第2話

それがこちらに向かってきた。

「ハァ…ハァ…ハァ…」

「……」

近視のせいで目を細めた。飛ばしてくる長方形の黄色いパンが私に向かってきて、ペットボトルの前で急停止した。

私は思い切って数歩前に進んだ。

そこにはベンチくらいの大きさのコーギー犬が、楽しそうにペットボトルをおもちゃにして咥えていた。

「ベンちゃん、いい子だから、もう走り回らないで」

なんてぴったりな名前だろう。確かに「ベンチ」と呼ばれるのは失礼でもなく、適切だ。

女主人がベンちゃんのリードを手に取り、愛犬に再びリードをつけようとしたが、ベンちゃんはボトルを咥えたまま素早く逃げ出し、一番高い槐の木の下で首を傾け、主人が追いつくのを待っていた。

しかし、突然何かに気づいたように、ベンちゃんが槐の木に向かって吠え始めた。その暴れん坊ぶりは普段の大人しい姿とはかけ離れており、主人も恐れをなして近寄れないほどだった。

女主人はベンちゃんをなだめようと呼びかけたが、ベンちゃんは後退しながらも木に向かって吠え続けた。

私はゆっくりと近づいてみたが、ベンちゃんは虚勢を張っていただけのようだった。立ち上がった耳も短い足も微かに震え、驚いた様子で主人のもとへ駆け寄った。

主人の足元に身を寄せたベンちゃんは、何かを感じ取ったかのように小さな体を震わせ、毛に覆われた頭を下げて悲しげに低い声を出して鳴き始めた。その足元には、最近補修されたばかりのアスファルトがあった。

女主人はベンちゃんを優しく抱き上げ、慰めるような言葉をかけながら、元来た方向へと歩き出した。

私は慌てて彼女の後を追った。だって、ついに夢にまで見た「生きている人間」と「生きている犬」に出会えたのだ。話せるし、息もしている。こんなことがどうして起きているのか聞いてみたかった。

何度か声をかけても、彼女は振り向くこともなく、私の存在を認識しないようだった。焦る私は思い切って彼女の肩に軽く触れてみた。

だが、私の手には何の感触もなく、そのまま彼女の体を通り抜けてしまった。信じられない気持ちで、もう一度試したが、結果は同じだった。

どういうことだ？彼女には私が見えていないのか？

私は必死に息を整えながら、他人に会えたことで、この迷宮が解決に向かうかもしれないと、淡い期待を抱いていた。

これまで繰り返されてきた無害な日常は、私の耐性をすり減らし、飽き飽きさせるだけだった。だが今、この得体の知れない恐怖と疑念が私を包み込み始めた。

なぜ今まで彼女を見たことがなかったのだろう？それともあのペットボトルが原因なのか？

私は狂ったように周囲を見回し、この世界で使える道具を探し回った。メインクエストを始めるきっかけを見つけたい一心だった。

そのペットボトルを拾い上げ、何度も蹴ったり、空中に投げて強く叩きつけたりした。音がベンちゃんを引き寄せるかもしれないと期待したが、結果は期待外れに終わった。

大きな木に何度も登ったり、無遠慮に薔薇の花を摘んだりもした。この場所にあるものはあまりにも限られている。

ついに、東屋の前に置かれた自転車を動かしてみたとき、物語が変化し始めた。

時間が本をめくるようにスムーズに流れ、夕闇が訪れていた。

古びた街灯が2基だけ微かに光を放ち、その明かりは自分の足元さえも照らしきれていなかった。

40代くらいのショートカットの女性が車椅子を静かに押してきた。車椅子には小柄で白髪の老人が座っている。2人は薄暗い夜の東屋の前で立ち止まり、互いに手を貸して木製のベンチに腰掛けた。

役に立たない街灯の下では、闇の中のすべてがどこか不気味さを漂わせている。

どうせ誰にも見られていないので、私は堂々と彼女たちの隣に座り込み、彼女たちの話を盗み聞きすることにした。年配女性の会話は往々にして、あらゆる噂話の宝庫だからだ。

そう思った瞬間、私はさらに彼女たちに近づいていった。より近ければ、聞き逃しも少なくなる。

「最近、この団地、なんだか妙じゃない？何人も亡くなったって？」

「そうそう、このところろくなことが起きてないね。前にやっとガス管の修理が始まったと思ったら、あの事件があったし……」

「本当に縁起が悪いよね」

好奇心に駆られた私はもっと詳しく聞きたくなった。これらの出来事が自分に関係しているのかどうかも知りたかった。だが、2人は東屋周辺の蚊が多いのを嫌がって、あまり話をせずに立ち去ってしまった。残された私は、何とも中途半端な話の内容について考え込むばかりだった。

考え込んでいるとき、ふと顔を上げると、近くの住居の2階のベランダに立つ男性が私の行動をじっと見つめているのに気づいた。

私はわざと何事もないように散歩を続けるふりをしながら、後ろを振り返る。軽く視線を彼の方向へ向けると、彼の視線も私の動きに合わせて動き、ベランダの中央から私に向かってさらに近づいてきた。

おかしい。私のことなんて見えるはずがない。ベンちゃんやその飼い主、東屋の女性たち、誰も私の存在を見ていなかったはずなのに。

疑念が膨らむ中、私はこの場所にずっといたのに、団地に入ることを考えたことがなかったと気づいた。

その瞬間、考えよりも先に体が動き出し、勢いよく階段を駆け上がり始めた。一段飛ばしで次々と駆け上がり、その速度はどんどん加速していった。

驚いたことに、2階の住戸の暗青色の鉄製ドアが既に大きく開かれていた。まるで私が入るのを待っていたかのように。

私は覚悟を決めながら、慎重にその扉をくぐった。逃げ道を確保するために、ドアを閉めることはしなかった。

整然として清潔感のある室内をじっくり見渡していると、その男性が視界に入ってきた。

穏やかで柔和な顔立ち、きちんと整ったストレートヘア、高い鼻にかかった丸いフレームのメガネ。その全てがどこか見覚えのあるもので、私は目を離すことができず、無意識のうちに彼の方へ歩み寄った。

「ドアをちゃんと閉めて」冷ややかな声が無感情に響いた。

私はいつの間にかドアを閉めていた。

「スリッパに履き替えて入れ」

この人、やたら細かい性格だな。

私は単刀直入に尋ねた。「あなた、私のこと知ってる？」