トップ10――正直、有り得ないことじゃない。「私、からかわれてるのかな?やっぱりおかしいよね、絶対。急に2人から声掛けられるなんて。もしかして病院のみんなにドッキリにかけられてる?」本当にそんな気がしてきた。「わざわざからかう理由がある?たまたま同じ時に藍花に声を掛けたくなったんだよ。最近可愛くなったから、先生達、我慢できなくなったんじゃない?」「や、止めてよ。そんなわけないじゃない。恥ずかしいこと言わないで」「あ~。耳、真っ赤だよ。もうさ、素直に受け取ればいいじゃん。2人からの熱いアプローチを」「だから、告白されたとかじゃないし、何を受け取ればいいのか全然わからないよ。本当に……ただご飯を食べただけだから……」「まあ、そうかも知れないけど、でもきっとあの2人は藍花のことが好きなんだよ。私も診察してもらったことあるけどさ、あそこまでイケメンだったら選ぶの悩むよね~」うつ伏せが終わり、月那は私に上を向くように言った。「好きなわけないでしょ。選ぶとか失礼だよ」「まあまあ、聞いてよ。想像するの、楽しいじゃない。白川先生はあれだけの超イケメンでしょ。あの見た目にあのスタイル。あっ、つい最近病院で聞いたんだけど、白川先生ってめちゃくちゃお金持ちなんだって。何だったかな……ホワイト……あっ、そうそう、ホワイトリバー不動産の社長の息子なんだって」「えっ、う、嘘でしょ?」「知ってる?ホワイトリバー不動産って」「知ってるも何も全国展開してる大企業だよ。CMとかもバンバンしてるし」「そうなんだ。不動産とか興味無いから知らなかった」「そっか……。でも、それって本当の話なの?」「待合室でさ、おば様達が話してたのよ。間違いないと思う。本当、社長の息子なんてすごくない?会社はお兄さんが継いで弟の白川先生は医者になったって」知らなかった……ホワイトリバー不動産、確かに白い川、白川だよね。白川先生が、あんな超有名な会社の御曹司だったなんて。天才イケメン外科医で家柄もすごい、それこそ「無敵」だ。「そんな白川先生と、ご実家が大病院の見た目がセクシーな七海先生。う~ん、すごく悩む。どっちがいいかなぁ」「別にご実家のことは関係ないと思うけどね」私の脚をゆっくりマッサージしながら本気で考え込んでる月那に、思わず苦笑いした。
「関係ないこと無いよ。お金持ちかどうかはめちゃくちゃ大事だよ。将来結婚した時にはやっぱりお金があった方がいいじゃん」「け、結婚!?」月那の何気ない一言に驚いて、私は勢いよく体を起こしてしまった。「ちょ、藍花、胸、見えてるよ!」「え!?うわっ!!」かけていたタオルがズレ落ちて、全てあらわになっていた胸を慌てて両手で隠した。「藍花ってすごく愛嬌があるし、とっても良い子だよ。そういう何とも言えない可愛いとこが男にウケるんだよ。七海先生にも可愛いって言われたんでしょ?だったら自信持ちなよ」仰向けになり、ベッドに横たわった私に、月那は再びタオルをかけた。「可愛いっていうのはお世辞だし、結婚とかそんなのあるわけないよ。月那が急に変なこと言うからびっくりしたよ」「そんなのわかんないよ~。案外どっちかと結婚して玉の輿に乗ったりして。結婚したらさ、白川 藍花か七海 藍花になるんだね。どっちもいい響きだよね~」白川 藍花、七海 藍花――そんなの、どっちも有り得ない。「本当にやめてよ。私のこと知りたいなんて言って、きっと他の女性にも言ってるんだよ。うん、きっとそう」「そんなわけないでしょ。私さ、男見る目あるからさ。あの2人は……そういうことができるタイプの男じゃないよ。なんかイケメンなんだけど真面目っていうか。患者にあんな風に関われるんだから、間違いなく性格もいいよ」確かに月那は男の人を見る目というより、こういう仕事をしてるからか、人間を見る目があると思う。「うん……。だけどね、私のことを知っても仕方ないって思ってしまう」「そんな弱気にならないの。知りたいって言ってくれたんだから信じなよ。藍花には、そうだな……やっぱり白川先生がいいんじゃない?」「えっ!ど、どうして?」「七海先生も素敵だけどさ。なんか白川先生って好きな女をすごく守ってくれそうじゃん。絶対浮気とかしなさそうだし。それにさ、エッチとかも上手そうじゃない?」
エ、エッチって……一瞬、白川先生の筋肉質な裸体が頭に浮かんだ。一気に顔が赤くなる。「ひ、人ごとだと思って適当なこと言わないで」「適当じゃないから。親友の月那先生からのアドバイスはちゃんと聞いた方がいいよ。ま、七海先生を選んだとしても、私は文句は言わないけど。あれ?藍花、顔真っ赤じゃない?」「えっ、あっ、そ、そんなことないよ」さっきの月那の言葉のせいだ。頭の中を白川先生の裸体がチラついて消えない。見たこともない身体を勝手に想像している自分が恥ずかしい。「はい、終了!オイルマッサージお疲れ様」「あ、ありがとう、月那」「また何か進展あったら教えてよ。なんかワクワクする~」「本当にもう……月那は……」でも……こうしてちゃんと相談に乗ってくれて、結局、私をすごく心配してくれる。月那は本当に信頼できる最高に素敵な女性だ。「ありがとうね、気をつけて帰って」「うん、こちらこそありがとう。とっても気持ち良かったよ。また明日から頑張れる。あっ、笹本さんにもよろしくね。また来るから」「は~い。いつでも待ってるよ」私は月那と別れ、マンションに向かった。オイルマッサージでリフレッシュした体はもちろん、月那に全部話せたことで、心まで軽くなった気がした。
「おばあちゃん、早く退院してね」「そうだね。もう少ししたら退院できるから、そしたらまた遊ぼうね」「絶対だよ、約束」「もちろん。約束ね」私が担当している患者さんが、小学校低学年くらいのお孫さんと指切りしてる。病院の中庭の噴水のそば。そんな2人の素敵なやり取りに、ちょっと胸が熱くなった。ご家族と一緒に居られる時が、患者さんにとって1番大切な時間だから。私は、中庭を散歩したり談笑してる人達に目をやった。みんな穏やかで笑顔もあって、そういう姿を見るのが本当に嬉しかった。さらに中庭の奥まで進むと、患者さんは入れない関係者だけのスペースがある。木々の葉が揺れ、花が咲いていて、医師や看護師の安らぎの場所になってる。それぞれの休憩時間に利用していて、私もここに来るとホッとする。「藍花さん!お疲れ様です」「歩夢君、春香さん。お疲れ様」そこにいたのは歩夢君ともう1人の看護師だった。山口 春香(やまぐち はるか)、24歳。ロングヘアをひとつに束ねていて、ほとんど化粧はしてない。肌はとても綺麗だ。薄めの唇に目立ちにくいピンク色の口紅をつけている。私と同い年で、ここに入った時から一緒なのに……なぜかずっと敬語を使われている。それにいつまで経っても「蓮見さん」と、苗字で呼ばれていて、少し寂しい。私は「春香ちゃん」と呼びたいけれど、正直、まだまだハードルは高い。もちろん、私だけではなく、みんなに同じ対応だから仕方ないとは思っている。常に冷静沈着で秀才タイプ。私なんかよりずっと仕事ができる春香さんだけど、普段からあまり笑わなくて、患者さんの前でもほんの少し微笑むくらいだ。ナースステーションにいてもみんなの輪の中にわざわざ入ってこずに、いつもだいたい1人で黙々と仕事をしている。特に仲良くしてる看護師もいないみたいだ。もう少しにこやかにしてれば素敵なのに……と、余計なお世話ながら思ってしまう。春香さんと1度ゆっくり話してみたいけれど、向こうにその気はないみたいで……
「どうかしたの?」私は、歩夢君と春香さんに声をかけた。「春香さんがこのあたりでペンを落としたらしくて、一緒に探してました」「そうなんだ。だったら私も一緒に……」「別にいいです。私1人で探しますから」「春香さん。さっきとても大切なペンだって言ってましたよね。だったらみんなで探した方が早く見つかりますよ」歩夢君がニコッと笑って言った。「春香さん、どんなペンなの?私も一緒に探させて」「ほんとにいいですから。私、1人で探すので」私の申し出を受けるのはどうしても嫌みたいだ。「……春香さん、ほんとに大丈夫ですか?」「ええ。1人の方が気楽です。3人もいたらごちゃごちゃしてややこしい」「ややこしい?春香さん、どうしてですか?」「歩夢君、あなたは気にしないでくださいね。ありがとうございます」それだけを聞いてわかった。春香さんは、歩夢君と2人なら良かったけれど、私のことは邪魔だったんだ。「わかりました。あ、そうだ春香さん。今度みんなでご飯行くんですけど、良かったら春香さんも来ませんか?あんまり一緒に行ったことないし、ぜひ」「……みんなって?」春香さんが怪訝な顔で尋ねた。「ナースステーションのみんなですよ。たくさん来ます。僕が幹事なんで、みんなに声掛けてます。親睦会みたいなノリですから、それこそ気楽に参加して下さい」「……藍花さん、あなたも来るんですか?」今までほとんど目も合わせていなかったのに、急に質問されて驚いた。春香さんの尖った目つきにゾクッとする。「……私は……まだ迷ってるの」「え~。藍花さん、絶対参加して下さいね」「でも……」歩夢君の誘いに答えを渋っていると、春香さんは急激に不機嫌な顔になり、私に背を向けた。
「私、もう行きます」「えっ、ちょっと待って下さい。春香さん、行っちゃうんですか?」「ええ」「親睦会、来てくださいね。本当に待ってますから」「……考えておきます」そう言って春香さんは中庭を出ていった。私とは全く目を合わさずに去った春香さんを見ていたら、何だかとても悲しくなった。きっと私に対して何か思っていることがあるのだろう。それにしても、原因もわからずあからさまに嫌な態度を取られると胸が痛む。「あの、藍花さん、休憩時間まだありますか?良かったら少し話しませんか?」歩夢君が声をかけてくれた。「あっ、うん、いいよ。まだ大丈夫だから」「良かったです。じゃあ、あそこに座りましょうか」「うん」私達は、近くにあったベンチに腰かけた。ふと近くある木々に目をやると、緑の葉っぱがところどころ赤や黄色に変わっていた。時折優しく吹き抜ける秋の風が、とても心地よい。「あの……藍花さんのお家って病院の近くでしたよね?確か、ひと駅向こうですよね。一人暮らしはもう慣れましたか?」「うん。そうだね……慣れてはいるけど、やっぱり疲れて帰ってから食事を作るのが大変だったりするかな」「普段はちゃんとご飯作ってるんですね。すごいです、尊敬します」真っ直ぐな瞳の歩夢君に褒められて、恥ずかしいけど何だか嬉しかった。「そんなにすごくないよ。たまにサボる時もあるし。コンビニとかも利用するよ。ほら、自分で作るより安くて美味しいのもあるじゃない」料理は嫌いじゃないけれど、激務の時はかなり疲労こんぱいになって、そのままソファに倒れ込むこともある。休みの日におかずをたくさん作って、冷蔵庫や冷凍庫に作り置きして何とか頑張ってはいるけれど、今は母親の大変さをとても痛感している。家族のために毎日家事を頑張ってきた母には本当に頭が下がる。親に感謝しなきゃいけないと思うことが増えた今日この頃だ。
「僕はコンビニばっかりです。たまに近くの食堂とか行きますけど」「男性の一人暮らしは大変な気がするけど……掃除とか洗濯とかも手間がかかるしね。やっぱり彼女さんが来てくれたりするのかな?」「そんな人いないですよ!彼女なんて……いません」歩夢君は、その何気ない質問に被せるような勢いで否定した。「そ、そうなんだ……」その慌てぶりには少し驚いた。歩夢君には彼女がいるのかなってずっと思ってた。いつも笑顔で満たされているから、プライベートが充実しているのかなと……それは、勝手な思い込みだったのか?七海先生も彼女はいないと言っていた。白川先生は、結局、彼女がいるのかどうかはわからなかったけれど、でも独身なのは間違いない。医師や看護師の忙しさでは彼女を作る暇がないのはわかるけれど、この3人に限って言えば、作ろうと思えばすぐに作れるだろう。勝手な妄想は膨らむ。例えば、3人が揃って合コンに参加したとしたら、女性達は絶対ほおっておかない。取り合いというか……奪い合いになって、修羅場になるに違いない。女性達のアピール合戦が目に浮かぶようだ。でも、よく考えたら……そんな3人と私はなぜか急接近している。この状況はかなり不思議で、有り得ない。やっぱり私は、みんなにからかわれているのだろうか?「藍花さんは?彼氏とか……いるんですか?」「い、いないいない!」「え?本当ですか?」「うん。嘘なんかつかないよ」「そうなんですね……。なんか、こんな話、あんまりしたことなかったですよね」「確かに……そうだよね。ナースステーションではなかなかそういう話はできないしね」「僕ね、藍花さんなら彼氏いるんだろうな……って、勝手に思ってました」「えっ……。あっ、今は看護師の仕事だけで精一杯かな。なかなか気持ちが恋愛までたどり着かないんだよね。もちろん、恋愛したいと思っても、誰も相手にしてくれない確率も高いけど。でも歩夢君なら、出会いがあればすぐに可愛い彼女ができるよ。私が保証する」「いりませんよ、新しい出会いなんて」歩夢君は、そう言って下を向いた。「どうかした?歩夢君?」「だ、大丈夫です。今は、僕もまだまだ新人として一生懸命仕事を頑張らないとって思ってます」何か思うことがあったのかも知れない。それでも私に心配をかけまいと微笑む歩夢君……本当に優しい人だ。
眼鏡の奥の瞳がとてもキラキラして……私もこんな風に相手に癒しを与えられるような看護師になりたい。「うん。私も頑張るね。中川師長みたいな立派な看護師になるまであと何年かかるだろうね」あの人と同じレベルになるには、相当努力しないと無理だろう……私からすれば雲の上の存在だから――「伯母さんは本当にすごいです。看護師としても人としても尊敬してます」そのひと言に、ものすごく重みを感じる。そばにいるからこその、嘘偽りない心からの言葉だとわかった。「うん、私もそう思ってる。まさにスーパーウーマンだよね。あんなに仕事をこなせる看護師、他には知らないもん。私の憧れ。歩夢君のお母さんも中川師長みたいな方なの?」「そうですね。どちらかというと伯母さんの方がパワフルですね。姉妹でもちょっと違うみたいです。うちの母は妹だから、伯母さんに甘えてるところもあると思います。母は父と離婚してから、ずっと女手1つで僕を育ててくれました。本当、大変だったと思います」「そうだったんだ……。歩夢君のお母さん、シングルマザーなんだね」私には想像もできない。仕事をしながら1人で子どもを育てるなんて、とても大変だったに違いない。看護師をしながら歩夢君を育ててきたお母さんは、目の前にあるこの笑顔のおかげで、つらいことも全て乗り越えられたんだろう。歩夢君の笑顔は最強だから。親子の絆はとても深く、子どもを信じて支えるお母さんは何よりも強い。「父が出て行ってしまったので……僕はまだ小さな子どもだったんですけど、伯母さんが父にめちゃくちゃ怒った場面だけは忘れられなくて」「怒った……?」「……よくある話です。父は母じゃない女性を好きになって……それでも母は何も言わずで。でもある日、父から母に離婚を申し出たみたいで、居合わせた伯母さんが父を怒ってくれたんです」「そんなことがあったんだね。お母さんの気持ち、つらかったよね」「母は父が大好きでね。だから、一緒にいたかったんです。今、母の気持ちになって考えたら、死ぬほど胸が苦しいです。父を恨みたくなります。でも、母が父を絶対に悪く言わないので、僕も言わないようにしてます」「……そっか、そうだね」「父はバカですよ。自分を1番支えて大事に思ってくれてる人を捨てて……あっけなく出ていくんですから。僕は……絶対に大切な人を傷つけたくないです。あっ
「嘘っ!またオーナーに怒られたの?」「うん。今月の売り上げがイマイチだったから……。思うようにはいかない」マンションの小さな部屋で、食事中に缶のビールを握りしめ落ち込む太一。「し、仕方ないよ。きっと来月はもうちょっと頑張れるよ。まあ、また気合入れていこー」満面の笑顔でそう言ったものの、実際、経営はかなり苦しかった。実は最近、すぐ近くに同じような店ができ、うちより規模も大きいし、オシャレで、かなりの人気になっている。そのことは、間違いなく売り上げが下がった原因の1つだ。でも……それでも頑張るしかない。弱音を吐いても何も変わらないから。「そうだな。月那のウエディングドレス姿見たいし、新婚旅行にも連れていきたいし」それが、太一の口癖。「それは別にいいって。気にしなくて大丈夫だから。とにかく、心も体も元気じゃないと何も前に進まないんだから、笑顔で乗り切ろうよ。太一はお客さんからの評判いいんだし、頑張ってたら、必ずまたこっちにお客さんが戻ってきてくれるから。絶対大丈夫!」太一と私のマッサージの腕は誰にも負けることはない、それだけは絶対に自信があった。「ありがとうな、月那。俺は、お前がいるから頑張れる。本当に……感謝してる」一瞬で顔が真っ赤になる。私は慌ててビールを喉の奥に流し込んだ。「あ~ちょっと酔っ払ったかも~。そうだ、ベランダ行こっ。太一も一緒に出よう。さっ」私は、太一を無理やり外に連れ出した。「うわぁ、いいね~。気持ちいい風だな、最高~」「ほんとに秋の風って最高~」こうして隣に太一がいてくれる安心感は半端ない。「月……めっちゃ綺麗だ」 「そうだね。いつか連れてってくれるんでしょ、あそこに」私は、腕を空に伸ばして指をさした。「ああ。任せとけ!絶対、行くから。2人であの月に!」そう言って、太一は私のことを抱きしめた。「ちょっと痛いよ、太一。もう、こんなムキムキの立派な腕をしてるんだから、めそめそしてちゃダメだよ。元気出しな。笑おうよ」私も、太一の腰に両腕を回した。このでっかい感じ、これが好き。「ガッハッハッ。これでいいか?」「バカじゃないの?本当に太一はお調子者なんだから」まだ抱き合ったまま、今日は離さないんだね。ちょっと照れる。「なあ、月那」「ん?」「俺、お前と結婚して良かったよ。本当に……大正解。これ
「今度はどんな映画を見に行く?」「あっ、そうね。恋愛……ううん、ホラーとか、楽しいかも」「ホラー映画は得意じゃないよ」「そう?結構好きなんだけど、私は」何気ない朝のやり取り。仕事が休みの日はなるべく妻と一緒にゆっくり過ごすことにしている。子どもがいない僕らにとって、2人で何をするかを考えるのは幸せな時間だった。その気持ちに嘘はない。「恋愛映画なんてずいぶん観てないな。何か良いのあるかな?」「恋愛映画は……何だか観ていて苦しくなりそうだから」「えっ?」「あなたは……きっとヒロインを誰かに重ねてしまうでしょうから」「な、何を言ってる?」「ヒーローは……あなたかしら。残念ながら、その相手は……私じゃない」「突然どうしたんだ?いつもの君らしくないよ」こんな妻を見るのは初めてだった。心臓がバクバクと音を立てる。「私、もう……限界かも。できることならずっとずっとあなたと一緒にいたかった。死ぬまで寄り添えたら、どんなに幸せだろうって……。でも、やっぱり……何だか毎日苦しいの」「……」「あなたは優し過ぎる。毎日毎日、慶吾さんに優しくされて、私……」「どうしてそんなことを言うんだ?君は毎日頑張ってる。家事を完璧にして、僕の帰りを待ってくれて。そんな君に優しくするのは当たり前のことだよ」そう、君は頑張ってる。全て完璧というほどに。「ただ優しいだけじゃ、私は嫌だよ。最初は、側にいてくれればそれでいいって思ってた。それは本当。でも、あなたの中にはいつも他の誰かがいて……」「……そんなことは」「無いって言えるの?私はどんどんあなたを好きになるのに、あなたは……ますます違う方を見てる。私じゃない誰かの方を。もう……耐えられないの」泣き崩れる君に、僕は何も言えなかった。結婚の意味なんて、今でも僕にはわからない。それでもこの人と、一生、2人で生きてゆく覚悟はしていたのに。なのに、いつだって彼女の笑顔が浮かんでくる。自分は異常なのか?と悩みもした。でも、結婚してさらに、こんなにも藍花ちゃんを想っている自分に気付かされた気がして……「ごめん。本当に……ごめん」僕は、最低だ。目の前で号泣するこの人の背中に手を置く。すごく震えていて、泣き声が切なくて……僕の心臓はとても痛くなった。いや、この痛みなど、この人に比べれば……この人は
私は今、すごく幸せ――だったら、それでいいのかな?都合良すぎる考え方かも知れないけれど……だけど、月那が言ってくれた言葉だから、私はそれを信じようと思った。七海先生も歩夢君も……絶対「幸せ」でいてほしい。お願いだから、悲しい思いをしないで……心からそう祈るばかりだ。「私の話ばかりでごめんね。月那は太一さんとの新婚生活はどう?楽しんでる?」「う~ん、まあまあだね。仕事も家でも一緒だし、ちょっと飽きてきたかな」また大声で笑う。大きな口を開けていても、美しい人は美しい。「さっき世界一幸せな夫婦って言ってたよね?」「そんなとこ言ったかな?まあ……ね、もちろん楽しくやってるよ。いろいろあるけど、私、太一がいないとダメみたいだしさ。あんなに筋肉バカなのに、嘘みたいに優しい人だし。ちょっと頼りないとこあるけど、私にとっては最高の夫かなって思うよ」「そっか……素敵だね」月那もすごく幸せなんだ。その言葉がとても胸に響いて嬉しくなる。「素敵……かな?」「うん!最高の旦那様だって、素直に太一さんにもそう言ってあげてね」「い、嫌だよ。そんなこと言ったら負けだし」「負けって……。月那、私には素直にって言っておいてズルくない?」「ズルくないズルくない。私はいいの~」自由な月那に苦笑いした。そんな風に、お互いの新婚生活や仕事、子育てのことをしばらく語り合う2人だけの時間は、あっという間に過ぎていった。もっとずっと話していたいけれど、今日はここでおしまい。「今日の晩御飯は何?」「太一が好きだから今日は豆腐ハンバーグ。子どもみたいだからね、あの人。何個も食べるからミンチの大量買いしなきゃいけない」「いいな~美味しそう!豆腐ハンバーグはヘルシーだしいいよね。うちはカレーにする」初めて蒼真さんに作った料理。いつ食べても毎回褒めてくれる「カレーならそっちも子どもだよ」「確かにそうだね」「男はお子さま料理が好きだよね。煮物とか食べないんだから」「煮物美味しいのにね」「まあ、鍛えてるから食事はちょっと大変だけど、喜んで食べてる姿見たら嬉しくなるからね。頑張って作ろうって思えるよね」「本当にそう。美味しそうに食べてくれるのが1番嬉しいよ」女子トークは結局、ドアを閉める瞬間まで続いた。「必ずまた女子会しよう」と約束して、手を振りながら、月
「そっか……。奥さん、毎日側にいてわかったんじゃないかな。七海先生の中には他の誰かがいて、自分を見てないって。最初からわかってたつもりだったけど、実際に側にいると余計につらいと思うからさ」「……」その言葉について、私は何も言えなかった。「大好きな七海先生と別れるのは寂しかったかも知れないけどさ。その分、藍花が幸せにならなきゃダメだよ。奥さんだって、七海先生より良い人に必ずいつか巡り会えるんだから。そのための離婚だよ。絶対に」「月那……」その言葉にほんの少し救われる。七海先生が私のことをずっと想ってくれているなんて、自惚れたくはないけれど、奥さんの、好きな人と別れる決断は、ものすごくつらかっただろうと、今の私には痛いほどわかる。結婚して蒼真さんの側にいて……私はどんどん彼を好きになっていくから。「七海先生はさ、たぶん1人で大丈夫だよ。あの人、結局誰と結婚しても一生藍花を想い続けるから。それが七海先生の幸せなんじゃない?」「そんな……。私、どうしたらいいかわからないよ」「出たね、藍花の迷い癖」「えっ?」「いいんだよ、どうもしなくて。本当にほおっておきなよ。好きにさせてあげたらいいんだよ」「でも……」「でもじゃない。七海先生にとってはそれが1番の幸せなんだって。藍花は気にせずに自分の幸せだけを考えたらいいの。でないと白川先生に悪いよ」「……うん。わかった……」「素直でよろしい!いい子だね、よしよし」月那は私の頭を優しく撫でた。その仕草に少し照れる。「とにかくさ。七海先生と歩夢君はそれぞれに幸せなんだからね。自分のせいだとか考えちゃダメだからね。藍花が幸せになることが、2人にとって何よりも嬉しいことなんだからね」
「うん、今、すごく頑張ってるんだって。蒼真さんが歩夢君をとても可愛がってるみたいで、人一倍動けるし、患者さんからの人気もあるって言ってた」「そうなんだ。歩夢君、やるね~。本当に真面目ないい子なんだね。見た目も可愛くてイケてるしさ。キュートな眼鏡男子って感じで」「うん、そうだよね。本当にみんな癒されてた。歩夢君がいてくれたら職場が安定するというか……」「安定剤だね」「確かに。歩夢君、前にお母さんのために早く1人前になりたいって言ってたけど、十分過ぎるくらい頑張ってる。体を壊さないかって蒼真さんも心配してた。まあ、中川師長がすぐ側にいるから大丈夫と思うけど。ほんと、新人なのに私の何倍も偉いよ。私は……さっさと辞めちゃったしね」歩夢君の頑張っている話を聞くとすごく嬉しくなる。でも、バリバリ仕事ができることが、少しうらやましくも思える。私も、歩夢君みたいに看護師という仕事が好きだから……「藍花が辞めたのは妊娠したからだし、またいつか復帰するって思ってるんだからさ。何も卑屈になる必要はないよ。それまでは白川先生と蒼太君のために「奥さん」と「お母さん」を頑張りな」「うん、そうだね」「そうだよ、藍花は本当に幸せ者なんだからさ」「ありがとう、月那。今は家族のことだけ考えて、いつかまた看護師に復帰できたら、その時はしっかり頑張るね。蒼真さんと同じ病院は無理かも知れないけど、ここの近くにも病院はたくさんあるからね」「うんうん、頑張れ!応援してる」「……ありがとう。すごく心強いよ」「あっ、そうだ。あともう1人のイケメンは?」「……七海先生?」月那がうんうんとうなづく。「蒼真さんにはたまに連絡があるみたいだよ。あれからお見合い相手の人と結婚したんだって。でも……」「ん?」「……七海先生、フラれたみたいで……」「嘘!あの超イケメンが!?」「そうみたいなんだ。残念だけど……」「えっ、七海先生、結婚したお見合い相手にフラれたの?」「……うん」蒼真さんから聞いた時はすごく驚いた。せっかく新しい1歩を踏み出したのに……「でも何で?あんな超イケメンをフルなんて度胸あるよね」「別れた原因はわからないんだって。フラれたとだけ聞いたって。今は1人で、もう一生結婚はしないって言ってるみたい。お父様の病院で産婦人科医として仕事に生きるって……」
私は病院から少しだけ離れたところに新居を建ててもらい、月那はマッサージ店の近くのマンションを買った。常にいつでも会える距離……ではないけれど、大好きな月那とはたまにはこうして会いたい。月那のアドバイスはやはり直接聞きたいし、そばにいてくれるだけでかなり安心できる存在だから。「ねえ、あれからみんなどうしてるの?病院行ってもなかなか情報聞き出せないしさ」「月那、スパイじゃないんだから」「似たようなもんよ。客商売、情報が全てでしょ」「ダメだよ、病院の内部事情をお客さんに話したら」「当たり前だよ。言っちゃダメなことは言わないようにしてる。それくらい心得てるから大丈夫……たぶんね」「たぶんって、本当にダメだって~」「大丈夫、大丈夫、ちゃんとわかってますよ。だけど、白川先生と藍花のことは当然みんな知ってるよ。患者さん達も喜んでたし。あの子なら仕方ないって、白川先生のファンのおば様達が言ってたから」「そ、そうなんだ……」蒼真さんのファンって……まるでアイドルみたいな扱いだ。「それでもさ。未だに病院じゃ、みんな白川先生のことをハートマークのついたキラキラした瞳で見つめてるから気をつけた方がいいよ~」そう言って、月那は意地悪そうに微笑んだ。「うん。そうだね。でも、病院じゃなくても蒼真さんといるとみんなそんな目で見てるから。本当にどこにいても注目の的で……」あのルックスでは絶対に目立ってしまうから仕方がない。ただでさえそうなのに、最近はますます男性としての魅力に磨きがかかっている。やはり蒼真さんは無敵だ。「うらやましいよね、本当。だってさ、太一といても誰も振り向かないから」月那が大きな声で笑う。だけど……みんなは月那のことを見ているんだ。太一さんには申し訳ないけれど、2人は美女と野獣というか……月那みたいなすごい美人はなかなかいないし、どうしても目を引いてしまう。私達とは逆――視線は全て蒼真さんに向いているから。「ねぇ、それよりさ。歩夢君はどうしてるの?元気なの?」突然、月那が話題を変えた。
それでも「疲れているだろう」と、蒼真さんは私を気遣ってくれる。診察、回診、手術……きっと自分の方が何倍も疲れているはずなのに……その、人を思いやる優しさに、私は心から感謝の気持ちでいっぱいになっていた。***それから1年――1歳になった蒼太に会いに、久しぶりに月那が遊びにきてくれた。月那は今は仕事に大忙しで、旦那様ともラブラブだった。「本当に幸せだよね、藍花。こんな立派な新居を建ててもらって、こんな可愛い蒼太君がいてさ」蒼太を見て微笑む月那は相変わらず美人だ。こんな美しい女性が私の友達だなんて、かなりの自慢になる。「うん、幸せだよ。みんなに感謝しかないよ。月那にはずっと相談に乗ってもらって、本当に感謝してる。いろんなことが月那の言う通りになっていくのがすごく驚いたよ」「当たり前だよ。月那様には全てお見通しだったからね。あの時の藍花はすごく迷ってた。3人のイケメンの間で揺れてたよね」「そう……だったね。あの時の自分は何もわからなくて本当に困ってた。ただ頭を抱えているだけで、前に進むことができなかったから」「まあ、仕方ないけどさ。あんなイケメン達に告白されたら、人間誰だってちょっとしたパニックになるよ。きっと世界が違って見えるんだろうな。その世界が見れた藍花は本当に幸せ者だよ」「世界が違って見えたかどうかはわからないけど……でも、もし月那がいなかったら、私は素直になれてなかったかも知れない。今でもまだ、月那がいう『違う世界』で迷子になってたかも……」本当にそうだ。恋愛マスターの月那がいたから、私は今の幸せを掴めたんだ。月那には、感謝してもし足りない。「ううん、藍花の中ではさ、本当は決まってたんだよ。3人の中で白川先生が1番好きだって。だから……白川先生と上手くいった……」「……そ、そうなの?」「うん。でも、藍花は優しいからさ。みんなに対していろいろ考えてたら何が何だかわからなくなってたんだよ。七海先生も、歩夢君も、みんなを大切に考えて……。私、見てて可哀想なくらいだったから。でもいろいろあった結果、藍花は世界で2番目に幸せになれたんだから、良かったんだよ」ニコッと笑う月那。「世界で1番幸せなのは……月那、だね」「もちろん、その通り。なかなかやるね」2人の笑い声、久しぶりの楽しい時間が嬉しかった。
陣痛も短く、驚く程に安産で、スっと出てきてくれた赤ちゃんに感謝した。この世に生を受け、一生懸命生まれて来てくれた我が子がどうしようもなく愛おしくて、涙が止まらなかった。蒼真さんもパパになることを楽しみにしてたから、小さなその体を初めて腕に抱いた瞬間、大粒の涙をこぼしていた。その顔を見て、私もまた泣いた。あの白川先生が涙を流すなんて……という感じもあったのか、周りにいた女医さんや看護師さんまでみんなもらい泣きしていた。赤ちゃんの泣き声と共に、分娩室は感動の連鎖で温かな空気に包まれた。入院中は代わる代わる中川師長や歩夢君、他の看護師達も部屋に寄ってくれて、赤ちゃんを抱っこして喜んでくれた。中川師長は「孫ができたみたい!」と言ってくれ、歩夢君は毎日「可愛い可愛い」と言って部屋に来てくれた。私への気持ちなんか決して口にせず、私と赤ちゃんを優しく見守ってくれている感じがしてすごく有難かった。赤ちゃんの名前は、しばらくして蒼真さんが決めてくれた。「蒼太(そうた)」元気な男の子にピッタリの名前だと思った。私が絶対に「蒼」という漢字を入れてほしいと頼んだこともあって、ずいぶん悩んでいたけれど、ようやく蒼太に決めたようだった。気づけば、蒼真さんと急接近して、付き合って、赤ちゃんまで授かって、そして結婚まで……こんな人生、私には予想もできなかった。あまりにも嘘みたいな展開に自分でも驚いている。とんでもないシンデレラストーリーに、私はまだ半分夢見心地だ。だけど、いつまでもフラフラしていてはいけない。本格的に子育てが始まったのだから、ママになった自覚はキチンと持たなければ。慣れない家事をしながらの育児に、最初は戸惑いはあったけれど、それでも毎日私なりに一生懸命頑張った。夜泣きしたり、ミルクを飲まなかったり、眠れない日々が続いても、やっぱり我が子はとてつもなく可愛くて、愛おしかった。子どもの笑顔には、疲れを吹き飛ばす偉大な力があるということを、ヒシヒシと実感していた。
まだ少し肌寒く感じる4月初旬。つわりも早めに落ち着いてホッとしていた。「藍花、大丈夫?寒くないか?」「大丈夫です、蒼真さん。ありがとうございます」「体、絶対冷やさないように」「はい」「10月には俺達の赤ちゃんがこの世に誕生するんだな……すごく不思議な気持ちだ」私のお腹をゆっくりとさすりながら蒼真さんが言った。「本当に信じられないです。私がママになるなんて」「俺もパパになるんだな。今から楽しみで仕方ないよ」「蒼真さんがパパで、この子は本当に幸せです。こんな素敵な人がパパで、赤ちゃんびっくりすると思いますよ」「そうだといいけどな。いつまでも素敵なパパでいられるようにしないとな」「蒼真さんならいつまでも若々しくてカッコ良くて、最高の自慢のパパになりますよ」「だったら藍花は自慢のママだな。誰よりも綺麗で、可愛くて、キラキラ輝いて……。この子のママは世界一素敵なママだ」「は、恥ずかしいです」「恥ずかしくないだろ?本当のことなんだから」何気ない日常のやり取り、私は、いろんなことに幸せを感じながら、明日、蒼真さんと婚姻届を出す。前々から蒼真さんの4月の誕生日に出すことを決めていた。妊娠中ということもあり、2人で真剣に話し合った結果、式は挙げないことにして、ドレスとタキシードで写真撮影をすることになった。数日前にカメラマンさんが撮ってくれた写真の中の私達は、2人とも笑顔だった。それを見ていたら、少しずつではあるけれど、本当に夫婦になったんだと実感した。白いタキシード姿の蒼真さんは、世界中の誰よりもカッコ良くて、この人を他の誰にも渡したくないと思った。永遠に私の側にいて、私のことだけを見ていてほしいと心の底から願った。蒼真さんは私の平凡な人生をバラ色に染めて、180度変えてくれた。これからは……「白川先生」と「新人看護師」という関係ではなく「夫婦」として長い道のりを一緒に歩むんだ。***そして、10月――木々の葉っぱが赤や黄色に美しく色づいた秋晴れの日に、私達の待望の赤ちゃんが誕生した。産声をあげたのは元気な男の子。七海先生の紹介で入った女医さんが、赤ちゃんを取り上げてくれた。さすが七海先生の肝いりの先生だけあって、腕も確かで出産時の声掛けも素晴らしかった。女医さんや蒼真さん、周りのみんなのおかげで、私は安心して出産す