見舞いした。「俊介!こんな重要なこと、どうして先に言ってくれないの?そんな大金を隠し持っているのを知っていたら、唯月に四百万渡させたのに。そうすれば、損はここまで大きくならなかったでしょ」「母さん、今になって何を言っても駄目だよ。唯月はもう絶対黙ってないんだぜ。あいつが以前何をしていたかもう忘れた?彼女
理仁は木村からその袋を受け取った。その中には二つの精巧な箱が二つ入っていた。彼はそのうちの一つを取り出した。悟は馬鹿ではない。これがおばあさんが自分のものから一番良いのを選んで、理仁に唯花を喜ばせるために渡したものだとすぐ理解した。理仁には彼の婚姻を順調に進められるように一から手伝ってくれるおばあさんがいることを、悟は羨ましく思った。それに、おばあさんのことを結城家では誰もが心から尊敬しているのだ。だから、彼女が理仁に唯花をスピード結婚の相手として紹介してあげても、誰も止めようとしなかった。このようなおばあさんが、悟も欲しいと思った。残念なことに、彼のおばあさんはもう亡くなっているのだ。「じゃ、先に仕事に戻るぞ」悟はもうこれ以上親友に刺激されたくなかった。これは羨ましくても仕方がないことなのだ。彼はソファーから腰を上げて、木村と一緒にオフィスを出ていった。理仁はおばあさんが送ってきたエタニティリングを確認してから、携帯を取り出しおばあさんに電話をかけた。「ばあちゃん、送ってきた二つのエタニティリングのことだが、俺がお金を出してばあちゃんから買うよ。俺たちの結婚指輪なんだから。ばあちゃんに送ってもらうわけにはいかないだろう」おばあさんは笑った。「わかったわ。理仁は私の孫だから、安く売ってあげるわ。一つ百円、二つまとめて百円玉二枚くれるだけでいいわよ」「ばあちゃん!」理仁は困ったように低い声で文句を言った。「唯花さんに知られたら、これをどこぞの道端の屋台で買ったおもちゃだと思うかもしれん」おばあさんは笑った。「わかったわ。じゃ、適当にお金を払ってちょうだい。いくら払ってもおばあちゃんは文句言わないよ」孫が払ってくれたお金は、将来ひおばあさんになったら、ご褒美としてまた唯花に返したらいいことなのだ。そのお金は、最終的にまたこの夫婦のものになるのだ。「ばあちゃん、ありがとう!」「このありがとうは、何に対して言ってくれたの?」「ばあちゃんはどう思う?解釈はばあちゃんに任せる」おばあさんは満足そうにニコニコしながら電話を切った。機嫌がいい時、何をやっても元気いっぱいだ。そして、時間の経つのもとても早く感じる。昼ご飯を食べたばかりなのに、あっという間に晩ご飯の時間になったようだ。佐
実は、彼は言葉より行動だというのを信じていた。行動で彼女に自分の愛を示すのは、口で甘い言葉をかけるより簡単なのだ。もちろん、もし唯花が甘い言葉をご所望なら、どう反抗的な感情が浮かんでも、ちゃんと努力して応えるつもりだ。その時、悟は立ち上がり、上半身を乗り出して小声で親友に言った。「牧野さんのことを聞いてくれよな」理仁は片手で悟の乗り出してきた体を軽く押しのけ、それから唯花と暫くお喋りしてから、ようやく悟のために状況を尋ねた。「唯花さん、牧野さんは午後店に来るの?俺の同僚が彼女が病気になったのが気になって、お見舞いに行きたいって」唯花は答えた。「来てないよ。熱が完全に下がるまで家で休むように言ってあげたの。同僚さんが明凛に会いたいの?じゃ、直接電話して誘ってもいいのよ」「牧野さんは風邪を引いてるだろ。今日も突然寒くなったし、もし彼女を誘って外へ出て、風邪をこじらせたら、同僚はきっと自分を責めると思う。じゃあ、牧野さんが治って仕事に戻ったら俺に教えて。そしたら同僚に伝えるから」「わかった。理仁さん、あのさ、この二人うまくいきそうなのかな?」唯花も初めて誰かのために恋のキューピット役をするものだから、自分が結んだ縁がちゃんと実るのを心から願っているのだった。「牧野さんが同僚に好意を持ってるかどうか、まだ唯花さんに言ってない?同僚のほうはかなり牧野さんに好意をもっているから。結婚を前提に付き合ってみたいと思ってるぞ」「この間、明凛に聞く時間がなかったから、後で聞いてみる。明凛はとてもいい子だから、同僚さんが彼女を好きになるのは当然だよ」唯花から見ると、明凛はとても素敵な女性だった。理仁はただ笑っていて、何も言わなかった。妻には伝えなかったが、悟が明凛に興味を持ったのは、大塚夫人の誕生日パーティーで何も構わず床に寝転ぶというとんでもないことをしでかしたからだ。「じゃあ、理仁さん、電話を切るね、そろそろ仕事を始めようと思って」「うん、無理しないでね。夜八時頃にちゃんと家に帰って」理仁は念を押した。「君の夫は自分の家庭も妻である君のことも、ちゃんと養えるんだぞ」「養ってもらわなくてもいいの。ちゃんと自分のお金でも生活できるし。でも、あなたがお金を私に預けてくれるなら、遠慮せず受け取るけど」姉の結婚がハチミツの
そもそも、初めから唯花に理仁が結城家の御曹司だということを知られていたら、彼とスピード婚をするはずがない。つまり、結城家はおばあさんをはじめ、全員一緒に唯花を騙していたということだ。悟は思わず心の中で呟いた。この一家本当に意地悪だな。孫にいい嫁と結婚させたいと思ったからだとしても、このような人を騙す方法を取るべきではないじゃないか。すると、彼自身も明凛に身分を打ち明けていないことを思い出し、急に焦りだした。次に明凛に会ったら、自分が実は九条家の者であることをきちんと伝えようと決めた。理仁の失敗の二の舞を演じないために。「ちゃんとしろよ。俺は君じゃないから、代わりに決めることなんかできないしさ。ただ、奥さんも結構頑固な性格をしているから、下手すると、本当に別れるかもしれないぞ」それを聞いて、理仁の顔が青ざめた。彼が一番恐れているのは、唯花が彼と縁を切ることだった。だから、二人の仲がもっと深まって、彼女が彼と別れるのが嫌になるようになってから、真実を伝えたほうが一番だと理仁は思っていた。実際に、彼は彼女に探りを入れたこともあったが、彼女は全く彼が億万長者の結城社長だということを信じていなかった。もし、今すべてのことを教えてしまって、彼女が荷物をまとめてそのまま離れていったらどうする?「まあ、そこまで悲観しなくてもいいと思うよ。奥さんはもう君のことを好きになってるだろ。ただ最近思いがけないことが起こりすぎて、君とゆっくり恋を味わう余裕がないだけさ。お前が先に積極的になって、もっと彼女に尽くせば、誰だって感動して、絶対許してくれるよ。それに、お前が当時決めたことも、ちゃんと理解してくれるだろう。だって、あの時、お前たちは赤の他人でしかなかったんだからさ」悟は理仁を慰めた。理仁と知り合ってここまできて、彼が一人の女性を失うのを恐れ、顔が青ざめるほど焦っているのを初めて見たのだ。理仁はため息をついた。「努力はしてみる」「それで?本当に出張に行くか?行きたいなら、俺が行く予定の仕事を君に任せるよ。ちょうど俺たちが処理しなければならない重要な仕事があるんだ」「じゃ俺が行こう。その間、どうすれば妻をあまり怒らせないようにできるか、ちゃんと考える」悟は笑った。「じゃ、俺は少し休めるね。俺はまだたくさんの有給を取って
「どう返事した?」「どうって、直接お宅の息子さんがうちの社長の女を取ろうとしたからだって言うわけないだろう?それに、これはお前自身の事だ、自分で何とかしろよ。木村さんに時間を調整するように頼んでおくから。自分で金城社長に会ってくれ」理仁は淡々と返事した。「年が明けてからまた考える。数日後には出張する予定なんだ」悟はポカンとして、自分の耳を疑った。「出張?どこに行くんだ?奥さんと離れるのが嫌じゃなかったの?今まさに絶賛仲良くなり中だろ?」暫く無言になった理仁はまた口を開けた。「今教えてもいい、どうせすぐ秘密じゃなくなるからな」何か耳より情報があるということか。噂好きの頂点に立つ悟はすぐ耳を澄ませて、興味津々といった様子で笑いながら尋ねた。「どういうこと?」「神崎夫人がずっと捜している妹さんは、俺の義母さんかもしれん」悟はまたポカンとした。「……お前にお義母さんはいないだろう?いや、そういう意味じゃなくて、とっくに亡くなってるんじゃなかった?」「確かに十数年前に亡くなったが、彼女に姉がいても別に可笑しいことじゃないだろう?」悟は言葉に詰まった。神崎夫人が妹を長い間捜しているのは星城の上流社会では誰もが知ることだ。玲凰はかつて弦に助けを求めたこともある。しかし、手がかりがあまりにも少なすぎるのと、悟が結城グループで理仁のために働いていて、玲凰が理仁のライバルだというのも考えて、弦はその依頼を断ったのだ。「もし、お義母さんが本当に神崎夫人が捜してる妹さんだったら、奥さんは神崎夫人の姪っ子ってこと?姪っ子の夫としてのお前を、神崎姫華さんは死ぬほど愛していたって……」人間関係の図がはっきりした悟は太ももを叩きながら笑った。「ハハハハ、理仁、この後どうやって片付けるんだ」理仁は素早く手近にあるものを取り、何であろうとも気にせず、悟に投げつけた。「黙れ、出て行け!」「もうちょっと笑わせろよ。理仁、今夜帰ったら奥さんにすべてを打ち明ければいいじゃないか」もうここまできたのだ。理仁が一体何をためらっているのか悟はさっぱり理解できないのだ。夫婦二人の仲はすでによくなってきた。身分を隠して、唯花の人柄を見てみるということも、ちゃんと目的を果たしたのに。「怖いんだ!」全てを打ち明けると、唯花を失うんじゃないか
唯花がちゃんと彼のことを重視してくれているのに気づき、理仁は優しい声で言った「今夜は接待があって、遅く帰るかもしれないんだ。だから俺を待たなくてもいいよ。早く休んでね。だけど、俺の部屋で寝てくれ」最後まで言い終わると、彼のその端正な顔が少し赤くなった。以前、彼が彼女に「俺の部屋に一歩も入るな」と言ったことを思い出したからだ。しかし、今は彼の方が彼女に自分の部屋で寝るように言ってくるようになった。唯花は微笑んだ。「わかったわ。ドアの鍵を開けておくね。さあ早く中に入って、ここにいたら寒いでしょ」理仁は名残惜しそうにしながら、ようやく会社へ戻っていった。唯花は彼の後ろ姿が遠くなるまで見守って、ようやく車に乗り、その場を去った。会社に入ると、理仁はロビーにいる悟がニコニコしながら彼を見つめているのに気づいた。理仁「……」この噂好きめ!彼は悟をチラッと睨んで、彼を無視して中へ歩いて行った。悟は全くそれを気にせず、彼の後ろについてエレベーターに乗った後、からかうように彼に言った。「理仁、お前、今自分がどんなふうに見えるのか知ってる?金魚のフンだぞ、奥さんの後ろにうろうろくっついてさ」理仁はまた彼を睨んだ。「独身のやつはきっと俺が今どれほど幸せなのか知らないだろうな」悟「……」「牧野さん、今日は風邪を引いたって言っただろう。暇があればお見舞いに行ったらどうだ?」「行きたいけど、母親が傍にいるって彼女が言ったんだ。まだ家族に会う段階じゃないから、諦めた。もし彼女が今店にいたら、まあ、直接会いに行くけど」親友の幸せそうな様子に刺激された悟は、明凛にアピールしようと決めた。彼女は彼が初めて興味を持った女性だから。明凛のその思い切ってやってやろうという勇敢さがとても気に入っていたのだ。「理仁、ちょっと奥さんに聞いてくれない?牧野さんは店に行ったかどうかをさ」悟も行動派だった。何かやりたいと思ったらすぐ行動に移すタイプだ。直接牧野家に行けなくても、店になら行くことができる。しかし、理仁は全く相手にしなかった。悟は肘で彼を突きながら言った。「聞いてる?君なら恋のキューピットになってくれるだろ?今から行動しようと思ってるのにさ、応援してくれない?」今回理仁はじっと彼を睨みつけ、むっとした声で言った。「妻
「義姉さんは離婚したばかりで、仕事もそこまで安定してないだろう。家を借りるなら、俺たちが先に礼金や敷金を立て替えてあげよう」実は理仁は義姉である唯月たち親子に一軒家をプレゼントしたいと思っていた。唯月は妻の家族の中で最も親しい存在だから、彼女を適当に扱いたくなかった。しかし、今はそうすることができないのだ。この姉妹の性格を考えると、たとえ彼がプレゼントしようとしても、義姉はきっと受け取らないだろう。「お姉ちゃんは佐々木俊介から二千万くらいもらえるから、絶対そんなことなんてさせてくれないよ」姉妹二人は小さい頃からお互いに支え合ってここまできたが、これを当たり前のことだとは決して思っていない。姉妹二人はどちらも一方的に相手に甘えて、全く努力しないのではなく、本当の意味でお互いに支え合っているのだ。理仁はこれ以上何も言わなかった。間もなく、彼らは結城グループに戻った。理仁は車を止めて、彼女のほうへ視線を向けた。唯花も彼を見つめて、笑いながら尋ねた。「会社に着いたよ、まだ行かないの?こうやって私を見つめてどうするの?」理仁はただ彼女を見つめていた。唯花はしばらく考えてから身を乗り出して、彼の首に腕を回し、彼を引き寄せて、その唇に軽くキスをした。理仁はこんな子供のようなキスでは満足せず、逆に主導権を奪い、甘いディープキスを返してきた。そしてようやく離れると、理仁は名残惜しそうに車を降りた。夫婦二人の感情はまだ上昇期であった。恋をした経験のない理仁は本音を言うと、金魚のフンみたいにずっと唯花の後ろについて一刻も離れたくなかった。残念なことに、彼は金魚のフンにはどう頑張ってもなれないのだ。「今日はもう店を閉めただろう。だったらこのまま家に帰ってゆっくり休んで」「まだ作り終わってないハンドメイドが残ってるから、店に帰ってそれを作るの。それに、夕方になるとまたお客さんが来るかもしれないし」最近では期末試験が迫っていて、文具と本を買う学生も増えていた。冬休み前になると、多くの高校生たちが自分で冬休み用の練習問題を買う。唯花の店にはそのようなドリル集が置いてあるので、よくこの時期に店に来るのだ。店を開けないと、お客さんが他の店に取られてしまい、彼女は多くの損をするのだ。理仁「……」「わかったよ、自分の