牧野明凛はグラスを口元まで持ち上げて、ワインを一口飲んだ。「小説の読みすぎじゃない?同名同姓の人なんかそこら辺にたくさんいるわよ。同姓というなら、京都の有名な大金持ちの苗字は鈴木だよ、世の中の鈴木さんは全部彼の親戚というわけ?」牧野明凛は笑った。「それもそうだね」「うちのはただのサラリーマンで、持ってる車も250万ぐらいのホンダ車よ。結城家の御曹司もそういう車にするの?もう、考えすぎだよ」内海唯花は玉の輿なんて考えたこともなかった。夢を見るのはいいのだが、見すぎるのはよくないと思っていた。「ところで、結城家の御曹司って、そんなに女性のことを拒絶してて、ホモなんじゃ?結婚してるの?」内海唯花はそのお坊ちゃんの顔には興味なかったが、彼がそんなに女性の接近を拒絶しているのは、高潔であるか、あるいは何か問題があるか、アッチ系なのかもしれないと思っていた。「結婚の話は聞いたことないわね。私たちは庶民とはいえ、結城家の当主が結婚したら、東京中、絶対大騒ぎになるよ。ネットといい、新聞といい、彼の結婚のニュースでもちきりになるわよ。それがないってことはつまりまだ独身だってことでしょ」牧野明凛はグラスを置いた。「そうだね、何か問題があるかもしれないよね。だって、そんなに立派な男性なら、恋人がいないなんておかしいわよ」「お金持ちの考えなんて、私たちには一生わからないかもよ。もう、食べましょうよ。食べ終わったらさっさと帰りましょ」「うん」と牧野明凛が答えてから、二人はまた遠慮なくご馳走を楽しんだ。多くの人が二人のことを見た。ある人はすぐ目をそらしたが、またある人は嫌そうな顔をして、あざ笑った。どこかのご令嬢が若い使用人を連れてきて、今までろくなものを食べたことがないみたいに、一晩中ずっと隅っこで飲み食いしているなんて、はしたない。それにしても、この二人よく食べたね!「明凛姉さん」牧野のおばさんの息子である金城琉生が近づいてきた。彼は牧野明凛より三歳年下で、幼いころから仲のよかった従弟だ。親に付き合って一週挨拶回りした後、母親は突然従姉の明凛のことを思い出すと、彼に頼んで探させた。「琉生、こっちに座って」牧野明凛は椅子を引いて、従弟を座らせた。内海唯花が笑顔を見せると、金城琉生は顔を少し赤く染めて、彼女にグラスをあげ、
牧野明凛は満足そうに食べ終ると、金城琉生の話を聞いて笑い出した。「琉生、おねえさんはね、逸材な男なんかに全然興味ないのよ。今晩唯花と一緒に来て、ただ視野を広げるついでに、ご馳走を楽しんでるの。さすが七つ星のホテル、食べ物が全部おいしかったよ。私たちはもう満足したわ」金城琉生は無言になった。「......」「もう満足したし遅いから、琉生、先に唯花と一緒に帰るね。おばさんに言っておいて」それを聞いた金城琉生は少し焦った。チラッと内海唯花のことを見ながら言った。「明凛姉さん、もう帰っちゃうの?パーティーはまだまだ続くんだ。まだそんな遅い時間じゃないじゃないか。十一時まで続くらしいよ」「私たち、明日も店を開かないといけないから、夜十一時までいられないよ」と内海唯花は答えた。金城琉生も二人につれて一緒に立ち上がった。「でも、店なら少しくらい遅れてもいいんじゃないんですか」内海唯花の隣について、彼は二人の姉をもう少し引き止めようとしていた。「そうはいかないよ。うちは毎日、登校下校塾帰りのラッシュ時間に稼いでるんだよ。朝を逃したら、結構な損なんだから」牧野明凛は自分の従弟の方を叩き、からかうように笑った。「琉生、一人で楽しんでね。まだまだ子供だけど、もし好きな子が見つかったら、恋愛はどういうものか、試してもいいんだよ」またチラッと内海唯花を見た金城琉生は顔を赤らめて、はにかんだように言った。「明凛姉さん!僕まだ大学を卒業したばかりだよ。何年か働いてから結婚のことを考えるつもりだ」海内唯花は何気なく言った。「男の子なんだから、そんなに焦らなくても。まだ二十二歳でしょう。二年でも経ってからまた考えてもいいんじゃない」金城琉生がうなずくと、彼女はまた懐かしそうに声をあげた。「琉生君に出会った時、まだまだ子供だったよね。あっという間にこんなに立派になっちゃって」「......」彼はまた黙ってしまった。姉たちを止められず、金城琉生はやむを得なく二人をホテルの外まで送り出した。 「明凛姉さん、車で来たんじゃなかった?」「おばさんが迎えの車を手配してくれたよ」牧野明凛は全然気にしてなかった。「唯花とタクシーで帰るから、琉生、戻っていいよ。おばさんに言っとくのを忘れないで。じゃ、先に帰るよ、楽しんできて」ホテルの入り口にもた
東京の商業界では、結城理仁に認められようものなら、これからチート人生が送れるに違いなかった。未来が保証されるのだ。金城夫妻が息子をパーティーに連れて来るのは、子供にここで友人を作ってもらい、将来のために後ろ盾を作っておいてもらいたいからだ。「金城さん、先程は?」「姉たちを送ってきたところです」金城琉生は結城理仁の言葉を待たず、先に自分が今何をしていたのか恭しく説明した。この場を好まず、ホテルのサービスも気にくわないと結城理仁に誤解されるのを恐れたのだ。スカイロイヤルホテル東京は結城家が所有するホテルの一つだからだ。結城理仁はうんと頷いて、金城琉生の前を通り過ぎた。ただ礼儀として目の前にいた金城琉生に挨拶を交わしたかのように。まだ状況をよく把握しきれない金城琉生が知ったのはただ、大勢の人に囲まれた結城理仁がここから離れると、自分がたちまち誰にも知られないモブになってしまったことだった。結城理仁はパーティーに出る時は、ほとんど少し顔を出すだけで、長居はしないので、みんなも慣れたことだった。どの短い時間に機会を逃さず結城理仁と商売の話ができた社長たちは思わずこっそり笑みを浮かべた。これはスピードの勝負だった。チャンスをつかんだ彼らはすっかり満足したのだ。まもなく、「世田谷XXX‐777」というナンバーがついたロールスロイスが数台のガード車に守られ、スカイロイヤルホテル東京から去っていた。「若旦那様、今日はどちらへ帰られますか」運転手は車を走らせながら尋ねた。結城理仁は腕時計を見て、まだ九時だと確認した。彼にとってこの時間はあまりにも早かった。暫く考えてから決めた。「トキワ・フラワーガーデンへ」畏まりましたとドライバーが応じた。 意外なことに、内海唯花より彼のほうが先に家に帰った。誰もいない、温かさも感じられない、誰もいない小さな家だ。結城理仁はソファに座り、退屈そうにテレビを見ながら、先にホテルを出てまだ帰ってこない妻を待っていた。ボディーガードはパーティーで撮った内海唯花の行動の写真を彼の携帯に送ってきた。結城理仁は一枚ずつゆっくりと見て、この女、何年もいい物をろくに食べたことがないかのようにずっと食べていた。という結論を出した。しかし、他の男を誘うよりは、隅っこでこっそり食べているほうがましだ
「うん」 結城理仁は低い声で返事した。内海唯花は透明なビニール袋を一つ持って、近づいてきた。「おいしい納豆を買ってきましたよ。食べますか」結城理仁は思わず暗い顔をして彼女を睨んでいた。パーティーでひたすら食べていたのに、あれでもまだ満足できなかったか。どんだけ食いしん坊なんだ!「匂いはきついかもしれませんが、食べれば食べるほどおいしく感じますよ。私が大好きだったあの男性も好きでしたよ」内海唯花はそのまま結城理仁の隣に座り、ビニールを開けた。納豆の匂いが漂ってくると、結城理仁は慣れない匂いにむせないように距離を取ろうと、さりげなく少し横へ体を動かした。「好きだった男?」「一万円札のあの方ですよ」「......」お金は結城理仁にとってただキャッシュカードに表示された無意味の数字の並べでしかなかった。「一口だけ食べてみませんか。本当においしいですよ。独特な匂いだけど、私は結構好きですよ」「いらない、自分で食べてろ。それに、ベランダで食べてくれないか?俺はこういう匂いが苦手なんだ」彼のへどが出そうな顔を見ると、内海唯花は慌てて袋をもって距離をとりながら心の中で呟いていた。収入が高い人は生活も普通の人と違って、拘っているんだねと。彼女はベランダで楽しんで残った納豆をいただいた。その後姿を部屋から見ていた結城理仁は顔色をコロコロ変えたが、結局何も言わなかった。人の好みはそれぞれだから。「結城さん、今晩残業がないなら、明日はちょっと早く起きてもらえませんか」ベランダで内海唯花は部屋にいる男に問いかけた。結城理仁はしばらく無言で、やや冷たく返事した。「なんだ?」もともと無愛想な人なのでしょう。だって初めて彼に出会った時から、いつも冷たい言葉遣いをしていたから。内海唯花は思わず心の中で彼のことをツッコんだ。しかし、ただ一時的に一緒に暮らすだけだから、それができなくなったら離婚すればいいだけの話だ。「車で市場の花屋まで送ってもらいたくて。鉢植えの花を買って、ベランダで育てたいんですが、車を出してくれたら助かります」結城理仁は何も言わなかった。「もし早く起きられないんでしたら、車を貸してくれるだけでもいいですから。自分でも行けますよ」「何時?」結城理仁は少し悩んだが、結局彼女に時間
「今晩店にいなかったんですよ。友達からパーティーに一緒に来てくれって頼まれましたから、その子に付き合って行ったんです。そういえば、結城さんに聞きたいことがあるんです。答えてくれませんか。」結城理仁の向かいに腰をかけた内海唯花は大きくてきれいな目で男を見つめた。彼女は知っていた。いつも無愛想で冷たく、彼女に対する態度もあまりよくない結城理仁は心のなかに防衛線を張っていた。他の人ではなく、彼女だけを警戒していた。しかし、彼は本当に整った顔をしていた。外の一番美しい風景のようで、見ているだけでも満足が得られる。「今夜のパーティーはスカイロイヤルホテル東京でやっていました。そのホテルは東京の大富豪が経営しているそうです。今夜、その大富豪の御曹司も来ていて、彼の苗字がなんと同じ結城だそうですよ。結城さんはその大富豪家と関係ないでしょう?」結城理仁は顔色も変えず、淡々と「五百年前なら同じ釜で飯を食べたことがあるかもしれない」と答えた。内海唯花はほっとした。笑いながら言った。「そうですよね。全く関係ないんですよね」ほっとしてから嬉しそうにしていた彼女に、結城理仁は思わず問いかけた。「俺にあの家と関係があってほしくないのか?」「もう夜ですね」内海唯花はニコニコしながら言った。「寝言なら寝て言ってくださいね」「もし大富豪の結城家と関係があったら、見知らぬ私なんかと結婚するものですか。どう考えても、答えははっきりしているでしょ。私が結城家のお嫁になる可能性は毎日スカイロイヤルホテル東京へ食事をしに行くほど低いですよ。たとえ結城さんが分家の人だったとしても、釣り合わないと思って、気楽に一緒に暮らせませんよ」「あなたたちが何の関係もなくて、私たちがお互い同じレベルにいるからこそ楽なんです」結城理仁は黙っていた。「おばあさんに聞きました。大企業で働いていますよね。結城御曹司のことを知っていますか。その大富豪家のお坊ちゃまのことです。彼が今晩来た時、まるで王様が帰還したように、周りの人にちやほやされていて、私は明凛と背を伸ばしても、ひと目も見ることができなかったんですよ」結城理仁は相変わらず沈黙を貫いて、内海唯花を見つめている目がさらに冷たくなった。「その結城さんにはいつもボティーガードがついていて、若い女性が近づくのは許されていないそう
「週末にあなたの両親に会った後、実家に戻って竹を二本切って持ってきますね」 理仁は淡々と言った。「必要ない。明日人を呼んで取り付けてもらうから」 立派な結城家の長男の嫁が、ただ洗濯物を干すために、わざわざ田舎に帰って竹を二本切って持ってくるなんて、よくもそんなことを思いついたものだ。 「それでもいいですよ。それならお願いしますね」 「ここも俺の家だ」 唯花は軽く返事をし、自分の服を抱えて部屋に向かって歩きだした。ドアを開けた後、振り返って結城理仁に言った。「もしよかったら、あなたが脱いだ服も出しておいてください。私が洗濯するときに一緒に洗いますから」 「いいよ、ありがとう。明日、洗濯機を買って運んできてもらうから。二つの部屋の浴室にそれぞれ一台ずつ置くと便利だしな」 「それでもいいですよ。洗濯機を買うのにいくらかかったか、また教えてくれます?半分は私が出しますので」 彼はすでに彼女に生活費用のキャッシュカードを渡していた。彼がまた洗濯機を買うとなると、彼にそのお金全てを出してもらうわけにはいかなかった。 結城理仁は淡々と言った。「洗濯機二台なんて大した金額じゃない。せいぜい数十万円だから、俺が十分に出せる。それに、これは俺たちの家のために買う家具だし」 彼女に家計を管理できない男だと勘違いされたくなくて、彼はされに説明を加えた。「普段、俺は仕事が忙しく、朝早く出て夜遅く帰るから、服はクリーニング店に出していた。それで洗濯機を買ってなかったんだ」 彼が家計を管理できないわけではなく、ただそれほど多くのことを考えていなかっただけで、生活に何が必要かもわからなかったのだ。この三十年間、できることは自分でやるが、彼は結城家の長男として裕福な生活を送ってきたのだ。 洗濯は本当にやったことがなかった。 「わかりますよ」 唯花も、多くのエリートサラリーマンは仕事が忙しくて、日常生活の細かいことを気にしないことが多いと知っていた。 「結城さん、あなたも早く休んでくださいね」 唯花は部屋に入り、すぐにドアを閉めて鍵をかけた。 理仁は彼女が鍵をかける音を聞いて、少し寂しい気持ちになった。彼女が自分を警戒していると感じたのだ。しかし、自分も夜寝る時は部屋のドアに鍵をかけ、窓も閉めて彼女を警戒していたことを思い出し、こ
「行こう」 結城理仁は歩み寄り、淡々と言った。 内海唯花は「うん」と言いながら、彼の後をついて行った。 夫婦二人は無言で歩き続けた。唯花は話題を探そうとしたが、彼の厳しい表情が見えた。彼はいつも仏頂面で、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しているので、唯花は話しかける気を失ってしまった。 彼のような人は、学校の先生になるべきだ。あんなに厳粛なのだから、きっと子供たちを大人しくさせることができるだろう。 しばらくして市場に着いた。内海唯花は結城理仁に空いているスペースに車を駐車するように言った。車を降りた後、彼女は彼に言った。「まず朝食を食べに行きましょう」 結城理仁は何も言わず、黙々と彼女について行った。 初めて市場を歩く結城理仁はあまり慣れていなかったが、内海唯花に違和感を悟られないように彼女の歩調に合わせて歩いていた。 二人は店でそれぞれ春雨スープを注文し、唯花はさらに朝から餃子を追加注文した。彼女はよく食べるので、春雨スープだけでは満足できなかった。 結城理仁はゆっくりと食べていた。内海唯花は彼の食べ方がとてもきれいだと思い、彼が食事をしている様子を見ていると、ますます食欲が湧いてきた。もし結城理仁に食べ過ぎだと嫌われるのが怖くなければ、彼女はさらに茶碗蒸しとアップルパイも注文していたところだ。 「お腹がいっぱいになっていないなら、食べたいものを何でも注文すればいい」 結城理仁は彼女がまだ食べたいと思っているのを察した。あの食欲では、春雨スープと餃子だけでは、到底満腹にはならないだろう。 昨夜のパーティで、彼女はずっと一時間以上も食べ続けていた。 それでもなお、彼女は外で納豆を買って家で食べた。 彼女はスリムで、標準的なモデルの体つきだ。これほどよく食べるのに、摂取した栄養はどこへ行ったのだろう。 「お腹いっぱいですよ。ただ、あなたが食べているのを見てると、またお腹が空いてくるんです」 結城理仁は眉をひそめた。 「えへへ、怒らないでくださいね。あなたの食べ方がすごくきれいで見ていると、まるで山海の珍味を食べているように感じるんです。それでつい食べたくなっちゃうんですよね」 結城理仁は彼女をちらっと見て、何も言わず頭を下げて春雨スープを食べ続けた。 彼は慣れていないので、こんなにゆっく
結城理仁はずっと彼女がじっくり選び、花屋の店長と値引き交渉しているのを見ていた。ひと鉢千円の花が彼女の手によって半額になる様を。彼女に売らなければこの花が売れ残ってしまうような錯覚を、彼女は店長に植え付けていた。結城理仁にとってはこの上もなく新鮮な光景だった。 このお坊ちゃまは、買い物する時に一度も価格を見たこともなければ、値段交渉などもってのほかだった。 まさか彼の妻が値引き交渉の達人だったとは。花屋の店長と同じように深手を負った戦士のような気分になり結城理仁も笑いたくなってしまった。 お金を払い、内海唯花は買った鉢植えの花を一つずつ結城理仁の車に運んでいった。 結城理仁は最初横で見ていたのだが、女性一人に鉢植えを運ばせて彼は車の横で立っているだけだなんて非常に目ざわりだろう。そして彼は内海唯花の花を運ぶのを手伝い、全ての花を車に積むと、彼の車は花たちでいっぱいになってしまった。 幸い花屋の店長が彼らに車の座席に敷くための紙をくれたので、車の座席を汚さずに済んだ。 「他に何か必要なものはあるか?」 結城理仁は車に乗りながら妻に尋ねた。 「車はもういっぱいだから、他のものは載せられないでしょう。今日はやめておきます。家のことは一日や二日でなんとかできるものじゃないし、時間があるときにまたゆっくり買い揃えていきますよ」 内海唯花はシートベルトを締めると、携帯を取り出して時間を見て彼に言った。「私は先に帰りますね。あとで姉の家にいかないといけませんから」 結城理仁は黙ったまま車を運転し始めた。 「結城さん」 「なんだ」 「週末はおばあちゃんとあなたのご両親が来るんですよね。私も姉に声をかけて姉夫婦も一緒に食事をしてもいいでしょうか。私にとって家長は姉と義兄なんです。私たち結婚したんですから。私たちの仲がどうとかそういうのは関係ないんです。ご家族に会うなら、お互いの家の家長が会ったほうがいいでしょう?」 道端で偶然会った時にお互い知らないなんて、そんな馬鹿な話はなかった。 内海唯花には田舎に祖父母やおじさんたちがいるのだが、彼らは彼女たち姉妹のことを嫌悪していた。両親が交通事故で他界した後、彼らの中にこの二人を喜んで養ってくれる人など一人もいなかった。それだけでなく両親が命と引き換えに残してくれた賠償金の一部も持
「義姉さん、これは何ですか?」結城辰巳は魚介類の独特な匂いを嗅いだ。「魚介類よ。私の友達が海にバカンスに行って帰ってきた時にたくさん持って来てくれたの。ほとんど新鮮なものよ。私もあなたのお兄さんもそんなにたくさん食べられないから、あなた達におすそ分けしたくて」結城辰巳はおばあさんをちらりと見て、拒否しない様子だったので彼は「こんなにたくさんですか」と言った。彼の家では魚介類は普段よく食べているので他所からもらう必要はない。でも、義姉からもらったものだから、やはり大人しく受け取って家に持って帰ることにした。「おばあちゃん、家族のみなさんにもおすそ分けして食べてね」内海唯花はとても気が利いていて、それぞれの家庭用に袋を分けて入れていた。帰ってからその小分けされた袋をそのまま渡すだけでいい。中に入っている量はどれも同じだから。「わかったわ、みんなに分けるわね」おばあさんは結城辰巳が魚介類を車の上に乗せた後、自身も車に乗り、忘れずに内海唯花に言った。「唯花ちゃん、さっき理仁にメッセージ送ったの。後でここに来てあなたと一緒にご飯を食べるようにってね。その後また会社に戻って仕事しなさいって。今頃ここに来ている途中のはずよ。辰巳はあの子と同じ会社で働いてて、辰巳はもう来たでしょ。早く戻ってご飯を作って、見送りは不要よ」内海唯花「……おばあちゃん、そんなことならもっと早く言ってくれればいいのに。後で食べ残しを温めて食べようかと思ってたの、私一人分がちょうどあるから」おばあさんは言った。「今から作り始めれば間に合うわ。さあさあ、作りに行ってちょうだい。理仁はいつも遅くまで残業しているから、多めに料理を作ってたくさん食べさせてやってちょうだい」おばあさんの前だから、内海唯花も断りづらかった。おばあさんを見送った後、店には内海唯花一人になった。彼女は急いで携帯を取り出し、結城理仁にLINEを送って店に来ないように言おうと思った。彼のためにご飯を作るのが面倒だったのだ。しかし、彼女はLINEを開いてからすでに彼のLINEを消していたことを思い出した。いや、そうではなく、彼が先に彼女のを消したのだ。少し考えてから、内海唯花はブロックしていた結城理仁の電話番号を元に戻した。結城理仁は電話番号をこれまで誰からもブロックされたこと
九条悟は佐々木俊介が浮気をしていることを全く意外に思っていなかった。彼は言った。「君の奥さんのお姉さんは結婚してからかなり大きく変わっただろう。一方、佐々木俊介のほうは昇進して、彼の周りにいる女性たちは彼女よりもきれいだったんだろうな。時間が経っていくうちに、彼は自然と自分の妻に嫌悪感を抱くようになったんだ」結城理仁は冷ややかな目つきと声で言った。「彼女はどうしてあんなに変わってしまったんだ?それは、彼女が彼を愛しているからだろ。自分のスタイルがどうなろうが構わず、彼のために子供を産み育て、子供がいても旦那に安心して仕事をさせるために、一人で子供の世話と家庭のこともしっかりこなしていた。そのために自分の青春も美しさも捨てて家族のために尽くしたんだ」彼も義姉は結婚前と後での変化が大きく、少しはダイエットをしたほうがいいとはわかっていた。しかし、これは佐々木俊介が不倫をしていいという言い訳には決してならない。このような節操の無さは彼のDNAに刻まれていることで、以前はそれを表に出していなかっただけだ。今の彼は会社でも一定の地位に就き、仕事で成功を収め、おごり高ぶっている。それで自分の妻を見下し、嫌っているのだ。佐々木俊介がもし今の唯月を醜いと思っているなら、彼女にダイエットするように言えばいい話なのだ。佐々木唯月は彼に対して今でも情がある。彼が彼女にダイエットするように言えば、彼女は絶対に努力して痩せるはずだ。しかし、佐々木俊介は彼らの結婚生活におして、至る所で唯月を抑圧し、彼女が何をしてもダメ出しばかりで、家庭の出費までも半分ずつ負担するようにと言い出した。佐々木俊介は唯月が今仕事がなく、収入源がないということを知らないのか?「それもそうだな。良識のある男だったら、自分の奥さんが100キロ太ったとしても、心変わりなんかしないだろう」誠実な男というのは、ただ妻が醜くなったとか、太ったとかいう理由だけで浮気したりしない。つまり佐々木俊介は唯月に飽きてしまっただけなのだ。それに、彼がわざと佐々木唯月が豚のようにぶくぶく太るように差し向け、それを理由にして彼女に愛想を尽かし浮気したんだという言い訳にしようとしているのかもしれない。「佐々木俊介にばれないようにしろよ」九条悟ははっきりとこう言った。「安心しろよ、俺がやるっていう
「一緒に飲むか?」結城理仁が住む所にはどこであろうと美酒が用意されている。「遠慮しとくよ。酔うと困るしな。君は酔っ払っても奥さんが世話してくれるだろうけど、俺は独り身なもんだから、酒に酔いつぶれても誰も世話してくれないからさ」「そんな可哀そうな奴みたいに自分で言うな。見合いでもしてさっさと結婚決めて、奥さんに面倒見てもらえ」九条悟はへへへと笑って言った。「君を反面教師として、俺はゆっくりと縁が来るまで待つことにするよ」「俺のどこを反面教師にするって?俺の結婚生活はうまくいってる!」「ああ、ああ、そうだな、うまくいってるよ。ここ数日、君ときたら顔はずっとこわばりっぱなして、仕事の効率もめっちゃ上がってるしな。ただ部下はきつそうだぞ。ここ数日は、会社で自主的に残業する社員と深夜まで残業する奴がどんどん増えてるんだ」結城グループは強制的に従業員を残業させることはしない。ただ自分の仕事をきちんと終らせれば残業をしなくていいだけでなく、退勤時間前でも帰っていいのだった。しかし、自分の仕事は必ず終わらせなければならない。終わらなければ残業は必須だ。その日の仕事を次の日に持ち越してはいけない。結城理仁は今妻と冷戦状態であるから最悪な気分で、その鬱憤を仕事で晴らしている。彼は本来仕事のスピードが速い。それが今、全神経を集中させて仕事に専念しているのだから、仕事の効率は本来のものよりもかなり上がっていて、三日でやる仕事を彼はたった一日で完成させられる。ただ部下たちはそのせいで苦労しているわけだが。「アシスタントの木村さんはあまりの忙しさで水一杯飲む時間すらないんだぞ」結城理仁はサインペンを置いた。「彼らは君に辛いと言ってきたのか?」結城グループ内で、結城家の当主で社長である彼をみんなは敬い恐れている。みんな辛いと思った時には、九条悟に訴えるしかない。九条悟のほうは結城理仁と違って冷たい雰囲気はなく、かなり温和だから言いやすい。しかも結城理仁は九条悟に並々ならぬ信頼を寄せていて、彼をかなり頼りにしている。二人はまた親友でもある。だから、九条悟に訴えておけば、自然と結城理仁の耳に入るというわけだ。「別に訴えられてはないけど、俺が自分で見てそう思っただけだよ。理仁、俺の言うことをよく聞いて、今夜は何かプレゼントを買って帰っ
夕方の退勤時間近くになって、九条悟がたくさんの書類を持って社長オフィスのドアをノックし入ってきた。結城理仁は彼をちらりと見て、すぐ自分の仕事を続けた。彼が座ってから理仁は言った。「お前のアシスタントは何をしているんだ?」「アシスタントは妊娠中だからな。俺って優しいから、彼女に苦労させたくないんだよ。疲れさせちゃったら、旦那さんが怒って俺のとこに来るかもしれないだろ。だから、俺自ら来たってわけ」九条悟はその書類の山を親友の目の前に置いた。「これには全部目を通しておいたよ。問題ないから、君は書類にサインしてくれるだけでいい」九条悟は書類を置いた後、立ち上がりコップにお茶を入れ、また座ってそれを飲みながら目の前にいるその男を見た。結城理仁はかなりのイケメンだ。彼が毎日毎日厳しい顔つきで、冷たい雰囲気を醸し出していても、その整った容姿を隠すことはできなかった。今のように見た目を重視する時代において、彼に何度か会ったことのある若い女性なら、彼をそう簡単には忘れることができないはずだ。とある女性は例外だが。例えば彼らの社長夫人である内海唯花だ。九条悟は本当に内海唯花には感心していた。たった一か月ちょっとの短期間で、彼ら結城グループで最も奥手である男の心の殻を破り、もうすぐその心を完全に開いてしまおうとしているのだから。ただ問題は内海唯花が結城理仁に対して全く恋愛感情を持っていないということだ。彼女はどうしてこうも心を動かされないのだ?結城理仁は彼女に対してとても良くしてあげているじゃないか。彼を慕っている女たちは結城理仁をちょっと見ただけで何年も忘れられないのに。神崎姫華のように何年も諦めずに彼をひたすら追いかけようとしている人もいる。結城理仁は内海唯花のために前例を破るほど、彼女に良くしてあげているというのに、彼女は全くといっていいほど心を動かさない。これこそ九条悟が彼女に感心している点なのだった。「何を見ている」結城理仁は顔を上げてはいないが、親友が自分を見つめているのがわかっていた。「君はカッコイイなぁと思ってさ。理仁、本当にイケメンだよな。その厳しく冷たい性格のおかげだ。もし優しい奴だったら、みんな君のことを女の子だと勘違いしちまうぞ。もし君が女なら、君より綺麗な女性は絶対いないだろうから、他の女性は恥ずか
佐々木俊介はそう言うと、仕事を一旦放っておいて、成瀬莉奈を連れて会社を出た。彼は部長で、成瀬莉奈は彼の秘書だ。普段、佐々木俊介が商談をしに行くときには、成瀬莉奈をよく連れて行くから、二人が一緒に会社を出ていくのを見ても、誰も何も言わなかった。ただ清掃員のおばさんは会社のゲートで佐々木俊介が車で成瀬莉奈を連れて出て行ったのを見て、年配の警備員に言った。「佐々木部長は毎日成瀬秘書と一緒にいて、唯月ちゃんはこの二人が浮気していると心配じゃないのかしらね」佐々木唯月がこの会社に勤めていたから、昔からここで仕事をしていた従業員たちはみんな彼女のことをまだ覚えているのだ。警備員は清掃員のおばさんを一瞥して「いまさら?」という顔をした。彼は周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、声を潜めておばさんに言った。「毎日会社の隅から隅まで掃除しているってのに、何も知らないのか?佐々木部長は成瀬秘書ととっくにできているんだぞ」清掃員のおばさんは意外そうに声を上げ、興味深々に尋ねた。「あなたはどうやって知ったんだい?」「目のある人ならわかるだろうよ。仕事が終わった後、成瀬秘書はいつもブランド品を身につけ、綺麗に着飾ってるんだぞ。彼女が持っているバッグは5、60万円もかかるルイヴィトンのものだ。成瀬秘書の収入で、あんな生活はきっとできない。彼女は一般家庭の出だろう。ブランドの服、バッグ、それとネックレス、それは絶対佐々木部長が買ってあげたもんに決まってるさ。仕事が終わったあと、あの二人が仲良さそうに夜食を食べているのを見た人もいるんだぞ。あの二人の間に何もないなんて、誰が信じる?」おばさんは言った。「唯月ちゃんはまだ知らないでしょうね。彼女は佐々木部長と結婚した時、会社の全員をパーティーに招待したでしょ。あの時の唯月ちゃんがどれほど幸せそうに見えたか、いまだに覚えているよ。花嫁の唯月ちゃんは本当に誰の目も奪うほどきれいだったわ。あれからまだそんなに経ってないのに、佐々木部長はもう浮気してるなんて。男はね、やっぱりお金があると豹変するもんね」彼女は佐々木唯月がかわいそうだと思っていた。「唯月さんはこの二年間あまり会社へ佐々木部長に会いに来なくなったな。きっと主人が浮気しているのをまだ知らないんだろう。成瀬秘書もそんなに大人しい性格じゃないから、待
「あいつは今太っていてブスになってるから、連れて行ったら、絶対皆に笑われるだろう。それは俺の顔に泥を塗るのも同然だ」言い終わると、佐々木俊介は成瀬莉奈の綺麗な顔を少しつねって、彼女を褒めた。「今ではあいつは莉奈と比べ物にならないよ。今の俺の心は莉奈のことでいっぱいで、あいつに対しては、本当に何の感情も湧かないんだ。この前、あの女に包丁を持って、町で追いかけられただろう?あいつが謝って、以前より俺に対する態度は良くなったけど、どうしても許せなかった。なにせ、あの日俺が逃げ切れなかったら、殺されてたかもしれないんだからな。あいつがあんな毒蛇みたいな女だと知ったのは、あの日がはじめてだった。陽のためじゃなければ、本当にあの家に帰りたくなかったんだよ。それに、お母さんと姉さんも言ったんだ。家の頭金を出したのは俺だ。それに、結婚前に買った家で、家のローンも俺が返しているんだぞ。どうして俺が住めなくて、あいつ一人が住めるってんだ?それに、あいつは俺の家族とも仲が悪いぞ。莉奈、俺の親と姉に会っただろう。俺の家族どう思う?」成瀬莉奈は少し考えてから答えた。「いい家族だと思うよ。ご両親とお姉さん夫婦も親切で、礼儀正しい人よ」彼女は佐々木家の人の前では佐々木俊介によくして、どこからどこまで彼の世話をしていたから、佐々木俊介との関係はとっくにばれていた。佐々木家の人間は彼女にそこまで親切には接していなかったが、彼女が佐々木俊介の愛人だからといって、彼女に偏見を持って不親切なことなどは一切しなかったから、教養のある人達だと思っていた。その後、成瀬莉奈が佐々木俊介によくしているのを見て、彼の母親は態度を変えて、親切に接していた。姉である佐々木英子も成瀬莉奈を連れて買い物に行って、何着も高い服を買ってあげた。「うちの家族はあんなにいい人で、唯月に対しても親切に接してあげたのに、あいつは一方的に家族と仲よくしようともしない。そのくせに、俺の親がよくないとか、姉が悪い奴だとか言ったんだ。とりあえず、あいつの目から見ると、佐々木家の人間は全員悪い奴で、あいつ自身は、世界で一番完璧な人間だと思ってやがる」佐々木唯月がこの話を聞いたら、きっと卒倒してしまうだろう。佐々木家の人間は自分の本性を隠すのが上手なのだ。佐々木唯月は何年も社会人として働いていて、自分が愚
さすがはタイプが同じ人間同士、どうりでこの二人が親友になるわけだ。直接お金にものを言わせるやり方で、色気のないやり方だ。店にいた時、結城理仁は内海唯花に言った。ただで神崎姫華のものを受け取るわけにはいかないから、彼から唯花にお金を送金し、そのお金を神崎姫華に返せばいいと思っていた。そうすれば、神崎姫華に借りを作らなくて済む話が、内海唯花の主張で完全に論破された。夫婦二人はもうお互いのLINEを消して、内海唯花のほうは彼の電話番号もブロックしている。LINEの友だち登録をしない限り、送金も、おしゃべりすらもできない。今になって、結城理仁はようやく少し後悔した。自分の度量の無さで、ほんの少しの誤解のため、妻と冷戦状態になり彼女のLINEまで削除してしまった。ほら見ろ、今また登録したくても、言い訳の一つも出せないだろう。……スカイ電機株式会社にて。佐々木俊介はウキウキしながら社長のオフィスから出てきた。成瀬莉奈は上司の嬉しそうな顔を見て、彼について専用のオフィスに入りながら、ドアを閉めた。「佐々木部長、社長に何か言われたんですか?嬉しそうですけど」佐々木俊介は社長がサインした後の書類を置いて、手を伸ばし成瀬莉奈の腕をぐっと引っ張って、自分の胸に引き寄せ、彼女の細い腰に手をまわした。そして、ニヤニヤしながら彼女に言った。「莉奈、当ててみ?」「昇進?それとも給料をあげてもらった?」佐々木俊介は首を横に振った。彼の上には二人の副社長がいて、その一人は社長の親友で、もう一人は社長の実の弟だった。だから、佐々木俊介はもう副社長に昇進することができないと思っていた。部長で彼はもう十分満足していた。給料が上がるのもあり得ない話で、せいぜい少しボーナスが上がる程度だが、彼は副業があって、今ではほんのボーナスなど眼中にない。「もう、じらさないで、早く言ってよ、どんないいこと?」成瀬莉奈はわざと甘えた声でねだった。佐々木俊介は彼女の頬にキスをして、かすれ声で言った。「キスさせてくれたら、教えてやってもいいぞ」「やだ、もうキスしたじゃない?」佐々木俊介は愛おしそうに彼女を見つめた。成瀬莉奈は彼に見惚れて、とうとう彼の頭を引き寄せ、自ら彼の唇にキスをした。激しいディープキスをしてから、佐々木俊介はやっ
彼がそのまま動かないことに気づいて、内海唯花は彼の方を見た。「どうしたの?」結城理仁は唇をぎゅっと結び「何でもない」と返事した。「先に会社に戻るよ」「うん」内海唯花は適当に返事をして、また皿洗いに集中した。暫く彼女の背中をじっくり見つめてから、結城理仁は彼女に背を向け、キッチンを出た。佐々木陽と遊んでいたおばあさんは孫が出てきたのを見て、少しむっとして文句をこぼした。「理仁、唯花さんの手伝いをしなかったの?昼間ずっと忙しくて、きっと疲れてるわ」結城家の男ならみんな妻を溺愛している。おばあさんの息子たちも全員自分の嫁に非常に気を使って大事にしていたのだ。孫の代になってみると、どうしてこのような簡単なこともできないのか。「彼女が必要ないと言った。ばあちゃん、先に会社に帰るよ」結城理仁は低い声で説明してから、おばあさんの前を通り過ぎた。おばあさんが口を開けて何かを言おうとした時、結城理仁はもう大股で店を出ていた。彼女は力なくため息をついて、その言葉を呑み込んだ。店を出た結城理仁は車に乗り、店から離れた。暫くして、九条悟から電話がかかってきた。「どうした?」結城理仁は交差点で車を止め、信号を待っていた。「お前の一番下の義弟が刑務所に入れられたね」「そいつは義弟じゃない」結城理仁は冷たい声で親友が言った呼称を訂正した。彼と内海唯花の冷戦はまだまだ続いていて、この夫婦関係もいつまで続くかわからないのだ。内海家の人を親戚などと認めるわけがない。内海唯花すら彼らを親戚とは認めていない。「はいはい、わかった、義弟じゃないね」九条悟は内海家の人達が内海姉妹に何をやったのかを知っているから、さっきのは冗談でもきついと自覚した。「内海陸はチンピラを何人か連れてお前の奥さんを殴るつもりだったが、逆に仕返しされボコボコにされたあげく、警察に捕まって勾留されてるらしいぞ」内海唯花は怪我しなかったが、あの不良たちは拘束されたわけだ。「内海家の奴らがまた何かしようとしているのか?」結城理仁は内海家の人を見張るように九条悟に頼んだから、彼らに何か動きがあると、内海唯花より、結城理仁は先に知ることができる。「金で内海陸を留置所から出そうとしているんだよ」「人を集めて通り魔のように邪魔して殴ろう
隣に座った孫が黙々と食べてばかりいて、妻への気遣いもしないのを見て、おばあさんはテーブルの下で孫の足を突いた。結城理仁は状況がわからないというように黒い瞳でおばあさんを見つめて、全くおばあさんの行動の意味を理解していないようだった。おばあさんは頭を抱えたいほど困っていた。彼女は夫と愛をこめて初孫を育てていた。後継者になる孫の教育に尽力していたが、どうしてうまくいかなかったのだろう。仕事の能力なら、おばあさんは何の不満もなかった。結城グループは結城理仁のもとでさらに発展し、神崎グループをはるかに超えて、ビジネス界の大黒柱のようになってきたのだ。しかし、その能力と裏腹に、感情面ではマイナスになっているんじゃないかとおばあさんは疑っていた。「唯花さんにエビの殻を剥いてあげて」仕方なく、おばあさんは小声で孫に言った。良きチャンスは掴むべきだとこのバカ孫は知らないのか。結城理仁はその薄い唇をぎゅっと結んだ。内海唯花は手がないわけじゃないだろう。自分が育てた孫のことなのだ。おばあさんは彼のことをよく知っている。結城理仁が唇を引き結ぶと、何を考えているのかすぐわかる。おばあさんは孫を睨んだ。結城理仁はおばあさんに睨まれ、一言も出さず、黙ったまま箱の中から二つの使い捨て手袋をとり、それをはめてから手を伸ばしてエビの皿を目の前に持って置いた。彼は淡々と言った。「内海さん、君は食べて、俺が陽君に剥いてあげるよ」おばあさん「……」唯花に剥いてあげろと言ったのに、どうして陽ちゃんになったのか。本当に救いようのない馬鹿だ!このバカ孫!内海唯花は結城理仁のやりたいことは遮らず、うんと答えて、使い捨て手袋を手から外した。結城理仁の動きは素早く、間もなく佐々木陽の皿は剥いたエビで一杯になった。しかし、結城理仁のその動きは止まらなかった。彼は佐々木陽の皿にはエビを入れず、次は別の皿に置いた。全てのエビを剥き終わってから、相変わらず何も言わず、内海唯花に一瞥もせず、そのままその皿を内海唯花の前に置いた。全部やり終わったら、彼は黙ったまま使い捨て手袋を外した。そして、何食わぬ顔で自分の海鮮スープをひと口飲んだ。内海唯花の料理の腕前はなかなかのものだ。彼は好き嫌いが激しいが、目の前の料理はどれも美味しいと思