All Chapters of 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私: Chapter 951 - Chapter 960

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第951話

男の体は血だらけで、すでに人間の姿とは思えないほどに痛めつけられていた。 全身からはひどい悪臭が漂っている。 若子は吐き気をこらえながら、口を押さえて顔を背け、えずいた。 「この人......誰?どうして......あなたの地下室に......?」 「こいつが、マツの彼氏だ」 若子は驚愕した。 「えっ?彼女の彼氏が、どうしてここに......?」 ヴィンセントは語った。 妹を殺したのはギャングたちだ― だから、彼はそのすべての者たちを殺して復讐を果たした、と。 だが、その中に彼氏の話は一切出てこなかった。 ―もしかして、妹を失ったショックで、理性を失ってるの......? 「こいつがマツを死なせた張本人だ」 「どういうこと......?ギャングがマツを襲ったって......それならこの人は......?」 「こいつがチクったんだ。マツが俺の妹だって、やつらに教えた」 ヴィンセントは男の前に立ち、声を荒げた。 「こいつが共犯だ!」 その目には殺意が宿っていた。 この男を殺したところで、気が済むわけではない。 それでも―殺さずにはいられないほど、憎しみは深かった。 男は顔も腫れ上がり、誰だか分からない。 身体中を鎖で縛られ、長い間、暗く湿った地下に閉じ込められていた。 声も出せず、体を動かすことすらできず、助けも呼べず― ただ、毎日苦しみ続けていた。 ヴィンセントは彼を殺さず、生かしたまま、マツが受けた苦しみを何倍にもして返していたのだ。 「......そういうことだったのか」 若子は心の中で思った。 マツは―愛してはいけない男を愛してしまったのだ。 女が間違った男を選べば、軽ければ心が傷つくだけで済む。 だが、重ければ命すら奪われる。 修なんて、この男に比べれば、まだマシだ。 少なくとも、彼は命までは奪わない。 ......でも、そういう問題じゃない。 傷つけられたことには変わりない。 「ヴィンセントさん......これからどうするの?ずっとここに閉じ込めて、苦しませ続けるつもり?」 若子には、彼の行動を否定することもできなかった。 非難する資格が自分にはないと分かっていた。 でも、心のどこかで―怖さもあった。 だが、
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第952話

若子はほんの少し眉をひそめた。 しばらく考え込んだあと、こう言った。 「私には、あなたの代わりに決めることはできない。あなたが復讐したのは、間違ってないと思う。でも......もしも、まだ彼を苦しめるつもりなら......私は先に上に行ってもいい?見ていられないの」 あまりにも残酷な光景に、若子は夜に悪夢を見るかもしれないと思った。 ヴィンセントは彼女の顔を見て振り返った。 若子の表情は、少し青ざめていた。 彼女は確かに、怖がっていた。 そうだ。 彼女はまともな人間だ。 自分のように、何もかも見てきたような人間じゃない。 怖がって当然だ。 若子は、真っ白なクチナシの花。 自分は、血と泥にまみれた人間。 「......行っていい。すぐに俺も行く」 若子は「うん」と頷き、地下室を出て行った。 扉を閉めると、地下室から音が漏れてきた。 声の出ないその男は、うめくことも叫ぶこともできない。 聞こえてくるのは、ヴィンセントの行動音だけだった。 ナイフが肉を刺す音、物が倒れる音― 若子は耳を塞ぎ、背中を壁に押しつけた。 この世界では、日々さまざまな出来事が起こっている。 善と悪は、簡単に区別できない。 人を殺すことが、必ずしも「悪」ではなく、 人を救うことが、必ずしも「善」とは限らない。 たとえば、殺されたのが凶悪な犯罪者だったなら、それは正義かもしれない。 逆に、そんな人間を救えば、また誰かが被害に遭うかもしれない。 世の中は、白と黒で割り切れない。 極端な善悪の二元論では、何も見えてこない。 しばらくして、扉が開いた。 ヴィンセントが出てきた。手にはまだ血のついたナイフを持っていた。 彼はそのまま、近くのゴミ箱にナイフを投げ捨てた。 「殺した......地獄に落ちて、マツに詫びてもらう」 若子は彼をまっすぐに見つめた。 そこにいたのは、復讐を果たして満足している男ではなかった。 魂を失ったような、抜け殻のような男だった。 突然、ヴィンセントが「ドサッ」とその場に倒れ込んだ。 「ヴィンセント!」 若子は駆け寄って、彼を支えようとしゃがみ込む。 だが、彼は起き上がろうとせず、地面に崩れたまま笑い出した。 「なあ......天
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第953話

ヴィンセントは「なぜだ、なぜなんだ!」と叫び続け、頭を抱えて自分の髪を乱暴に引っ張った。 その姿は絶望そのものだった。 若子は彼の背中をそっと撫でた。 何を言えば慰めになるのか、彼女には分からなかった。 ―すべての苦しみが、言葉で癒せるわけじゃない。 最愛の人を、あんな形で失った彼の痛み。 誰にだって耐えられることじゃない。 もしそれが自分だったら―きっと、同じように壊れていた。 突然、ヴィンセントは手を伸ばし、若子を抱きしめた。 若子は驚いて、思わず彼の肩に手を当て、押し返そうとした。 だが、彼はその耳元でかすれた声を漏らした。 「動かないで......少しだけ、抱かせて......お願いだ」 「......」 若子は心の中でそっとため息をついた。 彼の背中を軽く叩きながら言った。 「これはあなたのせいじゃないよ。全部、あいつらみたいな悪人のせい。 マツさんも、きっとあなたを責めたりしない。 きっと、あなたにこう言うよ。『今を大切にして、毎日をちゃんと生きて』って」 「松本さん......ごめん......君をここに閉じ込めて、マツとして扱って...... ただ、昔の記憶にすがりたかっただけなんだ...... 君を初めて見たとき、マツが帰ってきたのかと思った...... 君があいつらに傷つけられるって思ったら......もう耐えられなかった」 ヴィンセントの表情には、後悔と悲しみが滲んでいた。 その瞳は、内面の葛藤と苦しみに囚われ、涙が滲むような声で語った。 彼は若子に謝っていた。 そして、自分の弱さを―心の奥にある痛みを告白していた。 「それでも、助けてくれてありがとう。私をマツだと思ってたとしても、松本若子だと思ってたとしても......あなたは私を、助けてくれた」 「たとえマツじゃなくても、俺はきっと君を助けてたよ」 ヴィンセントは彼女をそっと離し、その肩に両手を置いた。 真剣な眼差しで言った。 「俺、女が傷つけられるのを見るのが耐えられないんだ」 ふたりの視線が交わる。 その間に流れる空気は、言葉では表せない感情に満ちていた。 若子は、彼の心の痛みを少しでも理解しようとした。 ―もしかしたら、自分が人の痛みに敏感だからかも
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第954話

彼女に違いない、絶対に若子だ! あの男は誰だ?一体若子に何をした? 修の目には、あの男が若子をここに連れてきたようにしか見えなかった。 若子がどれほどの苦しみを受けたのかも分からない。 修は考えれば考えるほど、動揺と焦りで頭がいっぱいになった。 部下が周囲を確認していた。 この家は簡単に入れない。どこも厳重に警備されていて、爆破しないと入れない状態だった。 突然、監視カメラの映像に映った。 男が女をソファに押し倒したのだ。 その瞬間、修の怒りが爆発した。 若子が襲われていると誤解し、理性を失った彼は即座に命令を出した。 「扉を爆破しろ、早く!」 ...... ソファの上で、ヴィンセントは若子の上から身体を起こした。 「悪い」 「大丈夫、気をつけて」 さっきはヴィンセントがバランスを崩してソファに倒れ、その勢いで若子も倒れたのだった。 ヴィンセントが姿勢を整えると、若子は言った。 「傷、見せて。確認させて」 彼女はそっと彼の服をめくり、包帯を外そうとした。 ―そのとき。 ヴィンセントの眉がぴくりと動いた。 鋭い危機感が背中を駆け抜けた次の瞬間、彼は若子を抱き寄せ、ソファに倒れ込ませた。 「きゃっ!」 若子は驚き、思わず声を上げた。 何が起きたのか分からず、反射的に彼を押し返そうとしたが― その瞬間、「ドンッ!」という轟音が響き、爆発が扉を吹き飛ばした。 煙と埃が宙に舞い、破片が飛び散る。 ヴィンセントは若子をしっかりと抱きかかえ、その身体で彼女を庇った。 その眼差しは鋭く、まるで刃のようだった。 若子は呆然としながら言った。 「何が起きたの?あなたの敵?」 もし本当にそうだったら― この状況は最悪だった。 ヴィンセントはまだ傷が癒えていない、今の彼に戦える力があるか分からない。 「怖がらなくていい。俺が守る」 その声は強く、闇を貫くように響いた。 彼はもうマツを守れなかった。 今度こそ、若子だけは―何があっても守り抜く。 扉が吹き飛んだあと、黒服の男たちが銃を持って突入してきた。 「動くな!両手を挙げろ!」 ヴィンセントはそっとソファの上にあった車のキーを手に取り、若子の手に握らせた。 そして、彼女の耳
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第955話

若子が生きていると確認して、修はようやく安堵の息を吐いた。 これまで幾度となく、彼女を探し続けるなかで何度も遺体を見つけ、そのたびに胸が潰れそうな絶望を味わった。 けれど、若子だけは見つからなかった。 代わりに、他の行方不明者ばかりが見つかった。 そして今ようやく、彼女を見つけた。 彼女は―生きていた。 だが彼女がどんな目に遭っていたのか、想像するだけで胸が痛んだ。 「修......なんであなたが......?」 若子は信じられないような目で彼を見つめた。 「どうしてここに?」 まさか来たのが修だったなんて、夢にも思わなかった。 ヴィンセントは目を細めて振り返った。 「この男......テレビに出てたやつじゃないのか?君の前夫だろ?」 若子はうなずいた。 「うん。彼は......私の前夫よ」 修が来たと分かって、若子は少しだけ安心した。 「若子、こっちに来い!」 修は焦った様子で手を伸ばした。 「修、どうしてここに......?」 「お前を助けに来たに決まってるだろ!お前がいなくなって、俺は気が狂いそうだった!」 「わざわざ......私のために......?」 若子は、てっきりヴィンセントの敵が来たのだと思っていた。 「若子、早く来い!そいつから離れて!」 「修、違うの!誤解してる!彼は......ヴィンセントって言って、彼は......」 若子が話し終える前に、修は彼女を後ろへ引っ張り、銃を構えてヴィンセントに発砲した。 ヴィンセントはまるで豹のような動きで避けたが、すぐに更なる銃弾が飛んできた。 すべての男たちが一斉にヴィンセントへ発砲を始めた。 彼はテーブルの陰に飛び込んで避けたが、ついに銃弾を受けてしまった。 「やめて!」 若子は絶叫した。 銃声が激しく響き、彼女の声はかき消されていった。 「修、やめて!」 彼女は必死に彼を掴んで叫んだ。 「撃たせないで、やめて!」 「若子、お前は何をしてるんだ!?あいつは犯罪者だぞ!お前を傷つけたんだ、正気か!?」 修には、なぜ若子がヴィンセントを庇うのか理解できなかった。 「彼は違う、彼はそんな人じゃない......!」 「違わない!」 修は彼女の言葉を遮った。 「
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第956話

「修、彼は私の命の恩人なの!絶対に傷つけさせない!誰にも彼を傷つけさせない!」 「......今、なんて言った?」 修の目が信じられないものを見るように大きく見開かれた。 「......あいつが、お前の命の恩人......だと?」 「そうよ。私が危ないところを助けてくれたのは彼なの。だから、彼を傷つけるってことは、私を傷つけるのと同じなの!」 その言葉に、修は言葉を失った。 事態は、彼の想定を完全に超えていた。 若子が何か薬を盛られて、意識が朦朧としてるんじゃないか― そんな疑念がよぎる。 けれど、彼の目にははっきりと見えていた。 若子の首筋にくっきり残った、指の跡。 明らかに暴力によるものだ。あの男がやったに違いない。 だとしたら、なんで彼女はこんなところにいるんだ? なんで家に帰らず、連絡もよこさなかった? これが「救い」だっていうのか? 「若子、わかった......まず、銃を返して。もう彼には手を出さない」 彼女の感情が高ぶっている中で下手に手を出せば、逆効果だ。 今は、冷静にするのが先。 「本当に?」 若子が疑うように問い返す。 修は静かに頷いた。 「本当だ。銃を、返してくれ」 もしこのまま彼女の手元に銃があれば、暴発の危険すらある。 若子は少し迷いながらも、ゆっくりと銃を修に手渡した。 だが、修は銃を受け取るや否や、すぐさま部下に命じた。 「囲め。あいつから目を離すな」 部下たちが一斉に動き、ヴィンセントを取り囲む。 銃口が一斉に彼へ向けられる。 「あんた......私を騙した......」 若子の叫びが響いた。「なんで......なんでそんなことができるの!?」 彼のもとへ走り寄り、その胸倉を掴む。 「やめて!銃を向けるな!お願い、彼にそんなことしないで!」 「若子、あいつはお前に何をした?」 修は彼女の肩をしっかりと掴み、必死に訴える。 「何か注射されたのか?薬を使われたのか?あいつに傷つけられたのに、なぜそこまでかばう!?病院に連れて行く、すぐに検査を―」 ―バチンッ! 乾いた音とともに、若子の平手打ちが修の頬を打った。 「藤沢修、あんたって人は......!」 「桜井さんのために私と離婚すると決めた
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第957話

「......お前......」 修が歩み寄ろうとした瞬間、若子は彼を強く突き飛ばした。 「彼が言ったこと、間違ってなんかない!一言だって間違ってないわ!」 若子の瞳には怒りが燃えていた。 「修、私がギャングに捕まって、暴行されそうになって、殺されかけたとき―助けてくれたのはヴィンセントさんだった!......じゃああんたは?どこにいたの!? どうせあれでしょ、山田さんと手を繋いでアイス舐めあってたんでしょ?あの女の唾液を嬉しそうに食べてたんでしょ? ベッドででも盛り上がってた?私が死にかけてるときに!」 「......っ」 修は言葉を失った。 「はっきり言っておくわ。私は今、助けなんか求めてない。 今さら『心配してる』なんて顔して現れて、正義ぶらないで。全部、自己満足じゃない!」 「自己満足だって......俺は、必死にお前を探した。命がけで心配したんだぞ、それが『無駄』だっていうのか!?」 彼の叫びは、若子の怒りを前に粉々に砕けた。 「感謝するわよ、『探してくれてありがとう』って。でも、結局あんたがしたことは、私の恩人の家を爆破して、彼を傷つけたこと。 私、明日には自分で帰るつもりだった。放っておけばよかったのよ。 それをあんたが余計なことして、勝手に盛り上がって、感動して、自分に酔って―それを私が理解しないって怒る?」 「若子......お前、あんまりだ......どうして、そんなに冷たいんだ......」 修の声はかすかに震えていた。 「冷たい?じゃあ、聞くけど― さっき私が止めたよね?でもあんた、全然聞かなかった。彼に銃を向けて、撃とうとした。 あげくの果てには、『私が正気じゃない』とか言って、自分の都合で全部決めつけて......そんなあんたの努力、私がどうして感謝できるの? 修、あんたの『努力』はやりすぎなのよ」 若子は涙を拭いながら、冷たく言い放った。 「それに― 山田さんとラブラブなんでしょ? だったら彼女のそばにいなよ。なんでこっち来てまで『頑張って助けに来た』とか言ってるの?彼女、あんたの子どもを妊娠してるんでしょ?戻って、ちゃんと支えてあげなよ」 修は目を閉じ、深く息を吸った。 心の中で何かが音を立てて崩れていく。 若子の言葉は、す
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第958話

「大丈夫、少なくとも彼は助けに来てくれた。もう危ないことはない」 ヴィンセントは、もう死を恐れてなんかいなかった。首の皮一枚で生きる日常、いつ爆発するかわからない時限爆弾を抱えたような人生。今日死ぬか、明日死ぬか、それに大した違いなんてない。 早く死ねば、それだけ早く楽になれる。 若子は力いっぱいヴィンセントを支えて立たせると、修に向かって叫んだ。 「修、お願い―」 その言葉が終わる前に、突然、もう一組の人間がなだれ込んできた。 「若子!無事だった?こっちに来て!俺が助けに来たよ!」 西也はヴィンセントと一緒に立っている若子を見て、全身血まみれの彼女にショックを受けた。そして、反射的に銃を構え、バンバンバンとヴィンセントに向けて数発撃った。 「やめてええええええ!」 若子は喉が裂けそうなほど叫んだ。ヴィンセントが撃たれて、その場に崩れ落ちるのを、目の前で見ることしかできなかった。 「やだ......やだ!」 彼女はその場に膝をついて、苦しげに叫ぶ。 「ヴィンセントさん、冴島さん......冴島さん、お願い、死なないで、お願い......!」 「遠藤、お前ってほんと狂犬ね!」 修が彼を止めに入る。 「何やってんだ!」 「俺は若子を助けに来たんだ!彼女はいま危険だったんだぞ!それをお前は何もせずに突っ立ってただけじゃないか!何の役にも立ってない!だから俺が、夫の俺が守るって決めたんだ!」 西也は修を強く押しのけ、若子のもとへ走り出した。 「来ないで!」 若子は怒りに震えながら、西也に向かって叫んだ。 「なんで事情も知らないのに撃つの!?ひどすぎるよ!」 西也はその場で固まった。若子に責められるなんて思ってもみなかったのだ。 ―こんなこと、初めてだ。 「若子......俺は、助けたかったんだ。電話も繋がらないし、もう心配で、心配で......寝る間も惜しんで探し回って......こいつがどんな奴か知ってるのか?『死神』ってあだ名で呼ばれてる、殺しに躊躇しない化け物なんだぞ!」 「でも、彼は私を助けてくれたの。命の恩人よ。彼がいなかったら、私はもうとっくにあのギャングたちに......殺されてたかもしれない! ねぇ、あと何回言えば伝わるの!?なんでみんな、私の話を聞こうとしな
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第959話

今の若子には、他のことなんてどうでもよかった。たとえ医者が警察に通報しても、しなくても、彼女が望んでいるのは―ヴィンセントを、生かすこと。 彼がここで死んでしまったら、すべてが終わってしまう。 ヴィンセントは手を上げて、そっと若子の頬に触れた。涙を指でぬぐいながら、弱々しく笑う。 「泣くなよ......どうせ、俺たちそんなに親しくもないし。俺が死んだって、別にいいだろ」 「だめ!絶対にだめ!ヴィンセントさん、お願い、生きて......生きてよ、頼むから!」 「俺が死ねば、妹のところに行ける。だから......そんなに悲しむな。あのふたりの男、君のことすごく愛してるみたいだな。でもさ......俺は、君には幸せでいてほしい。誰かに愛されてるからって、それに縛られなくていいんだ。松本さん、男なんて、あんまり信じるなよ」 「冴島さん、目を開けて!ねぇ、お願い、開けてってば!」 若子は震える手でヴィンセントの瞼を押し開こうと必死になった。 そして、奥歯を噛み締めながら、全力で彼の体を背負い上げる。 「病院に連れてく!絶対に死なせない、私が死んでも、あなたは生きるの!マツだって、きっと同じ気持ちよ!」 そのとき、修がやっと我に返って駆け寄った。 「若子―!」 「来ないでっ!!」 若子は振り返って怒鳴りつけた。 「触らないで、修!あれだけ『撃たないで』って言ったのに、どうして聞いてくれなかったの?なんで私の話を、無視するの!?西也、あんたもよ!何も知らないくせに、勝手に撃って......ひどいよ、ふたりとも、ひどすぎる!」 怒りと絶望が入り混じった叫び声は、途中で息が続かなくなるほどだった。目には怒りの火が灯り、血の気の引いた顔には氷のような冷たさが宿っていた。彼女のその表情に、沈霆修も西也も言葉を失う。 ―まるで、憎しみを湛えているみたいだ。 「若子、俺だって、助けたかったんだよ......」西也は慌てたように言った。「この男が、まさかお前を助けたなんて......そんなの知らなかったんだ!これは、全部、誤解なんだよ!ワザとじゃない、信じてくれ!」 「どいて、もう何も話したくない。どいて!」 彼女の体は小さくても、気迫は誰にも負けなかった。全身が血と汗にまみれても、彼を背負って一歩一歩、出口へ向かおう
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第960話

「はいっ!」 部下たちが一斉に動き、ヴィンセントを受け取ろうと前へ出る。 修はすぐに若子の前に立ち、きっぱりと言った。 「若子、ヴィンセントは俺に任せて。安全な病院を知ってる。そこの医者は通報なんてしない。俺が責任を持って、彼のことを秘密裏に処理する」 そう言うと同時に、修は部下にさりげなく目配せをした。 すると―場面はまるでコントのような奇妙な空気に包まれた。 なんと、修と西也、ふたりの陣営がヴィンセントを奪い合い始めたのだ。 「遠藤、お前は引っ込んでろ。今は命を救うことが先決だ。俺には医療のリソースがある」 「お前にあるなら、俺にもある。なめるなよ?俺だって安全な病院にコネがあるし、信頼できる医者もいる。若子、俺にヴィンセントを預けて!」 「若子、信じるなよ、遠藤なんて!彼は腹黒い。ヴィンセントを死なせるぞ。俺なら絶対に助けられる!」 「若子、やめとけ。こいつのことなんて、もう信用できないだろ?こいつが前にお前にしたこと、忘れたのか?」 修と西也、互いに一歩も引かずに言い争いを続ける。 ......もう、ぐちゃぐちゃだった。 「全員、黙りなさいっ!!」 若子の怒声が、あたりを震わせた。 こんな大事な時に、男たちが口げんかしてる場合じゃない。彼女は真っ直ぐに修を見つめた。 「修......最後の最後に、あなたを信じる。ヴィンセントさんを任せるから、絶対に、最善の医者に診せて。彼を助けて」 修は深く頷き、安堵の息を吐くと、自らの腕でヴィンセントを抱き上げた。すぐに部下たちが受け取り、彼を連れて足早に去っていく。 若子も、そのあとを追った。 「若子!」 西也が焦って駆け寄り、叫ぶ。 「どうしてこいつに預けたんだ!?こいつは絶対に、ヴィンセントを殺す!信じちゃダメだ!」 「......さっき、彼はあなたに殺されかけたのよ」 若子は西也の手を振り払い、きっぱり言い放った。 「もういいの。これ以上話したくない。今は彼を救うことだけが私のすべてよ。だからお願い、放っておいて」 混乱と疲労で頭が真っ白だった。何もかもが絡まりすぎて、考える余裕もない。ただひとつ―ヴィンセントの命を救う、それだけだった。 それ以外のことは、あとで考える。 西也は呆然としたまま、若子が自分の手
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