「お前がそんな単純に考えるはずがない」男は言った。「何か隠してることがあるんじゃないか?」「いつかは向き合わなきゃいけない。ずっとS国にいて、君が求めているものを見つけられると思うか?」俊介は答えた。男はしばらく考え込んでから、尋ねた。「お前はS国に残るのか?」「いや」俊介は言った。「俺も帰国する。ただ、お前とは別の場所に行く」俊介がどこに行くかについては、男はそれ以上尋ねなかった。しばらく座って何か考え込んでいるようだったが、男は立ち上がって去っていった。数日後。紀美子と佳世子は何の手がかりも得られずに帝都に戻った。この数日間、俊介は毎晩彼女にメッセージを送りその日の調査結果を伝えていた。何の手がかりもなかったが、紀美子はどこか安心していた。家に帰ると、紀美子は二人の子供を連れて食事に出かけた。ちょうどレストランに着いた時、ゆみからグループビデオ通話がかかってきた。念江が先に応答すると、ゆみの元気のない顔が画面に映った。「念江兄ちゃん……」ゆみは力なく呼びかけた。ゆみの様子を見て、念江は緊張した。「ゆみ、どうしたの?」ゆみは頭を振りながら言った。「大丈夫だよ。最近夜寝ているとき、よく夢を見るの」「夢?」傍にいた佑樹が顔を覗き込んで尋ねた。「どんな夢を見たらそんなふうに疲れるんだ?」ゆみは唇を尖らせて考えた。「よくわからないけど、遠くに誰かの影が立っているような感じ……」ゆみの話を聞いて、紀美子は電話を置いて尋ねた。「ゆみ、またおじいちゃんと出かけたの?」「最近おじいちゃんは用事が多くて。私も一緒に毎日出かけてるけど、夢に出てくるのはあの不浄なものじゃないよ。あの背中、どう言えばいいのかよくわからないけど、怖くはないよ」紀美子は心配そうに言った。「また誰かにいじめられてない?」「今となっては誰も私をいじめたりしないよ!」ゆみはふんっとした。「今じゃ彼らは私の後について、私を『ゆみ様』って呼ぶんだから!」紀美子は吹き出しそうになり、佑樹は言った。「前にもそんな大げさな話をしてたな」ゆみは怒って足を踏み鳴らした。「信じないなら見に来なさいよ!」佑樹は眉を上げた。「ヒマじゃないんだよ」「もう!」
佑樹はビデオの中のゆみをじっと見つめていた。「ママ、ゆみが心配だ。電話をつけっぱなしにしててもいい?」佑樹はそう言った時、紀美子が返事をする前に、電話の向こうからドアが開く音が聞こえてきた。小林が入ってきて、電話の画面に気づくと紀美子に会釈した。「小林さん」紀美子は声をかけた。「ゆみはどうしたの?」「大丈夫だ。線香を焚いて調べた。あるものが彼女の夢の中に現れたようだ」佑樹は焦って尋ねた。「ゆみの体に影響はないの?」「多少はあるだろうが、この仕事をしていれば、そういったことは避けられない」「大したことがなければいいわ」紀美子は言った。「小林さん、ゆみをベッドに連れて行って、少し寝かせてあげてください」「わかった」小林は電話を切り、ゆみをベッドに抱き上げた。ちょうど寝かせた時、ゆみの手が小林の服の裾を掴んだ。小林が彼女を見ると、ゆみの眉間にシワがよっていた。口も何かつぶやいて動いていた。「早く……シロ……もっと早く!」小林は優しくゆみの小さな手を握った。「ゆみ、焦るな。焦れば焦るほど、うまくいかなくなるよ」慰められたのか、ゆみは次第に落ち着いていった。夢の中で彼女は、小林の声を聞いていた。足を進めるスピードを落とすと、目の前のぼんやりとした景色も少し鮮明になった。どうやら自分はカフェの入り口に立っているようだ。ゆみははっきりしない背中を追いかけながらカフェの周りを回った。その人が見えるところまで来ると、ゆみは足を止めて窓に張り付いてよく見た。ぼんやりとした感じが次第に薄れはっきり見えてくると、ゆみの目は大きく見開かれた。「おじ……おじさん……?!」ゆみは驚きながら、別の男と一緒に座っている翔太を見た。彼女は焦って、次の瞬間にはカフェの入り口に向かって走り出していた。それを見て、そばにいた白狐は叫んだ。「ゆみ!焦れば焦るほど近づけないよ!」ゆみは白狐の言葉を聞いていなかった。彼女がカフェのドアに触れた瞬間、景色は一瞬で歪んだ。ゆみは慌てて周りを見回した。最後に見たのは「ブラウンカフェ」という名前だった。景色が消えた瞬間、ゆみは目を覚ました。小林は急いで尋ねた。「ゆみ、おじさんを見たのか?」ゆみは頷いた。「お
帝都、サキュバスクラブ。その日は入江紀美子(いりえ きみこ)が名門大学を卒業する日だった。しかし、彼女はまだ家に帰って祝うこともできなかった。薬を飲まされ、実の父親に200万円の値段で、クラブの汚らしい中年男たちに売られたのだ。暗い個室から何とか逃げ出したものの、薬の効果が彼女の理性を次第に奪っていった。廊下では、赤みを帯びた彼女の小さな顔が、怯えた目で迫ってくる男たちを見据えていた。「来ないで、警察を呼ぶから……」先頭に立つ男が口を開き、黄ばんだ歯を見せながら、手に持っている鞭を揺らしながら近づいてきた。「いいぜ、好きなだけ呼んでみろ。警察が来るのが早いか、俺たちがてめぇをぶち壊すのが早いかだな!」「べっぴんさんよ、心配するな、兄さんたちがたっぷり楽しませてやるからな……」紀美子は耳鳴りがし始めた。彼女は父が救いようのないろくでなしだと知っていた。大学に通っていたこの数年、彼女はずっとアルバイトで稼いだお金で生活していて、父からは一銭も貰わなかった。それなのに、まさか父が今、ギャンブルの借金を返す為に娘を人に売ろうとしているとは!紀美子は逃げ出そうとしたが、足の感覚はなくなり、力が抜けていた。床に倒れ込んだ彼女の前で、その男たちはまるで獲物を物色するような目で彼女を見下ろしていた。ちょうどその時、彼女の左前の部屋のドアが開かれた。黒い手作りの革靴が、彼女の視界に映り込んだ。見上げると、そこには男が立っていた。その男の真っ黒な瞳は冴え切った湖の如く、まるで魂を吸い取るような冷たさをしていた。男を見て、彼女は少し安心した。彼女は男のズボンの裾を引っ張り、「お願い、助けて!この人たちに薬を飲まされたの!」と泣きながら助けを乞うた。男は眉を寄せ、冷たい視線で彼女を掠め、一瞬不快感を見せた。彼は身体を屈め、手を伸ばした。「ありがとう……」紀美子は安心して手を伸ばそうとした。てっきり彼が自分を支えてくれると思った。しかしその時、男は彼女の手を振り払い、自分のズボンを握っているもう一本の彼女の手を冷たく払った。MKグループの世界トップ企業の社長である森川晋太郎(もりかわ しんたろう)にとって、同情心という言葉は無縁だった。「晋様!」彼の後ろに立つアシスタントの杉本肇(
紀美子は当然、信じられなかった。学生時代、耳たぶのホクロが「特別だ」と友達から褒められたことはあるけど。たかがホクロのために、MKの社長が月200万円で雇ってくれるのか?自分がおかしいのか、それとも彼がおかしいのか。そんな考えを巡らせている間に、晋太郎はもう立ち上がっていた。彼がゆっくりとシャツのボタンを締める様子からは凛とした雰囲気を発していた。「俺は人に無理を強いるつもりはない。よく考えろ。」言い終わると、彼はその場を離れた。扉の前では、アシスタントの肇が待っていた。晋太郎の目の下の腫れを見て、彼は驚きで目を見開いた。まさか、これまで童貞をなによりも大事にしていた晋様が、初体験を奪われるとは。しかもかなり激しい戦況だったように見える。我に返った肇は、慌てて晋太郎に告げた。「晋様、手に入れた情報をあなたの携帯に送信しました。この入江さんは晋様がお探ししている人ではないようですが、追い払いましょうか?」「いいや、資料は読んだ。彼女の学校での履歴は完璧だ。何よりも俺は彼女に反感を持っていない、そして秘書室は今能力のある人間を必要としている。もし彼女が三日以内にMKに現れたら、すぐに入社手続きをしてやれ」「もし現れなかったら?」肇は恐る恐ると追って聞いた。「ならば彼女の好きにさせろ」晋太郎はあまり考えずに答えた。……三年後、MK社長室紀美子はタブレットを持ち、真面目に晋太郎にスケジュールを報告していた。「社長、午前十時にトップの会議がありまして、十二時にエンパイアズプライドの社長と会食、午後四時に政治界の方々との宴会があります…」彼女の声は落ち着いていたが、その唇が動くたび、無意識に誘惑的な雰囲気を醸し出していた。化粧をしていない小さな顔は、それでも艶やかで目を引く美しさだった。晋太郎は目の前の資料から視線を上げると、その細長い瞳に一瞬、炎のような情熱を宿した。彼の喉仏が上下に動き、その視線は紀美子に絡みつくようだった。やがて彼は書類を机に置き、長い指でネクタイを不機嫌そうに引っ張った。「こっちにこい」晋太郎は紀美子に命令した。紀美子は呆然と頭を上げ、晋太郎の幽邃な目線に触れた瞬間、自分が次に何をすべきかすぐに悟った。彼女はタブレッ
「中はどうしたの?」入江紀美子は入り口で眺めている女性同僚に尋ねた。声をかけられた女性同僚は振り返った。「入江さん。あの応募に来た女の人ね、人の作品をパクッて面接しに来たのがバレて、チーフがそのまま彼女の面接資格を取り消そうとしたんだけど、逆切れして、今事務所で暴れてるのよ」「なるほど」ことの経緯を聞いた紀美子は人事部の事務所に入った。チーフは一人の女性と激しく言い争っていた。女性の顔立ちはなかなかきれいなものだが、露出度の高いかっこうをしていた。「入江さん、ちょっと助けて、この狛村さん、人の作品を盗用して面接に来たのに、問い詰めたら逆切れしてきたのよ」チーフが紀美子を見て、助けを求めてきた。「話は聞きました。もう帰ってください。MKは不誠実な人は永遠に採用しません」紀美子は狛村をはっきりと断った。「関係ないでしょ、誰よ、あんた。私にそんな口の聞き方するなんて、あんたに不採用と判断する資格があるとでも?この会社はあんたのものじゃないでしょ?」「私が誰なのかは、あなたと関係ありません。覚えておいてください。私がこの会社にいる限り、あなたのような小賢しいまねをして入社しようとする人、永遠に採用しません」「大口を叩くじゃない」女はあざ笑いをした。「覚えておきなさい!将来私がMKに入社したら、絶対にあなたに跪いて謝ってもらうから!」「そんな日がくるといいわね!」「警備を呼んで。この狛村さんに出て行って貰うわ!」紀美子はチーフに指示した。……夜。MKで返り討ちを喰らった静恵は電話をしながらバーに入った。「安心して、絶対になんとかしてあの会社に入るから」静恵は低い声で電話の向こうに言った。そして、彼女は電話を切り、カウンターに座りバーテンダーに酒を一杯注文した。この時、ある人が彼女の隣に座り込んできた。「静恵ちゃん!」静恵は振り返って隣に来た男の顔を見た。彼は彼女がこの前酒場で知り合った飲み仲間、八瀬大樹だ。男はいわゆるブサイクの部類に入るものだった。しかし彼は裏表社会においてそれなりの背景を持っているらしく、静恵は彼と何回か夜を過ごしていた。彼女は少し驚きながら言った。「大樹さん?帰ってきたの??」「なんだ、俺を見てそんなに緊張するなんて、ま
翌日、ジャルダン・デ・ヴァグ。ここは森川晋太郎の個人別荘だ。朝六時半頃だが、入江紀美子は起きて晋太郎に朝食を用意していた。彼女は、晋太郎の愛人になった日からここに住んでいた。それからは晋太郎の生活は彼女一人で世話をするようになった。彼女は晋太郎の秘書、愛人、そして使用人でもあった。男が起床した頃、朝食は既にテーブルの上に並んでいた。晋太郎がネクタイを締めながら階段を降りてくるのをみて、紀美子はすぐ出迎えにいった。「私が締めます、社長」晋太郎は手の動きを止め、紀美子がネクタイを手に取り丁寧に結び始めた。紀美子は170センチと長身の方だ。しかし晋太郎の前ではせいぜい彼の胸の高さだった。晋太郎は目を逸らし、紀美子の体が発する香りを嗅いだ。理由もなく、彼には欲の火が灯された。「できました……」紀美子が頭を上げた途端、後頭部を男の大きな手に押えられた。彼の舌はミントの香りを帯びており、蛇のように彼女の口の中に侵入してきた。別荘の中には急に曖昧な雰囲気が漂った。2時間後。黒色のメルセデス・マイバッハがMK社のビルの前に停まった。運転手は恭順に車を降り、ドアを開けた。数秒後、晋太郎は長い脚を動かし車から降りた。オーダーメイドの黒いコートは彼の落ち着いた気質を限界まで引き出していた。その強烈なオーラはまるで神の如く、周りの人はそのプレッシャーで逃げ出したくなるほどだった。晋太郎は細長い指でネクタイを緩めながら、手に持っている資料を隣の紀美子に渡した。その瞬間、晋太郎の深い眼差しが紀美子の少し腫れた唇に少し留まった。そしていきなり手を上げ、厚みのある指腹で彼女の口元を軽く擦った。「口紅、少しはみ出ている」そう言いながら、彼は親指ではみ出た口紅を拭きとった。温もりを感じるその触感は、紀美子の瞳を強く震わせた。一瞬、彼女は、今朝彼にソファに押えられ求められたことを思い出した。晋太郎の眼底に映っている自分のとり乱れた姿を見て、紀美子は慌てて気持ちを整理した。「ありがとうございます」心臓の鼓動は乱れていたが、彼女の声は落ち着いていた。晋太郎は手を引き、口元を軽く上げ、すらっとした体を翻して会社の方へ歩き出した。紀美子は浮つく心を必死に抑えながら、タブレッ
ウィーン、ウィーン入江紀美子はテーブルの上に置いている携帯電話の振動で現実に引き戻された。母の主治医の塚本悟からの電話を見て、慌てて出た。「塚本先生!母に何かあったのですか?」紀美子は心配して尋ねた。「入江さん、今病院に来れますか?」電話の向こうの声は明らかに何かがあるように聞こえた。「はい!今すぐ行きます!」紀美子は急いで立ち上がった。20分後。シャツ一枚の姿の紀美子は病院の入り口の前で車を降りた。冷たい風に吹かれ、紀美子は思わずくしゃみをして急いで入院病棟に向かった。エレベーターを出てすぐ、母の病室の入り口にレザーのジャケットを着ている男が見えた。男は口元にタバコをくわえていて、挑発的な口調で悟に話しかけていた。その男を見て、紀美子は両手に拳を握り、急いで病室に向かって歩き出した。彼女の足音が聞こえたのだろう、悟と男は振り向いた。紀美子を見て、男はクスっと笑った。「これはこれは、入江秘書様のお出ましか!」紀美子は悟に申し訳ない顔をして、そして男に冷たい声で伝えた。「石原さん、この間も言ったでしょ、借金の取り立てであっても病室まではこないように、と」石原はくわえているタバコのフィルターを噛みしめた。「お前のオヤジさんがまた消えちゃったんで、ここまでくるしかなかったんだ」「今回はいくら?」紀美子は怒りを抑え、石原に聞き返した。「そんなに多くないさ、利息込みで150万!」「先月までは70万だったのに!」「お前のオヤジに聞け。借用書はこれだ。お前のオヤジの筆跡は分かるよな?俺はただ借金の取り立てに来てるだけだ」石原はあざ笑いをして紀美子を見つめ、紀美子に借用書を見せた。紀美子は怒ってはいるが、反論する理由が見つからなかった。父はギャンブルにハマったろくでなしだ。しょっちゅう借金を作って博打に使い、ここ数年は借金が積もる一方だった。借金の返済日になると、この借金取りたちが母の病院に訪ねてくる。紀美子は怒りを抑えながら考えた。「分かったわ!」「金は渡すから!けど今度また病院まで取り立てにきたら、もう一銭も渡さないからね!」そう言って、紀美子は携帯電話から石原の口座へ150万円を送金した。金を受取り、石原は携帯を揺らしながら颯爽と病室
「うん、聞くわ」入江幸子は目を開け、天井を見つめて深呼吸をした。「紀美子、実はあなたは…」「幸子!」声と共に、一人の男が入り口から焦った様子で駆け込んできた。二人が振り返ると、男は既に近くまで来ていた。その男の体はタバコと酒の臭い匂いを発しており、髭は無造作に生えている。男は紀美子の反対側に座った。「どうだった?石原に酷いことをされなかったか?」「何をしにきたのよ!」幸子は嫌悪感を露わにして言った。「また迷惑をかけにきたの?」入江茂は舌打ちをしながら紀美子を見た。「紀美子、ちょっと席を外してくれないか?幸子にちょっと話してすぐ帰るから」紀美子は心配そうに母の方を見たが、幸子は彼女に頷いた。紀美子はしぶしぶと立ち上がり、厳しい眼差しで茂を見た。「お母さんを怒らせないで」茂は何度も頷いて答えた。紀美子は何度も振り返りながら病室を出た。病室のドアが閉まった瞬間、茂の心配そうな表情は消えた。「あのな、あんまり余計なこと喋るなよ」「もう紀美子を利用させない!」幸子は目から火が出そうなほどの厳しい表情で、歯を食いしばりながら答えた。「俺が金をかけて育ててやったんだから、借金の返済くらい、手伝ってもらうのは当たり前だろ?お前が大人しく口を閉じていればそれでいいが、もし何か余計なことを漏らしたら、紀美子に今の仕事を続けられなくしてやるからな!」「あんた、それでも人間なの?!」幸子は体を震わせながら拳を握り締めた。「そうだ、俺は悪魔だ。お前はその口をしっかりと閉じておけ。でないと、何が起きても知らんからな!」茂はその言葉を残し、振り返らずに病室を出た。ドアを開け、そこに立っている紀美子を見ると、茂はすぐに顔色を変えた。「紀美子、お父さんは先に帰るからな!今日の金はお父さんがお前から借りたことにしよう」それを聞いた紀美子が顔を上げると、茂は返事を待たずに行ってしまっていた。紀美子がため息をつき病室に戻ろうとした時、ポケットに入れていた携帯がまた鳴り始めた。森川晋太郎からだ。紀美子は少し緊張して電話に出た。「今どこだ?」電話から冷たい声が聞こえてきた。「ちょっと急な用事が…」紀美子は病室の中を眺め、声を低くして答えた。「狛村静恵のことでデ
佑樹はビデオの中のゆみをじっと見つめていた。「ママ、ゆみが心配だ。電話をつけっぱなしにしててもいい?」佑樹はそう言った時、紀美子が返事をする前に、電話の向こうからドアが開く音が聞こえてきた。小林が入ってきて、電話の画面に気づくと紀美子に会釈した。「小林さん」紀美子は声をかけた。「ゆみはどうしたの?」「大丈夫だ。線香を焚いて調べた。あるものが彼女の夢の中に現れたようだ」佑樹は焦って尋ねた。「ゆみの体に影響はないの?」「多少はあるだろうが、この仕事をしていれば、そういったことは避けられない」「大したことがなければいいわ」紀美子は言った。「小林さん、ゆみをベッドに連れて行って、少し寝かせてあげてください」「わかった」小林は電話を切り、ゆみをベッドに抱き上げた。ちょうど寝かせた時、ゆみの手が小林の服の裾を掴んだ。小林が彼女を見ると、ゆみの眉間にシワがよっていた。口も何かつぶやいて動いていた。「早く……シロ……もっと早く!」小林は優しくゆみの小さな手を握った。「ゆみ、焦るな。焦れば焦るほど、うまくいかなくなるよ」慰められたのか、ゆみは次第に落ち着いていった。夢の中で彼女は、小林の声を聞いていた。足を進めるスピードを落とすと、目の前のぼんやりとした景色も少し鮮明になった。どうやら自分はカフェの入り口に立っているようだ。ゆみははっきりしない背中を追いかけながらカフェの周りを回った。その人が見えるところまで来ると、ゆみは足を止めて窓に張り付いてよく見た。ぼんやりとした感じが次第に薄れはっきり見えてくると、ゆみの目は大きく見開かれた。「おじ……おじさん……?!」ゆみは驚きながら、別の男と一緒に座っている翔太を見た。彼女は焦って、次の瞬間にはカフェの入り口に向かって走り出していた。それを見て、そばにいた白狐は叫んだ。「ゆみ!焦れば焦るほど近づけないよ!」ゆみは白狐の言葉を聞いていなかった。彼女がカフェのドアに触れた瞬間、景色は一瞬で歪んだ。ゆみは慌てて周りを見回した。最後に見たのは「ブラウンカフェ」という名前だった。景色が消えた瞬間、ゆみは目を覚ました。小林は急いで尋ねた。「ゆみ、おじさんを見たのか?」ゆみは頷いた。「お
「お前がそんな単純に考えるはずがない」男は言った。「何か隠してることがあるんじゃないか?」「いつかは向き合わなきゃいけない。ずっとS国にいて、君が求めているものを見つけられると思うか?」俊介は答えた。男はしばらく考え込んでから、尋ねた。「お前はS国に残るのか?」「いや」俊介は言った。「俺も帰国する。ただ、お前とは別の場所に行く」俊介がどこに行くかについては、男はそれ以上尋ねなかった。しばらく座って何か考え込んでいるようだったが、男は立ち上がって去っていった。数日後。紀美子と佳世子は何の手がかりも得られずに帝都に戻った。この数日間、俊介は毎晩彼女にメッセージを送りその日の調査結果を伝えていた。何の手がかりもなかったが、紀美子はどこか安心していた。家に帰ると、紀美子は二人の子供を連れて食事に出かけた。ちょうどレストランに着いた時、ゆみからグループビデオ通話がかかってきた。念江が先に応答すると、ゆみの元気のない顔が画面に映った。「念江兄ちゃん……」ゆみは力なく呼びかけた。ゆみの様子を見て、念江は緊張した。「ゆみ、どうしたの?」ゆみは頭を振りながら言った。「大丈夫だよ。最近夜寝ているとき、よく夢を見るの」「夢?」傍にいた佑樹が顔を覗き込んで尋ねた。「どんな夢を見たらそんなふうに疲れるんだ?」ゆみは唇を尖らせて考えた。「よくわからないけど、遠くに誰かの影が立っているような感じ……」ゆみの話を聞いて、紀美子は電話を置いて尋ねた。「ゆみ、またおじいちゃんと出かけたの?」「最近おじいちゃんは用事が多くて。私も一緒に毎日出かけてるけど、夢に出てくるのはあの不浄なものじゃないよ。あの背中、どう言えばいいのかよくわからないけど、怖くはないよ」紀美子は心配そうに言った。「また誰かにいじめられてない?」「今となっては誰も私をいじめたりしないよ!」ゆみはふんっとした。「今じゃ彼らは私の後について、私を『ゆみ様』って呼ぶんだから!」紀美子は吹き出しそうになり、佑樹は言った。「前にもそんな大げさな話をしてたな」ゆみは怒って足を踏み鳴らした。「信じないなら見に来なさいよ!」佑樹は眉を上げた。「ヒマじゃないんだよ」「もう!」
「石原さんに一つお聞きしたいことがあるのですが、お答えいただけますか?」「どうぞ」「最近、S国で急速に頭角を表している勢力があると聞きました。その勢力は、S国で根強い暴力団を排除したとも言われています。その勢力の背後にいる人物について、石原さんはご存知ですか?」紀美子は尋ねた。俊介は微笑んだ。「さすが入江さん、いきなり触れにくい問題を聞いてくるとは」紀美子の表情はさらに真剣になった。「石原さん、この件は私にとってとても重要なことなんです」「ちょっと待って、紀美子!」佳世子が突然紀美子を遮った。「石原さん、私たちは初対面なのに、どうして私たちを中に入れてくれたんですか?」「私たちは同じ国の人間ですから。私にできるなら助けたいと思いました。それに、ボディガードも連れずにここに来たということは、何か知りたいことがあるのでしょう。そうでなければ、普通こんな危険な場所に来ません」俊介の説明は完璧に聞こえたが、紀美子と佳世子にはまだ疑問が残った。佳世子は言った。「そうおっしゃるなら、石原さんは私たちが言ったその勢力についてご存知ですか?」「知っても、あなたたちにとって良いことはありませんよ」俊介は言った。「わかりました!」佳世子はまた言った。「それでは単刀直入に聞きます。あなたは森川晋太郎という人をご存知ですか?」俊介は軽くお茶を一口飲んだ。「私は年を取っていますから、会った人も多く、すぐには思い出せないかもしれません。少し調べてみますね。もしよければ、連絡先を教えていただけますか?」それを聞いて、紀美子と佳世子は呆然と俊介を見つめた。年を取っている??佳世子は探るように尋ねた。「石原さん、おいくつですか?」俊介は笑って彼女たちにもう一度お茶を注いだ。「今年で50歳です」紀美子と佳世子は驚いて言葉が出なかった。見た目は三十代に見えるのに、五十歳だとは……紀美子と俊介は連絡先を交換した。佳世子は部屋を見回しながら尋ねた。「石原さんはここのオーナーですか?」俊介は微笑んで首を横に振った。「管理を任されているだけです。入江さん、杉浦さん、運転手に送迎させましょう。会員費は返金します。次からはこんな場所には来ないでください」そして紀美子は俊介に感謝
彼女たちはしばらく立ち止まって見ていた後、近づいて尋ねた。「すみません、会員登録はどうすればいいですか?」ボディーガードは彼女たちをちらりと見てから答えた。「紹介者がいないと、会員にはなれません」佳世子は口元を引きつらせた。「いや、私たちにはお金があるんです!お金があっても入れないんですか?」ボディーガードは表情を変えずに言った。「お金を持っている人はたくさんいます。あなたたち二人が特別ではありません。それに、お二人さん、中の人々はとても危険です。トラブルに巻き込まれないように避けた方がいいですよ」「ご忠告ありがとうございます。でも、その規則、ちょっとひどくないですか?」佳世子は不満をぶつけた。「私たちはただ規則通りにやっているだけです」「すみません、無理に入れろとは言いません。でも、少しだけ教えていただけませんか?誰に紹介してもらえばいいですか?」紀美子は尋ねた。「私たちからお客様の情報を一切教えることはできません」ボディーガードは断った。その言葉が終わらないうちに、遠くのボディーガードが突然動きを止め、紀美子たちの前のボディーガードも表情を引き締めた。「お二人さん、道を塞がないでください!」そう言いながら、ボディーガードは彼女たちを脇に押しのけた。紀美子と佳世子は彼らを不思議そうに見ていた。すると、遠くからロールスロイスがやってきた。ロールスロイスの後ろには、何台かの車が続いていた。彼らはゆっくりと入り口の方に向かって進んでいった。ちょうど入り口に入ろうとした瞬間、車は突然止まった。傍のボディーガードはそれを見て、すぐに駆け寄って尋ねた。助手席の窓が下り、中に座っている人がボディーガードに何か言った。そのボディーガードは少し驚いた様子を見せ、すぐに頷き、紀美子と佳世子の前に戻ってきた。「お二人さん、私についてきてください」紀美子と佳世子は門の中に入ったロールスロイスを見たが、中に誰が座っているのか、なぜ彼女たちを紹介してくれたのか全く理解できなかった。すぐに、ボディーガードは送迎車を運転し、紀美子と佳世子を古城の中に連れ込んだ。そして、女性スタッフに会員登録を手伝ってもらっているときに彼が去ろうとしたため、紀美子は急いで彼を呼び止めた。「すみま
「申し訳ありませんが、10時には予約がありません。社長と連絡を取ってから再度お越しください」佳世子はスタッフの言葉を聞き、すぐに尋ね返した。「彼は前回、この時間に出て行ったはずですけど、普段あまり会社にいらっしゃらないんですか?」「社長は会社にあまりこられません。申し訳ありませんが、それ以外のことはお伝えできかねます。どうぞお帰りください」佳世子はそれ以上しつこくせず、紀美子の手を引いて会社を出た。少し歩いたところで、佳世子は立ち止まり、紀美子に話しかけようとしたが、紀美子の目には涙がたまっていた。佳世子は真剣な表情で言った。「紀美子、聞いたでしょ?見たでしょ?私が森川社長について言ったとき、あのスタッフは反論しなかった。つまり、晋太郎はここにいるってことよ!」紀美子は黙って、ただ会社の扉を見つめていた。晋太郎は本当にここにいるのか?なぜここにいるのか?もし生きているのなら、なぜ連絡をしてこないのか?何か言えない理由があるのか、それとも……紀美子はこれ以上考えたくなく、深く息を吸い込み、膨らむ期待を抑えた。「佳世子、この世の中には森川という姓の人はたくさんいるし、同じ名前も多いわ。これだけでは何の証明にもならない」「紀美子!!」佳世子は焦って言った。「どうして私を信じないの?世の中にこんな偶然があると思うの?晋太郎らしき人物がこの会社から出てきて、偶然その会社の社長も森川だなんて、あなた、まだ信じないの?」「違うの、佳世子」紀美子の目から涙が流れた。「もう信じる勇気がないの。がっかりするのが怖いの」「……」しばらく沈黙した後、佳世子はため息をついた。そしてティッシュを取り出して紀美子に渡しながら言った。「わかった。もし私があなたなら、同じように期待したくなくなってると思う。もう少し手がかりを探そう。泣かないで……」そう言いながら、佳世子は向かいのホテルを見た。彼女たちが他の場所に行った後、携帯に何か記録できるといいのだが。ほとんど一日中、佳世子は友人に電話してカジノの情報を尋ねていた。最終的に得た情報は、S国に最も格の高いカジノがあるということだった。そのカジノは最大ではないが、行く人々は皆、金持ちや有名人だという。会員でないと、入り口にも入れず、
紀美子はネットで検索しようと思ったが、佳世子が突然彼女の手首をつかんでホテルの中に連れ込んだ。部屋に着くと、紀美子は部屋の中からちょうど、向かいの会社が見えることに気づいた。その意図は、考えなくてもわかった。「佳世子、あんたは展示会に参加するためではなく、この機会を利用して監視するために来たんでしょ?」「紀美子、座って。あんたとしっかり話したいことがあるの」佳世子は窓際のソファに座り、紀美子を見つめて言った。「話したいことって?」紀美子は座ってから尋ねた。「私はどうしてもあの遺体が晋太郎のだとは思えないわ。確かに体型は似ているけど、顔の特徴はほとんどわからない状態だったじゃない。あんたは本当にあれが彼だって確信してるの?」「死亡証明書が偽造されてるって言いたいの?」紀美子は軽く眉をひそめながら言った。「そうよ!」佳世子は言った。「紀美子、私は自分の目で見たものしか信じないわ。顔もわからない遺体を信じるつもり?前に、あんたのDNAだって佑樹が偽造してごまかしてたじゃない。あんたのDNAが偽造できるなら、晋太郎のだってできるはずよ」「それだけじゃ証明はできないわ」紀美子は寂しそうに言った。「それだけじゃないわ!車両管理局と病院のファイアウォールに非常に高度なセキュリティがかかっているの!佑樹と念江の二人でも突破できないんだから!これ、どういう意味かわかる?」佳世子は笑みを浮かべて言った。「ただ向こうが優秀なだけじゃないの?」紀美子は反論した。「紀美子、一つの場所ならまだしも、病院のあの簡素な設備を見てよ!そんな高度なセキュリティを保持できると思う?」佳世子は口元を引きつらせた。紀美子は黙り、DART社のビルを見つめた。「あんたはあの会社を調査したいの?」しばらく考えてから、紀美子は尋ねた。「そうよ!」佳世子は言った。「彼はこの会社から出てきたんだから、きっとこの会社と何らかの関係があるはず!すでに、海外の友達に頼んでとあるカジノの情報を聞き出してもらったの。そこには様々な勢力が入り混じっているらしいわ。S国に突然現れたあの勢力の正体を調べたいの」「あんたが私を展示会に誘ったのは、ただの口実だったのね?」紀美子は理解した。「Tycは帝都であんなに有名で、
「そうだとしたらなんだ?」「あなたは紀美子があなたを受け入れてくれると思っているのか?」龍介は軽く笑いながら言った。「私は自分がすべきことをするだけだ。あとは、すべて紀美子が自分で決める」「どうやら、龍介さんが以前買った株はすべて紀美子のためだったようだな」「誰だって目的はあるだろう」悟は立ち上がった。「どんなことがあっても、私は紀美子をあなたに譲らない。絶対にだ」「まあ、見てみようじゃないか」龍介はゆっくりとソファの背もたれに寄りかかった。悟が去った後、龍介の表情は次第に厳しくなった。彼は以前、この地位に就く前、他人の命を奪うことさえ厭わなかった。そんな彼が今、紀美子のために、長年かけて築き上げたものを捨てるつもりなのか?これは単なる目くらましの罠なのか?それともまた何か罠を仕掛けていて、誰かを陥れようとしているのか?龍介は携帯を取り出し、アシスタントにメッセージを送った。「隙なく悟を監視してくれ。何かあればすぐに報告するように。それと、市長に連絡を入れろ」同時に、龍介は悟の考えを紀美子に伝えた。メッセージを読んだ紀美子はしばらく呆然とした。佳世子が興味深そうに近づいて状況を尋ねてきた声で、紀美子はようやく我に返った。「悟が龍介さんに、自分が持っているMKの株を私に譲ると言ったんだって」「えっ?」佳世子は驚いて目を見開いた。「何かの罠じゃないの?」「わからない。でも、彼が突然こんなことをするなんて。警戒しなきゃね」「龍介さんは他に何か言ってた?」佳世子が尋ねた。「いいえ」紀美子は答えた。「ただ、悟が彼に話したことを教えてくれただけ」「わからないことはただ静かに見守るしかないわね。紀美子、もう考えないで。明後日の出張、忘れないでね」「出張?」紀美子は携帯を置きながら不思議そうに尋ねた。「どこに行くの?」「言わなかったっけ?」佳世子は一瞬唖然とした。「ああ、そうだ。あなたに送るつもりだったの、昨夜用事があって忘れてた!」「出張で何をするの?」紀美子はため息をつきながら尋ねた。「ファッションショーよ!S国のファッションショー!世界トップクラスのデザイナーが集まるの!あんたの師匠にも行くかどうか聞いてみて。行くなら、何
「紀美子、君は私に何か頼みたいことがあるんだろう」紀美子は一瞬戸惑った。「龍介さん、どうしてそう思うの?」「悟に関する多くの証拠を見つけたのに、どう解決すればいいかわからないんだろう?」「……そうね、その通り。証拠を提出できる、信頼できる人が見つからないの」紀美子はお茶を一口飲んでから言った。「わかっている。悟がここまで来られたのは、背後に大きな勢力があるからだ。君の性格からも、困難に直面してもすぐに人を頼るタイプじゃないことも知っている。だから、私は君が口を開くのを待っていたんだ」「晋太郎の友達が悟の勢力を調べてくれたんだけど、帝都の警察局長は彼の友達らしいの。市長に集まった証拠を提出しようと思ってたんだけど、受理してくれないかもしれない」紀美子はカップを置いてから言った。「当然だ」龍介は言った。「市長は常にGDPを重視している。悟が彼に利益をもたらすなら、彼は当然、不必要な情報には目もくれないだろう」紀美子はしばらく黙り込んでから口を開いた。「龍介さん、私は本当に何の力もない。この件は……」「私が手伝う」紀美子が言い終える前に、龍介が彼女の言葉を遮って言った。紀美子はカップを握りしめ、深呼吸をして龍介をまっすぐ見つめた。「龍介さん、一つ聞いてもいいですか?」彼女はゆっくりと尋ねた。龍介は紀美子のカップにお茶を注ぎながら答えた。「私がなぜ君を助けるのか、聞きたいんだろう?」「ええ」紀美子は小声で答えた。以前、MKを買収した時、龍介は商人としての利益を追求すると言っていた。なぜ今回、自分に手を貸そうとしてくれているのか?「紀美子、私は確かに別の目的があって君を助けようとしている。私の個人的なエゴだ。私は君に、娘の母親になってほしいと思っている」龍介は静かに急須を置いてから言った。紀美子は龍介を見上げた。彼女は突然頭の中が真っ白になった。「急いで答えを求めているわけじゃない。万が一君が断ったとしても、この件は手伝うよ。君がこれまで娘を可愛がって世話してくれたことに対する感謝の気持ちもあるからね」紀美子は恥ずかしさで耳を赤くさせた。「龍介さん、ごめんなさい。今は他のことを考える余裕がないの」「構わない」龍介は言った。「私は市長に連絡を取
「紀美子、君はこの世界をあまりにも単純に考えすぎている。証拠だけでは、私を動かすことはできない。もし君が本当に私を憎んでいるなら、君自身の手で私の命を奪って彼らの仇を討つのも構わない」そう言って、悟は立ち上がり、ベッドサイドテーブルの引き出しから一丁の拳銃を取り出した。彼はその拳銃をテーブルの上に置き、自分は再び座った。「銃はここにある」紀美子は衝動的に銃を取りたくなったが、手を伸ばした瞬間、彼女は止まった。自分はすでに証拠を集めている。今、悟を殺してしまえば、自身も巻き込まれてしまう!彼は自分を道連れにしようとしている。彼の思うままになる必要はない!紀美子は悟を殺したいという気持ちを抑えた。「私はあんたの血で手を汚すつもりはない!」そう言い終えると、紀美子はソファから立ち上がり、去ろうとした。しかし、二歩歩いたところで、悟が彼女の手を掴んだ。「紀美子……」紀美子は反射的に手を引っ込み、悟を嫌悪するように見つめた。「あんた、一体何がしたいの?」月明かりを背に、悟の表情は紀美子にはっきりとは見えなかった。しかし、彼の嗚咽する声は彼のすべての感情を露わにしていた。「紀美子……教えてくれ、もし今までのことがなかったら、君は私を気にかけてくれただろうか?」「そんなに答えが知りたいの?」紀美子は冷たく笑った。「それなら今日はっきりと言っておくわ。私はかつて、あんたと一緒になることを真剣に考えてた。あんたを大切に思っていたし、長年にわたってあんたが私にしてくれたことに対して罪悪感も感じていたからね。でも、結局、私はあんたにとってただの復讐の道具でしかなかった!ここまで話せば、あんたにもわかるでしょう?もう説明する必要はないはずよ」紀美子の言葉を聞き終えると、悟はゆっくりと彼女の顔から視線を外した。彼は無力にその場に立ちすくみ、何も返す言葉が見つからなかった。答えを得られない時より、答えを得た後の苦しみはさらに大きかった!紀美子が去ろうとした瞬間、悟の目から涙がこぼれ落ちた。きっと彼女を手に入れるチャンスがあったはずだ……しかし、憎しみに目がくらみ、彼女への感情を見失っていた。悟は口をわずかに開け、深呼吸を繰り返して感情を整えた。彼は目線を上げ、開いたドアを見つめた