会議はおよそ一時間半ほど続いた。 会場には市の幹部や主要産業の代表、そして金融界の重役たちが集まっていた。 終了後、成之は何人かと軽く言葉を交わしながら、ロビーに立っていた。 「村崎さん、ご一緒に食事でもどうですか?」 そう誘われた瞬間、彼の視線はふと遠くに現れた光莉の姿を捉えた。 「先に行ってください」 そう言い、軽く手を挙げると、彼は彼女のほうへ向かった。 少しして、光莉がハンドバッグを持って彼の前に立つ。 成之は彼女を上から下までさっと見渡し、眉を寄せた。 「......あまり元気がないようですが、昨晩はよく眠れませんでしたか?」 会議中、彼女がどこか上の空だったことに気づいていた。 光莉は軽く笑って肩をすくめる。 「ちょっと夜更かししちゃったみたいで。でも、村崎さんのスピーチ、とても勉強になりました」 少なくとも、退屈な決まり文句の羅列ではなかった。 多くの幹部は、長々と話しているように見えて、中身は何もないことが多い。 台本なしではまともに話せない者も少なくない。 だが、成之は違う。無駄な言葉を一切使わず、どんな場でも的確に話せる。 「先ほど、皆さんが食事に行くと言っていましたが、ご一緒にいかがですか?」 「私は遠慮しておきます」 光莉は微笑みながら首を振った。 「では、僕も行きません」 「え?」 彼女は驚いたように彼を見上げる。 「どうして?」 「大した話もないのに、ただのご機嫌取りばかり。もう聞き飽きました。静かに昼食をとりたい気分です。どこか良い店はありませんか?」 成之は淡々とした口調で言う。 冗談ではなく、本気らしい。 光莉は少し考えた後、尋ねる。 「どんな料理がいいですか?中華?和食?洋食?」 「中華がいいですね。ほかはあまり口に合わなくて」 「それなら、良いお店があります」 光莉はバッグから名刺を取り出し、彼に渡す。 「ここは特に特色のある料理が多くて、ほかの店ではなかなか食べられない味ですよ」 成之は名刺を受け取り、ちらりと目を通す。 「ここなら、そんなに遠くないですね。一緒に行きませんか?」 光莉は少し口元を引きつらせる。 「......私と食事を?」 成之は軽く頷く。 「ええ。お時間はあ
光莉は礼儀正しく微笑んだ。 「プレッシャーというほどではありませんが、確かに少し緊張しています」 今までにも幹部クラスの人と食事をする機会は何度もあった。 だが、成之は今まで出会ったどの人物とも違っていた。 他の人なら、一目見ればどんなタイプか、おおよその好みまで察することができる。 けれど、成之は違った。彼の考えを掴むことができない。 彼の視線を受けるたび、なぜか緊張してしまう。まるで、その目が彼女を見透かし、溶かしてしまうような錯覚に陥る。 生きてきた中で、光莉はそう簡単に勘違いをするほど天真爛漫ではない。 成之が自分に特別な感情を抱いているとは思っていない。 だが、それでも心の奥底で、彼の視線にはどこか違和感を覚えずにはいられなかった。 「なぜ緊張するのですか?伊藤さんに厳しくすると思われていますか?それとも、何か難しいお願いをするのではと?」 成之の声は穏やかで、礼儀正しく、どこまでも上品だった。 光莉は微笑みながら答える。 「村崎さんとご一緒する以上、慎重にならざるを得ません」 成之はゆっくりと視線を落とし、しばらく沈黙した後、静かに言った。 「そんなに気を遣わなくていいですよ。普段通り接してください。伊藤さんに迷惑をかけるつもりはありませんし、困らせるつもりもありません。ましてや、伊藤さんの意思に反することを強要するつもりもありません。ただの食事です。もし本当に気が重いのであれば、この場を離れても構いませんよ」 その口調は、どこまでも紳士的だった。 だが、光莉はこんなことで退席するつもりはなかった。 「村崎さん、お気遣いいただきありがとうございます。正直に言うと、ご一緒できることは光栄に思っています」 「そんなに形式ばった言い方をしなくてもいいですよ。光栄かどうかはともかく、銀行の支店長ともなれば、毎日忙しいでしょう。むしろ、こうしてお時間をいただけることは、僕にとってありがたいことです。僕は金融の専門家ではありませんから、いろいろと教えていただきたいと思っています」 光莉は、これまでに数多くの権力者と接してきた。 しかし、地位が高く、かつ謙虚で品のある人物には、滅多に出会わない。 多くの人間は、そのどちらか一方を持っているだけでも十分立派な方だ。 だが、成之はど
成之は軽く頷いた。 「どうぞ、ごゆっくり」 光莉はスマートフォンを持ったまま個室を出ると、わずかに苛立ちながら通話を繋げた。 「......今度は何?」 電話の向こうから、優しげな声が響く。 「お前のネックレスが昨夜、俺のところに落ちていたよ。今どこにいる?届けに行こうか?」 高峯の声だった。 光莉はスマートフォンを握りしめる。手のひらにじんわりと汗が滲んだ。 しばらく沈黙した後、低く問いかける。 「......どうしたら、私を解放してくれるの?」 この間ずっと、高峯は彼女を脅し続けていた。 あの夜、彼は無理やり彼女を侵した。そして、その一部始終を録画していた。 最初は必死で抵抗していた。 けれど、回数を重ねるうちに、光莉の心は次第に麻痺し、反抗することすらなくなっていった。 そして、その映像の中で、彼女が抵抗しなくなった瞬間を切り取った高峯は、それを武器に脅してきた。 ―まるで、自分から受け入れたかのように。 彼は、その映像を藤沢家の人間に見せると脅している。 高峯は狂人だ。破滅を恐れない。 だが、光莉は藤沢家がこの事実を知ることを恐れていた。 もし彼らが知れば、事態は取り返しのつかないことになる。 彼女がどれだけ傷つこうと、それ自体はもうどうでもよかった。 ―ただ、藤沢家の人たちが巻き込まれるのだけは避けたかった。 だから、高峯が「会いに来い」と言うたび、光莉はその要求に従った。 たとえ、その先にどんな屈辱が待っていても。 「これでいいじゃないか?光莉、俺はもう結婚しろなんて言わない。ただ、たまには俺の相手をしてくれればそれでいい。俺は、お前を藤沢曜だけのものにはしない」 「......いい加減にして。これ以上、しつこくするなら......」 「西也のこと、知りたくないか?」 光莉が言葉を続けようとした瞬間、高峯が遮るように言った。 「......っ」 彼女の手が震える。 「......彼が今、海外でどう過ごしているか。知りたくはないのか?」 「......あの子はあんたの息子よ。私が知る必要なんてないわ」 「強がるな、光莉」 電話の向こうで、くすりと笑う声が聞こえる。 「お前はずっと西也を気にしているじゃないか。息子だと打ち明
昼食の時間は、終始穏やかで和やかだった。 最初、光莉は少し緊張していたものの、成之はとても気さくな態度で接してくれた。 次第にその空気に引き込まれ、自然と会話も弾んでいく。 話題はビジネスや金融のことから、互いの趣味や興味、さらにはこれまでの面白い体験談にまで広がった。 気がつけば、二人はすっかり打ち解けていた。 何度か、光莉は成之の言葉に思わず笑ってしまった。 そのたびに、成之は優しい目で彼女をじっと見つめていた。 まるで、彼女の笑顔そのものを楽しんでいるように。 だが、光莉がその視線に気づきそうになると、彼はさりげなく目を逸らし、何事もなかったかのように表情を引き締めた。 食事を終えた後も、二人はしばらく会話を続けていた。 気がつけば、もう午後二時を回っていた。 光莉はふと時計を見て、驚いたように言う。 「......もうこんな時間ですね。村崎さん、私、かなりお時間を取らせてしまいましたね?」 成之は静かに微笑んだ。 「いえ、むしろ僕のほうこそ、伊藤さんの貴重な時間を奪ってしまったのでは?」 光莉は礼儀正しく微笑む。 「そんなことはありません。まさか、こんなに話が合うなんて思いませんでした」 成之は、今まで光莉が会ってきたどの幹部とも違った。 彼は礼儀正しく、常に相手に配慮している。 ただ権力を持っているからといって横暴になることもなく、相手を見下すような素振りもない。 たとえ、給仕が皿を取り替えたり、ナプキンを差し出したりしたときでも、必ず「ありがとう」と言葉を添える。 そんな気遣いを自然にできる人間は、そう多くはない。 ―きっと、彼はとても魅力的な人なんだ。 けれど、不思議なことに、彼は今まで一度も結婚していないらしい。 子どももいない。 おそらく、その人生をすべて仕事に捧げてきたのだろう。 だが、こういう男性は未婚であろうと、決して女性に困ることはない。 権力と地位を持つ男たちの中には、結婚していても影で遊び歩く者が少なくない。 彼らの世界では、それが「当たり前」のことだった。 高級レストランや夜の社交場では、光莉も何度もそんな場面を見てきた。 名のある俳優や女優たちが、まるで「飾り」のように男たちの腕に絡みついているのを。 ―この世
光莉の頭の中で、一瞬にして何かが弾けた。 目を大きく見開き、驚愕のまま目の前の男を見つめる。 成之は目を閉じ、まるでこの瞬間を楽しむかのように、余裕すら感じさせる表情を浮かべていた。 光莉の体は硬直し、まるで動けなくなってしまった。 拒むことも、押し返すこともできない。 ―どうして?力が入らない...... すると、次の瞬間― 強い力で壁際へと押し倒される。 「っ......!」 成之の唇が、さらに深く彼女を貪るように重なる。 大きな手が肩を押さえ、さらに下へと滑り落ちる。 もう片方の手は彼女の腰を抱き寄せ、背中へと回る。 ―逃げなきゃ...... そう思うのに、体が言うことを聞かない。 全身の力が抜け、膝が震える。 壁に押し付けられながらも、彼に支えられなければ立っていることすら難しかった。 唇が重なり続ける中で、光莉の思考はだんだんとぼやけ、すべてが遠のいていくような感覚に陥る。 まるで、自分のものではないかのように。 そんなときだった。 腰に回された大きな手が、ぐっと強く彼女の肌を掴んだ。 その刺激に、光莉はハッと我に返る。 「......っ!」 全身の力を振り絞り、成之を突き飛ばした。 「......はぁ、はぁ......っ」 息を荒くしながら、光莉は成之を睨むように見上げる。 成之もまた、彼女をじっと見つめ返していた。 その視線には、深い感情が渦巻いていた。 光莉は慌てて服を整え、胸の高鳴りを必死に抑えようとする。 成之はしばらく沈黙した後、静かに口を開いた。 「......ごめんなさい。つい、抑えきれませんでした」 その口調は淡々としていた。 まるで、謝罪というよりも、「事実の確認」のように。 ―彼は悪びれていない。 彼はただ、「欲望に抗えなかった」と言っているだけだった。 本来なら、この行為は許されるものではない。 それなのに、なぜか光莉は怒ることができなかった。 ―怒りよりも、怖い。 ―この場から逃げ出したい。 「......大丈夫ですか?」 成之が手を伸ばそうとする。 光莉は、反射的にその手を避けた。 「......大丈夫です」 成之は手を引っ込め、口元にかすかな笑みを浮かべる。
「すみません、村崎さん。私の考え違いかもしれません。ただ......」 光莉は、どう言葉を続ければいいのかわからなかった。 ―なんだか、現実離れしている。 「謝る必要はありませんよ。むしろ、謝るべきなのは僕の方です」 成之はふっとため息をついた。 「......僕たちの間には何か特別な感情があると思っていました。でも、僕の勘違いだったようですね。僕は、随分と愚かだったようです」 「......違います!」 光莉は咄嗟に否定した。 その瞬間、成之の目がかすかに光る。 だが、次の瞬間には、再び落ち着いた表情を浮かべる。 「違うんですか?」 彼の声はどこか沈んでいた。 「つまり、僕たちは―」 ―しまった。 光莉は一瞬、自分の発言が罠にかかったことに気づいた。 ―この人、ただのビジネスマンじゃない。駆け引きが上手すぎる。 「村崎さん、私が言いたかったのは......」 言葉を選びながら、慎重に続ける。 「人間、誰しも勘違いすることはあります。それは決して愚かなことではありません」 彼女の直感が告げていた。 ―この人には、深入りしない方がいい。 「すみません、そろそろ失礼します。では、また」 光莉はその場を去ろうと、くるりと背を向ける。 「......本当に『また』ですか?」 成之の声が、背中越しに届いた。 「そのままの意味で、また会えるということでしょう?」 光莉の足が止まる。 どう答えればいいのか、言葉が見つからない。 「......私、夫とは仲が良いんです」 最終的に、彼女が選んだのはその言葉だった。 成之は、微かに口角を上げる。 「......そうですか。でも、僕が聞いた話は、少し違いますね」 光莉の心臓が跳ねる。 ゆっくりと振り返り、睨むように彼を見つめた。 「......私のことを調べたんですか?」 「わざわざ調査をしたわけではありません」 成之は淡々と言う。 「そういう趣味はありませんから。ただ、少し耳に入っただけです......伊藤さんとご主人の関係は、それほど良好ではないと聞きました。彼は、伊藤さんを裏切ったことがあるのでは?」 光莉の胸に、鈍い痛みが走った。 過去の傷が、再び疼く。 「......失
「本当かい?それなら、すぐに電話しておくれ」 華は嬉しそうに言った。 しかし、光莉は眉をひそめ、すぐに口を挟む。 「修、今すぐ若子に電話するつもり?今は忙しいかもしれないわ」 まるで、修が若子に電話をかけたら、この世の終わりでも来るかのような顔をしている。 修は何も言わず、そっと華の手を離すと、ポケットからスマホを取り出した。 そして、皆の前から離れ、別荘の玄関へ向かう。 光莉は慌てて追いかけた。 修はすでに連絡先を探していた。 「......本当に若子に電話するの?」 彼女は息を呑む。 ここまできて、もし修が突然連絡を取れば、すべてが水の泡になる。 過去と同じ繰り返し、終わりのない泥沼へ逆戻りするだけ。 「俺が若子に連絡するの、そんなに怖い?」 修の声には、どこか棘があった。 「違うの。そんなつもりじゃないわ、ただ......」光莉は言葉を選びながら続ける。「ただ、あんたがまた傷つくんじゃないかって、それが心配なだけよ」 「心配無用だ」 修は冷たく言い放つ。 「傷つこうがどうしようが、それは俺の問題だ。俺はもう子供じゃないんだから、母さんに守ってもらう必要はない」 光莉は申し訳なさそうに俯く。 「......修、ただ、またあの関係に戻ってしまうのが怖いのよ」 その言葉に、修の中で怒りがふつふつと湧き上がった。 だが、それを抑え込むように、無言のまま電話をかけ、スマホを耳に当てた。 光莉は息を詰まらせる。 彼が何を話すつもりなのか、気が気でなかった。 奪い取ってでも止めたい―でも、それはさすがにやりすぎだ。 もし彼と若子がまた関われば、修、若子、そして西也の関係はますますこじれる。 その混乱は、以前よりも酷いものになるだろう。 そんな不安の中、電話が繋がり、修が口を開いた。 「......もしもし、山田さんか」 「......!」 光莉は驚いて顔を上げる。 ―「山田さん」? 「ちょっと頼みがあるんだ」 相手の返事を聞き、修は続ける。 「俺のおばあさんが、元妻に会いたがってる。でも、彼女は今ここにいない。お前は少し似ているから、代わりに会いに来てくれないか?」 数秒の沈黙の後、修は言った。 「じゃあ、車を手配する。今どこに
侑子が部屋に入ると、全員の視線が彼女に集中した。 光莉は、その顔を見た瞬間、目を見開いた。 ―似てる...... 曜もまた、驚きを隠せない様子だった。 だが、彼らは分かっている。この女性はあくまで「似ている」だけで、若子本人ではないことを。 華はソファに座ったまま、うとうとしていた。 修が彼女に近づき、そっと身を屈める。 「おばあさん、若子が来ましたよ」 その言葉を聞いた途端、華はぱっと目を開いた。 視線を向けると、そこには見覚えのある顔。 しばらくの間、呆然と見つめる。 けれど、何か違和感を覚えたのか、眉をひそめた。 部屋は静まり返った。 ―まさか、ここにきて正気に戻ったりしないだろうか。 「おばあさん、若子に会いたいって言ってたでしょう?ほら、来てくれましたよ」 修はもう一度、優しく言った。 「......あぁ、若子、大きくなったねぇ」 華は手を伸ばす。 「こっちへおいで、おばあさんに顔を見せておくれ」 侑子は少し緊張しながら、修の方を見た。 修は静かに頷き、安心させるような視線を送る。 侑子は勇気を出して華の隣に座り、微笑んだ。 「おばあさん、会いに来ましたよ」 「まぁ、なんていい子なんだろうねぇ......」 華はそっと侑子の頬に触れる。 「しばらく見ない間に、また大きくなって......おばあさん、もうあんたの顔を見分けられなくなっちゃうよ」 侑子は笑みを浮かべながら、静かに答えた。 「最近、食べすぎちゃったのかもしれませんね。ごめんなさい、おばあさん、なかなか会いに来れなくて......」 「いいのさ、みんな忙しいんだからな」 華は微笑みながら、ふっと息を吐いた。 「でも、こうして元気な姿を見られただけで、おばあさんは安心したよ......そうだ、あんた、今は大学生だろう?」 侑子は頷く。 「はい、大学に通っています」 「うん、えらいえらい」 華は満足げに頷いた。 すると、彼女は修を手招きする。 「修、あんたもこっちへ来なさい」 修は少し戸惑いながら、彼女のそばに近づく。 「おばあさん、どうしましたか?」 「立っていないで、若子の隣に座りなさい」 修は口元を引きつらせるが、ここで逆らうわけにはいか
若子の姿は血まみれだった。 自分の血じゃない、それでも―あまりにも生々しくて、見ているだけで胸がえぐられそうだった。 修はすぐに若子をひょいと抱き上げた。 「ちょっ......なにしてるの!?私はここにいる、彼を待たなきゃ」 「若子、手術はまだまだかかる。だから、まず体を洗って、着替えて、きれいになって......それから待とう。もし彼が無事に目を覚ましたとき、君が血まみれのままだったら、きっと心配するよ?」 若子は唇を噛みしめて、小さく頷いた。 「......うん」 修は若子をVIP病室へと連れて行った。ちょうど空いていた部屋で、すぐに清潔な服を持ってこさせた。まだ届いていなかったけれど― 若子はずっと泣き続けていた。 修は洗面台の前で、そっと後ろから若子を抱きしめるように支え、水を出しながらタオルを濡らして、彼女の手や顔を丁寧に拭っていく。 「いい子だから、じっとしてて。血、すぐ落ちるから」 「修......あんなに血が......彼の血、全部流れちゃったんじゃないの......?」 まるで迷子の子どものように、若子は震えていた。 「医者が輸血するさ。絶対に助けてくれる。若子、手を広げて、もうちょっと拭くから」 彼女の体からは生々しい血の匂いが漂っていて、魂まで抜けたように虚ろだった。 修はタオルで彼女の手、腕、顔を優しく拭い、そしてふと、手を伸ばして彼女のシャツのボタンに指をかけた―その瞬間、 「なにしてるの!?」 若子が慌ててその手を掴んだ。目には警戒と不安の色。 修は一瞬、固まった。そして......思い出した。 ―自分たちは、もう夫婦じゃない。 ただの錯覚だった。かつての関係に、心が勝手に戻ってしまっていた。 もう彼女に触れる資格なんて、ないのに。 それでも、腰にまわした腕は......なかなか離せなかった。 しばらく見つめ合ったあと、若子は静かにタオルを取り、赤く染まったそれを見つめた。 「......自分でやるから。もう出て行って」 修は小さく息を吐き、名残惜しそうに腕を離した。 「......わかった。外で待ってる。何かあったら呼んで」 若子はこくんと頷く。 修は浴室を出て、ドアをそっと閉めた。 鏡の前で水を浴びた若子は、腫れ上がった
確かに、修もヴィンセントに銃を向けた―でも。 あの時、若子の目に映った修の目は......あんな狂気に満ちたものじゃなかった。 しかも、あの場面で修は西也を止めていた。もし本気でヴィンセントを殺すつもりだったら、止める理由なんてなかったはず。 だから、若子は......修を選んだ。 黙り込む若子に、修がそっと問いかけた。 「若子......まだ答えてないぞ。俺のこと、信じてないって言ったのに、どうして俺を選んだんだ?」 「......もう、聞かないで」 若子はうつむいて、ぽつりと呟いた。 「ただ、その場で......なんとなく、選んだだけ。深くは考えてなかったの」 西也のことをここで悪く言うつもりはなかった。あれは彼女の個人的な「感覚」に過ぎない。言葉にするには、曖昧すぎる。 修は深く息を吸い込み、しばらく黙ったまま天井を見つめていた。 「......わかった。もう聞かないよ。でも、若子......もし、こいつが死んだら......お前は、どうするつもりなんだ?」 「そんなこと言わないで!彼は、死なない!絶対に、死なないんだから!」 「でも......」 修の口から出かけた言葉を飲み込む。 ヴィンセントの状態は、正直、絶望的だった。助かる可能性は限りなく低い。でも―今の若子に、それを突きつけるなんて......できなかった。 西也だけでも、十分に厄介だったのに、そこへ現れたヴィンセント。命を賭して彼女を守ったこの男。 一方は陰険で冷静な策士、もう一方は命を投げ出す危険人物― 修の胸は、重く沈んだ。 この泥沼の関係、一体いつ終わるのか。 そして― ―侑子は大丈夫だろうか...... 自分が出て行ったとき、きっと彼女は傷ついていた。放っていくしかなかった自分の無力さを噛み締めながら、彼はただ、唇をかみしめた。 侑子に対して抱くのは、情と同情。 でも―若子に対しては、愛。どうしようもなく、深い愛。 ようやく車が病院に到着し、すでに待機していた医療スタッフが慌ただしく駆け寄ってきた。 ヴィンセントはすぐさま担架に乗せられ、ベッドごと手術室へと運び込まれる。 手術室のランプが点灯する。 若子は、血まみれの服のまま、外で立ち尽くしていた。 震える手を見つめると、そ
―どこで、何が、狂ったんだ? 自分の気持ちが足りなかったのか、行動が空回りしていたのか。 西也の体は力なく落ちていくように崩れ、まるで希望ごと奪われたようだった。 拳を握りしめ、爪が肉に食い込む。 ―こんなはずじゃない。絶対に違う。 やっと若子との関係がここまで進んだのに。なのに、あの「ヴィンセント」とかいう男が、どこから湧いて出た?全部ぶち壊しやがって......! ―許せない。 ...... 夜の闇が、防弾車の車内を静かに包み込む。 漆黒のボディはまるで鋼の獣のように、無音の闇を進む。金属の冷たい光をちらつかせながら、獲物を守るように― 若子はヴィンセントを腕の中でしっかりと抱きしめていた。その瞳には、計り知れないほどの不安が滲んでいる。 車内には、血に染まった止血バンデージが散乱し、痛ましい光景が広がっていた。 窓の外では、夜の都市が幻想的に流れていく。ぼんやりと浮かぶ高層ビル、にじむ街灯、歩く人々の影―けれど誰にも、心の奥底の混乱と恐怖までは見えやしない。 修はその隣で、無言のまま座っていた。表情は険しく、苦しみと焦りが混じったような沈痛な面持ち。眉間のしわ、蒼白な頬―まるで、荒れた海に浮かぶ小舟のような無力さを纏っていた。 「冴島さん、お願い、耐えて......お願いだから、死なないで」 若子は必死にヴィンセントの体温を確かめ、冷えた身体を自分の上着で包み込む。 「お願い......死なないで」 ヴィンセントはすでに意識を失っていて、呼吸もかすかになっていた。 「もっとスピード出して!急いで、お願いっ!」 「若子、もう限界だよ。全速力で走ってる。医療班には連絡済み、もうすぐ到着する」 若子は震える手でヴィンセントの前髪を撫で、ポロポロと涙を落とした。 「ごめんね、ごめん......」 その姿に、修は耐えきれず口を開いた。 「若子、それはお前のせいじゃない。謝る必要なんてないよ」 「黙って!!」 若子の声が鋭く響く。 「もしあの時、いきなりあの部屋を爆破して踏み込まなければ......ヴィンセントさんはこんな目に遭わなかった!私はあなたを信じてた。なのに、あなたは私の想いを......裏切った!」 「でも、俺は今、彼を助けようとしてる。お前だって、俺に
「はいっ!」 部下たちが一斉に動き、ヴィンセントを受け取ろうと前へ出る。 修はすぐに若子の前に立ち、きっぱりと言った。 「若子、ヴィンセントは俺に任せて。安全な病院を知ってる。そこの医者は通報なんてしない。俺が責任を持って、彼のことを秘密裏に処理する」 そう言うと同時に、修は部下にさりげなく目配せをした。 すると―場面はまるでコントのような奇妙な空気に包まれた。 なんと、修と西也、ふたりの陣営がヴィンセントを奪い合い始めたのだ。 「遠藤、お前は引っ込んでろ。今は命を救うことが先決だ。俺には医療のリソースがある」 「お前にあるなら、俺にもある。なめるなよ?俺だって安全な病院にコネがあるし、信頼できる医者もいる。若子、俺にヴィンセントを預けて!」 「若子、信じるなよ、遠藤なんて!彼は腹黒い。ヴィンセントを死なせるぞ。俺なら絶対に助けられる!」 「若子、やめとけ。こいつのことなんて、もう信用できないだろ?こいつが前にお前にしたこと、忘れたのか?」 修と西也、互いに一歩も引かずに言い争いを続ける。 ......もう、ぐちゃぐちゃだった。 「全員、黙りなさいっ!!」 若子の怒声が、あたりを震わせた。 こんな大事な時に、男たちが口げんかしてる場合じゃない。彼女は真っ直ぐに修を見つめた。 「修......最後の最後に、あなたを信じる。ヴィンセントさんを任せるから、絶対に、最善の医者に診せて。彼を助けて」 修は深く頷き、安堵の息を吐くと、自らの腕でヴィンセントを抱き上げた。すぐに部下たちが受け取り、彼を連れて足早に去っていく。 若子も、そのあとを追った。 「若子!」 西也が焦って駆け寄り、叫ぶ。 「どうしてこいつに預けたんだ!?こいつは絶対に、ヴィンセントを殺す!信じちゃダメだ!」 「......さっき、彼はあなたに殺されかけたのよ」 若子は西也の手を振り払い、きっぱり言い放った。 「もういいの。これ以上話したくない。今は彼を救うことだけが私のすべてよ。だからお願い、放っておいて」 混乱と疲労で頭が真っ白だった。何もかもが絡まりすぎて、考える余裕もない。ただひとつ―ヴィンセントの命を救う、それだけだった。 それ以外のことは、あとで考える。 西也は呆然としたまま、若子が自分の手
今の若子には、他のことなんてどうでもよかった。たとえ医者が警察に通報しても、しなくても、彼女が望んでいるのは―ヴィンセントを、生かすこと。 彼がここで死んでしまったら、すべてが終わってしまう。 ヴィンセントは手を上げて、そっと若子の頬に触れた。涙を指でぬぐいながら、弱々しく笑う。 「泣くなよ......どうせ、俺たちそんなに親しくもないし。俺が死んだって、別にいいだろ」 「だめ!絶対にだめ!ヴィンセントさん、お願い、生きて......生きてよ、頼むから!」 「俺が死ねば、妹のところに行ける。だから......そんなに悲しむな。あのふたりの男、君のことすごく愛してるみたいだな。でもさ......俺は、君には幸せでいてほしい。誰かに愛されてるからって、それに縛られなくていいんだ。松本さん、男なんて、あんまり信じるなよ」 「冴島さん、目を開けて!ねぇ、お願い、開けてってば!」 若子は震える手でヴィンセントの瞼を押し開こうと必死になった。 そして、奥歯を噛み締めながら、全力で彼の体を背負い上げる。 「病院に連れてく!絶対に死なせない、私が死んでも、あなたは生きるの!マツだって、きっと同じ気持ちよ!」 そのとき、修がやっと我に返って駆け寄った。 「若子―!」 「来ないでっ!!」 若子は振り返って怒鳴りつけた。 「触らないで、修!あれだけ『撃たないで』って言ったのに、どうして聞いてくれなかったの?なんで私の話を、無視するの!?西也、あんたもよ!何も知らないくせに、勝手に撃って......ひどいよ、ふたりとも、ひどすぎる!」 怒りと絶望が入り混じった叫び声は、途中で息が続かなくなるほどだった。目には怒りの火が灯り、血の気の引いた顔には氷のような冷たさが宿っていた。彼女のその表情に、沈霆修も西也も言葉を失う。 ―まるで、憎しみを湛えているみたいだ。 「若子、俺だって、助けたかったんだよ......」西也は慌てたように言った。「この男が、まさかお前を助けたなんて......そんなの知らなかったんだ!これは、全部、誤解なんだよ!ワザとじゃない、信じてくれ!」 「どいて、もう何も話したくない。どいて!」 彼女の体は小さくても、気迫は誰にも負けなかった。全身が血と汗にまみれても、彼を背負って一歩一歩、出口へ向かおう
「大丈夫、少なくとも彼は助けに来てくれた。もう危ないことはない」 ヴィンセントは、もう死を恐れてなんかいなかった。首の皮一枚で生きる日常、いつ爆発するかわからない時限爆弾を抱えたような人生。今日死ぬか、明日死ぬか、それに大した違いなんてない。 早く死ねば、それだけ早く楽になれる。 若子は力いっぱいヴィンセントを支えて立たせると、修に向かって叫んだ。 「修、お願い―」 その言葉が終わる前に、突然、もう一組の人間がなだれ込んできた。 「若子!無事だった?こっちに来て!俺が助けに来たよ!」 西也はヴィンセントと一緒に立っている若子を見て、全身血まみれの彼女にショックを受けた。そして、反射的に銃を構え、バンバンバンとヴィンセントに向けて数発撃った。 「やめてええええええ!」 若子は喉が裂けそうなほど叫んだ。ヴィンセントが撃たれて、その場に崩れ落ちるのを、目の前で見ることしかできなかった。 「やだ......やだ!」 彼女はその場に膝をついて、苦しげに叫ぶ。 「ヴィンセントさん、冴島さん......冴島さん、お願い、死なないで、お願い......!」 「遠藤、お前ってほんと狂犬ね!」 修が彼を止めに入る。 「何やってんだ!」 「俺は若子を助けに来たんだ!彼女はいま危険だったんだぞ!それをお前は何もせずに突っ立ってただけじゃないか!何の役にも立ってない!だから俺が、夫の俺が守るって決めたんだ!」 西也は修を強く押しのけ、若子のもとへ走り出した。 「来ないで!」 若子は怒りに震えながら、西也に向かって叫んだ。 「なんで事情も知らないのに撃つの!?ひどすぎるよ!」 西也はその場で固まった。若子に責められるなんて思ってもみなかったのだ。 ―こんなこと、初めてだ。 「若子......俺は、助けたかったんだ。電話も繋がらないし、もう心配で、心配で......寝る間も惜しんで探し回って......こいつがどんな奴か知ってるのか?『死神』ってあだ名で呼ばれてる、殺しに躊躇しない化け物なんだぞ!」 「でも、彼は私を助けてくれたの。命の恩人よ。彼がいなかったら、私はもうとっくにあのギャングたちに......殺されてたかもしれない! ねぇ、あと何回言えば伝わるの!?なんでみんな、私の話を聞こうとしな
「......お前......」 修が歩み寄ろうとした瞬間、若子は彼を強く突き飛ばした。 「彼が言ったこと、間違ってなんかない!一言だって間違ってないわ!」 若子の瞳には怒りが燃えていた。 「修、私がギャングに捕まって、暴行されそうになって、殺されかけたとき―助けてくれたのはヴィンセントさんだった!......じゃああんたは?どこにいたの!? どうせあれでしょ、山田さんと手を繋いでアイス舐めあってたんでしょ?あの女の唾液を嬉しそうに食べてたんでしょ? ベッドででも盛り上がってた?私が死にかけてるときに!」 「......っ」 修は言葉を失った。 「はっきり言っておくわ。私は今、助けなんか求めてない。 今さら『心配してる』なんて顔して現れて、正義ぶらないで。全部、自己満足じゃない!」 「自己満足だって......俺は、必死にお前を探した。命がけで心配したんだぞ、それが『無駄』だっていうのか!?」 彼の叫びは、若子の怒りを前に粉々に砕けた。 「感謝するわよ、『探してくれてありがとう』って。でも、結局あんたがしたことは、私の恩人の家を爆破して、彼を傷つけたこと。 私、明日には自分で帰るつもりだった。放っておけばよかったのよ。 それをあんたが余計なことして、勝手に盛り上がって、感動して、自分に酔って―それを私が理解しないって怒る?」 「若子......お前、あんまりだ......どうして、そんなに冷たいんだ......」 修の声はかすかに震えていた。 「冷たい?じゃあ、聞くけど― さっき私が止めたよね?でもあんた、全然聞かなかった。彼に銃を向けて、撃とうとした。 あげくの果てには、『私が正気じゃない』とか言って、自分の都合で全部決めつけて......そんなあんたの努力、私がどうして感謝できるの? 修、あんたの『努力』はやりすぎなのよ」 若子は涙を拭いながら、冷たく言い放った。 「それに― 山田さんとラブラブなんでしょ? だったら彼女のそばにいなよ。なんでこっち来てまで『頑張って助けに来た』とか言ってるの?彼女、あんたの子どもを妊娠してるんでしょ?戻って、ちゃんと支えてあげなよ」 修は目を閉じ、深く息を吸った。 心の中で何かが音を立てて崩れていく。 若子の言葉は、す
「修、彼は私の命の恩人なの!絶対に傷つけさせない!誰にも彼を傷つけさせない!」 「......今、なんて言った?」 修の目が信じられないものを見るように大きく見開かれた。 「......あいつが、お前の命の恩人......だと?」 「そうよ。私が危ないところを助けてくれたのは彼なの。だから、彼を傷つけるってことは、私を傷つけるのと同じなの!」 その言葉に、修は言葉を失った。 事態は、彼の想定を完全に超えていた。 若子が何か薬を盛られて、意識が朦朧としてるんじゃないか― そんな疑念がよぎる。 けれど、彼の目にははっきりと見えていた。 若子の首筋にくっきり残った、指の跡。 明らかに暴力によるものだ。あの男がやったに違いない。 だとしたら、なんで彼女はこんなところにいるんだ? なんで家に帰らず、連絡もよこさなかった? これが「救い」だっていうのか? 「若子、わかった......まず、銃を返して。もう彼には手を出さない」 彼女の感情が高ぶっている中で下手に手を出せば、逆効果だ。 今は、冷静にするのが先。 「本当に?」 若子が疑うように問い返す。 修は静かに頷いた。 「本当だ。銃を、返してくれ」 もしこのまま彼女の手元に銃があれば、暴発の危険すらある。 若子は少し迷いながらも、ゆっくりと銃を修に手渡した。 だが、修は銃を受け取るや否や、すぐさま部下に命じた。 「囲め。あいつから目を離すな」 部下たちが一斉に動き、ヴィンセントを取り囲む。 銃口が一斉に彼へ向けられる。 「あんた......私を騙した......」 若子の叫びが響いた。「なんで......なんでそんなことができるの!?」 彼のもとへ走り寄り、その胸倉を掴む。 「やめて!銃を向けるな!お願い、彼にそんなことしないで!」 「若子、あいつはお前に何をした?」 修は彼女の肩をしっかりと掴み、必死に訴える。 「何か注射されたのか?薬を使われたのか?あいつに傷つけられたのに、なぜそこまでかばう!?病院に連れて行く、すぐに検査を―」 ―バチンッ! 乾いた音とともに、若子の平手打ちが修の頬を打った。 「藤沢修、あんたって人は......!」 「桜井さんのために私と離婚すると決めた
若子が生きていると確認して、修はようやく安堵の息を吐いた。 これまで幾度となく、彼女を探し続けるなかで何度も遺体を見つけ、そのたびに胸が潰れそうな絶望を味わった。 けれど、若子だけは見つからなかった。 代わりに、他の行方不明者ばかりが見つかった。 そして今ようやく、彼女を見つけた。 彼女は―生きていた。 だが彼女がどんな目に遭っていたのか、想像するだけで胸が痛んだ。 「修......なんであなたが......?」 若子は信じられないような目で彼を見つめた。 「どうしてここに?」 まさか来たのが修だったなんて、夢にも思わなかった。 ヴィンセントは目を細めて振り返った。 「この男......テレビに出てたやつじゃないのか?君の前夫だろ?」 若子はうなずいた。 「うん。彼は......私の前夫よ」 修が来たと分かって、若子は少しだけ安心した。 「若子、こっちに来い!」 修は焦った様子で手を伸ばした。 「修、どうしてここに......?」 「お前を助けに来たに決まってるだろ!お前がいなくなって、俺は気が狂いそうだった!」 「わざわざ......私のために......?」 若子は、てっきりヴィンセントの敵が来たのだと思っていた。 「若子、早く来い!そいつから離れて!」 「修、違うの!誤解してる!彼は......ヴィンセントって言って、彼は......」 若子が話し終える前に、修は彼女を後ろへ引っ張り、銃を構えてヴィンセントに発砲した。 ヴィンセントはまるで豹のような動きで避けたが、すぐに更なる銃弾が飛んできた。 すべての男たちが一斉にヴィンセントへ発砲を始めた。 彼はテーブルの陰に飛び込んで避けたが、ついに銃弾を受けてしまった。 「やめて!」 若子は絶叫した。 銃声が激しく響き、彼女の声はかき消されていった。 「修、やめて!」 彼女は必死に彼を掴んで叫んだ。 「撃たせないで、やめて!」 「若子、お前は何をしてるんだ!?あいつは犯罪者だぞ!お前を傷つけたんだ、正気か!?」 修には、なぜ若子がヴィンセントを庇うのか理解できなかった。 「彼は違う、彼はそんな人じゃない......!」 「違わない!」 修は彼女の言葉を遮った。 「