内海唯花は言った。「おばあちゃん、大丈夫よ、今夜彼に言うわね。明日は辰巳君に送ってもらう?それとも、私たちが迎えに行こうか?」「辰巳が送ってくれるよ、午後行くかもね。週末なら、辰巳は昼にならないと起きられないのよ」孫たちがゆっくり休めるのは週末だけだ。結城おばあさんも子供たちの休みを邪魔したくなくて、自然に起きるまで寝かせてあげようと思っている。だからこそ、午後に行くことにしたのだ。「わかったわ。じゃ、おばあちゃん、晩ご飯は何か食べたいものがある?私が作るから」結城おばあさんは午後に来るなら、昼に金城琉生にご飯を奢る約束に支障はない。もし、午前中に来たら、おばあさんを連れて一緒に行こうと思っていた。どうせ彼女の奢りだから、一緒に行っても何の問題もないと思っていた。「唯花ちゃんの料理はどれもおいしいわ、おばあちゃんは全部好きなの」結城おばあさんは内海唯花の作った料理を食べた後、よく上の孫がこのような嫁をもらって、おいしいものにありつける毎日を送ることができて、幸せだと言っていた。結城家のみんなは内海唯花がいい嫁だと思っていたが、結城理仁の母親だけは彼女には両親がいないし、地方から来た田舎娘であることに不満を持っていた。結城おばあさんは何回も彼女に言った。結城家はすでに裕福で、婚姻で地位を固める必要もないから、子供たちが幸せだと思えるならそれで十分だと。義母がかなり内海唯花のことを気に入っていると知っていて、結城麗華は義母の前ではあまり悪く言えないが、夫に時々小言をこぼした。義母はよく理仁を一番可愛がっていると言っていたが、理仁に親もいない、田舎出身の女を嫁にさせ、彼の足を引っ張っているじゃないかと。これから、理仁の弟たちがみんな名家のお嬢さんを娶ることになったら、田舎育ちの内海唯花は義姉として、義妹たちとうまく付き合うことができないかもしれないし、尊敬すらされない可能性もある。息子と内海唯花が半年後、もし愛情が芽生えなければ離婚するという契約をしたのを知って、結城麗華は少しほっとしていた。自分が産んだ我が子だから、彼女は息子のことをよく知っているつもりだ。内海唯花のような女性は息子を虜にさせることはできないはずだ。神崎姫華のようなお嬢様すらも理仁を落とすことができなかった。理仁はただ、内海唯花がおばあさんを助けて
今、この費用は内海老夫婦の貯金から出している。内海じいさんは先に立て替えた費用を退院してから、孫たちが一緒に負担して返してくれと言っていた。お年寄りにとって、貯金がないと心細いものだ。この老夫婦は人柄は極めてクズだが、バカじゃない。頭ははっきりしていた。もし手の中にお金がなければ、子供や孫たちがそう優しくしてくれることはないのだと、彼らは知っていた。実の息子はいざという時、懐の財布より頼れないと昔から言われている。老夫婦の貯金はせいぜい何百万円だが、子供たちに分けてやれば、一人に百万くらいもあるのだ。ただでもらうお金なんて、受け取らない理由はないだろう。看護士が持ってきた昨日の費用を書いた請求書を見て、内海じいさんは顔がさらに暗くなった。「まだ何日も経っていないだろう、払ったお金がまた足りなくなったか」彼は子供たちに言いだした。「一人ずついくら出すかちょっと相談してみて。お金が集まったら、早く明日の費用を払ってこい。また催促されるだろう」「父さん、母さんとの貯金はもう足りなくなった?」内海家の長男が口を開けた。内海じいさんはぎろりと彼を睨んだ。「なんだ、金を出すのが嫌だってか?いくらも貯金があってももたないぞ。母さんが病気になってから、誰がお金を払ってくれたか、言ってみろよ。お前達をここまで育て、所帯を持たせて、一人前になるまでずっと手伝ってあげただろう。今母さんが病気になったら、医療費を出すのは当たり前のことじゃないか」長男は慌てて弁解した。「父さん、払わないとは言ってないよ。母さんの病気、今回全部でいくらかかるかわからないし、この数日、本当に水を流すようにお金を使っているから」彼らは今確かにそこそこ豊かな生活をしているが、母親の入院費がかなり負担になっていた。そのお金を払わなければならないと思って、長男は心が震えた。少し貧乏な生活をしても大したことじゃないが、病気になったら終わりだという言葉は確かに真理だった。「お前たちは本当に頼れないな。もしあの二人の小娘をちゃんと押えたら、今金を出す必要もなかったのに。文句があったらあの二人に言え。本当に金を出したくないなら、どんな手段だって使っていい、唯花に出させてやろう」二番目の孫は友人に頼んで内海唯花の近況を調べてみた。彼女は今星城高校の前に大きな本屋を開いていて、商
内海じいさんが唯一見えていたのは、最も重視していた二番目の孫が、ネット上の非難のせいで、会社に停職、謹慎の処分を受けたことだけだった。内海唯花の反撃が智文に停職を喰らわせるほど強力だとは思わなかった。智文は会社においては相当な重役で、社長と副社長を除いて、彼の上に立つ者はもういない状態だった。まさか本社からの一通の電話だけで、彼が停職処分にされてしまうとは。内海智文の年収は何千万円にもなる。「まだだよ。前に智文は上司を食事に招待して、神崎グループの社長の妹が智文を停職させるように要求したことで、会社からあんな処分を受けたことを知ったんだ。でも智文がクビにされるんじゃなくて、ただ一時休職するのにとどまれたのは、彼の能力が上に認められているからだ。まだどうにかできる余地がある」内海じいさんは心配そうに聞いた。「その社長の妹とやらは、どうして智文にそういうことをしたんだろうか。まさか唯花の小娘が見つけた後ろ盾じゃないのか」「そんなことないさ。彼女は東京で二番目の名家である神崎家のお嬢様だぞ。神崎家と言えば、結城家に負けないくらいの億万長者だ。そんな人物が唯花の後ろ盾になるわけないだろう。話題になった記事が神崎さんのゴシップ記事を押しのけたことに腹を立てたから、その怒りを智文にあてたんだろう」今では、二つのゴシップ記事は全部過ぎた事だから。神崎さんの怒りが収まったら、智文も会社に戻れるはずだ。「あの小娘のせいで、散々損したな。今はもう大丈夫だろう?」「完全に収まってはいないよ。ネットではまだ批判の声が絶えない状態だ」内海じいさんはまた内海唯花を罵倒した。「テレビ局に頼んで、ある番組が仲裁してくれるって言ったじゃないか。仲良くするふりをしてもいい、とりあえずやってみろ、これ以上子供たちの仕事の邪魔するわけにはいかない」内海唯花が反撃し始めてから、子供たちの仕事は全部影響を受けた。この期間失ったのは全部お金に換算できるのだ。あの日、彼は孫たちに内海唯花のところへ和解の話をしに行かせたが、うまくいかなかった。「智文に聞いてみる」次男は携帯を取り出して、内海智文に電話をかけた。内海ばあさんはまだICUにいて、子供たちの世話はまだ必要ないので、今病院にいるのは年長者だけで、若者たちは自分のことをそれぞれやっていた。内海智
神崎お嬢様は結城家の御曹司になかなかの執着を持っていた。せっかくその御曹司とのゴシップ記事がネット上で注目を集めたのに、彼らの記事に押しのけられて、虫の居所が悪くなったのだ。しかし、何が名家の令嬢だ。まるで今までの人生で全く男の人に会ったことがないようじゃないか!たった一人の男を追いかけるため、内海家を何度も酷い目に遭わせるなんて、本当に憎々しい女だ。しかし、彼ら内海家の人間が全員協力し合い、一つになって対抗しても、その憎々しい神崎お嬢様には歯が立たない。大都市に来て、今回のことがあり内海じいさんはようやく「上には上がある」という言葉を痛感した。彼の孫たちは確かに十分優秀な者たちだが、孫たちより何十倍もすごい人はもちろん存在しているのだ。「どうしてだ?前にちゃんと約束したじゃないか。父さんと伯父さんは台本も準備していたぞ。仲裁してもらう時に一芝居打って、俺らが本当に改心したと思わせる手筈だったのに。そうしておいて、もし唯花が和解してくれなければ、あちらが理不尽な態度をとる立場になるわけだ。それなのに、取り消しだと?」内海家の長男も慌てて聞いた。「智文何て言ったんだ?テレビ局が手伝ってくれなくなったのか」その後、内海智文にまた何か言われて、内海家の次男は仕方がない様子で電話を切り、兄に返事した。「どの局もこの件を受けられないと言った。しょうがない、厚かましいと思うが、何回も頼みに行くしかないだろう。前に智明が弟たちを連れて行ったが、まだ若いだろう、相手が少し棘を感じてしまう態度を取ったのかも。一番下の子が唯花の店を潰すなんて言い出したし、これは和解をしに行ったんじゃなく、火に油を注いだんだ。兄さん、皆と相談して、大人の俺たちが唯花に直接謝りに行って、ブログに書いた記事を削除するように説得した方がいいんじゃないか?彼女がそれを削除してから、俺たちはネット上にもう和解したと明言するのが一番いい解決策だ。そうしない限り、この渦から抜け出すことができないよ」ネットの力は彼らの認識を超え、コントロールできないものになっていた。ああ、もし早くこうなると知っていたら、彼らは最初からこんな手は使わなかっただろうに。直接内海唯花の店に行き、お金を出してもらうように頼んだほうがマシだった。「そうするしかないね」内海家の人間が再び唯花に和解の
「結城さん、今会社の下にいるよ、まだ昼休みの時間じゃないの?うちの店で一緒にご飯を食べようと思って、迎えに来たよ。びっくりした?嬉しい?」結城理仁「……」びっくりはした!だが、ちっとも嬉しくはない!飛ぶほどびっくりしなかったのは、彼が普通の人より冷静さを持っている人間だったおかげだ。「結城さん?」返事を聞かず、内海唯花はもう一度彼を呼んだ。結城理仁はネクタイを締めなおしながら、低い声で答えた。「もう昼休みの時間になったが、取引先がまだ帰ってない。しばらく商談が続くかも、まだ出られないんだ。先に帰っていいよ、こっちが終わったら店に行くよ」「まだどれくらいかかるの?車で来たんじゃなくて、タクシーで来たの。じゃ、少し会社の下で待ってるよ。仕事が終ったら一緒に行きましょう」結城理仁は腕時計を確認しながら言った。「会社の向こうにカフェがあるんだ。あそこで待っててくれ、俺は後で迎えに行く」内海唯花が振り向くと、そこにはカフェがあった。深く考えず、結城理仁の言うとおりにした。内海唯花が電話を切ると、結城理仁は思わずほっとした。万が一彼女がそのまま会社に入ってきたら、彼の正体がばれるんじゃないかと……内海唯花が迎えに来たので、応接室に戻った結城理仁はすぐ取引先との商談をまとめた。その後、スカイロイヤルホテルで顧客を食事に招待するよう、九条悟と重役たちに頼んだ。「結城社長はご一緒じゃないんですか」先方がこう声をかけてきた。「ちょっと急用があって、伊集院さんにお付き合いできず、すみません。今度時間があればぜひ、また一緒にお食事をしましょう」この日の大切な顧客は他でもない、A市の一番名門の伊集院家の御曹司、五男の伊集院善である。アバンダントグループは東京にも支社があるが、今まで結城グループと取引はしていなかった。アバンダントグループは東京に支社を設立しても気が利き、都内のマンモス企業の商売を横取りもせず、結城グループとビジネスは被っていなかった。今回、アバンダントグループの支社は大きなプロジェクトがあり、結城グループあるいは神崎グループとの提携を求めていた。二つのグループのどちらもアバンダントグループと提携したかったが、伊集院善自身も結城グループと提携して事業を進めようと思っていたので、家の当主と相談した結果
カフェで結城理仁を待っている内海唯花は、何も注文せず座っているのはよくないと思って、テイクアウトでミルクティーを二杯注文した。ドアの近くの席に腰をかけていたので、結城理仁の車が出てくるとすぐにわかった。彼女はミルクティーを持ち、店を出た。顔に自然と笑みが浮んで、結城理仁に手を振った。車が彼女の前まで走ってきて、ちょうど止まった。内海唯花は助手席のドアを開け、車に乗り込んだ。彼女がしっかりシートベルトを締めると、結城理仁は再び車を走らせた。「どうしてマスク付けてるの?しかも黒いの」内海唯花はさりげなく聞いた。結城理仁は何も言わずマスクを外した。もう会社から離れて、誰かに見られることを心配しなくてもいいからだ。彼本人を直接見たことがある人はそう多くないが、気をつけるのに越したことはない。結城理仁はそれについて何も言わなかったが、内海唯花はそれ以上詮索せず、話題を変えた。「ミルクティー飲む?結城さんの分も買ったんだよ。私は先に飲むね、飲み終わったら私が代わって運転するわ。そうしたら、結城さんも飲めるでしょ」「ありがとう、でも俺はいらないよ」結城理仁は今までミルクティーを飲んだことがないのだ。「じゃ、帰って明凛にあげる。彼女はミルクティーがとても好きなの。毎日の午後、テイクアウトで何種類かお菓子とミルクティーを頼んでいるんだ」「女の子の方はミルクティーが好きかもしれないな。俺は飲まないし、好きもなれないんだ」内海唯花はミルクティーを飲みながら返事した。「私もあまり飲まないよ。飲み過ぎると体に良くないからね」明凛がミルクティーを頼む時、彼女はいつもフルーツジュースを注文するのだ。「今日はどうして俺を迎えに来たんだ?」結城理仁は優しく落ち着いた声で聞いた。「来る前に電話ぐらい寄越したら?もし会社にいなかったら、無駄足になるよ」今日の予定で、ちょうど昼に彼が会社にいたのは幸いだ。いつもなら、この時間になると、彼はほとんど会社にいないのだ。「昼ご飯の時間でも商談するの?」結城理仁はうんと返事した。「大体のビジネスは食事しながら商談をするから」内海唯花は頷いた。「じゃ、今度は電話をかけることにする。サプライズして喜ばせようと思ったけど、逆にびっくりさせたね、ごめんなさい。お姉ちゃんが仕事を探し
「そういえば、話したいことがあるの」内海唯花は話題を変えた。彼女の相変わらずのはつらつとした声を聞いて、結城理仁は彼女がさっきの沈黙に何の不満も抱いてないことがわかった。彼女のその怒りのない様子に、なぜだか結城理仁はもやもやした。「なんだ?」「おばあちゃんが週末の二日間うちに泊まりたいって言ってたわ。先に結城さんの許可を得るように頼まれたの。おばあちゃんの実の孫だから、同意しないわけじゃないでしょ」結城おばあさんは夫婦の邪魔になるのを恐れているに違いない。それはおばあさんの考えすぎだ。そもそも夫婦の邪魔になるわけがない、本当の夫婦じゃあるまいし。二人は昼間各々の仕事をしている。夜になると、二人とも自分の部屋で寝るのだ。用事がある時だけ少し会話を交わすようなもので、普段一緒に世間話をしながら暇をつぶすこともあまりないのだ。前に、スピード婚をするうえで、この婚姻はただルームメイトと一緒に同じ屋根の下で生活するようなものに過ぎないと思っていた。今は本当にその通りになっていた。内海唯花は確かに結城理仁に少し好感を抱いてこの先のことを期待していたが、ただ自分が迎えに来るだけで、彼を沈黙させるほど不愉快にさせるのに気がついて、彼女はその好感が生まれそうな芽を摘んだ。やはり契約書の通りに暮らしたほうがいい。五か月後、また独身に戻るまでだ。結城理仁は確かに祖母に来てほしくないのだ。おばあさんはずる賢い狐のように、よく孫たちに罠を仕掛けてくる。おばあさんは彼と内海唯花がただ夫婦のふりをしているだけだとを知っていたのだ。もし家に来たら、使える手を全部使って二人を同じベッドに送ろうとするに違いない。「週末でもそれぞれやることがあるだろう、ばあちゃんと一緒にいる時間はあまりないと思うけど。うちに来るより実家にいた方がいい、父さんと母さんはすでに退職してるから、ずっとばあちゃんの傍にいられるんだ」結城理仁の話を聞きながら、内海唯花は首を傾げ、彼を見つめた。どうりで、おばあさんは絶対彼の同意を得る必要があると、勝手に決めちゃいけないと何回も注意してきたわけだ。この人は本当に祖母に来てほしくないのだ。「おばあちゃんに泊まりに来てほしくないの?長くいるわけじゃないし、二日間だけよ。来ても午後に着くっておばあちゃ
彼とは、まったく話ができない。内海唯花はこれ以上何も言わず、ただ大人しく助手席に座って黙って、外の景色を眺めた。店に戻ると、佐々木唯月も戻ってきた。「お姉ちゃん」内海唯花は車を降り、姉を呼んだ。佐々木唯月は振り向いて、妹夫婦を見ると、ふっくらした顔に笑顔を浮かべながら聞いた。「結城さんとどこへ行ってきたの?」「一緒にご飯を食べるために、会社まで迎えに行ったのよ。お姉ちゃんは?仕事が見つかった?」結城理仁も車を降りると、佐々木唯月に挨拶した。佐々木唯月は笑って彼に会釈し、妹が仕事について聞くと、顔色を曇らせた。彼女は力なく首を横に振って言った。「まだよ。履歴書いっぱい出したけど、まだ返事がないか、そのまま断られるかの二択ね」途中で少し言い淀んで、また口を開けた。「私に2歳の子供がいるのを知って、子供がまだ小さいから、手を焼くことが多くて、絶対仕事に集中できないって言い張ったの。本当にムカつく。子供がいる母親が仕事に専念できないって誰が言ったのよ。子供の世話をする人がいて、私はちゃんと仕事をこなせるって言っても、相手は全く聞く耳を持たなかったの。いつから子持ちの女性が就職するのに差別されるようになったの?」佐々木唯月は午前中ずっと就活していたが、疲れた体とお腹が空いた以外、何も得られなかった。佐々木俊介と離婚したらまともに生活できるかという夫の家族に罵られた言葉を思わず思い出した。これは三年間のブランクだった。取柄がない以上、彼女が好きなように会社を選べるわけじゃなく、会社に選ばれる状態なのだ。また経理部長の仕事ができると思っていたが、今の状況からみると、どんな仕事も関係なく、仕事がもらえるだけで幸運だということだ。「お姉ちゃん、大丈夫だよ、焦らずゆっくり探せばいいの。きっといい仕事が見つかるから」内海唯花は姉を慰めながら、彼女の腕を組んで店に入った。「先にご飯を食べて、休憩して、午後になったらまた探しに行こう。ネットで履歴書を出してみてもいいと思うよ。面接のお知らせが来たらまた出かけるの」「ネットにも出したのよ、でも面接の連絡はいまいちなの」職場復帰に自信を持っていた佐々木唯月は、午前の成果のなさのせいで、急に自信がなくなってきた。もしかしたら、経理の仕事だけではなく、他の仕事も視野に入れ
「私たちの家は何階にあるの?」「十六階だよ」俊介は莉奈のスーツケースを車から降ろし、それを引っ張って莉奈と一緒にマンションの中へと入っていった。エレベーターで、ある知り合いのご近所さんに出くわした。彼らはお互いに挨拶を交わし、そのご近所さんが言った。「佐々木さん、あなたの奥さん、午後たくさんの人を連れて来てお引っ越しだったんでしょ?どうしてまたここに戻ってきたんですか?」「彼女は自分の物を引っ越しで運んで行っただけですよ」相手は莉奈をちらりと見やり、どういう事情なのか理解したようだった。そして俊介に笑いかけて、そのまま去っていった。なるほど、この間佐々木さんが奥さんに包丁で街中を追い回されていたのは、つまり不倫していたからだったのか。夫婦二人はきっと離婚したのだろう。唯月が先に引っ越していって、俊介が後から綺麗な女性を連れて戻ってきたのだ。もし離婚していないなら、ここまで露骨なことはしないだろう。「さっきの人、何か知っているんじゃないの?」莉奈は不倫相手だから、なかなか堂々とできないものなのだ。俊介は片手でスーツケースを引き、もう片方の手を彼女の肩に回し彼女を引き寄せてエレベーターに入っていった。そして微笑んで言った。「今日の午後、俺が何しに行ったか忘れたのか?あの女と離婚したんだぞ。今はもう独身なんだ。君は正式な俺の彼女さ、あいつらが知ってもなんだって言うんだ?莉奈、俺たちはこれから正々堂々と一緒にいられる。赤の他人がどう言ったって気にすることはないさ」莉奈「……そうね、あなたは離婚したんだもの」彼女は今後一切、二度とこそこそとする必要はないのだ。エレベーターは彼ら二人を十六階へと運んでいった。「着いたよ」俊介は自分の家の玄関を指した。「あれだよ」莉奈は彼と一緒に歩いていった。俊介は預けてあった鍵をもらって、玄関の鍵を開けた。ドアを開くと部屋の中は真っ暗闇だった。彼は一瞬ポカンとしてしまった。以前なら、彼がいくら遅く帰ってきても、この家は遅く帰ってくる彼のためにポッと明りが灯っていたのだ。今、その明りには二度と火が灯ることはない。「とっても暗いわ、明りをつけて」莉奈は俊介と部屋の中へ入ると、俊介に電気をつけるように言った。俊介はいつものようにドアの後ろにあるスイッチ
賑やかだった午後は、暗くなってからいつもの静けさへと戻った。唯月は結婚当初、この家をとても大切に多くのお金を使って内装を仕上げた。それが今や、彼女が当時買った家電は全て持ち出してきてしまった。そして、新しく借りた部屋には置く場所がなかった。彼女は中からよく使うものだけ残し、他のものは妹の家にではなく、中古として売ることにした。それもまた過去との決別と言えるだろう。唯月が借りた部屋はまだ片付けが終わっていなかったので、料理を作るのはまだ無理で、彼女はみんなを連れてホテルで食事をすることにした。そして、その食事は彼女がまた自由な身に戻ったお祝いでもあった。唯月のほうが嬉しく過去と決別している頃、俊介のほうも忙しそうにしていた。夜九時に成瀬莉奈が借りているマンションへとやって来た。「莉奈、これだけなの?」俊介は莉奈がまとめた荷物はそんなに多くないと思い、彼女のほうへ行ってスーツケースを持ってあげて尋ねた。「もう片付けしたの?」「普段は一人暮らしだから、そんなに物は多くないのよ。全部片づけたわ。要らない物は全部捨てちゃったの」莉奈はお気に入りのかばんを手に持ち、それから寝る時に使うお気に入りの抱き枕を抱えて俊介と一緒に外に出た。「この部屋は契約を解消したわ」「もちろんそれでいいよ。俺の家のほうがここよりもずっと良いだろうし」「あの人はもう引っ越していったの?」莉奈は部屋の鍵をかけて、キーケースの中からその鍵だけ外し、下におりてから鍵をそこにいた人に手渡した。その人は大家の親戚なのだ。「もう大家さんには契約を解消すると伝えてあります。光熱費も支払いは済ませてありますから。おじさん、後は掃除だけです。部屋にまだ使える物がありますけど、それは置いたままにしています」つまり、その人に掃除に行って、彼女が要らなくなったまだ使える物を持っていってくれて構わないということだ。おじさんは鍵を受け取った後、彼の妻に掃除に行くよう言った。俊介はスーツケースを引いて莉奈と一緒に彼の車へと向かい、歩きながら言った。「暗くなる前に、あいつから連絡が来たんだ。もう引っ越したってさ」同時に唯月は彼女の銀行カードの口座番号も送っていた。今後、彼に陽の養育費をここに振り込んでもらうためだ。そして彼女は俊介のLINEと携帯番号を全て削
理仁は悟のことを好条件の揃った男じゃなかったら、彼女の親友に紹介するわけないと言っていた。確かに彼の話は信用できる。一方の悟は、来ても役に立てず、かなり残念だと思っていた。彼が明凛のほうを見た時、彼女はみんなが荷物を運ぶのを指揮していたが、悟が来たのに気づくと彼のもとへとやって来た。そして、とてもおおらかに挨拶をした。「九条さん、こんばんは」「牧野さん、こんばんは」悟は微笑んで、彼女に心配そうに尋ねた。「風邪は良くなりましたか?」「ええ。お気遣いありがとうございます」唯花はそっと理仁を引っ張ってその場を離れ、悟と明凛が二人きりで話せるように気を利かせた。そして、唯花はこっそりと夫を褒めた。「理仁さん、あなたのあの同僚さん、本当になかなかイイじゃない。彼も会社で管理職をしているの?あなた達がホテルから出て来た時、彼も一緒にいるのを見たのよ」「うん、あいつも管理職の一人だ。その中でも結構高い地位にいるから、みんな会社では恭しく彼に挨拶しているよ」そしてすぐに、彼は唯花の耳元で小声で言った。「悟は誰にも言うなって言ってたけど、俺たちは夫婦だから言っても問題ないだろう。彼は社長の側近なんだ。社長からかなり信頼されていて、会社の中では社長の次に地位の高い男だと言ってもいいぞ」唯花は目をパチパチさせた。「そんなにすごい人だったの?」理仁はいかにもそうだといった様子で頷いた。「彼は本当にすごいんだ。職場で悟の話題になったら、誰もが恐れ敬ってるぞ」唯花は再び悟に目を向けた。しかし、理仁は彼女の顔を自分のほうに向けさせ、素早く彼女の頬にキスをした。そして低い声で言った。「見なくていい、俺の方がカッコイイから」「彼って結城家の御曹司に最も近い人なんでしょ。だからよく見ておかなくちゃ。結城社長の身の回りの人がこんなにすごいんだったら、社長自身もきっとすごい人なんでしょうね。だから姫華も彼に夢中になって諦められなかったんだわ」理仁は姿勢を正して、落ち着いた声で言った。「悟みたいに優秀な男が心から補佐したいと思うような相手なんだから、結城社長はもちろん彼よりもすごいに決まってるさ」「お姉ちゃんのために佐々木俊介の不倫の証拠を集めてくれた人って、彼なんでしょう?」理仁「……」彼は九条悟が情報集めのプロだということを彼女
部屋の中から運び出せるものは全て運び出した後、そこに残っている佐々木俊介が買った物はあまり多くなかった。みんなはまた、せかせかと佐々木俊介が買った家電を部屋の入り口に置いて、それから内装の床や壁を剥がし始めた。電動ドリルの音や、壁を剥がす音、叩き壊す音が混ざりに混ざって大合唱していた。その音は上の階や階下の住人にかなり迷惑をかけるほどだった。唯月姉妹二人は申し訳ないと思って、急いで外に行ってフルーツを買い、上と下のお宅に配りに行き謝罪をし、暗くなる前には工事が終わることを伝えた。礼儀をもって姿勢を低くしてきた相手に対して誰も怒ることはないだろう。内海家の姉妹はそもそも上と下の住人とはよく知った仲で、フルーツを持って断りを入れに来たので、うるさいと思っても住人たちは暫くは我慢してくれた。家に子供がいる家庭はこの音に耐えられず、大人たちが子供を連れて散歩に出かけて行った。姉妹たちはまたたくさん食べ物を買ってきて、家の工事を請け負ってくれている人たちに配った。このような待遇を受けて、作業員たちはきびきびと作業を進めた。夕方になり、外せるものは全て外し、外せないものは全て壊し尽くした。「内海さん、出たごみはきれいに片付けますか?」ある人が唯月に尋ねた。唯月はぐるりと一度部屋を見渡して言った。「必要ありません。当初、内装工事を始めた時、かなりお金を使って綺麗に片付けてもらいましたから。これはあの人たちに自分で片付けてもらいます。私が当初、人にお願いして掃除してもらった時に払ったお金とこれでチャラになりますからね」唯花は部屋の中をしげしげと見て回った。壁の内装もきれいさっぱり剥がして、床もボロボロにした。全て壊し尽くしてしまった。姉が掃除する必要はないと言ったのだから、何もする必要はないだろう。これは佐々木俊介たちが自分で掃除すればいいのだ。「明凛、あなたの話を聞いてよかったわ。あなたの従兄に作業員を手配してもらって正解ね。プロの人たちだから、スピードが速いのはもちろん、仕上がりもとても満足いくものだわ」明凛は笑って言った。「彼らはこの道のプロだから、任せて間違いなかったわね」「彼らのお給料は従兄さんに全部計算してもらって、後から教えてちょうだい。お金をそっちに入金するから」明凛は頷いた。「もう従兄には言ってあ
「あ、あなたは、あの運転代行の方では?」唯花は七瀬に気づいて、とても意外そうな顔をした。七瀬は良い人そうにニカッと笑った。「旦那さんに名刺を渡して何かご用があれば声をおかけくださいと伝えてあったんです。仕事に見合うお給料がいただければ、私は何でもしますので」唯花は彼が運転代行をしていることを考え、代行運転の仕事も毎日あるわけじゃないから、アルバイトで他のことをやっているのだろうと思った。家でも暇を持て余して仕事をしていないのではないかと家族から疑われずに済むだろう。「お手数かけます」「いえいえ、お金をもらってやることですから」七瀬はそう言って、すぐに別の同僚と一緒にソファを持ち上げて運んでいった。明凛は何気なく彼女に尋ねた。「あの人、知り合い?」「うん、近所の人よ。何回か会ったことがあるの。普段は運転代行をしているらしくて、理仁さんが前二回酔って帰って来た時は彼が送ってくれたのよ。彼がアルバイトもしてるなんて知らなかったけどね。後で名刺でももらっておこう。今後何かお願いすることがあったら彼に連絡することにするわ。彼ってとても信頼できると思うから」陽のおもちゃを片付けていたおばあさんは、心の中で呟いていた。七瀬は理仁のボディーガードの一人だもの、もちろん信頼できる人間よ。人が多いと、作業があっという間に進んだ。みんなでせかせかと働いて、すぐに唯月がシールを貼った家電を外へと運び出した。唯月と陽の親子二人の荷物も外へと運び出した。「プルプルプル……」その時、唯花の携帯が鳴った。「理仁さん、今荷物を運び出しているところよ」唯花は夫がこの場に来て手伝えないが、すごく気にかけてくれていることを知っていて、電話に出てすぐ進捗状況を報告したのだった。理仁は落ち着いた声で言った。「何台かの荷台トラックを手配したんだ。きっともうすぐマンションの前に到着するはずだよ。唯花さんの電話番号を運転手に伝えておいたから、後で彼らに会って、引っ越し荷物を義姉さんの新しいマンションまで運んでもらってくれ。もし義姉さんのマンションに置く場所がなければ、とりあえずうちに荷物を置いておいていいから」彼らの家はとても広いし、物もそんなに多くないのだ。「うん、わかったわ。理仁さん、本当にいろいろ気を配ってくれるのね。私たちったら
唯花は車を止めた。「唯花、どう?問題なさそう?」明凛が心配して尋ねた。唯花は笑って「大丈夫よ」と返事した。唯月は車を降りると、カードでマンションのエントランスを開けて管理人に言った。「引っ越しするんですけど、この方たちは引っ越しを手伝ってくれる人たちです」管理人はマンション前にいる大勢を見て、唯月に言った。「これは引っ越しですか?それとも、立て壊し作業ですか?あの人たちは、なんだかたくさん工具を持ってるみたいですけど、引っ越した後にまたリフォームをなさるんで?」「ええ、まあ、もう一度リフォームするようなものですね」しかし、それは彼女のお金を使ってではない。管理人はそれ以上は聞かなかった。喧嘩しに来たのでなければ、それでいいのだ。唯月が先頭に立ち、彼ら一行は威勢よくマンションの中へと入っていった。その仰々しい様子が多くの人の目を引き、みんな足を止めて見ていた。「唯月さん、こんなにたくさんの人を連れてきて、どうしたの?」知り合いが唯月に挨拶するついでにそう尋ねた。唯月は笑って言った。「引っ越しした後に、内装を壊すんです。もう一度リフォームする必要がありますから」「今のままでもすごく良い内装なのに、どうしてまた?」「今の内装はあまり好きじゃないので、一度壊してまたやり直すんです」その人は「ああ」とひとことだけ言い、すぐに褒めて言った。「それも旦那さんがよく稼いでらっしゃるから、こういうこともできるわね」普通の人なら、内装してある家をまたやり直すということはしないだろう。唯月は笑って言った。「それでは失礼します」佐々木俊介は確かに稼ぐことはできるが、今後の彼女にはそんなことなど何の関係もない。唯花と明凛はおばあさんを連れてその行列の一番最後についていた。先頭に立って一行を引っ張っていく姉を見て、唯花は親友に言った。「離婚したとたんに、お姉ちゃんが帰ってきたって感じがするわ。あの溌溂としていた昔のお姉ちゃんよ」明凛はそれを聞いて頷いた。結婚相手を間違えると、本当に女性を底にまで突き落としてしまう。「唯花ちゃん、お姉さんはこれからの生活はどうするつもりなの?」おばあさんは心配した様子で尋ねた。「もし再婚したいのであれば、おばあちゃんに声をかけてちょうだい。私が良い男性を選んでくる
「家電製品だって、全部あなたが買ったものじゃないわよ。勝手に持って行かないでちょうだいよ」佐々木母は唯月に全部の家電を持ち去られるのを心配していた。「おばさん、安心して。私がお金を出して買ったもの以外には一切触らないから。もし何か足りないものがあったら、遠慮なく私に言って」佐々木母は鼻を鳴らし、黙っていた。「プルプルプル……」俊介の携帯はまた鳴り出した。社長からの着信だとわかり、俊介は慌てて電話に出た。電話で社長に何を言われたのかわからないが、俊介の表情が急に険しくなり、慌てて返事をした。「社長、用事はもう済みましたので、今すぐ会社に戻ります。どうして注文が突然キャンセルされたんですか。わかりました、社長、ご安心ください。必ずその注文を取り戻します」電話を切ると、俊介は両親に言った。「父さん、母さん、会社に急用があるから、タクシーで帰ってくれないか」そして、唯月に言った。「唯月、今夜十時までに荷物をまとめて出て行ってくれよ。俺はその時間に帰るから」言い終わると、俊介は急いでその場を離れた。唯月に「お元気で」の一言も言わなかった。俊介の両親は息子の慌てて行った後ろ姿を見送った。佐々木父は唯月姉妹を一瞥したが、何も言わず、妻を連れてタクシーを探し、家へ帰ろうとした。唯花は姉を車に乗せ、荷物を運びに行った。「お姉ちゃん、どうやら彼の仕事がうまくいっていないみたいね」唯花は元義兄が上司の電話を受けた時の驚いたような顔を見逃さなかった。「彼が今の地位まで行けたのはお姉ちゃんのおかげかもよ。お姉ちゃんが人が良いから神様に家族が守られていたってことだよ。だからお姉ちゃんが傍にいなくなると、彼はすぐ谷底に落ちていくことになるんだわ」唯花は心からそう望んでいたのだ。ある男が成功できるためには、後ろにちゃんとできる妻がいることだ。こういう妻がいるからこそ、男たちは何の心配もなく、全力で仕事ができるのだ。こういう女性はお年寄りたちによく言われるいい嫁なのだ。唯月は淡々と言った。「彼の仕事なんてどうなってもいいの。どうせ私はもうちゃんとお金をもらったから。唯花、私が落ち着いたら、結城さんにあのお友達を呼んできて、食事に招待させてね。あの方はたくさん助けてくれたから。あの証拠がなかったら、俊介はきっと何の恐れもな
佐々木母は心を痛めて言った。「離婚して、あんな大金を唯月に分けたでしょ。唯月はせめてあなたのために息子を産んでくれたから、お金を分けてあげても一応義理はあるわ。母さんは惜しいと思うけど、仕方ないってわかるよ。でもすぐ結婚式を挙げて、結納も用意しないといけないなら、これもお金がかかるよ。俊介、自分が銀行でも経営してるつもりなの?そんなお金なんてないわよ」「母さん、心配しないで。莉奈との結婚式にかかる金は自分で出すから、父さんと母さんの手を煩わすことはないよ」自分からお金を出さなくても、佐々木母はそれが惜しいと思っていた。それに、彼女が愚かにも内海家に行って、彼らに唯月に離婚しないように説得してもらうために、数十万も出してしまったのを思い出し、道端の石で自分の頭を思い切り叩きたくなった。自分はどうしてあんな馬鹿なことをしたんだろうか?息子が離婚手続きが終わったら、彼女は絶対内海じいさんのところに行って出した数十万を取り戻そうと決めた。内海じいさんは図々しく数十万を要求し、唯花を通じて絶対唯月を説得すると大口をたたいたのに、何もできなかったから、お金を返すべきだ。十分後、全員役所に到着した。唯花姉妹は先に着いていて、役所の入り口で佐々木一家を待っていた。佐々木俊介が着くと、夫婦二人はためらうことなく、役所に入っていった。三年前、二人は手を繋いで役所に入って、結婚届を出したのだ。あの時、唯月は俊介と白髪になるまで一緒にいられると信じていた。まさかそれがたった数年だけで、夫婦二人はまたここに来ることになった。今回は離婚手続きのためだった。二人は協議離婚のため、これ以上の争うこともなく、必要な書類も揃っていた。順番が回ってくると、職員は毎日多くの離婚手続きをしていて、もう慣れたので、彼らを説得しようともせず、規定通りに離婚手続きを終わらせた。唯花と俊介の両親は傍で待っていた。三人を驚かせたのは、結婚届を出してくるカップルは少ないのに、離婚しにくる夫婦は長い列を作っていたことだった。唯花は隣の俊介の両親をちらりと見て、離婚率が高いのは夫婦二人の問題だけでなく、両方の家族にも問題があると心の中で思った。姉がここまで来たのも、佐々木家の人間のせいだった。「唯花」唯月が離婚手続きが終わり、気持ちが軽くなって妹を呼び
「今後、陽ちゃんに会いたい時、電話してちょうだい。陽ちゃんをあなたの実家のほうに連れて行くから。でも、ちゃんと時間通りに陽ちゃんを送ってきてちょうだいね」これは唯月が莉奈に保証したことだった。子供を利用して、莉奈と俊介の仲を壊すようなことはしない。そして、離婚後、できるだけ俊介と顔を合わせないようにするのだ。「わかった」俊介は特に異議はなかった。「今から役所へ行って手続きを済ませよう。俺は休みを取ってきているから、終わったら早く会社に戻らないと」俊介も落ち着いていた。唯月は妹の車に戻り、妹と一緒に役所へ行った。俊介は両親を乗せ、唯花の車について行った。佐々木母は車で暫く泣いていた。夫に散々説得され、もうどうしようもないとわかると、佐々木母は涙を拭きながら息子に言った。「手続きを済ませたら、唯月に荷物をまとめてさっさと出て行かせなさいよ。一晩も泊まらせないで。私はお父さんと先に家に帰って、荷物をまとめてからこっちに引っ越してくるよ。今年は星城で新年を迎えましょう。お姉ちゃんと義兄さんも休みになったら、彼女たちも呼んできてね。皆で一緒に新年を迎えましょう。それから、成瀬さんに正月は実家に帰らないで、私たちと一緒に過ごすように伝えなさい。その時、ご飯を作ってくれる人が必要だからね」俊介は、自分がどうしても離婚したくて、陽の親権も手放したことで、親たちをひどく悲しませたことを自覚していた。今両親が何を言ってきても、彼はできる限り全部応えた。莉奈に一緒に正月を過ごさせ、家族のために食事を作ってくれることについては、俊介は何の疑問も抱いていなかった。これまでは、正月の食事は全部唯月が作ってくれたからだ。役所へ向かう途中、俊介は莉奈からの電話を受けた。電話で、莉奈は彼に尋ねた。「俊介、手続きは終わった?」「今役所へ向かっているところだ。後十分ほど着くはず。さっき唯月の言った通りに、財産を分けたんだ」莉奈はほっとした。幸い、他のトラブルは起こっていないようだ。「全部終わったらメールをちょうだい」「わかったよ。莉奈、今夜、そっちへ行って、荷物を運んであげるからね」俊介は上機嫌だった。俊介は唯月が出て行ったら、すぐ莉奈を迎えに行くことにしていた。親と姉の家族たちが引っ越してくる前に、二人きりの時