「解雇されたキミに朗報があるんだ。ボクが夫人にキミを再雇用して貰うようにお願いするからさ。だから戻っておいでよ」「何が朗報なのか全く分かりませんし、遠慮致します」 にこやかにそう口にするロッゾに、リシュティナはハッキリと物申す。 それを聞き、ロッゾの両目が飛び出す程に大きく見開かれた。「はぁっ!? 何を馬鹿な事を! 歴代の『聖なる巫女』を生み出す、名誉あるあのリントン侯爵家でまた働ける絶好の機会なんだよ? それにキミに来て貰わないと困るんだ! キミがいなくなって、何故か掃除が滞って夫人の機嫌が悪いし、今までキミ一人が対象だったのに、キミが辞めてからシャーロットお嬢様のワガママが使用人全員に向かってきて――」 二人の会話を隠れて聞いていたヴィクタールは、耳に入ってくるロッゾの台詞に驚愕の色を示した。(はっ? リントン侯爵家だと!? シャーロットは確か、ヘビリアの妹の名前だった筈……。リィナが働いていた場所はリントン侯爵家――アイツを苛めていたのはそこの姉妹だったのか!? そうとも知らず、オレはあの女の本質を見抜けず笑顔が好ましいとか思って……! くそっ! 何て大馬鹿だったんだオレはっ!) 人生最大の汚点だと、ヴィクタールは激しい自己嫌悪に陥り、両手で頭を抱えた。 ヘビリアに一切の欲を感じなかったのは、心の奥底では彼女の本質を感じ取っていたのかもしれない――「……そうですか。貴方はまた私に、シャーロットお嬢様とヘビリアお嬢様の気分晴らしの“お人形”になれと……そう仰るのですね?」「や、そ、そういう訳じゃ……! そ――そう、キミ、ボクの事好きだろう? ならさ、ずっと一緒にいようよ。あの屋敷でさ……。ね?」(はぁっ!? この男……フザけんなよ!? リィナはオレとずっと一緒にいるんだ! テメェなんか全く呼んでねぇんだよ!) カッと頭に血が昇り、二人の間に割り込もうと一歩足を踏み出したヴィクタールだったが、続けて聞こえてきたリシュティナの掠れた声に動きを止めた。「ヘビリアお嬢様はいいんですか? 貴方が私に『付き合って欲しい』と言った翌日に、お嬢様と深い関係になっていましたが。お嬢様に、『アナタの産まれたままのお姿は女神様のよう』とか仰ってましたね」「え……う、あぁっ!? みっ、見てたのかっ!?」(――あぁ、そうか! そうなるとあの女、スタンリー
ヴィクタールは舌打ちをしながらロッゾの腕を乱暴に離すと、彼が涙目になりながら喚いた。「な、何だお前はっ!? いきなり乱暴を働くなんて野蛮な奴だなっ!」「お前の方が先にオレの妹に乱暴を働いたんじゃねぇか。コイツの手首を見てみろ。こんなに赤くなっちまって……。妹に謝って貰おうか」(……妹……) ……分かっている。最初にそういう“設定”の提案をしたのは私だ。 だから、彼が私を『妹』だと言うのは間違っていない。 けれど、彼が私の事を『妹』と言う度、胸が痛くて苦しくなる……。(あぁ……。こんな自分、本当に嫌だ――)「は? 『妹』……? リシュティナに兄がいたのか……?」「お前にオレの大事な妹は絶対にやらねぇ。聞けばお前、コイツに告白した翌日に浮気したんだろ? お前が働く屋敷の娘と。そんな軽薄男に大切な妹をやるわけねぇだろうが。二度とそのツラ見せんな。次コイツの前に姿を見せたら、問答無用で叩きのめすからな」「ヒェッ……」 ヴィクタールのドスの利いた声音と、怒り全開の気迫に、ロッゾの顔は真っ青になり、身体中に冷や汗を吹き出させながら走って逃げていった。「ちっ、クソ野郎が。――大丈夫か、リィナ? 家に帰ったら、その手首手当てしような」「……あ……。うん、ありがとう……」「……元気ないな? あの男の言った事なんて気にすんな。もしまたヤツに会っちまったら、すぐにオレんとこに逃げてこい。分かったか?」「うん……ありがとう」 無理矢理笑顔を作るリシュティナをヴィクタールは眉根を寄せて黙って見つめると、唐突に彼女の手を握った。そして、その細い指に自分の指を絡める。 温かく大きな彼の指と手に、リシュティナの胸が一気に跳ねた。「会計してすぐに帰ろうぜ。早速新しい種植えてみるか。楽しみだな?」「……うん、そうだね」 会計の時もリシュティナの手を離そうとしなかったヴィクタールに、店主から、「おやおや、仲の良い兄妹だねぇ。まるで恋人同士みたいだ」 と笑われながら冷やかしを受け、「あぁ、恋人みてぇにすっごく仲良いぜ、オレら」「おやおやまぁ、ごちそうさま。ホッホッホ」 その冗談にヴィクタールまでも乗っかったので、リシュティナの顔が瞬時に真っ赤に染まったのだった。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇「何だよ……。リシュティナに兄がいたなんて聞いてないぞ……。アイツが
新しく耕した畑に、購入した種を植え終わった時には、もう日が暮れようとしていた。 家に入ってそれぞれシャワーを浴び、協力して晩ご飯を作り美味しく戴く。 その間、リシュティナはヴィクタールに対し平常心を心掛けた。彼もいつもと変わらない応対で、内心ホッとする。 後片付けをして歯を磨き、あっという間に就寝時間となった。(……どうしよう……) ヴィクタールへの想いを強く自覚してしまったリシュティナは、彼と至近距離で、更に向かい合わせで眠る鋼の心臓を持ち合わせていない。 そんな彼女の心など全く知る由もなく、ヴィクタールは先にベッドに入ると寝転び、リシュティナを呼んだ。「どうした? 早く来いよ、リィナ」「あ……う、うん……」 リシュティナはオドオドとベッドに入り、ヴィクタールの隣に横になると、すぐに彼と反対側を向いて布団を被った。 今の自分はこれが精一杯だ。「……リィナ、どうした? 何でこっち向いてくれないんだ?」 案の定、ヴィクタールから疑問の言葉が投げ掛けられる。「……えっと、その……。私の顔不細工だから、近くであまり見て欲しくないというか……」「はぁ? 何だよそれ? もしかして、雑貨屋で会った男に何か言われたのか? やっぱアイツ、十発ブン殴っておけば良かったぜ……。――そんなの気にすんな、リィナ。お前は可愛いよ。誰よりもすっげぇ可愛い。オレはいつでも四六時中お前の顔を見ていたい」「…………っ」(む、無自覚なのに殺し文句過ぎる……っ)「う……あ、ありがと……」「だからさ、こっち向いてくれよ。リィナ?」(貴方のその台詞の所為で、顔が異様に熱くて余計にそちらを向けません……っ)「……ご、ゴメンね……。今日はやっぱり……このまま寝るね……? お、おやすみ……」「…………」 リシュティナの一杯一杯の言葉に、背後から深く息を吐く音が聞こえた。 そして、後ろから逞しい腕が伸ばされ、リシュティナの肩と腹に回される。 そのままグイッと引き寄せられ、リシュティナはヴィクタールの腕の中に閉じ込められていた。「えっ!?」 背中に彼の温かい体温を感じ、リシュティナは身体をピシリと硬直させる。「無防備。――襲うぞ?」 ヴィクタールはリシュティナのすぐ耳元でそう“男”の声音で囁くと、突然、彼女の耳朶を甘咬みしてきた。「ひゃっ!?」 ビクリと
「まだ兄上は――『古の指輪』は見つからないのかっ!?」「も……申し訳ございません! ヴィクタール殿下が落ちた海の中や周辺をくまなく捜しているのですが、一向に見つからず……。引き続き探索を致します」「兄上はともかく、『古の指輪』は僕にとって大切な物なんだ。さっさと見つけ出してこいっ!!」「は――ははっ!」 スタンリーに怒鳴られた騎士達は、慌てて深く敬礼をすると、部屋からそそくさと出て行った。「畜生、兄上め……! 一人で勝手に死ねばいいものを、余計な真似をしやがって……!!」 スタンリーは顔を歪めながら、近くにあった椅子を蹴り飛ばす。 ヴィクタールが崖の上で言い放った言葉と、城の者達に宛てた彼の『遺書』の所為で、スタンリーとヘビリアの評判は確実に落ちていた。 懸命に火消しには回ったが、不信感を払拭する事までは出来なかった。 その『遺書』については箝口令を敷いたが、やはり城だけに留まってくれなかった。 人の口に戸は立てられない。 案の定、城の者が家族や親しい者に言ってしまったのだろう。城下町にも漏れてしまっていた。そうなると、早い内に王国全土に広まる事は確実だ。 ヴィクタールが行方不明な事はまだ国民には公表していないが、彼が姿を一切見せないのは、濡れ衣を着せられ、弟と婚約者に裏切られて絶望し、自ら命を絶ったからだという“噂”が信憑性を増して広がっている。 早く手を打たないと、折角築き上げた自分の名声が地に落ちてしまう。 一気に評価を取り戻す一番の策は、『古の指輪』を使い、海獣神ネプトゥーを召喚し、彼から“王の器”として認められる事だ。 その為にも早急に『古の指輪』が必要なのに――「クソッ!!」 ヴィクタールが崖から落ちていく時の、勝ち誇ったような笑みを浮かべた顔が、スタンリーの機嫌を更に悪くさせる。「何だよあの顔はっ! 死ぬんなら悔しがって死ねよ……!」 鋭く舌打ちし、更に椅子を蹴っていると、部屋の扉がノックされ、間も置かずヘビリアが姿を現した。「こんにちは、スタンリー様ぁ。何だかお怒りのご様子ですねぇ?」「……何の用だ、ヘビリア。僕は今君に構っている時間は無いんだ」「つれない事を言わないで下さいよぉ。とっておきの情報を持ってきてあげたのにぃ」「……何?」 動きを止めたスタンリーに、ヘビリアは目を細めてクスリと笑うと、彼の
「す……スタンリー殿下に御挨拶申し上げます」 ハッと我に返ったリシュティナは、慌てて立ち上がるとスタンリーに敬礼をした。(薬、前もって飲んでて良かった……。けど何でスタンリー殿下がここに? ……もしかして……ヴィルを捜して……!?) スタンリーは、リシュティナの声を聞いて眉をあからさまに顰めた。「……ふぅん。ホントに不快な声を出すんだね、君。まぁいいや。兄上はどこ? ここにいる事は分かってるんだけど。ずっと……ずーっと捜してたんだよ」「………っ!!」(やっぱり……! どこで気付かれてしまったの……? 町の人達じゃ絶対にないわ。皆、ヴィルの事を私の兄だって信じてたもの。最近、変わった事は――あ! ……まさか……ヴィルの正体に気付いたロッゾさんが告げ口をした……!? ど、どうにか誤魔化さないと……!) どうしてヴィルを捜していたのかは分からないけれど、スタンリー殿下に彼の存在を知られては駄目……! ――リシュティナの本能が、何故かそう強く警告をしていた。「……スタンリー殿下の兄上とは、ヴィクタール殿下の事でしょうか。何故そのようなお話になっているのか分かりませんが、ヴィクタール殿下はここにはおりません。ご覧の通り、私一人でございます。家の中を探して頂いても構いません。御足労をお掛けしてしまい、大変申し訳ございません」 そう言い、深々とスタンリーに向かって頭を下げる。 家には二人分の生活用品があるが、母と一緒に暮らしていた時の物だと言えば話の筋が通るだろう。「……兄上はいない、ねぇ……」 スタンリーはそうボソリと呟くと、顔を伏せているリシュティナの方へと歩いてきた。 そしてスタンリーは、リシュティナの頬を平手で強く叩いた。「………っ!」 リシュティナの身体が吹っ飛ばされ、地面に崩れ落ちる。「嘘をつくなよ。王族に虚偽を告げた不敬罪としてこの場で処罰されたいのか? さっさと兄上の居場所を言えよ」「………ヴィクタール殿下は……ここにはおりません。どうかお引き取りを……」「チッ、まだ言うか……。更に痛い目をみないと分からないらしいな」 倒れても尚頭を下げ続けるリシュティナに舌打ちをすると、スタンリーは拳を握り締め、彼女にゆっくりと近付く。「リィナッ!!」 その時、リシュティナを呼ぶ声と共に、一人の男が地面に倒れ込む彼女のもとへと一直線
「ほら、さっさと持ってこないとまた刺すよ? いいのかな? このまま兄上が死んでも、さ?」 スタンリーはニヤニヤとしながら、鮮血の滴り落ちる短剣をリシュティナにわざとらしく見せる。「……わ……分かりました。だから……だからもうこれ以上、ヴィルを傷付けるのは止めて下さい! 約束してくれたなら、その指輪を持ってきます!」「あぁ、いいよ? 僕は嘘はつかないから安心するといい。君らと違ってね? アハハハッ!」 嘲笑いながら肩を竦めるスタンリーにリシュティナはギュッと唇を噛み締めると、家の方へと走っていった。「……フフッ、ねぇ兄上? あの女、兄上の大切な子なの? 随分と趣味が悪いねぇ。老人声だし、ヘビリアと正反対じゃん。彼女に振られたからって趣向替えでもしたの? そうだ、あの女を兄上の目の前で犯せば、兄上は悔しがってくれるかな? 僕の好みじゃ全然ないけど、身体は好みかもしれないしね。あの女が戻ってきたら早速始めようか? ククッ……」 スタンリーがうつ伏せで倒れ込むヴィクタールの傍に屈み、意地の悪い笑みを浮かばせながらそう言うと、ヴィクタールはゆっくりと顔を上げた。 その顔を見て、スタンリーは「ヒッ」と息を呑む。「おい、ゲス野郎……。そんな事しやがったら、オレはテメェを地獄以上の苦しみを与えて殺し、テメェが地獄に逃げて逝っても追い掛けてグッチャグチャになるまで殴って斬り続けるからな……。死んでも絶対に許さねぇ……」 激しく鬼気迫るヴィクタールの表情に、スタンリーの身体が無意識に大きく震える。「ふ……ふんっ! 僕より劣っていて、刺されて何も出来ない癖に何を言ってるんだか……っ」 悪態をつきながら、スタンリーはさり気なくヴィクタールと距離を取った。 その時、リシュティナが小さな箱を持って戻って来た。 スタンリーとヴィクタールが離れている事にホッと息をついたリシュティナは、表情を引き締めるとスタンリーに箱を差し出す。「どれどれ……」 スタンリーはリシュティナから奪うように箱を取ると、中身を確認する。 二つの指輪が、ちゃんとその中に入っていた。「――あぁ、そうだ、これだよ! ハハハッ! これでようやく海獣神を召喚出来る! 『富』と『力』は全て僕のものだっ!!」 スタンリーは大きく高笑いすると、クルリと踵を返した。「目的も果たせたし、僕はこれで失礼す
視界が、真っ黒に染まっていた。 目を開けている筈なのに、一面に塗り潰された黒。 それ以外、何も無い。(――あぁ、本当に見えなくなったんだな……)「レヴァイ? レヴァイ……そこにいる?」「はーい☆ レヴァイ君、ここにいますよ~」「良かった……。ヴィルは? ヴィルは治った?」「えぇ、もうすっかり元気でピンピンですよ☆ けど、盲目の貴女の面倒を看切れないからって、どこかに行っちゃいましたよ。いやぁ、本当薄情ですねぇ。折角貴女が視力を失ってでも治したのに」「……そう……」 リシュティナは小さく頷くと、微笑んだ。「……良かった。ヴィル、こんな私の傍にいたら迷惑掛けるだけだもん。自分の行きたい所へ行って、幸せになってくれるといいな。折角『生きよう』って思ってくれたんだから」「おや? 恨まないんですか?」「え、何で? これは私が決めて勝手にやった事だよ。私は私の大切なヴィルに生きていて欲しかった。生きて幸せになって欲しかった。ただそれだけ」「おやまぁ、何とも健気ですねぇ。そんな絶望的な状態になって、死のうと思いますか?」 リシュティナは、レヴァイのその問いに首を横に振る。「ううん、思わないよ。だってヴィルが生きてるんだもん。離れていても、彼が生きている限り、この同じ空の下で一緒に生きるよ。そう……『約束』もしたから。……でも、何も見えないと本当不便だね……。それに、真っ暗だとやっぱり怖いね、ふふっ……。――ねぇレヴァイ、“対価”を渡すから、歩いててぶつかりそうになったら教えてくれる? あとは欲しい物がある場所とか――」「――そんなモン、コイツに頼む必要はねぇっ!!」 突然割り込んできた馴染みのある声に、リシュティナはビクッと身体を震わせた。「え? もしかして……ヴィル?」「この仮装悪魔がっ! 無理矢理オレに『沈黙魔法』を掛けやがって……! はっ倒すぞ!?」「おやまぁ、強制的に魔法を解除しましたね。流石莫大な魔力を秘めているだけありますねぇ。でも良かったでしょう? リシュティナの本音が聴けたのですから」「……クソ悪魔がっ!!」 ヴィルの悪態をつく声が聞こえたと思ったら、リシュティナの身体がふわりと温かいものに包まれた。「このバカッ! オレがお前を置いてどこかに行くわけねぇだろうが!! オレの幸せはお前と共にあるんだよ! お前がいなき
ヴィクタールは宣言通り、リシュティナから片時も離れようとはしなかった。 歩く時は指を絡めて手を繋ぐ。町で歩く時は勿論、家の中にいる時でもだ。 リシュティナがそっと立ち上がると、直ぐにヴィクタールが反応し、「どこに行くんだ? 一人じゃ危ねぇよ」 と、必ず手を掴まれ指を絡ませてくる。「えっと……ちょっと物を取りに行くだけだよ。場所は分かるから、手探りで行けるよ。一人でも大丈夫――」「ダメだ。そう言ってどこかにぶつかったらどうすんだ。言えばオレが取りに行く。お前はオレの傍で座っているだけでいいんだ」「え……そんな、悪いよ……」「全然悪くない。もっとオレに頼ってくれ、リィナ。オレはお前の為なら何でもやる。人を殺せと言われても、お前がそれを望むなら喜んで殺ってやるさ」「そ……そんな事絶対に言わない!!」「あぁ、そんなの知ってるよ。けど、それだけオレは本気だという事を分かってくれ」「…………」 こんな風に、過保護に拍車が掛かっている。度々不穏な台詞を言ってくるのが心臓に悪いけれど。 手洗いや浴室までついてこようとしたので、それは流石に全力で阻止した。「一人で出来ねぇだろ? オレが手伝う。最初から最後まで」「てっ、手伝……!? 最後まで!? だっ、大丈夫だよ、出来るから! 手探りで何とかなるから! 流石にものすっごく恥ずかしいからっ!」「……あぁ、いいな。オレに対してすごく恥ずかしがるリィナを眺めていたい――」「ヴィルッ!」「……分かったよ。チッ……」 とても不服そうな声を出され、更に舌打ちまで聞こえてきたけれど、そこは絶対に譲れない! とリシュティナは心を鬼にしたのだった。 ご飯はヴィクタールが作ってくれた。リシュティナの料理を手伝ってきたからか手際が良く、味も満点だった。 彼は一度教えたら、すぐにコツを掴んで何でもやってのけるのだ。 だからリシュティナは、町の人がヴィクタールについて噂していた、「何をやっても中途半端」「兄の方が出来損ない」とは全然違う事に疑問を持っていたのだった。 ――そしてそこでも、彼女にとって羞恥の時間が待っていた。「ほら、リィナ。あーんしろ、あーん」 ヴィクタールがリシュティナにご飯を食べさせたがるのだ。「あ、『あーん』て……。じ、自分で食べられるよ。大丈夫だから……」「ダメだ、こぼすだろうか。
海獣神と約束した当日の朝。 ヴィクタールは、自室で深い溜め息を吐いていた。 馬車で王城に連れてこられた日、ヴィクタールはスタンリーの姿を見たが、彼は少し目を見開いてヴィクタールを見た後、ニタリと嘲笑って自分の部屋へと入っていった。 王の間で国王と謁見した時、「お前の無事な姿を見れて安心したよ……。そして、スタンリーの為に色々と本当に済まない……。しかし、あんな駄目な奴でも儂の可愛い息子なのだ……。お前も儂の大切な息子だが、長男として、弟の為に海獣神様にその身を捧げて欲しい……。儂が変わりになれれば良かったのだが……。済まない……。本当に済まない……」 そう言って何度も謝罪し、頭を下げた父に、ヴィクタールは何も言えなかった。 スタンリーは、国王と彼の愛妾の間に産まれた子供だ。 国王は愛妾を偉く気に入っていた。王城に住まわせ、第一子を産んだばかりの自分の妻を蔑ろにして何度も愛妾のもとへ通っていた。 愛妾は、髪の毛はオレンジ色の、気の強そうな色気振り撒く妖美の女だった。 宝石を幾つも付けて、綺羅びやかなドレスを着ていた。国王が愛妾の為に購入したのだろう。 避妊はしなかったのか、それとも失敗したのか。彼女は国王との間に出来た男の子を産んだ。 赤ん坊を産んだ後、その愛妾は、城の使用人と駆け落ちをしていなくなってしまった。 まだ乳児の男の子――スタンリーを残して。 しかし、王妃であるヴィクタールの母は、スタンリーもヴィクタールと分け隔てなく育てた。 そんな自分の妻の慈愛に感化されたのか、国王は王妃を溺愛するようになった。 あんなに蔑ろにしていた事が嘘のように、王妃に懸命に尽くすようになった国王。 そんな父の姿を、長く城に仕えている者から妾の事を聞いていたヴィクタールは、複雑な気持ちで見ていた。 ヴィクタールは一度、母と二人きりになった時に、思い切って訊いた事があった。 妾に父を取られて悔しくなかったのかと。 それに、母は紫色の目を細め、美しい笑みを浮かばせながら言った。「ふふっ……。ヴィルには正直に言うけれど、わたくしと貴方のお父様は政略結婚だったのよ。わたくしは遠い地から無理矢理ここに連れて来られたの。だから、あの人に愛情なんてこれっぽっちも無かったわ。妾を作ったって何の感情も湧かなかったのよ。『あらどうぞご勝手に』という感じだった
「貴女と無駄話をしに来た訳ではありません。この場所の行き先と私を連れて行く理由を教えて下さい」 真っ赤な顔で足元をバンバン蹴るヘビリアに、ヴィクタールは表情を少しも動かさず説明を促す。 ヘビリアは大きく息を吐き、理性を何とか取り戻すと、これまでの経緯を説明した。「……という訳ですので、ヴィクタール様は海獣神ネプトゥー様に命を捧げる御身なんですぅ。最期に王家に貢献出来て良かったじゃないですかぁ」 黙ってヘビリアの説明を聞いていたヴィクタールは、不意に口の端を歪ませ、ハッと鼻で嘲笑った。「とんだ滑稽で不愉快な話ですね。それで何の関係もない私の命を使おうだなんて」「えぇー? 関係あるじゃないですかぁ。王族の一員ですしぃ」「…………。『聖なる巫女』の血を全く引かない偽物サン? スタンリーが駄目でしたので、次はウェリトを狙っているのでしょうか? 下の弟には貴女の誘惑は全く効きませんよ。弟の好みは貴女とは真逆ですから。可憐で淑やかな女性が好みなんです。弟は即座に本質を見抜きますから、貴女は邪険にされて終わりです。――ハッ、ザマーミロですね」「はぁっ!? そんなのやってみなきゃ分かんないでしょっ!?」 再び素を全開に出して怒鳴るヘビリアの隣で、後輩護衛が消え入りそうな程に縮こまっている。「とにかく、ヴィクタール様は海獣神様に命を捧げる日まで、御自分の部屋に監禁されますから。それまであたしが優しく慰めてあげてもいいんですよぉ?」 流し目でヴィクタールを見るヘビリアに、彼は心底嫌そうな顔を向けた。「は? そのような事、死んでも嫌ですね。地獄で永遠に苦悶を受けるより嫌です。考えただけで吐き気と寒気が止まらない」「キィーーーッ!!」 大猿になって暴れるヘビリアと、白目を剥いて昇天し掛かっている後輩護衛に見向きもせず、ヴィクタールは両目を閉じた。(オレはリィナと二人で穏やかに暮らしたいだけなのに、何でこうも邪魔ばかりしてくるんだ……。――リィナ、会いたい。別れたばかりなのに、もうお前の姿と温もりが酷く恋しい……) 三者三様の者達を乗せた馬車は、様々な思惑が蔓延る王城へと、着実に足を走らせて行ったのだった……。◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇「……行ってしまいましたねぇ」 遠ざかる馬車を見送っていると、ポンッと音を立て、レヴァイが姿を現した。「レヴァイ、ヴィルか
ヴィクタールは小さく舌打ちをすると、声を出さずにレヴァイに呼び掛けた。(おいコラ、レヴァイ。聞こえるか)『……はい? 何ですか? ワタクシはリシュティナに憑いてるんですから、本来彼女の呼び掛けにしか応えないんですよ。一度目で素直に貴方の呼び掛けに応じたワタクシに感謝して欲しいですね』(相変わらず偉そうなヤツだな……。そんな事よりもお前に頼みがある。“対価”を渡すから、オレが離れている間、リィナをどんな障害からも必ず護って欲しい。コイツに悪意を持って近付くヤツは、バレないようにブッ倒せ)『ワタクシ、力の加減が出来ないかもしれませんよ? もしかしたら相手を殺めてしまうかもしれません。それでも宜しいですか?』(別に構わねぇ。ただ、リィナに絶対容疑が掛からないようにしろ。特にこのヘビリアという女は、コイツに一歩でも近付けさせるな。少しでも何かしてきたら遠慮なく叩き潰せ)『フフッ、貴方のリシュティナ以外に容赦の無い所、ワタクシ好きですよ。“対価”は何ですか?』(オレの封印された魔力をやる。お前なら、封印されてても魔力を抜き取る事なんて簡単だろ?)『おや、それは素晴らしい“対価”ですね。確かに承りましたよ。ただ、魔力は五分の一程度で十分です。貴方の封印された魔力はそれだけ大きいですからね』(約束したからな。任せたぞ)「……分かりました。馬車に乗りましょう」「ウフフッ、ヴィクタール様ならそう仰ってくれると思ってましたぁ。あたしの事大好きですもんね?」「…………」 ヴィクタールはヘビリアに何を言っても無駄だと思ったのか、彼女に冷めた視線を向けただけで何も言わなかった。 ヴィクタールの返答を、リシュティナは呆然としながら聞いていた。(ヴィルが……ヘビリアお嬢様のもとへいっちゃう……? 私を置いて……? そんな……そんな――) 悲しみの衝撃で、リシュティナの身体が冷え、震えが止まってくれない。 そんな彼女の手を引っ張ると、ヴィクタールはその華奢な身体を強く抱きしめた。 そして、耳元に唇を寄せ小さく囁く。「悪ぃ、リィナ。町の奴らがこっちを見てるし、あの女の護衛達が武器を向けてる。逃げても執念深く追い掛けて来るだろうし、ここは一旦奴らの言う事を聞くしかない。お前の事はレヴァイに頼んだから」「……ヴィル……」「心配するな、オレは必ずお前のもとに戻
(この声は……ヘビリアお嬢様!?) リシュティナは思わずビクリと肩を揺らしてしまったが、それに気付いたヴィクタールは彼女の手を強く握り締めた。 そして、リシュティナを護るように彼女の前に立つ。 ヘビリアは、ヴィクタールがリシュティナの指に自分の指を絡ませ、騎士のように護っている姿に、唇をギュッと噛み締めた。「はぁ? 何よ、あたしの時は全く触れようとしなかったのに――」 そうボソリと呟いたが、次の瞬間には笑顔に戻っていた。「ヴィクタール様、捜していたんですよぉ。この町は港町に行く為に必ず通らなきゃいけないから、ここに来ると思って見張ってたんですぅ。あたしの推理もなかなかのものでしょぉ?」「……リントン侯爵令嬢が、私に何の御用でしょうか。私は貴女に全く何も用はありませんが」「あらぁ? 言葉遣いを戻したのですねぇ? あたしの為に戻してくれたのですかぁ? やっぱりそっちの方があたしは好きなので嬉しいですぅ」「私は王家を捨て、平民として生きる事にしました。ですので、貴族の者に敬語を使うのは至極当たり前です。決して貴女の為などと言う大層巫山戯た理由では無い事を御理解頂きたい」「なっ――」 言葉を失い、口元をひくつかせているヘビリアを、ヴィクタールは無表情の冷めた目で見る。 リシュティナは、二人の会話を聞いていて違和感を感じていた。(この二人、知り合いなの? ヘビリアお嬢様の台詞の内容がやけに――)「酷いですぅ。元婚約者のあたしにそんな事言って……。今もあたしの事大好きなくせに……。――あっ、そっか、照れ隠しですかぁ?」「……っ!?」(ヘビリアお嬢様がヴィルの元婚約者!? ――そうか……だからお嬢様はヴィルとこんな親しげに……。ヴィルは、裏切られても今もお嬢様の事を――) リシュティナの胸の中が、キュッと切なく縮まる。「……貴女を好ましいと思っていた時期は確かにありました。けれど今は全く貴女の事は眼中にありません。頭の片隅にも全く残っておりません。寧ろ貴女の本性を知った今、好ましく思っていた自分が最大の恥です。最上級の汚点です。その記憶を抹消したい程の恥辱です」「はぁっ!?」 抑揚も無く淡々と話すヴィクタールに、ヘビリアは顔を真っ赤にさせながら身体を震わせている。(そっか……ヴィル、ヘビリアお嬢様の事、何とも想ってないんだ……) ホッ
辺りも暗くなってきたので、野宿する事にした二人は、魔物の死角になりそうな場所を選び、木の枝で火を起こした。「早速精霊達のくれた種を植えてみるか。どんな風に実が成るのか気になるしな」 ヴィクタールは心做し弾んだ声でそう言うと、地面に種を一つ植えてみた。 すると、種を植えた場所から、ニュッと緑色の茎が飛び出し、すぐに美味しそうな橙色の果物の実が成った。「すっげ、種を植えたらすぐに草が生えて実が成ったぞ。精霊達のくれたモンだから、腹壊す事はねぇだろ。ほら、リィナ。先食べな」 ヴィクタールはそう言うと、リィナに摘み取った果物の実を手渡す。「ありがとう。戴きます」 リシュティナは果物を両手に持って、一口囓った。「……瑞々しい! すごく美味しいっ」「おっ、そりゃ良かった」 リシュティナが夢中になって食べているのを微笑みながら見ていたヴィクタールは、不意にフッと吹き出すと、彼女の顔に自分の顔を近付けた。「付いてる」 一言そう言うと、ヴィクタールはリシュティナの口の端に付いていた果物の欠片に指を伸ばし、それを取る。「っ?!」 固まってしまったリシュティナの隣で、ヴィクタールは指に付いた果物の欠片を口に入れ、頷いた。「ん、確かに美味いな。オレも食べるか」 機嫌良く地面に種を植え始めたヴィクタールの後ろで、リシュティナは暗闇でも分かる程に真っ赤になり、(い、今のは指! 絶対に指だから! くっ、口なんて、絶対に、ちっ、違うから!!) と、プルプル身悶えていたのだった……。******** 携帯食で晩ご飯を終え、歯を磨いて水筒で口を濯ぐ。 魔物除けは置いてあるが、万が一奴らが現れた時の為、いつでも逃げられるように二人は木の幹に寄り掛かって眠る事にした。「リィナ」 名を呼ばれたと同時に腕を引っ張られ、リシュティナはヴィクタールの胸の中に包み込まれる。 その上からふわりと毛布が掛けられた。「寒くないか?」「う……ううん、大丈夫」「ん」 ヴィクタールは小さく笑うと、リシュティナの頭を優しく撫でる。 心地良さに目を細めながら、リシュティナは徐ろに口を開いた。「……ヴィルって強いよね」「あ? 何だいきなり」「だって、昼間何回か魔物が襲ってきたでしょ? でも、私と手を離したのはほんの少しだったし。すぐにやっつけてたから」「そっか?
「今日は良い天気だ。雲一つ無いぜ。あぁ、鳥が羽ばたいてった。気持ち良さそうに飛んでたな」「ふふ、そっか」 草原の道を、ヴィクタールはリシュティナの細い指に自分の指を絡ませながら歩く。 リシュティナはヴィクタールの言葉を聞きながら、優しく微笑んでいた。 心地良い風が、彼女の前髪を揺らす度、光の無い蒼色の瞳が見え隠れする。 それでも、その瞳は吸い込まれるようにとても綺麗だった。 ヴィクタールが景色よりもリシュティナを眺めている時間の方が多い事は、見えない彼女には気付かないだろう。 ふと、リシュティナがヴィクタールを見上げて、ふわりと笑った。 途端、ヴィクタールの心臓が大きく跳ねる。「ヴィル、ありがとう。私の為に、どんな景色か教えてくれてるんだね」「あ……あぁ」「だから……楽しいよ、私。とっても」 目を細め、嬉しそうに微笑むリシュティナに我慢出来ず、ヴィクタールは彼女の身体を引き寄せ抱きしめた。「えっ?」 瞬間、彼女の頬が真っ赤に変わった。「も、もうっ! 外ではいきなりやらないでって言った!」「あぁ、悪ぃ……。お前が可愛過ぎて我慢出来なかった」「!!」 正直に告げると、リシュティナの顔が更に朱に染まる。恥ずかしがる彼女も可愛くて堪らない。 自分の腕の中に一生閉じ込めていたい思いに囚われ、バタバタと身体を動かす彼女を深く抱き込んだ。 ――あの時。 元婚約者に裏切られ、“恋”だの“愛”だの、『好き』だの『愛してる』だの、もう沢山だと辟易した。 けれどリシュティナと出会い、いつの間にか自分の中は彼女で埋め尽くされ、彼女無しではいられないようになった。 “恋”や“愛”という陳腐な言葉では言い表せない、『好き』だの『愛してる』だの、そんな軽い言葉で言い表したくない、酷く深く重く熱い想いが自分の胸を焦がした。 その熱情に身を任せ、彼女の滑らかで柔らかい身体を余す事無く貪り尽くしたい気持ちに必死になって蓋をした。 こんな強い欲望があったなんて自分でも驚いた。 懸命に我慢はしているが、想いは留まる事を知らず、きつく閉じた蓋から少しずつ漏れてきて。 手繋ぎから抱擁、そして額への口付けと、彼女への欲が止まらず出てきてしまっていて。 それ以上は彼女が自分を好きになるまで駄目だと、最後の砦のように理性を最大限にして抑えている。 彼女が一
「旅の資金もある程度貯まったし、明日にでも旅に出るか。王国の地図も買ったし、旅の準備も出来てるしな」「えっ、いきなりだね!? しかももう準備万端っ!?」 ある日の夜。 いつもの如くベッドでリシュティナを抱き込みながら、ヴィクタールは唐突にそう告げた。「スタンリーの野郎はもう召喚を決行しただろう。成功したのなら、父上が現国王でも、王権は奴が半分以上握る事になる。悪影響が本格的に出る前にこの王国を去りたい。――オレは、お前とずっとこんな風に穏やかな生活を送っていきたい。ただそれだけがオレの望みなんだ」「ヴィル……」「リィナ……。いつまでも一緒だ」 ヴィクタールの声が近くなったと思ったら、前髪を掻き上げられる気配がし、額に柔らかく温かいものが触れた。「えっ!?」 驚くリシュティナに構わず、ヴィクタールは彼女の首筋に顔を埋めた。「……可愛い、リィナ」 首筋に顔を埋めたままそう言われ、吐息が直接当たる擽ったさに、リシュティナの身体がブルリと震える。「……お前の温もりって眠気誘うよな……。しかも快眠の……。おやすみ、リィナ――」「えっ、ヴィルッ?」「…………」 ……ヴィクタールは、リシュティナの首筋に顔をつけたまま眠ってしまった。(――さ、さっきの額の感触は……もしかして……。う、ううん、きっと指だよ指! ……で、でも、指よりも柔らかかった……。――もうっ、一体何なのーーっっ!?) 真っ赤な顔のリシュティナの叫びは、虚しくも心の中で消えていったのだった……。◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 朝になり、少し寝不足気味のリシュティナをヴィクタールが心配しながらも一緒に朝ご飯を食べ、旅の支度を整えた。 家を出て畑の所に行くと、ヴィクタールは心地良く響く低音の声を張り上げる。「土の精霊、水の精霊、聞いてるか? 今までありがとな。オレ達これから旅に出るから、野菜や果物達を土に還してくれねぇか? 思い入れがあるし、このまま枯れていくのは嫌だしさ。頼むよ」 すると、畑に生い茂っていた野菜や果物達が、シュルシュルと音を立てて小さくなり、やがて土の中に消えていった。「ありがとな、お前ら。いつまでも元気でいろよ。ここが危なくなったらすぐに逃げろよ――ん?」 ヴィクタールは、土の上に幾つかの小さな種がある事に気が付いた。「何だコレ?」「精霊達の“餞別”です。
「シャーロット様も『聖なる巫女』の血を引いていない……!?」「じゃあシャーロット様も、リントン侯爵閣下の子では無い――?」 周りが酷くざわめく中、とうとう立っていられなくなった侯爵夫人は、戦慄いたまま、ガクリと両膝をついた。「……ヘビリアが産まれてから二年後、君が『子供が欲しい』と言ってくれた時、ようやく私を見てくれたと嬉しかったよ。けれどそのすぐ後に『子供が出来た』と言った君に不信感を抱いた私は、君の事を調べさせて貰った。……結果、まだ不貞の相手と切れていなかった。私を求めたのは、不貞の相手との間に子供が出来、それを私の子とする為の偽造工作だった。……ヘビリアの時も似たような状況だったと思い当たった時、酷く失望したよ」「あ、あなた……」「君の義務は、『聖なる巫女』の直系である私との子を産む事だった。その為の“政略結婚”だった。けれど君はそれを軽く考え、義務を放棄した。そして他の男の子供を作った。それも二度も。――そんなに私との子を産むのが……私との子を育てるのが嫌だったんだな。……言ってくれれば、すぐに君と離婚したのに」「ご、ごめんなさい、あなた……。本当にごめんなさい……! け、けど、離婚だけは許して……!」「…………」 リントン侯爵は、夫人の謝罪に何も言わず、眉間に皺を寄せ瞼を閉じた。「そ……そんな……。それじゃあ『聖なる巫女』の血を直系で引く者は誰もいないじゃないか! “王たる器”を持つ僕の世代に! そんなの――そんなの許されないっ!」 スタンリーが両目を見開き激昂すると、再び海獣神ネプトゥーの声が聞こえてきた。『何を巫山戯た事を言っている、王族の人間よ。汝には“王たる器”はどこにも無い。貪欲に塗れた愚者よ。偽の「聖なる巫女」といい、このような茶番に付き合わされ、我は酷く腹立たしい。我は非常に忙しいのだ。今すぐにこの王国の国民を滅しないと気が済まない』 海獣神ネプトゥーの言葉に、その場にいた全員がギョッと目を剥いた。 殆どの者が慌てふためく中、国王が前に出て、その場で勢い良く土下座をした。「海獣神ネプトゥー様のお怒り、御尤もで御座います。しかし、こちらの予期せぬ不備で御座いまして、一度貴方様の召喚を成功した私めに免じて、お怒りを鎮めて頂けないでしょうか」「ち、父上……」 スタンリーは、威厳をかなぐり捨てて床に頭を付けて土下座
海獣神ネプトゥーを召喚する決行の日がやってきた。 『召喚の間』には、国王を始め、王国の重鎮達や貴族達、抽選で選ばれた国民達が集まり、魔法陣の上に立つスタンリーを固唾を呑んで見守っている。 第三王子のウェリトは、船に乗り隣国の視察に行っているので、この場には居ない。 スタンリーの隣には、『聖なる巫女』の直系の血を引く、リントン侯爵家の長女であるヘビリアが笑みを浮かべて立っていた。 二人の左手の薬指には『古の指輪』がそれぞれ嵌められ、キラキラと輝いている。 しかし二人共、指輪が少し小さかったようで、指の真ん中辺りで止まっていた。 見守る貴族の中に、海を渡って外交をしており、いつも屋敷を不在にしているリントン侯爵家当主の姿もあった。 ピンク色の珍しい髪に少し白髪が交じり、金茶色の瞳を持つ、穏やかな風貌のリントン侯爵は、静かな眼差しでヘビリアを見ている。 その隣には、リントン侯爵夫人が少し青褪めた顔で夫の様子をチラチラと窺っており、その母の隣でシャーロットは、ウットリとした面持ちでスタンリーを見つめていた。 スタンリーは、海獣神召喚にかなりの自信があった。 自身の魔力はこの城の者達の中で一番高いし、ヘビリアとも幾度となく“絆を結んでいる”。 万が一の為の“保険”もしてある。 失敗する要素が何一つ無い。 先日、王家に言い伝えられている『伝承』を再確認しようと書物を調べていると、興味深い文章を発見した。 “魔力高き王族の者と、『聖なる巫女』の直系の血を引きし者との“絆”が更に強く深まる時、伝説の獣神の召喚が成功するであろう”、と。 今の自分に全て当て嵌まっているので、スタンリーは、海獣神を召喚したら、次は伝説の獣神を召喚を試みようと目論んでいた。 それで更に王国内で自分の評価は急上昇するだろう。 もしかしたら、海を越えて世界中でもその名誉ある評判は広まるかもしれない。 スタンリーはニタリと口の両端を持ち上げると、真面目な顔を作り観客に厳かに告げた。「では、海獣神の召喚を始める」 スタンリーは目を閉じ、詠唱を唱え始めた。「――海獣神ネプトゥーよ、我の呼び掛けに応えよ!!」 詠唱が終わり、スタンリーが最後の言葉を放つと、魔法陣が赤く輝き出した。「赤色……? 儂の時は確か青色だった気が――」 淡く輝く魔法陣の色に、国王が疑問の言葉を