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第5話

著者: 松風ゆう
last update 最終更新日: 2024-11-22 11:51:37
私は思わず笑いそうになった。

「ねえ、知仁。どうして私が結婚前に『子供はいらない』って言ったか、分かる?」

彼は眉をひそめ、困惑した顔で私を見る。

「南、話をしたいなら、昔のことを引っ張り出すのはやめろ」

まあいい。

いずれ真実を知るときに、私がこう言ったことを忘れないでいてほしいものだ。

「知仁、私は警察にも通報しないし、大事にもしたくない。

でも、真実を教えて」

彼の言葉から、義母の病気が本当であることは分かった。

そして、義母が孫を欲しがっていたのも事実だった。

彼女は死期が近づくにつれ、ふと思ったのだという。

「どれだけお金を稼いでも意味がない。

泣いたり笑ったりする孫を腕に抱く幸せには敵わない」と。

「母さんは、もう治ったとしても長く生きられないんだ。

せめて孫を抱いてみたいって、それだけなんだよ」

知仁が以前、何度か子供の話題を私に振ったことがあった。

あのときは雑談だと思っていたが、今思えば全てが「探り」だったのだ。

そして私が明確に「産まない」と答えたとき、彼はその矛先を茜に向けた。

彼は茜にこう話したという。

「息子を産んでくれたら、妻とは離婚する」

「でも、どうしてこんなことをする必要があったの?」

私が問い詰めると、知仁は目を伏せたままぽつりと言った。

「……子供は女の子だった」

その一言に、私はしばらく呆然としたままだった。

やっと意味を理解した。

彼も信じていたのだ――「あの神様」が娘を息子に変えてくれると。

そのためには私の命を犠牲にすることすら厭わなかった。

いや、それどころか……

私を殺せば、財産を分け合う必要もなくなるし、生命保険の莫大な保険金も手に入る。

それは、病に侵された義母のため、新しい妻のため、そして何より、生まれてくる息子のため。

「親の愛情とは、こうも恐ろしいものなのね」

私はそう呟きながら、彼の目の前で腕輪を床に叩きつけた。

翡翠の腕輪は甲高い音を立てて粉々に砕け散る。

その音を聞きつけた義母が慌てて飛び出してきたが、私の険しい表情を見て怯えたのか、そのまま部屋に戻っていった。

最終的に、知仁は「何も持たずに家を出る」という条件を飲み、私はこの一件をなかったことにした。

離婚届に
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    私はそっとベッドから抜け出し、つま先立ちで部屋の扉を押し開けた。 すると、強烈な血の匂いが鼻を突き、思わず後ずさりしそうになる。 リビングの中央には、ピンク色の生の豚肉が盆に山盛りにされていた。 知仁はその中から肉の一塊を手に取り、目を閉じて神妙な面持ちで神棚に向かい何かを祈っている。 その横には義母が立っていて、静かにその様子を見つめていた。 彼女の目は、狂気じみた感動に輝いている。 遠目では知仁が何を言っているのか分からなかった。 ただ、彼が祈り終えた後、ポケットから小さなナイフを取り出すのが見えた。 そして、ためらいなく自分の腕をスッと切りつけた。 血が傷口から溢れ出し、その血を一滴一滴、生の豚肉に塗りつけていく。 そうして血塗られた豚肉を神棚に供えると、義母が一歩近づき、彼をぎゅっと抱きしめた。 知仁は彼女の背中を軽く叩きながら、何か慰めるような言葉をかけているようだった。 だが、彼が顔を上げ、私と目が合った瞬間、異様な光景はさらに際立った。 その時の彼の目―― それは紛れもない、抑えきれない「殺意」だった。 でも、すぐにその表情は消え去り、代わりに心配そうな顔を浮かべて、義母を押しのけるようにこちらに駆け寄ってきた。 「どうしたんだ、また悪い夢でも見たのか?」 歯の根が合わないほど震えながら、私はリビングの血塗れの豚肉を指差した。 「これ……一体何をしてるの? どんな神様が……こんな供物を必要とするの?」 知仁は私の視線を追い、その先をじっと見つめた後、深いため息をついた。 「隠しておくつもりだったけど、もう無理だな」 彼は静かに真相を語り始めた。 義母が病気を患っているという。 それも、膵臓がんの末期で、医者からは既に余命を宣告されている状態だ。 「母さんは最後に、家族と一緒に過ごしたいって言って、この家に来たんだ。 でも、地元を離れる直前、あの神様への祈りで奇跡を起こせるって方法を知ったんだ。 さっき見たろ?俺が肉を切って血を塗ったの。 近親者の血は、神様をより強く感動させるんだ」 彼の説明を聞いて、私は納得してしまった。 それどころか、義母に対して今まで抱いていた反感や嫌悪が、急に申し訳なさへと変わっていく。 もうすぐ死んでしま

  • 99ページ目の明日   第2話

    私の悲鳴で驚いたのは夫だけじゃなかった。 義母が、あの大きな体からは想像もつかない素早さで動き、知仁の「母さん!」という声と同時に、私の頬を平手で叩いた。 乾いた音が響く。 私はその場で顔を押さえ、呆然と立ち尽くした。 義母は落ちた線香を丁寧に拾い上げ、一本ずつ念入りに確認する。 折れていないことを確かめると、安堵の息をついて、それを香炉に戻した。 「南」 振り返った義母が私をじっと見つめる。 その目―― 瞳孔が細長く、濁った黄色を帯びているように見えたのは気のせいだったのだろうか。 猫の目みたいに、ぎらついた視線が私を射抜く。 「これからは気を付けるのよ。 神様が怒るから」 その一件のせいで、翌日もずっと落ち着かないまま仕事に向かった。 あの神像が気になって、ネットでいろいろ調べてみた。 正統派の神から怪しげな神、さらには廃れた祠の神様まで…… でも、どこにも義母が持ち込んだあの奇妙な像と一致するものは見つからなかった。 精神的に疲れていた私は、この日、車ではなく電車を選ぶことにした。 地下鉄の駅前で、盲目らしい年老いた男が小さな屋台を広げていた。 その台には「六爻」「水碗占い」といった聞き慣れない言葉が真っ赤な文字でびっしりと書かれている。 血のように濃いその色が、何とも言えない不気味さを漂わせていた。 嫌な予感を覚えた私は、足早にその場を通り過ぎようとした。 だけどその瞬間、男の声が私を呼び止めた。 「お嬢さん、額に黒い影が出ている。大きな厄災が近づいてるよ」 普段の私なら、そんな言葉を聞いても詐欺師扱いして終わりだっただろう。 でも、今日は違った。 今の私は、藁にもすがりたかったのだ。 何か言おうと口を開きかけたその時、通りすがりの短髪の兄ちゃんが鼻で笑った。 「今どき額が黒いだなんて、そんな古臭い手口まだ使うんだな」 そう言いながら、兄ちゃんは私の肩を引いて助言してくれる。 「姉ちゃん、パソコンの見すぎだよ。額に血を一滴たらして、揉んでりゃ治るって!」 言葉の端々は荒っぽいけれど、確かに理屈は現実的だ。 私は迷いながら、もう一歩足を進めようとした。 その時、盲目の老人が私の手に何かを押し付けた。 「これを持っていけ!絶対に

  • 99ページ目の明日   第1話

    結婚前、私は夫と「子供を作らない生活」をするって決めていた。 だけど、それが今揺らぎ始めてる。 年末が近づいた頃、夫の母親が一人で家にやってきた。 最初は何も問題なかった。家事もテキパキこなしてくれて、口うるさいけどそこまで気になる感じでもなかったし。 でも最近になって、「子供を作らないつもりだ」って知ってるはずなのに、あれこれ遠回しに言ってくるようになった。 その日、仕事帰りにスーパーでフルーツコーンを買った。 家に帰って、それを「茹でてもらおう」と渡したら、みんなで食べることに。 そのコーンは甘くて、茹でた水までほんのり甘いくらいの美味しさだった。 テーブルの向かいで、お母さんが次々と2、3本平らげる。 「これ、ほんとにおいしいね」 「じゃあ、普段から買えばいいのに」 仕事の連絡を返しながら、私は何気なくそう言った。 その瞬間、彼女の顔が険しくなった。 「どういう意味? 私がケチだって言いたいの? こんな薬漬けのコーンなんて、新鮮なものに勝てるわけないでしょ! 若い人には分からないでしょ」 矢継ぎ早の言葉に、私は完全に言葉を失った。 「いや、そういう意味じゃ――」 だけど聞く耳を持たないらしい。顔を覆うようにして泣き出した。 「子供を育ててみなきゃ、親の苦労なんて分かりっこないの! だいたい、子供を作らない人間に親の気持ちなんて分かるわけがない!」 最初のうちは少し申し訳ない気持ちもあったけど、これを聞いた時点でイラッとしてきた。 「お母さん、それとこれとは別問題でしょ。 子供を作らないのは、結婚前から決めてたことなんです」 彼女は少し間を置いた。どうやら、以前「子供を産めなんて絶対言わない」と断言していた自分の発言を思い出したらしい。 そして、私の夫に向き直る。 「ねえ、知仁(ともひと)。どうしてあんたに『知仁』って名前を付けたか分かる?」 夫は、私と彼女の間で板挟み状態。どうにもできない様子で困り果てていた。 こうして、食卓は険悪なムードのまま終わった。 その夜、私は親友の如月灯花(きさらぎ とうか)にこの話をしてみた。 画面越し、のんびりとネイルをしていた灯花だったけど、話を聞き終えると真剣な顔になる。 「南(みなみ)、気を付けた

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