もしも命の危機に陥り、家族の助けが間に合わないとしたら、誰に頼る? 誰だとしても、一つだけ覚えておいてほしい。この社会には、善人の顔をして近づいてくる悪魔がいる。 2022年5月6日。 その日、私は目の前で殺人事件を目撃した。 被害者は向かいの部屋に住む一人暮らしの女性。 その夜、残業を終えて家に戻ったのは深夜1時を回った頃だった。向かいの部屋だけが煌々と明かりをつけたままで、不気味なほど目立っていた。 牛乳を飲みながら窓辺に立っていた私の目に、信じられない光景が飛び込んできた。 ベッドの下から、黒いマスクをした男が這い出してきたのだ! その男は、背後から彼女の口を押さえつけると、そのまま抵抗を許さず力で押さえ込んだ。 私は凍りついた。彼女の宙を蹴る足が目に焼き付く。震える手で警察に電話をしたが、15分かかるという回答。だが、それでは遅かった。 男は、彼女をそのまま絞め殺してしまったのだ。 その瞬間、男が窓の外を見上げた。 私は慌てて壁の影に身を潜め、心臓の鼓動が耳を打つのを感じた。 サイレンの音が響き始め、ようやく窓からそっと顔を出してみると、そこにはもう誰の姿もなかった。
警察は犯人を取り逃がした。 古いアパートには防犯カメラもなく、通路や道に監視の死角が多い。 犯人がどうやって逃げたのか、誰も分からない。 後の調査で分かったことは、彼女は殺された後に辱められたこと。そして彼女が妊娠していたことだ。一つの死が、二つの命を奪った。 私も彼女とはそこそこ親しかった。だからこそ、妊娠していたと知って驚いた。 彼女は内気でおとなしく、外に出ることも少ないタイプ。男性を家に呼んだ様子なんて一度も見たことがない。それなのに、どうして……? 事件後、アパート全体が恐怖に包まれた。住人たちは防犯窓や鍵を次々と取り付け、特に独身女性たちは防犯スプレーを肌身離さなくなった。 こうして厳重な警戒が続く中、2か月が過ぎた。しかし、犯人はその間まるで姿を消したかのように静かだった。 やがて人々は日常に戻り始めた。 だが、それは嵐の前の静けさだった。 私にも、恐ろしい出来事が起き始めた。 生理が2か月以上来ていないことに気づき、親友の奈々美(ななみ)に相談のメッセージを送った。 奈々美とは学生時代からの仲で、何でも話せる相手だ。東京での生活がうまくいかず、地元に戻るよう説得してくれたのも彼女。さらに新しい仕事まで紹介してくれた。 今回も話を聞いてもらおうとしたが、奈々美は少し嬉しそうに言った。 「咲良(さくら)、もしかして妊娠してるんじゃない?新しい彼氏くらい紹介してよ」 私は笑って答えた。 「何言ってるの!男なんて興味ないし、2年も彼氏なんかいないよ!」 奈々美は割れたハートのスタンプを送ってきてから、冗談めかして言った。 「いいなあ。私は誰からも相手にされないし、子どもだって産めないのに……」 その言葉に、私はハッとした。 学生時代、奈々美は不良に硫酸をかけられて顔に大きな傷を負った。 そのせいで自信を失い、さらに卒業後、最低な男に騙されて心も体も傷ついた。中絶を何度も繰り返し、妊娠できない体になってしまったのだ。 私はすぐに奈々美に謝った。 彼女をなだめるのにずいぶん時間がかかったけれど、ようやく機嫌を直してくれた。 その後、私は妊娠検査薬を買いに行った。 そして……スティックに浮かび上がった二本の線を見た瞬間、目を見開いた。 本当に妊娠している?
動揺した私は、気持ちを落ち着けるために洗面所に向かい、顔を洗った。 それでも落ち着かず、再びベッドに戻った時、妙なことに気づいた。 妊娠検査薬の向きが変わっている。 スティックの先端はさっきまで窓の方を向いていたはずなのに、今は私の方を向いている。 窓は閉め切っているし、風が入るはずもない。 今夜はおかしなことが続いている。 妊娠が発覚したかと思えば、スティックの向きが変わるなんて――本当に誰かがこの部屋にいるのだろうか? 私は部屋を見回した。人が隠れるとしたら、ここしかない――私が座っているこのベッドの下だ。 心臓が早鐘のように鳴り響く。 見るべきか、それとも見ないべきか? 確認しないと不安で一晩眠れない。でも、もし本当に誰かがいたら……私はどうすればいい? ベッドサイドに小さな手鏡が置いてある。 私はそっとそれを手に取り、ベッドの下に向けた。 部屋は静まり返っている。時計の「カチ、カチ」という音だけが響く中、私の呼吸音が次第に大きくなる。 その時だった。もう一つ、別の呼吸音が聞こえた気がした。 二つの呼吸が交じり合うように響いている。 手が震え、鏡を持つのがやっとだ。 そして、突然、鏡が部屋の光を反射し、ベッドの下を照らした―― そこに映ったのは、ギョロリとした目玉だった。 その目が、鏡越しに私をじっと見ている! 濁った眼球。白目がむき出しで、恐ろしいほど不気味だ。 その目、私は見覚えがあった――今日の午後、大家の顔にあったものだ! 私を妊娠させたのは、この男だったのか? 恐怖と怒りで全身が震えた。 鏡越しに、大家は口元を歪め、黄ばんだ歯を剥き出しにして笑っていた。そして、ゆっくりとベッドの下から這い出てきた。 「何してるのよ!警察を呼ぶわよ!」 私が叫ぶと、彼は舌で上の歯を舐めながらニヤリと笑った。 「警察?警察に通報してお前に何の得がある?考えてみろよ。お前、この部屋の家賃が月2万4千円だろ?市場価格なら5万円だ。その差額の2万6千円は何のためにあると思う?」 そう言いながら、彼はベッドに這い上がってきた。 彼の爪に詰まった汚れまでがはっきり見える。 「妊娠だなんてな。男なんていないって言ってたのに、実はお盛んなのか?よし、今夜俺と一回
「ドン、ドン、ドン」 三回。 落ち着いた、しかし力強いノック音。 私は救世主が現れたかのような希望を感じた。必死に声を出そうとするけれど、口がガムテープで塞がれている。喉の奥からかすかな唸り声を上げるのが精一杯だった。 「いますか?うちの排水溝が詰まってしまって、工具を借りたいんですけど」 隣人の声だ。 彼は2か月前に引っ越してきたばかりの人で、ほとんど面識はない。だが今、この状況で彼だけが頼れる唯一の存在だった。 私はベッドサイドのランプを蹴り飛ばした。ランプが床に落ち、ガラスが割れる大きな音が響く。 大家が怒りを爆発させ、私に思い切り平手打ちをくらわせた。 「大丈夫ですか?」 ドア越しに隣人が声をかけてくる。 声を出したいのに、喉が詰まるような息しか出せない。 すると、突然ドアが激しく音を立てて開いた。 隣人が勢いよく部屋に飛び込んできた。 目の前の光景を見た彼は一瞬だけ硬直したが、すぐに冷静な口調で言った。 「やっぱり……お前があの殺人犯だな」 「違う!俺じゃない!」 大家は声を張り上げたが、明らかに動揺していた。 私は思い出した――殺されたあの女性の部屋の大家も、確かこの醜い男だったはずだ。 隣人は冷静に続ける。 「今夜お前がやったことだけでも、警察が疑わない理由なんてない。もう逃げられないぞ」 隣人の言葉に焦りを感じたのか、大家は形勢が悪いと悟ったらしく、ドアを開けて逃げ出した。隣人は大家を追いかけなかった。そしてすぐにこちらに駆け寄り、私の口に貼られたガムテープを剥がしてくれた。 私は命拾いした安堵から、何度も隣人にお礼を言った。 その後、警察を呼び、部屋の証拠を採取してもらい、隣人と共に事情聴取を受けた。 警察によると、大家は以前の事件に関与している可能性が高いとのこと。現在、捜査と追跡を進めており、逃亡した大家が私に報復する恐れがあるため、しばらくの間は特に警戒するように言われた。 警察が帰った時には、すでに深夜2時を過ぎていた。 実は、隣人とはこれまでほとんど話したことがなかった。ただ、彼が画家だということくらいは知っている。 改めて彼にお礼を伝えた。 「あなたが来てくれなかったら、今夜で私の命は終わっていたかもしれません。明日にはこ
隣人の部屋は広くはないけれど、とても整然としていた。 部屋の雰囲気を見回しながら、ふと疑問が浮かぶ。 彼は身なりも上品で、決してお金に困っているようには見えないのに、どうしてこんな古いアパートに住んでいるのだろう?このアパートには、ほとんど地方から働きに来た人たちが住んでいて、あまり裕福ではない。 私の疑問を察したのか、彼は白い歯を見せて笑った。 「君、どうして僕がここに住んでいるのか不思議に思ってるだろう?」 私は頷いた。 「僕は画家なんだ。描いているのは人生の百景さ。このアパートには、いろんな人間模様が詰まっている。 迷い、信念、堕落、希望――ここではそういうものがすべて見られるんだ」 「なるほど……」 私は密かに感心した。やっぱり芸術家の視点は、私たち普通の人間とは違うものなのだ。 彼はキッチンに行き、水を用意してくれるという。 その間、私は手を洗おうとバスルームに入った。 洗面台には大きな鏡がかかっている。 その鏡の端には、頻繁に触られたような擦れた跡がある。 気になって近づき、じっくりと見ようとしたその時―― 鏡に映る彼の姿が突然現れ、私は飛び上がりそうになった。 彼は私の背後に立っていて、穏やかに声をかける。 「お腹空いてない?何か作ろうか?」 「いいえ、大丈夫です。ありがとう。それより、トイレをお借りしてもいいですか?」 彼はすぐに返事をせず、じっと私を見つめて数秒間沈黙した。 その視線に少しだけ眉をひそめ、「無理なら大丈夫です」と言いかけたところで、彼が微笑んだ。 「いや、構わないよ。どうぞ」 そう言いながら、彼は親切にもドアを閉めてくれた。 私はドアをロックし、鏡に目を戻した。 鏡の下部に小さなボタンのようなものがあるのを指で触れる。 ――やっぱり、この鏡には何か仕掛けがある。 恐る恐るそのボタンを押してみた。 すると、鏡が音を立てて動き出し――次の瞬間、目の前に現れたのは衝撃的な光景だった。 それは、私のバスルームだった。 この鏡は私のバスルームと繋がっている。 バスルームのドアが開いていれば、なんと寝室まで見渡せる構造だ! 彼はこの鏡を通して私を覗いていたのだ。そして、あの大家が襲おうとした瞬間も見ていたからこそ、タイ
私は自分に冷静になるよう言い聞かせ、トイレの水を流した。 その後、手を洗うふりをしながら鏡を元に戻した。 ドアを開けると、彼はちょうどドアの前に立っていた。 私は微笑んでみせたが、内心はすっかりパニック状態だった。 その時、彼がチラリとトイレの中を一瞥するのを余目で捉えた。 リビングに戻ると、ソファの前には私のために用意されたコップの水が置かれていた。 けれど、その水を口にする勇気はなかった。中に何か仕込まれているかもしれないと思うと怖くて仕方なかったからだ。 彼はじっと私を見つめている。 その視線が耐えきれなくなり、私は言った。 「えっと……急に思い出したんですけど、ちょっと取りに戻らないといけないものがあって」 そう言い残し、私は急いでドアに向かった。 ここは危険だ。一刻も早く出て行かなくては。 しかし、ドアノブを回しても――ドアはまったく開かなかった。 どういうこと? 「このドアは僕の指紋じゃないと開かないんだ」 彼は笑みを浮かべながらこちらに歩み寄る。 冷や汗が額を伝い、ポタリと滴り落ちた。 「どうしたんだい?汗をかいてるね。暑いのかな?」 彼は心配そうな顔をして尋ねてくる。 「いえ、平気です」 唾を飲み込むのがやっとだった。 「何を取りに行くつもりだったの?僕が代わりに取ってこようか」 彼の目は髪に隠れてほとんど見えなかった。そのため彼の表情を読み取ることはできなかったが、私は悟った。 ――この場で冷静さを失ってはいけない。 彼に、私が鏡の秘密を知ってしまったと気づかれてはいけない。 もし彼がそれを察したら、何をしでかすかわからない。 「……布団を取りに」 「そうか、それなら僕が取ってきてあげる。君はここで待っていて。戻るのは危険だからね」 「わかりました」 私は頷き、彼が部屋を出て行くのを見届けた。 ドアが閉まるのを確認すると、私は急いでスマートフォンを取り出し、警察に通報した。 それでも目をドアから離すことはなく、彼がいつ戻ってくるかと緊張が走る。 「もしもし、警察ですか?助けてください、私は危険な状況にいます。場所は……プツッ……」 言い終わる前に、突然スマートフォンの電波が消えてしまった。 信じられない。どうして…
隣人の部屋は2LDKで、一部屋は寝室、もう一部屋は書斎として使われているようだった。 さっき、書斎の中をちらりと見た時、大小さまざまな絵が飾られているのが目に入った。 じっくり見る余裕はなかったけれど、それらの絵はどこか「歪んだ」という印象を受けた。 今は静かに救助を待つべきだ――そう自分に言い聞かせるものの、どうしても気になって仕方がない。 私はそっと書斎に足を踏み入れた。 月明かりが窓から差し込み、部屋の中には絵が隙間なく並べられている。 イーゼルには描きたての絵が一枚。月光の下でアクリル絵の具がまだ乾ききっていないのがかすかにわかる。 凹凸のある絵の具が、その絵をより一層奇妙に見せていた。その絵は一人の顔の一部――女性の口元だけを描いたものだった。 少し開いた唇。隣人の技術は非常に高く、絵の中から舌が震えているかのような動きまで伝わってくる。まるで助けを求めているようだ。 そこには圧倒的な感情が込められている。 ――それは、絶望だった。 さらに、壁に立てかけられて散らばっている他の絵にも目を向けた。 それらも全て人間の顔の一部――目、鼻、口――いずれも同じ人物のもののように見えた。 不思議な衝動に駆られ、それらのパーツを顔の上に配置するように順番に並べてみる。 そして最後の一枚――大きく見開いた瞳を配置すると、全体像が完成した。 それは、向かいの部屋で殺された女性の顔だった。 死の直前、彼女が見せた絶望の表情そのものだ。 独り暮らしの女性。 覗き見される日常。 そして妊娠という異常な状況。 あまりにも共通点が多い――多すぎる…… 全身の血が凍りつくようだった。 大家はただ私を襲おうとしていただけ。 でも、真の殺人犯はこの隣人だったのだ。 彼があの女性を殺したに違いない―― 私は急いでスマホを取り出し、再び警察に電話をかけた。 しかし、スマホには相変わらず「圏外」の表示が出ている。 おかしい。どうしてこのフロアだけ電波が届かないの? まさか、電波を妨害する装置でも設置されているのだろうか? 焦りと恐怖で、まるで針のむしろに座っているように身動きが取れない。 体は震え、冷や汗が止まらない。 その時―― 月明かりに照らされた床に、黒い影
ちらりと腕時計を見た。 さっき未完の通報をしてから、まだ10分しか経っていない。 警察はこれまで15分以内に到着している。 もし今回も異常に気づいて急行してくれているなら、少なくともあと5分はかかる。 ――その5分間があれば、彼は私を殺すのに十分すぎる時間だ。 「あなた、私を覗いていた……」 何とかして時間を稼がなければ。警察が到着するまで持ちこたえるしかない。 「はは、君は僕が思っていた以上に賢いね」 彼は笑った。その笑顔は、無邪気な少年のように見える。 けれど、その人畜無害な外見の裏に、こんな歪んだ覗き魔が隠れているなんて誰が想像できただろうか。 「僕はただ君を覗いていただけじゃないよ。君と寝たんだ。毎晩、2か月間ずっとね」 その言葉に胃の奥がひっくり返るような気持ち悪さを覚えた。 ――本当に妊娠していた。しかも、その父親はこの殺人鬼…… 涙が自然と溢れ出た。 「君の大家は粗忽者だね。彼の鍵を盗むなんて簡単だったよ」 彼は私の首に手を伸ばし、ゆっくりと力を込め始める。 全身の毛穴が開くような恐怖に包まれた。 「君は知っているかい?女性の体以上に美しいものが、この世に存在するってことを」 彼はそう言って問いかける。 私は震える声で首を横に振った。 彼はまた笑う。 「それはね、女性がゆっくり死んでいく時の顔だよ。歪む五官――これこそが、この世で最も偉大な芸術なんだ」 「この狂人が!」 怒りが込み上げ、私は叫んだ。こんなの、どこが芸術だ。人の命を奪って成り立つなんて、あり得ない。 だが、彼は怒るどころか、ますます興奮しているようだった。 「君は知らないだろう?芸術家と狂人の本質的な違いを。 それは――不朽の名作を作ることさ!偉大な作品をね!」 もう13分経った。 あと2分――警察が来てくれるかもしれない。 彼の手が私の首をがっちりと掴み、息ができなくなる。 私は全力で彼の弱点を狙い、膝で彼の急所を蹴り上げた。 彼は苦痛に呻きながら私の首から手を放した。彼が一瞬手を緩めた隙をついて逃げ出そうとしたが、すぐに捕まってしまった。 彼は容赦なく私の頬を平手打ちした。顔に激痛が走り、頭がくらくらする。 それでも歯を食いしばり、私は時間を稼ごうと
だが、思いもしなかったのは――奈々美がいきなりナイフを手に取り、私に向かって突き刺してきたことだった。 ――私たちは親友だったはず。なのに、どうして? どうして彼女が私を殺そうとするの? 奈々美の目は血走っていて、怒りと狂気に満ちていた。 「彼は変態なんかじゃない。彼は芸術家よ」 彼女の言葉が理解できなかった。 何を言っているのか、一つもわからない。私はその場に立ち尽くし、奈々美のナイフから身をかわすことも忘れていた。 その時――一つの影が私の前に飛び出してきた。 それは昴だった。彼は私を守るために、奈々美のナイフを腹に受けた。 ナイフが彼の体に深々と刺さるのを目の当たりにし、私は愕然とした。 ――この男は、私が殺人犯の共犯だと疑った相手なのに。どうして彼が、私をかばったの? 全く状況が理解できない。 昴はナイフを押さえながら、奈々美の肩にもたれかかり、かすれた声で言った。 「奈々美、やめるんだ……これ以上、誰も殺さないでくれ……」 奈々美は、倒れ込む昴を見つめていた。 その表情は、懊悔と心の痛みから、やがて決意と怒りへと変わっていった。 「昴、あなたまで私を裏切るのね……みんな、みんな死んでしまえばいいのよ!」 彼女の叫び声はヒステリックで耳をつんざくようだった。 私はこれ以上考える余裕もなく、本能的に逃げ出そうとした。 しかし、ドアはすでに施錠されていて、いくら試しても開かなかった。 奈々美は狂気を含んだ笑みを浮かべ、低く笑った。 「お兄さんは変態なんかじゃないわ。彼は偉大な芸術家だったのよ。あんたがそんな風に彼を侮辱するべきじゃなかったのよ」 彼女の言葉には狂気じみた確信が感じられた。 「もしあの夜、あなたが死んでいたら、彼はこの世で最も偉大な芸術家になれたのよ」 奈々美の顔は苦しみと憎しみが入り混じった狂気の表情になっていた。 「彼は私の異父兄なの。私たち、母親と彼女の愛人が一緒に過ごしていたあの部屋に、マジックミラーを取り付けて、こっそり覗いていたのよ」 「私はそこで母親を殺したの。そして彼が後始末をしてくれたの。警察を騙して、犯人は母親の愛人だと思わせたの」 その衝撃的な言葉に、私は全身が震えた。 「あなたたち、兄妹だったの?……それに、母
奈々美が部屋に入ってくると、じっと私を見つめた。 左頬の下部はまるで隕石が衝突したように深い傷跡があり、白熱灯の光がその顔を陰影で強調している。どこか恐ろしさを感じさせる光景だった。 私は彼女をバスルームに連れて行き、マジックミラーを見せた。 そして、あの夜に起こった全ての出来事を話した。 それまで私は、あまりにも恥ずかしい内容だったため、この話を彼女には詳しくしていなかった。 奈々美も、私が殺人犯に襲われ、警察に助けられたことしか知らなかったはずだ。 話を終えると、彼女は突然尋ねた。 「どうして彼が変態だって言うの?」 ――なぜそこを気にするの? 「だって、彼は人を殺して、死体まで冒涜したのよ!あんな奴、地獄に落ちるべきだわ。変態に決まってる!奴の家族も同じ!」 犯人を思い出すと怒りが抑えきれなくなり、胸の奥から憤りが込み上げてくる。 本当に奴を八つ裂きにしてやりたい気分だった。 そんな私を奈々美はじっと見つめていたが、次の瞬間、視線をドアの方に向けた。 「警察を呼びなさい」 私は慌ててスマホを取り出したが――またもや「圏外」。 その瞬間、あの隣人が使っていた電波妨害装置のことを思い出した。 その時、不意に目に飛び込んできたのは、ドア口に立っている一人の男だった。 彼はこちらをじっと見つめている。 ――奈々美が入ってきた時、ドアを閉めていなかったの? 「昴、どうしてここに?」 奈々美が男に向かってそう言った。 ――昴?彼が奈々美の婚約者なの? 突然、「ガチャン」と大きな音を立てて、彼はドアを閉めた。そして、その場でドアを塞ぐように立ちはだかった。 「何をするつもりなの!」 私の心臓は喉元まで跳ね上がり、彼を警戒する目で見つめた。
後に知ったことだが、私の命を救ったのは、あの捜索犬だった。 犬は人間よりもはるかに敏感な聴覚と嗅覚を持ち、私の救助を呼ぶ声を聞きつけ、鏡に向かって激しく吠えていたのだ。そのおかげで警察が隣の部屋に私がいることを察知し、間に合ったのだった。 隣人はその場で逮捕され、向かいの部屋の殺人についてもすべて自供した。 ただし、共犯については完全に否定した。 「僕は芸術家だ。人と協力するなどプライドが許さない」とのことだった。 一週間後、彼は刑務所内で自殺した。 警察は彼の遺書を発見した。その中にはこう記されていた。 「偉大なる芸術家に、世の俗なる裁きなど不要なり」と。 あの夜の出来事を思い返すと、今でも震えが止まらない。 私はすぐに以前のアパートを引き払い、別の住まいを探した。 だが、その時の恐怖のせいで心身は大きく消耗し、妊娠していた子どもは流産してしまった。 医者には「今後、習慣性流産の可能性がある」と告げられた。 その瞬間、私は絶望の底に突き落とされた。 隣人への激しい怒りと、そして自分自身の弱さへの憤り――東京で生きていけず、地元に戻ったことへの後悔が渦巻いた。 一か月後、奈々美が結婚すると知らせてきた。 その話に驚かされた。 顔に傷を負い、さらに妊娠できない体になったことで、彼女は長い間自信を失い、孤独だった。私だけがその間、ずっと彼女を励まし続けてきたのだ。 彼女が結婚するなんて――本当に心から嬉しく思った。 奈々美はこう言った。 「隣の部屋がちょうど空いたのよ。前に住んでた女の子が数日前に引っ越したから、今度あなたが住んでみない?ここは安全だし、私も近いから一緒にいられるわよ」 さらに、彼女は続ける。 「うちの彼がその隣の大家さんと知り合いでね。家賃も安くしてくれるって言ってたわ」 彼女の言葉は愛情に満ちていた。 「私は今までずっとあなたに助けてもらったから、これくらいお返ししたいのよ」 私は結局その部屋に引っ越すことにした。 引っ越しの日、奈々美が心配そうに私を見つめて言った。 「あんた、こんなに綺麗なんだから、一人暮らしは気を付けてね」 彼女の左頬には硫酸でつけられた無数の傷跡が、月明かりに浮かび上がる。 「大丈夫だよ!心配しないで」 私は笑っ
ちらりと腕時計を見た。 さっき未完の通報をしてから、まだ10分しか経っていない。 警察はこれまで15分以内に到着している。 もし今回も異常に気づいて急行してくれているなら、少なくともあと5分はかかる。 ――その5分間があれば、彼は私を殺すのに十分すぎる時間だ。 「あなた、私を覗いていた……」 何とかして時間を稼がなければ。警察が到着するまで持ちこたえるしかない。 「はは、君は僕が思っていた以上に賢いね」 彼は笑った。その笑顔は、無邪気な少年のように見える。 けれど、その人畜無害な外見の裏に、こんな歪んだ覗き魔が隠れているなんて誰が想像できただろうか。 「僕はただ君を覗いていただけじゃないよ。君と寝たんだ。毎晩、2か月間ずっとね」 その言葉に胃の奥がひっくり返るような気持ち悪さを覚えた。 ――本当に妊娠していた。しかも、その父親はこの殺人鬼…… 涙が自然と溢れ出た。 「君の大家は粗忽者だね。彼の鍵を盗むなんて簡単だったよ」 彼は私の首に手を伸ばし、ゆっくりと力を込め始める。 全身の毛穴が開くような恐怖に包まれた。 「君は知っているかい?女性の体以上に美しいものが、この世に存在するってことを」 彼はそう言って問いかける。 私は震える声で首を横に振った。 彼はまた笑う。 「それはね、女性がゆっくり死んでいく時の顔だよ。歪む五官――これこそが、この世で最も偉大な芸術なんだ」 「この狂人が!」 怒りが込み上げ、私は叫んだ。こんなの、どこが芸術だ。人の命を奪って成り立つなんて、あり得ない。 だが、彼は怒るどころか、ますます興奮しているようだった。 「君は知らないだろう?芸術家と狂人の本質的な違いを。 それは――不朽の名作を作ることさ!偉大な作品をね!」 もう13分経った。 あと2分――警察が来てくれるかもしれない。 彼の手が私の首をがっちりと掴み、息ができなくなる。 私は全力で彼の弱点を狙い、膝で彼の急所を蹴り上げた。 彼は苦痛に呻きながら私の首から手を放した。彼が一瞬手を緩めた隙をついて逃げ出そうとしたが、すぐに捕まってしまった。 彼は容赦なく私の頬を平手打ちした。顔に激痛が走り、頭がくらくらする。 それでも歯を食いしばり、私は時間を稼ごうと
隣人の部屋は2LDKで、一部屋は寝室、もう一部屋は書斎として使われているようだった。 さっき、書斎の中をちらりと見た時、大小さまざまな絵が飾られているのが目に入った。 じっくり見る余裕はなかったけれど、それらの絵はどこか「歪んだ」という印象を受けた。 今は静かに救助を待つべきだ――そう自分に言い聞かせるものの、どうしても気になって仕方がない。 私はそっと書斎に足を踏み入れた。 月明かりが窓から差し込み、部屋の中には絵が隙間なく並べられている。 イーゼルには描きたての絵が一枚。月光の下でアクリル絵の具がまだ乾ききっていないのがかすかにわかる。 凹凸のある絵の具が、その絵をより一層奇妙に見せていた。その絵は一人の顔の一部――女性の口元だけを描いたものだった。 少し開いた唇。隣人の技術は非常に高く、絵の中から舌が震えているかのような動きまで伝わってくる。まるで助けを求めているようだ。 そこには圧倒的な感情が込められている。 ――それは、絶望だった。 さらに、壁に立てかけられて散らばっている他の絵にも目を向けた。 それらも全て人間の顔の一部――目、鼻、口――いずれも同じ人物のもののように見えた。 不思議な衝動に駆られ、それらのパーツを顔の上に配置するように順番に並べてみる。 そして最後の一枚――大きく見開いた瞳を配置すると、全体像が完成した。 それは、向かいの部屋で殺された女性の顔だった。 死の直前、彼女が見せた絶望の表情そのものだ。 独り暮らしの女性。 覗き見される日常。 そして妊娠という異常な状況。 あまりにも共通点が多い――多すぎる…… 全身の血が凍りつくようだった。 大家はただ私を襲おうとしていただけ。 でも、真の殺人犯はこの隣人だったのだ。 彼があの女性を殺したに違いない―― 私は急いでスマホを取り出し、再び警察に電話をかけた。 しかし、スマホには相変わらず「圏外」の表示が出ている。 おかしい。どうしてこのフロアだけ電波が届かないの? まさか、電波を妨害する装置でも設置されているのだろうか? 焦りと恐怖で、まるで針のむしろに座っているように身動きが取れない。 体は震え、冷や汗が止まらない。 その時―― 月明かりに照らされた床に、黒い影
私は自分に冷静になるよう言い聞かせ、トイレの水を流した。 その後、手を洗うふりをしながら鏡を元に戻した。 ドアを開けると、彼はちょうどドアの前に立っていた。 私は微笑んでみせたが、内心はすっかりパニック状態だった。 その時、彼がチラリとトイレの中を一瞥するのを余目で捉えた。 リビングに戻ると、ソファの前には私のために用意されたコップの水が置かれていた。 けれど、その水を口にする勇気はなかった。中に何か仕込まれているかもしれないと思うと怖くて仕方なかったからだ。 彼はじっと私を見つめている。 その視線が耐えきれなくなり、私は言った。 「えっと……急に思い出したんですけど、ちょっと取りに戻らないといけないものがあって」 そう言い残し、私は急いでドアに向かった。 ここは危険だ。一刻も早く出て行かなくては。 しかし、ドアノブを回しても――ドアはまったく開かなかった。 どういうこと? 「このドアは僕の指紋じゃないと開かないんだ」 彼は笑みを浮かべながらこちらに歩み寄る。 冷や汗が額を伝い、ポタリと滴り落ちた。 「どうしたんだい?汗をかいてるね。暑いのかな?」 彼は心配そうな顔をして尋ねてくる。 「いえ、平気です」 唾を飲み込むのがやっとだった。 「何を取りに行くつもりだったの?僕が代わりに取ってこようか」 彼の目は髪に隠れてほとんど見えなかった。そのため彼の表情を読み取ることはできなかったが、私は悟った。 ――この場で冷静さを失ってはいけない。 彼に、私が鏡の秘密を知ってしまったと気づかれてはいけない。 もし彼がそれを察したら、何をしでかすかわからない。 「……布団を取りに」 「そうか、それなら僕が取ってきてあげる。君はここで待っていて。戻るのは危険だからね」 「わかりました」 私は頷き、彼が部屋を出て行くのを見届けた。 ドアが閉まるのを確認すると、私は急いでスマートフォンを取り出し、警察に通報した。 それでも目をドアから離すことはなく、彼がいつ戻ってくるかと緊張が走る。 「もしもし、警察ですか?助けてください、私は危険な状況にいます。場所は……プツッ……」 言い終わる前に、突然スマートフォンの電波が消えてしまった。 信じられない。どうして…
隣人の部屋は広くはないけれど、とても整然としていた。 部屋の雰囲気を見回しながら、ふと疑問が浮かぶ。 彼は身なりも上品で、決してお金に困っているようには見えないのに、どうしてこんな古いアパートに住んでいるのだろう?このアパートには、ほとんど地方から働きに来た人たちが住んでいて、あまり裕福ではない。 私の疑問を察したのか、彼は白い歯を見せて笑った。 「君、どうして僕がここに住んでいるのか不思議に思ってるだろう?」 私は頷いた。 「僕は画家なんだ。描いているのは人生の百景さ。このアパートには、いろんな人間模様が詰まっている。 迷い、信念、堕落、希望――ここではそういうものがすべて見られるんだ」 「なるほど……」 私は密かに感心した。やっぱり芸術家の視点は、私たち普通の人間とは違うものなのだ。 彼はキッチンに行き、水を用意してくれるという。 その間、私は手を洗おうとバスルームに入った。 洗面台には大きな鏡がかかっている。 その鏡の端には、頻繁に触られたような擦れた跡がある。 気になって近づき、じっくりと見ようとしたその時―― 鏡に映る彼の姿が突然現れ、私は飛び上がりそうになった。 彼は私の背後に立っていて、穏やかに声をかける。 「お腹空いてない?何か作ろうか?」 「いいえ、大丈夫です。ありがとう。それより、トイレをお借りしてもいいですか?」 彼はすぐに返事をせず、じっと私を見つめて数秒間沈黙した。 その視線に少しだけ眉をひそめ、「無理なら大丈夫です」と言いかけたところで、彼が微笑んだ。 「いや、構わないよ。どうぞ」 そう言いながら、彼は親切にもドアを閉めてくれた。 私はドアをロックし、鏡に目を戻した。 鏡の下部に小さなボタンのようなものがあるのを指で触れる。 ――やっぱり、この鏡には何か仕掛けがある。 恐る恐るそのボタンを押してみた。 すると、鏡が音を立てて動き出し――次の瞬間、目の前に現れたのは衝撃的な光景だった。 それは、私のバスルームだった。 この鏡は私のバスルームと繋がっている。 バスルームのドアが開いていれば、なんと寝室まで見渡せる構造だ! 彼はこの鏡を通して私を覗いていたのだ。そして、あの大家が襲おうとした瞬間も見ていたからこそ、タイ
「ドン、ドン、ドン」 三回。 落ち着いた、しかし力強いノック音。 私は救世主が現れたかのような希望を感じた。必死に声を出そうとするけれど、口がガムテープで塞がれている。喉の奥からかすかな唸り声を上げるのが精一杯だった。 「いますか?うちの排水溝が詰まってしまって、工具を借りたいんですけど」 隣人の声だ。 彼は2か月前に引っ越してきたばかりの人で、ほとんど面識はない。だが今、この状況で彼だけが頼れる唯一の存在だった。 私はベッドサイドのランプを蹴り飛ばした。ランプが床に落ち、ガラスが割れる大きな音が響く。 大家が怒りを爆発させ、私に思い切り平手打ちをくらわせた。 「大丈夫ですか?」 ドア越しに隣人が声をかけてくる。 声を出したいのに、喉が詰まるような息しか出せない。 すると、突然ドアが激しく音を立てて開いた。 隣人が勢いよく部屋に飛び込んできた。 目の前の光景を見た彼は一瞬だけ硬直したが、すぐに冷静な口調で言った。 「やっぱり……お前があの殺人犯だな」 「違う!俺じゃない!」 大家は声を張り上げたが、明らかに動揺していた。 私は思い出した――殺されたあの女性の部屋の大家も、確かこの醜い男だったはずだ。 隣人は冷静に続ける。 「今夜お前がやったことだけでも、警察が疑わない理由なんてない。もう逃げられないぞ」 隣人の言葉に焦りを感じたのか、大家は形勢が悪いと悟ったらしく、ドアを開けて逃げ出した。隣人は大家を追いかけなかった。そしてすぐにこちらに駆け寄り、私の口に貼られたガムテープを剥がしてくれた。 私は命拾いした安堵から、何度も隣人にお礼を言った。 その後、警察を呼び、部屋の証拠を採取してもらい、隣人と共に事情聴取を受けた。 警察によると、大家は以前の事件に関与している可能性が高いとのこと。現在、捜査と追跡を進めており、逃亡した大家が私に報復する恐れがあるため、しばらくの間は特に警戒するように言われた。 警察が帰った時には、すでに深夜2時を過ぎていた。 実は、隣人とはこれまでほとんど話したことがなかった。ただ、彼が画家だということくらいは知っている。 改めて彼にお礼を伝えた。 「あなたが来てくれなかったら、今夜で私の命は終わっていたかもしれません。明日にはこ
動揺した私は、気持ちを落ち着けるために洗面所に向かい、顔を洗った。 それでも落ち着かず、再びベッドに戻った時、妙なことに気づいた。 妊娠検査薬の向きが変わっている。 スティックの先端はさっきまで窓の方を向いていたはずなのに、今は私の方を向いている。 窓は閉め切っているし、風が入るはずもない。 今夜はおかしなことが続いている。 妊娠が発覚したかと思えば、スティックの向きが変わるなんて――本当に誰かがこの部屋にいるのだろうか? 私は部屋を見回した。人が隠れるとしたら、ここしかない――私が座っているこのベッドの下だ。 心臓が早鐘のように鳴り響く。 見るべきか、それとも見ないべきか? 確認しないと不安で一晩眠れない。でも、もし本当に誰かがいたら……私はどうすればいい? ベッドサイドに小さな手鏡が置いてある。 私はそっとそれを手に取り、ベッドの下に向けた。 部屋は静まり返っている。時計の「カチ、カチ」という音だけが響く中、私の呼吸音が次第に大きくなる。 その時だった。もう一つ、別の呼吸音が聞こえた気がした。 二つの呼吸が交じり合うように響いている。 手が震え、鏡を持つのがやっとだ。 そして、突然、鏡が部屋の光を反射し、ベッドの下を照らした―― そこに映ったのは、ギョロリとした目玉だった。 その目が、鏡越しに私をじっと見ている! 濁った眼球。白目がむき出しで、恐ろしいほど不気味だ。 その目、私は見覚えがあった――今日の午後、大家の顔にあったものだ! 私を妊娠させたのは、この男だったのか? 恐怖と怒りで全身が震えた。 鏡越しに、大家は口元を歪め、黄ばんだ歯を剥き出しにして笑っていた。そして、ゆっくりとベッドの下から這い出てきた。 「何してるのよ!警察を呼ぶわよ!」 私が叫ぶと、彼は舌で上の歯を舐めながらニヤリと笑った。 「警察?警察に通報してお前に何の得がある?考えてみろよ。お前、この部屋の家賃が月2万4千円だろ?市場価格なら5万円だ。その差額の2万6千円は何のためにあると思う?」 そう言いながら、彼はベッドに這い上がってきた。 彼の爪に詰まった汚れまでがはっきり見える。 「妊娠だなんてな。男なんていないって言ってたのに、実はお盛んなのか?よし、今夜俺と一回