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第7話
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あなたのための、始まりの愛 第8話
和樹がメッセージを受け取ったのは、ちょうど彼の幼馴染を寝かしつけたばかりの頃だった。空はすでに白み始めていた。スマホの通知音を聞いた彼の最初の反応は、眉をひそめることだった。愛梨を起こさないかと心配だった。しかし、彼は登録名を見ると、やはりそっとスマホを手に取った。【和樹、私たち、別れましょう】和樹の眉間のしわがさらに深くなった。手を上げて鼻筋を押さえようとしたが、愛梨にしっかりと手を握られていた。愛梨は眠りながらも呟いていた。「和樹......」「......」和樹の顔に浮かんでいた苛立ちは、彼女への甘やかしに変わった。彼は優しく愛梨の手の甲を叩き、「いい子だ、リビングで仕事の電話をしてくる。ゆっくり寝ていろ」と囁いた。愛梨が再び安心して眠りについたのを見て、彼はそっと自分の手を引き抜いた。彼はバルコニーへ出て、そのまま音声通話をかけた。しかし、呼び出し音さえ鳴らなかった。画面には、【応答なし】と表示された。彼の心臓が激しく跳ねた。胸騒ぎのようなものが、急速に広がっていった。彼は、何かとても大切なものを失ってしまうような気がした。考える暇もなく、彼は焦燥感と不安に駆られて走り出した。「和樹！」彼が玄関に駆け込んだところで、愛梨の弱々しい声に呼び止められた。振り返ると、彼女は青白い顔で「どこへ行くの？私のこと、置いていくの？」と言った。彼と愛梨は正真正銘の幼馴染だった。子供の頃から隣同士に住んでいた。小学校には手をつないで一緒に通っていた。しかし、愛梨の実の父親は、かなり前に亡くなっていた。彼女の継父は、酒、女、ギャンブルに溺れるどうしようもない男だった。中学生の頃、愛梨は彼に危うくわいせつな行為をされかけたことがあった。やはり和樹が近くに住んでいたため、愛梨の絶望的な叫び声を聞きつけ、ドアを蹴破って彼女を救ったのだった。それ以来、愛梨は彼に非常に頼るようになった。今この瞬間と、ほとんど同じ状況だ。和樹の心は和らぎ、先ほどの焦燥感は次第に薄れ、それほど切迫した気持ちではなくなった。彼は軽く笑った。「そんなわけないだろう？どうして起きてきたんだ、もう少し寝ていればよかったのに」「あなたがいないと、落ち着いて眠れないの」愛梨は唇を噛み、おず
あなたのための、始まりの愛 第9話
私は思ってもみなかった。飛行機が帝都に着いた時、迎えに来てくれたのが他の誰でもなく。司だったのだ。私がこれから一生を共にすることになる人。金融業界で非常に有名な人物で、インタビュー記事も数多く出ていた。容姿も際立っており、彼の顔を忘れるのは難しい。彼は黒いカシミヤのコートを着て車のそばに立っていた。すらりとした長身で、穏やかながらも鋭い眼光を持っていた。支配者特有のオーラが強い。私が反応する前に、彼はすでに大股で歩み寄り、私の手からスーツケースを受け取ると、落ち着いた低い声で言った。「荷物、これだけ？」「ええ、そうなの」冷たい風が吹き抜け、私は寒くて鼻をすすり、思わず説明した。「必要ないものは、持ってくるのが面倒で」人も、物も。不要なものは、すぐに手放すべきなのだ。司は軽く頷き、スーツケースを運転手に渡すと、後部座席のドアを開けてくれた。「さあ、まず家まで送ろう」「ありがとう」私は腰をかがめて車に乗り込んだ。暖かい空気が広がり、体の周りの寒さが徐々に和らいでいく。隣の席の男を横目で見ていると、なぜか心が落ち着いてきた。緊張が解けると、すぐに眠気が襲ってきた。「どうして急に帝都に帰る気になったんだ？」うとうとしていると、彼が突然そう尋ねた。私は眠くてたまらず、目を開けることもしないで、「帰りたくなったから、帰ってきたの」と呟いた。空気中に、かすかな笑い声が響いた。いくらかの含みと、いくらかの喜び。どちらが多いのか分からない。意識がもうろうとする中、なぜか「司」という名前が何度も頭の中をよぎった。考えているうちに、なんとなく馴染みがあるような。いつか聞いたことがあるような気がしてきた。再び目を覚ますと、私の頭は司の肩に寄りかかっており、黒いカシミヤのコートにわずかに濡れた跡がついていた。私ははっと目が覚め、少し気まずそうに彼を見た。「すみません......」彼は全く気にしていない様子で、黒い瞳で静かに私を見つめ、ただ言った。「家に着いたよ」「えっ、もう着いたの？」窓の外を見ると、車は既に神崎家の門の前に止まっていた。司が軽く車の窓を叩いた。運転手はそれに気づき、急いで車に乗り込み、門の中へと車を走らせた。物音に気づいた母が慌てて出てきて
あなたのための、始まりの愛 第10話
今まで、お母さんの言葉がこんなに的を射ていると感じたことはなかった。私は驚き、「どうしてそう思うの？」と尋ねた。「あなたは昔から、一度決めたら突き進む性格でしょ。彼が浮気でもしない限り、あなたから別れるはずないじゃない」「......」目頭が熱くなったが、母の言葉に、思わず笑ってしまった。「じゃあ、お母さんはずっと、私が間違った道を選んだと思っていたのね？」「そういうわけじゃないけど」母は私の皿に酢豚を乗せながら言った。「人生に正解なんてないのよ。今日間違えた道が、明日どうなるかなんて、誰にもわからない」「お母さんはあなたの決断を応援するわ。それに、家族はいつでもあなたの味方よ」涙が溢れて、止まらなくなった。母は私を抱きしめ、優しく慰めた。「もう泣かないの。お父さんも言ってたわ。あの人があなたにひどいことをしたんだから、彼の会社ももう長くはないって」「......」泣き止んだ私は、何が何だか分からず、「どういう意味？」と尋ねた。「人に頼んで調べてもらったわ、あの佐藤っていう男の子の会社、資金調達して上場する準備をしてるらしいのね」母は意味ありげに言った。「こんな時期は、一番失敗しやすいのよ。あんな男、会社を上場させる資格なんてないわ」「......お母さん、そんなことしないで」「千尋、どうしてこんな時になって、まだ彼のことを庇うの？」「違うの......」私は焦って叫んだ。「私だって創業者の一人よ！あの会社には、私の株もあるんだから！」もし無事に上場できたら、株を売って、自分へのけじめをつけたいと思っていた。私が必死に説得すると、ようやく母は納得してくれた。それから、母は話題を変えて、「この2日間はゆっくり休んで。明後日からは忙しくなるわよ」と言った。「何が？」「あなたと司の結婚式よ」母は私の頬をつまんで、「結婚式は来週だけど、あなたは花嫁なんだから、確認しなくちゃいけないことがたくさんあるわよ」と言った。「そうだ、結婚式の招待状はもう送ったから、友達に届いているか確認しておいてね」「わかった」私は頷いた。一睡もできなかったから、車の中で2時間ほど寝たくらいじゃ全然足りない。食事を終え、満腹になった私は、2階の自分の部屋に戻って、もう一度寝ることにした。幼
あなたのための、始まりの愛 第11話
翌日、土曜日だった。恵美は起きるとすぐに、和樹に電話をかけた。数日間、恵美に仕事のことで急かされていた和樹は、少し不機嫌そうに言った。「週末だぞ。書類にサインが必要だとしても、月曜日まで待てないのか？」恵美は単刀直入に聞いた。「今どこにいるの？」電話の向こうは、しばらく沈黙した。恵美は我慢できずに言った。「まだ愛梨と一緒にいるの？千尋と何年も付き合ってきたのに、その気持ちが本物じゃなかったっていうの？」「田中、お前はいい大人なのに、どうして千尋みたいにワガママを言うんだ」和樹は言った。「俺たち二人は上手くいっている。お前が心配することじゃない」それを聞いて、恵美は笑った。「上手くいってる？本当に？彼女が今どこにいるか、知ってる？」恵美の声には、千尋のために怒っている気持ちが込められていた。千尋がこれまで彼とどれだけ苦労を共にしてきたか、彼女たちは誰よりもよく知っていた。ようやく事業が軌道に乗ってきたというのに。和樹は恩を仇で返したのだ。和樹も腹を立てた。「彼女が、俺たちが喧嘩したことを話したのか？」「喧嘩？」恵美は予想外だった。千尋はもう遠くへ行ってしまい、他の男と結婚しようとしているのに。和樹はまだ、ただの恋人同士の喧嘩だと思っていて、幼馴染の彼女と平然と一緒にいる。和樹は軽く笑った。「じゃなかったら何だ？まさか彼女、本当に俺と別れるつもりだとでも？」「......」恵美は「馬鹿じゃないの？」と言いそうになったが、何とかこらえて、「30分後に愛梨のマンションの下に行くから、降りてきて」と言った。そう言うと、電話を切った。和樹は画面が消えたスマホを見て、何が何だか分からなかった。ただ、会社に何か急用があるのだろうと思った。30分後、愛梨をなだめすかし、ほぼ時間通りに階下へ降りた。真っ赤な車が勢いよく走ってきて、彼の前で止まった。車から降りた恵美は、彼に手を出して言った。「千尋があげたペンダント、返して」和樹は動かず、「何のために？」と聞いた。「千尋が言うには、あれは彼女の家の伝統で、将来の旦那に贈るものらしいの」恵美は千尋の言葉をそのまま伝えた。「あなたたちはもう別れたんだから、あなたがそれを持っているのはおかしいでしょ」和樹の心は重くなった。
あなたのための、始まりの愛 第12話
家に飛び込んだ瞬間。和樹の不安は、解消されるどころか、さらに大きくなった。家の中はがらんとしていた。まるで、新しい住人を待っている空き家のようだった。生活の痕跡が、全くない。以前、千尋が一番気に入っていた写真の壁には、彼女に関する写真が一枚もなくなっていた。彼の心臓は、まるで何かで抉り取られたように、ぽっかりと穴が空いていた。彼は千尋の部屋へと足を進めた。リビングよりも、さらにがらんとしていた。彼女の髪の毛一本さえ、落ちていなかった。彼は最後の望みをかけて、クローゼットや、部屋、バスルームの引き出しを全て開けてみた。和樹は、自分が千尋を誤解していたことに気づいた。千尋は物分かりが良かったのだ。去る時でさえ、何の痕跡も残さないほどに。彼は慌てて部屋を出て、ダイニングテーブルに差し掛かった時、ようやく千尋が置いて行ったものを見つけた。――ゴミ箱いっぱいのゴミ。全部、食べ物だ。そして、ケーキの箱もあった。彼はゆっくりとしゃがみ込み、自分が好きな料理ばかりが捨てられているのを見た。開けていないケーキの箱を開けると、そこにはホワイトチョコレートで書かれたメッセージカードがあった。彼は頭を抱え、声を上げて泣き崩れた。――和樹、お幸せに。自分がここまでひどい男になってしまったというのに、千尋はまだ彼の幸せを願ってくれていた。しかし、最後の電話で、彼は彼女に何と言っただろうか。彼は言った。「神崎千尋、いつからそんなに意地悪になったんだ？！」「お前の胃痛はもう持病みたいなものだろう。少し我慢できないのか？」「神崎千尋、よりによって愛梨が俺を一番必要としている時に、ワガママを言うな」「......」彼が最後に彼女の名前を呼んだ数回は、なんと全てフルネームだった。和樹は、自分がいつからこんな風になってしまったのか、分からなかった。そして。千尋が、こんな自分の姿を見て、どれほど失望していたかを、想像もしていなかった。もっと早く気づくべきだった。千尋は、とっくの昔に、出て行く準備をしていたのだ。家にあったペアの物が、いつの間にかなくなっていた。小さな置物が、急に姿を消していた。そして、ペアウォッチも。「和樹......」愛梨が、恐る恐る声をかけた
あなたのための、始まりの愛 第13話
家に戻ってからの数日間、寝る時以外、母はほとんど片時も離れずに私のそばにいた。結婚式の細かいことまで、一緒に確認してくれた。母の言葉通り、一生に一度の結婚式は、私が納得いくものでなくてはならない。ある日、九条家の両親と司が、神崎家にやってきた。高価な贈り物がたくさんあった。九条夫人は、翡翠のバングルを私の腕にはめながら、にこやかに言った。「私はもう、あなたが今にでもお嫁に来て、司をしっかりしつけてくれるのを楽しみにしてるのよ。この子ったら、毎日毎日、ちっとも人間味ってもんがないんだから」それを聞いて、私は少し照れて、思わず司の方を見た。案の定、またあの、自分には関係ないといった冷めた様子だ。私は少し緊張しながら、「あの......九条社長は......」と言いかけた。この呼び方が口をついて出ると。全員が私の方を見た。九条社長本人も含めて。司は、感情を読み取れない表情で、まるで皮肉のように言った。「神崎さん、政略結婚ということをよく理解しているようだね」「もう、この子は！」九条夫人は彼の後頭部を軽く叩き、「千尋は照れているだけよ。余計なことを言わないの」とたしなめた。私の顔はますます熱くなった。こんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだった。幸い、すぐに使用人が食事の準備ができたと知らせに来た。景都市では、私は接待の席で愛想よく振る舞い、相手に気に入られようと努力していた。だが、家ではただ、きちんと食事をすればいい。私と同じように、司も真剣に食事をしていた。今回帝都に戻ってきて、母に胃の不調を気づかれ、昨日、漢方医に連れて行かれた。漢方薬をもらった上、薬膳のレシピまでたくさんもらった。ここ数日、食事の前には必ず漢方薬を飲んでいる。食事の後、九条家の両親はしばらくお茶を飲んでから、帰ることにした。車に乗り込む直前、九条夫人は私の方を見て、「まだ時間は早いわ。千尋、これから予定は？司に、どこか連れて行ってもらいなさい。若いんだから、楽しんでおいで」と言った。「私......」私は少し迷って、「私は特に用事はないけど、九条......さん......が時間があれば」と答えた。「彼には時間があるわ。なかったら、どうなるか分かってるでしょ？」九条夫人はそう言うと、
あなたのための、始まりの愛 第14話
「勝手にすれば」電話を切ると、司が突然、サンザシ飴を差し出してきた。中学生の頃、大好きだったものだ。毎日、学校帰りに買って、美味しく食べながら家に帰ったものだった。大人になってからは、そんな子供っぽいものは買わなくなった。買ってくれる人もいなかった。礼を言って、一口食べようとした時、司が「サンザシは酸っぱいから、胃に良くない。少しだけ味見程度にして、消化を助けるくらいがいい」と言った。私は少し驚き、「どうして私の胃のことがわかったの？」と尋ねた。母でさえ、昨日知ったばかりなのに。司は淡々とした声で、「君の飲んでいる薬は、全て胃に良いものばかりだろう」と言った。「......」私は驚いた。夕食の時、彼はただ黙々と食事をしていただけなのに。そんなことまで、気づいていたなんて。私はサンザシ飴を一口食べ、「よく気が付くのね」と言った。「まあね」司は、特に謙遜することもなく頷いた。さっきの電話のことを聞かれるかと不安だったが、幸い、彼が家まで送ってくれるまで、そのことには触れなかった。怖いわけではない。ただ、どう説明すればいいのか分からなかった。まだ彼とはあまり親しくないのに、元カレの話をしたら、今後の結婚生活に影を落とす気がした。翌日、実家に戻ってから初めて、朝寝坊することができなかった。母が私をベッドから引きずり起こした。「もう、寝坊はダメ。今日は必ず試着に行かないと。もうこれ以上延ばせないのよ」「お母さん、眠い......」家に帰ってきてから、気持ちが緩みすぎていたし、それに秋だから。毎日、寝ても寝ても眠い。母は奥の手を使った。「結婚式で最高の自分でいたいと思わないの？このメイクさんは、九条夫人が苦労して予約してくれたのよ。本当はスケジュールが空いてなかったのに」「それは......そうだけど......」私は少しだけ目が覚めて、ベッドから出て洗面所へ向かった。試着は想像以上に大変だった。結婚式当日、ウェディングドレスに加えて、母と九条夫人が一緒に選んでくれたドレスが6着もあった。つまり、メイクとヘアスタイルも6回変えなければならない。どうりで母が何が何でも私を起こしたわけだ。そうでなければ、1日では終わらない。途中で、九条夫人から電話がか
あなたのための、始まりの愛 第15話
スクリーンショットを見る度に、彼の顔から血の気が引いていった。どのスクショも、平手打ちのように、彼の頬を容赦なく叩いた。彼は何も言えなかった。ただ、彼の目は真っ赤に充血していた。私はもう、彼に対して何の感情も抱いていなかった。ただ無表情で彼に手を出して、「ペンダントは？恵美が言うには、渡そうとしなかったそうだけど」と言った。そして、念を押すように言った。「持ってきてないなら、景都市に戻ったら宅配便で送ってくれてもいいわ」「千尋......」彼はかすれた声で、懇願するように言った。「......もう一度だけ、チャンスをくれないか？一度だけでいいんだ」「和樹」私は瞬きをして言った。「人との信頼関係は、一度壊れたら、もう二度と元には戻らないわ」完全に信じられるチャンスは、一度きり。一度壊れた信頼は、どんなに修復しようとしても、溝と疑念しか残らない。時間が経てば経つほど、お互いの嫌な部分ばかりが目につくようになる。そんな生活は、私が望むものではなかった。和樹は、震える指先で握りしめていたペンダントを、ようやく私の手に渡した。私は迷うことなく、それを受け取った。ペンダントを受け取った瞬間、彼は全身の力を失ったかのように、ソファに崩れ落ち、放心したように私を見つめていた......私は目を伏せ、「和樹、もう連絡してこないで」と言った。「......旦那に、嫌な思いをさせたくないから」元カレなんて。きれいに消えてなくなればいい。私は彼の反応を見ることもなく、ペンダントを握りしめ、喫茶店を出て行った。今日が立冬だった。冷たい風が、骨身に染みた。コートの襟を立てて顔を上げると、見覚えのある黒い車が停まっていた。司が、車の横に寄りかかっていた。彼の澄んだ黒い瞳が、私をじっと見つめていた。まるで、心の中まで見透かされているようだった。私は理由もなく少し後ろめたい気持ちになり、彼の方へ歩いて行った。「どうしてここに？」「通りかかっただけだ」彼は短く答えると、付け加えた。「喫茶店の中に、君に似た人がいるのを見かけて、気になって車を停めた」彼は少し口元を歪めて、「まさか、本当に君だったとはな」と言った。「......」私が咳払いをして、何か言おうとした時、彼が手の甲で私の
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あなたのための、始まりの愛 第19話
私は核心を突いた。「大学の同窓会って、いつだったの？」「今月の初め......確か6日だったわ」「......」おじいちゃんが、九条家との結婚を持ちかけてきたのは。8日だった。あまりにもタイミングが良すぎる。私が考え込んでいると、彩花が私の腕を揺すって、「どうしたの？何を考えているのよ？」と言った。「彩花、もしかして......」私は信じられない思いで言った。「司は、ずっと前から私のことが好きで、だから彩花に私のことを聞いていたの？」「じゃなかったら何？彼、頭がおかしいとでも言うの？」「......」一日中、心臓がドキドキしていた。この間、車の中で、司が好きな人がいると認めていたことを思い出した。様々な感情が、私の胸の中で渦巻いていた。驚き、戸惑い、そして、かすかな......喜び。未来の夫となる人が、こんなにも自分のことを想ってくれていたなんて。夜中まで、私はベッドの中で眠れずにいた。突然、スマホにメッセージが届いた。【眠れないのか？】と司は聞いた。私は勢いよくごろんっと起き上がり、パチパチと素早く返信した。【どうして分かったの？】【こんな夜中に、アプリの歩数計が数分おきに2歩ずつ増えてる。スマホをいじってる以外に考えられないだろ】【......司】もしかしたら、彩花と私が勘違いしているのかも、と思い、遠回しに聞いてみた。【私たち、以前、一体どうやって知り合ったんでしたっけ？】九条家と神崎家は、確かに昔からの付き合いがあった。しかし、この2日間、母に聞いてみたところ、私たちの家は、曽祖父の代では親しかったものの。その後、付き合いはずいぶんと薄れた。お正月やお盆には、お互いに贈り物をする程度だった。司と私は、会ったことがないはずだ。トーク画面には、「入力中......」と表示されていた。しかし、なかなかメッセージは送られてこない。しばらくすると、「入力中......」の表示も消え、「司」という名前だけが残った。寝てしまったのだろうか？スマホを置こうとしたその時、彼から音声通話が送られてきた。私の心臓は高鳴った。電話に出ると、彼の落ち着いた低い声が聞こえてきた。「千尋、まずは俺の話を聞いてくれ」電話の向こうは、またしばらく沈黙した。
あなたのための、始まりの愛 第18話
他人なら、千尋の悪口を言い続けるかもしれない。だが、愛梨は違う。彼女は和樹のことを知りすぎていた。だからこそ、彼女は何度も何度も、和樹に「千尋」という棘を突き刺した。彼に一生、後悔させ続けるために。そうすれば、和樹は......他の女にうつつを抜かすこともなくなる。そして、彼女は自分が望む全てを手に入れることができる。千尋の結婚式2日前、恵美は休暇を取って帝都へ向かった。休暇届にサインをしたのは、和樹だった。彼は恵美の休暇理由を目にし、長い間、呆然としていた。――友人の結婚式に出席するため。本来なら......この休暇届は、彼と千尋の結婚式のために使われるはずだった。しかし、今は。6年間、苦楽を共にした彼女が、明日、別の男の隣に立つ。和樹は机に手をつき、よろよろと立ち上がると、デザイン部へ向かった。デザイン部には、新しい部長が来ていた。しかし、千尋のオフィスは、そのまま残されていた。彼女は家の中の荷物を全て持ち去ったが、オフィスには、まだ彼女の痕跡が残っていた。彼女はオフィスでアロマストーンを使うのが好きだった。今でも、かすかに香りが残っている。それは彼女の体にいつもあった香りだ。「佐藤社長......」マーケティング部長がノックをして入ってきた。彼は少し戸惑いながら、「以前、社長が探していた英達投資の社長の結婚式の招待状......入手できました」と言った。「式は今週の日曜日ですが......社長は......」社員全員が、和樹と千尋の関係を知っていた。二人が別れるなんて、誰も思っていなかった。しかも、こんな形で別れるなんて。和樹は顔を手で覆い、感情を隠して「置いていけ」と言った。「かしこまりました」マーケティング部長は招待状を置いて、そそくさと出て行った。厄介ごとに巻き込まれるのを恐れたのだ。ドアが閉まると、和樹はゆっくりと招待状を手に取り、開いた。――神崎千尋、九条司。単純に左右対称に並んだ二人の名前が、鋭い刃物のように、彼の胸に突き刺さった。呼吸をするのも苦しかった。昨夜、愛梨が言った言葉が、彼の頭の中をぐるぐる回っていた。否定できなかった。彼が、千尋にふさわしくないと。あんなにも辛い時期を、一緒に乗
あなたのための、始まりの愛 第17話
愛梨は信じられなかった。「彼女が他の男と結婚するって言うのに、そんな高価なものを贈るの？このマンション、今なら......」「彼女には、それだけの価値がある」和樹はそれだけ言うと、マンションを出て行った。愛梨は彼を追いかけて、「どこへ行くの？」と尋ねた。「約束がある。お前は帰っていいぞ」「......」愛梨は和樹において行かれた。それに体の調子が悪く、とても追いつけなかった。仕方なく、タクシーを呼んで帰った。しかし、彼女は千尋ほどおとなしい性格ではなかった。9時にもならないうちに、和樹に何度も電話をかけ始めた。彼は電話に出なかった。彼女は何度も何度も電話をかけ続けた。ラインも送り続けた。千尋は騙されやすかったが、自分は違う。男というものは、少し目を離すと、どこの女に引っかかっているか分からないのだから。一体、千尋は、彼にどんな魔法をかけたというのか、愛梨には理解できなかった。以前は、和樹が千尋にそれほど深い愛情を持っているようには見えなかったのに。今になって、これほどまでに情が深いとは。午前2時になって、ようやく彼女のスマホが鳴った。しかし、電話の主は和樹ではなかった。彼の友人だった。「愛梨、和樹が飲みすぎてるんだ。ずっと家に帰るって言ってるんだけど、俺たちが支えようとしても嫌がるんだ。君が迎えに来ないとダメみたいだ。悪いけど、来てくれないか？」それを聞いて、愛梨は小さく笑みを浮かべた。「わかったわ。位置情報を送って。今すぐ行く」やはり、彼の心の中にいるのは、彼女だけだった。ただ、スクリーンショットを千尋に送ったことが気に食わなくて、怒っただけなのだ。彼女は今日、会社でもこの問題をじっくり考えた。自分が不注意すぎたのだと。千尋に証拠を握らせるべきではなかった。彼女がバーに着いた時、和樹はまだボトルを抱えて離そうとしなかった。ボトル一本分の洋酒が。全て彼の胃袋の中へと消えていた。元々お酒に弱い彼が、酔っ払わないわけがない。個室にいた他の友人たちは、彼女が来たのを見てホッとした様子だった。「早く連れて帰ってやれよ。このままじゃ、救急車を呼ばないといけなくなるぞ」「ええ、今すぐ連れて帰るわ」愛梨は頷き、「ちょっと支えてもらえる？」と頼
あなたのための、始まりの愛 第16話
和樹は、その夜中に景都市へ戻った。逃げ帰ってきたようなものだった。あの数枚のスクリーンショットの言葉一つ一つが、彼を千尋の前で顔も上げられないほどにしたのだ。飛行機を降りると、彼はすぐに愛梨の家へ向かった。物音に気づいた愛梨が、眠そうな顔で部屋から出てきた。和樹の姿を見ると、彼女は喜びを隠しきれない様子だった。やはり和樹は、彼女と千尋の間で、彼女を選んだのだ。彼女は和樹に抱きつこうとした。しかし、彼は彼女の首を掴み、ソファに押し倒した。窒息死しそうな感覚に、彼女は完全に目が覚めた。彼女は怯えた目で和樹を見つめ、必死に抵抗した。「和樹、どうしたの？！私を殺す気？！」「誰がお前に、あのスクリーンショットを千尋に送ることを許したんだ？！」和樹は怒鳴りつけた。首を掴む手は緩めず、怒りで目が血走っていた。「これで彼女が俺たちを誤解した。満足か？」「違うの、私は......」愛梨は必死に言い訳をした。「本当に私が送ったんじゃないの！そうだ、思い出した！ある日、千尋さんが、あなたが私を探していると教えてくれて、私はあなたのオフィスに入ったんだけど、スマホをそこに置いたまま外出したの！その時、千尋さんが私のスマホを......」「千尋がそんなことをするはずがない！」和樹はさらに強く彼女の首を絞めた。愛梨は死ぬほど腹が立ったが、本当に殺される方が怖かった。彼女は慌てて言い方を変えた。「そうだわ......私が間違ってた。もしかしたら、千尋さんがたまたま見てしまったのかも......和樹、ごめんなさい。私が不注意だったわ......和樹......お願い......」愛梨は、彼が本当に気が狂ってしまったのではないかと恐怖を感じ、泣き崩れた。「誤解で私を殺すの？和樹、あなたは私を愛していないの？和樹、あなたは私と結婚するって言ったじゃない！千尋さんはもう行ってしまった。他の男と結婚するって聞いたわ！私たち......やり直せないの？あなたは私のことが好きだったじゃない」彼女はとても可哀想に泣いた。和樹は彼女をじっと見つめ、突然奇妙なことを言った。「笑ってみろ」「え？」彼女は理解できなかった。和樹は苛立ちを抑え、「笑えと言っているんだ。笑うことすらできないのか？」と冷たく言った。「私
あなたのための、始まりの愛 第15話
スクリーンショットを見る度に、彼の顔から血の気が引いていった。どのスクショも、平手打ちのように、彼の頬を容赦なく叩いた。彼は何も言えなかった。ただ、彼の目は真っ赤に充血していた。私はもう、彼に対して何の感情も抱いていなかった。ただ無表情で彼に手を出して、「ペンダントは？恵美が言うには、渡そうとしなかったそうだけど」と言った。そして、念を押すように言った。「持ってきてないなら、景都市に戻ったら宅配便で送ってくれてもいいわ」「千尋......」彼はかすれた声で、懇願するように言った。「......もう一度だけ、チャンスをくれないか？一度だけでいいんだ」「和樹」私は瞬きをして言った。「人との信頼関係は、一度壊れたら、もう二度と元には戻らないわ」完全に信じられるチャンスは、一度きり。一度壊れた信頼は、どんなに修復しようとしても、溝と疑念しか残らない。時間が経てば経つほど、お互いの嫌な部分ばかりが目につくようになる。そんな生活は、私が望むものではなかった。和樹は、震える指先で握りしめていたペンダントを、ようやく私の手に渡した。私は迷うことなく、それを受け取った。ペンダントを受け取った瞬間、彼は全身の力を失ったかのように、ソファに崩れ落ち、放心したように私を見つめていた......私は目を伏せ、「和樹、もう連絡してこないで」と言った。「......旦那に、嫌な思いをさせたくないから」元カレなんて。きれいに消えてなくなればいい。私は彼の反応を見ることもなく、ペンダントを握りしめ、喫茶店を出て行った。今日が立冬だった。冷たい風が、骨身に染みた。コートの襟を立てて顔を上げると、見覚えのある黒い車が停まっていた。司が、車の横に寄りかかっていた。彼の澄んだ黒い瞳が、私をじっと見つめていた。まるで、心の中まで見透かされているようだった。私は理由もなく少し後ろめたい気持ちになり、彼の方へ歩いて行った。「どうしてここに？」「通りかかっただけだ」彼は短く答えると、付け加えた。「喫茶店の中に、君に似た人がいるのを見かけて、気になって車を停めた」彼は少し口元を歪めて、「まさか、本当に君だったとはな」と言った。「......」私が咳払いをして、何か言おうとした時、彼が手の甲で私の
あなたのための、始まりの愛 第14話
「勝手にすれば」電話を切ると、司が突然、サンザシ飴を差し出してきた。中学生の頃、大好きだったものだ。毎日、学校帰りに買って、美味しく食べながら家に帰ったものだった。大人になってからは、そんな子供っぽいものは買わなくなった。買ってくれる人もいなかった。礼を言って、一口食べようとした時、司が「サンザシは酸っぱいから、胃に良くない。少しだけ味見程度にして、消化を助けるくらいがいい」と言った。私は少し驚き、「どうして私の胃のことがわかったの？」と尋ねた。母でさえ、昨日知ったばかりなのに。司は淡々とした声で、「君の飲んでいる薬は、全て胃に良いものばかりだろう」と言った。「......」私は驚いた。夕食の時、彼はただ黙々と食事をしていただけなのに。そんなことまで、気づいていたなんて。私はサンザシ飴を一口食べ、「よく気が付くのね」と言った。「まあね」司は、特に謙遜することもなく頷いた。さっきの電話のことを聞かれるかと不安だったが、幸い、彼が家まで送ってくれるまで、そのことには触れなかった。怖いわけではない。ただ、どう説明すればいいのか分からなかった。まだ彼とはあまり親しくないのに、元カレの話をしたら、今後の結婚生活に影を落とす気がした。翌日、実家に戻ってから初めて、朝寝坊することができなかった。母が私をベッドから引きずり起こした。「もう、寝坊はダメ。今日は必ず試着に行かないと。もうこれ以上延ばせないのよ」「お母さん、眠い......」家に帰ってきてから、気持ちが緩みすぎていたし、それに秋だから。毎日、寝ても寝ても眠い。母は奥の手を使った。「結婚式で最高の自分でいたいと思わないの？このメイクさんは、九条夫人が苦労して予約してくれたのよ。本当はスケジュールが空いてなかったのに」「それは......そうだけど......」私は少しだけ目が覚めて、ベッドから出て洗面所へ向かった。試着は想像以上に大変だった。結婚式当日、ウェディングドレスに加えて、母と九条夫人が一緒に選んでくれたドレスが6着もあった。つまり、メイクとヘアスタイルも6回変えなければならない。どうりで母が何が何でも私を起こしたわけだ。そうでなければ、1日では終わらない。途中で、九条夫人から電話がか
あなたのための、始まりの愛 第13話
家に戻ってからの数日間、寝る時以外、母はほとんど片時も離れずに私のそばにいた。結婚式の細かいことまで、一緒に確認してくれた。母の言葉通り、一生に一度の結婚式は、私が納得いくものでなくてはならない。ある日、九条家の両親と司が、神崎家にやってきた。高価な贈り物がたくさんあった。九条夫人は、翡翠のバングルを私の腕にはめながら、にこやかに言った。「私はもう、あなたが今にでもお嫁に来て、司をしっかりしつけてくれるのを楽しみにしてるのよ。この子ったら、毎日毎日、ちっとも人間味ってもんがないんだから」それを聞いて、私は少し照れて、思わず司の方を見た。案の定、またあの、自分には関係ないといった冷めた様子だ。私は少し緊張しながら、「あの......九条社長は......」と言いかけた。この呼び方が口をついて出ると。全員が私の方を見た。九条社長本人も含めて。司は、感情を読み取れない表情で、まるで皮肉のように言った。「神崎さん、政略結婚ということをよく理解しているようだね」「もう、この子は！」九条夫人は彼の後頭部を軽く叩き、「千尋は照れているだけよ。余計なことを言わないの」とたしなめた。私の顔はますます熱くなった。こんな恥ずかしい思いをしたのは初めてだった。幸い、すぐに使用人が食事の準備ができたと知らせに来た。景都市では、私は接待の席で愛想よく振る舞い、相手に気に入られようと努力していた。だが、家ではただ、きちんと食事をすればいい。私と同じように、司も真剣に食事をしていた。今回帝都に戻ってきて、母に胃の不調を気づかれ、昨日、漢方医に連れて行かれた。漢方薬をもらった上、薬膳のレシピまでたくさんもらった。ここ数日、食事の前には必ず漢方薬を飲んでいる。食事の後、九条家の両親はしばらくお茶を飲んでから、帰ることにした。車に乗り込む直前、九条夫人は私の方を見て、「まだ時間は早いわ。千尋、これから予定は？司に、どこか連れて行ってもらいなさい。若いんだから、楽しんでおいで」と言った。「私......」私は少し迷って、「私は特に用事はないけど、九条......さん......が時間があれば」と答えた。「彼には時間があるわ。なかったら、どうなるか分かってるでしょ？」九条夫人はそう言うと、
あなたのための、始まりの愛 第12話
家に飛び込んだ瞬間。和樹の不安は、解消されるどころか、さらに大きくなった。家の中はがらんとしていた。まるで、新しい住人を待っている空き家のようだった。生活の痕跡が、全くない。以前、千尋が一番気に入っていた写真の壁には、彼女に関する写真が一枚もなくなっていた。彼の心臓は、まるで何かで抉り取られたように、ぽっかりと穴が空いていた。彼は千尋の部屋へと足を進めた。リビングよりも、さらにがらんとしていた。彼女の髪の毛一本さえ、落ちていなかった。彼は最後の望みをかけて、クローゼットや、部屋、バスルームの引き出しを全て開けてみた。和樹は、自分が千尋を誤解していたことに気づいた。千尋は物分かりが良かったのだ。去る時でさえ、何の痕跡も残さないほどに。彼は慌てて部屋を出て、ダイニングテーブルに差し掛かった時、ようやく千尋が置いて行ったものを見つけた。――ゴミ箱いっぱいのゴミ。全部、食べ物だ。そして、ケーキの箱もあった。彼はゆっくりとしゃがみ込み、自分が好きな料理ばかりが捨てられているのを見た。開けていないケーキの箱を開けると、そこにはホワイトチョコレートで書かれたメッセージカードがあった。彼は頭を抱え、声を上げて泣き崩れた。――和樹、お幸せに。自分がここまでひどい男になってしまったというのに、千尋はまだ彼の幸せを願ってくれていた。しかし、最後の電話で、彼は彼女に何と言っただろうか。彼は言った。「神崎千尋、いつからそんなに意地悪になったんだ？！」「お前の胃痛はもう持病みたいなものだろう。少し我慢できないのか？」「神崎千尋、よりによって愛梨が俺を一番必要としている時に、ワガママを言うな」「......」彼が最後に彼女の名前を呼んだ数回は、なんと全てフルネームだった。和樹は、自分がいつからこんな風になってしまったのか、分からなかった。そして。千尋が、こんな自分の姿を見て、どれほど失望していたかを、想像もしていなかった。もっと早く気づくべきだった。千尋は、とっくの昔に、出て行く準備をしていたのだ。家にあったペアの物が、いつの間にかなくなっていた。小さな置物が、急に姿を消していた。そして、ペアウォッチも。「和樹......」愛梨が、恐る恐る声をかけた
あなたのための、始まりの愛 第11話
翌日、土曜日だった。恵美は起きるとすぐに、和樹に電話をかけた。数日間、恵美に仕事のことで急かされていた和樹は、少し不機嫌そうに言った。「週末だぞ。書類にサインが必要だとしても、月曜日まで待てないのか？」恵美は単刀直入に聞いた。「今どこにいるの？」電話の向こうは、しばらく沈黙した。恵美は我慢できずに言った。「まだ愛梨と一緒にいるの？千尋と何年も付き合ってきたのに、その気持ちが本物じゃなかったっていうの？」「田中、お前はいい大人なのに、どうして千尋みたいにワガママを言うんだ」和樹は言った。「俺たち二人は上手くいっている。お前が心配することじゃない」それを聞いて、恵美は笑った。「上手くいってる？本当に？彼女が今どこにいるか、知ってる？」恵美の声には、千尋のために怒っている気持ちが込められていた。千尋がこれまで彼とどれだけ苦労を共にしてきたか、彼女たちは誰よりもよく知っていた。ようやく事業が軌道に乗ってきたというのに。和樹は恩を仇で返したのだ。和樹も腹を立てた。「彼女が、俺たちが喧嘩したことを話したのか？」「喧嘩？」恵美は予想外だった。千尋はもう遠くへ行ってしまい、他の男と結婚しようとしているのに。和樹はまだ、ただの恋人同士の喧嘩だと思っていて、幼馴染の彼女と平然と一緒にいる。和樹は軽く笑った。「じゃなかったら何だ？まさか彼女、本当に俺と別れるつもりだとでも？」「......」恵美は「馬鹿じゃないの？」と言いそうになったが、何とかこらえて、「30分後に愛梨のマンションの下に行くから、降りてきて」と言った。そう言うと、電話を切った。和樹は画面が消えたスマホを見て、何が何だか分からなかった。ただ、会社に何か急用があるのだろうと思った。30分後、愛梨をなだめすかし、ほぼ時間通りに階下へ降りた。真っ赤な車が勢いよく走ってきて、彼の前で止まった。車から降りた恵美は、彼に手を出して言った。「千尋があげたペンダント、返して」和樹は動かず、「何のために？」と聞いた。「千尋が言うには、あれは彼女の家の伝統で、将来の旦那に贈るものらしいの」恵美は千尋の言葉をそのまま伝えた。「あなたたちはもう別れたんだから、あなたがそれを持っているのはおかしいでしょ」和樹の心は重くなった。
