第3話

井上淳は頷きながら、子安沙耶の提案に同意した。

「いいね！ちょうど今日は給料が入ったところだ」

「一人六万円の店に行こう」

「前から試したかったんだけど、井上桃子みたいな田舎者を連れて行ったら、ウェイターに大笑いされるかもしれないし」

「優雅な環境にはもちろん優雅な人が必要だよね〜」

普段私の前では直球男で、気取った言葉なんか大嫌いだと言っていた井上淳が、今ではまるで蜂蜜のように甘く、腐った口を叩いている。

地面で苦しみながらもがいている私に目を向けると、またいつもの高慢な態度に戻った。

「病院から持ち帰った沙耶の着替えは全部シルクなんだ。絶対に手洗いしなきゃいけない」

「誰もお前の芝居を見てる暇なんてない！俺が帰ってくるまでに、沙耶と子供の部屋をちゃんと片付けておけよ」

彼らは腕を組んで私の体をまたぎ、まるでゴミの山を跨ぐように歩いていった。

どれだけ地面に横たわっていたのかわからないが、やっと動く力を振り絞った。

井上淳の劣悪な遺伝子のせいか、お腹の中の子供はこんなにも苦しめられているのに、まだしっかり生きている。

私は手を小腹に当て、その中で動いているのを感じた。ひび割れだらけの携帯を拾い上げ、病院に電話をかけた。

「すみません、中絶手術を予約したいのですが」

私は祖母と一緒に田舎で育った子供だ。小さい頃から村の人たちが「収穫を良くするには、まず良い種を植えることだ」と言っているのを聞いてきた。

井上淳と完全に決別することを決めた以上、彼の血が入った子供を私のそばに置くつもりはない。

電話を切ると、特別フォローしているアカウントの通知がポップアップで表示された。

写真には、2つの手で作られたハートと、その中央にある赤ちゃんの小さな足が写っていた。

【母子無事、天に感謝】

それは井上淳の裏アカウントだった。

それは私が彼の携帯で偶然見つけたもので、中身のほとんどが子供の誕生を心待ちにする内容だった。

その時の私は、これが私たちの子供のために彼が用意した秘密のアカウントだと思い込んでいた。性格が内向的で、私に繊細な感情を表現するのが苦手なのだと信じていた。

今となっては、ピエロだったのは私自身だ。

私はすぐに引っ越し業者に連絡した。

結婚当初、この古びた中古の結婚用マンションの家具をすべて買い替えたのだ。

その時、井上淳の悪友たちは彼をからかった。

「淳、お前の田舎の嫁さん、意外と金持ちじゃないか」

「背伸びして無理してんじゃねえのか！最終的にはお前が尻拭いする羽目になるんだろ」

私は真面目に説明した。「これは祖母が家の豚を売って、私に持参金を加えてくれたものです」と。それが井上淳の顔が青ざめていることには全く気づかなかった。

井上家に入った初日、あんなにたくさんの人の前で、彼は私を鋭く睨みつけた。

「黙れ！恥ずかしいと思わないのか」

その時は、何が恥ずかしいのか全く理解できなかった。

後になってわかったのは、井上淳とその友人たちの心の中には、見えない線があって、それが都会の立派な人間と貧しい田舎者を分けていたということだった。

井上淳は実家があまり裕福ではなく、「立派な」友人たちの中では端に追いやられていた。この2年間、私と結婚してからやっと仕事が軌道に乗ってきたのに、恩を忘れ、裏切るとは思いもしなかった。

井上淳が義を欠くなら、私がそれを説く必要もない。

私は業者を指揮して家具を車に積み込み、家には耐力壁以外何も残らなかった。

その晩、私はホテルで休んでいる時に井上淳から電話がかかってきた。

電話越しにも、彼の怒りが画面を突き破りそうだった。

「井上桃子！お前、狂ってんのか！家のものはどこだ」

「そんなに手癖が悪いのか！詐欺結婚で訴えられたいのか！しばらくぶち込まれて反省する羽目になるぞ」

私は鼻で冷笑し、ゆっくりと答えた。

「家具の領収書は全部ある。私は自分のものを運んだだけだ。何か問題ある？」

「それよりあなただ。私に黙って勝手に私の金を使ったな。井上淳、あなたは早く金を返す方法を考えた方がいい。さもないと、私たちは原告と被告の関係になるぞ」

井上淳は何度か荒い息をついた後、声を抑えようとした。

「桃子！お前の頑固な性格はわかってる。いきなりの情報量に耐えられないんだろう」

「だけど、俺と沙耶には実質的な関係なんかない！お前の汚い考えで俺たちの純粋な関係を推測するんじゃない」

「お前、今どこだ？早く戻ってきて、荷物を全部返してくれ！子供には休息が必要だし、沙耶はもっと休まなきゃならないんだ」

「子供はこれまで産後ケアセンターの看護師が世話してたんだぞ。今さら俺と沙耶で面倒を見るなんてできるわけないだろ！早く戻ってきて引き継げ」

私は鼻で笑い、ゆっくりと言い返した。

「お前らクズ男と下品女、それにガキ。こんなに広い空間があって、そのでかい面を広げられないのか」

「休憩しようがしまいが、私には関係ない」

電話の向こうで井上淳は一瞬黙った。

次に歯ぎしりするような声が聞こえた。

「井上桃子！一時の口先だけで偉そうにするな」

「お前は腹を大きくしてるんだから、どうせそのうち戻ってくる！お前の祖母が豚を売って、お前と子供を養うとでも思ってんのか？！」

「今、降りるための階段を与えてやってるのに断るのか。後になって犬みたいにひざまずいて『家に入れてください』って懇願するなよ」

なるほど、彼は私が妊娠していて家の状況も悪く、自分なしでは生きていけないと思っているから、こんなにも好き放題にいじめられるんだな？！

私は鼻で冷笑し、たった五文字で返した。

「離婚だ、バカ」

電話を切り、人参とツバメの巣、それにアワビの粥を一口飲み込んだ。

井上淳は私の祖母が豚を飼っていることしか知らない。

私たちの養豚場が全国に広がっていることは知らない。

あいつが私をいじめるだと？

いいだろう、それなら首を洗って豚女王の復讐を待つんだな。

翌朝早く、私は祖母の家に戻り、すべてを打ち明けた。

祖母は今年63歳、小柄でしっかりした、いろんな嵐をくぐり抜けてきた小さなおばあさんだ。

私が中絶するつもりだと聞くと、祖母は目に涙を浮かべながらも、しっかりした口調で言った。

「間違った道を歩いても構わない、早めに引き返せばそれでいい」

「嬢ちゃん、最高の病院に行こう」

井上淳の前ではこぼさなかった涙が、祖母の胸に抱かれながら顔じゅうを濡らした。

病院で中絶手術を受けたが、子供の月齢が進んでいたため、出産とほとんど変わらなかった。陣痛促進剤を注射し、冷たい手術灯の下で鉗子が体内に入る感覚は冷たく、凍えるようだった。

命はいくつかの肉片に変わった。

退院の際、看護師が子供の骨灰を持ち帰って埋葬するか尋ねてきた。私はその小さな木箱を抱えながら、どうしようもない切なさに襲われた。

これは私の体から確かに取り出されたもので、畜生に2年間踏みにじられた証だ。

私は小さな木箱をしっかりと包み、ロビーで運転手が車を回してくるのを待っていた。まさかそこで、井上淳と子安沙耶が赤ん坊を抱いて健康診断に来ているのに出くわすとは思わなかった。