◇その後。スキップしながら部屋を出た皇羽さんは、なぜかそのまま外へ出た。とうとう戻ることなく、現在は午後七時。これだけ帰ってこないということは、結局は仮病だったってこと?私がおかゆを作った意味も、学校を休んだ意味もなかったということだ。「なんて無駄な一日……いや、それよりも」キスだよキス!なにちゃっかりキスしているの!いくら唇じゃないとはいえ、勝手にキスするなんて許されるものじゃない。あの時の羞恥心を思い出し、唇がワナワナと震える。どっぷり日が暮れた空を見る。窓には、すっかり鬼の形相になった私が写っていた。帰って来たら、絶対に一言文句を言ってやるんだから!すると玄関からガチャと音がする。皇羽さんが帰って来たんだ!「はぁ、しんど……」皇羽さんの独り言。「しんどい」って……はは~ん。さては風邪をぶり返したな?まだ本調子じゃないのに外に行って遊ぶからだ。自業自得だよ。……あ、そうだ。このまま「お帰りなさい」と出迎えるのもシャクだから、トイレに隠れることにした。って言ってもすぐに見つかるだろうけど。でも私だって、少しくらい皇羽さんを「ギャフン」と言わせたい。私がいないことを知った皇羽さんが、一秒でも焦ったら私の勝ちだ。静かにトイレのドアを閉める。同時に、皇羽さんがリビングに入って来た。「萌々? 寝てるのか?」午後7時に寝る高校生がいたら、かなりの健康重視派だと思う。しかも生憎わたしは夜型だ。両手で口を覆って笑い声を我慢する。その間も皇羽さんは私を探していた。「おい、萌々ー」返事なんてしてやるもんか。せいぜい私がいないと知って焦ってよね。今日一日、どれだけ私が皇羽さんを心配したと思っているの。人の気も知らないで、挙句の果てにキスだよ?病人のくせに、そういう下心だけは元気なんだから。「ふふ、いい感じに困ってる」トイレのドアをソッと開けて覗いて見る。ちょうど皇羽さんが寝室から出てきた。あれ?コートを着たまま、マスクも帽子もつけたままだ。いつもなら玄関で脱ぐのに、珍しい。だけどもっと珍しい光景を見る。帽子とマスクの間からのぞく皇羽さんの目が、所在なくキョロキョロしているのだ。不安そうに揺れているのだ。「萌々」と、私の名前を口にしながら。「どこにもいない。まさか、またアパートに?もしそうなら迎えに行ってやらないと……」言いながら、皇羽さんは急
ギュッと痛いくらい抱きしめられた後。皇羽さんは、自身の大きな体が揺れるくらい「はぁ~」と深く息を吐く。「よかった萌々。いたんだな」「〝よかった〟って……」皇羽さんの体が熱い。抱きしめ合っていると、私の体がジワジワと汗ばんでくるほど。やっぱり皇羽さんは熱があるんだ。それなのに私を探しに行こうとしてくれていたんだね。……だったら何も良くないじゃん。こんな体で外に出たら、皇羽さん倒れちゃうよ?「強引なんだか、優し過ぎるんだか……」さっきムリヤリキスされたことを許してしまいそうなほど、私を心配する皇羽さんの気持ちが嬉しい。コップに水を注ぐように、少しずつ心が満たされていく。思い返すと、昨日から皇羽さんは私に構いすぎだ。作ってもらったおかゆをスルーして外出する……くらいの方が正しい距離感だよ。ムダになったおかゆを見るのは悲しいけど、私たちは昨日会ったばかりの浅い関係。逆に今までの皇羽さんが優し過ぎたんだ。だから皇羽さん、調子悪い時くらい私に構わずゆっくり休んでよ。お願いだから、早く元気になって。「もし皇羽さんが風邪をこじらせて入院でもしたら、私また一人ぼっちじゃないですか」「萌々……」「だから行かないで、ここにいてください。私のそばにいて」「っ!」皇羽さんの背中へ控えめに手を回す。今まで抱きしめられた事は何度かあったけど、私が抱きしめ返したのはたぶん今回が初めてだ。皇羽さんの胸板に寄せた耳に、ドッドッドと忙しない心臓音が伝わって来る。皇羽さん、すごくドキドキしている。なんで?どうして私が抱きしめ返しただけで、そんなにドキドキするの?熱だから?体がしんどいから?それとも――不思議に思って皇羽さんを見上げる。すると思ったよりも至近距離にいた皇羽さんは、切れ長の瞳を見開いた後、悔しそうに細めた。「クソッ」という舌打ち付きで。「卑怯くさいな。俺が調子悪くて意識朦朧としている時に限ってこんな事しやがって……」「意識朦朧の状態で、どうして起きていられるんですか。バケモノですか」「うるさい……」見上げると、顔を真っ赤にした皇羽さんと目が合う。熱のせいで目が潤んでいるのが妙に色っぽくて、思わず心臓が跳ねる。しまった、皇羽さんのドキドキが移っちゃった。急いで皇羽さんから顔を逸らす。すると皇羽さんの重たい頭が、私の肩にポスンと乗った。熱のせいで温かくなった
「首……」「どうかなっていますか?」「蚊に刺されたみたいに赤くなっている。どうした?」って真剣な顔で聞かれても困る。「どうしたもこうしたも、皇羽さんにキスされた以外は何もありませんよ」すると皇羽さんは「は?」と、目ん玉が転がり落ちそうなほど見開いた。「俺がキス?萌々に?」 「おやおや皇羽さん、いくら風邪だからってほんの少し前のことを忘れてもらっては困りますよ。冷静に喋ってはいますが、これでも私そうとう怒っていますからね?」だけど皇羽さんは立ち止まったまま私の首から目を離さない。私の首に何かついている?そう言えば、さっき皇羽さんは「蚊にさされたみたいに赤い」と言ったけど――わけがわからない。困惑から、チラリと皇羽さんを盗み見る。すると彼の顔には「本当に身に覚えがありません」と言わんばかりの驚いた表情が浮かんでいた。うそ、本当の本当に覚えていないの?お昼にキスしたことを忘れたの?まさか高熱のせいで?改めて風邪の恐ろしさを思い知る。だってウィルスをよせつけなさそうな皇羽さんの記憶がなくなるほどの威力を持つ菌だよ?怖すぎる!やっぱり寝てもらわないとダメだ。これ以上悪化したら、最終的に「僕は誰?」とか言い出しかねないもん。皇羽さんの身を守るためにも、今すぐベッドに連れて行かなくちゃ!「本当に忘れたんですね。いいですよ、皇羽さんが回復したら絶対に思い出してもらいますから。そして何時間でも説教します!だから今はさっさと寝てください!」私の首に回る皇羽さんの腕を、ヨイショと担ぎ直す。ズッシリした体重が、遠慮なくのしかかって来て危うく倒れそうになった。だけど次の瞬間。ふわっとした浮遊感の後、全ての物が軽くなる。私の首に回る皇羽さんの腕も二人分の体重がかかった私の足も、何もかも軽い。「ちょっと、何やっているんですか皇羽さん!」何もかもが軽い。それもそのはず。なぜなら皇羽さんが、私をお姫様抱っこしたからだ。熱で顔を赤くしながら私を抱いて移動する皇羽さんに、思わずツッコミを入れたくなる。だって皇羽さんさっき「意識朦朧」とか言っていたんだよ?そんな状態で私を持ち上げるなんて無謀すぎるって!だけど心配する私を知ってか知らずか。皇羽さんは寝室に入り、勢いよく私をベッドに落とす。「わ!もう、ビックリするじゃないですか」口を尖らせて文句を言う私が、更にビック
◇翌朝。皇羽さんは九時に寝室から出てきて「良く寝た」と大きなあくびをする。ちょうどキッチンに立っていた私は、すっかり顔色が良くなった皇羽さんをジーッと見つめた。体調は良さそうだ。熱も引いたかな?そのまま「腹減ったー」と皇羽さんがやって来た。たった一人増えただけなのに、皇羽さんのガタイが良いばかりに広いキッチンが一気に狭く感じる。「皇羽さんおはようございます。調子はどうですか?」 「ん、もう全快」昨日は倒れるほど調子を崩していたのに今は元気なんて。それはそれでバケモノだ。ひょっとして無理しているとか?昨日だって、熱があるのに不必要に外出を繰り返した皇羽さんのことだ。今日もどこか出かけたいからと、体調の悪さを隠している可能性は充分にある。「体調、本当に良いんですか?」「ほんと」「ウソじゃなくて?」「いくら萌々に心配かけたくないからって、ウソはつかないぞ」「……そうですか」なんと言っていいか分からなかったから、そこで話を区切る。念のため顔色を見ると、確かに血色が良い。よかった、元気そうだ。昨日の〝赤いのか青いのか〟みたいなマーブル色じゃなくてホッと息をつく。「あ、ちょっと失礼しますね?」「! ……ん」手を伸ばしておでこに触れる。触る直前、なぜか皇羽さんが嬉しそうにまぶたを閉じた。なんだか飼い主に気を許した猫みたい。ちょっと可愛く見えちゃって、彼に触れる指先が脱力した。……あぁダメダメ。私まで気を許しそうになっちゃった。ペシリと、皇羽さんのオデコを軽く叩いた後。「大丈夫ですね」と距離をとる。無意味に一発食らった皇羽さんは、さっきの幸せそうな顔とは打って変わって渋い顔だ。心の中で「ごめんなさい」と謝る。「触った感じは平熱ですね。でも一応は体温計で測らせてください。あと夕方は体温が上がりやすいので、その時にもう一度測りますよ」 「えらく詳しいな?」「自分の体調は自分で管理しないといけなかったので、自然と覚えたんですよ」 「……」私にとっての日常を語ると、皇羽さんは固まってしまった。隠しとけばよかったかな?でも本当のことだし……。母親は、家に帰って来ない日が多々あった。私が病気をしている日も然りだ。最初こそ自分が優先されないことにショックを受けたけど、慣れてしまった今は何も思わない。それに手探りで覚えた渡世術は、こうしてちゃんと役に立
それにしても、こうなった皇羽さんは「テコでも動かない」って何となく分かる。皇羽さんの部屋の秘密を知りたいけど、どうやら彼の口は堅そうだ。仕方ないからため息を一つ吐いて、キッチンから雑炊を運ぶ。用意が整った後、私も皇羽さんの隣へ座った。「萌々の手料理……うわ、やばい」まるで熱い物を食べた時のように、頬を紅潮させ雑炊を見つめる皇羽さん。適当に野菜を入れて雑炊の素を入れただけの料理に、そこまで有難みを覚えられると逆に肩身が狭くなる。「いただきます」「ど、どうぞ」そう言えば薄味にし過ぎたかも。鶏肉、かたくなりすぎてないかな?自分の料理がいざ他人の口に入ると思ったら、妙に緊張してしまう。だけど皇羽さんはそんな私の緊張ごと食べるように、大きな口を開けて勢いよく雑炊を胃に落としていく。「……っ」ドキドキ。私の手料理を食べる皇羽さんが直視できなくて俯く。すると床に並んだ私たちの足が目に入った。身長だけにとどまらず、私たちは足の大きさもけっこう違うらしい。皇羽さんの足って巨人みたいだ。いったい何センチあるんだろう。「ん、うまっ」「! 味、薄くないですか?」「ちょうど良くてすごく美味い。あったまるわ、ありがとうな萌々」「い、いえっ」どうやら「すごく美味い」はお世辞じゃないらしく、皇羽さんはパクパクと食べてくれた。一口が大きいなぁ、なんて思っていると「おかわりある?」と自らソファを立つ。「ありますよ」と答える前に、そそくさとキッチンへ向かうものだから思わず笑ってしまった。せっかちだなぁ。だけど、それほど私の雑炊を食べたいと思ってくれるのは嬉しい。今まで自分が料理を作って自分が食べるだけだったからなぁ。誰かに食べてもらえるって、こんなに嬉しいことなんだ。「そういや昨日から何も食べてなかったな」「ちょっと、冗談はよしてくださいよ」私ははっきり見ましたよ。コンビニで買った唐揚げとグミを、皇羽さんがキレイに完食したのを!言い返そうとしたけど、熱で記憶が曖昧なのかもしれない。本人が覚えていないことを蒸し返しても仕方ないよね。全て風邪が悪いってことにしておこう。「しかし本当に熱って怖いですね。記憶障害が起きるなんて……ふぁ〜」「あくび?寝てないのか?」ソファの背もたれに寄りかかり目を擦る私を見て、皇羽さんはキョトン顔。私を見ながらも雑炊を食べる手を止めな
一方、画面の中にいるIgn:s のメンバーも、思いもよらないレオの発言に興味津々。矢継ぎ早に質問を投げかける。『へーどんな猫?ってか住み着いてるって(笑)』 『レオの家に行くぐらいだから、すごく品のある猫とか?』『普通の猫だよ。ただ少し気性が荒くてね。何回ひっかかれそうになったか』 『じゃあ追い出すの〜?』レオは少し考えた後。意味深な笑みを浮かべてニコリと笑う。『追い出さない。むしろずっと住み着いていてほしいな。どうにかして気に入られたいんだよね。俺、あの猫が気に入っちゃったんだ』「……」その時、私の頭に手を置く皇羽さんの手がピクリと反応する。そればかりか「チッ」と舌打ちをし、〝さっきいじめた〟私の首にスルリと指を這わせた。「勝手につまみ食いしやがって。なにが“気に入った”だ。俺が見つけたんだ。気に入られたかったら、全力でこいつを手懐けてみろよ」「こいつ」なんて言葉が悪いなぁ――そんなことを思っていたら、皇羽さんの手に力が入る。え、まさか「こいつ」って私のこと?……まさかね。考えすぎか。皇羽さんが私を襲わないと分かって安心したからか、本格的に眠くなってきた。するとテレビを消した皇羽さんが私の髪に触れる。まるで赤ちゃんを撫でるように、何度も私の髪に手を通した。規則的な動きから来る安心感で、眠さが倍増だ。サラサラと髪が順番に滑り落ちていく。その度に良い匂いが二人を包み込んだ。「やわらかい髪だな。それに俺と同じ匂いがする」シャンプーもボディソープも洗濯洗剤も。全て一緒で同じ匂い。一緒に住んでいるから当たり前なんだけど、それが妙にくすぐったい。この前会ったばかりなのに、すごく仲良しみたいじゃん。「はぁ、たまらないな……」皇羽さんの熱っぽい吐息を聞いて、夢見心地だった意識が少しだけ覚醒する。なんだか雲行きが怪しいような……。重たいまぶたを僅かに開けると、皇羽さんは堪えきれない笑みを隠そうともせず口に弧を描いていた。不敵な笑み丸出しだ。「アイツへのお返しは、ココだけじゃ足らないよな?」トントンとノックするような手つきで、再び私の首を触る。顔をのぞきこまれたから、急いで目を瞑った。そんな私を見て皇羽さんは「起きないなら好都合だな」とおでこにキスを落とした後。自室から、紙とペンを持って来る。手首を痛めた右手に代わり、左手でペンを走らせる。そ
「萌々、昨日自分が何をされたか分かってないのかよ」「な、なにって……」なにって、なに⁉それ以上は聞くのが怖かったため、グッと言葉を飲みこむ。すると皇羽さんが「それよりも」と自分のお腹を労わるようにさすった。「お前の寝相はどうなってんだよ。回し蹴りを食らって気絶するかと思ったぞ」再び寝相の話をするなんて、よほど痛かったんだ。でも私が悪いわけじゃない。皇羽さんにだって落ち度はある!「横で私が寝ているのに、逃げなかった皇羽さんが悪いです。何をモサッとしていたんですか?」 「! ……なんでもない」静かになった皇羽さんを見るに、昨日なにかを書いていたことは秘密にしたいらしい。あの時の私はほとんど眠っていたから、何を書いていたかまでは見えなかったんだよね。本当は根掘り葉掘り聞きたいけど、皇羽さんの右手首が気になる。昨日張った湿布が、半分以上とれかけているからだ。「皇羽さん、ちょっと右手かしてください。湿布を貼り替えます」「……ん」大きなたくましい腕が、ズイと私に向かって伸びて来る。湿布をはがす時、ゴツゴツした指に触れると皇羽さんがピクリと反応した。「小学生じゃあるまいし」なんて思ったけど、耳をほんのり赤く染める皇羽さんを見ると私まで意識してしまう。だんだんと指が汗ばんで来た。いけない、また流されそうになっている!邪念を祓うため、近くにあった油性ペンを手に取る。そして貼り直した湿布に、楽しく落書きをした。といっても私は猫しか描けない。「出来ましたよ」「ん、さんきゅ」どうやら猫に気付かなかったらしい皇羽さんは、持っていたシャツに袖を通す。高校指定のシャツかな?私の学校の物とよく似ている。チラリと時計を見ると、現在七時半。よし、なんとか間に合いそう!自分の準備をしながら、ふと疑問に思ったことを皇羽さんに聞いてみた。「皇羽さんは何時の電車に乗るんですか?調べたところ、私の学校と皇羽さんの学校は近いみたいです。駅も一つしか違いません。日によっては一緒に行ける日がありそうですよ!」いい案だと思ったけど、皇羽さんは「あ~」とシャツのボタンを留めながら唸る。何か不都合があるのかな?何に悩んでいるんだろう?気になって皇羽さんの言葉の続きを待っていると、「いいのか?学校に遅れるぞ?」 「本当に話題を逸らすのが下手ですね……」どうやら私に知られたくない
「今日からウチのクラスに転校してきた麗有(うらあり)皇羽(こう)だ。皆、仲良くするように~」「……え?」学校に到着し、一時間目が始まる前。珍しく担任が教室に来たと思ったら、驚くことに後ろに皇羽さんが控えていた。思いがけない光景に、開いた口が閉まらない。反対に皇羽さんは、私の姿を捉えると目を細めて笑った。もちろんイケメン皇羽さんがそんなことをすれば、クラスの女子が黙っているわけはなく。皇羽さんの微笑後、間髪入れずに黄色い悲鳴が教室に轟く。「キャー!カッコいい~!」 「 Ign:s のレオじゃん!違うけど、レオそっくりじゃん!」 「レオー!こっち向いて―!」 「キャー!レオくーん!!」あまりのそっくりさんに、女子達は阿鼻叫喚。むせび泣いて手を合わせる子もいれば、「写真撮っていいですか?」と担任がいるにもかかわらず堂々とスマホを取り出す子もいた。一方の担任は「また〝コレ〟だよ。職員室の二の舞だな」とポツリと零す。どうやら Ign:s のレオは幅広い年齢の女性を虜にしているようだ。「皆~さっきも言ったように、この子はレオじゃなくて皇羽だからな。わざと間違えないように」釘を刺した担任の言葉をしっかりと聞いたにも関わらず、クラスの女子たちは声を揃えて「レオ―!」と名前を呼ぶ。まるでコンサート会場だ。一方の皇羽さんは私から目を逸らした後。スンとすました顔で自己紹介をした。「麗有皇羽です。よろしく」なんてそっけない挨拶。皆からの心象が悪くなりそうだ。……あぁそうか。皇羽さんはレオと間違われることに辟易しているから、わざと間違えて「レオ」と呼ぶ女子達が気に入らないんだ。皇羽さんの気持ちは分からなくもないけど、いかんせんレオそっくりさんなのだ。どこをどう見てもレオな皇羽さんが、女子たちに何の反応もせずに無表情のまま自分の席に座るのはいかがなものだろうか。皇羽さんの印象が悪い=レオへの風評被害になるのでは?心配していると、教室から「ほぅ」といくつもの感嘆の声が漏れる。何かというと、女子達が目をハートにして「クールなレオも素敵」、「俺様な言葉で罵られたい」とあらぬ願望を抱いていた。女子達のめげないガッツに、心の中で拍手を送る。同時に、イケメンは何をしても絵になるのだと悔しくなった。あとは……皇羽さんが〝たくさんの女子に見られる〟というのが何となく引っかか
私に伸ばし掛けた手を皇羽さんは引っ込めた。「萌々……」と、悲しそうな声色と共に。ズルい。どうして皇羽さんが悲しそうなの。傷ついた顔をするの。騙されたのは私で、利用されていたのも私だよ?「今日はもう寝ます。明日から新しい家を探しますね」「!出て行くって事かよ……」皇羽さんが顔を歪めたのが分かる。見なくても分かる。あなたの声色だけで大体の気持ちが分かる……ううん。分かっている、はずだったの。でも違った。私はあなたのことを何も分かってはいなかった。あなたがレオだと見破れなかった。でも、それでよかったんだ。所せん私たちは友達にもなっていない浅い関係。お別れなんて痛くもかゆくもないでしょう?だからバイバイです。私がこれ以上、皇羽さんの温もりを知ってしまう前に――「私が Ign:s 嫌いって知っているでしょう?これまで通りなんて無理ですよ」「……~っ、チッ」荒々しい皇羽さんの舌打ちが聞こえ、両頬を掴まれる。いつもより強い力で上を向かされた。「萌々だって、俺のこと分かっていないくせに……っ」「皇羽さん……?」すごく真剣で、これまでにない真っすぐな瞳が悲しそうに揺れている。そうかと思えばいきなり私を抱き上げ、移動を始めた。いくら「降ろして!」と声を上げようが全てスルー。見上げると、どうやら怒っているらしい。皇羽さんの口がへの字に曲がっている。連れて行かれた先は寝室。柔らかいキングサイズのベッドに勢いよく降ろされる。「きゃっ!」「……俺が、」倒れ込んだ私に、皇羽さんが覆いかぶさった。慈しむように、私の両頬に再び手を添える。「俺がどんな気持ちでレオをやってるか、少しも知らないくせに」「……へ?」「俺が……なんでもない」そう言って口を閉ざした皇羽さん。何か言葉を飲んでいるように見えたのは気のせいだろうか。「それにな、俺だって傷ついたよ。Ign:s が嫌い、デビュー曲が嫌いって言いやがって……。だけどな、そんな事を言われても俺はお前が好きなんだ。ずっと変わらず好きなんだよ」「⁉」皇羽さん、今なんて言った?ジワジワと目に涙がたまっていく。どうして涙が出るのか分からない。だけど皇羽さんの言葉に、確かに胸を打たれた私がいる。まるで「誰かに必要とされる」この瞬間を、ずっと待ちわびていたように。「~っ」「こっち向いて、萌々」私の涙が零れる前に、
衝撃の展開を迎えた後。これ以上見て居られなくてテレビを消す。完全に伸びてしまったラーメンを何とか胃に納め、ただソファに座っていた。「力が入らないな……」皇羽さんはアイドルだったという事実が、私を抜け殻にしていく。それに「裏切られた」こともショックだ。「皇羽さんと一緒に住んだら楽しい毎日になりそうだなって、そう思い始めてきていたのに」もちろん勝手に転校してきたり、あらぬ設定を付加されたのは予想外だったけど。だけど「いってらっしゃい」と言ってくれたり、一緒にご飯を食べたり。そんな何気ない日常が温かくで、好きだった。「……」これからどうしようか。皇羽さんがアイドルである以上、私が一番に嫌っている Ign:s である以上、もうココにはいられない。アパートを探さないと。だけど未成年に貸してくれるかな?そう考えていた時だった。ガチャと玄関から音がする。時計を見ると夜の九時を過ぎていた。そうか、皇羽さんが帰ってきたんだ。「萌々ー?寝ているのか?」皇羽さんは、いつもと同じように帰って来た。いつもと同じように鍵を玄関へ置き、コートをかけ、足音を響かせ廊下を歩く。何もかもがいつもと同じ。たった一つ違うのは、私が「皇羽さん=レオ」と知ってしまったこと。「わ!なんだよ、ここにいたのか。〝おかえり〟くらい言ってくれよ」「……」リビングに入るや否や、膝を抱えて小さくなる私を見つける。そんな私から何かを察したのか、皇羽さんは「萌々?」と不思議そうに近寄った。「どうした、腹でも痛いのか?」「……」この人は、さっきまでテレビに出て歌って踊り、何人ものファンを魅了してきた。それほどスゴイ人って分からないくらい、今の皇羽さんは〝いつもの皇羽さん〟だった。レオを悟らせない完璧な演技。皇羽さんは、レオの存在を隠すのが上手すぎる。「おい、本当にどうしたんだよ。ご飯は食べたのか?まだなら何か買って来るけど?」「……」一言も喋らず表情さえも崩さない私を見て、いよいよ皇羽さんは焦ったらしい。私の傍をグルグルと周り、額に手をあて熱を確かめる。いつものように優しい手つき。だけど全然、嬉しくない。いつもの皇羽さんなのに、頭の中でレオがちらつく。さっき見たアイドルが頭から離れない。いくら皇羽さんが「日常」を装ったって、もうどうしたって私の中で皇羽さんはレオなのだ。私が嫌いなアイド
「テレビで Ign:s を見ない日はないよね。どれだけ多忙なんだろう」テレビだけじゃない。SNSを初めとする動画にも引っ張りだこだ。それにコラボキャンペーンとかいって、企業とコラボなんぞしているのを今朝の電車広告で見た。「クウちゃんが言うには〝レオは私たちと同い年〟なんだっけ?」私なんて学校が終わったら疲れてもぬけの殻になっているのに、レオはこうやって朝から晩まで仕事をしているんだもんね。素直にスゴイや。「 Ign:s の事は嫌いだけど、尊敬してる所はるんだよね」っていうか今日の私が疲れている理由って、皇羽さんの噓八百の設定のせいだよね?皇羽さん激似のレオを見ると、学校でのことを思い出してカチンとくる。あらぬ設定のせいで学校で引っ張りだこになった私の苦労。皇羽さんが帰宅次第、たんまりと聞かせてやるんだから!「お腹もすいたし、晩ご飯を食べながら見るとしますか。本当は消したいけど親友のクウちゃんのためだ、我慢して見るぞ……!」簡単に即席ラーメンを作る。カップにお湯を注いで三分待つ間、テレビではおなじみトークショーが繰り広げられていた。メンバー皆がにこやかに受け答えしている。だけど、その中でもひときわ輝いているのがレオだ。思わず目を瞑りたくなりそうなほどキラキラした笑顔で、楽しそうに司会者と話している。「今日は何を聞かれるんだろう」呑気に考えていると、三分のタイマーが鳴る。リビングへ移動し、どんぶりの中で泳ぐ麺を箸で掴んだ。昨日は雑炊、今日はラーメン。ご飯作りは明日から頑張るつもり。するとタイムリーに、テレビの中でもご飯の話で盛り上がる。『レオくんは昨日の夜、何を食べたの?』 『昨日は雑炊!めちゃくちゃ美味しかったです!』ピタリ掴み上げた麺が、重力に従いカップの中へ戻って行く。だって今、レオは何て言った?「雑炊?」そう言えば昨日、皇羽さんが食べた晩ご飯も雑炊だ。まさかねとか、偶然だよねとか。それらの言葉を強引に頭へ流し込む。そう。偶然に違いないんだ。皇羽さん、私は信じていますからね。あなたががレオじゃないってことを。「それに雑炊なんて家でよく作る料理じゃん」箸から滑り落ちた麺を拾う。「フーフー」と息を吹きかけ湯気を飛ばした。その時、自分の中に湧いた「最悪の予想」も一緒に吹き飛ばす。私の体から、冷や汗なのかただの汗なのか分からない物が、
もしも大事なことだったらいけないし、今すぐ確認した方がいいよね?机の下、不慣れな手つきでメールを確認する。えぇっと、なになに。『ということだから俺は帰る。後はよろしく。居眠りせずにノートとっとけよ。帰ってから写させてもらうからな』「は?」なに、このパシリのような文面。いや「ような」じゃなくて、絶対にパシリだ。そうか。私が在学する高校に、わざわざ皇羽さんが転校してきた理由がやっと分かった――便利だからだ。私がいれば、自分が授業に出なくていいからだ。ようは使い勝手がいいんだ。……なんだ。私は体のいいコマにすぎないのか。それなのに私ったら、さっき「私のそばにいたいから転校してきたのかな?」なんて。己惚れたことを言っちゃった。恥ずかしい。本人に話す前で本当に良かった。……と言っても、胸に開いた僅かな隙間から冷たい風が吹いて止まない。しっかり着込んで来たはずなのに、寒い。頭の後ろでキュッとしばられた髪が、なんだかズキズキと疼いて痛い。触ると、今朝皇羽さんがプレゼントしてくれたばかりのリボンに触れた。そのリボンさえも冷たく感じてしまうのは、どうしてだろう。「……ってダメダメ。元気を出すんだ、萌々」ここで落ち込んだら、皇羽さんの思いのツボだ。「もしかして俺のこと好きになった?」って、ドヤ顔する皇羽さんが脳裏をかすめる。好きになんか、なっていない。ときめいてなんかいない。私の心は奪われていないもん。カチッと電源ボタンを押して、完全にスマホを切る。今日くらいスルーしても怒られないよね?皇羽さんにはやられっぱなしだから、これくらいの反撃は可愛い方だ。それよりも何よりも。口にしがたいこの恨み、どう晴らしてくれようかな。「今日の夜、しっかり覚えといてくださいね。皇羽さん……っ」復讐に闘志を燃やす私を見て、隣の席の男子が「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。 ◇それからは本当に大変だった。休み時間と放課後、驚くことに授業中までも。ちょっとした隙間時間があれば、女子たちに皇羽さんのことを聞かれた。本人がいないなら親戚の私に聞いちゃえ!ということだ。だけど親戚でも何でもない私からしたら、とんでもない話だ。迷惑千万!まさか私が学校で女子に追われる日が来るなんて!なんとか女子の目をかいくぐり、やっとこさ逃げながら。ようやくマンションに到着する。迂回を繰り返したおかげで現在は
「今日からウチのクラスに転校してきた麗有(うらあり)皇羽(こう)だ。皆、仲良くするように~」「……え?」学校に到着し、一時間目が始まる前。珍しく担任が教室に来たと思ったら、驚くことに後ろに皇羽さんが控えていた。思いがけない光景に、開いた口が閉まらない。反対に皇羽さんは、私の姿を捉えると目を細めて笑った。もちろんイケメン皇羽さんがそんなことをすれば、クラスの女子が黙っているわけはなく。皇羽さんの微笑後、間髪入れずに黄色い悲鳴が教室に轟く。「キャー!カッコいい~!」 「 Ign:s のレオじゃん!違うけど、レオそっくりじゃん!」 「レオー!こっち向いて―!」 「キャー!レオくーん!!」あまりのそっくりさんに、女子達は阿鼻叫喚。むせび泣いて手を合わせる子もいれば、「写真撮っていいですか?」と担任がいるにもかかわらず堂々とスマホを取り出す子もいた。一方の担任は「また〝コレ〟だよ。職員室の二の舞だな」とポツリと零す。どうやら Ign:s のレオは幅広い年齢の女性を虜にしているようだ。「皆~さっきも言ったように、この子はレオじゃなくて皇羽だからな。わざと間違えないように」釘を刺した担任の言葉をしっかりと聞いたにも関わらず、クラスの女子たちは声を揃えて「レオ―!」と名前を呼ぶ。まるでコンサート会場だ。一方の皇羽さんは私から目を逸らした後。スンとすました顔で自己紹介をした。「麗有皇羽です。よろしく」なんてそっけない挨拶。皆からの心象が悪くなりそうだ。……あぁそうか。皇羽さんはレオと間違われることに辟易しているから、わざと間違えて「レオ」と呼ぶ女子達が気に入らないんだ。皇羽さんの気持ちは分からなくもないけど、いかんせんレオそっくりさんなのだ。どこをどう見てもレオな皇羽さんが、女子たちに何の反応もせずに無表情のまま自分の席に座るのはいかがなものだろうか。皇羽さんの印象が悪い=レオへの風評被害になるのでは?心配していると、教室から「ほぅ」といくつもの感嘆の声が漏れる。何かというと、女子達が目をハートにして「クールなレオも素敵」、「俺様な言葉で罵られたい」とあらぬ願望を抱いていた。女子達のめげないガッツに、心の中で拍手を送る。同時に、イケメンは何をしても絵になるのだと悔しくなった。あとは……皇羽さんが〝たくさんの女子に見られる〟というのが何となく引っかか
「萌々、昨日自分が何をされたか分かってないのかよ」「な、なにって……」なにって、なに⁉それ以上は聞くのが怖かったため、グッと言葉を飲みこむ。すると皇羽さんが「それよりも」と自分のお腹を労わるようにさすった。「お前の寝相はどうなってんだよ。回し蹴りを食らって気絶するかと思ったぞ」再び寝相の話をするなんて、よほど痛かったんだ。でも私が悪いわけじゃない。皇羽さんにだって落ち度はある!「横で私が寝ているのに、逃げなかった皇羽さんが悪いです。何をモサッとしていたんですか?」 「! ……なんでもない」静かになった皇羽さんを見るに、昨日なにかを書いていたことは秘密にしたいらしい。あの時の私はほとんど眠っていたから、何を書いていたかまでは見えなかったんだよね。本当は根掘り葉掘り聞きたいけど、皇羽さんの右手首が気になる。昨日張った湿布が、半分以上とれかけているからだ。「皇羽さん、ちょっと右手かしてください。湿布を貼り替えます」「……ん」大きなたくましい腕が、ズイと私に向かって伸びて来る。湿布をはがす時、ゴツゴツした指に触れると皇羽さんがピクリと反応した。「小学生じゃあるまいし」なんて思ったけど、耳をほんのり赤く染める皇羽さんを見ると私まで意識してしまう。だんだんと指が汗ばんで来た。いけない、また流されそうになっている!邪念を祓うため、近くにあった油性ペンを手に取る。そして貼り直した湿布に、楽しく落書きをした。といっても私は猫しか描けない。「出来ましたよ」「ん、さんきゅ」どうやら猫に気付かなかったらしい皇羽さんは、持っていたシャツに袖を通す。高校指定のシャツかな?私の学校の物とよく似ている。チラリと時計を見ると、現在七時半。よし、なんとか間に合いそう!自分の準備をしながら、ふと疑問に思ったことを皇羽さんに聞いてみた。「皇羽さんは何時の電車に乗るんですか?調べたところ、私の学校と皇羽さんの学校は近いみたいです。駅も一つしか違いません。日によっては一緒に行ける日がありそうですよ!」いい案だと思ったけど、皇羽さんは「あ~」とシャツのボタンを留めながら唸る。何か不都合があるのかな?何に悩んでいるんだろう?気になって皇羽さんの言葉の続きを待っていると、「いいのか?学校に遅れるぞ?」 「本当に話題を逸らすのが下手ですね……」どうやら私に知られたくない
一方、画面の中にいるIgn:s のメンバーも、思いもよらないレオの発言に興味津々。矢継ぎ早に質問を投げかける。『へーどんな猫?ってか住み着いてるって(笑)』 『レオの家に行くぐらいだから、すごく品のある猫とか?』『普通の猫だよ。ただ少し気性が荒くてね。何回ひっかかれそうになったか』 『じゃあ追い出すの〜?』レオは少し考えた後。意味深な笑みを浮かべてニコリと笑う。『追い出さない。むしろずっと住み着いていてほしいな。どうにかして気に入られたいんだよね。俺、あの猫が気に入っちゃったんだ』「……」その時、私の頭に手を置く皇羽さんの手がピクリと反応する。そればかりか「チッ」と舌打ちをし、〝さっきいじめた〟私の首にスルリと指を這わせた。「勝手につまみ食いしやがって。なにが“気に入った”だ。俺が見つけたんだ。気に入られたかったら、全力でこいつを手懐けてみろよ」「こいつ」なんて言葉が悪いなぁ――そんなことを思っていたら、皇羽さんの手に力が入る。え、まさか「こいつ」って私のこと?……まさかね。考えすぎか。皇羽さんが私を襲わないと分かって安心したからか、本格的に眠くなってきた。するとテレビを消した皇羽さんが私の髪に触れる。まるで赤ちゃんを撫でるように、何度も私の髪に手を通した。規則的な動きから来る安心感で、眠さが倍増だ。サラサラと髪が順番に滑り落ちていく。その度に良い匂いが二人を包み込んだ。「やわらかい髪だな。それに俺と同じ匂いがする」シャンプーもボディソープも洗濯洗剤も。全て一緒で同じ匂い。一緒に住んでいるから当たり前なんだけど、それが妙にくすぐったい。この前会ったばかりなのに、すごく仲良しみたいじゃん。「はぁ、たまらないな……」皇羽さんの熱っぽい吐息を聞いて、夢見心地だった意識が少しだけ覚醒する。なんだか雲行きが怪しいような……。重たいまぶたを僅かに開けると、皇羽さんは堪えきれない笑みを隠そうともせず口に弧を描いていた。不敵な笑み丸出しだ。「アイツへのお返しは、ココだけじゃ足らないよな?」トントンとノックするような手つきで、再び私の首を触る。顔をのぞきこまれたから、急いで目を瞑った。そんな私を見て皇羽さんは「起きないなら好都合だな」とおでこにキスを落とした後。自室から、紙とペンを持って来る。手首を痛めた右手に代わり、左手でペンを走らせる。そ
それにしても、こうなった皇羽さんは「テコでも動かない」って何となく分かる。皇羽さんの部屋の秘密を知りたいけど、どうやら彼の口は堅そうだ。仕方ないからため息を一つ吐いて、キッチンから雑炊を運ぶ。用意が整った後、私も皇羽さんの隣へ座った。「萌々の手料理……うわ、やばい」まるで熱い物を食べた時のように、頬を紅潮させ雑炊を見つめる皇羽さん。適当に野菜を入れて雑炊の素を入れただけの料理に、そこまで有難みを覚えられると逆に肩身が狭くなる。「いただきます」「ど、どうぞ」そう言えば薄味にし過ぎたかも。鶏肉、かたくなりすぎてないかな?自分の料理がいざ他人の口に入ると思ったら、妙に緊張してしまう。だけど皇羽さんはそんな私の緊張ごと食べるように、大きな口を開けて勢いよく雑炊を胃に落としていく。「……っ」ドキドキ。私の手料理を食べる皇羽さんが直視できなくて俯く。すると床に並んだ私たちの足が目に入った。身長だけにとどまらず、私たちは足の大きさもけっこう違うらしい。皇羽さんの足って巨人みたいだ。いったい何センチあるんだろう。「ん、うまっ」「! 味、薄くないですか?」「ちょうど良くてすごく美味い。あったまるわ、ありがとうな萌々」「い、いえっ」どうやら「すごく美味い」はお世辞じゃないらしく、皇羽さんはパクパクと食べてくれた。一口が大きいなぁ、なんて思っていると「おかわりある?」と自らソファを立つ。「ありますよ」と答える前に、そそくさとキッチンへ向かうものだから思わず笑ってしまった。せっかちだなぁ。だけど、それほど私の雑炊を食べたいと思ってくれるのは嬉しい。今まで自分が料理を作って自分が食べるだけだったからなぁ。誰かに食べてもらえるって、こんなに嬉しいことなんだ。「そういや昨日から何も食べてなかったな」「ちょっと、冗談はよしてくださいよ」私ははっきり見ましたよ。コンビニで買った唐揚げとグミを、皇羽さんがキレイに完食したのを!言い返そうとしたけど、熱で記憶が曖昧なのかもしれない。本人が覚えていないことを蒸し返しても仕方ないよね。全て風邪が悪いってことにしておこう。「しかし本当に熱って怖いですね。記憶障害が起きるなんて……ふぁ〜」「あくび?寝てないのか?」ソファの背もたれに寄りかかり目を擦る私を見て、皇羽さんはキョトン顔。私を見ながらも雑炊を食べる手を止めな
◇翌朝。皇羽さんは九時に寝室から出てきて「良く寝た」と大きなあくびをする。ちょうどキッチンに立っていた私は、すっかり顔色が良くなった皇羽さんをジーッと見つめた。体調は良さそうだ。熱も引いたかな?そのまま「腹減ったー」と皇羽さんがやって来た。たった一人増えただけなのに、皇羽さんのガタイが良いばかりに広いキッチンが一気に狭く感じる。「皇羽さんおはようございます。調子はどうですか?」 「ん、もう全快」昨日は倒れるほど調子を崩していたのに今は元気なんて。それはそれでバケモノだ。ひょっとして無理しているとか?昨日だって、熱があるのに不必要に外出を繰り返した皇羽さんのことだ。今日もどこか出かけたいからと、体調の悪さを隠している可能性は充分にある。「体調、本当に良いんですか?」「ほんと」「ウソじゃなくて?」「いくら萌々に心配かけたくないからって、ウソはつかないぞ」「……そうですか」なんと言っていいか分からなかったから、そこで話を区切る。念のため顔色を見ると、確かに血色が良い。よかった、元気そうだ。昨日の〝赤いのか青いのか〟みたいなマーブル色じゃなくてホッと息をつく。「あ、ちょっと失礼しますね?」「! ……ん」手を伸ばしておでこに触れる。触る直前、なぜか皇羽さんが嬉しそうにまぶたを閉じた。なんだか飼い主に気を許した猫みたい。ちょっと可愛く見えちゃって、彼に触れる指先が脱力した。……あぁダメダメ。私まで気を許しそうになっちゃった。ペシリと、皇羽さんのオデコを軽く叩いた後。「大丈夫ですね」と距離をとる。無意味に一発食らった皇羽さんは、さっきの幸せそうな顔とは打って変わって渋い顔だ。心の中で「ごめんなさい」と謝る。「触った感じは平熱ですね。でも一応は体温計で測らせてください。あと夕方は体温が上がりやすいので、その時にもう一度測りますよ」 「えらく詳しいな?」「自分の体調は自分で管理しないといけなかったので、自然と覚えたんですよ」 「……」私にとっての日常を語ると、皇羽さんは固まってしまった。隠しとけばよかったかな?でも本当のことだし……。母親は、家に帰って来ない日が多々あった。私が病気をしている日も然りだ。最初こそ自分が優先されないことにショックを受けたけど、慣れてしまった今は何も思わない。それに手探りで覚えた渡世術は、こうしてちゃんと役に立