莉奈は俊介を引っ張って尋ねた。「あのデブ女、私たちと何を話し合うつもりなのかしら?」「俺が提示した離婚協議書にあいつは同意しなかった。たぶん離婚の件でまた話したいんだろ」離婚訴訟も時間がかかる。恐らく陽の一件で、唯月は一刻も早く離婚してしまいたいのだろう。俊介は莉奈を連れて彼の車のほうへと向かった。二人は車に乗り、彼は莉奈のほうに体を寄せて、辛そうな顔で莉奈の顔を撫でた。「痛む?」「あなたは?」俊介は自分の顔を撫でた。「めっちゃ痛えよ、陽の一件であいつ相当怒ってるらしい。まあ、このビンタであいつの気を晴らせるなら我慢してやるよ」莉奈は叩かれた自分の顔を触って言った。「俊介、あの女がそんなに離婚したがってるなら、離婚条件をもっと厳しくしてもいいと思うわ。一番はあの女に何にも渡さないことよ。彼女がもし嫌だって言ったら、さっさと離婚訴訟を起こさせちゃいましょ。私たちは耐えられるし」俊介はそれに同意した。「あいつについて行ってみよう。まずはあいつがどう出るのか見てみよう」二人は今、唯月が早く離婚したいと焦っていて、彼女をうまくコントロールして何も渡さず追い出せると思っていたのだった。唯月に財産を一切渡さず追い出せると思い、莉奈は叩かれた顔をさすりながら、口角を上げて勝ち誇ったような笑みを浮かべた。唯月はあるカフェをゲス男と泥棒猫の二人と話し合う場所に決めた。彼女は席に座ると、自分の分のジュースを注文した。そして冷ややかな目で莉奈が俊介の腕を引いてやって来るのを見ていた。彼らはわざと彼女の前でイチャついている姿を見せつけて、彼女を刺激しているのだ。唯月は冷たく笑った。彼女はただ成瀬莉奈が現れてくれたことに感謝していた。彼女に俊介の隠れた劣悪な本性を教えてくれたからだ。こんなゲス男など成瀬莉奈にくれてやる。俊介たちが唯月に近づくと、テーブルの上に黄色のファイルがあるのが見えた。それを見て俊介の瞳が揺らいだ。そして、何も気にしない様子で座って唯月に「それはなんだ?」と尋ねた。唯月はその黄色のファイルを駿介の前へとずらした。俊介はその中身は唯月が書いた離婚協議書だと思ったが、それを持ち上げてみると、とても重かった。その中は絶対に離婚協議書ではない。莉奈も興味津々で彼に近寄り、その中に何が入っているのか見
「私がどうやってそれを集めたのかなんてどうだっていいでしょ。俊介、もしも私がその不正で稼いでいた証拠を社長に密告したら、これからどうやってスカイ電機の部長でいられるかしらね?」唯花は姉に注意していた。俊介にその不正の証拠を見せずに、ただ言葉だけで彼を脅せと。しかし、唯月は俊介のことをよく理解していて、証拠がなければこの男を脅すことなどできないと思ったのだった。だから、彼女は理仁の友人が集めてくれた証拠を全てコピーして持ってきたのだ。俊介がそのコピーを破ってしまっても、彼女はまだいくらでもコピーすることができる。このような証拠があれば、俊介は自分の首を守るために、譲歩して彼女と離婚の話し合いに応じるだろう。この時の彼女は理仁がすでに九条悟に指示を出して、スカイ電機に全面的に圧力をかけているということは知らなかった。俊介と莉奈がどう足掻いても、どのみちクビになることには変わりはないのだった。俊介は怒りに歪んだ顔をしていた。彼はぎろりと唯月を睨み続けている。唯月も以前はスカイ電機で働いていた。さらに財務部長にまで昇進していて、当時の彼女は彼よりもずっと仕事ができたのだ。当時の彼のプレッシャーが大きく、自分は唯月には敵わないとプライドをズタズタに傷つけられて、自分よりよくできる彼女を部長の地位から引きずり降ろすために彼女にプロポーズしたのだ。彼らは知り合ってからもう十数年と長い時間が経っていて、またその中でも数年間付き合っていた。唯月の中では二人は深く愛し合っていると思っていた。唯月も彼と結婚する準備はしていた。彼がプロポーズしてきた時は大喜びしてそれを受け入れた。そして、結婚の準備をする時には、彼女がどのような要求をしてきても彼とその家族たちは全て応えてくれた。彼は彼女に対して今までよりももっと優しく、気配りしてくれるようになった。それでようやく結婚してから唯月に仕事を辞めて、子作りをしようと説得させることができたのだった。唯月が妊娠してから、俊介は子供が生まれるのを心待ちにしていた。そして、会社では唯月と比べられることもなくなり、プレッシャーも減って、だんだん社長に評価されるようになり、昇進していったのだった。それで今日の部長という肩書きがあるのだ。そして一方の唯月はと言うと、妻となり母親となり、毎日毎日この家
綺麗だった彼女は太ったことで全てが台無しになった。かつて幸せだった彼女の全てが、この男の手によって壊されてしまった。「唯月、どうしたいんだ?」俊介は少し口調を和らげて彼女に尋ねた。「お前の要求を言ってくれ。俺にできることなら、なるだけその要求を叶える。そして、俺たちはきれいさっぱり別れようぜ。そうしたら、この原本を俺にくれ」現在、彼には四千万近くの財産がある。しかし、もし彼が唯月とよく話し合えなかったら、彼女は離婚訴訟を起こすことだろう。彼女の手元には証拠が揃っているから、彼女のほうが有利で、彼は不利な立場だ。裁判所は当然半分の財産を唯月に分割するように判決を下すはずだ。唯月がもし彼が不正していた証拠を社長に渡せば、社長は彼をクビにしなくとも、部長という椅子から降ろされてしまうのは確実だ。しかも、彼は顧客からも不正に金をもらい、お金をもらった以上、顧客のためにいろいろなことをした。それに顧客を手伝って会社の不利益になるようなこともしていたのだった。社長がそれを調べれば、すぐにはっきりとわかり、怒りに触れて仕事を失ってしまうことだろう。もしかすると、社長が彼のこの行為を外部にも流し、今後、彼は新しい仕事を見つけるのが困難になるかもしれない。これは彼の将来に関わる。今後の自分の利益に関わる問題だから、たとえ俊介がこの時唯月を絞め殺したいくらい憎んでも、腰を低くして唯月としっかり離婚の話し合いをしなければならない。「あなた名義の全ての財産については別に多くもらおうとは思わないわ。半分ずつよ。それは私がもらう権利があるものだからね。家と車はいらないわ。だけど、お金にして払ってもらうわ」唯月は彼女の要求を提示した。「家のリフォーム代についてだけど、それはいらない。自分でお金を使ってリフォームしたんだもの、自分で取り返すわ」俊介が離婚に応じたら、離婚手続きをし、すぐに人を雇って家のリフォームした箇所を全て壊し、壁もはぎ取ってやるつもりだ。俊介が買ったばかりの家の状態に戻して返してやるのだ。「陽の親権は私がもらうわ。あんたは毎月六万円の養育費を払ってちょうだい。あんたの収入なら、これくらいちっぽけなものでしょう。あの子はあんたの子供なんだから、きっと問題ないわよね?陽が18歳になったら養育費は払ってもらう必要はない。
少し沈黙してから、俊介は言った。「唯月、俺がその財産分与に同意すれば、本当に手元にある証拠を俺にくれるんだな?絶対に社長んとこに伝えたりしないと?」「私がもらうべきものをもらえれば、私個人があんたに対して仕返しするような行為はしないと約束する」しかし、彼女の妹やその夫が何をするかは、彼女は保証できない。俊介はまた暫くじっくりと考えてから言った。「財産分与の件はいいだろう。だが、陽の親権に関してはお前にやることはできない。陽は我が佐々木家の子だ。うちの父さんも母さんも内孫である陽を重要視しているからな。だから、陽の親権は譲ることはできん」俊介は陽の親権を唯月に渡してしまい、家に帰った後、両親からひどく怒鳴られるのを恐れていた。しかも、陽はなんと言っても彼自身の息子だ。彼には今のところ陽一人しか息子がいないから、手放すことができないのだ。唯月はまだ飲み終わっていないジュースを持って、俊介の顔にぶちまけた。「俊介、よくも私と陽の親権争いができると思うわね?陽に佐々木家の血が流れていて、あんたの両親の孫だとか、そんなふざけたこと言わないでくれるかしら。あんた達が陽に何をしたか、もう忘れたって言うの?陽はね、今でもまだ急に泣き出すことがあるの。顔に残っている青あざはまだ消えていないわよ。あんた達が陽に与えるダメージがまだ足りないというわけ?陽があいつらに殺されたらようやく満足できるとでも?」俊介は唯月にジュースを顔にかけられて、そのありさまは、本当に散々なものだった。彼は唯月の行いにはもう腹が立ってしかたなかった。莉奈は急いでティッシュを取って、彼の顔にかかったジュースを拭きながら、唯月に言った。「ちゃんと話し合うんじゃなかったの?なんでこんなことするのよ。彼のスーツも濡れて汚れちゃったじゃないの、弁償できるわけ?」「成瀬さん、あなたはまだ状況を理解できていないみたいね」唯月は皮肉交じりに言った。「私とこいつがまだ離婚手続きをしていないのだから、こいつはまだ私の夫なのよ。こいつのスーツがどうなろうが、それは家庭内での問題よ。あんたに弁償しろと言われるような筋合いがあって?あんた一体何様よ?」莉奈は怒りで顔を赤くさせ、また青ざめさせた。「莉奈」俊介は優しく言った。「俺は大丈夫だから。この女のせいで怒って体を壊し
俊介は心配だった。彼がいなくなると、唯月が莉奈に何かするんじゃないかと思っていたのだ。唯月は彼と成瀬莉奈のホテルでの浮気現場を捕まえたあの夜、莉奈をひどく痛めつけたのだ。彼はあの後、あの夜のことを思い出しただけでも恐ろしくなる。唯月は冷たい声で言った。「この女を殴ったら私の手が汚れるだけだし。安心して、私は一切手出しをしないから」「唯月、これは俺ら二人の事だ。俺がここにいたらいけないのか?」俊介はやはり心配だった。唯月が彼から家庭内暴力を受けた時、包丁を振り回して彼を街中追いかけたのだ。だから、彼は唯月は一度キレると、本当に何をしでかすかわからない奴だと思うようになっていた。「これは妻である私と浮気相手の泥棒猫との話し合いよ。あんたみたいなゲス男には用はないわ」佐々木俊介「……」彼はぎろりと唯月を睨みつけ、しぶしぶと立ち上がってその場から離れた。俊介がいなくなってから、莉奈は髪の毛を整えながら唯月に尋ねた。「さあ、一体何の話?唯月さん、俊介が愛しているのはこの私なの。あまり大事にしたくないなら、さっさと彼と離婚したほうがいいわよ」「安心して」唯月は落ち着き払って言った。「別にあの男をあんたと争いたいわけじゃないから。あいつは私のことをなんとも思ってないし、争っても意味がないわけよ、だから、その必要はまったくないわね」彼女も別に俊介と離婚して生きていけないわけではない。離婚してもこの地球は普段と変わらず周り続ける。しかも俊介と離婚したほうが、彼女は幸せに生きていけるのだから。「成瀬さんって、私よりも若いでしょう。俊介と一緒にいる時は可愛がられるお嬢さんだわ。あんた、本気で2歳半の子供の継母になるつもり?」この時、莉奈の表情はこわばった。そして暫くしてからやっとどうにか口を開いた。「陽ちゃんは可愛いわ。努力して陽ちゃんと仲よくなれるようやっていくつもりよ。俊介のことを思えば、喜んで彼と一緒に陽ちゃんを育てていくわ」「成瀬さん、あまり無理をしないほうがいいんじゃないの。俊介はここにいないわ。あいつはあなたの本当の気持ちを知ることはないんだから」唯月は皮肉を交えて言った。「継母ってすごく大変よ。あなたが本心でも、取り繕ってやっていたとしても、他人はみんなあなたを悪い継母だって言うことになるわ。陽に厳しく
「成瀬さん、私と俊介が離婚したら、あなたは彼と結婚するんでしょ。あなた達はまだ若いし、きっとすぐにあなた自身の子供ができるわ。その子供の父親の愛を陽に分けてあげることができるの?俊介が陽を両親のところへやって世話をしてもらうと言っているとしても、陽が可哀想だと思って、陽のほうへ味方するようになるわ。彼らは俊介に陽のほうを可愛がるように言って、あなたの子供とは違う扱いをするわよ。自分の子供にそんな辛い思いをさせられるの?陽の親権が私に渡れば、俊介に毎月養育費を六万円だけもらって、それ以外のことに俊介を巻き込むことはないわ。あの人が長年ずっと陽に会いにこなくたって、別に責めたりしない。あなたとその子供に与える影響が一番少なくて済むのよ。あなたも私と俊介の子供である陽の影を感じずに済むわ。あなたが陽と一緒にいて、毎回陽に会う時、絶対に私と俊介の過去のことを思い出すはずよ。私と彼は知り合って十二年の仲なの。七年間恋愛して、結婚生活は三年ちょっと続いたわ。この時間はあなたよりもはるかに長いの。あなた本当にまったく気にならないわけ?陽が私の手に渡れば、あなたは毎日私の子供を視界に入れずに済むのよ。もしかしたら、初めのうちは俊介が子供に会いに来るかもしれないけど、あなたとの間に子供ができれば、彼の気持はそっちの子供に注がれるわ。そしてあなたの子供は父親の愛を一身に受けることができる。そのほうがいいでしょ?あの人はお金を稼ぐことができるんだから、今後稼いだそのお金は全てあなたとその子供に使われるの、良い話でしょ?陽が18歳になれば、俊介はもう何もする必要ないわ。あなた達もその分お金をかなり節約できるはずよ。結婚するなら、盛大に結婚式をするでしょう。新居も車も必要でしょうし、生活用品、そして披露宴にたくさんのお客を呼んだら、ものすごくお金がかかるわ。陽が俊介と一緒にいたら、成人して陽が家を買ったり、結婚したりするときにお金がまたかかるかもしれない。それはあなた自身の子供の利益を持って行かれるってことなのよ」莉奈は暫くの間黙った後、唯月に尋ねた。「あなた、私に何をさせたいの?陽ちゃんがあなたの方に渡れば、俊介とは二度と会わないって約束できる?彼が陽ちゃんに会いたいと言ったら、陽ちゃんを俊介の両親のもとに連れて行って、そこで面会させるのよ。陽ちゃんにか
唯月は笑って言った。「今あの人はあなたに夢中よ。あなたの言う事ならなんだって聞くに決まってる。今から彼と話してきて。陽の親権を放棄すると言ったら、会社に休みをもらって午後私と離婚手続きを終わらせましょうって伝えてちょうだい。あの人が早く独身に戻れば、あなたも早く彼と結婚できるでしょう。スカイ電機の部長夫人になれるわよ。スカイ電機はこの業界の中ではなかなかの会社で将来性もあるし、規模も大きいわ。あなたが部長夫人になったら、会社の中でも高い地位を得られるじゃない。重要なことは、彼は今後ずっとあなたのものになるってこと。彼はあんなにたくさん稼げるんだから、あなたも欲しい物があれば何でも買えるわよ。今までみたいにこそこそする必要もないし、堂々と外でも彼とイチャイチャできる。女性なら誰だって、自分の愛する人と何も憂いなく一緒に過ごしたいと思うものでしょう。俊介はまだ30歳っていう若さなのに、今のような仕事をしているんだから、ビジネス界では成功者と言えるでしょうね。もし、彼を逃したら、今後彼よりも良い男性が見つからないかもしれない。成瀬さん、あなたと俊介の幸せのためにも上手に彼を言いくるめないとだめだわ」莉奈は少し考えてから言った。「ちょっとパソコンを借りてあなた達の離婚協議書を書いてちょうだい。あなた達がサインして押印したら、後で市役所に行って離婚手続きをするの。私は今から俊介のところに行って、陽ちゃんの親権を諦めるように説得するわ」「それはできるけど、財産分与でちゃんとお金をもらわないと、役所に離婚手続きにはいけないわ。離婚してしまってあなた達が考えを変えるとも限らないでしょ?」唯月も馬鹿ではない。彼女が佐々木俊介に何の未練もなくなった時から、彼女は一歩も引く気はなかった。自分が損を被らないように、きちんと準備をしておかなければならない。莉奈が携帯を取り出して時間を見てみると、すでに午後二時を回っていた。早く事を進めれば、この日の午後に二人は離婚手続きを終わらせることができる。「ここで待っていて。いえ、先にちょっとパソコンを借りて離婚協議書を作って印刷しておいてちょうだい。今から俊介を説得してくるから」莉奈もこれ以上俊介と唯月が離婚のことでダラダラと続けていたら、俊介となかなか結婚できないと焦っていたのだ。さらに唯月に証拠
俊介は外で待っていたが、店の中の様子をずっと確認していた。唯月がまた発狂して莉奈を殴らないか心配だったのだ。莉奈が出て来たのを見て、彼はやっと安心した。急いで彼女を迎えに行った。「莉奈、あいつ手を出してこなかった?」莉奈は頬を触って言った。「さっき一発叩かれただけで、あなたが出て行った後は手を出してこなかったわよ」その時は俊介も唯月に一発叩かれた。彼は彼女を可哀想だと思い言った。「莉奈、今後は二度とあいつに手出しさせないからな」そして彼はまた尋ねた。「あいつ、莉奈に何を話したんだ?」莉奈は周りを見渡した。彼らは街中にいて人の往来はあるが、誰も彼ら二人には注目していなかった。彼女は俊介が自分を心配して見つめる瞳を見つめ、聞き返した。「俊介、あなたは私に辛い思いをさせないよね?」「俺がそんなことをするわけないだろ。あいつと離婚するのは、君に辛い思いをさせたくないからだよ」俊介は彼女の手を取った。「莉奈、もしかしてあの女、君を怒鳴りつけたのか?今からあいつのところに行ってケリつけてくる」「違うわ」莉奈は店に戻ろうとした俊介の手を引っ張って、小声で言った。「俊介、私、陽ちゃんの継母にはなりたくないわ」俊介は彼女のほうへ振り向いた。「陽のこと可愛いって言ってなかった?陽のことが大好きだから、喜んで一緒にあの子を育ててくれるって」俊介はこの時声を高くしたが、周りの人に見られるのを気にして、また声を低く落として言った。「莉奈、まだ自分の子供もいないのに、他人の子供の継母になるなんて嫌なことだってわかってる。でも陽は俺の息子なんだ。佐々木家の血が流れてる。だから絶対に佐々木家に留めておかないと。安心して。離婚したら陽は両親のところで面倒見てもらうから。うちの父さんも母さんももう了承済なんだ。俺たち二人に何も影響ないよ。俺たちは今まで通り、甘い二人っきりの世界で過ごせるからさ」莉奈は黙った後、また口を開いた。「あなた、私が子供を産めないと思ってるの?私だって自分の子供を産むことができるわ。お腹を痛めて産んだ子供が可愛いのは誰だって同じでしょう。陽ちゃんのことを自分の子供のように見ることなんかできないわ。周りはきっと私のことを悪い継母だって批判してくる。そんな目に私が遭って、あなたは平気なの?あなたのご両親
「本当に気が利く優しい人ね」唯花は服を手に取り、すぐにはベッドをおりなかった。片手で服を抱きかかえ、もう片方の手で携帯を取り、いつものように先にインスタを開いて確認した。昨夜アップしたストーリーズには数人「いいね」を押してくれていた。しかし、そのストーリーズを公開している人は近しい友人などに限っていた。業者が提携している店にだけ売るように、彼女は誰にでも見せるのではなく、自分のプライベートな空間をしっかりと守っていたのだ。ストーリーズなら、どのみち24時間で削除されてしまうし。昨晩アップしたストーリーズに初めに「いいね」を押した人は理仁だった。唯花はそれを見て驚いた。彼ら夫婦がお互いにインスタをフォローした時に、彼女はストーリーズを彼に対して公開するにしていただろうか?たぶん当時、彼がフォローしてくれた時に、特に彼に対してストーリーズを非公開設定にはしていなかったのだろう。結婚手続きをしてからというもの、彼女のハンドメイド作品やベランダに咲く花以外に特に何もストーリーズに投稿していなかったことを思い出した。唯花はそれでホッと胸をなでおろした。幸いにもインスタで理仁の悪口を言っていなくてよかった。その時、理仁がドアを開けて入ってきた。「目が覚めた?」彼はスポーツウェアを着ていた。聞くまでもなく、彼は外で朝のジョギングをしてきたのだ。「寒くなったのに、あなたもこんな朝早くに起きてジョギングだなんて」「習慣になってしまったからね」理仁は部屋のドアを閉めた後、彼女のほうへ歩いてきて、ベッドの端に腰をおろし、心配そうに彼女に尋ねた。「お腹はまだ痛い?」「もう大丈夫よ」唯花は服を抱えて携帯を手に持ちベッドからおりた。「今すぐ着替えたりしないよね、私が先に洗面所に行ってくるから」「先に使って。俺は朝ごはんを作りに行くから」唯花はそれを聞いて足を止め、彼のほうへと向いて尋ねた。「あなた、問題ない?」聞いた理仁は顔を暗くさせた。唯花は彼のその表情の変化に気づき、急いでいった。「そういう意味じゃなくて、美味しい朝ごはんが作れるかって聞きたかったの」理仁は立ち上がり、彼女の前までやって来ると、手を彼女の整えていない乱れた髪に当て、それを梳かしてあげながら低い声で言った。「俺に問題があるかないかは、君が実際
理仁は唯花を抱きしめて、一緒に夢の世界に入ろうと思っていた。そして瞳を閉じた後、彼は突然あることを思い出し、急いで彼女をそっと自分から離し、ベッドに座り直した。そして手を伸ばして唯花がベッドサイドテーブルに置いた携帯を手に取った。彼がインスタに投稿したのは彼ら上流社会たちの間で彼が結婚したと宣言するものだった。その写真は必ず外に流出することだろう。理仁も別にその写真が世間に広まっても怖くはなかった。ただ手が写っているだけだから唯花を守れてはいるのだ。だからそんなに早く記者たちから彼女が詰め寄られることはないのだ。しかし、唯花がアップしたインスタは、恐らく神崎姫華も目にすることだろう。彼女と神崎姫華は今とても仲が深くなっているから、二人は絶対にお互いをフォローしているはずだ。そして、神崎玲凰が誰かを介して理仁の写真を見て、さらに姫華も唯花のインスタ投稿を見れば、その二つを見比べて姫華がきっと唯花こそが彼の妻だということに気づくだろう。今はまだ神崎姫華に彼と唯花の関係を知られるわけにはいかない。唯花と神崎夫人がDNA鑑定をした結果はここ数日で出てくるはずだ。その結果がどうであれ、唯花と姫華が気が合うという事実は変えようがない。彼の正体が姫華によってばらされてしまったら、その結果どうなるか理仁は想像するだけで恐ろしかった。唯花の携帯を手に取り、理仁は彼女のインスタを開こうと思ったが、パスワードがあるから開くことはできなかった。「パスワードか――」理仁は眉を寄せて、さっき唯花が携帯を開いていた時のことを思い出していた。彼はすぐ横にいて、見ていたのだ。彼女の設定したパスワードは――暫く記憶を呼び覚ましてから、理仁は入力を試みた。一回目は間違った。そして、二回目もまた間違えてしまった。理仁は手を止めた。自分に冷静になれ、焦るなと言い聞かせ、唯花がパスワードを入力していた時、どの数字を打っていたかまた思い出そうとした。しんとした時間が数分過ぎ、理仁は再び入力を試してみた。今回はパスワードが正しく無事開くことができた。理仁は口元をニヤリとさせた。彼は今、数千億の契約を取った時よりも嬉しそうな顔をしている。彼は急いで唯花のインスタを見てみた。やはり姫華がフォローしていたのだった。姫華が自分のインスタアカウント
彼女がここで注目したのはまさか金なのか!彼は結城家の御曹司にして、結城グループを率いる社長だ。家は億万長者の名家だというのに、まさか妻からお金があるのかと疑われる羽目になるとは……彼女を離し、理仁は立ち上がって出て行ってしまった。唯花は目をパチパチさせて、怒りん坊をまた怒らせちゃったかと思っていた。彼女も立ち上がったが、彼をなだめに行くことはせず、自分で水を入れて彼が持ってきてくれた薬を飲んだ。彼が自分の格好も気にせず、ナイトウェアとスリッパ姿で薬を探しに行ってくれたのだ。彼女がそれを飲まなかったら、彼のせっかくの好意を無下にしてしまって、また彼がさらに腹を立ててしまうかもしれない。すると理仁はすぐに彼女のもとへ戻ってきた。「手を出して!」彼は命令口調で言った。「どうしたの?」唯花が彼のほうへ顔を上げると、彼の手には赤いボックスがあって、彼女は尋ねた。「……これって、指輪?」理仁はそのボックスを開けて、彼女の左手を掴み、その中に入っていたゴールドの指輪を取り出して彼女の薬指にはめた。「これは俺が先に買っておいたものなんだ。後でエタニティリングのほうが綺麗だと思って、あれにしたんだけど、とりあえず今はこれをつけておいて。これはまあ応急措置とでも言っておこうか。明日の朝店に着いたら、あのエタニティリングをまたつけてあげるよ」ゴールドの指輪は理仁が本来、神崎姫華を追い払うために買ったのだが、その時に唯花のことを思いカップルリングで買っておいたものだ。今、ようやくこの指輪も登場する出番が回ってきたのだった。唯花の指にそのゴールドの指輪をはめ、理仁は自分の指輪も取り出した。とりあえず、エタニティリングは外して、このゴールドの指輪のほうをはめておくことにした。彼女とずっと一緒にいると約束したのだから、お揃いでつけていなくては!まったく呆れた俺様大王だ。偉そうだし、心は狭いし、すぐにヤキモチを焼きたがる。その嫉妬はこの世を崩壊させてしまうくらいに激しい。唯花は心の中でこの自分の夫に愚痴をこぼしていた。理仁はゴールドの指輪をはめた後、再び唯花の手を取り、お互いの指を絡め合った。そして、もう片方の手で携帯を取り、夫婦二人がしっかりと握った手を写真に収めた。唯花は可笑しくなって言った。「これをインスタにでもアッ
唯花は座って、そのジンジャーティーを持ってきて、ゆっくりと飲んだ。理仁が心配してくれる気持ちのおかげか、それともジンジャーティーの効果なのか、彼女は飲み終わって少しの間横になっていると、かなりお腹の痛みが緩和された。理仁が薬を手に入れて戻ってきた頃、彼女は携帯でニュースを見ていた。「お腹が痛いのに携帯をいじってるなんて」理仁は彼女のもとへ近寄り携帯を取って、薬を彼女に手渡した。実際はボディーガードに頼んだのだが、彼はこう言った。「夜遅いからドラッグストアは閉まってたよ。だから、比較的近くに住んでる同僚に連絡して痛み止めを持ってないか聞いたんだ。さ、これを飲んだら休むんだ」唯花は顔を彼のほうへ向けてじいっと見つめた。「どうした?」彼女は突然立ち上がり、彼の前に立って彼の腰をぎゅっと抱きしめ感動した様子で言った。「理仁さん、あなた私に優しすぎるわよ!」理仁も彼女を抱きしめ返した。そしてジンジャーティーを飲んで彼女はだいぶ楽になったのだと思い、愛情のこもった声で言った。「君は俺の妻だろ、優しくするのは当然だ。じゃなきゃ一体誰に優しくしろって?」彼が彼女にとても良くしてくれると感じてくれれば、今後彼に騙されていたということを知っても、彼を捨てることはしないと願っていた。きっと彼が彼女に優しくして、よく気遣ってくれたことを思い、それを考慮してくれるはずだ。おばあさんからも彼女の心を攻めろと言われていたことだし。甘い言葉を吐くのは彼は慣れないし、彼女だって聞き慣れない様子だ。だから日々の暮らしの中の細かいところまで気を配り、少しずつ彼女の心を溶かして信頼関係を築きあげ、彼女が彼を深海の如く深く深く愛するようにさせるしかない。そうすることで二人の未来が開けるのだから。「理仁さん」「なに」「あなたさっき出かける時、どんな格好で行ったかわかってる?ナイトウェアで出かけていったのよ」理仁は驚いて急いで彼女を離し、視線を下に向けて自分の着ている服を見てみた。確かにナイトウェアだ。「しかもスリッパを靴に履き替えずに出かけていったんじゃない?」理仁はまた自分の足に視線を落とした。なるほど出かけている時、なんだか足がスース―すると思ったわけだ。スリッパのまま出かけてしまったのか。幸い夜遅くに出かけたので、誰も彼を見てい
「唯花さん、どうしたんだ?」理仁は彼女の異様な様子に気づき、急いで近寄ってベッドの端に腰をおろした。そして手を伸ばして彼女の身体に当て心配そうに尋ねた。「具合が悪いの?」「お腹が痛いの」「お腹が?もしかして夜食を食べた時に、食べ過ぎで痛くなったの?」唯花は彼をうらめしそうに見ていた。「違うの?だったら、どうしてお腹が痛くなった?」唯花は体の向きを変えて彼に背を向けた。「あなたにはわからないわ。ちょっと横になって我慢してたら良くなるわよ」理仁は眉をひそめた。彼は立ち上がって、すぐに腰を曲げ唯花をベッドから抱き上げた。そして整った顔をこわばらせて言った。「俺には医学的なことはわからない。でも医者にならわかるだろう。病院に連れて行くよ。我慢なんかしちゃだめだ。もし何かおおごとにでもなったら、後悔してももう遅いだろ」「病院なんか行かなくていいの。私はその……月のものが来ただけよ。だからお腹が痛くなったの」理仁「……月のもの……あ、あー、わ、わかったよ」彼は急いで唯花をまたベッドに寝かせた。「どうして痛くなるんだ?」彼は女性が生理中にお腹が痛くなるということを知らなかった。彼の家には若い女の子はいないのだ。両親の世代には女性がいるが、若い女性には今まで接したことがない。そう、だから本気でこんなことは知らなかったのだ。唯花が生理になった当日は、彼は彼女にジンジャーティーを入れてあげたが、あれは彼が以前、父親が母親にそのようにしてあげていたのを見たからだった。それで女性は生理中にはジンジャーティーのようなものをよく飲むのだと理解していた。「たぶん昼間たくさん動いたし、寒かったし、それで痛くなったんだわ。またジンジャーティーでも作ってくれない?」「わかった。暫く耐えてくれ。すぐに作ってくるから」理仁はすぐにジンジャーティーを作りに行った。キッチンで彼は母親に電話をかけた。「理仁、お母さんは寝ているぞ。何か用があるなら明日またかけてくれ」電話に出たのは父親のほうだった。「父さん、母さんを起こしてくれないか?ちょっといくつか聞きたいことがあるんだ」「聞きたいことって、今じゃないとダメなのか?言っただろ、母さんはもう寝てるんだって。彼女を起こすな。何だ、どんな問題なんだ?父さんに言ってみろ、解決できるかも
俊介はかなり怒りを溜めていた。一方、唯花のほうは今日、かなりスッキリしているようだ。夫婦二人が姉の賃貸マンションから出て来た後、唯花はずっと笑顔だった。理仁は可笑しくなって彼女に言った。「そんなに豪快に笑ってないでよ。お腹が痛くなるよ」「笑いでお腹が痛くなるっていうなら、ウェルカムよ。今頃、佐々木俊介はあの家に帰ってる頃よ。あいつ家に着いてどんな反応をしたかしらね?絶対入る家を間違えたって思ってるわよ。あはははは、あいつの反応を想像しただけで、思わず笑いが込み上げてくるわ。またちょっと大笑いさせて、あはははははっ……」理仁も彼女につられて笑ってしまった。そして危うく街灯にぶつかってしまうところだった。驚いた彼は急いでハンドルを切り、それをなんとかかわした。唯花もそれに驚いて笑いを止めた。安全運転になってから唯花は言った。「理仁さん、あなたの運転技術は如何ほどなの?下手なら、今後は私が運転するわ。私運転は得意なのよ。カーレースだって問題ないわ」「俺は18歳の時に免許を取ったもう熟練者だぞ。さっきはちょっとした事故だ、笑いすぎて集中力が落ちてたんだよ」唯花「……まあいいわ。もう言わないから、運転に専念してちょうだい」彼女は後ろを向いて後部座席に座っているおばあさんを見た。おばあさんが寝てしまっているようだから、夫に注意した。「おばあちゃん、寝ちゃったみたい。音楽をちょっと小さくして」清水はまだ唯月の家にいて、一緒に帰ってきていないのだった。理仁は彼女の指示に従った。そして唯花はあくびをした。「私も眠くなってきちゃった」「もうすぐ家に着くよ」「ちょっと目を閉じてるから、家に着いたら起こしてね」「君は一度目を閉じたら朝までその目を覚まさないだろうが。寝ないで、あと十分くらいだから。おしゃべりしていよう」唯花は横目で彼を見た。「あなたとおしゃべりしたら、優しい神様ですら飽きて寝ちゃうかもしれないわよ」理仁「……」暫くして、彼は言った。「唯花さん、俺は大人になってから、君を除いて俺にそんなショックを与えられる人間は一人もいなかったよ」「私は事実を述べただけよ」唯花は座席にもたれかけ、携帯を取り出してショート動画を見始めた。ショート動画によってはとても面白いので、眠気も全部消えてしまった。そし
俊介「……こんなにあるゴミも片付けてねぇじゃねえか!」唯月は可笑しくなって笑って言った。「私が当時、内装を始めた時には同じようにゴミが散らかっていたじゃないの。それは私がお金を出してきれいに片付けて掃除してもらったのよ。その時に使ったお金もあんたは私にくれなかったじゃないの。今日、それも返してもらっただけよ」「人を雇って掃除してもらったとしても、いくら程度だ?そんなちっぽけな金額ですらネチネチ俺に言ってくるのかよ」「どうして言っちゃいけないの?あれは私のお金よ。私のお金は空から降ってきたものじゃあないのよ。どうしてあんたにあげないといけないのよ。一円たりともあんたに儲けさせたりするもんか」俊介「……」暫く経ってから、彼は悔しそうに歯ぎしりしながら言った。「てめぇ、そっちのほうが性根が腐ってやがる!」「私はただ私が使ったお金を返してもらっただけよ。そんなにひどいことしてないわ。あんたが当時、自分のお金で買った家と同じものにしてやっただけでしょ」俊介は怒りで力を込めて携帯を切ってしまった。そして、携帯を床に叩きつけようとしたが、莉奈がすぐにその携帯を奪いにいった。「これは私の携帯よ、壊さないでよね」「クッソ、ムカつくぜ!」俊介はひたすらその言葉を繰り返すだけで、成す術はなかった。唯月の言葉を借りて言えば、彼女はただ自分が内装に使ったお金を返してもらっただけだ。彼が買ったばかりの家はまだ内装工事が始まる前のものなのだから、誰を責めることができる?「俊介、これからどうするの?」莉奈も唯月は性根の腐った最低女だと思っていた。なるほど俊介が彼女を捨ててしまうわけだ。あんな毒女、今後一生お嫁には行けないだろう。莉奈は心の中で唯月を何万回も罵っていた。「こんな家、あなたと一緒に住めないわ」彼女は豪華な家に住みたいのだ。「私もマンションは大家さんに返しちゃったし、私たちこれからどこに住むの?」俊介はむしゃくしゃして自分の頭を掻きむしって、莉奈に言った。「ホテルに行こう。明日、部屋を探してとりあえずそこを借りるんだ。この家はまた内装工事をしよう。前は唯月の好みの内装だったことだしな。また内装工事するなら、俺らが好きなようにできるだろ。莉奈、君のところにはあといくらお金がある?」莉奈はすぐに返事をした。「
「ドタンッ」携帯が床に落ちた時、画面がひび割れてしまった。俊介は急いで屈んで携帯を拾い、携帯の画面が割れてしまったことなど気にする余裕もなく、再び部屋の中を照らして見渡してみた。莉奈も携帯を取り出して、フラッシュライトで彼と一緒に部屋の状況を確認するため照らしてみた。豪華な内装がないだけでなく、ただの鉄筋コンクリートの素建ての家屋にも負けている。「俊介、やっぱり私たち入る家を間違えてるんじゃないの?」莉奈はまだここは絶対に自分たちの家ではないと希望を持っていた。俊介は奥へと進みながら口を開いた。「そんなわけない。間違えて入ったんじゃない。それなら、この鍵じゃここは開かないはずだ。ここは俺の家だ。どうしてこんなことになってるんだ?うちの家電は?たったのこれだけしか残ってないのか?」俊介の顔がだんだんと暗い闇に染まっていった。彼は食卓の前に立った。このテーブルは彼がお金を出して買ったものだ。この時、頭の中であることが閃いた。俊介はようやく理解したのだ。唯月の仕業だ。「あのクッソ女ぁ!」彼はどういうことなのか思いつき、そう言葉を吐きだした。「あいつが俺の家をこんなにめちゃくちゃにしやがったんだ!」俊介がこの言葉を吐いた時、怒りが頂点に達していた。莉奈はすぐに口を開いた。「早く警察に通報してあの女を捕まえてもらいましょう。賠償請求するのよ。あなたの家をこんなふうにしてしまったんだから、どうしたって内装費用を要求しなくっちゃ」内装費?俊介は警察に通報しようと思っていたが、莉奈の言った内装費という言葉を聞いて、すぐにその考えを捨ててしまった。そして、警察に通報しようとしていたその手を止めた。「どうして通報しないの?まさかしたくないとでも?まだあの女に情があるから?」莉奈は彼が電話をかけたと思ったらすぐに切ってしまったのを見て、とても腹を立て、言葉も選ばず厳しく責めるような言い方をした。彼女は自分が借りていたあの部屋はもう契約を解消してしまったし、全てを片付けて彼と一緒にこの家に帰ってきたのだ。ここに着くまでは、豪華な部屋に住めると思っていて、家族のグループチャットにキラキラした自分を見せつけようと思っていたというのに。結果、目に入ってきたのは素建ての家屋にも遠く及ばない廃れ果てた家だったのだ
「私たちの家は何階にあるの?」「十六階だよ」俊介は莉奈のスーツケースを車から降ろし、それを引っ張って莉奈と一緒にマンションの中へと入っていった。エレベーターで、ある知り合いのご近所さんに出くわした。彼らはお互いに挨拶を交わし、そのご近所さんが言った。「佐々木さん、あなたの奥さん、午後たくさんの人を連れて来てお引っ越しだったんでしょ?どうしてまたここに戻ってきたんですか?」「彼女は自分の物を引っ越しで運んで行っただけですよ」相手は莉奈をちらりと見やり、どういう事情なのか理解したようだった。そして俊介に笑いかけて、そのまま去っていった。なるほど、この間佐々木さんが奥さんに包丁で街中を追い回されていたのは、つまり不倫していたからだったのか。夫婦二人はきっと離婚したのだろう。唯月が先に引っ越していって、俊介が後から綺麗な女性を連れて戻ってきたのだ。もし離婚していないなら、ここまで露骨なことはしないだろう。「さっきの人、何か知っているんじゃないの?」莉奈は不倫相手だから、なかなか堂々とできないものなのだ。俊介は片手でスーツケースを引き、もう片方の手を彼女の肩に回し彼女を引き寄せてエレベーターに入っていった。そして微笑んで言った。「今日の午後、俺が何しに行ったか忘れたのか?あの女と離婚したんだぞ。今はもう独身なんだ。君は正式な俺の彼女さ、あいつらが知ってもなんだって言うんだ?莉奈、俺たちはこれから正々堂々と一緒にいられる。赤の他人がどう言ったって気にすることはないさ」莉奈「……そうね、あなたは離婚したんだもの」彼女は今後一切、二度とこそこそとする必要はないのだ。エレベーターは彼ら二人を十六階へと運んでいった。「着いたよ」俊介は自分の家の玄関を指した。「あれだよ」莉奈は彼と一緒に歩いていった。俊介は預けてあった鍵をもらって、玄関の鍵を開けた。ドアを開くと部屋の中は真っ暗闇だった。彼は一瞬ポカンとしてしまった。以前なら、彼がいくら遅く帰ってきても、この家は遅く帰ってくる彼のためにポッと明りが灯っていたのだ。今、その明りには二度と火が灯ることはない。「とっても暗いわ、明りをつけて」莉奈は俊介と部屋の中へ入ると、俊介に電気をつけるように言った。俊介はいつものようにドアの後ろにあるスイッチ