第 2 話

大崎祐摩は高校時代、まさに天才のような存在だった。一方、高校時代の水上佳子はほとんど存在感がなく、彼女はまるで物語の中のモブキャラのように、ひっそりと輝く主人公と彼が愛するヒロインの甘いラブストーリーを見守っていた。

彼女が密かに祐摩を好きになって何年経ったのか、自分でももう覚えていないくらいだった。

祐摩が結婚を申し出たとき、彼女は夢を見ているのかと思った。いつ目が覚めてもおかしくない、そんな夢だと。

高校の3年間、佳子が彼に話しかけた言葉は挨拶だけ。

「こんにちは」

「私は水上佳子です」

祐摩は、自分と水上佳子が高校の同級生だったことなど覚えていなかったし、彼女が必死に彼の前に立って話しかけたことも覚えていなかった。

佳子はベッドに座り、暗い寝室でぼんやりとお腹に手をやった。

信じられないことに、ここにはもう一つの命が宿っていた。

祐摩との子供。

ただ、確かなことは言えない。

妊娠検査薬にも誤差があるからだ。

この数日、水上佳子は病院に行く暇がなく、明日は別のブランドの検査薬をいくつか買って試してみようと考えていた。

もし妊娠していなければ、それはそれでよかった。

妊娠していたら、それこそ厄介だ。

彼女は知っていた。

祐摩は自分のコントロールを外れるようなことが嫌いだ。

祐摩はいつも必ず避妊具をつけていたが、先月のあの一度だけ、思いがけない事故が起きた。 まさに一瞬の過ちだった。

彼がこの子供を望むはずがない。

水上佳子はほぼ確信していた。

もし祐摩に妊娠を告げたら、彼は病院を探し、手術の手配をするだろう。

彼が一度決めたことは、誰にも変えられないのだ。

結婚当初、水上佳子は無邪気にも、大崎祐摩が自分に少しずつ愛情を持ってくれるのではないかと期待していた。

だが、それはやはり幻想に過ぎなかった。

水上佳子はもうこれ以上考えたくなかった。考えれば考えるほど、悲しくなるだけだからだ。

彼女は布団に戻り、無理やり目を閉じて眠ろうとした。

佳子は高校時代の夢を見た。

夢の中で、祐摩は毎日彼女の窓辺を通り過ぎていった。彼は学校の王子様で、どこへ行っても皆が密かに見つめていた。

抜群のスタイルで、両手をポケットに入れ、気だるげで、傲慢ささえ漂わせていた。

まるで月のように高嶺の花だった。

周囲はいつも冷たく澄んでいた。

水上佳子は彼を一目一目と貪るように見つめ、目が覚めると目尻には涙がにじんでいた。外はすでに明るくなっていた。

彼女はバルコニーへ行き、カーテンを開けた。

庭には祐摩の車は見当たらなかった。昨夜の深夜、彼は帰ってしまったようだ。

佳子は特に落胆もせず、朝食を済ませて会社へ向かった。途中、薬局で妊娠検査薬をいくつか購入した。

佳子は午前中ずっと忙しく、水を飲む暇もなかった。

少し時間ができた時、彼女はバッグの中の検査薬を強く握りしめ、急いでトイレに駆け込んだ。

昨日調べた使い方に従って、再び検査を試みた。

数分後、彼女は緊張しながら手にした検査薬を見た。そこには、くっきりとした二本の線が表示されていた。

水上佳子の心は沈んだ。

喜びはほとんど感じなかった。

数分の短い間に、彼女は多くのことを考えた。

このことを大崎祐摩に伝えるべきだろうか？

それとも、何も言わずに仕事を辞め、誰も自分を知らない国へ行って、密かにこの子供を産むべきだろうか。

あるいは、数日休みを取って自分で病院に行き、手術を受けるべきか。

佳子の頭の中は混乱していた。

オフィスに戻っても、彼女は落ち着かなかった。

宇佐美佳奈が秘密めいた様子で彼女のデスクに来て噂話を始めた。「うちの二十階で誰かが妊娠したらしいですよ」

水上佳子は息を飲んで、無表情で答えた。「誰？」

宇佐美佳奈は「わからないです」と言い、「昨日、清掃員がゴミ箱の中に妊娠検査薬を見つけたんですって。隠しているってことは、誰かが社内恋愛でもしてるんじゃないですか？社長が知ったら、クビになりますね」と続けた。

水上佳子は、自分が慎重にトイレに流したことにホッとした。

彼女は喉を鳴らし、「知らない。たぶん違うと思う」と答えた。

宇佐美佳奈は特にその話に興味がなかったのか、すぐに別の話題に切り替えた。「ご飯食べに行きませんか？」

水上佳子のお腹はすでに空いていた。彼女は頷いて、「行こう」と答えた。

会社の下にある社員食堂は、味もそこそこだった。

水上佳子と宇佐美佳奈は注文を終え、座ったばかりだった。

突然、食堂が数秒静まり返った。大崎祐摩が現れたからだ。社員たちは一様に驚きを隠せなかった。

水上佳子はぼんやりと彼を見つめ、箸を強く握りしめた。

大崎祐摩は長い足を踏み出し、皆の視線を集めながら二人のテーブルに向かってきた。

宇佐美佳奈は慌てふためき、「社長、どうぞお座りください」と言った。

佳子は唇をかみしめ、何を言えばいいのかわからなかった。

その時、彼女の注文したステーキが届いた。

佳子はステーキを手に取って席を移ろうとしたが、目立つ行動は避けたかった。

だが、突然気分が悪くなった。

吐き気を感じたのだ。

食堂の匂いが彼女にとっては少しきつかった。

水上佳子は必死に吐き気をこらえ、早く昼食を済ませてオフィスに戻って休もうと考えた。

しかし、ステーキを一口食べた瞬間、彼女はもう我慢できなくなり、生理的に吐きそうになった。

彼女は胸を押さえ、ゴミ箱のところへ駆け寄って吐いてしまった。

吐き終わると、顔色が真っ青になっていた。

水を飲んで口をすすぎ、ふと気づいた。

大崎祐摩が冷静で深い瞳で彼女を見つめていた。

その視線は底知れないものだった。

水上佳子は心臓が跳ね上がり、顔色がさらに青ざめた。

彼に何か気づかれたのではないかと恐れた。

大崎祐摩は何か考えるようにしながら、「なんで吐いたんだ？」と尋ねた。

水上佳子は「最近、胃の調子が良くないんです」と答えた。

大崎祐摩は「胃病があったかどうかなんて、俺は覚えていないけどな」と言った。

水上佳子は冷静に「数日前に風邪を引いたせいだと思います」と答えた

大崎祐摩は少し黙り、気だるげに尋ねた。「前回の薬、ちゃんと飲んだのか？」

宇佐美佳奈には意味がわからなかった。

だが、水上佳子にはわかっていた。

大崎祐摩が指しているのは、温泉ホテルでのセックスの後に避妊薬を飲んだかどうかだった。彼はいつも鋭敏で、些細なことでもすぐに違和感を察知する。

水上佳子はプレッシャーを感じながら嘘をついた。「飲みました」

大崎祐摩はそれ以上、何も聞かなかった。

その午後、水上佳子は総務から胃薬を受け取った。

会社全体で、大崎祐摩の側近である総務だけが、二人の関係を知っていた。

「社長が、体を大事にするようにと」総務は言い淀みながら水上佳子を一瞥し、少し間を置いてこう続けた。「それと、社長が病院での健康診断を予約されました」