迷いながらもようやく辿り着いたのは、太い柱さえも炭になり黒焦げと化した私のアパート。屋根も壁面も無くなり、柱しか残っていない。想像したよりもヒドイ惨状に生唾を飲む。ここへ踏み込む勇気を、急いで心の中で練り始めた。「どうか見つかりますように」幸いにも私の部屋は少しだけ原型が残ってる。一階の一番端。震える足に鞭を打ち、黄色の規制線をくぐる。そして私の部屋があっただろう場所へ近づいた。砂利と炭を踏み潰しながら、まだ煙たい空気の中やっとのことで辿り着く。「ここが私の部屋……」もう全て燃えているかもしれない。だけど捨てきれない希望を抱いて、近くにあった木の棒で黒い炭をよけていく。もしかして埋もれているかもしれない。そう思い、ガリガリと音を鳴らしながら掘り進める。「うぅ、けっこう力がいるなぁ……」同じ作業の繰り返しで手がしびれてきた。木の棒を握ったままの形で、指が固まっている。それでも諦めず何度も掘った。誰かに見つかると怒られるから、夕日の明かりだけを頼りにして。だけど掘れど掘れど収穫ゼロ。やっぱり何も出て来ない。虚しい時間だけが過ぎていく。使い過ぎた手が限界を訴えるように、か弱く震え始めた。「は〜ちょっと休憩。うわ!手も服も真っ黒!どうしよう。これ皇羽さんの服なのに……」勢いで行動したことが裏目に出た。火事現場へ行くなんて汚れるに決まっているのに〝自分の服に着替える〟って考えに至らなかった。 はー、私ったら何をやっているんだか。やるせないため息が出る。「探し物は見つからないし服は汚れるし。勝手にアパートを出たこともいけなかったよね。まだ皇羽さんはお風呂中かな?帰ったらきちんと謝ろう」自分の無力さに悲しくなる。ピュウと心に北風が吹き込んだみたいだ。寒くて寂しくて、ちょっぴり泣いてしまいそう。ズズッと鼻を鳴らした、その時だった。「萌々!!」 「……え?」遠くで私を呼ぶ声が聞こえる。炭の中から立ち上がって遠くを見ると、一人の男性が私に向かって走ってきていた。あの声と姿、間違いない。皇羽さんだ!「萌々!」 「皇羽さん、どうして……」皇羽さんは「立ち入り禁止」のテープを軽々と飛び越えて私の所へ来た。ガッと私の両腕を握り、物凄い剣幕で睨んでくる。「どうした、何があった!」 「な、何も……」「何もないのに、こんな焼け跡に来るわけないだろ!」あまりの
「ちょっと、苦しいです!」 「俺に何も言わず、一人でこんな所へ来た罰だ」「罰って……」 「うるさい。人の気も知らないで……。いいから、お前は黙ってこうされていろ」顔を上げると、ギュッとかたく目をつむる皇羽さんの顔が見えた。長いまつ毛が少し震えている。もしかして寂しかったのかな?それとも「何か事件に巻き込まれたかも」って怖かった?私が思っているよりも、皇羽さんに心配かけちゃったのかもしれない。小さな声で「ごめんなさい」と呟くと、私を抱きしめる皇羽さんの力がフッと緩む。するとさっきよりも隙間なく二人の体が密着した。大きな体に抱きしめられると安心する。まるで自分の心も体も全て、包み込んでくれる気がするからだ。〝私を必要としてくれる人がいる〟って思えるからだ。「……」ぶっきらぼうで口が悪くて、そして強引。私の言う事は聞かないくせに、自分のいう事は何が何でも聞かせようとする。そんなとんでもない人が私の同居人なんて「前途多難」だと思っていた。だけど……――萌々!!さっき焼け焦げたアパートから私を見つけて駆け寄った皇羽さんが、本当の王子様に見えた。絶望の淵に立たされた私を救いに来た〝運命の人〟だって……あぁ違う。そうじゃなくて。ダメだ、いま色んな感情が混ざっている。……そう。ただ私は、迎えに来てくれたことが嬉しかった。私を心配して探しに来てくれたことが嬉しかったんだ。これからの生活「前途多難だけじゃないかも?」って思えて、皇羽さんとの生活が楽しみになったんだよ。でもこんなことを本人に言ったら、有頂天になった皇羽さんがますます過保護になりそうだからやめておく。今だって過保護だよ。もう私は子供じゃないから、こんなに心配しなくて良いのに。だけど……少し見たかったな。〝私がいない〟と知った時の皇羽さんの慌てっぷりは、どんなものだったんだろう。想像すると、不謹慎だけどニヤニヤしちゃう。その時、抱きしめ合う皇羽さんの異変に気付いた。「なんだか皇羽さん震えていませんか?」ふと意識を戻すと、尋常ではない震え方で皇羽さんが揺れている。抱きしめられているから私も一緒に揺れ始めた。バイブみたいな振動がずっと続いている!慌てて体を離すと、顔面蒼白の皇羽さんが半眼で虚無を見つめている。「なんか寒ぃんだけど……」 「そう言えば皇羽さん、ついさっきまでお風呂に入っていました
*皇羽side* 萌々と買い物から帰ってすぐ、ナンパしてきた奴らの香水の匂いが気になったからシャワーへ向かう。どれほど香水をまけば、あの距離で俺に匂いが移るんだよ。もし萌々が匂いをかいだら、変な誤解をされるだろうが。やや乱暴に服を洗濯機の上に置き、バスルームへ入る。熱いほどの温度で、頭からシャワーをかけた。「それにしても……」さっき萌々が俺の部屋へ入ろうとした。それだけはダメだと急いで制止したが、強く言いすぎたか?萌々の顔が若干くもったのが気になる。だけど、悪い萌々。あの部屋だけは見せてやれねーんだ。「はぁ……ん?」萌々へ申し訳なく思っていると、何やら音が聞こえた。急いでシャワーを止めて耳を澄ませる。すると聞こえてきたのは廊下を走る音。続いて、玄関ドアの開閉音。もしかしなくてもドアを開けたのは萌々だよな?なにか荷物が来たのか?俺、何かネットで買い物したっけ?「いや、宅配だとしてもマズイだろ」もしも配達員が萌々を見たら、絶対に惚れるに決まっている。そこで萌々が目をつけられたらどうする?なにか危ないことに巻き込まれたら――「まだ途中だけど出るか」体を流しただけだが、四の五の言ってられない。風呂はいつでも入ればいい。萌々の身の安全を一番に考えろ。「萌々!」バスルームを出て、バスタオル一枚を腰に巻き付ける。すぐに捜索を開始するも、リビングに萌々の姿はなかった。じゃあ玄関?ぬれた足で廊下を走り、玄関へ到着する。だけど姿はない。届いた荷物があるわけでもない。ということは配達は来てないのか。「萌々……?」痛いくらいに心臓がドクドクと音を立てる。海が時化(しけ)た時みたいだ。強風で海が荒れる時化、まさに今の俺と瓜二つ。「おい萌々、萌々!」姿が見えない時間が長ければ長い程、不安で声が大きくなる。早く萌々の顔を見て安心したいのに、ちっとも姿が見えやしない。寝室やキッチンも、さっき忠告したばかりだから入らないとは思うが一応俺の部屋も探した。だけどやっぱりいなかった。「そうだ、靴は……⁉」再び玄関へ戻って確認すると、萌々の靴だけがキレイになくなっている。ということは俺の部屋から出て行ったんだ。萌々は自ら俺から離れたんだ。「うそだろ、なんでだよ。萌々……」信じられない事実に頭は真っ白、その場に立ち尽くす。そんな俺に喝をいれるように、玄関に置いたままだ
勢いよく部屋を飛び出す。なりふり構わず走ったところで、玄関の施錠忘れに気付く。でも、もういい。家の中の物、何を盗まれても構わない。俺にとって大事なものは他にあるんだ。「……あーくそ!」なんで俺、今日の買い物で〝萌々専用のスマホ〟を買わなかったんだ。スマホなんて、下着より必要な物だろ。萌々を見つけたら、その足ですぐ買いに行ってやるからな。考えの回らなかった自分を恨みながら、必死に足を動かす。まだ寒い季節だ。夕日が沈んでいくと同時に気温も下がる。ハッハッと吐く息は、だんだんと白さを増していった。だけど寒さは感じない。唯一感じたのは焦り、それだけだ。ドクドクとうるさいくらい心臓が鳴っている。頭の片隅で「アパートに萌々がいなかったらどうする?」と嫌な想像をしてしまった。「頼む……萌々!」それらの恐怖を振り払いながら、やっとのことでアパートに到着する。そしてようやく見つけるんだ。一面まっ黒な灰のなか、一人ぼっちで佇む萌々を。荒野の中心に一輪だけ花が咲いているような、どこか神秘的な光景だ。俺を見た萌々が眉を八の字にした。そんな顔を見てたまらず「萌々!」と叫ぶ。無事な萌々を見て〝不安から解放された反動〟か、意図せず声が大きくなった。それにビックリしたのか、今度は萌々が不安そうに俺の名前を呼ぶ。『皇羽さん』その時の萌々が少しだけ嬉しそうで、今すぐにでも泣きそうで……なんだよ。出て行ったのは萌々の方だろ?それなのに、どうしてお前が泣きそうになっているんだよ。萌々がいなくて焦って不安になって、むしろ泣きそうなほど心細くなったのは俺の方なんだぞ。「くそ……」濡れた体に、冷たい風が容赦なく吹き付ける。寒さからか怒りからか、ぶるりと大きく体が震えた。あームカつく。いつも振り回されるのは俺だ。腹が立つことこの上ない。だけど〝まるで俺の登場を待っていたような萌々の顔〟を見たら全て許してしまう。……俺の希望的観測かもしれないけど。でも少なくとも俺の目には、萌々が嬉しがったように見えたんだ。だから、もういいや。怒りなんてなくなった。萌々が無事なら、俺はそれでいいんだ。「は~仕方ないな」黙って家を抜けたことはチャラにしてやる。だからもう黙っていなくなるな。またお前を見失うのは懲り懲りなんだよ。これ以上は許してやれないからな。二人して規制テープを出て、萌々についた灰を払って
翌朝、不思議なことが起きた。「どこへ行く気ですか。いま皇羽さんは熱があるんですよ?」「熱だけだろ。大したことない」朝の七時。アパートと一緒に燃えてしまったため制服がないものの、とりあえず私は学校へ行く準備をしていた。そんな私の横を、顔を真っ赤にした皇羽さんが横切ったのだ。おかしいと思ってオデコに手を当てると、明らかに発熱している体温!それでも皇羽さんは玄関へ向かい、いつもの身バレ防止グッズを体にまとっていく。赤い顔に、黒いマスク。見た目は「完璧に病人」だ。「やっぱり風邪を引いたんですね。濡れた体で外へ出るから……」昨日、寒すぎてガタガタ震えていたもんね。それなのにマンションへ帰る時に皇羽さんは「今からスマホを買いに行くぞ」なんて言うから、慌てて止めたんだ。ブーブー文句を言う皇羽さんを引っ張って帰るの、本当に大変だった。「ん?」昨日を振り返っていると、驚くことに皇羽さんが靴を履こうとしている。どうやらお出かけらしいけど、マスクの下で聞こえる「はぁはぁ」という荒い息。既に限界を超えているのに外へ行こうとするなんて、どう考えても正気の沙汰じゃない。熱で正常な判断が出来ないんだ!「皇羽さん、あなた今日は学校へ行けませんよ?家にいてください。まずは熱を測ります。あとは薬を飲まないと」すると皇羽さんは、熱で潤んだ瞳を私へ寄こす。そして「ない」と首を振った。「今まで風邪ひいた事ないから、そんな物はウチにない」「えぇ。本当に人間ですか?」「お前なぁ……」はぁとため息を吐いた皇羽さん。近くにいたから分かるけど、吐息さえすごい熱さだ。猫毛の黒髪が少し濡れているのも、発熱による汗だろう。こんな状態でどこかへ出かけようとするなんて、倒れに行くようなものだよ。何がなんでも止めなくちゃ!「いま皇羽さんは外に行ける状態じゃありません。家で寝てないとダメです」「じゃあ萌々が添い寝してくれんのかよ」「そこは甘えないでください」「……チッ」眉間にシワを寄せた皇羽さんが靴を履き終える。そして何の根拠もなく「心配するな」と、よろめきながら立ち上がった。「体温計と風邪薬を買ってくるだけだ。萌々は学校だろ?制服やカバン一式はもう部屋に届いてるから、好きに使えよ」「へ?」「じゃな。遅れずに行けよ」バタンッ閉められた玄関を見て、しばらく固まる。だって皇羽さん、いま何
どうして二つずつあるのか――不思議に思っていると、玄関に置いた時計が目に入る。もう七時半なの⁉急いで学校の支度をしないと!朝ごはんを食べている時間はあるかな?と冷蔵庫を漁る。幸いにも昨日買ったパンがあったから急いで口へ詰め込んだ。再び時計を確認。ひぇ十分後には家を出なきゃ!「そういえば……」さっき皇羽さんは「体温計と薬を買って来る」って言った。でもこんなに朝早く開店するお店ってあるの?まだ七時だよ?それに皇羽さんはまだ?いくらなんでも遅い気がする。「……まさか!」どこかで倒れているかも。さっきフラフラだったし!「もう皇羽さんってば手がかかるんだから!」昨日勝手にマンションを出た自分を棚に上げて、皇羽さんに文句を言う。でも本当、学校に行くどころの騒ぎじゃないよ。もしも倒れているなら助けなきゃ!とりあえず制服とコートに着替え、皇羽さんを探索するため玄関へ急ぐ。「待っていてくださいね皇羽さん!」靴を履いてヤル気いっぱいで立ち上がった、その時。ガチャ玄関の扉が開く。皇羽さんが帰って来たんだ!履いたばかりの靴を脱ぎ、再び玄関へ上がる。「皇羽さんおかえりなさい!遅いから心配しました。今から探しに行こうとしていたんですよ?どうでしたか。体温計と風邪薬はありましたか?」「え?」「ん?」「えぇ……?」目の前には、全部の髪が隠れるくらい深くニット帽をかぶった皇羽さん。なぜか両目を開いて私を凝視している。あ、私が制服を着ているからかな?皇羽さんの前で初めて着るもんね。だけど皇羽さんに違和感を覚える。例えば帽子。いま皇羽さんがつけているニット帽を初めて見る。それにさっき出かける時は、いつもの帽子を被ってなかった?あと皇羽さんの表情がいつもと違う気がする。獰猛な野獣のオーラから、可愛い小動物へ変わっているというか。この人、本当に皇羽さんだよね?一瞬だけ警戒したけど、顔を見れば一目瞭然。こんなにカッコイイ人は、皇羽さん以外いない。外の風に当たってスッキリしたのかな?赤い顔じゃなくて、いつもの顔色に戻っている。「ちょっと熱も下がったんじゃないですか?さっきより楽な表情になっていますし」「……」「皇羽さん?」「わ!そうか俺か……。ごめん何?」え?〝ごめん〟⁉信じられなくて耳を疑う。だって皇羽さんが私に謝ったよ⁉〝あの皇羽さんが〟だよ⁉さっき覚
◇そして一時間後。私はたくさんの荷物を引っ提げマンションへ戻った。バタンッ「はぁ~帰りましたぁ」風邪薬も買った、体温計も買った、学校にも電話した、少しずつでも皇羽さんにお金を返すために働こうと求人誌ももらった。そしておかゆを作るための材料も買ってきた。これで完璧。ぬかりはない。だけどリビングに足を踏み入れて愕然とした。膝から崩れ落ちるかと思ったけど何とか踏みとどまれたのは、卵がゆを作ろうと思って卵のパックを買っていたからだ。膝から崩れ落ちたら、卵は割れるに決まっている。それはもったいない。何が何でも死守しなければ……。だけど、もしかしたら卵がゆの出番は来ないかもしれない。なぜなら私が東奔西走している間に、この男。皇羽さんはソファに寝転んで、あろうことか私が嫌いな Ign:s のテレビを見ていたからだ。「外で頑張った私にその仕打ちですか皇羽さん……」 「わ!ビックリした。おかえり。すごい荷物だね?」 「誰のせいだと思っているんですか」キッチンで荷物を降ろし、手を洗う。ちょっとぷんすかした状態で体温計と薬の用意をしていると、皇羽さんが「俺のためにごめんね」と謝った。「え」この私に、皇羽さんが謝った。しかも今日だけで二回目だ。カターン!衝撃で体温計を落としてしまう。うわ、やっちゃった。壊れていないかな?でも皇羽さんが〝私に謝る〟という事実が衝撃的すぎて。動揺せざるを得ない。朝とは打って変わってしおらしい。というか喋り方も変だし。風邪って人格まで変えるんだね、怖すぎるよ……。体温計と薬を持ち、皇羽さんの所へ運ぶ。「調子が狂っちゃうので早く風邪を治してくださいよ」「調子が狂う?」「皇羽さんじゃないみたいで落ち着かないんです」 「……はは、わかった」いまだニット帽をかぶったままの皇羽さんが諸々を受け取る。そういえば薬を飲む時って、お腹になにか入れてからの方がいいって言うよね?そう思って一瞬だけキッチンへ目をやる。だけど皇羽さんは、私が目を離したわずかな時間に薬を飲んだらしい。「にがー」と言いながら、自分が買って来た水をゴキュゴキュ飲んだ。「もう飲んだんですか?早業ですね」「だって早く飲まないと、いつまでも圧をかけられそうだし」「私を怖い人みたいに言わないでください」チラッと机上を見る。転がっているのは唐揚げの紙パックとグミの
画面に表示される数字は最初こそゆるやかに上がっていたのに、だんだんとスピードを増していく。そしてついに38度を超えた。「えぇ⁉やっぱり高熱じゃないですか!」ついさっきまで普通だった顔色が、今じゃ真っ赤になっている。一時的に体調が良かっただけ?どちらにしろ、やっぱり皇羽さんは風邪を引いてるんだ!「ソファじゃなくて、ちゃんとベッドで寝てください!」だけど皇羽さんは「いやいやいや」と、この期に及んで抵抗してくる。「きっと今だけだから放っといて。君が離れたら落ち着くと思うし……」口をモゴモゴ動かす皇羽さん。よく聞こえない。後半なんて言ったの?ズイッと顔を近づけるも、皇羽さんに手のひらで押し返される。「それよりガッコ―はいいわけ?行かなきゃいけないんじゃないの?」「もう休み連絡を入れましたよ。皇羽さん一人を置いておけませんし」「子供じゃないんだから、余計なお世話だって」カチンさすがの私も、ここまで言われたら腹が立つ。言動が怪しい皇羽さんを心配して休んだのは、そりゃ私の独断だけど。だけど皇羽さんを心配しての事だもん。そんな風に言わなくてもいいじゃん!それなのに、あの言いぐさ!もう頭にきた!キッチンに戻って氷枕を作り、ソファに寝転ぶ皇羽さんを引きずり降ろしてベッドへ移動させる。まずは氷枕、次は皇羽さんを次々にベッドへ放り投げた。「ごちゃごちゃ言わずに寝てください!」「は、はい……」皇羽さんの目が白黒している。どうやら私の鬼の形相が効いたらしい。それ以上は何も言わず、大人しく横になっている。時々「さむっ」とうめく声が聞こえる。まだ熱が上がっているのかな。でも風邪薬は飲んでもらったから、もう私に出来ることはない。治ることを祈りつつ、皇羽さんが食べ散らかした後片付けでもしよう。だけどリビングに入って、ギュッと眉根にシワが寄る。今まで皇羽さんのことばかり考えていたから頭に入ってこなかったけど、そういえば私が帰宅した時から、ずっと Ign:s の番組が流れているんだった!『レオくん今日もカッコいいねぇ!どうやったらそんなにかっこよくなれるのか教えてほしいよ~。いつも元気だしさ。体調は崩さないの?』 『元気だけが取り柄なんで!風邪も俺を嫌って寄ってこないんですよ、はは』 『またまた~レオくんになら風邪だって何だって飛びついちゃうよ!』ドッと笑いが起き
「い、 Ign:s のコンサート?」「そう!実はチケットを当てちゃったんだ~!」緩む顔をおさえきれない、という表情で私を誘うクウちゃん。困った顔の私とは反対に、クウちゃんは発光するばかりの輝く笑顔!すごく幸せそうで、私まで笑顔になっちゃう。周りの人までも幸せにしちゃうんだから、クウちゃんから出る推しパワーってスゴイ。肝心のコンサートは、正直行きたい。クウちゃんをここまで虜にさせる Ign:sがどんなものか、一度見てみたい。でも行ったら最後、私の嫌いなデビュー曲は絶対に流れるだろうな。コンサートに行く前から、これほど幸せそうに笑うクウちゃん。当日、隣で暗い顔をする私を見て、彼女のテンションを下げてしまわないか。それだけが心配。「あのねクウちゃん、私……」「あ……そっか。言わなくても大丈夫だよ、萌々!」「!」私が断ると分かったらしい。クウちゃんは、サッとチケットを引っ込め気丈に笑う。クウちゃんは、私が「行く」と返事すると思ったんだ。私が「Ign:sについて教えて」と言ったから、もう誘っても大丈夫だろうと、一歩を踏み出してくれたんだ。そんな彼女の勇気を無駄にしてしまったみたいで、心に大きなしこりが残る。……なんか嫌だな。クウちゃんの期待に応えたいよ!「く、クウちゃん!」パシックウちゃんの……いや、クウちゃんが持っているチケットを握り締める。「絶対にお金は返すから!私もコンサートに連れて行ってください!」「え、でも無理は良くないよ?」「大丈夫!無理じゃない!」「ちょっと震えているよ?」「これは武者震い!」「合戦にいくわけじゃないよ?癒されに行くんだよ⁉」「わ、わわわ、分かっているよ!」引き下がらない私を見て、クウちゃんは体の力を抜く。いつの間にか上げていた腰を、ストンとイスへ戻した。「前日でも当日でも、無理だったら正直に言ってね?私は萌々と一緒に楽しみたいだけだから」「クウちゃん……うん、分かったよ。約束する!」そうして私とクウちゃん、二人でコンサートに行くことが決まった。内心「大丈夫かなぁ」とドキドキがおさまらない。だけどクウちゃんが「楽しみだなぁ」と顔を綻ばせている姿を見て、私も勇気を出して良かったと思えた。◇その日の帰り道。下校前にクウちゃんが教えてくれた事を思い出す。『でもレオって本当に天才なんだよ~』『なん
衝撃的な一夜が明けた翌朝。隣を見ると、既に皇羽さんはいなかった。リビングにはメモが残されていて、『今日も帰りは遅い。10時ごろ』とだけ書かれていた。昨日玲央さんが「コンサートが近い」と言っていたし、きっと最後の大詰めをしてるんだろうな。……でも引っかかるんだよね。「ピンチヒッターがいらないくらい玲央さんが体調に気を付けて頑張れば、わざわざ皇羽さんが練習しなくてもいいんじゃない?」よく考えれば〝コンサート当日に呼ばれるか呼ばれないか分からない〟皇羽さんが必死に練習するって変な話だ。だって下手したらピンチヒッターの出番ナシかもしれないんだよ?もしそうなったら練習が全てムダじゃん。それとも〝絶対に出ると決まっている〟から練習しているのかな?「う~ん、あの双子の考えている事が分からなさすぎる」顔をしかめながら身支度を開始する。立ち上がるためにベッドに手を乗せると、皇羽さんが寝ていた場所に彼の体温が少しだけ残っていた。その時、昨日の皇羽さんの言葉を思い出す。――俺はお前が好きなんだ。ずっと変わらず好きなんだよ「……あつ」冬だというのに顔が火照る。ダメだ、昨日から皇羽さんのことを意識しすぎている。もしかしたら、その場限りの冗談かもしれないのに。「皇羽さんのことを考えたらドキドキするなんて嫌だな。認めたくない……」顔を洗って、ついでに頭も冷やそう。煩悩を払うように、急いで洗面台を目指した。◇その後。遅刻せずに登校し、現在はお昼休み。昨日は「皇羽さんの親戚の夢見さん!」と騒がれたけど、一日経ったらその波も落ち着いてきた。おかげで友達と机を合わせて、ゆっくりとランチができている。と言っても……「では私こと白樺 空(しらかば くう)が Ign:s について説明しましょう!」「……よろしくお願いします。先生」あぁ、購買で買ったあんパンが苦くなりそう……。実はクウちゃんに「 Ign:s について知りたい」と頼んだ。理由は単純で、玲央さんに言われたことがきっかけ。――萌々ちゃんが”嫌い”というその二文字の中に俺たちの見えない努力がある事を、頭の片隅で覚えておいてほしいなまるで私が悪者みたいじゃん!と思ったのが半分。だけど確かに玲央さんの言う通りだなと思ったのが半分。彼らを嫌うことと、彼らの努力までを軽んじることは別物だ。だから「ここまで脚光を浴び
あれは告白なのかな?それとも友達に言うノリで言った?……ダメだ。皇羽さんのことが、清々しいくらい分からない。答えの出ない堂々巡りをしていると、玲央さんが「さーて帰ろうかな」と席を立つ。来るのも帰るのも突然な人だ。っていうか、何か用があって来たんじゃないの?「今日はどうしてここへ?ナイスタイミングで来てくださって助かりましたけど」 「タイミングが悪かった、の間違いじゃなくて?」「へ?」 「俺が邪魔しなければ、今ごろ萌々ちゃんは皇羽と♡」「!」バシッと腕を叩くと、玲央さんは「顔は避けてくれるようになったんだね」と憎たらしく笑う。前、会った時に顔を叩こうとしたことを根に持っているらしい。玄関に移動して靴を履く玲央さんが、私の顔をマジマジと見る。「萌々ちゃんはすごく可愛いよね?どこかの事務所に入っているの?」 「おそらく借金のブラックリストには入っていますが……」 「ふふ、聞かなかったことにしとく」なんだそりゃと呆れる私に「さっきの”なんでここに来たのか”っていう質問だけど」と玲央さん。「今日ここに来たのは、なんとなく。双子の勘だよ。最近の皇羽は”家に来るな”の一点張りでさ。だからこの前お忍びで突撃すれば、なんと野良猫がいた。さすがにビックリしたよ」 「野良猫?」「萌々ちゃんのこと」 「⁉」の、ののの、野良猫なんて!間違ってはいないけど、すごく嫌だよ!嫌悪感を顔に出す私とは反対に、玲央さんは優しい目つきで私を見る。そして「そっか、君が萌々ちゃんか」とゆるりと頭を撫でた。「萌々ちゃんが Ign:s を嫌う理由は分かった。だけど萌々ちゃんが”嫌い”というその二文字の中に俺たちの見えない努力がある事を、頭の片隅で覚えておいてほしいな」 「どういう……?」 「いずれ好きになってほしいって事だよ。 Ign:s をね」玲央さんがウィンクをきめる。トップアイドルのキメ顔、まぶしすぎる!目を細めていると、玲央さんの小さな声が耳に入る。「まずは Ign:s を好きになって。次はレオ、そして最終的に俺。順番に好きになってくれたらいいなって思うよ。皇羽よりも、たくさんね」 「え?」チュッ「⁉」「じゃ、またね~」隙を見て私の頬にキスをした後。玲央さんはマンションを後にした。残された私は、キスされた頬を無言で拭く。玲央さんめ……。皇羽さんと双子
玲央さんに手を引っ張られながらリビングへ移動する。その後、玲央さんが作ってくれた温かいココアを飲みながら仲良く談笑――ということはなく。やっと落ち着いた二人が、リビングにて向かい合って座った時。玲央さんが口にしたのは、なんと私の愚痴だった。「初めて萌々ちゃんに会った時は驚いたよ~。 Ign:s 嫌い!って言うんだもん。さすがの俺も傷ついて、その日は食欲が出なかったなぁ」「すみません、まさかご本人とは知らず……」玲央さんは「いいんだよ~」と言いはするけど、どこか含み笑いだ。何か裏があるのでは?と疑っていると案の定。玲央さんは上目遣いで、とんでもない事を懇願する。「傷ついたけど、萌々ちゃんに頭をヨシヨシされたら元気になれるかもね?」「力になれません。他の方をあたってください」どうしてレオのファンでもなければ Ign:s のファンでもない私が慰めないといけないの。傷つけたことは謝るけど、慰める義理はない。それに十中八九、私をからかうためだろうし。といっても……この光景をクウちゃんを初めとするファンが見たら、さぞ羨むだろうなぁ。アイドルの頭をなでるなんて、滅多に経験できることじゃないもんね。それに玲央さんのキラキラとした瞳……変に断るより、思い切って頭を撫でた方が(後々の私にとって)よさそうだ。「仕方ない。犬を撫でていると思おう……」「いま失礼なこと言わなかった?」「と、とんでもない」噓八百で話をはぐらかした後。「一度だけですよ?」と念を押して、玲央さんの隣へ移動する。皇羽さんとは違う髪を、まじまじと見下ろした。猫っ毛な黒髪の皇羽さん、マッシュ型のアッシュ系金髪の玲央さん。二人を見分けるには髪しかないのでは?なんて思っちゃう。「皇羽さんがレオになる時はカツラをつけているんですか?」「カツラって……ウィッグね。そうそう、俺たちほぼ同じ顔だから助かるんだよ~」「こんな美形を二人も産んだお母さまが素晴らしいですね……」「あははー。伝えておくよ」髪をなでながら他愛ない会話をした後。私から視線を逸らした玲央さんが、さっきとはうって変わって真剣な声色を発する。「 Ign:s を嫌いな理由。皇羽には話したらしいけど、俺も聞いていい?」「……皇羽さんにも言いましたが、聞いて楽しい話ではないですよ?」「いいよ。今を時めく俺たちがどんな理由で嫌われて
皇羽さんが二人?どういうこと?訳が分からなくて口をパクパクさせる私に、もう一人のレオは王子様のごとく、ベッドへ倒れる私へ手を伸ばす。私に乗る皇羽さんを乱暴に押しやった後、お姫様を扱うように私の背中に手を添え丁寧に起こした。「やっほー野良猫ちゃん。この前ぶりだね」「この前?」ハテナを浮かべていると、もう一人の皇羽さんは「忘れちゃった?」と首をかしげる。「元気な俺を看病してくれた時があったでしょ?あの時はおかゆを食べなくてごめんね~」「看病、おかゆ……」ふと――脳裏に過去が蘇る。そう言えば、皇羽さんの存在に違和感を覚えた日があった。皇羽さんが熱で倒れた日だ。――いま皇羽さんがつけているニット帽を初めて見る。それにさっき出かける時は、いつもの帽子を被ってなかった?――あと皇羽さんの表情がいつもと違う気がする。獰猛な野獣のオーラから、可愛い小動物へ変わっているというか熱があるって言っていたのに元気そうだったり、そうかと思えばやっぱり熱があったり。あの日の皇羽さんは何か様子が違っていた。……ん?もしかして、あの時の皇羽さんって!「あの日ココにいたのは、あなただったんですか⁉」「ピンポーン♪」驚いて目を白黒させる私を、さもおかしそうに笑って見るもう一人の皇羽さん。そうかと思えばふっと真剣な顔になり、私の手の甲へ口づけを落とした。「初めまして萌々ちゃん。俺は玲央(れお)。知っての通り Ign:s のレオだよ。そして皇羽は、俺の双子の兄だ」「……は?」この二人が双子?皇羽さんが兄で、この人が弟?「世間には内緒にしているけど、俺の調子が悪いときや気分がノらない時……おっと。気分が悪い時は、皇羽に〝レオ役〟をしてもらっている。代打、影武者……う~ん、なんて言ったらいいかな。そうだ、ピンチヒッターだ」「ピンチヒッター……」繰り返す私に大きく頷いた玲央さんは、話を続ける。「最近の皇羽の無茶には手を焼いていてね。コンサートを控えている大事な時期だっていうのに、熱があるのを黙ってテレビに出るわ、手首を痛めているのにダンスをするわ。もうメチャクチャだよ。ピンチヒッターがピンチになってどうするのって話だよね」「えっと……」頭がこんがらがる。そんな中でも玲央さんの言葉に引っかかりを覚えた。「聞いてもいいですか?」目を細めてアイドルスマイルを浮かべ
私に伸ばし掛けた手を皇羽さんは引っ込めた。「萌々……」と、悲しそうな声色と共に。ズルい。どうして皇羽さんが悲しそうなの。傷ついた顔をするの。騙されたのは私で、利用されていたのも私だよ?「今日はもう寝ます。明日から新しい家を探しますね」「!出て行くって事かよ……」皇羽さんが顔を歪めたのが分かる。見なくても分かる。あなたの声色だけで大体の気持ちが分かる……ううん。分かっている、はずだったの。でも違った。私はあなたのことを何も分かってはいなかった。あなたがレオだと見破れなかった。でも、それでよかったんだ。所せん私たちは友達にもなっていない浅い関係。お別れなんて痛くもかゆくもないでしょう?だからバイバイです。私がこれ以上、皇羽さんの温もりを知ってしまう前に――「私が Ign:s 嫌いって知っているでしょう?これまで通りなんて無理ですよ」「……~っ、チッ」荒々しい皇羽さんの舌打ちが聞こえ、両頬を掴まれる。いつもより強い力で上を向かされた。「萌々だって、俺のこと分かっていないくせに……っ」「皇羽さん……?」すごく真剣で、これまでにない真っすぐな瞳が悲しそうに揺れている。そうかと思えばいきなり私を抱き上げ、移動を始めた。いくら「降ろして!」と声を上げようが全てスルー。見上げると、どうやら怒っているらしい。皇羽さんの口がへの字に曲がっている。連れて行かれた先は寝室。柔らかいキングサイズのベッドに勢いよく降ろされる。「きゃっ!」「……俺が、」倒れ込んだ私に、皇羽さんが覆いかぶさった。慈しむように、私の両頬に再び手を添える。「俺がどんな気持ちでレオをやってるか、少しも知らないくせに」「……へ?」「俺が……なんでもない」そう言って口を閉ざした皇羽さん。何か言葉を飲んでいるように見えたのは気のせいだろうか。「それにな、俺だって傷ついたよ。Ign:s が嫌い、デビュー曲が嫌いって言いやがって……。だけどな、そんな事を言われても俺はお前が好きなんだ。ずっと変わらず好きなんだよ」「⁉」皇羽さん、今なんて言った?ジワジワと目に涙がたまっていく。どうして涙が出るのか分からない。だけど皇羽さんの言葉に、確かに胸を打たれた私がいる。まるで「誰かに必要とされる」この瞬間を、ずっと待ちわびていたように。「~っ」「こっち向いて、萌々」私の涙が零れる前に、
衝撃の展開を迎えた後。これ以上見て居られなくてテレビを消す。完全に伸びてしまったラーメンを何とか胃に納め、ただソファに座っていた。「力が入らないな……」皇羽さんはアイドルだったという事実が、私を抜け殻にしていく。それに「裏切られた」こともショックだ。「皇羽さんと一緒に住んだら楽しい毎日になりそうだなって、そう思い始めてきていたのに」もちろん勝手に転校してきたり、あらぬ設定を付加されたのは予想外だったけど。だけど「いってらっしゃい」と言ってくれたり、一緒にご飯を食べたり。そんな何気ない日常が温かくで、好きだった。「……」これからどうしようか。皇羽さんがアイドルである以上、私が一番に嫌っている Ign:s である以上、もうココにはいられない。アパートを探さないと。だけど未成年に貸してくれるかな?そう考えていた時だった。ガチャと玄関から音がする。時計を見ると夜の九時を過ぎていた。そうか、皇羽さんが帰ってきたんだ。「萌々ー?寝ているのか?」皇羽さんは、いつもと同じように帰って来た。いつもと同じように鍵を玄関へ置き、コートをかけ、足音を響かせ廊下を歩く。何もかもがいつもと同じ。たった一つ違うのは、私が「皇羽さん=レオ」と知ってしまったこと。「わ!なんだよ、ここにいたのか。〝おかえり〟くらい言ってくれよ」「……」リビングに入るや否や、膝を抱えて小さくなる私を見つける。そんな私から何かを察したのか、皇羽さんは「萌々?」と不思議そうに近寄った。「どうした、腹でも痛いのか?」「……」この人は、さっきまでテレビに出て歌って踊り、何人ものファンを魅了してきた。それほどスゴイ人って分からないくらい、今の皇羽さんは〝いつもの皇羽さん〟だった。レオを悟らせない完璧な演技。皇羽さんは、レオの存在を隠すのが上手すぎる。「おい、本当にどうしたんだよ。ご飯は食べたのか?まだなら何か買って来るけど?」「……」一言も喋らず表情さえも崩さない私を見て、いよいよ皇羽さんは焦ったらしい。私の傍をグルグルと周り、額に手をあて熱を確かめる。いつものように優しい手つき。だけど全然、嬉しくない。いつもの皇羽さんなのに、頭の中でレオがちらつく。さっき見たアイドルが頭から離れない。いくら皇羽さんが「日常」を装ったって、もうどうしたって私の中で皇羽さんはレオなのだ。私が嫌いなアイド
「テレビで Ign:s を見ない日はないよね。どれだけ多忙なんだろう」テレビだけじゃない。SNSを初めとする動画にも引っ張りだこだ。それにコラボキャンペーンとかいって、企業とコラボなんぞしているのを今朝の電車広告で見た。「クウちゃんが言うには〝レオは私たちと同い年〟なんだっけ?」私なんて学校が終わったら疲れてもぬけの殻になっているのに、レオはこうやって朝から晩まで仕事をしているんだもんね。素直にスゴイや。「 Ign:s の事は嫌いだけど、尊敬してる所はあるんだよね」っていうか今日の私が疲れている理由って、皇羽さんの噓八百の設定のせいだよね?皇羽さん激似のレオを見ると、学校でのことを思い出してカチンとくる。あらぬ設定のせいで学校で引っ張りだこになった私の苦労。皇羽さんが帰宅次第、たんまりと聞かせてやるんだから!「お腹もすいたし、晩ご飯を食べながら見るとしますか。本当は消したいけど親友のクウちゃんのためだ、我慢して見るぞ……!」簡単に即席ラーメンを作る。カップにお湯を注いで三分待つ間、テレビではおなじみトークショーが繰り広げられていた。メンバー皆がにこやかに受け答えしている。だけど、その中でもひときわ輝いているのがレオだ。思わず目を瞑りたくなりそうなほどキラキラした笑顔で、楽しそうに司会者と話している。「今日は何を聞かれるんだろう」呑気に考えていると、三分のタイマーが鳴る。リビングへ移動し、どんぶりの中で泳ぐ麺を箸で掴んだ。昨日は雑炊、今日はラーメン。ご飯作りは明日から頑張るつもり。するとタイムリーに、テレビの中でもご飯の話で盛り上がる。『レオくんは昨日の夜、何を食べたの?』 『昨日は雑炊!めちゃくちゃ美味しかったです!』ピタリ掴み上げた麺が、重力に従いカップの中へ戻って行く。だって今、レオは何て言った?「雑炊?」そう言えば昨日、皇羽さんが食べた晩ご飯も雑炊だ。まさかねとか、偶然だよねとか。それらの言葉を強引に頭へ流し込む。そう。偶然に違いないんだ。皇羽さん、私は信じていますからね。あなたががレオじゃないってことを。「それに雑炊なんて家でよく作る料理じゃん」箸から滑り落ちた麺を拾う。「フーフー」と息を吹きかけ湯気を飛ばした。その時、自分の中に湧いた「最悪の予想」も一緒に吹き飛ばす。私の体から、冷や汗なのかただの汗なのか分からない物が
もしも大事なことだったらいけないし、今すぐ確認した方がいいよね?机の下、不慣れな手つきでメールを確認する。えぇっと、なになに。『ということだから俺は帰る。後はよろしく。居眠りせずにノートとっとけよ。帰ってから写させてもらうからな』「は?」なに、このパシリのような文面。いや「ような」じゃなくて、絶対にパシリだ。そうか。私が在学する高校に、わざわざ皇羽さんが転校してきた理由がやっと分かった――便利だからだ。私がいれば、自分が授業に出なくていいからだ。ようは使い勝手がいいんだ。……なんだ。私は体のいいコマにすぎないのか。それなのに私ったら、さっき「私のそばにいたいから転校してきたのかな?」なんて。己惚れたことを言っちゃった。恥ずかしい。本人に話す前で本当に良かった。……と言っても、胸に開いた僅かな隙間から冷たい風が吹いて止まない。しっかり着込んで来たはずなのに、寒い。頭の後ろでキュッとしばられた髪が、なんだかズキズキと疼いて痛い。触ると、今朝皇羽さんがプレゼントしてくれたばかりのリボンに触れた。そのリボンさえも冷たく感じてしまうのは、どうしてだろう。「……ってダメダメ。元気を出すんだ、萌々」ここで落ち込んだら、皇羽さんの思いのツボだ。「もしかして俺のこと好きになった?」って、ドヤ顔する皇羽さんが脳裏をかすめる。好きになんか、なっていない。ときめいてなんかいない。私の心は奪われていないもん。カチッと電源ボタンを押して、完全にスマホを切る。今日くらいスルーしても怒られないよね?皇羽さんにはやられっぱなしだから、これくらいの反撃は可愛い方だ。それよりも何よりも。口にしがたいこの恨み、どう晴らしてくれようかな。「今日の夜、しっかり覚えといてくださいね。皇羽さん……っ」復讐に闘志を燃やす私を見て、隣の席の男子が「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。 ◇それからは本当に大変だった。休み時間と放課後、驚くことに授業中までも。ちょっとした隙間時間があれば、女子たちに皇羽さんのことを聞かれた。本人がいないなら親戚の私に聞いちゃえ!ということだ。だけど親戚でも何でもない私からしたら、とんでもない話だ。迷惑千万!まさか私が学校で女子に追われる日が来るなんて!なんとか女子の目をかいくぐり、やっとこさ逃げながら。ようやくマンションに到着する。迂回を繰り返したおかげで現在は