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幕間《1》

Author: 砂原雑音
last update Last Updated: 2025-04-05 07:00:49

【番外編:お客様色々ショートショート】

静さんと聡さんがラブラブになってから

どうも、このカフェのお客さんはカップルが増えたような気がする。

カラコロと今日もカウベルが来客を知らせてくれた。

「いらっしゃいませ」

顔を上げると、とびきり美男美女のカップルが入ってきた。

多分、新しいお客さんだ。

女性はすごく可愛らしい人だけど、なんだかぷりぷり怒ってる様子だった。

「普通する?! あんな道端で!」

ほんのり頬を赤く染めて、怒った顔もなんだか可愛らしい。

くつくつと笑いながらほんの少し後ろを歩くスーツの男性もとても綺麗な人だった。

「結構見るけどな? 路地裏だと」

「私はしないの! 最低、知らない人に見られたし」

テーブルについても女性はまだ唇を尖らせて文句ばかり連ねている。

どうも、彼氏さんが路地裏で何かして怒らせたみたいだけど。

彼氏さんの方は怒った彼女も好きで仕方ないみたいで、向い側から手を伸ばして髪を撫でるその横顔が、とても優しい。

彼女さんに、振り払われてるけど。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

なんか二人の空気を邪魔するのが申し訳ないけど、私には注文を聞かなければならないという仕事がある。

グラスを二つとんとん、と置くと彼女さんがメニューを眺めながら言った。

「これ、ブーケは好きな花を選べるの?」

「あ、はい。今はこの三つから選んでいただいてて……」

「なんだかんだ、春妃も可愛いもの好きだよな」

彼女さん……春妃さん、と

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  • 君と花を愛でながらー消えない想いを胸に閉じ込め、私はそっと春を待つー   3話 ピンクのバラの花束を《5》

    「勿論、喜んで。どれくらいの大きさにしましょうか? 予算とかありますか? 他の色味もいれます?」静さんの表情が、何かを振り切ったかのようにぱっと鮮やかに華やいだ。だから私も張り切って静さんの隣に立って他の花を見渡す。だけど彼女は、頭を振ってピンクのバラを指差した。「この花だけでいいわ、予算も気にしないから、嫌味なくらい大きな花束を作って」「嫌味なくらい、ですか」「全部使ってくれてもいいわよ」「ええっ?!」驚いて静さんの顔を思わず振り仰いだ。憂いは、もう見えない。だけど、妖艶で悪戯な表情を初めて見せる静さんに、女の私がなぜかどきどきしてしまった。 聡さんが来たのは、それから三十分が過ぎてからだった。店にもうお客様はいなくなって、そろそろクローズにするか一瀬さんに聞こうかと思い始めた頃になって、カランコロンとカウベルが鳴る。「こんばんは、綾ちゃん」へらへらと笑って入口付近で立ち止まる聡さんに、カフェ側に居た私は「いらっしゃいませ」の言葉も出ずに歩み寄る。聡さんはわざとらしく店内を見渡してから言った。「静、帰っちゃったかな? 待ち合わせだったんだけど」「もう、とっくに帰られました」あきらかに素っ気ないはずの私の声にも、懲りることなく彼はレジカウンターの中に入る私に近づいてくる。「ああ、残念行き違っちゃったかな。じゃあ、もう仕方ないし」「……」「もう、閉店でしょ。綾ちゃん、これから食事でもいかない?」それを聞いた途端、堪忍袋の緒が切れるというのはこういうことかと思うくらい、自分の中で何かが爆発するのがわかった。「静さん……ずっと、待ってたんですよ?!」お客さんがいないこともあり、つい声を荒げる私に、彼は眉を顰める。だけど完全に頭にきていて、何も見えなくなっていた。私はレジ横に置いてあった静さんに託された花束を手に取ると、彼にやや乱暴に押し付ける。ピンクの花びらが一枚、彼の足もとにひらりと落ちた。「な、なんだよこれ」「頼まれたんです! せめてそれくらい受け取ってあげてください」たかがカフェの店員に、なぜこんなことを言われなければいけないのか……不服そうに顔を歪めたのは、なんだかそれだけでは無さそうに見えた。どこか、ばつが悪そうな表情にピンと勘が働く。わざとなんだ、やっぱり。「なんで……なんで約束守らなかったん

  • 君と花を愛でながらー消えない想いを胸に閉じ込め、私はそっと春を待つー   3話 ピンクのバラの花束を《4》

    小さく舌を出して、ぷいっとそっぽを向いて離れると、片山さんの情けない声が聞こえた。「えっ、ちょっ、ごめんって」「しりませーん」と背中を向けたままカウンターに戻ると、ちょうど静さんが立ちあがったところだった。「あっ、おかえりですか?」「ええ、今から映画を見に行く予定なの。篠原監督の、ほら」「あっ、戦場のバラ? テレビでもすごく宣伝してますよね!」いいなあ、とうらやましく見つめると、静さんは嬉しそうに笑って聡さんの腕を引く。「早く行こう? 始まっちゃう!」「はいはい。……俺、恋愛モノって全く興味なんだけどなあ」彼はすこぶる面倒くさそうに言いながら、丁度の金額をカウンターの上に置いた。そんな様子にも、静さんは嬉しそうに頬を綻ばせる。「ありがとうございました」必要以上にくっつくこともなく、ただ隣で彼の袖にそっと触れる……それだけなのに。あの人が連れてる他の女性の誰よりも、幸せそうに笑ってる。温度差を感じてただただ、苦しい、そんな二人の背中を見送った。静さんがいつもと違う様子で店を訪れたのは、それから一週間後のことだった。「いらっしゃいませ」私が笑顔で迎えると、いつも通りに笑ってはくれた。だけど、それはどこか弱々しく覇気がなく、いつもならカウンターに座るのに、今日は窓際のテーブル席だった。「今日は、待ち合わせですか?」「そうなの。ちゃんと来るかしらね……」水のグラスを目の前に置いて尋ねると、肩を竦めて冗談ぽく言ったけど。来ますよ、当然じゃないですか、って。その場しのぎの慰めみたいで口に出すのを躊躇ってしまった私を、静さんが見上げて笑った。「なんで綾ちゃんが泣きそうなのよ」「えっ? いえ、そんなことないですよ?」「すごく心配って顔に書いてある」私って、そんなに顔にでるのかな?「すみません」と頬を摩りながら悄然としていると、クスクス笑われてしまった。「あの人、約束は破ったことないのよ。ただ、今日は大事な話があるって言ったから……逃げるかもねって、思っただけ」「そう、なんですか」当然、どんなお話なのか尋ねるわけにはいかないから相槌だけ打ったけれど、もしかして別れ話だろうかと気になって仕方がない。だけど静さんからはそれ以上話は続かず、ホットミルクのオーダーを承って会話は終わってしまった。カウンターからテーブル席を見

  • 君と花を愛でながらー消えない想いを胸に閉じ込め、私はそっと春を待つー   3話 ピンクのバラの花束を《3》

    私の表情が固まったことに片山さんが気付いたのか、ふっと我に返ったように目を見開いた。慌てて作業台から腰を離し取り繕うように言葉を繋ぐ。「……悪い、意地悪言うつもりじゃなかったんだよ。ただ、あんまり感情移入したら綾ちゃんがしんどいだろうって」「いいえ、本当のことだし」「余計なこと言った、ごめん」いつも揶揄するような言い方をしてもどこか優しい片山さんが、明らかに苛立ちを滲ませたことに私も少し驚いた。けれど、こうして私よりずっと背の高い人が素直に項垂れるのを見ると、怒る気もほんの少し傷ついたこともすぐに薄れてしまった。「大丈夫ですよ、ほんとのことだし」「ごめんって」笑顔で首を振って大丈夫だと言ったのに、片山さんは眉を下げ切なげに目を細めていた。「……まだ、『悠くん』のことが好きだったりすんの?」「えっ……」そんな表情で近づかれたら、私の失恋でそんなに心配をかけてしまってるのかな、と私の方が申し訳なくなってしまう。私は俯いて、片山さんの問いかけの答えを探した。悠くんのことは今も好きだけど、それは本当に恋だったのかなと今になるとよくわからない。「好きですけど……恋とはもう、違うような気がします」静さんと話すようになってふと考えたことがある。苦しくても想い続けたり傍に居続けるなんて、私にはとてもできなかったし考えもしなかった。静さんの恋に比べて自分の気持ちはとても幼く、本当に恋だったのかとさえ思ってしまう。「自分でも、よくわからないですけど。悠くんの顔を見ても、もう割とへっちゃらだし」いつかまた、誰か好きになったら……その時に、今はわからないことも理解できるようになる、そんな気がする。だから今は案外前向きなのだと笑顔で顔を上げたら、思ったよりも近い距離に片山さんが立っていた。「……だったら、いいけど」急になれない雰囲気に飲みこまれて、後ずさりもできなかった。厨房の明りが片山さんの真後ろにあり、表情に陰りを作る。何もされているわけじゃないのにひどく威圧を感じるのは、目の前の人が急に「男の人」に見えたから。「静さんに感情移入しすぎて、失恋の傷も癒えてないだろうにって思ったら……」心配でさ。と小さく付け足した片山さんを見上げて、私は言葉を探すこともできず身動き一つできなかった。片山さんの手が近づいてきて、ああ、大きな手だなって

  • 君と花を愛でながらー消えない想いを胸に閉じ込め、私はそっと春を待つー   3話 ピンクのバラの花束を《2》

    「綾ちゃんは、いつがお休みなの?」「毎日フル出勤です」「へえ、そっか。じゃあ定休日、いつだっけ?」「……水曜です」これは答えないわけにはいかなくて、渋々といった調子をわざと見せて言うけれど。「じゃあ、水曜なら遊びに行けるんだ」「行けません」「冷たいなあ。でも夜だったら尚更誘ってもきてくれないでしょ?」にこにこと笑って勝手に話をつなげる、この人にはまるで通じない。仏頂面で目も合わせないでいると、お手洗いから静さんが戻ってきていた。「もう、聡……また綾ちゃんに迷惑かけてたの?」「違うよ、ちょっとからかってただけ」困ったように眉尻を下げる静さんが、私に「ごめんね」と両手を合わせた。私は笑って顔を横にふるけれど……。からかってただけ?!よく言う!と、飄々と言ってのける男を睨んだ。静さんが居ない時、しょっちゅう私に話しかけて食事だなんだと誘うくせに。それだけじゃない、他にもいろんな女の人とここへ来る。少し前には、休日の朝早い時間帯にショートカットの女性とやってきた。珍しい時間帯だな、と思っていると片山さんが言ったのだ。『あー……ありゃ、朝帰りかな』女性の細い腰を抱いて密着して入ってきた様子を思い出すと、腹が立って今すぐここでぶちまけてやりたいと思ってしまう。言わないのは、静さんが悲しむのがわかってるからだ。彼女と歩く時、この二人はそんなにベタベタくっついて歩いたりはしない。他の女の人とそんな風に歩いてると知ったら……傷つくに決まってる。カラコロとカウベルが鳴って、お客様かと思ったら一瀬さんがビニールの袋をぶら下げて入ってきた。カウンターに座る二人を見て、薄く微笑むと「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」と挨拶を交わしながらカウンターまで辿り着き、私は野菜の入ったビニールを受け取ろうと手を差し出す。「買い出しお疲れ様です」「いいえ。ホールお任せしてすみません」ビニール袋が手渡される瞬間、不意に顔が近づいて一瞬どくんと心臓が鳴った。「何もありませんでしたか?」小声でそう尋ねられても、妙に狼狽えてしまった私はただ瞬きをして「えっと、何も?」と大した返事もできなかった。何か、っていうのが何をさしているのかもよく理解できなくて。それでも一瀬さんは納得したのか、一度頷くと「何もないならいいです。すみませんが

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