出てきた料理はどれもこれも見たことがないものだった。
美味しそうなのは分かる。でも僕には食事のマナーなんて何もない。どうやって食べるのか悩んでいると、アカリがフォークを使い始めた。僕も真似をする。
アカリが今度はスプーンを使い始めた。
また僕は真似をする。それを数回繰り返したところでソフィアさんがフッと鼻で笑った。
「別に好きな食べ方をしてもいいのよ?ここは個室だし誰も見てはいないわ」
「あ、そうですか……じゃあ」もういいか。
ソフィアさんに言われてから僕は自分なりの食べ方で食事を堪能した。味は絶品だった。
落ち着かなかったが、料理の質は僕が今まで食べてきた中でも三本の指に入るレベルだ。「そういえば一つ聞きたかった事があるの」
唐突にソフィアさんは口を開いた。「カナタは世界樹で願いを叶えると言っていたわね。それが時間を巻き戻す事だって」
「はい、そうですね」「時間を巻き戻せば恐らく全て忘れてしまう。今ここで出会った人達との記憶も思い出も。この世界に来ることになってしまった原因はそのゲートとやらを作ってしまったからでしょう?また同じ過ちは繰り返さないのかしら?」僕は固まってしまった。
異世界ゲートをまた作ってしまえば悲劇は繰り返されてしまう。絶対に次は作らないという保証なんてどこにもない。僕が黙って考え込んでいると、ソフィアさんは話を続けた。
「せめて貴方の記憶の一部だけでも残して貰わなければならないわね。それも世界樹に願えば叶えれくれるのだったらいいけれど」
「記憶……そうですよね。記憶を引き継がなければまた僕は異世界ゲートを作ってしまう。もう二度とあんな悲劇は起こしたくありません」もしも記憶が引き継げなければどうすればいい。僕の頭の中はその事で一杯になり後半の食事が喉を通らなかった。高級料理店から帰る道中、アカリが僕の脇腹をつついた。夜が明けると各々準備万端で宿り木の前に集合していた。”黄金の旅団”が所有する馬車で行けるところまで向かい、そこからはクロウリーさん頼りの旅程だ。「さてと、みんな準備は大丈夫かな?」アレンさんが集まっているメンツを見回しそう言うとみんな頷く。僕は準備といっても大した装備はない。防具だって革製のものでなければ動きが鈍くなるし、武器もライフルと魔道具数個程度だ。馬車で移動するのもだいぶ慣れた。この世界に順応していたといっても過言ではない。ただ、やっぱり自動車と比べると遅いし揺れるし乗り心地でいえば自動車に軍配が上がる。馬車に揺られる事数時間。帝都を出て最初に到着したのは中規模の街だった。「ここは商業都市ルフランさ。ここで少しばかり休憩といこうか」初めて来た街は高い建物が多く、帝都とはまた違った雰囲気だった。「カナタ、はぐれてはだめよ」「僕も子供じゃないんですから……」「興味津々といった目をしていたわよ。だからワタクシから離れないように」ソフィアさんは僕の母親か?と思えるような発言をする。確かに興味はある。だからといってフラフラと歩き回るほど僕は馬鹿じゃない。まあソフィアさんには何を言っても無駄なので僕は黙って従う事にした。「凄いですね……道路、というのか道も綺麗に舗装されてますし建物も白っぽい色が多いですね」「商業都市だからよ。あまり奇抜な色は商人が好まないのよ」そうなのか。案外奇抜な色の方が目立っていいと思ったんだけどな。「悪目立ちしても商人にとっては一利にもならないわ」「そういうもんなんですね」「この街にいるはずの彼に会いに行こうか」アレンさんの知り合いがこの街に住んでいるそうだ。僕ら一行は目的の人物に会う為、見慣れない高層ビルような建物へと入った。「やあ、彼はいるか
僕だけ別室に連れていかれると女性が二人綺麗な立ち姿で待機していた。一体何が始まるんだ。戦々恐々と僕はリオンさんに尋ねた。「あの……何かするんですか?」「ん?アレンから何も聞いていないのかい?私はこう見えて服飾関係の仕事をしているんだ。だから君に合う服を見繕ってくれという内容だと思ったのだが、違うのかい?」ああそういう事か。アレンさんは僕が装備している革製のしょぼい防具ではなく、今まで着ていたような服で頑丈なものを用意してもらおうという考えだったらしい。「ってことは採寸ですかね?」「そういうことさ。君も察しがいい、アレンが気に入るのも納得したよ」「気に入られているのかどうかは分かりませんよ」「いや、気に入っている者でなければ私に紹介などしないよ。さあ、君達始めてくれ」リオンさんが先程の部屋へと戻ると僕はあれよあれよとされるがまま、採寸を行った。全裸にされるなんて聞いていなかったぞ……。採寸を終えてみんなの待つ部屋へと戻ると、話は区切りがついていたのか帰り支度をしていた。採寸だけしてもらっただけだけど、もう帰るのかな。「じゃあ明日もう一度来るからよろしく頼むよ」「任せろ。私が完璧に仕上げてみせよう」支払いとかどうするのかな。アレンさんに聞こうとも思ったが無粋な真似はしないでおくかとやめておいた。事前に予約していたのか、宿に到着すると一人一部屋用意されていて僕は束の間の一人の時間を楽しむ事ができるとうれしくなった。ここ最近は誰かとずっと一緒にいたからな……。別に誰が悪いとかではないんだけど、たまには一人の時間も欲しくなるってものだ。「カナタ、私と同じ部屋」「え?」「私の部屋はクロウリーが亜空間の中にある荷物を整理する為に使うって」ああ、残念だ。結局一人部屋ではなくなった。アカリと同じ部屋で泊まる事になっ
「完成したよ」リオンさんの所にいくなり、掛けられた言葉だ。まさか昨日採寸してもう出来上がったのだろうか。リオンさんの部下であろう女性が手に黒い服を持ってくる。まさかとは思うが黒いスーツか?「これは私が独自に開発した特殊な繊維でできた高機能型防護服だ。まずはサイズに問題がないか着てみてくれ」言われるがまま僕はその服へと着替える。着替えててすぐに分かったよ。これはスーツだって。着替えてアレンさんの前に姿を見せると拍手された。「おお!いいじゃないかカナタ!凄い似合ってるよ」「まあ、そうですよね。何度か日本でも着てましたし」研究発表会などでは必ず着ていたし、まあ着慣れているといえば着慣れている。「これは特殊な繊維を使っているから、ナイフ程度で切りつけたところで切れ目一つ入らない頑丈さがある。魔法に対しても多少の抵抗力を持たせているから革製の防護服に比べればより防御力は高い」「ありがとうございます。オーダーメイドってこんなにすぐできるもんなんですね」「今回はアレンからの依頼だからね。そりゃあ全力で作るさ」アレンさんからの依頼は基本最優先にしているらしい。「これで神域に挑めるね。ありがとうリオン。はいこれ、今回の依頼料」「よし、十分だ」アレンさんはパンパンに貨幣が詰まった袋をそのまま手渡すとリオンさんは中身も見なかった。信頼しているのは分かるけどチラッと中くらい見たらいいのに。まあ多分中身は金貨ばっかりなんだろうけど。リオンさんと別れ僕らは帰路につく。着替えてそのまま出てきたが歩きやすさといい、とても快適な気分だ。ただ、少しばかり目立つのが玉に瑕だが。「準備はこれで完全に整ったよ。さあいよいよ神域を目指すわけだけど、長旅になるよ~」「大体どれくらいかかるもんなんですか?」「うーん、多分だけど順調にいって一週間は確実にかかると思った方がいいね」それは確かに長旅だ。それだけの
宿に戻ると既に準備が整っているのかみんな馬車の前で談笑していた。クロウリーさんが小粋なトークでもしてるのか、会話の中心にいるのは魔導王だった。「お待たせ、さあ行こうか!」「おお、カナタ似合っているではないか!ふむふむ……機能的でありながら魔法防御にも秀でているときたか。流石はリオンの商会じゃな」クロウリーさんのお眼鏡にも叶ったようで概ねいい評価だった。アカリは無言でグッと親指を上に向けてポーズをとる。似合っているらしい。「あら、案外似合っているのね。いいじゃないの、ちょっと奇抜だけれど」「奇抜……なんですねやっぱり。これ僕のいた世界では凄く普通の服なんですが」こっちの世界の人からしてみれば奇抜に映るようだ。まあ僕としては着慣れた服だし機能も盛り込まれているし構わないけど。「いいわね!日本にいたのを思い出すわ!」フェリスさんは日本を懐かしんでいるが、ついこないだまでいたんだから懐かしさもクソもあったものではない。雑談もそこそこに馬車へ乗り込みいよいよ出発する。ここからは長旅だ。平和的に事が進んでくれればいいが、結界を強引にこじ開けるのだからそう上手くはいかないだろう。「クロウリー、馬車には結界を張ってくれたかい?」「当然じゃ。中級程度の魔物なら触れただけ消滅するわい」とんでもなく恐ろしい会話が耳に入って来たが、聞こえなかったフリをしておこう。……魔物じゃなくて人間も触れたら消滅するんじゃなかろうか。ルフランの街をもう少し堪能したかったな。店も色んな種類があった。
ふと目を開けると外はほんのり薄暗くなっていた。少しだけ眠るつもりが結構長く寝てしまったらしい。横を見るとアカリやソフィアさんは既に起きている。「あら、やっと起きたのね」「どれぐらい寝てたでしょうか?」「数時間、といったところね。そろそろ野営のポイントに着く頃よ」ソフィアさんは僕の横で凛とした顔で座っていた。寝起きで見ると余計に美しさが際立つな。「よし、この辺でいいかな。野営にしようか」アレンさんの指示通り、僕らは馬車から降りてクロウリーさんの亜空間魔法により出されたテントなどを設営していく。テントの設営は慣れないながらもなんとか一基作ることができた。額の汗を拭いながら後ろを振り向くと僕が一基作る間に三つのテントが建っていた。「あら、やっと終わったのね」「ええ……早すぎません?」「これくらい冒険者やってれば目を瞑ってもできるわよ」ソフィアさん凄いな。皇女とは思えぬ技術だよ。テントどころかキャンプ道具まで用意されていて、手際がいいというかもう何やってもソフィアさんに勝てる気がしないよ。焚火を囲んで座ると不意に静寂が訪れる。静かになると色々と考える事が脳裏に浮かんできて、センチメンタルな気持ちに陥った。今頃日本はどうなっているんだろうか。本当にあの日に戻す事ができるのだろうか。「どうしたの?」僕が浮かない顔をしていたからかアカリが心配そうな表情で覗き込んできた。「いや、姉さんとかどうしてるのかなって」「紫音は元気にやってる。多分」アカリなりの励まし方なのだろう。僕はフフッと笑ってしまった。「そうだな、でも今一番心配なのは記憶までなくなってしまう事かな」「時間を戻した弊害?」「そう。結局元の時間軸に戻れたとしても僕らの記憶まで消えてしまっていたら悲劇は繰り返される。それが怖いんだ」「忘れなければいい。私は忘れない」ア
「僕からも聞きたい事があったんです」「そんな気はしておったよ。その赤眼の事じゃろう?」クロウリーさんは察していたらしい。僕が言うまでもなく言い当ててきた。「禁忌を侵した証、それが赤眼じゃ……。身体の中にある魔力回路に負荷がかかり、高位の魔法を使おうとすると暴走する。つまり、死が待っておる」「これは一生治るものではないという事ですか?」「現時点では治す事はできん。当然儂でも不可能じゃ」クロウリーさんで無理なら本当に無理なのだろう。期待はしていなかったが、やっぱりみんなの役に立つ事ができないのは辛い。中級魔法でも役立てる事はあるだろうが、それでも魔族と戦う事になれば上級魔法は必須となる。それが使えないとなると足手まといでしかない。「じゃがそこまで悲観する事はないぞ。禁忌を侵した者にしか使えん魔法も存在する」「そうなんですか?」そんな情報はアカリやアレンさんから聞いていなかったな。もしかして教えたくない危険なものなのだろうか。「失われた魔法じゃ、今では使える者が殆どおらんのでな。知らん者の方が多い」「アレンさんからも教えてもらえませんでした」「そうじゃろうて。儂のような長年生きている者でも極わずか。どうする?知りたいか?」知りたいかと言われれば知りたい。しかしそれが危険なものならあまり手を出すべきではないだろう。僕は少し悩んだ末に頷いた。「良かろう。ただし、これは他者に教えてはいかんぞ?もちろん、あの面子にもな」そう言いながらクロウリーさんはテントの方を見た。アレンさん達にも教えてはいけないらしい。僕はもう一度頷くと、クロウリーさんは若干を声を潜めた。「邪法。それはそう呼ばれておる」クロウリーさんは邪法について語ってくれた。過去に存在した大魔法使い。ある魔法使いが生み出した禁忌の魔法、それが邪法と呼ばれるものだ。どうして邪法と呼ばれるのか。
邪法の効果は分かった。ただ、その邪法を使えばどんな代償を払わなければならないのか。それを聞くのが怖かった。「どうじゃ?なかなか面白い邪法ばかりじゃろう?」「……そうですね。どれも僕が喉から手が出るほど欲しい力です。ただ、その邪法を使えばどんな代償を払わなければならないのですか?」代償を払わず強大な力を得る事は不可能だ。必ず重い代償を払うのが世の常だろう。「そうじゃな……邪法全てに通ずる話になるが、使えば使う程寿命を削る。連発はできんと思うがよい」「寿命、ですか」「そうじゃ。といっても一回使って十年失うような重い代償ではない。とはいえ一年から五年の寿命は失う」「ここぞという時以外は使わない方がいいんですね」一年から五年しか寿命を削らないのであればまだ気が楽かもしれないな。僕はまだ若いし寿命だってまだまだある。それでも調子に乗って使いすぎないようにしないと。「それで、その邪法はどうやって習得するのでしょうか?」「それはもう簡単な話じゃ。邪法を扱える者に見せて貰えばいい」見るだけで覚えられるのか?そんなバカなと言いたかったがクロウリーさんは冗談を言っているような表情ではなかった。「儂は一応使えはするが……見ての通り禁忌を犯してはおらん。つまり、儂の扱う邪法は不完全な代物だと思うといい」「不完全でも使えるんですか?」「もちろん。儂がそれだけ優秀という事じゃ。さっきも言ったが赤眼を持っていなければまず使えん。儂は疑似的に赤眼へと変えてしまう魔術を持っておるのでな」魔導王ともなればもうなんでもありだな。この世の全ての魔法を使えるんじゃないだろうか。「もっと簡単な方法がある。儂の手を握れ」言われた通り手を握ると、突然クロウリーさんの目が赤眼へと変わった。「儂が魔力をカナタに流し込む。邪法の使い方を伝える事ができる特殊な魔法じゃ」「あ、ああ
夜が明けるとテントを畳み、馬車へと乗り込む。昨日クロウリーさんに教えてもらった邪法を試してみたい所だが、アレンさん達にバレないように使うにはなかなか難しい。できればぶっつけ本番は避けたい所だし、どこかタイミングを見測らって試すしかない。「どこか上の空のようだけどどうしたんだい?」「いえ、平和な時間だなと思いまして」アレンさんが僕の様子を不審に思ったのか問い掛けてきた。僕は適当に返しておいたがバレたのかとドキッとした。また長い馬車に揺られる事数時間。「クロウリー、神族と本気でやり合ったら勝てそうだったかい?」アレンさんの言葉に僕は噴き出した。まさかとは思うが神族を倒そうと思っているのだろうか。「うーむ、そうじゃな……一対一ならば勝てるじゃろうて。ただ、二人を相手にするのは些か厳しいぞ」「なるほど……じゃあとりあえず二人までならどうにかなりそうだね」アレンさんは万が一の事を考えて、二人で神族を抑え込むつもりのようだ。二人までといったのはこっち側の戦力で圧倒的なのが二人だけだからだろう。フェリスさんとアカリも十分強者の部類だが、アレンさんとクロウリーさんに比べれば数段落ちる。ソフィアさんも”黄金の旅団”より劣るという話だし、僕は言わずもがなだ。「ちょっとアレン。神族とやり合うなんて馬鹿げた話は止めて頂戴」「ん?いやいや、もしもの場合さ。流石にボクだって神族とやり合うのは骨が折れるからさ」勝てない、と言わないのはやはり自身の表れか。事実アレンさんに勝てるような人は数える程しかいないだろうし。そもそも神族って名前が付いているくらいだし、神の如し力を持っているのでは?人間の身で勝てる相手なんだろうか。全然神族の強さが想像できないな……。「もしも、ね。じゃあもしも神族が三人以上で襲ってきたらどうするつもり?」「その時はフェリス
五人となり割と大所帯となった僕らが街を歩くと相変わらずみんな平伏していく。 もうこの光景も慣れた。 今の僕は神族から見て謎の人物に映ってるだろうけど、仕方のない事だ。街を出歩かず一瞬で次の使徒の塔まで飛べればいいが、僕は翼を持たない故に地道に歩いて転移門までいくしかない。 それはペトロさん達も理解しているようで、何も言わず僕に合わせてくれていた。二度目となる転移門の前までくると、またペトロさんが水晶玉に手を翳す。 しばらくして転移門がぼんやりと光り始めると各々一歩を踏み出し門をくぐっていく。 今度の街は白を基調とはしているが所々に赤色が目立っていた。 血が滾るような戦いを好むって話だから、多分赤色を使っているんだろう。 巨塔はもう見慣れた。 白い巨大な塔。 使徒の家は全部これだ。塔の中に足を踏み入れると今までと違い、一番上に行くまでの廊下も赤色をふんだんに使っていた。 「はぁ〜目がチカチカするわねぇ〜」 アンデレさんはそう言うが、僕からしてみれば貴方の塔も大概でしたよと言わざるを得ない。 だって水晶が至る所にあったんだからギラギラ感でいえばアンデレさんが圧勝だったのだから。「入るよー」 ペトロさんを先頭に部屋へと入室すると、そこはヤコブさんとはまた違った雰囲気だった。 全体的に赤っぽくていろんな武器や防具が地面に突き刺さっている風景が広がっていた。でも使徒毎に個性があって面白いな。 見慣れない剣も突き刺さってて見ているだけでも飽きが来ない。 しばらく眺めていると剣を携えた白い服の男が奥からこちらへと歩いてきた。「吾輩の部屋に無断で入るとは……」 「あ、きたきた。シモン」 「む、貴様はペトロか。何用だ」 「かくかくしかじか」 ペトロさんは掻い摘んで説明した。 うんうんと頷いて聞いていたシモンさんはゆっくりと口を開いた。「内容は理解した。だが、ただで許可は出せん」 「そういう
「おーい、そろそろいいかな?」ペトロさんの声で僕は瞼を開く。数時間ほど寝てしまっていたようで、視界に飛び込んできたのは見覚えのない天井だった。さっきまでいたはずの図書館ではない。「眠ることすら許されなかったようだね。まあでも許可は貰えたし良かった良かった」ペトロさんは手を叩いて喜んでいたが、僕としては二度とやりたくない交渉だった。ぐっすりとまではいかなかったが仮眠を取れたお陰で多少頭は冴えていた。「じゃあ次ね〜。どの使徒がいいかなぁ?」「あん?そりゃあアイツだろ。万が一力尽くでってなっても使徒の中では一番燃費のワリィやつだ」燃費の悪い使徒なんているのか。あれかな、魔力量があまりない的な感じかな。「確かにそう言われればそうか。よし、決めたよ。カナタ君、次の使徒は恐らく戦闘にはなると思うけど私達がいるから安心するといい」「せ、戦闘になるんですか?」「なるだろうね。彼の望む世界は力こそ全てだからさ。たださっき話してた通り燃費が悪いんだ。初撃さえ防げばなんとでもなる」その初撃がヤバい威力を秘めてるんじゃ……。燃費が悪いって事はどっちかだ。魔法の威力がありすぎて一瞬で枯渇するパターンとそもそもの魔力量が少なすぎて大した魔法も使えないパターンか。後者ならまだいいが、前者だとかなりヤバいのではないだろうか。余波で死ぬなんて事は避けてほしいが。「初撃は俺が防いでやる。ペトロはその人間を守ってな」「ヤコブ、君では防ぎきれないよ。アンデレも一緒に頼んだよ」「はーい、私がいれば百人力ってやつよ!ね!ヤコブ!」「お、おお」一人で抑えられるって意気揚々としてたけどやっぱり女性相手には強くでられないようでヤコブさんは意気消沈していた。
トマスさんの出した条件は案外緩く僕は快諾した。話すだけだなんてそんな緩い条件を出してくるとは思わなかったのか、ペトロさんも苦笑いしていた。「話をするだけで許可をくれるというのかい?」「それはそうでしょう。別世界の話など望んでも聞けるものではないですから」想像していたより別世界の情報は価値が高いようだ。これなら案外他の使徒の許可を貰うのも楽かもしれないな。ペトロさん達はまた明日迎えに来ると言い残し塔から出て行った。僕はというとトマスさんの部屋で椅子に腰かけ話をすることに。「ふむ、なかなか興味深いものです。動く鉄の馬車に空飛ぶ乗り物ですか。確かにこちらの世界にはない技術です」トマスさんが特に興味を持ったのは自動車や飛行機といった科学の分野だった。こっちの世界は魔法という概念が存在している為科学というものは発展していない。恐らくこっちの世界で飛行機を作ろうと思うと膨大な時間が必要になるだろう。「それに魔法というものが存在しない世界ですか……不便で仕方ないでしょう」「いえ、それが意外とそうでもないんです。さっきも言った通り科学があるので遠く離れた人と顔を見て話す事ができたり新幹線っていう凄く速い地上の乗り物もあるので」「それは是非とも見てみたいものです。カナタと言いましたね、君がこの世界でそれを再現する事はできますか?」原理は理解しているが再現するにはまず部品を作るところから始めなければならない。当然そうなれば精錬技術も遥かに高度な技術が必要となり、まずはそこから始めるとなれば膨大な時間がかかってしまう。やはり知識だけあっても実現には程遠い。「すみません、僕も作り方とか原理は分かるのですがそもそもの前提知識や技
トマスさんの巨塔に入ると内装はこれまでと少し変わり、至る所に本棚が置かれてあった。真面目だと聞いてはいるがやはり勤勉タイプのようだ。上階に来ると、いよいよトマスさんの部屋だ。僕は緊張しながら扉の前に立った。「入るよトマス」ペトロさんが両手で扉を開くと、そこは図書館だった。いや、正確には図書館に来たかと錯覚するほどに本棚で囲まれた部屋だ。「うえぇ、いつ来ても相変わらずの本の数だな」「ほんと、これだけの本をよく集めたものよね~」アンデレさんもヤコブさんも大量の本を見て嫌そうに顔を背ける。まあこの二人は本とは無縁そうな雰囲気があるし、当然の反応か。僕としてはどんな本があるのか興味が尽きない。洋風の図書館というのか螺旋階段まであって上階にも本棚が所狭しと並べられていた。しばらく本棚を眺めていると、眼鏡をかけた白い服の男性が螺旋階段から降りてきた。「騒がしいと思ったら……貴方達でしたか」とても理知的な見た目をしているトマスさんは僕らを一瞥しフンと鼻で笑った。それが癇に障ったのかヤコブさんが一歩前に出た。「ああ?来てやったのになんだぁその態度は!」来てやったという表現はちょっとおかしくないかな?どちらかといえば僕らが頼みに来たって感じなんだけど。「来てやった?私は貴方達を呼んだ覚えはありませんがね」まあそうだろうね。だって勝手に来たんだから。しかもアポなんて取ってないし。「まあまあヤコブ、落ち着きたまえよ。トマス、君に用事があってね」「ペトロさん、貴方が用事というとあまりいい思い出がないのですが」過去に何があったんだろう。トマスさんの表情が本当に嫌そうな顔になっているし、凄く気になってきた。「まあまあまあ、それは置いといて。トマス、別世界の人間に興味はないかい?」「置いておくというそのセリフは私の方です。&helli
僕を含めた四人で次に向かったのは第二使徒トマスと呼ばれる人の所だ。使徒は全部で十二人。今の所許可をもらえたのは第三使徒ペトロさん、第五使徒アンデレさん、第七使徒ヤコブさんだけだ。後三人もの使徒に許可をもらわなければならないのはなかなか骨が折れる。それに次に会うトマスという方はそれほど懇意にしている使徒ではないらしく、扉でひとっ飛びという訳にもいかないらしい。その為街に繰り出し塔へと向かう転移門へと足を運んだのだが、なかなか辛かった。使徒は他の神族にとって敬うべき存在。つまり、街を歩けば目につく神族がみな膝を突いて頭を垂れるのだ。なかなか経験できない光景だった。それに使徒が三人も一緒にいればあの人間は何者なんだと、声には出してなかったが神族達の表情が物語っていた。「ここだよここ」ペトロさんの案内されたのは転移門と言わんばかりの巨大な門だった。想像していたのは魔法陣の上に立って転移する的なものだったのだが、まさしく門であった。「これが転移門ですか」「そう、ここをくぐる前に行先だけ登録するんだよ。少し待っててくれるかな」そう言ってペトロさんは門のすぐそばまで行き水晶玉みたいな物に手を翳す。「よし、これで大丈夫だ。さあ行こうか」僕は恐る恐る門をくぐる。当然くぐる瞬間は目を瞑ってしまった。目を開けるとこれまた雰囲気がガラッと変わって白を基調としながらも三階建て以上の建物ばかりが目立つ。治めてる使徒ごとに街の雰囲気は変わるようだ。「あの塔に彼はいるよ」ペトロさんが指差す方向には代わり映えのしない巨塔があった。雰囲気が変わるのは街だけで塔の外観は全て同じ造りになっているようだった。「簡単に許可をもらえますかね?」「うーんどうだろうね。トマスは良くも悪くも真面目だから」真面目な使徒なのか。それなら僕と相性はいいかもしれない。一応こう見えて僕は研究者タイプなんだ。真面目
部屋全体がとても暑く、何もしていないのに服には汗が滲んでくるほどだった。ペトロさんとアンデレさんを見ればとても涼しい顔をしており、二人は暑さが平気のようだった。数歩進むと更に熱気は凄く、僕の額には大粒の汗が浮かぶ。使徒の特殊な力か知らないが僕だってペトロさん達みたいに涼しい顔でいたいものだが、あまりの暑さにそうは言ってられない。「ん?あ、もしかしてこの部屋暑いかい?」ペトロさんが僕の様子に気づいてくれたようで声を掛けてくれた。それに僕は頷き返すと、ペトロさんはおもむろに指を弾いた。その瞬間、暑く感じていたはずなのに一気に涼しくなった。何か結界のようなものを張ってくれたのだろうか。「悪いね。人間はこの暑さだと辛いというのを忘れていたよ」「結界ですか?」「そう。私達は呼吸をするかのように身体を覆っているけど君達人間はわざわざ発動手順を踏まなければならないのを忘れていたよ。それに君は魔法があまり得意ではないだろう?」その通りだ。得意か否かではなく赤眼のせいであまり魔法が扱えない。ペトロさんはこの短い時間でその事にも気づいていたらしい。「それにしても趣味悪いよね~ヤコブの部屋って」アンデレさんは首を横に振り嫌そうな顔をする。まあ僕も趣味がいいかと問われれば首を振らざるを得ないしな。「あ、来たみたいだよ」ペトロさんが指差す方向を見ると溶岩が盛り上がりその中から白い服を着た男が出てきた。髪は短髪で赤く目も吊り上がっていて不良みたいな見た目だ。少なくとも僕がプライベートだったら話し掛けはしないタイプの見た目だった。「おいおいおい!なんだって二人が俺の所にきたんだ?それにそこの人間はなんだ?」「まあいいじゃん。とりあえずさ、この子が世界樹に行きたいらしいから許可ちょーだい」何の説明もしてないけどいいのだろうか?アンデレさんの問いかけにヤコブさんは数秒無言になると頷いた。「お?まあいいけどよ。って説明の一
扉をくぐった先はまた別の光景が広がっていた。周りは宝石のように光り輝く巨大な水晶が散乱している。ペトロさんの部屋とは大違いだ。「ここは私達使徒の求めるものが表現されているんだ。私の場合は果てしなく広がる平穏を望む。だから草原が広がっていただろう?ここの使徒は違うのさ」「水晶……輝かしい生を歩みたい、とかそんなところでしょうか?」「おお、察しがいいね。君、頭いいって言われないかい?」どうやら当てずっぽうが正解だったようだ。輝かしい生を歩みたい、か。言ってはみたけど実際よく分かっていない言葉だ。何をもって輝かしい生といえるのか。「その使徒様はどこにいるんですか?」「私が来たことは気づいているはずだからもうすぐ来るよ」ペトロさんがそう言ったタイミングで目の前の水晶が激しく砕け散った。「ふぅ~お待たせ!」現れたのはペトロさんと同じく白い服を着た女性だった。煌びやかな恰好をしてるのかと思いきや、まさか同じ白い服だとは思わなかった。「来たねアンデレ。ちょっと今日は紹介したい人がいてね」「何かしらペトロ。貴方が紹介したいだなんて珍しい事もあったものね~」ペトロさんは僕の方を見た。挨拶しろって事かな。「初めまして城ケ崎彼方です」「城ケ崎?えらく変わった名前ね~。で?ペトロが紹介したって事は普通の人間ではないのでしょう?」「はい。僕は別世界から来た人間でして――」もう何度目かも分からな自己紹介をするとアンデレさんの目が輝きだした。ペトロさんと同じく僕は興味深い対象であったらしい。話し終えるとアンデレさんは期待に満ちた表情に変わっていた。まるで初めて見た生物を観察するかのように。「へぇ~面白いね~!ペトロ、なかなか面白い子を連れてきたね!」「そうだろう?別世界となれば我々の手が届かない場所だ。だからこそ面白い」「うんうん!それでこの子がどうしたの?」ペトロさん
アレンさんが有無を言わせず吹き飛ばされたのを見ていた僕は固まってしまった。他のみんなは視線が下を向いているお陰で今の状況をあまり理解できていないようだが、それで正解だ。意味の分からない力で吹き飛ばされたのを見ていれば、口を開くのが恐ろしくて堪らない。「さあ気を取り直して。カナタ君、世界樹を目指す理由は何かな?」「元の世界を、取り戻す為です」「取り戻す?それは比喩というわけでもなさそうだね。元の世界の話を聞かせてもらえるかな?」まさかとは思うけど僕以外はみんな片膝を突いたままなのだが、その態勢で放置するのだろうか?この状態で話を進めれば少なくとも数十分は身動きできないぞ。「あの、ここで話すんでしょうか?」僕がそう恐る恐る聞くとペトロさんはハッとしたような表情になり、申し訳なさそうな顔で謝罪してきた。「おっと、すまないね。気が利かなくて。ガブリエル、彼らを部屋の外へ」「ハッ」神族のリーダーであるガブリエルさんは吹き飛ばされてどこに行ったか分からないアレンさん以外を部屋の外へと連れて行った。アレンさんはもうどこまで吹っ飛んでいったのか見当もつかないな。「よし、これでいいかな。さあ、これでも飲んで話を聞かせてくれるかな?」僕はペトロさんと同席する事を許されテーブルに着くといつの間にか用意されていた紅茶を一口頂く。少しだけ気持ち落ち着いたな。「僕のいた世界は――」そこから一時間ほどかけて今までのあった事を丁寧に話した。ペトロはニコニコしたり悲しそうな顔をしたりと表情が豊かだった。「なるほどなるほど……それで世界樹に願いを叶えて貰って元の平和な時を取り戻したいという事だね」「はい。……時間を戻すなんて願いは難しいのでしょうか?」「いや、そうではないさ。この世界に干渉する願いでなければ恐らく誰も文句は言わないと思うよ。ただ……世界樹へのアクセスは過半数の使徒の許可がいる。まあ私は許可し
巨大な扉が数秒かけて開かれる。使徒様とはどんな見た目をしているんだろうか。部屋の中はどんな風になっているんだろうか。出会った瞬間バトルにならないだろうか。色んな不安が押し寄せてくる。緊張しながら一歩部屋の中に入ると、そこは部屋ではなかった。いや、正確には部屋の中だ。ただのどかな草原が広がっていて、その真ん中にポツンと椅子とテーブルが置かれてある。そこで優雅にティーカップで何かを飲んでいる白い服の男性がいた。「ペトロ様、少々変わった人間を連れて参りました」神族のリーダーが膝をつき、頭を垂れる。それと同じくして他の神族も膝をつくのかと思って周りに視線を向けてみるとそこには誰もいなかった。神族のリーダー以外部屋の中に入っていなかったようだ。これは僕らも膝をつくのが正解かと思い、しゃがむとアレンさん達も同じように膝をついた。流石にここは空気を読んでくれたらしい。ペトロと呼ばれた使徒が立ち上がるとゆっくりとこちらを向くのが気配で分かった。下を向いていても使徒から放たれ圧は凄まじいものだった。何もしていないのに流れ落ちる汗が物語っている。「君の事かな?」誰に話しかけているのか分からないが、多分僕に話しかけている。というのも声が僕の頭上から降りかかってきているからだ。ここは頭を上げていいタイミングなのか?どういう動きをすればいいのか、何が無礼に当たるのか分からず僕が黙っていると、再び頭上から声がかかる。「えーっと、君は……カナタというのかな?」何も言っていないのに名前を当てられた。使徒ってのは心でも読むのだろうか。いや、とにかく返事をした方がいいのかもしれない。「は、はい」顔を上げて言葉を返すと、頭上で見下ろしている使徒と目が合った。ニコッと微笑むと、手を差し出してきた。これは手を取れという合図だろうか。