内海唯花の一番下の従弟はまだ17、18歳で、まさに血気盛んで、何にでも衝動的に突っ走る年頃だ。気性も荒い。内海唯花が始終病院に行くのを拒み、ツイートを消すのも拒否し続けるのでこの子供は腹を立てて、唯花の書店を壊してやると騒いでいるのだ。内海唯花は冷ややかな目つきで彼をさらりを見て、冷たい口調で言った。「私の店を潰そうってなら、やってみなさいよ!」彼女のその目つきは氷のように冷たく、口調も高圧的で内海家の兄弟たちを委縮させた。「おい」内海智明は一番年が小さい従弟のほうへ顔を向けて睨みつけ、相手を黙らせた。そして彼は内海唯花のほうへ向き直し、無理やり笑顔を作って言った。「唯花、こいつのことは無視してもらっていい。いつもこんな話ぶりなんだよ。唯花、さっき智文もああ言ってただろう。俺たちはどうあっても親戚のいとこ同士だから、血縁関係も近いし、どちらも同じ内海っていう苗字じゃないか。俺たちが立場を失っても、おまえは平気なのか?今回の件は俺たちの間違いだ。君に謝罪してそれで終わりにしてもいいだろう?金は君たちがもう出す必要はない。俺たちはただ君にばあちゃんの見舞いに行ってもらいたいだけなんだよ。ばあちゃんは本当に君たちに会いたがってる。この二日、じいちゃんもばあちゃんもずっと自分のことを責めてた。昔君たちにあんな無情なひどいことをしてしまったって。君の両親にも申し訳なかったって。唯花、俺たちはみんな聖人じゃないんだ。誰だって過ちを犯すもんだ。間違えたらそれを過ちに気づけばいい。じいちゃんもばあちゃんももう結構な年だし、自分たちの過ちにも気づいた。彼らに謝罪する機会をあげてくれよ」双方の関係が改善され、家族としての情が芽生えてこそ、内海唯花はツイートを消して、今回の件を終わらせることができる。お金に関しては、彼らが今欲しいと思っても、それは無理な話だから、諦めるしかない。実際は、今彼らはみんな後悔していた。内海唯花が一族の醜い一面を世間に暴露し、この機に仕返しをして彼らにここまで大きな影響を与えるようなしたたかさを持ち、手ごわい人物だと知っていれば、彼らは絶対にこのような手を使わなかったのに。彼らは唯花姉妹は体面を気にすると思っていた。また彼女たちを助けてくれる存在はいないとも思っていたのに、双方の状況が逆転した後、あんなに多く
内海唯花はハハハと笑って言った。「聞いたところによると、おじいさんとおばあさんは病院で寝る時と食べる時以外は私のことを悪く言ってるらしいじゃない。自分たちが間違ってるなんて全く思ってないのに、本当に私たちに謝罪したいと思ってるの?」内海智明は口を開いて祖父母に代わって弁解しようとしたが、全く言葉が出てこなかった。祖父母は心から頭を下げる気はこれっぽっちもなかった。ただ彼らに諭されて、みんながこれ以上迷惑を被らないように、今回の件をさっさと終わらせてしまいたかっただけだ。ただ双方が和解するだけで、彼らへの注目度はだんだん下がっていき、また新しいトレンドワードがランキング上位に上がってくるのだ。そして、それがネット民たちの注目を集めることになる。そしてすぐに多くの人が彼らの今回の件を忘れて、彼らはやっといつもの平穏な暮らしに戻れるというものだ。今回の件も彼らにネットの影響力というのはすさまじいということを教えてくれた。ネットを利用するやり方は一見有効だが、簡単にネットを利用して誰かを攻撃してはならない。一旦形勢逆転して敵討ちに遭ってしまうと、損をするのは自分のほうなのだから。「ほかに何もないなら、お引き取りください。蟻が群がるみたいに私のところに押し寄せないでよ。商売に支障をきたすから」内海唯花は客を追い出す言葉を吐き出し、彼らとだらだらとやり合いたくなかった。内海家の兄弟たちの顔はこわばった。牧野明凛と金城琉生の二人が唯花のすぐそばに立っていて、彼らに警告するかのように睨みつけていた。しばらくして内海智文が言った。「内海唯花、人に寛容になって許すことも必要だぞ。付き合いの中では義理人情を持つことだ」そう言い終わると、内海智文がまず唯花に背を向けて出口に歩いて行った。内海家の今の世代の中では、内海智文が一番優秀だった。彼ら一族の中でではなく、村中でも一番能力の高い人間だ。以前、村に帰って来た時、彼はみんなからもてはやされるくらいだ。それが今や従妹に反論されてプライドも潰されそうになっている。内海智文はこれ以上ここにいて内海唯花から批判されるのに耐えられるのか?彼は心の中で内海唯花をとても憎んでいた。唯花は肉親としての情を全く心に留めていないと思っていた。どう言っても、彼らはいとこ同士で、唯花の両親がまだ生きていた頃、彼
金城琉生も唯花の親戚たちは最先端をゆくクズ中のクズだと思っていた。面の皮が辞書よりも厚く、恥知らずだ。「唯花、さっきのあなたたちの会話は全部録音しといたからね」牧野明凛は言った。「録音はあなたに送るわ。あいつらがまたネット上でデタラメ言ったり、ありもしないことを言い出したりしたら、使うといいわ」それを聞いて内海唯花は親指を立ててグーサインを作った。彼女はあまりの怒りでこっそり録音しておくのを忘れていたのだ。「琉生、まだ仕事に行かないの?」牧野明凛はその録音を親友に送信した後、従弟がまだ店にいることに気づき、彼に仕事に行くよう催促した。金城琉生はもうすこし唯花と一緒にいたかったので、口では「実家の会社で働くんだし、少しくらい遅れたって問題ないよ」と言った。「実家の会社で働くからこそ、もっと頑張らなきゃダメなんじゃないの。きちんと会社の規則を守ってみんなのお手本にならないと、後ろ指さされることになるわよ。さあ、早く仕事に行って。もしおばさんが、あなたがまだ会社に来ないことを知ったら、雷が落ちるわよ」金城琉生は金城家の長男の息子という立場で、彼女のおばとおじの金城琉生に対する期待はかなりのもので、彼が金城家の後継者になることを期待しているのだ。内海唯花も「琉生くん、早く仕事に行ったほうがいいわよ。これ以上ここにいたら、あっという間に退勤時間になっちゃう」と言った。金城琉生はもたもたしていたが、結局は車の鍵を取り出して外へと向かって歩いて行った。そして内海唯花に念を押した。「唯花姉さん、絶対にご馳走してくださいよね」「分かってるよ。お姉さんがあなたとの約束を破ったことがある?」金城琉生はしぶしぶ店を離れた。金城琉生が去ってから、店の中はいつも通り静かになった。牧野明凛はまた小説を読み始め、内海唯花のほうはハンドメイドを始めた。正午近くになって、忙しい時間帯になるので彼女は道具を直した。同時刻の結城グループにて。社長オフィスで仕事の話を終えた後、九条悟が何げなく言った。「結城社長、今連絡が来て、奥さんの親族たちが十数人、何台もの車ですごい勢いで彼女のお店に押し寄せてきたみたいだぞ」それを聞くと、結城理仁の瞳が少し揺れたが、相変わらず無表情で頭すら上げずに淡々と言った。「内海唯花は自立した人間だ。彼女のほう
結城理仁は心の中では内海唯花が内海家の兄弟たちに対処できないのではないかと心配していたが、何も言わず電話すら彼女にかけなかった。結婚してからもうすぐ一か月になる。彼は内海唯花のことを結婚当初よりは少し理解していた。もし本当に彼女が対処できないというのなら、必ず彼に助けを求める電話をしてくるはずだ。そんな彼女が電話してこないということは、つまり彼女だけでも問題はないということなのだ。しかも、彼女のほうが道理にかなっているわけだから、負けることはないだろう。このような考えを巡らせ、結城理仁は夕方仕事が終わって、車を乗り換えた後、星城高校に向かった。会社を出る時、九条悟は彼が最近仕事の接待や付き合いにもいかないし、九条悟にまかせっきりでプレッシャーばかり彼にのしかけてくると文句を言っていた。結城理仁は直接九条悟にひとこと述べた。「俺には妻がいるんだ。仕事が終わったら家に帰って奥さんと一緒にいるべきだろう。お互いの心を通わせなくちゃな」九条悟「......」言い訳だ!明らかにただの言い訳だ!言い訳をして逃れようとしているだけだ!九条悟は再び心の中で上司に悪態をついた。結婚してからというもの、だんだんと怠惰になっている。本当に結城理仁らしくないじゃないか。結城理仁はそんな九条悟の悪態など知る由もなく、星城高校に到着し、内海唯花の店に多くの高校生たちがいるのが見えた。参考書を見ているものもいれば、文房具を選んでいる者もいた。自分にはここでは異色のオーラがあるのを考慮し、結城理仁は直接店にはいるのはやめておいた。自分が入って、生徒たちが驚き店から出て行ってしまうと内海唯花の商売の邪魔になってしまうからだ。内海唯花は彼が教頭先生よりも厳格なのに、教師にならないのはもったいないと言っていた。しばらくして、生徒たちは塾へ行く時間になり、次々と店から出て行った。結城理仁はようやく車から降りて、店の中へと入っていった。内海唯花はその時、少しごちゃごちゃしたレジを片付けているところだった。そして結城理仁が入って来るのを見て、意外そうに大股で堂々と入って来る彼を見た。この男性は本当に並外れたオーラを持っている人だとまた感心した。まるで王者のご光臨かのようだ。これでは生徒が店に彼がいるのを見て、入ろうとしないわけだ。彼は本当にオ
彼は少し止まって、また言った。「明日の朝は俺が君を店まで送るよ」彼がこんなにも気を使ってくれるので、唯花は電動バイクを店に残して、理仁の車に乗った。牧野明凛は夫婦二人が帰って行くのを目線で見送り、つぶやいた。「だんだん夫婦らしくなってきたわね」結城理仁は常に冷たくて寡黙だが、しかし彼の内海唯花への優しさは細かいところに見て取れた。「もし私も結城さんみたいな人と巡り合えたら、喜んで即結婚するわ」残念なことに、彼女のお見合い相手たちは結城理仁には遠く及ばない。あれらのいわゆるハイスペック男というのは、ただ収入が高いだけで、そのように呼ばれているだけなのだ。実際、ハイスペックという言葉からは、かけ離れている。この前のカフェ・ルナカルドでお見合いしたあの相手は、内海唯花のほうを気に入っていた。私的に仲介業者を通して内海唯花のことを尋ねていて、既婚者であることを知ったのに、まだくだらない夢を見ていた。牧野明凛は直接、あのお見合い相手に電話をかけ、ひどく怒鳴りつけた。もしも奴が私的に内海唯花にコンタクトを取り、彼女の結婚生活をめちゃくちゃにしたら、地位も名誉も傷つけると。内海唯花の目の前に現れなければ、牧野明凛は彼の命を助けたのと同じことだと思った。本気で内海唯花のところに行き告白でもしてみろ。彼女が相手を完膚なきまでに痛めつけるだろう。なんといっても空手を習っていたのだから。「途中に姉の家があるから、姉の家に行って様子を見てから帰りましょう」内海唯花は一日に一回は姉のところに行かないと、どうも慣れないのだ。結城理仁は、うんと一言返事した。少しして、夫婦二人は佐々木唯月の住むマンションに到着した。この時間帯はだいたい夜ごはんを終えた時間で、食後に子供を連れて外で散歩をするのが好きなマンションの住人が出てきていた。だから、この時刻はマンション周辺がとても賑やだった。結城理仁が車を停めた後、内海唯花が先に車を降り後部座席のドアを開け車から果物の入った袋を二つ取り出した。それは理仁がどうしても義姉に贈り物をしたいと言って買ったものだ。夫婦は佐々木唯月が住んでいる棟のほうへと歩いて行った。すぐに内海唯花はどこかおかしいことに気が付いた。彼女は姉の家に三年住んでいて、マンションの住人をよく知っていた。それが今日みんなが彼女を
姉妹二人はとても仲が良いとマンションの住人はよく知っていた。佐々木唯月が妹にその件を話さなかったのは、妹を心配させたくなかったからだ。「坂本さん、ありがとうございます」内海唯花は坂本おばあさんにお礼を言い、結城理仁を引っ張って、急ぎ足で姉の住むマンションへと入って行った。「昨日お姉ちゃんを送り届けたら、義兄さんがご飯を作っていなかったことで責めてきたの。その時、義兄さんの顔つきは、まさに誰がを殴りそうな感じだった。それが私に気づいた瞬間、また顔つきが変わったわ」内海唯花は結城理仁にぶつぶつ言った。「お姉ちゃん、どうして私に教えてくれなかったのよ」内海唯花は姉にとても心を痛めていた。女性が結婚するのはまるで転生するのと同じだ。彼女はひどい男のもとに転生してしまったのだ。三年の結婚生活で、義兄の姉に対する態度は180度変わってしまった。結城理仁は落ち着いた声で言った。「義姉さんも君に心配かけたくなかったんだよ。さっきあの坂本さんが言ってたじゃないか、義姉さんは包丁を持って、旦那さんを街中追いかけまわしたんだろ。つまり義姉さんは旦那さんに負けなかったわけだ。あまり心配しなくて、大丈夫さ」内海唯花が心配しないわけがない。でも、彼女は結城理仁には多くは話さず、彼を引っ張ってマンションの上の階へとあがって行った。そして姉が彼女に渡していた鍵を取り出して玄関のドアを開けた。佐々木唯月はこの時キッチンでご飯を作っていて、玄関のドアが開く音が聞こえると、佐々木俊介が戻ってきたのかと思いフライ返しを持って出てきた。もし佐々木俊介がまた暴力を振るおうものなら、もう容赦はしないと考えていた。佐々木俊介は実家に帰った後、一切彼女には連絡をよこしていなかった。しかし、彼女の義父母と義姉がひたすら彼女にメッセージを送り罵ってきた。彼ら佐々木家のLineグループでも彼女の悪口を言っていた。佐々木家の他の親戚たちに、彼女は妻としての役割を全くこなしていなかったから、夫に殴られる羽目になったのだと言って、佐々木家の他の親戚たちにも、彼女が悪いと言うように頼んだ。彼女が殴られたのは全て彼女が悪いのだ、佐々木俊介は何も間違っていない。彼女の当然の報いなんだと口から出る言葉はすべて彼女への悪口ばかりだった。ある親戚は年上の虎の威を借りて、彼女に対し
昔は姉が妹を守っていた。今その妹は大人になり力をつけ、今度は彼女が姉を守る番なのだ。「唯花」佐々木唯月は妹を引き留め、言った。「必要ないわ。お姉ちゃんも軽い怪我しただけだから。彼にも何もメリットはなかった。私が包丁持って街中を追いかけまわしたから、あの人ビビッて今後は家庭内暴力なんてする勇気はないでしょう」「お姉ちゃん、家庭内暴力は繰り返し起こるわ。あいつが手を出してきたのに、カタをつけておかないと、ちょろいと思われてまた手を出してくるはずよ」家庭内暴力など決して許してはいけない!「お姉ちゃんも分かってるから。だから絶対にあの人に負けないで殴り返してやったの。そして包丁持って街中追いかけまわしたのよ。あなたは知らないでしょうけど、彼は私の行動にすごく驚いてて、両足をガタガタ震わせてたわ。夫婦が初めて喧嘩する時は必ず勝たないといけないって言うでしょう。私のほうが勝ちよ。今後彼が私に手を上げようとするなら、彼自身どうなるかよく考えないとね」佐々木唯月は妹が佐々木俊介のところに行かないように力強く引き留めた。「彼も実家に帰っちゃったわ。あの人のところに行くってことはあの佐々木家全員を相手にしないといけないから、逆にやられちゃうかもしれない。行かないで、お姉ちゃんはもう彼に遠慮したりしない。今後彼が手を出そうが怒鳴りつけてこようが、私も相手になってやるんだから」「お姉ちゃん、どうしてすぐ私に教えてくれなかったのよ」内海唯花はとても胸が苦しくなり姉のまだ青あざが残っている顔をそっと触り、自分がその傷を受けたかのように辛そうに尋ねた。「お姉ちゃん、まだ痛む?佐々木俊介の奴!こんな力強く殴るなんて!長年培ってきた情もあるし、陽ちゃんも生んであげたってのに、お姉ちゃんにこんなひどい事するなんて」佐々木唯月は苦笑した。「私は今こんなふうになっちゃったもの。彼はもうずいぶん前から私を嫌っていたわ。結城さんも一緒に来たの?」「来てるよ。リビングで陽ちゃんと遊んでくれてる」佐々木唯月は声を抑えて、妹に念を押した。「唯花、あなたもお姉ちゃんの結婚が今ではこんなに面倒なことになったのを見たでしょ。寿退職をしてあの人の私を一生面倒見るっていう戯言を信じ込んじゃったせいね。あなたは絶対に経済的に独立していたほうがいいわ。女の人はどんな時だろうと、自分
姉妹はお互いに支えあって長年生きてきたから、唯月は妹のことを熟知していた。妹が彼女に代わって鬱憤を晴らしてくれようと思っているのを知っていて、わざと妹を長く家にいさせていた。お酒を持ってきて、妹と一緒にそれを夜遅くまで飲み続け、深夜になって夫婦はようやく帰って行った。内海唯花はお酒が飲めるほうでも飲めないほうでもなく普通だ。姉が持って来たお酒は度数が高いものだったから、一杯飲んだ後、彼女は少し酔ってしまい、姉の家を離れる頃には頭がクラクラしていて歩くのもふらついていた。佐々木唯月はこの新婚夫婦を玄関のところで見送った。彼女は昔働いていた頃、よく上司に付き合って接待に行き、お酒に強くなっていたので、一杯の度数が高いお酒を飲んだくらいではどうということはなかった。「結城さん、唯花は酔ってるから、よろしくお願いします」佐々木唯月は妹の夫にしっかりとお願いをしておいた。妹をここまで酔わせておけば、内海唯花が佐々木俊介のところに殴り込みにいくこともできないだろう。唯月は妹が佐々木家に行って、彼らが束になって妹をいじめるのが怖かったのだ。あのクズ一家は、彼女たちの実家の親戚たちと張り合えるくらい最低な奴らだ。「義姉さん、ちゃんと唯花さんの面倒を見ますから安心してください」結城理仁は軽々と内海唯花の体を支えながら下へとおりていった。唯花が何度も転んでしまいそうになったので、理仁は彼女をお姫様抱っこするしかなかった。「君はそんなに酒に強くないのに、それでも飲むんだから。義姉さんが酒を持ってきた理由はこんなふうに君を酔わせるためだろう。それなのに、バカみたいに飲んじゃって」内海唯花は両手を結城理仁のクビに回し、おくびを出した。その酒の匂いが鼻に刺さり、結城理仁は顔を横に背けて彼女に言った。「俺のほうをむいてその息を吐き出すなよ。酒の匂いで鼻がもげてしまいそうだ」「もっと嗅がせてやるわ!」内海唯花はわざと彼の顔に近づいた。「お姉ちゃんの意図が分かっていながら、私を止めなかったわね」結城理仁は彼女がこのように近寄るのに慣れていないので、危うく彼女を地面に落としてしまいそうだった。「おまえな!」彼は怒って低く張った声で言った。「頭は冴えてるって分かってるぞ。俺の隙を狙ってふざけるのも大概にしろよ!」内海唯花はふんと鼻を
たとえ名義上の夫婦でも、結婚を秘密にしているのは東隼翔も面白くないと思った。結城理仁は友人二人がからかってくるのを聞きながら、それ以上は話さず、引き続き食べていた。そしてすぐにお腹いっぱいになった。「俺はばあちゃんのカフェで座ってるから、二人はゆっくり食べてくれ」箸を置いて、ティッシュで口元を拭くと、結城理仁は立ち上がり、そこから離れようとした。「俺らも腹いっぱいになったし、一緒に行くよ」東隼翔と九条悟も箸を置き、結城理仁と一緒に隣にあるカフェ・ルナカルドへと行くことにした。ボディーガードたちもすでに食事を終えていて、自分たちの主人が店から出ていこうとするのを見て、何も言わず立ち上がり主人を守るようにそっと外へと向かって行った。女主人に気づかれないように。女主人は金城家のお坊ちゃんと食事をしている。金城坊ちゃんは彼らの主人と顔を合わせたことがある。だから女主人には気づかれてはいけないのだ。もしそうなれば主人の正体がばれてしまうから。東隼翔はお会計に行った。九条悟は彼が会計を終わるのを待って一緒に外に出た。歩きながら小声で話した。「隼翔、今日理仁のやつ、なんかおかしいと思わないか?いや、店に着いた時にはいつも通りだったろ。表情だってあんなに冷たくなかったしさ」結城理仁が落ち着いていて、冷たく厳しい感じの人だというのは誰もが知っている。しかしプライベートで友人たちと付き合う時には、ある程度その冷たさは消え、友人に対しては和らいだ表情を見せる。「あいつがトイレから戻って来て、ちょっとおかしくなったよな」九条悟は突然足を止め、後ろを振り向いて中へと進み言った。「ちょっとトイレに行って、あいつに何があったのか確認してくる」東隼翔は彼を引き留め、外に向かって歩き出すと、笑って言った。「あいつが何か見てたとしても、もう時間が経ってるんだから、今行ってそれが見られると思うか?理仁はずっとあんな感じだ。お前の考えすぎだよ」東隼翔は誰かが、あるいは何かが結城理仁の顔色を一瞬にして変えることはできないと思っていた。結城理仁は落ち着き払っていて、たとえ山崩れが起きても顔色を変えやしないだろう。「考えすぎじゃないよ。あいつは絶対に何かに出くわして、突然冷たくなったんだ」九条悟は本当に興味津々で、結城理仁が一体トイレで
結城理仁は自分の席に戻ると、平常心を保っていた。注文した料理が運ばれてきて彼は食べ始めた。友人二人がどんな話をしても、彼は一向に黙ったまま何も話さなかった。頭の中には内海唯花が笑顔で金城琉生に料理を分けていた様子が浮かんでいた。「理仁、なんかお前今日変だぞ」東隼翔は料理を一口食べた後、向かいに座っている結城理仁を見ながら言った。「なんでずっと食べるばっかで、一言もしゃべらないんだ?」九条悟もそれを聞いて頷いた。結城理仁は淡々と「腹が減ってるんだ」と言った。朝食食べたくもないおにぎりを食べたが量は多くなかったので、彼は本当にお腹がすいていた。もちろん、機嫌が良くないのは言うまでもない。気分がすぐれないので、彼はひたすら食べ続けた。彼女が金城琉生に自分の料理をあげるのを彼は別に羨ましいわけではない。彼もそうしてほしいとでも?彼がヤキモチを焼くとでも思ってるのか?彼は以前言ったが、ヤキモチなど焼かない人間だ。ネチネチしたものなんて好きじゃない!彼ら夫婦はもともとルームメイトとして日々暮らしているだけだ。それに契約書にもサインして、プライベートなことはどちらもお互いに干渉したりしない。彼女が契約期間中に次の相手を見つけたいと思ったとして、金城琉生と同居して不倫などしない限り、彼は見て見ぬふりをするつもりだ。結城理仁は心の内で自分に言い聞かせていた。しかし、彼の頭の中には、やはりさっきの内海唯花と金城琉生が楽しそうに笑っておしゃべりしている光景が浮かんできた。親友二人はどちらも結城理仁がおばあさんからグチグチ言われて、それに耐えきれず結局おばあさんの命の恩人と結婚したことを知っていた。彼からお腹が空いていると聞いて、九条悟はからかって尋ねた。「君は奥さんがいるだろ?どうして腹が減るんだよ。今朝は何も美味しい物を作ってくれなかったのか?」これまで会社で彼に会った時には、毎回妻が彼と一緒に朝食を食べようと誘ってくると言っていた。結城理仁はいつも妻がいる人間なんだと自慢しキラキラした顔をしていたじゃないか。九条悟は手を伸ばし、結城理仁がこの日着ていた服を引っ張って言った。「妻がいる人間が、どうして自分で買った服を着ているんだよ」結城理仁は冷たい表情になり、九条悟の手を叩いて払うと、冷ややかな声で言った。「俺と彼女は
少し迷って彼は結局食卓に座り、再びその袋の結びを解いて、食べる気のなかったおにぎりを黙々と食べ始めた。内海唯花と生活するようになって、彼も少し普通の人の暮らしをするようになったと言わざるを得ない。今までの彼だったら普段食べることのない、多くの食べ物を口にするようになった。朝食を食べ終わると、結城理仁はベランダに行き、ハンモックチェアに腰掛け彼女が育てている草花を観賞した。十一時頃までそこに居続け、九条悟からの催促の電話を受け取り、彼はようやく部屋に戻って服を着替え出かけて行った。内海唯花が姉の家に行っているので、結城理仁は夫婦二人がばったり出くわすこともないと思い、ホンダ車には乗らずいつもと同じようにあの高級車ロールスロイスを運転していった。ボディーガードが乗った数台の車に送られて威勢よくビストロ・アルヴァへと向かって行った。付近まで来ると、車を祖母のカフェの前に駐車し、歩いてレストランへと向かった。そうすることであまり目立つことはない。結城理仁がレストランに到着した時、東隼翔と九条悟はすでに来ていて、彼に手招きしていた。彼はボディーガードを引き連れて中に入っていった。ボディーガードたちは三人のすぐ隣の席に座った。こうすれば近くで主人を守ることができるし、友人たちとの食事の邪魔をすることもない。東隼翔と九条悟の誘いだからこそ、結城家の坊ちゃんをここまで来させることができるのだ。結城理仁たちの選んだ席は静かな端の方の席だった。「理仁、注文どうぞ」東隼翔はメニューを結城理仁の前に置いた。結城理仁はそのメニューは置いたまま淡々と言った。「よく来ていた店だぞ、店長にいつものと言えばいい」「他のを試してみないのか?」九条悟がその言葉を受け取りこう言った。「彼はこだわりがあるから、他の料理にしたら食べられないかもしれないぞ。俺もいつものにしようっと」東隼翔は友人二人がいつもの料理を注文すると言ったので、店員を呼んで三人の料理を書いて渡した。「ちょっとお手洗いに」結城理仁は立ち上がって行った。ボディーガードが一人立ち上がり彼について行った。彼らはここで主人が何か都合の悪い状況になるかもしれないと心配しているわけではなく、彼に女性が付き纏うのを心配しているのだ。結城家の御曹司はまるで大きな移動式の磁
「隼翔が明日いつもの店で食事しようって言ってきたぞ。あいつ、毎回俺たちを誘う時はいつもビストロ・アルヴァに行くよな。確かにあの店の料理は最高だけど、隣が結城おばあさんがオーナーのルナカルドじゃなきゃなぁ。あのカフェでお茶でも飲んでリラックスできるってのに、さすがにあそこには行きたくないだろ」「あそこは俺たちが以前よくたむろしていた店だから、隼翔は昔からの情に厚いやつだな」以前、彼らがお互い今の立場にある前のこと。結城理仁がまだ社会経験を積んでいる途中、社長にも就任していない頃、自分の結城家の子息という身分を人に知られるのが好きではなかった。三人の親友たちはそれでよくこの中レベルのレストランで食事をしていた。カフェ・ルナカルドはここでは一番大きく高級なカフェだ。その周辺はアパレルにしろレストランにしろ比較的高級な店が多い。もしそれらの店のレベルが低ければ、ルナカルドに来る客の集客につながらないからだ。この高級カフェに来る客は普通、エリート揃いだ。このエリートたちは常に自分に対してお金は惜しまず使っている。カフェでお茶をした後はよく周辺にあるグルメを満喫したり、服を買ったりする。だから、この繁華街はカフェ・ルナカルドを中心にして中高級の消費エリアとなっているのだ。「行くか?」「ご馳走してくれるっていうなら、もちろん喜んで行くさ」結城理仁は珍しく笑顔を見せた。彼と九条悟、そして東隼翔の友情は厚く固い。東隼翔が食事に誘ってくれて彼がその誘いに乗るのはまた別の話で、主に家にいて内海唯花と顔を合わせるのが気まずいから、彼女と一緒にいる時間をなるべく減らすためだった。「じゃあ、俺も行こうっと。せっかくの週末なんだし、やっぱり羽を伸ばさなくっちゃな。食後は君のばあちゃんが経営しているカフェでだらだらしてさ、夜は海辺にバーベキューでもしに行くか?」結城理仁は断った。バーベキューに行くくらいなら、ゴルフに行ったほうがましだ。九条悟はぶつくさと暫く呟いてから去っていった。彼がいなくなってから、結城理仁は祖母に電話をかけた。「理仁、唯花ちゃんから何か連絡あった?」「うん」結城理仁は声を低くして言った。「ばあちゃん、もう年も取ったし記憶力が悪くなってるんだろうから、もう一度言っておくよ。俺はもうばあちゃんの希望を叶えて内海さ
結城理仁は淡々と言った。「伊集院善は確かに腕っぷしは大したことないだろうが、彼ら伊集院家はA市において結城家と同様トップの名家なんだ。安全のために彼が何人かのボディーガードを連れているのも別にお前だって今になって知ったわけじゃないだろう。なんでそんなに驚く必要があるんだ。お前もああいう光景に憧れるってんなら、毎日ボディーガードを十人くらい侍らせたらどうだ」九条悟はボディーガードを連れなくても、自身の護身術で十分だ。しかも、ほとんどの人は彼の正体を知らないので、もしボディーガードを侍らせていたら余計に人目を引いてしまうだろう。二人は仕事の話をしていて、そこへアシスタントがドアをノックして入ってきた。「社長、コーヒーをお持ちしました」アシスタントはできたてのコーヒーを持って来て、さっと結城理仁の前に置いた。アシスタントが退室した後、九条悟は親友兼上司をからかって言った。「昼は会社から飛び出して奥さんとイチャイチャしといて、午後は元気がなくなったのか。二杯くらい飲んどけよ、な」結城理仁は暗い表情になった。何がいちゃつくだ。彼は内海唯花との間にまたギャップが生じたと感じているというのに。彼女が彼を会社まで迎えに来たのを嬉しく思っておらず、彼女もまた何も言わないし怒りもしない。結城理仁は彼女が今後、二度と結城グループまで彼を迎えに来ることはないとはっきり断言できる。「なんだ?顔色が良くないぞ。まさか夫婦喧嘩でもしちゃったのか?見たとこ奥さんの性格は良さそうだけど」理屈が通じない相手というわけではない。結城理仁は暫くの間黙っていて、いくら待ってもその原因を口にはしなかった。九条悟の口は堅いと言えば堅いほうだが、噂が好きな男だ。彼は九条悟がいろんなことを知りすぎて、ある日酔った勢いで全て暴露してしまわないか心配なのだ。しかし、彼はまた九条悟から内海唯花との、このなかなか先に進まない硬直した状況を打破する方法を聞きたいとも思っていた。それで、彼はこう答えた。「もしかしたら、少し、彼女を傷つけてしまったかもしれない」九条悟の瞳がキラリと光り、立て続けに質問した。「どんなふうに?聞かせてくれよ」結城理仁は机の下で悟の足をひと蹴りした。九条悟は彼に蹴られて、ケラケラと笑って言った。「中途半端にしか教えてくれないって、理仁、そ
食事を終えた後、佐々木唯月は家に帰って休むと言った。午前中ずっと仕事探しをしていて、とても疲れていたのだ。仕事も見つからなかったし、それにショックも受けていた。家に帰ったら、もう少し自分の要求を低くして履歴書を書かなければならなかった。それで仕事が見つかるかやってみよう。「お姉ちゃん、家まで送るよ」妹に言われて佐々木唯月は妹の夫を見た。結城理仁はタイミングよく言った。「義姉さん、私は会社に戻ります」「ええ、気をつけてね」佐々木唯月はそう彼に言い、彼が去った後、まだ寝ている息子を抱き上げて妹の車に乗った。「結城さんが昼ご飯を食べる時間がそんなにないなら、会社までご飯を届けてあげたらいいわ。わざわざここまで来てまた行くのは昼休憩ができなくなるから」「わかった」内海唯花は車を出した。彼女はもう二度と結城グループには行かない。この言葉は言わなかった。姉に叱られるからだ。姉は明らかに妹の夫を気に入り認めていた。結城理仁が会社に戻った頃にはもう仕事開始の時間になっていた。エレベーターを出てすぐアシスタントの一人が彼を見て恭しく言った。「結城社長、九条さんがお待ちですよ」結城理仁は頷き、どっしりとした歩みでオフィスへと向かった。それと同時にそのアシスタントに「コーヒーを頼む。何も入れないでくれ」と言った。彼はブラックコーヒーを好む。彼はそれを聞いてすぐ反応して言った。「社長は午後、コーヒーをお飲みにならないのでは?」結城理仁は普通、朝一杯のコーヒーを飲めば、一日中目は冴えている。もし午後にまた一杯飲めば、夜はもう寝られなくなるのだ。だから、彼は午後にはコーヒーを飲まない。結城理仁が何も答えなかったので、アシスタントはそれ以上は何も言えなかった。理仁がオフィスに入った後、彼は急いでコーヒーを入れに行った。ドアを開けて入ると、九条悟が望遠鏡を持って窓から何かを見ているようだった。結城理仁は顔を曇らせ、大股で彼に近づくとその望遠鏡を奪い取った。「勝手に俺の物に触るな」「なんだ、なんだ、落ち着かない様子だな」九条悟はからかって言った。「君がデスクの上に置きっぱなしにしてたから、ちょっと借りて外を見てただけだよ」二人はデスクの前に座り、結城理仁は望遠鏡を置いた。「昼、奥様は来たか?」「悟、お前は
彼とは、まったく話ができない。内海唯花はこれ以上何も言わず、ただ大人しく助手席に座って黙って、外の景色を眺めた。店に戻ると、佐々木唯月も戻ってきた。「お姉ちゃん」内海唯花は車を降り、姉を呼んだ。佐々木唯月は振り向いて、妹夫婦を見ると、ふっくらした顔に笑顔を浮かべながら聞いた。「結城さんとどこへ行ってきたの?」「一緒にご飯を食べるために、会社まで迎えに行ったのよ。お姉ちゃんは?仕事が見つかった?」結城理仁も車を降りると、佐々木唯月に挨拶した。佐々木唯月は笑って彼に会釈し、妹が仕事について聞くと、顔色を曇らせた。彼女は力なく首を横に振って言った。「まだよ。履歴書いっぱい出したけど、まだ返事がないか、そのまま断られるかの二択ね」途中で少し言い淀んで、また口を開けた。「私に2歳の子供がいるのを知って、子供がまだ小さいから、手を焼くことが多くて、絶対仕事に集中できないって言い張ったの。本当にムカつく。子供がいる母親が仕事に専念できないって誰が言ったのよ。子供の世話をする人がいて、私はちゃんと仕事をこなせるって言っても、相手は全く聞く耳を持たなかったの。いつから子持ちの女性が就職するのに差別されるようになったの?」佐々木唯月は午前中ずっと就活していたが、疲れた体とお腹が空いた以外、何も得られなかった。佐々木俊介と離婚したらまともに生活できるかという夫の家族に罵られた言葉を思わず思い出した。これは三年間のブランクだった。取柄がない以上、彼女が好きなように会社を選べるわけじゃなく、会社に選ばれる状態なのだ。また経理部長の仕事ができると思っていたが、今の状況からみると、どんな仕事も関係なく、仕事がもらえるだけで幸運だということだ。「お姉ちゃん、大丈夫だよ、焦らずゆっくり探せばいいの。きっといい仕事が見つかるから」内海唯花は姉を慰めながら、彼女の腕を組んで店に入った。「先にご飯を食べて、休憩して、午後になったらまた探しに行こう。ネットで履歴書を出してみてもいいと思うよ。面接のお知らせが来たらまた出かけるの」「ネットにも出したのよ、でも面接の連絡はいまいちなの」職場復帰に自信を持っていた佐々木唯月は、午前の成果のなさのせいで、急に自信がなくなってきた。もしかしたら、経理の仕事だけではなく、他の仕事も視野に入れ
「そういえば、話したいことがあるの」内海唯花は話題を変えた。彼女の相変わらずのはつらつとした声を聞いて、結城理仁は彼女がさっきの沈黙に何の不満も抱いてないことがわかった。彼女のその怒りのない様子に、なぜだか結城理仁はもやもやした。「なんだ?」「おばあちゃんが週末の二日間うちに泊まりたいって言ってたわ。先に結城さんの許可を得るように頼まれたの。おばあちゃんの実の孫だから、同意しないわけじゃないでしょ」結城おばあさんは夫婦の邪魔になるのを恐れているに違いない。それはおばあさんの考えすぎだ。そもそも夫婦の邪魔になるわけがない、本当の夫婦じゃあるまいし。二人は昼間各々の仕事をしている。夜になると、二人とも自分の部屋で寝るのだ。用事がある時だけ少し会話を交わすようなもので、普段一緒に世間話をしながら暇をつぶすこともあまりないのだ。前に、スピード婚をするうえで、この婚姻はただルームメイトと一緒に同じ屋根の下で生活するようなものに過ぎないと思っていた。今は本当にその通りになっていた。内海唯花は確かに結城理仁に少し好感を抱いてこの先のことを期待していたが、ただ自分が迎えに来るだけで、彼を沈黙させるほど不愉快にさせるのに気がついて、彼女はその好感が生まれそうな芽を摘んだ。やはり契約書の通りに暮らしたほうがいい。五か月後、また独身に戻るまでだ。結城理仁は確かに祖母に来てほしくないのだ。おばあさんはずる賢い狐のように、よく孫たちに罠を仕掛けてくる。おばあさんは彼と内海唯花がただ夫婦のふりをしているだけだとを知っていたのだ。もし家に来たら、使える手を全部使って二人を同じベッドに送ろうとするに違いない。「週末でもそれぞれやることがあるだろう、ばあちゃんと一緒にいる時間はあまりないと思うけど。うちに来るより実家にいた方がいい、父さんと母さんはすでに退職してるから、ずっとばあちゃんの傍にいられるんだ」結城理仁の話を聞きながら、内海唯花は首を傾げ、彼を見つめた。どうりで、おばあさんは絶対彼の同意を得る必要があると、勝手に決めちゃいけないと何回も注意してきたわけだ。この人は本当に祖母に来てほしくないのだ。「おばあちゃんに泊まりに来てほしくないの?長くいるわけじゃないし、二日間だけよ。来ても午後に着くっておばあちゃ
カフェで結城理仁を待っている内海唯花は、何も注文せず座っているのはよくないと思って、テイクアウトでミルクティーを二杯注文した。ドアの近くの席に腰をかけていたので、結城理仁の車が出てくるとすぐにわかった。彼女はミルクティーを持ち、店を出た。顔に自然と笑みが浮んで、結城理仁に手を振った。車が彼女の前まで走ってきて、ちょうど止まった。内海唯花は助手席のドアを開け、車に乗り込んだ。彼女がしっかりシートベルトを締めると、結城理仁は再び車を走らせた。「どうしてマスク付けてるの?しかも黒いの」内海唯花はさりげなく聞いた。結城理仁は何も言わずマスクを外した。もう会社から離れて、誰かに見られることを心配しなくてもいいからだ。彼本人を直接見たことがある人はそう多くないが、気をつけるのに越したことはない。結城理仁はそれについて何も言わなかったが、内海唯花はそれ以上詮索せず、話題を変えた。「ミルクティー飲む?結城さんの分も買ったんだよ。私は先に飲むね、飲み終わったら私が代わって運転するわ。そうしたら、結城さんも飲めるでしょ」「ありがとう、でも俺はいらないよ」結城理仁は今までミルクティーを飲んだことがないのだ。「じゃ、帰って明凛にあげる。彼女はミルクティーがとても好きなの。毎日の午後、テイクアウトで何種類かお菓子とミルクティーを頼んでいるんだ」「女の子の方はミルクティーが好きかもしれないな。俺は飲まないし、好きもなれないんだ」内海唯花はミルクティーを飲みながら返事した。「私もあまり飲まないよ。飲み過ぎると体に良くないからね」明凛がミルクティーを頼む時、彼女はいつもフルーツジュースを注文するのだ。「今日はどうして俺を迎えに来たんだ?」結城理仁は優しく落ち着いた声で聞いた。「来る前に電話ぐらい寄越したら?もし会社にいなかったら、無駄足になるよ」今日の予定で、ちょうど昼に彼が会社にいたのは幸いだ。いつもなら、この時間になると、彼はほとんど会社にいないのだ。「昼ご飯の時間でも商談するの?」結城理仁はうんと返事した。「大体のビジネスは食事しながら商談をするから」内海唯花は頷いた。「じゃ、今度は電話をかけることにする。サプライズして喜ばせようと思ったけど、逆にびっくりさせたね、ごめんなさい。お姉ちゃんが仕事を探し