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授かりものの難しさ 1

Auteur: 水守恵蓮
last update Dernière mise à jour: 2025-03-13 18:11:53
三回目の内服を前に、私は水を注いだグラスを手にして、ゴクッと唾を飲んだ。先週……二回目を飲んだ翌日、語学学校の授業中に爆睡してしまうほどの眠気は、間違いなく薬の副作用だとわかる。だから、学校がある前日の内服をやめて、一日ずらすことにした。ただ、それでいいのか迷う。今週一週間、一度目の時にはなかった嘔気もあった。日中、家にいる時に、居眠りしてしまうこともあったし、私の想像以上に、副作用が強く現れているのかもしれない。怖くなってメグさんに相談してみると、その後、大学病院の産婦人科医から聞いた情報を教えてくれた。『ホルモン分泌を抑えるために、直接脳に作用する薬。パーキンソン病の治療に使われるのと、同じ薬だそうよ』内服方法は違うけど、量を減らしただけで、強い薬を飲んでいることに変わりはない。だから、勝手な判断をするのに怯んだ。でも、また授業中に眠ってしまうわけにはいかない。ずらすのは、たった一日。それだけなら、そう大きな影響もないと考える。もし、また体調に異変を生じることがあったら、クリニックに相談に行ってみよう――。私は、意を決して、薬を飲んだ。

翌日、少し早めに仕事が終わったと、颯斗から電話があった。『これから、大学病院に来れるか? 寒いから、あったかくしておいで』そう言われて、私は夕日が西の空に沈むのと同時に、家を出た。バスを乗り継いで、颯斗の病院に到着した時、左手首に嵌めた腕時計は、午後六時を指していた。「葉月! こっち」指定された心臓外科病棟の前に、着替えを終えた颯斗が立っていた。こちらに向かって、大きく手を振ってくれる。その隣に、同じく私服のレイさんとメグさんもいた。「お疲れ様です。えっと……」突然呼ばれた用件を、なにも聞いていない。三人の前に小走りで駆け寄ると、颯斗が私の手を握って引っ張った。「おいで」「え?」「いいから」なんだか弾んだ声。私は首を傾げながら、引かれるままに歩を進める。後からにこやかについてくるレイさんたちに、答えを求めて振り返ったけど、二人ともなにも言わなかった。颯斗が向かったのは、この大学病院の真ん中にある外来棟だった。正面玄関前の広場を目にした途端。「わあ……」私は大きく目を見開き、感嘆の声をあげていた。広場に植えられたたくさんの木々に、イルミネーションが施されている。日が落ち、暗い夜空の下で、キラキラと金色に輝いていた。「我が病院名物の
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    次の滞在地、ボストンに向かう義父母を、颯斗が空港まで送ると言ってくれた。仕事を休むことをレイさんに伝えて電話を切った彼に、横から「大丈夫?」と訊ねる。「平気。オペもないし、浩太の経過も順調だし。泊まり込み続いた分、『ハヅキと仲良く過ごしてくれ』ってさ」颯斗は私の前で親指を立てて、バチッとウィンクをした。おどけた仕草にドキッとしたものの、私もすぐに笑って返す。先ほどまでの深刻な話題の会話の後で、いつもの空気感を取り戻そうとしてくれているのが、よくわかる。「うん……。ありがとう、颯斗」ちょっと気恥ずかしいのを堪えてお礼を言った時、出発の準備を終えた義父母が、ゲストルームから降りてきた。「葉月さん。いろいろお世話になりました」今朝方のやり取りもあってか、義母はちょっと照れ臭そうにはにかむ。それは私の方も同じで、妙にピンと背筋を伸ばして向き合った。「い、いえ。本当に、あの……」またしても謝罪が口を突いて出そうになって、一度口を噤んでのみ込む。「また、ぜひ遊びにいらしてください。その時は、今回振る舞えなかった手料理、ちゃんとご馳走したいです」そう言葉を返すと、義父母も嬉しそうに微笑んだ。「ありがとう。颯斗はあなたの手料理、いつもくどいくらい絶賛してくれるのよ」義母から悪戯っぽい目を向けられて、颯斗がムッと唇を結んだ。「くどいって……。心外だな。それに、そう何度も、母さんと電話で話した記憶ないぞ、俺」ブツブツと呟いて頭を掻く彼に、義父も面白そうに目を細めている。ここでも、親子三人の強く温かい絆を見た気がして、私は無意識に目元を綻ばせた。「さて。じゃあ、行こうか」義父が、義母を促す。「ええ。颯斗、悪いわね。送らせちゃって」「ああ」コートを羽織りながら玄関に向かって行く義母に、颯斗は軽く頷いて応えた。自分もコートを手に取り、ポケットから車のキーを取り出す。「あの……颯斗、よろしくね」帰りも私がお見送りをするつもりだったけど、彼に託して笑いかけた。颯斗はきょとんとした顔をして、「え?」と聞き返してくる。「あ。もしかして、風邪ひいた? 熱っぽい? 体調悪いとか」「え?」今度は私が瞬きで返した。「う、ううん。大丈夫」昨夜、冷たい雨に濡れた私を心配してくれる彼に、慌てて首を横に振ってみせる。「それなら、葉月も一緒に行こう」颯斗は訝し気に首を傾げながら、私の腕を取った。「え。でも」「ん?」「

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    ほとんど眠らずに夜を過ごした義父母には、出発までゲストルームで休んでもらい、私と颯斗はリビングのソファに並んで座った。彼が手にしているのは、日本とアメリカ、二つの病院でもらった、私の検査結果だ。肩に力を込め、ピンと背筋を伸ばす私の隣で、ブラウンのフレームの眼鏡の向こうから、真剣な目で数値を追っている。英語と日本語、両方の所見にも目を通し、やがて「ふうっ」と息を吐いた。「なるほど。プロラクチン……ね」天井を見上げ、ポツリと呟く。私は軽く座り直して、彼の方に身体を向けた。「あ、あのね。プロラクチン値が高いと、身体が疑似妊娠状態に近くなるんだって。えっと、たとえば……」いくら同じ医師でも、心臓外科医の彼に、産婦人科の領域はわからないだろう。そんな考えから、ドクターたちから聞いたことを、説明しようとする。ところが。「妊娠、出産の経験がない未産婦なのに、母乳が出たり、生理が止まったりする。他にも、乳房が張ったり……」ふむ、と顎を撫でる颯斗に、私は大きく目を剥いた。「な、なんで……」「知ってるのか、って? 甘いな、葉月」彼は、心外といった顔をして、胸の前で腕組みをした。「俺は心臓外科医だけど、他科を知らないわけじゃない。もちろん、産婦人科は専門外。でも、君よりはよっぽど詳しい。その気になれば、薬も処方できる程度の知識はあるよ」不遜なほどのドヤ顔で言って退ける彼に、呆気に取られる。「でも、おかしいな……俺が知る限り、葉月に乳汁分泌症状は見られないと思うけど」「えっ!? あ、うん。それは私も、胸を張って言い切れ……」「生理周期も、あまり一定しないようだけど、止まったことはないはず。まあ、乳房が張って固いことはあるか……でも、君はそこそこボリュームあるから、そのくらいで十分……」「って! な、なに言ってんのよ!?」診てもいないのに、私の身体状況を冷静に分析されて、カアッと頬が火照った。思わず腰を浮かせると、彼は私を上目遣いに見据えて、ほくろのある方の口角をにやりと上げる。「一緒に暮らしてる大事な人の身体状況くらい、結構ちゃんと把握できてるけど? 俺」「っ……」太々しく言われて、しゅーっと蒸気が噴射しそうなほど、顔が熱くなる。それでも、反論の挟みどころがなくて、結局ストンと腰を下ろした。そんな私を横目に、颯斗はクスッと笑う。「薬。なに飲んでるの?」続けて質問されて、私は彼に薬袋を渡した

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 2

    翌朝、夜明けを待って、私たちは家に帰った。遥々日本から遊びに来てくれた義父母に、衝撃的な告白をした挙句、家を飛び出してしまうなんて……。人間としても嫁としても、最低なことをしてしまった。ガレージで車から降り、込み上げる緊張で顔を強張らせた私に、颯斗は苦笑した。「ほら、おいで。なにも、煮て焼かれるようなことはないから」ちょっと意地悪な揶揄にも、返す言葉はない。だって、そのくらいされて当然だ。私は、ますます悲壮感を漂わせる。颯斗は「やれやれ」と困った顔をして、私の手を取った。そして、もう片方の手でコツンと額を小突く。「俺の親なんだから。万が一怒られても、俺が一緒に頭下げるから」悪戯っぽく目を細める彼に、私もやっと、少しだけ表情を和らげた。「うん……。ありがとう、颯斗」指を絡ませて手を繋ぎ、ガレージを出た。中庭を横切り、家の玄関前に歩を進める。すると、庭に面したリビングの窓から、弱い明かりが漏れているのに気付いた。「あれ……」颯斗も、訝しげに瞬きをする。「もう起きてるのかな。やけに早いな」口に出して首を傾げると、玄関の鍵を開けた。私の手を引いたまま、廊下を突っ切る。そして、リビングにひょいと顔を覗かせ、やや遠慮がちに声をかけた。「ただいまー……」「颯斗、葉月さんっ……」私たちに気付いた義母がソファから立ち上がり、弾かれたようにこちらに駆けてきた。青白く硬い表情を前に、私は反射的に身を竦めた。義母から一拍遅れて、義父もソファに起き上がる。「二人とも、帰ってきたのか……?」眩しそうに目を細め、一瞬辺りを見渡すような仕草を見せる。どうやら、義父の方は、うたた寝から目覚めたといった様子だけど。「母さん。……もしかして、ずっと起きてたのか?」目の前に立った義母が、真っ赤な目をしているのを見て、颯斗が困惑して訊ねる。「大丈夫って言ったのに。休んでてって……」「そう言われても、休めるわけがないじゃない。息子夫婦の家で、二人とも不在なのに」義母にそう返されて、颯斗がグッと口ごもった。「……だよな。すみません……」気まずそうに口元に手を遣る彼から目を逸らし、義母は私の方に顔を向けた。さすがに、条件反射で身体が強張る。だけど、謝らなきゃいけないことがたくさんある。「あ、あのっ……」私は肩に力を込めて、思い切って口を開いた。「お義母さん。昨夜は……」「葉月さん、ごめんなさい。本当に、ごめんなさ

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 1

    颯斗は、私を抱えて敷地内に停めた車に戻った。エンジンをかけると、すぐにエアコンを強める。そうして、スマホを手に取った。画面に目を落とし、指をスライドさせて電話をかける。「……俺。ああ、大丈夫。でも、今夜は帰れない。ごめん。こっちは気にしないで、ゆっくり休んで。葉月がゲストルーム用意してくれてるから」表情を動かさず、短い会話をして通話を終えた。電話の相手が誰か、私にもわかる。だからなにも言えないまま、彼のコートに包まって、助手席で身を縮めた。颯斗はスマホをスラックスのポケットにねじ込み、無言でアクセルを踏む。病院から走り出た車は、先ほどの宣言通り、家とは逆方向に進路を取った。十分ほど走った後、颯斗は、市内でも有数の大型ホテルの駐車場で車を停めた。簡単なやり取りで、チェックインを済ませる。高層階のダブルルームに入ると、彼は私の手を引いて、ベッドサイドに歩いていった。ここでもすぐにエアコンを強め、「服、脱ぐぞ。葉月」言うが早いか、私の服に手をかける。水を吸ってぐっしょり濡れて、肌に貼りつく服は、さすがに彼にも脱がしづらそうだ。協力も抵抗もせず、されるがままの私を下着姿にすると、自分も勢いよくニットを捲り上げて脱ぎ捨て、引き締まった上半身を露わにした。「葉月……」寒さで身を縮める私を、そっと抱き寄せる。彼の手が背中に回るのを感じて、私はビクッと肩を強張らせた。「ダメ。……抱かないで」俯いて呟くと、彼の指がぴくりと動いた。「嫌?」短い問いかけに、黙って首を横に振る。「颯斗が、冷えちゃう……」床に顔を伏せたまま答えると、頭上でクスッと笑う声が聞こえた。「大丈夫。俺も君も、すぐに熱くなる」そう言って、颯斗は躊躇うことなく、私のブラジャーのホックを外した。胸の締めつけが、一気に和らぐ。私は、こくっと唾を飲んだ。「うわ。氷、抱いてるみてえ……」颯斗は私を抱きしめると、わずかに悲鳴のような声をあげた。裸の肌が触れ合っても、なにも言わない私を覗き込み、眉根を寄せる。「唇……チアノーゼ出てる」温めようとしてくれたのか、迷いもなく唇を寄せた。軽く啄むキスをしながら、大きな手で私の胸を弄る。触られているのに、肌の感覚が鈍い。私は目を閉じて、彼に身を委ねるだけだった。「葉月……」颯斗の唇が、顎の先から首筋に落ちていく。鎖骨を越えて胸の膨らみに到達しても、反応を見せない私に、彼はやや寂し気な笑みを

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   授かりものの難しさ 8

    頭の中は真っ白。目の前は、真っ暗。光のないブラックホールのような空から、大粒の雨が降りしきる。傘も持たず、コートも着ずに出てきてしまった。だけど、義父母に向ける顔がなくて戻れないまま、雨の街を彷徨い――。辿り着いたのは、颯斗の病院だった。クリスマスは過ぎたけど、外来棟前のイルミネーションはそのまま。ずぶ濡れで惨めな私を、寂しく照らし出してくれる。寒い……。無意識に暖を取ろうとして、二の腕を摩った。冷たい雨に濡れてかじかむ身体には、なんの効果もない。意思に関係なく、カタカタと小刻みに震える自分を抱きしめ、病棟を見上げた。颯斗……もう家に帰ってるかな。帰ったらきっと、義父母から話を聞くだろう。その時彼は、どんな顔をする……?驚愕して、凍りつく。辛そうに強張る瞬間を見なくて済むことが、今、せめてもの救いの気がして、ほんのちょっと胸が軽くなる。――ううん、違う。違う、こんな形じゃ……。ちゃんと、私から言わなきゃいけなかったのに。人づてに知るなんて、傷つけるに決まってる。妻の私が、一番しちゃいけないことだった。今、強く確信できるのに、言えなかった自分が情けない。歯痒くて、颯斗に申し訳なくて、消えてしまいたくなる。「ごめん……颯斗。ごめんなさい……」彼への謝罪は、まるでうわ言のように、何度も口を突いて出てくる。一言言うごとに、強い罪悪感が積もっていって、立っていられない。私は、その場に頽れた。土砂降りの雨が、容赦なく私の身を打つ。地面にペタンと座り込み、喉を仰け反らせて空を仰ぐ。すべての雨が、私目掛けて降り注いでいるような錯覚を覚える。天からも、責められているような気がした。「っ……」堪らず、嗚咽が漏れた。目から溢れる涙に、唯一の温もりを感じる。「ふっ……ううっ」涙は雨が隠してくれるけど、お腹の底からせり上がる声は、抑え切れない。地面に両手を突いてこうべを垂れ、肩を震わせた、その時。「葉月……っ!!」水溜りを踏む足音と共に、名を呼ぶ声が聞こえた。「葉月、ここに来てたのか……」条件反射でビクッと身を竦めてから、そろそろと顔を上げると、血相を変えてこちらに駆けてくる颯斗の姿が、視界に飛び込んできた。弾む息が、白い。彼は私の目の前に来てしゃがみ込むと、手にしていた傘を差しかけてくれた。私の耳を塞いでいた雨音が弱まる。「ずぶ濡れじゃないか。この時期に、そんな薄着で自殺行為だ。肺炎でも起

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   授かりものの難しさ 7

    タクシーで移動する間も雨脚は強まり続け、家に着いた時には、本降りになっていた。門から玄関まで走る間に雨に打たれ、玄関先に立った義父母の髪も濡れてしまっている。「すぐに、タオル持ってきますね」私は急いでバスルームに向かった。タオルを二枚持って、玄関に引き返す。「ありがとう」と、早速濡れた髪や服を拭う二人を、リビングに招いた。ソファを勧めて、時間を確認する。午後六時。颯斗は、七時には帰って来れるはず。夕食は彼の帰りを待つから、今のうちにお風呂を勧めた方がいいかもしれない――。「あのっ。ちょっと早いですけど、お風呂用意しますね」バスルームに走り、浴槽にお湯を張って、新しいタオルを数組用意する。「よし」と、誰にともなく頷いて、私は再びリビングに戻った。ドア口から、声をかけようとして……。「葉月さん。子供を考える気、ないのかしら」義母の声が聞こえて、私はギクッとして足を止めた。「そんなことないだろう。勝手な憶測で、ものを言うんじゃないよ」義父が、溜め息混じりに窘めている。「でも」と、義母が反論を返した。「葉月さん、子供の話題になるとはぐらかすじゃない。電話でもそうよ。いつも」不満げな声に、私はその場で凍りついた。「颯斗は、銃撃事件に遭ったばかりだから、そっとしておいてくれって言うけど。原因はわかってるんだし、カウンセリングに通ったりするべきなんじゃ」「………」義父も、義母の口調に口を噤んだ。「ちゃんと説明してもらった方がいいかしら。いつになったら、考えるのかって」「説明って。それは……」「聞いておいた方が、こちらだって安心よ。颯斗の親として納得してないことも伝えられるし。それでもし、もしもよ。葉月さんが子供を望んでいないようなら……」「おい、やめないか。葉月さんが戻ってきたら……」まさに私を気にして、義父がふっと振り返った。ドアの前で立ち尽くす私に気付き、大きく息をのむ。「葉月さん……」「え?」義父の声で、義母もハッとしたようにこちらに顔を向けた。そして、『あ』と口に手を当てる。「葉月さん、今の話……」ぎこちない声が、尻すぼんでいく。私もその場から動けず、なんとも気まずい空気が過ぎった。義父母にきまり悪そうな顔をさせているのは私だから、嫁として居た堪れない。「お二人のご不満を察せず、申し訳ありませんでした」私は、自ら沈黙を破った。意を決して、二人の前まで歩いていく。「お義母さ

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