LOGIN琉生は本気でそう思っており、啓司がまた息子を作ることをひどく恐れていた。「だめだ。やっぱり、萌と遥ちゃんを連れ戻すべきかな?」落ち着かない様子で、彼は啓司の前を行ったり来たりする。啓司はその姿を見つめながらも止めず、淡々と利害を整理してみせた。「萌が何か妙な行動をしないって確信があるなら、行けばいいよ」その言葉に、琉生は諦めざるを得なかった。やはり萌が産後を終えた頃を見計らい、ゆっくり話すしかないのだと悟る。「じゃあ、紗枝に一言言っておくわ」「やめておけ。萌はお前のことをあれほど嫌ってるんだ。紗枝にお前との関係を説明して、後で萌が知ったら、紗枝が責められるだけだぞ」啓司は、良かれと思って動いた紗枝が報われないことだけは避けたかった。「それに、お前はまだ紗枝を信じられないのか?萌がお前の妻だと知っていようがいまいが、彼女なら萌に優しくするさ」紗枝は昔から、誰かに害を加えられない限り決して害を与えず、困っている人を見れば必ず手を差し伸べる、そんな人柄だった。琉生もよく知っている性格だからこそ、静かに頷いた。「ああ、お前の言うとおりだ」「丸一日一晩ずっと走り回ってたんだろ。少しでも休めよ」啓司が促す。「……ああ」琉生は萌と子どもが行方不明になったと知ってから一睡もせず探し続け、ようやく母娘の無事を目にして、深く胸をなで下ろしたばかりだった。夏目の旧宅では、萌の中に紗枝の素性への小さな好奇心が芽生えていた。家にはボディーガードを除けば、女と子どもしかいなかったからだ。「紗枝さん……離婚されたんですか?」食事を運んでドアを開けた紗枝に、思わずそう尋ねていた。紗枝はわずかに戸惑い、少し考えてから答えた。「まあ、そんなところかな」萌ははっとして、申し訳なさそうに眉を寄せた。「ごめんなさい、つい……」「気にしないで」紗枝はやわらかく遮った。「ほかに聞きたいことがあるならどうぞ」紗枝が自分にこんなに優しくしてくれるのに、疑うようなことを口にしてしまった。萌はそれに気づき、慌てて首を振る。「もう何もありません。本当にありがとうございます」そう言って、萌はお椀と箸を手に取り、食事を口に運び始めた。長年琉生に家へ閉じ込められるような生活を送っていたせいか、萌は世間のニュースをほとんど見ていなかった。
景之はその言葉を聞くと、内心ではぜひ行きたいと思いながらも、どこかすました態度を装い、唯に尋ねた。「唯おばさん、見に行きたい?」「もちろん行きたいわ」唯は迷いなく答えた。景之は満足げにうなずき、「じゃあ、一緒に行って、唯おばさんを満足させてあげようか」とようやく言った。唯はその言葉で状況を悟った。またこのいたずらっ子にうまくやられたのだと。本当は自分が行きたいくせに、その理由をこちらに押しつけるとは――そう思うと、仕方なくため息が漏れた。「はいはい」三人は連れ立って紗枝の実家へ、赤ん坊の顔を見に向かった。和彦は萌に気づかれることを懸念し、まず唯と景之だけを中に入らせた。しかし萌がほとんど部屋にこもりきりで姿を見せないと知るや、彼もようやく後に続いた。言わざるを得ないが、琉生の娘は本当に愛らしかった。和彦はわざわざ逸之、景之、そして遥の三人を並ばせて写真を撮り、親友グループチャットに送った。【琉生、安心させるために写真を送るよ】三人の子供たちの写真がチャットに届くやいなや、画面は祝福と歓声であふれた。【ちびっ子たち、可愛すぎる!】【啓司さんも琉生さんも羨ましい!】そんな賑やかな言葉が次々と流れた。琉生は最初、どこか誇らしげにそれらを眺めていた。啓司の息子たちよりも、自分の娘の方がきっと優しい子になる、と密かに思っていたからだ。途中から流れを変えたのは、誰かが何気なくこぼした一言。【景ちゃんと逸ちゃん、遥ちゃんは将来どっちを好きになるかな?二人ともこんなにイケメンだし】【もしかすると、遥ちゃんをめぐって争うかもね】【ははは、十分あり得る!】その瞬間、父親としての琉生の眉間に深い皺が寄った。【馬鹿なこと言うんじゃない。私の娘は大きくなっても誰にも嫁がせないよ!】どうして自分の大事な娘を、二人のクソガキのもとへやらねばならないのか。景之も逸之も今は優秀に見えるかもしれない。だが琉生の目には、遥にふさわしい者など一人もいなかった。チャットの空気が荒れはじめたのを見て、和彦はすぐにグループを退出し、そろそろ帰ろうと声を掛けた。唯は少し戸惑い、「まだこんな時間なのに帰るの?」と名残惜しげだったが、立ち上がってついて行った。「行きましょう、景ちゃん」花山院家では、琉生の機嫌は最悪だった。
紗枝は、まさか琉生の妻を家に泊めているとは夢にも思っていなかった。ただいつものように、萌に子どもの世話を頼んだだけだった。時間に余裕があるときは、自分も子どもの相手をし、家の中に突然こんなにかわいらしい赤ちゃんが増えたことで、日々はいっそう賑やかになった。心音が帰ってきてその光景を目にしたときも、あまりの可愛さに一瞬で心を奪われた。「かわいいね。名前はなんて言うの?」そう、誰も子どもの名前を知らなかった。梓が聞きに行ったところ、女の子の名前は花山院遥(かざんいん はるか)だと判明した。「花山院?」紗枝は思わず眉を上げた。桃洲で花山院という苗字といえば、琉生しか思い当たらない。とはいえ、子どもの父親が琉生だとは、さすがに想像もしなかった。「紗枝さん、私たちも仕事に子ども連れて行けたらいいのにね」「馬鹿なこと言わないで。こんなに小さい子は抵抗力が弱いの。むやみに外へ連れ出しちゃだめよ。もし感染でもしたら大変だし、話すときもあの子から少し離れてちょうだい」と紗枝はたしなめた。「わかった、わかった」心音はぶんぶんと首を縦に振った。梓は少し離れたところに座り、胸の奥に小さな違和感を抱えていた。先ほど萌に子どもの名前を尋ねた時、萌の顔色はひどく悪く、冷えきった声音で「花山院遥」と告げただけだった。あれは子どもが嫌いか、あるいは子どもの父親を憎んでいるかのどちらか。単に名前が気に入らないという問題ではない。「遥ちゃん、これからみんなで遥ちゃんの義理の親になってあげるね」かわいい女の子がひとり増えただけで、家中の者たちがこぞって争奪戦を繰り広げるほどだった。遥は母親譲りの澄んだ瞳で、皆に向かってくすくすと笑っている。二階にいた萌は、そんな光景を見下ろしながら、胸の奥でようやく息をついた。どうか琉生に見つかりませんように。ただ、この穏やかな日々が続きますように。「ええ、みんな遥ちゃんの義理の親になってあげて」萌がそう言って笑った瞬間、その美しさに梓は息を飲んだ。こんなに綺麗な母親だから、生まれてきた娘もこんなに可愛いのだろう。「それはよかったわ」「遥ちゃん、これからは私たちみんながあなたのママよ」家には人手も多く、使用人もベビーシッターも揃っている。女の子が一人増えたところで負担はほと
「琉生、慌てるな。きっと見つかるから」和彦が静かに言った。琉生は力なく頷いた。「ああ」「少し休んだほうがいいんじゃないか?」「眠れない」妻と娘が行方不明のまま、どうして眠れるだろうか。不思議なことに、萌には頼れる親戚も友人もいなかった。子供を連れて外に出るなら、ホテルに泊まるか交通機関を使うはずだが、桃洲中のどのホテルにも萌と子供の宿泊記録はない。交通機関についても徹夜で調査を続け、街中の「子連れの女性」を片っ端から確認したが、萌は見つからなかった。車にも乗らず、ホテルにも泊まらない。では、一体どこへ行ったのか?これは自分への当てつけなのだと、琉生は薄々察していた。昨夜は物乞いが寝泊まりするような橋の下まで探したが、やはり影も形もなかった。和彦は立ち上がり、真剣な顔で言った。「じゃあ、俺も探しに行く。お前は少しでも休め」今は冗談を言っている場合ではない。もし萌が悪人に遭遇すれば、事態は一気に深刻化する。そのとき、牧野から連絡が入った。「社長、どうやら萌さんの情報が入りました」啓司はスピーカーに切り替え、全員に聞こえるようにした。「彼女は今どこにいる?」「奥様と一緒にいらっしゃいます」牧野は語った。紗枝のそばにいるボディーガードから、昨日紗枝が母子を連れて帰ったと聞き、偶然と思って梓に確かめたところ、梓は即座にあれは萌だと断言したのだ。三人の大男は瞬間、固まった。一昼夜も行方不明だった萌が、まさか紗枝と一緒にいるとは。「そんな馬鹿な……」和彦が思わず声を漏らした。啓司も困惑し、牧野に尋ねた。「どうして萌が紗枝と?」「梓によると、萌さんは昨日外で偶然奥様と出会い、体調が悪くて倒れたとか。奥様が病院に連れて行き、そのまま家へ。親しい人も友人もおらず、萌さんが『自分を引き取ってほしい』と懇願したそうです。奥様はお優しいから、受け入れられたようです」牧野は簡潔に梓の言葉を伝えた。今となっては、萌が紗枝のそばにいるのはむしろ良いことだと感じていた。琉生は黙って聞き終え、すっと立ち上がる。「紗枝は今、どこに住んでいる?」電話越しに琉生の声を聞いた牧野は一瞬驚き、すぐに答えた。「夏目家の本宅です」「すぐに会いに行く」琉生の声音からは、萌に会いたくて仕方がない焦燥が滲ん
紗枝は、お礼を言うことなど少しも考えていなかった。もしそれが目的だというのなら、萌を助ける必要など初めからなかったはずだ。「さあ、休むわよ」紗枝は萌を二階へと案内し、その後、栄養食を運ばせた。産後間もない女性の体は弱っている。早く回復するためにも、しっかりと栄養を摂らせなければならない。萌の世話を終えて階下に戻ると、梓と逸之が、スヤスヤ眠る赤ん坊を見つめながら、ベッドに寝かせることすら惜しむようにじっとその姿を追っていた。「二人とも、疲れないの?」逸之が紗枝に顔を向ける。「ママ、僕と兄ちゃんが小さい頃も、こんなに可愛かった?」紗枝は柔らかく微笑んだ。「もちろんよ。子供は誰だって、小さい頃は可愛いものよ」「ママ、僕ね、妹が二人欲しいな」逸之は心底そう思っているようだった。紗枝自身も、娘がいたらと何度も思ったことがある。息子が二人いるのだから、もし娘が生まれれば、男の子も女の子もそろうことになる。それに、娘でも息子でも構わない。どちらも同じように愛し、平等に育てるつもりだった。梓も紗枝のお腹に視線を落とした。「いつ頃生まれるの?楽しみだわ」「出産予定日は九月十二日よ」と紗枝が答える。「じゃあ、あと数ヶ月なんだね。本当に楽しみ!赤ちゃんが生まれたら、この家、もっと賑やかになるね」梓は頬を輝かせ、心から嬉しそうだった。その無邪気な喜びようを見ていると、紗枝は、その期待を曇らせるような言葉を口にすることができなかった。考えてみれば、三人の子供を同時に世話するというのは、泣けば叫び、叫べば泣き、てんやわんやになるだろう。それはそれで、きっと別の楽しさがあるのかもしれない。景之と逸之が小さかった頃も、毎日が嵐のようで、紗枝と出雲おばさんは目を閉じる暇さえなかった。この子が寝つけば、あの子が目を覚ます。……だめだ。今度子供が生まれたら、啓司にも世話をさせよう。景之と逸之は、ほとんど自分一人で育てた。ならば、今度の子だけは、父親である啓司にきちんと役目を果たさせるべきだ。紗枝はそう心に決めていた。一方その頃、啓司はふいにくしゃみをした。琉生は一晩中戻らず、萌を見つけられたのかどうかすらわからなかった。啓司と和彦が派遣した者たちも、捜索を続けている。「琉生とあの奥さん、もう何年も経つっていうのに
紗枝がキッチンから現れたとき、手には温めたミルクの入った哺乳瓶があった。「二人とも、赤ちゃんを抱くときは気をつけてあげてね。まだ満月前みたいだから、丁寧に扱ってあげないとだめよ」そう言いながら紗枝は梓から赤ん坊を受け取り、手際よくミルクを飲ませ始めた。梓も逸之も、思わず目を輝かせて赤ん坊を見つめる。今日は週末で、いつもなら特別な出来事など起きないはずだった。まさか紗枝が、見知らぬ親子を連れて帰ってくるなんて思いもしなかったのだ。ましてや、こんなにも愛らしい赤ん坊を。「わあ、見てよ。本当にお腹が空いてたんだね。ミルク飲んでるところまで可愛いなんて」梓が感嘆したように言う。逸之もじっと赤ん坊を見つめ、胸の奥でふと、早く自分も妹が欲しいという思いが芽生えた。そのころ、階上では目を覚ました女が、階下の様子を窺っていた。紗枝たちの声色から敵意がないことを悟ると、ほっと息をつき、まだおぼつかない足取りでゆっくり階段を降りてくる。物音に気づいた紗枝が振り返ると、女が裸足のまま階段を下りてくる姿が見えた。「目が覚めたのね」赤ん坊を梓に預け、紗枝は急いで女のもとへ向かい、その身体を支えた。「お医者さんが言ってたわ。出産したばかりなんだから、しっかり休まないとだめよ」なぜ産後間もない身で、赤ん坊を抱いて外を彷徨っていたのか、紗枝には理解できなかった。危険すぎた。女はその視線から何かを感じ取ったのか、うつむいたまま小さくつぶやく。「ありがとう……」「どういたしまして。まずは部屋に戻って横になって。赤ちゃんのことは私が見ておくわ。もし心配なら、スマホ貸すから、誰かご親戚に電話してもいいのよ」紗枝は穏やかにそう言った。女はかすかに首を振る。「私には、身内がいないの……」「じゃあ、お友達は?」また首を横に振る。紗枝は思わず息をのんだ。階下で耳を澄ませていた梓も、同じように驚いていた。今どき、頼れる親族も友人もいない人が本当にいるのだろうか。どうやってここまで生きてきたのだろう。「それなら、お子さんのパパに――」言いかけたところで、女の声が震えた。「彼は……死んだの」あまりに唐突な言葉に、紗枝は目を見開いた。夫が死んだなんて……本当、気の毒だ。「どうして……そんな……」