◇そして一時間後。私はたくさんの荷物を引っ提げマンションへ戻った。バタンッ「はぁ~帰りましたぁ」風邪薬も買った、体温計も買った、学校にも電話した、少しずつでも皇羽さんにお金を返すために働こうと求人誌ももらった。そしておかゆを作るための材料も買ってきた。これで完璧。ぬかりはない。だけどリビングに足を踏み入れて愕然とした。膝から崩れ落ちるかと思ったけど何とか踏みとどまれたのは、卵がゆを作ろうと思って卵のパックを買っていたからだ。膝から崩れ落ちたら、卵は割れるに決まっている。それはもったいない。何が何でも死守しなければ……。だけど、もしかしたら卵がゆの出番は来ないかもしれない。なぜなら私が東奔西走している間に、この男。皇羽さんはソファに寝転んで、あろうことか私が嫌いな Ign:s のテレビを見ていたからだ。「外で頑張った私にその仕打ちですか皇羽さん……」 「わ!ビックリした。おかえり。すごい荷物だね?」 「誰のせいだと思っているんですか」キッチンで荷物を降ろし、手を洗う。ちょっとぷんすかした状態で体温計と薬の用意をしていると、皇羽さんが「俺のためにごめんね」と謝った。「え」この私に、皇羽さんが謝った。しかも今日だけで二回目だ。カターン!衝撃で体温計を落としてしまう。うわ、やっちゃった。壊れていないかな?でも皇羽さんが〝私に謝る〟という事実が衝撃的すぎて。動揺せざるを得ない。朝とは打って変わってしおらしい。というか喋り方も変だし。風邪って人格まで変えるんだね、怖すぎるよ……。体温計と薬を持ち、皇羽さんの所へ運ぶ。「調子が狂っちゃうので早く風邪を治してくださいよ」「調子が狂う?」「皇羽さんじゃないみたいで落ち着かないんです」 「……はは、わかった」いまだニット帽をかぶったままの皇羽さんが諸々を受け取る。そういえば薬を飲む時って、お腹になにか入れてからの方がいいって言うよね?そう思って一瞬だけキッチンへ目をやる。だけど皇羽さんは、私が目を離したわずかな時間に薬を飲んだらしい。「にがー」と言いながら、自分が買って来た水をゴキュゴキュ飲んだ。「もう飲んだんですか?早業ですね」「だって早く飲まないと、いつまでも圧をかけられそうだし」「私を怖い人みたいに言わないでください」チラッと机上を見る。転がっているのは唐揚げの紙パックとグミの
画面に表示される数字は最初こそゆるやかに上がっていたのに、だんだんとスピードを増していく。そしてついに38度を超えた。「えぇ⁉やっぱり高熱じゃないですか!」ついさっきまで普通だった顔色が、今じゃ真っ赤になっている。一時的に体調が良かっただけ?どちらにしろ、やっぱり皇羽さんは風邪を引いてるんだ!「ソファじゃなくて、ちゃんとベッドで寝てください!」だけど皇羽さんは「いやいやいや」と、この期に及んで抵抗してくる。「きっと今だけだから放っといて。君が離れたら落ち着くと思うし……」口をモゴモゴ動かす皇羽さん。よく聞こえない。後半なんて言ったの?ズイッと顔を近づけるも、皇羽さんに手のひらで押し返される。「それよりガッコ―はいいわけ?行かなきゃいけないんじゃないの?」「もう休み連絡を入れましたよ。皇羽さん一人を置いておけませんし」「子供じゃないんだから、余計なお世話だって」カチンさすがの私も、ここまで言われたら腹が立つ。言動が怪しい皇羽さんを心配して休んだのは、そりゃ私の独断だけど。だけど皇羽さんを心配しての事だもん。そんな風に言わなくてもいいじゃん!それなのに、あの言いぐさ!もう頭にきた!キッチンに戻って氷枕を作り、ソファに寝転ぶ皇羽さんを引きずり降ろしてベッドへ移動させる。まずは氷枕、次は皇羽さんを次々にベッドへ放り投げた。「ごちゃごちゃ言わずに寝てください!」「は、はい……」皇羽さんの目が白黒している。どうやら私の鬼の形相が効いたらしい。それ以上は何も言わず、大人しく横になっている。時々「さむっ」とうめく声が聞こえる。まだ熱が上がっているのかな。でも風邪薬は飲んでもらったから、もう私に出来ることはない。治ることを祈りつつ、皇羽さんが食べ散らかした後片付けでもしよう。だけどリビングに入って、ギュッと眉根にシワが寄る。今まで皇羽さんのことばかり考えていたから頭に入ってこなかったけど、そういえば私が帰宅した時から、ずっと Ign:s の番組が流れているんだった!『レオくん今日もカッコいいねぇ!どうやったらそんなにかっこよくなれるのか教えてほしいよ~。いつも元気だしさ。体調は崩さないの?』 『元気だけが取り柄なんで!風邪も俺を嫌って寄ってこないんですよ、はは』 『またまた~レオくんになら風邪だって何だって飛びついちゃうよ!』ドッと笑いが起き
◇「ねぇ、ちょっと」「……あれ、私いつの間にか寝ちゃっていたんですね」肩を揺らされて目を開ける。ソファの後ろに立つ皇羽さんは、ソファに座ったまま寝る私を呆れた顔で覗き込んでいる。だんだんと意識がハッキリしてきた。確か、おかゆが出来たけどあまりにも皇羽さんが気持ちよさそうに寝ていたから「起こすのは可哀想」と思って声をかけなかったんだ。私は休憩したくてソファに座って……。あぁ、やっちゃった。窓から少し傾いた太陽が、責めるようにジリジリと私を照らしている。「すみません、久しぶりに料理をしたら疲れちゃったみたいです。私が寝ている間に、体調が悪くなりませんでしたか?」「別に平気だよ」「それなら良かったです。ならば、おかゆ食べますか?温めますよ?」だけど皇羽さんは「いらない」の一点張り。もうお昼が近いから何か食べててほしいんだけどな。食欲がないのかな?すると皇羽さんは「聞きたい事あるんだけど」と真剣な顔。何を言うのかと思えば、「 Ign:s が嫌いなの?」「は?」「さっきのテレビ、すごい怖い顔で消していたから……」「今さら何を言っているんですか。その件については昨日お話したでしょう?嫌いな Ign:s が出ていたら、誰だって険しい顔になりますよ」「! そうなんだ……」明らかにショックを受けている皇羽さん。昨日も話した内容だよ?どうしてショックを受け直しているんだろう?うーん、やっぱり今日の皇羽さんは変すぎる。記憶がごっそり抜けているから、まるで別人みたいだ。でもこんなに顔のイイ人が他にいるわけないし……。なんだか狐につままれているみたい。妙な違和感に、胸がザワザワする。すると皇羽さんのスマホがいきなり鳴った。私から目を離し即座にメールを確認した皇羽さんは「遅いよ」と口にして、いきなり立ち上がった。玄関に向かうところを見れば、どうやら出て行くらしい。ん!?”出て行くらしい”⁉「ちょ、ちょっと待ってください!どこに行くんですか!熱があるんですよ⁉」「散歩だよ、すぐ帰るから」「行かせられません!」キッと睨みを聞かせて皇羽さんを見る。いつもは口をへの字にしそうな物なのに、なんと今日はニコニコ笑顔。皇羽さんの周りにバラの花びらが飛んでいる。しかも大量にだ。更にありえないことに、皇羽さんは私の手をとり甲にキスを落とした。優しく、控えめに
「……ねぇ、さすがに傷つくんだけど」 「だ、だって!」皇羽さんからのキスを逃れるため、仕方なく最大限に顔を逸らした私。首が痛くなるくらい逸らせば、さすがの皇羽さんも「キスしよう」とは思わないはず!それに忘れたとは言わせない。いつか私と交わした、あの約束のことを!「皇羽さん、私とした約束を覚えていないんですか?口にはキスしないって、そう言ってくれたじゃないですか」 「は?」 「もう忘れたんですね、最低です。もう話すことはありません。これで失礼します」皇羽さんの手が緩んだ隙に、力いっぱいもがいて脱出する。そして寝室に逃げ込んだ。だけど逃げ込んだ先が悪かった。うつ伏せになっていた私は、ギシッというベッドが軋む音がして、初めて自分の過ちに気づく。「なんだか背中が重い……え、皇羽さん?」 「んー?なに」私の背中。その上に皇羽さんが乗っている。密着した体が皇羽さんのゴツゴツした胸板を捉えた。耳元にかかる息遣いもそう。二人揃って全部が近すぎる。「……っ」どうしよう。未だかつてない、とんでもない状況だ!動揺してバクバク鳴る心臓を押さえ、ひとまず深呼吸。うろたえてはダメ、落ち着いて。きっと皇羽さんは私の反応を見て楽しんでいるだけ。その手には乗らないんだから!焦りを皇羽さんに悟られないよう、背中に乗る彼をキッと睨む。「早く退いてください。ここは寝室ですよ?冗談にもなりません」 「ココが寝室って知っているよ、だから来た。誘われたのかと思って」 「誰が!」文句を言ってやろうと、グルンと向きを変える。そして秒で後悔した。だって目の前に皇羽さんの整った顔があったから。前髪を通り越して、まつ毛が当たる距離にお互いがいる。吐き出す息と、かかる息。もうどちらがどちらのものか全く分からない。「……ッ!」ここにきて私は動揺を隠せなくなった。顔に熱がカッと集まるのが嫌でも分かる。虚勢で釣り上げていた眉毛が、困惑してどんどん下がる。男の人とこんな距離になるのは初めてだ。「ど、どけてください。皇羽さんっ」 「例えば、俺が君にキスをしたとする」「へ?」 「そうしたら君はどうする?」いきなり何の話?それは「今からキスをするから覚悟して」ってこと?それとも本当に「例えば」の話?皇羽さんの真意が分からなくてしばらく黙り込む。だけど、どちらにしろ私の答えは変わらな
◇その後。スキップしながら部屋を出た皇羽さんは、なぜかそのまま外へ出た。とうとう戻ることなく、現在は午後七時。これだけ帰ってこないということは、結局は仮病だったってこと?私がおかゆを作った意味も、学校を休んだ意味もなかったということだ。「なんて無駄な一日……いや、それよりも」キスだよキス!なにちゃっかりキスしているの!いくら唇じゃないとはいえ、勝手にキスするなんて許されるものじゃない。あの時の羞恥心を思い出し、唇がワナワナと震える。どっぷり日が暮れた空を見る。窓には、すっかり鬼の形相になった私が写っていた。帰って来たら、絶対に一言文句を言ってやるんだから!すると玄関からガチャと音がする。皇羽さんが帰って来たんだ!「はぁ、しんど……」皇羽さんの独り言。「しんどい」って……はは~ん。さては風邪をぶり返したな?まだ本調子じゃないのに外に行って遊ぶからだ。自業自得だよ。……あ、そうだ。このまま「お帰りなさい」と出迎えるのもシャクだから、トイレに隠れることにした。って言ってもすぐに見つかるだろうけど。でも私だって、少しくらい皇羽さんを「ギャフン」と言わせたい。私がいないことを知った皇羽さんが、一秒でも焦ったら私の勝ちだ。静かにトイレのドアを閉める。同時に、皇羽さんがリビングに入って来た。「萌々? 寝てるのか?」午後7時に寝る高校生がいたら、かなりの健康重視派だと思う。しかも生憎わたしは夜型だ。両手で口を覆って笑い声を我慢する。その間も皇羽さんは私を探していた。「おい、萌々ー」返事なんてしてやるもんか。せいぜい私がいないと知って焦ってよね。今日一日、どれだけ私が皇羽さんを心配したと思っているの。人の気も知らないで、挙句の果てにキスだよ?病人のくせに、そういう下心だけは元気なんだから。「ふふ、いい感じに困ってる」トイレのドアをソッと開けて覗いて見る。ちょうど皇羽さんが寝室から出てきた。あれ?コートを着たまま、マスクも帽子もつけたままだ。いつもなら玄関で脱ぐのに、珍しい。だけどもっと珍しい光景を見る。帽子とマスクの間からのぞく皇羽さんの目が、所在なくキョロキョロしているのだ。不安そうに揺れているのだ。「萌々」と、私の名前を口にしながら。「どこにもいない。まさか、またアパートに?もしそうなら迎えに行ってやらないと……」言いながら、皇羽さんは急
ギュッと痛いくらい抱きしめられた後。皇羽さんは、自身の大きな体が揺れるくらい「はぁ~」と深く息を吐く。「よかった萌々。いたんだな」「〝よかった〟って……」皇羽さんの体が熱い。抱きしめ合っていると、私の体がジワジワと汗ばんでくるほど。やっぱり皇羽さんは熱があるんだ。それなのに私を探しに行こうとしてくれていたんだね。……だったら何も良くないじゃん。こんな体で外に出たら、皇羽さん倒れちゃうよ?「強引なんだか、優し過ぎるんだか……」さっきムリヤリキスされたことを許してしまいそうなほど、私を心配する皇羽さんの気持ちが嬉しい。コップに水を注ぐように、少しずつ心が満たされていく。思い返すと、昨日から皇羽さんは私に構いすぎだ。作ってもらったおかゆをスルーして外出する……くらいの方が正しい距離感だよ。ムダになったおかゆを見るのは悲しいけど、私たちは昨日会ったばかりの浅い関係。逆に今までの皇羽さんが優し過ぎたんだ。だから皇羽さん、調子悪い時くらい私に構わずゆっくり休んでよ。お願いだから、早く元気になって。「もし皇羽さんが風邪をこじらせて入院でもしたら、私また一人ぼっちじゃないですか」「萌々……」「だから行かないで、ここにいてください。私のそばにいて」「っ!」皇羽さんの背中へ控えめに手を回す。今まで抱きしめられた事は何度かあったけど、私が抱きしめ返したのはたぶん今回が初めてだ。皇羽さんの胸板に寄せた耳に、ドッドッドと忙しない心臓音が伝わって来る。皇羽さん、すごくドキドキしている。なんで?どうして私が抱きしめ返しただけで、そんなにドキドキするの?熱だから?体がしんどいから?それとも――不思議に思って皇羽さんを見上げる。すると思ったよりも至近距離にいた皇羽さんは、切れ長の瞳を見開いた後、悔しそうに細めた。「クソッ」という舌打ち付きで。「卑怯くさいな。俺が調子悪くて意識朦朧としている時に限ってこんな事しやがって……」「意識朦朧の状態で、どうして起きていられるんですか。バケモノですか」「うるさい……」見上げると、顔を真っ赤にした皇羽さんと目が合う。熱のせいで目が潤んでいるのが妙に色っぽくて、思わず心臓が跳ねる。しまった、皇羽さんのドキドキが移っちゃった。急いで皇羽さんから顔を逸らす。すると皇羽さんの重たい頭が、私の肩にポスンと乗った。熱のせいで温かくなった
「首……」「どうかなっていますか?」「蚊に刺されたみたいに赤くなっている。どうした?」って真剣な顔で聞かれても困る。「どうしたもこうしたも、皇羽さんにキスされた以外は何もありませんよ」すると皇羽さんは「は?」と、目ん玉が転がり落ちそうなほど見開いた。「俺がキス?萌々に?」 「おやおや皇羽さん、いくら風邪だからってほんの少し前のことを忘れてもらっては困りますよ。冷静に喋ってはいますが、これでも私そうとう怒っていますからね?」だけど皇羽さんは立ち止まったまま私の首から目を離さない。私の首に何かついている?そう言えば、さっき皇羽さんは「蚊にさされたみたいに赤い」と言ったけど――わけがわからない。困惑から、チラリと皇羽さんを盗み見る。すると彼の顔には「本当に身に覚えがありません」と言わんばかりの驚いた表情が浮かんでいた。うそ、本当の本当に覚えていないの?お昼にキスしたことを忘れたの?まさか高熱のせいで?改めて風邪の恐ろしさを思い知る。だってウィルスをよせつけなさそうな皇羽さんの記憶がなくなるほどの威力を持つ菌だよ?怖すぎる!やっぱり寝てもらわないとダメだ。これ以上悪化したら、最終的に「僕は誰?」とか言い出しかねないもん。皇羽さんの身を守るためにも、今すぐベッドに連れて行かなくちゃ!「本当に忘れたんですね。いいですよ、皇羽さんが回復したら絶対に思い出してもらいますから。そして何時間でも説教します!だから今はさっさと寝てください!」私の首に回る皇羽さんの腕を、ヨイショと担ぎ直す。ズッシリした体重が、遠慮なくのしかかって来て危うく倒れそうになった。だけど次の瞬間。ふわっとした浮遊感の後、全ての物が軽くなる。私の首に回る皇羽さんの腕も二人分の体重がかかった私の足も、何もかも軽い。「ちょっと、何やっているんですか皇羽さん!」何もかもが軽い。それもそのはず。なぜなら皇羽さんが、私をお姫様抱っこしたからだ。熱で顔を赤くしながら私を抱いて移動する皇羽さんに、思わずツッコミを入れたくなる。だって皇羽さんさっき「意識朦朧」とか言っていたんだよ?そんな状態で私を持ち上げるなんて無謀すぎるって!だけど心配する私を知ってか知らずか。皇羽さんは寝室に入り、勢いよく私をベッドに落とす。「わ!もう、ビックリするじゃないですか」口を尖らせて文句を言う私が、更にビック
◇翌朝。皇羽さんは九時に寝室から出てきて「良く寝た」と大きなあくびをする。ちょうどキッチンに立っていた私は、すっかり顔色が良くなった皇羽さんをジーッと見つめた。体調は良さそうだ。熱も引いたかな?そのまま「腹減ったー」と皇羽さんがやって来た。たった一人増えただけなのに、皇羽さんのガタイが良いばかりに広いキッチンが一気に狭く感じる。「皇羽さんおはようございます。調子はどうですか?」 「ん、もう全快」昨日は倒れるほど調子を崩していたのに今は元気なんて。それはそれでバケモノだ。ひょっとして無理しているとか?昨日だって、熱があるのに不必要に外出を繰り返した皇羽さんのことだ。今日もどこか出かけたいからと、体調の悪さを隠している可能性は充分にある。「体調、本当に良いんですか?」「ほんと」「ウソじゃなくて?」「いくら萌々に心配かけたくないからって、ウソはつかないぞ」「……そうですか」なんと言っていいか分からなかったから、そこで話を区切る。念のため顔色を見ると、確かに血色が良い。よかった、元気そうだ。昨日の〝赤いのか青いのか〟みたいなマーブル色じゃなくてホッと息をつく。「あ、ちょっと失礼しますね?」「! ……ん」手を伸ばしておでこに触れる。触る直前、なぜか皇羽さんが嬉しそうにまぶたを閉じた。なんだか飼い主に気を許した猫みたい。ちょっと可愛く見えちゃって、彼に触れる指先が脱力した。……あぁダメダメ。私まで気を許しそうになっちゃった。ペシリと、皇羽さんのオデコを軽く叩いた後。「大丈夫ですね」と距離をとる。無意味に一発食らった皇羽さんは、さっきの幸せそうな顔とは打って変わって渋い顔だ。心の中で「ごめんなさい」と謝る。「触った感じは平熱ですね。でも一応は体温計で測らせてください。あと夕方は体温が上がりやすいので、その時にもう一度測りますよ」 「えらく詳しいな?」「自分の体調は自分で管理しないといけなかったので、自然と覚えたんですよ」 「……」私にとっての日常を語ると、皇羽さんは固まってしまった。隠しとけばよかったかな?でも本当のことだし……。母親は、家に帰って来ない日が多々あった。私が病気をしている日も然りだ。最初こそ自分が優先されないことにショックを受けたけど、慣れてしまった今は何も思わない。それに手探りで覚えた渡世術は、こうしてちゃんと役に立
「い、 Ign:s のコンサート?」「そう!実はチケットを当てちゃったんだ~!」緩む顔をおさえきれない、という表情で私を誘うクウちゃん。困った顔の私とは反対に、クウちゃんは発光するばかりの輝く笑顔!すごく幸せそうで、私まで笑顔になっちゃう。周りの人までも幸せにしちゃうんだから、クウちゃんから出る推しパワーってスゴイ。肝心のコンサートは、正直行きたい。クウちゃんをここまで虜にさせる Ign:sがどんなものか、一度見てみたい。でも行ったら最後、私の嫌いなデビュー曲は絶対に流れるだろうな。コンサートに行く前から、これほど幸せそうに笑うクウちゃん。当日、隣で暗い顔をする私を見て、彼女のテンションを下げてしまわないか。それだけが心配。「あのねクウちゃん、私……」「あ……そっか。言わなくても大丈夫だよ、萌々!」「!」私が断ると分かったらしい。クウちゃんは、サッとチケットを引っ込め気丈に笑う。クウちゃんは、私が「行く」と返事すると思ったんだ。私が「Ign:sについて教えて」と言ったから、もう誘っても大丈夫だろうと、一歩を踏み出してくれたんだ。そんな彼女の勇気を無駄にしてしまったみたいで、心に大きなしこりが残る。……なんか嫌だな。クウちゃんの期待に応えたいよ!「く、クウちゃん!」パシックウちゃんの……いや、クウちゃんが持っているチケットを握り締める。「絶対にお金は返すから!私もコンサートに連れて行ってください!」「え、でも無理は良くないよ?」「大丈夫!無理じゃない!」「ちょっと震えているよ?」「これは武者震い!」「合戦にいくわけじゃないよ?癒されに行くんだよ⁉」「わ、わわわ、分かっているよ!」引き下がらない私を見て、クウちゃんは体の力を抜く。いつの間にか上げていた腰を、ストンとイスへ戻した。「前日でも当日でも、無理だったら正直に言ってね?私は萌々と一緒に楽しみたいだけだから」「クウちゃん……うん、分かったよ。約束する!」そうして私とクウちゃん、二人でコンサートに行くことが決まった。内心「大丈夫かなぁ」とドキドキがおさまらない。だけどクウちゃんが「楽しみだなぁ」と顔を綻ばせている姿を見て、私も勇気を出して良かったと思えた。◇その日の帰り道。下校前にクウちゃんが教えてくれた事を思い出す。『でもレオって本当に天才なんだよ~』『なん
衝撃的な一夜が明けた翌朝。隣を見ると、既に皇羽さんはいなかった。リビングにはメモが残されていて、『今日も帰りは遅い。10時ごろ』とだけ書かれていた。昨日玲央さんが「コンサートが近い」と言っていたし、きっと最後の大詰めをしてるんだろうな。……でも引っかかるんだよね。「ピンチヒッターがいらないくらい玲央さんが体調に気を付けて頑張れば、わざわざ皇羽さんが練習しなくてもいいんじゃない?」よく考えれば〝コンサート当日に呼ばれるか呼ばれないか分からない〟皇羽さんが必死に練習するって変な話だ。だって下手したらピンチヒッターの出番ナシかもしれないんだよ?もしそうなったら練習が全てムダじゃん。それとも〝絶対に出ると決まっている〟から練習しているのかな?「う~ん、あの双子の考えている事が分からなさすぎる」顔をしかめながら身支度を開始する。立ち上がるためにベッドに手を乗せると、皇羽さんが寝ていた場所に彼の体温が少しだけ残っていた。その時、昨日の皇羽さんの言葉を思い出す。――俺はお前が好きなんだ。ずっと変わらず好きなんだよ「……あつ」冬だというのに顔が火照る。ダメだ、昨日から皇羽さんのことを意識しすぎている。もしかしたら、その場限りの冗談かもしれないのに。「皇羽さんのことを考えたらドキドキするなんて嫌だな。認めたくない……」顔を洗って、ついでに頭も冷やそう。煩悩を払うように、急いで洗面台を目指した。◇その後。遅刻せずに登校し、現在はお昼休み。昨日は「皇羽さんの親戚の夢見さん!」と騒がれたけど、一日経ったらその波も落ち着いてきた。おかげで友達と机を合わせて、ゆっくりとランチができている。と言っても……「では私こと白樺 空(しらかば くう)が Ign:s について説明しましょう!」「……よろしくお願いします。先生」あぁ、購買で買ったあんパンが苦くなりそう……。実はクウちゃんに「 Ign:s について知りたい」と頼んだ。理由は単純で、玲央さんに言われたことがきっかけ。――萌々ちゃんが”嫌い”というその二文字の中に俺たちの見えない努力がある事を、頭の片隅で覚えておいてほしいなまるで私が悪者みたいじゃん!と思ったのが半分。だけど確かに玲央さんの言う通りだなと思ったのが半分。彼らを嫌うことと、彼らの努力までを軽んじることは別物だ。だから「ここまで脚光を浴び
あれは告白なのかな?それとも友達に言うノリで言った?……ダメだ。皇羽さんのことが、清々しいくらい分からない。答えの出ない堂々巡りをしていると、玲央さんが「さーて帰ろうかな」と席を立つ。来るのも帰るのも突然な人だ。っていうか、何か用があって来たんじゃないの?「今日はどうしてここへ?ナイスタイミングで来てくださって助かりましたけど」 「タイミングが悪かった、の間違いじゃなくて?」「へ?」 「俺が邪魔しなければ、今ごろ萌々ちゃんは皇羽と♡」「!」バシッと腕を叩くと、玲央さんは「顔は避けてくれるようになったんだね」と憎たらしく笑う。前、会った時に顔を叩こうとしたことを根に持っているらしい。玄関に移動して靴を履く玲央さんが、私の顔をマジマジと見る。「萌々ちゃんはすごく可愛いよね?どこかの事務所に入っているの?」 「おそらく借金のブラックリストには入っていますが……」 「ふふ、聞かなかったことにしとく」なんだそりゃと呆れる私に「さっきの”なんでここに来たのか”っていう質問だけど」と玲央さん。「今日ここに来たのは、なんとなく。双子の勘だよ。最近の皇羽は”家に来るな”の一点張りでさ。だからこの前お忍びで突撃すれば、なんと野良猫がいた。さすがにビックリしたよ」 「野良猫?」「萌々ちゃんのこと」 「⁉」の、ののの、野良猫なんて!間違ってはいないけど、すごく嫌だよ!嫌悪感を顔に出す私とは反対に、玲央さんは優しい目つきで私を見る。そして「そっか、君が萌々ちゃんか」とゆるりと頭を撫でた。「萌々ちゃんが Ign:s を嫌う理由は分かった。だけど萌々ちゃんが”嫌い”というその二文字の中に俺たちの見えない努力がある事を、頭の片隅で覚えておいてほしいな」 「どういう……?」 「いずれ好きになってほしいって事だよ。 Ign:s をね」玲央さんがウィンクをきめる。トップアイドルのキメ顔、まぶしすぎる!目を細めていると、玲央さんの小さな声が耳に入る。「まずは Ign:s を好きになって。次はレオ、そして最終的に俺。順番に好きになってくれたらいいなって思うよ。皇羽よりも、たくさんね」 「え?」チュッ「⁉」「じゃ、またね~」隙を見て私の頬にキスをした後。玲央さんはマンションを後にした。残された私は、キスされた頬を無言で拭く。玲央さんめ……。皇羽さんと双子
玲央さんに手を引っ張られながらリビングへ移動する。その後、玲央さんが作ってくれた温かいココアを飲みながら仲良く談笑――ということはなく。やっと落ち着いた二人が、リビングにて向かい合って座った時。玲央さんが口にしたのは、なんと私の愚痴だった。「初めて萌々ちゃんに会った時は驚いたよ~。 Ign:s 嫌い!って言うんだもん。さすがの俺も傷ついて、その日は食欲が出なかったなぁ」「すみません、まさかご本人とは知らず……」玲央さんは「いいんだよ~」と言いはするけど、どこか含み笑いだ。何か裏があるのでは?と疑っていると案の定。玲央さんは上目遣いで、とんでもない事を懇願する。「傷ついたけど、萌々ちゃんに頭をヨシヨシされたら元気になれるかもね?」「力になれません。他の方をあたってください」どうしてレオのファンでもなければ Ign:s のファンでもない私が慰めないといけないの。傷つけたことは謝るけど、慰める義理はない。それに十中八九、私をからかうためだろうし。といっても……この光景をクウちゃんを初めとするファンが見たら、さぞ羨むだろうなぁ。アイドルの頭をなでるなんて、滅多に経験できることじゃないもんね。それに玲央さんのキラキラとした瞳……変に断るより、思い切って頭を撫でた方が(後々の私にとって)よさそうだ。「仕方ない。犬を撫でていると思おう……」「いま失礼なこと言わなかった?」「と、とんでもない」噓八百で話をはぐらかした後。「一度だけですよ?」と念を押して、玲央さんの隣へ移動する。皇羽さんとは違う髪を、まじまじと見下ろした。猫っ毛な黒髪の皇羽さん、マッシュ型のアッシュ系金髪の玲央さん。二人を見分けるには髪しかないのでは?なんて思っちゃう。「皇羽さんがレオになる時はカツラをつけているんですか?」「カツラって……ウィッグね。そうそう、俺たちほぼ同じ顔だから助かるんだよ~」「こんな美形を二人も産んだお母さまが素晴らしいですね……」「あははー。伝えておくよ」髪をなでながら他愛ない会話をした後。私から視線を逸らした玲央さんが、さっきとはうって変わって真剣な声色を発する。「 Ign:s を嫌いな理由。皇羽には話したらしいけど、俺も聞いていい?」「……皇羽さんにも言いましたが、聞いて楽しい話ではないですよ?」「いいよ。今を時めく俺たちがどんな理由で嫌われて
皇羽さんが二人?どういうこと?訳が分からなくて口をパクパクさせる私に、もう一人のレオは王子様のごとく、ベッドへ倒れる私へ手を伸ばす。私に乗る皇羽さんを乱暴に押しやった後、お姫様を扱うように私の背中に手を添え丁寧に起こした。「やっほー野良猫ちゃん。この前ぶりだね」「この前?」ハテナを浮かべていると、もう一人の皇羽さんは「忘れちゃった?」と首をかしげる。「元気な俺を看病してくれた時があったでしょ?あの時はおかゆを食べなくてごめんね~」「看病、おかゆ……」ふと――脳裏に過去が蘇る。そう言えば、皇羽さんの存在に違和感を覚えた日があった。皇羽さんが熱で倒れた日だ。――いま皇羽さんがつけているニット帽を初めて見る。それにさっき出かける時は、いつもの帽子を被ってなかった?――あと皇羽さんの表情がいつもと違う気がする。獰猛な野獣のオーラから、可愛い小動物へ変わっているというか熱があるって言っていたのに元気そうだったり、そうかと思えばやっぱり熱があったり。あの日の皇羽さんは何か様子が違っていた。……ん?もしかして、あの時の皇羽さんって!「あの日ココにいたのは、あなただったんですか⁉」「ピンポーン♪」驚いて目を白黒させる私を、さもおかしそうに笑って見るもう一人の皇羽さん。そうかと思えばふっと真剣な顔になり、私の手の甲へ口づけを落とした。「初めまして萌々ちゃん。俺は玲央(れお)。知っての通り Ign:s のレオだよ。そして皇羽は、俺の双子の兄だ」「……は?」この二人が双子?皇羽さんが兄で、この人が弟?「世間には内緒にしているけど、俺の調子が悪いときや気分がノらない時……おっと。気分が悪い時は、皇羽に〝レオ役〟をしてもらっている。代打、影武者……う~ん、なんて言ったらいいかな。そうだ、ピンチヒッターだ」「ピンチヒッター……」繰り返す私に大きく頷いた玲央さんは、話を続ける。「最近の皇羽の無茶には手を焼いていてね。コンサートを控えている大事な時期だっていうのに、熱があるのを黙ってテレビに出るわ、手首を痛めているのにダンスをするわ。もうメチャクチャだよ。ピンチヒッターがピンチになってどうするのって話だよね」「えっと……」頭がこんがらがる。そんな中でも玲央さんの言葉に引っかかりを覚えた。「聞いてもいいですか?」目を細めてアイドルスマイルを浮かべ
私に伸ばし掛けた手を皇羽さんは引っ込めた。「萌々……」と、悲しそうな声色と共に。ズルい。どうして皇羽さんが悲しそうなの。傷ついた顔をするの。騙されたのは私で、利用されていたのも私だよ?「今日はもう寝ます。明日から新しい家を探しますね」「!出て行くって事かよ……」皇羽さんが顔を歪めたのが分かる。見なくても分かる。あなたの声色だけで大体の気持ちが分かる……ううん。分かっている、はずだったの。でも違った。私はあなたのことを何も分かってはいなかった。あなたがレオだと見破れなかった。でも、それでよかったんだ。所せん私たちは友達にもなっていない浅い関係。お別れなんて痛くもかゆくもないでしょう?だからバイバイです。私がこれ以上、皇羽さんの温もりを知ってしまう前に――「私が Ign:s 嫌いって知っているでしょう?これまで通りなんて無理ですよ」「……~っ、チッ」荒々しい皇羽さんの舌打ちが聞こえ、両頬を掴まれる。いつもより強い力で上を向かされた。「萌々だって、俺のこと分かっていないくせに……っ」「皇羽さん……?」すごく真剣で、これまでにない真っすぐな瞳が悲しそうに揺れている。そうかと思えばいきなり私を抱き上げ、移動を始めた。いくら「降ろして!」と声を上げようが全てスルー。見上げると、どうやら怒っているらしい。皇羽さんの口がへの字に曲がっている。連れて行かれた先は寝室。柔らかいキングサイズのベッドに勢いよく降ろされる。「きゃっ!」「……俺が、」倒れ込んだ私に、皇羽さんが覆いかぶさった。慈しむように、私の両頬に再び手を添える。「俺がどんな気持ちでレオをやってるか、少しも知らないくせに」「……へ?」「俺が……なんでもない」そう言って口を閉ざした皇羽さん。何か言葉を飲んでいるように見えたのは気のせいだろうか。「それにな、俺だって傷ついたよ。Ign:s が嫌い、デビュー曲が嫌いって言いやがって……。だけどな、そんな事を言われても俺はお前が好きなんだ。ずっと変わらず好きなんだよ」「⁉」皇羽さん、今なんて言った?ジワジワと目に涙がたまっていく。どうして涙が出るのか分からない。だけど皇羽さんの言葉に、確かに胸を打たれた私がいる。まるで「誰かに必要とされる」この瞬間を、ずっと待ちわびていたように。「~っ」「こっち向いて、萌々」私の涙が零れる前に、
衝撃の展開を迎えた後。これ以上見て居られなくてテレビを消す。完全に伸びてしまったラーメンを何とか胃に納め、ただソファに座っていた。「力が入らないな……」皇羽さんはアイドルだったという事実が、私を抜け殻にしていく。それに「裏切られた」こともショックだ。「皇羽さんと一緒に住んだら楽しい毎日になりそうだなって、そう思い始めてきていたのに」もちろん勝手に転校してきたり、あらぬ設定を付加されたのは予想外だったけど。だけど「いってらっしゃい」と言ってくれたり、一緒にご飯を食べたり。そんな何気ない日常が温かくで、好きだった。「……」これからどうしようか。皇羽さんがアイドルである以上、私が一番に嫌っている Ign:s である以上、もうココにはいられない。アパートを探さないと。だけど未成年に貸してくれるかな?そう考えていた時だった。ガチャと玄関から音がする。時計を見ると夜の九時を過ぎていた。そうか、皇羽さんが帰ってきたんだ。「萌々ー?寝ているのか?」皇羽さんは、いつもと同じように帰って来た。いつもと同じように鍵を玄関へ置き、コートをかけ、足音を響かせ廊下を歩く。何もかもがいつもと同じ。たった一つ違うのは、私が「皇羽さん=レオ」と知ってしまったこと。「わ!なんだよ、ここにいたのか。〝おかえり〟くらい言ってくれよ」「……」リビングに入るや否や、膝を抱えて小さくなる私を見つける。そんな私から何かを察したのか、皇羽さんは「萌々?」と不思議そうに近寄った。「どうした、腹でも痛いのか?」「……」この人は、さっきまでテレビに出て歌って踊り、何人ものファンを魅了してきた。それほどスゴイ人って分からないくらい、今の皇羽さんは〝いつもの皇羽さん〟だった。レオを悟らせない完璧な演技。皇羽さんは、レオの存在を隠すのが上手すぎる。「おい、本当にどうしたんだよ。ご飯は食べたのか?まだなら何か買って来るけど?」「……」一言も喋らず表情さえも崩さない私を見て、いよいよ皇羽さんは焦ったらしい。私の傍をグルグルと周り、額に手をあて熱を確かめる。いつものように優しい手つき。だけど全然、嬉しくない。いつもの皇羽さんなのに、頭の中でレオがちらつく。さっき見たアイドルが頭から離れない。いくら皇羽さんが「日常」を装ったって、もうどうしたって私の中で皇羽さんはレオなのだ。私が嫌いなアイド
「テレビで Ign:s を見ない日はないよね。どれだけ多忙なんだろう」テレビだけじゃない。SNSを初めとする動画にも引っ張りだこだ。それにコラボキャンペーンとかいって、企業とコラボなんぞしているのを今朝の電車広告で見た。「クウちゃんが言うには〝レオは私たちと同い年〟なんだっけ?」私なんて学校が終わったら疲れてもぬけの殻になっているのに、レオはこうやって朝から晩まで仕事をしているんだもんね。素直にスゴイや。「 Ign:s の事は嫌いだけど、尊敬してる所はあるんだよね」っていうか今日の私が疲れている理由って、皇羽さんの噓八百の設定のせいだよね?皇羽さん激似のレオを見ると、学校でのことを思い出してカチンとくる。あらぬ設定のせいで学校で引っ張りだこになった私の苦労。皇羽さんが帰宅次第、たんまりと聞かせてやるんだから!「お腹もすいたし、晩ご飯を食べながら見るとしますか。本当は消したいけど親友のクウちゃんのためだ、我慢して見るぞ……!」簡単に即席ラーメンを作る。カップにお湯を注いで三分待つ間、テレビではおなじみトークショーが繰り広げられていた。メンバー皆がにこやかに受け答えしている。だけど、その中でもひときわ輝いているのがレオだ。思わず目を瞑りたくなりそうなほどキラキラした笑顔で、楽しそうに司会者と話している。「今日は何を聞かれるんだろう」呑気に考えていると、三分のタイマーが鳴る。リビングへ移動し、どんぶりの中で泳ぐ麺を箸で掴んだ。昨日は雑炊、今日はラーメン。ご飯作りは明日から頑張るつもり。するとタイムリーに、テレビの中でもご飯の話で盛り上がる。『レオくんは昨日の夜、何を食べたの?』 『昨日は雑炊!めちゃくちゃ美味しかったです!』ピタリ掴み上げた麺が、重力に従いカップの中へ戻って行く。だって今、レオは何て言った?「雑炊?」そう言えば昨日、皇羽さんが食べた晩ご飯も雑炊だ。まさかねとか、偶然だよねとか。それらの言葉を強引に頭へ流し込む。そう。偶然に違いないんだ。皇羽さん、私は信じていますからね。あなたががレオじゃないってことを。「それに雑炊なんて家でよく作る料理じゃん」箸から滑り落ちた麺を拾う。「フーフー」と息を吹きかけ湯気を飛ばした。その時、自分の中に湧いた「最悪の予想」も一緒に吹き飛ばす。私の体から、冷や汗なのかただの汗なのか分からない物が
もしも大事なことだったらいけないし、今すぐ確認した方がいいよね?机の下、不慣れな手つきでメールを確認する。えぇっと、なになに。『ということだから俺は帰る。後はよろしく。居眠りせずにノートとっとけよ。帰ってから写させてもらうからな』「は?」なに、このパシリのような文面。いや「ような」じゃなくて、絶対にパシリだ。そうか。私が在学する高校に、わざわざ皇羽さんが転校してきた理由がやっと分かった――便利だからだ。私がいれば、自分が授業に出なくていいからだ。ようは使い勝手がいいんだ。……なんだ。私は体のいいコマにすぎないのか。それなのに私ったら、さっき「私のそばにいたいから転校してきたのかな?」なんて。己惚れたことを言っちゃった。恥ずかしい。本人に話す前で本当に良かった。……と言っても、胸に開いた僅かな隙間から冷たい風が吹いて止まない。しっかり着込んで来たはずなのに、寒い。頭の後ろでキュッとしばられた髪が、なんだかズキズキと疼いて痛い。触ると、今朝皇羽さんがプレゼントしてくれたばかりのリボンに触れた。そのリボンさえも冷たく感じてしまうのは、どうしてだろう。「……ってダメダメ。元気を出すんだ、萌々」ここで落ち込んだら、皇羽さんの思いのツボだ。「もしかして俺のこと好きになった?」って、ドヤ顔する皇羽さんが脳裏をかすめる。好きになんか、なっていない。ときめいてなんかいない。私の心は奪われていないもん。カチッと電源ボタンを押して、完全にスマホを切る。今日くらいスルーしても怒られないよね?皇羽さんにはやられっぱなしだから、これくらいの反撃は可愛い方だ。それよりも何よりも。口にしがたいこの恨み、どう晴らしてくれようかな。「今日の夜、しっかり覚えといてくださいね。皇羽さん……っ」復讐に闘志を燃やす私を見て、隣の席の男子が「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。 ◇それからは本当に大変だった。休み時間と放課後、驚くことに授業中までも。ちょっとした隙間時間があれば、女子たちに皇羽さんのことを聞かれた。本人がいないなら親戚の私に聞いちゃえ!ということだ。だけど親戚でも何でもない私からしたら、とんでもない話だ。迷惑千万!まさか私が学校で女子に追われる日が来るなんて!なんとか女子の目をかいくぐり、やっとこさ逃げながら。ようやくマンションに到着する。迂回を繰り返したおかげで現在は