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第798話

Author: 似水
雅之の顔色は、氷のように冷たく張り詰めていた。黒い瞳には鋭い光が宿り、相手が病床の祖母だろうと容赦のない視線を向けている。

その様子を見て、里香は慌てて声を上げた。「違うの、おばあちゃんは私をいじめてなんかいない!」

二宮おばあさんもすぐに頷いて、少し得意げに言った。「そうそう、いじめてないよ。この子がいきなり泣き出して、私は何もしてないんだから」

里香:「……」

泣くに泣けず、笑うに笑えず――何とも言えない気持ちが込み上げてきた。

涙を拭いながら、小さな声でぽつりと漏らした。「おばあちゃんの今の姿を見て、昔のことを思い出しただけ……」

その言葉に、雅之の険しい表情が少し和らいだ。

「……何を思い出した?」

里香は泣き腫らした目で彼をじっと見つめた。「本当に知りたい?」

「やっぱりいい」

昔のことは思い出さない方がいい。知ってどうなるわけでもない。

話題を変えるように、雅之は二宮おばあさんに目を向け、少し穏やかな声で尋ねた。

「今日はどうしたんだ?急に里香に会いたくなって」

だけど二宮おばあさんは、まだ怯えたような顔のまま。濁った瞳でおそるおそる雅之を見つめた。

「お前……怖いよ。もう私の優しい孫じゃない」

雅之:「……」

気まずい空気が流れかけた時、介護士がすかさず口を挟んだ。

「雅之様、そんな言い方はよくありませんよ。おばあさまは今、子どもみたいなものです。奥様をいじめるなんて、できるわけがありません」

なるほどね。

さっきまで「小松さん」って呼んでたのに、雅之が来た途端に「奥様」か。

まぁ、どうでもいいけど。

雅之は黙って床に落ちていた花冠を拾い上げ、それをそっと二宮おばあさんの手に戻した。

「この花冠、気に入った?」

「うん!すごく気に入ったよ!」

二宮おばあさんはぱっと顔を輝かせて、嬉しそうに花冠を撫でた。

雅之は静かに続けた。「誰が編んでくれたか、分かる?」

「孫の嫁が編んでくれたのよ。綺麗でしょ?」

雅之はさらに問いかけた。「その孫の嫁って、誰か分かる?」

二宮おばあさんは口を開きかけたものの、すぐに困ったような顔になって、しばらく唸った。「誰だったかしら……思い出せないわ」

その姿に、里香は胸の奥がぎゅっと締めつけられた。たぶん今教えても、数日後にはまた忘れてしまうだろう。

「もういいよ」

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    「好きに訴えればいいわ。でもその前に――あんたたち、大声で騒いで暴れた挙句、今度は手まで出そうとした。これだけで留置所に連れていかれる理由としては十分よ」その一言に、女は一瞬言葉を失った。気まずそうに顔を引きつらせる。留置所なんてまっぴらごめん!女は目をぎょろぎょろさせながら、すぐに話題をすり替えた。「ま、それはさておき……中にいるのは私の娘よ?どうして母親の私が入れないの?こんなことがあったのに、私たちに隠してたなんてひどいじゃない!心配してるのよ!」心配?そう言いながらここまで罵倒してきたくせに?里香の瞳は冷え切ったまま。「さっきのあんたたちの態度を見たら、杏ちゃんを引き裂きそうだったわ。そんな人たちに会わせるわけないでしょ。今の杏ちゃんに必要なのは休養よ。邪魔だから帰って」「なっ……!」女は納得できない様子で噛みついた。「私たちを追い返す気!?私は杏の母親なのよ!どんなに言い訳したって、あんたは赤の他人じゃない!警察を呼んだって、私が娘に会うのを止める権利なんてないでしょ!どきなさいよ!」そう怒鳴りながら、女は里香を押しのけようと手を伸ばしてきた。しかし、里香は素早く体をかわし、一切触れさせなかった。とはいえ、いつまでもこんなことを続けられるわけじゃない。親子である以上、この人たちが杏に会うのを永遠に阻止するのは現実的に不可能だ。じゃあどうする?金を払って黙らせる?それだけは絶対にありえない。里香の目がますます冷たくなっていく。そんな彼女を前に、女は苛立ったようにもう一度手を伸ばしてきた。その時――病室のドアがカチャリと開いた。杏が、怯えたように外に出てきた。女の目がギラリと光った。「このクソガキ!やっと出てきたわね!嘘ついて逃げ回るなんて、この親不孝者が!この間、お金を送ってこなかったせいで、私たちがどれだけ苦労したと思ってるの!?あんたを産んだのは私なんだから、親を養うのは子供の義務でしょ!」そう怒鳴りながら、女は杏の腕を掴もうとした。杏は痛みに顔を歪め、顔色がさらに青ざめた。その瞳の奥には、これまでの人生で植え付けられた家庭への恐怖が滲んでいた。それでも、杏は震える声で言った。「里香さんを責めないで……轢かれたのは私のせいよ。腕が折れたのも、里香さんとは何の関

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    雅之は呆れたように笑い、肩をすくめながら言った。「そうだよ、僕が自分で頼んだんだ。君が頼んだわけじゃないんだから、何も払う必要はない」里香は視線をそらし、無言で窓の外を見つめた。車内には再び沈黙が落ちる。病院に着く頃には、すでに空は暗くなっていた。里香が杏のために用意した病室は個室で、しっかり療養できるように気を配っていた。けれど今、その病室の前には中年の男女二人組が立っていた。女はドアを激しく叩きながら、大声で叫んでいる。そばには看護師と警備員がいたが、止めようとしても全く効果がない。「杏!この役立たず!さっさと出てきな!家庭教師のバイトに行くって言ってたのに、なんで病院にいるのよ!?まさか恥ずかしいことでもして、誰かに殴られたんじゃないでしょうね!?このクソガキ!早くドア開けなさい!今日は絶対に許さないからね!」耳を疑うような罵声だった。まるで中にいるのが自分の娘だということすら忘れているかのように。「何してるの?」静かに響いた声に、その場が一瞬凍りついた。里香はゆっくり歩み寄り、女の腕を掴んで引き離した。その表情は、氷のように冷たい。「はぁ?あんた誰よ?自分の娘をしつけるのに、あんたに何の関係があるっていうの?さっさと消えな!」中年の女はあからさまに見下した態度で言い放った。またお節介な人間がしゃしゃり出てきた――そう思ったのだろう。今までも何人かいたが、少し怒鳴ればすぐに引き下がっていった。けれど、里香は眉ひとつ動かさずに淡々と告げた。「杏ちゃんをここに入院させたのは私よ。あの子は腕を骨折してるんだから、ちゃんと療養しないといけない。ここは公共の場よ。これ以上騒ぐなら、警察を呼ぶわ」その瞬間、女の目がぎょろりと動いた。「は?なんであんたがそんなに親切にするわけ?それに、骨折ってどういうことよ?まさか、あんたがやったの?」「そうよ。私がぶつかったの」淡々とした声だった。「でも、もうほとんど治ってるわ」その言葉に、女の顔がみるみるうちに険しくなった。「ほとんど治ってるですって!?骨折よ!?昔から言うでしょ、骨折は百日かかるって!あんた、入院費も治療費も払うのは当然だけど、それだけじゃ足りないわ!精神的苦痛の慰謝料と、この間働けなかった分の補償も必要よ!全部合わせて1千万よ!あんたがうちの娘を

  • 離婚後、恋の始まり   第799話

    雅之は介護士に目を向け、低い声で言った。「おばあちゃんの世話をしっかり頼む。何かあったら僕に電話しろ……里香には余計な手間をかけさせるな」介護士は「かしこまりました」と頷いた。病室を出ると、里香の細い背中がすでに玄関へ向かっていた。寒さを嫌がるようにマフラーをぎゅっと首元に寄せ、足早に歩いていく。そのまま車のドアを開けて乗り込み、まず暖房のスイッチを入れた。車内が温まるのを待ってからエンジンをかけた。すると、副座席側の窓がコンコンと叩かれた。顔を向けると、そこには雅之の姿。端正な顔立ちに鋭い目つきで、じっとこちらを見つめていた。ため息混じりにドアロックを解除すると、雅之は迷いもせずドアを開けて乗り込んだ。「何か用?」ぶっきらぼうに尋ねると、雅之は平然と聞き返した。「おばあさん、お前に何の用だった?」「別に……大したことじゃない。ただ寂しくて誰かと話したかっただけだと思う」他に話せる相手もいない。ほんの少しでも覚えている自分を呼んだのだろう。「これからまた呼ばれても、無理に相手にしなくていい」雅之の声は冷静だった。たとえ認知症になったとしても、二宮おばあさんが過去にしてきたことは事実。本当に里香を傷つけるかもしれない――そんな警戒心が、彼の中には今も根強く残っている。「わかった」あっさり返すと、里香はハンドルを握り直し、ちらりと彼を見た。「もう話は終わった?」「ん?」「終わったなら、降りていいわよ」雅之は一瞬きょとんとした顔をした後、呆れたように笑った。ほんの少しの情も見せてくれない、相変わらずの女だ。だが彼は降りる素振りも見せず、代わりにシートベルトを締めながら平然と言い放った。「僕もカエデビルに帰る」「……」なんて堂々と便乗するんだろう。けれど、里香も特に気にせず、そのまま車を発進させた。道中、二人の間にはほとんど会話がなかった。静まり返った車内に、暖房の音だけが静かに流れていく。エレベーターの中。上の階へ向かう途中で、里香が念のため確認するように口を開いた。「七日後……ちゃんと来るわよね?」雅之はちらりと彼女を一瞥し、呆れたように言った。「毎回来ないのはお前の方だろ」「それは特別な事情があったからよ」「じゃあ、今回は特別な事情がないこと

  • 離婚後、恋の始まり   第798話

    雅之の顔色は、氷のように冷たく張り詰めていた。黒い瞳には鋭い光が宿り、相手が病床の祖母だろうと容赦のない視線を向けている。その様子を見て、里香は慌てて声を上げた。「違うの、おばあちゃんは私をいじめてなんかいない!」二宮おばあさんもすぐに頷いて、少し得意げに言った。「そうそう、いじめてないよ。この子がいきなり泣き出して、私は何もしてないんだから」里香:「……」泣くに泣けず、笑うに笑えず――何とも言えない気持ちが込み上げてきた。涙を拭いながら、小さな声でぽつりと漏らした。「おばあちゃんの今の姿を見て、昔のことを思い出しただけ……」その言葉に、雅之の険しい表情が少し和らいだ。「……何を思い出した?」里香は泣き腫らした目で彼をじっと見つめた。「本当に知りたい?」「やっぱりいい」昔のことは思い出さない方がいい。知ってどうなるわけでもない。話題を変えるように、雅之は二宮おばあさんに目を向け、少し穏やかな声で尋ねた。「今日はどうしたんだ?急に里香に会いたくなって」だけど二宮おばあさんは、まだ怯えたような顔のまま。濁った瞳でおそるおそる雅之を見つめた。「お前……怖いよ。もう私の優しい孫じゃない」雅之:「……」気まずい空気が流れかけた時、介護士がすかさず口を挟んだ。「雅之様、そんな言い方はよくありませんよ。おばあさまは今、子どもみたいなものです。奥様をいじめるなんて、できるわけがありません」なるほどね。さっきまで「小松さん」って呼んでたのに、雅之が来た途端に「奥様」か。まぁ、どうでもいいけど。雅之は黙って床に落ちていた花冠を拾い上げ、それをそっと二宮おばあさんの手に戻した。「この花冠、気に入った?」「うん!すごく気に入ったよ!」二宮おばあさんはぱっと顔を輝かせて、嬉しそうに花冠を撫でた。雅之は静かに続けた。「誰が編んでくれたか、分かる?」「孫の嫁が編んでくれたのよ。綺麗でしょ?」雅之はさらに問いかけた。「その孫の嫁って、誰か分かる?」二宮おばあさんは口を開きかけたものの、すぐに困ったような顔になって、しばらく唸った。「誰だったかしら……思い出せないわ」その姿に、里香は胸の奥がぎゅっと締めつけられた。たぶん今教えても、数日後にはまた忘れてしまうだろう。「もういいよ」

  • 離婚後、恋の始まり   第797話

    二宮おばあさんはゆっくり持ち上げた手をそっと下ろし、濁った目でじっと里香を疑うように見つめた。「本当にそうなのかい?」おばあさんが動かなくなったのを見て、里香はそっと支えながらベッドのヘッドボードにもたれさせた。「うん、もうすぐ離婚するの」「それで……いつ?」「あと7日だよ」二宮おばあさんは指を折りながらぽつりぽつりと数え、それから再び里香を見つめた。「本当に?騙してないね?もし騙したら、また叩くからね!」里香は思わず顔をしかめた。叩くなら叩けばいいじゃないの!ため息まじりに椅子を引き寄せ、腰を下ろすと、おばあさんのしわだらけの顔をじっと見つめた。「本当に私のこと、全然覚えてないの?」おばあさんは仏頂面のまま、ぷいっと顔を背けた。「なんで覚えなきゃいけないんだい?あんた、そんなに大事な人なの?」その言葉に、里香の胸がぎゅっと締め付けられた。そうだよね。私はそんな大事な人じゃない。覚えてるかどうかなんて、どうでもいいんだ。部屋にしんと静寂が広がった。里香は目を伏せたまま、何も言わずに座っていた。その時、ふわりと頭に何かが乗る感触がした。「そんなに気を落とすなよ。これ、あげるよ」ぎこちない声で、二宮おばあさんがぽつりと言った。「ちゃんと大事にしなよ。壊れたら怒るからね」まるで子どもみたいな口ぶりだった。里香は一瞬驚いて、そっと手を伸ばし頭の上の物を取った。花冠。「これ……誰がくれたの?」おばあさんはつんとそっぽを向いて、「知らないよ!」と一言。ちょうどその時、介護士が部屋に入ってきた。「それは以前小松さんが編んで差し上げたものですよ。おばあさまはずっと大切に保管されていました。でも、ある時から花冠のことを口にしなくなって……代わりに保管していたんです。今日突然『花冠が欲しい』っておっしゃったので、お渡ししたらずっと手に持って眺めていらっしゃいましたよ」介護士の言葉を聞いた瞬間、里香は目を見開いた。私が編んだものだったの?すっかり忘れてた……手のひらに載った花冠は、乾いてすっかり色褪せていた。丁寧に保管されていたのが伝わるけど、枯れた花びらはもうかつての美しさを留めていなかった。胸の奥がじんわり熱くなった。気づいた時には、目に溜まった涙がぽろぽろと零

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