折原和也(おりはら かずや)が妻を命懸けで愛していることは、周知の事実だった。彼女だけに捧げる歌を書き、手作りのスイーツを焼き、口を開けば必ず「家の奥さん」が唇にのぼる――そんな男だった。しかし、米山唯(よねやま ゆい)は気づいてしまった。そんな彼が浮気をしていたのだ。システムを呼び出し、世界からの離脱を申請する。「了解しました。自主離脱ルートを開通します。15日後、貴女は仮死状態でこの世界を離脱します。死亡場所はかつて主人公を救った海辺。投身自殺として処理されます」「死亡準備を確実に整えてください」十五日目。彼女は全てを計画し、海に身を投げるふりをして彼のもとを去った。折原和也は突然目が覚めたように狂乱し、彼女を探し求めて奔走する。「覚悟は決まったのですか?この世界から去れば、二度と戻れなくなります」システムの冷たい電子音にわずかな躊躇が混じる。唯は揺るがない声で答えた。「決めた。離れる」スマホを開き、弁護士に離婚協議書の作成を依頼する。通知がポップアップした。【人気歌手・折原和也が妻へ捧げた楽曲『唯(ゆい)』、再生回数10億回突破!】指先が震え、記事を開いた。動画の中の和也は、くだけた服装で長身を活かし、昇降式ローラーチェアに腰かけギターを抱えていた。美しい旋律が流れ出す。「作曲も作詞も完了しました。このメロディは、家の奥さんから授かったインスピレーションなんです」「彼女と海辺で貝殻を拾った時のこと。潮風が彼女の長い髪を撫で、波が彼女の足首を洗うように寄せては引いていく。そっと袖を肘までまくって腰を折った彼女の姿を見た瞬間、この旋律が頭に浮かんだんです」「奥さんはまさに僕の幸運の星!一生愛し続けますよ!」唯は無表情で動画を閉じ、コメント欄にスクロールした。予想通り――【わあ『家の奥さん』連発!甘すぎる!】【9分間の動画で199回も!愛が濃厚すぎて眩しい】【奥様幸せすぎ!こんな夫がいたら私も死ぬほど幸せなのに】世界中が和也の妻への溺愛を知っていた。けれど誰も知らない。唯が払った代償を。彼女は肉体ごとこの世界に飛び込み、ただ和也のために存在していた。六年前、低迷する和也を攻略する任務を受けた。当時の和也は誹謗中傷に苛まれ、鬱病に陥っていた。アンチの投げた硫酸か
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