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8・危機一髪!

Author: 泉南佳那
last update Last Updated: 2025-04-12 09:07:49

ようやく金曜日になった。

気が遠くなるほど長かった1週間が終わる。

会社にいる間はとにかく仕事に没頭して、余計なことに惑わされないように心がけた。

宣人や留奈とは冷戦状態を保っている。

居心地が悪いのはたしかだけれど、非があるのは向こうだ。

わたしが卑屈になる必要はまったくないと、必死で踏ん張っていた。

そして、いまだに浅野くんのところに滞在していた。

家探しは難航、というか、まだ、ちゃんと取り掛かれていなかった。

毎日、宣人や留奈に神経をすり減らしてへとへとになってしまい、会社帰りに不動産屋巡りをする元気がでなかった。

ネットで検索しているけれど、これといった物件は見つかっていない。

彼はいつまでいてもかまわない、と言ってくれているけれど、今週末には動かなければ。

で、今晩、これまでのお礼の気持ちをこめて、ちょっと豪勢な夕食を作ってごちそうしようと思っていた。

昼食調達にコンビニに行った帰り、外回りに出かけるところの浅野くんとばったり会った。

「あ、浅野くん、ちょうど良かった」

「なんですか」

わたしはきょろきょろと辺りを見回し、誰もいないことを確認してから話しはじめた。

「今夜って、なにか予定入ってる?」

「いえ、特には」

「夕飯作ってごちそうしたいんだけど。何かリクエストある?」

「うーん、そうですね。梶原さんの得意なもんでいいですよ。何を作れるのかわかんないし」

「それもそうだね。じゃ、そのつもりで。でも急な予定が入ったら遠慮なくキャンセルしてね」

 
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