「何を言うの。あなたが実の娘なのよ。ただ……美穂(みほ)を手放すのは忍びないし、それに知ってるでしょう?善次(よしつぐ)も青野(あおの)君も美穂に夢中なんだから。彼女を嫁がせるなんて無理な話よ」「羽生家はもう式の準備を始めてる。乙音、荷物をまとめて、半月後には北都へ迎えが来るわ」小嶺乙音(こみね おとね)の両親はそっけなく告げ、電話を切った。暗くなった携帯画面を見下ろし、小嶺乙音はテーブルの上の写真に目を移した。両親、兄の善次、幼なじみの青野——ドレスにティアラ姿の自分を中心に囲み、皆が慈愛に満ちた笑顔を向けている。当時、社交界では「小嶺乙音になりたい」が流行り言葉だった。誰もが彼女を羨んだ。宝物のように溺愛する両親、妹を守るために命さえ惜しまない兄、そして自分一筋の幼なじみがいるから。乙音も永遠にこの幸せが続くと信じていた。十八歳の時、ある婚約の存在を知るまでは。祖父が生前に決めた縁談だったが、乙音は青野と互いに想いを通わせていたため、成人したら破談にするつもりでいた。しかし婚約者の羽生瀬人(はにゅう せと)が事故で植物状態に陥った。約束を反故にすれば「信義を捨てた」と非難される。小嶺家は縁談を履行せざるを得なくなった。だが十数年溺愛した娘を植物状態の男の世話にやるのは忍びない。途方に暮れていた小嶺家が思いついたのが、養女を探して身代わりに嫁がせることだった。孤児院育ちで路頭に迷っていた美穂が小嶺家に迎えられる。そして、罪悪感を抱いている小嶺家は美穂を寵愛し始めた。月一億の小遣い、兄が毎日贈る高級品、おさなじみの青野も彼女の望みを何でも叶えた。乙音さえも、自分の全てを譲り渡した。部屋を欲しがれば譲り、トロフィーを求めれば渡し、腎不全で腎臓を要求されても捧げた。だが美穂の本性は卑劣だった。小嶺家に入ってからというもの、乙音を陥れる嘘や罠を繰り返し、たった五年で家族の愛情を全て奪い取った。兄は美穂に、青野は美穂に、両親までが「美穂を嫁がせるのは忍びない」と乙音に婚約の履行を迫る。「約束を破るつもりはない。ただ青野との約束と、実家から遠く離れたくない気持ちがあっただけ。でも皆が美穂を傍に置きたいなら——私が嫁ごう」両親から告げられた日付を確認し、乙音は半月後のカレンダーに赤丸を描き「旅立ち」
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