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All Chapters of 夜の踊り子: Chapter 11 - Chapter 20

30 Chapters

第11話

菅野は丁重に隼人たちを見送り、呆然としている一同に振り返った時には、顔の笑みもすっかり消えていた。「皆さん、どうぞお飲みください」長テーブルにずらりと並べられた酒瓶は十数本、どう見ても一人一本は逃れられそうにない量だった。先ほど無理やり半分以上も酒を飲まされた奈緒は、すでに顔色が青ざめており、その光景を見た途端、さらに怯えて和真の背後に隠れた。他の人たちは彼女に矛先を向けた。「全部お前のせいだ、なんであの酒を水だなんて言ったんだよ」「柊木さんはアルコールアレルギーなのに、どうして無理やり飲ませたんだ?」「さっき彼女が帰ろうとした時に帰らせればよかったのに、なんでわざわざ引き止めて踊らせようとしたんだよ、意味不明だろ」奈緒は和真の袖をぎゅっとつかみ、今にも泣き出しそうな顔で訴えた。「和真さん、信じて、私は本当に千夏先輩がグラスを取り替えるところを見たの……先輩はあんなに頭のいい人なんだよ?自分の身に危険が及ぶようなことするわけないじゃん」和真は眉間に皺を寄せたまま、納得したようにうなずいた。「そうだな……きっとあいつは、俺に罪悪感を抱かせようとしてるんだ……」菅野はしばらくそのやり取りを見守っていたが、次第に我慢が効かなくなった。「若者たちよ、過去のいきさつを掘り返すのはそっちの勝手だ。だが今は、先にやるべきことがあるだろう」和真は困ったような顔を見せた。「菅野お爺さん、もうすぐ晩餐会が始まるんです。今このタイミングで酔っぱらったら、主催側に失礼では?」「北条くん……君はまさか、篠原社長を怒らせておきながら、何事もなかったかのようにこの場に居続けられるとでも?」その言葉に、場の空気が一気に凍りついた。和真は乾いた唇を舐めながら、恐る恐る尋ねた。「菅野お爺さん……篠原社長は千夏のことをご存じなんですか?」菅野は目を半ば閉じるようにして答えた。「俺が知っているのは、篠原社長が今回初めて神浜にいらっしゃったということだけだ」「やっぱりな」和真は安堵の息をついた。「そうだと思った、千夏があんな大物と知り合いなわけがない」奈緒はすすり泣きながら言った。「まずいよ……千夏先輩があんな騒ぎ起こしちゃったら、篠原社長に私たちまで誤解されちゃうよ。先輩もさ、あんな無茶するなんて…
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第12話

五歳の頃、両親に連れられて、ある山奥の村に支援活動で訪れた。ボロボロの服を着た子どもたちが一列に並び、それぞれ自分の苦しい境遇を語っていた。そんな中、私は人混みの一番後ろに立つ、黙ったままの少年に目を奪われた。他の子どもたちと比べても、ひときわ痩せていて目立たない存在だった。けれど、その少年と目が合った瞬間、まるで何かに取り憑かれたように、父の袖を掴んでいた。「パパ、あのお兄ちゃんがほしい」いつも娘の私を甘やかしてくれた父は、もちろん私の言うことを聞いた。そうして、隼人お兄ちゃんは私たちと一緒に神浜へ帰ることになった。彼のフルネームは知らなかった。ただ、いつも後ろをついて回りながら、「隼人お兄ちゃん」と呼んでいた。隼人は私より7歳年上。騒がしい私とは対照的に、ずいぶんと落ち着いた印象だった。口数は少なく、人付き合いも得意ではなかった。でも、竹でバッタを作ってくれたり、色とりどりの花冠を編んでくれたり、私が一番嫌いなランドセルを代わりに持ってくれたりもした。私にとって彼は本当のお兄ちゃんみたいな存在で、両親以外では一番近しい人だった。けれど、隼人がうちにいたのは、半年も経たないうちに終わった。その年の年末、私はまたしても誘拐され、逃げ出す途中で足を骨折した。隼人は目を真っ赤にして、一晩中私のそばにいてくれた。そして翌日、父に「軍事学校に行きたい」と言った。それきり、彼は帰ってこなかった。隼人の立ち居振る舞いを目で追いながら、ちょっと嬉しくなって口を開いた。「隼人お兄ちゃん、すごく背が高くなったね」「ってことは、隼人お兄さんが篠原グループの篠原隼人なんだ?」和真のメッセージに書かれていた名前を思い出して、私は少し誇らしく、そして当然のように思った。隼人は笑って、昔と変わらない仕草で私の頭をくしゃくしゃに撫でた。「ごめん、遅くなった」私は首を振った。「いてくれなくてよかったよ。そうじゃなかったら、狙われたのは私だけじゃすまなかったから」両親に何かあった後、稲葉グループは一夜で他人の手に渡り、私は誰もが羨むお嬢様から、いじめの標的に落ちぶれた。誰も私の味方にしてくれなかった。「親の罪は子に報いろ」って、みんなそう言った。私の両親が悪いことをしたんだから、その代償は
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第13話

メディアの宣伝アカウントが拡散していたのは、私がレッドカーペットを歩いていた時の動画の一部だった。あの時、足を怪我していて、ボディーガードに支えられながら歩いていたんだけど……それが悪意ある編集で「無理やりレッドカーペットに居座ってる姿」に仕立て上げられていた。ネットで面白半分に騒いでる人たちは、その動画をわざわざGIF画像にして、侮辱的な文言を付けていた――「レッドカーペット乞食女」「図々しい女、目立つことしか考えてない」……って。動画だけじゃなく、検索ランキングにもグラスを持って過去の共演者にすがってるように見える写真が大量に載せられていた。「すごいね、柊木の奴。偽装結婚だけじゃ飽き足らず、今度は裏ルートに必死に関わろうとしてる。あざとすぎるでしょ」「笑うしかないよ。あいつに声かけられた社長たち、みんな即逃げてた。まるで疫病神みたい。ほんと無理な女」「なんて哀れなんだろ。見てて可哀想になる。うちに来れば?夜一回20円なら払ってあげるよ」「いやもうマジでさ、この女、売春にでも転身したほうがいいんじゃない?」そんな罵詈雑言が溢れる中、世論が一気に爆発したのは、奈緒が病院で胃洗浄を受けている目撃動画が出回った時だった。それまでの叩きはまだ「便乗した悪口」で済んでたけど、それを境に完全に毒気を孕んだ「呪い」へと変わっていった。そんな中で、まるでタイミングを見計らったかのように、奈緒がまたツイッターを更新した。一枚目は病院の診断書の写真。もう一枚は、男女の手がしっかりと握られている写真だった。その指には、はっきりと映るペアのダイヤの指輪。それって……まさかの、私が結婚七周年の記念に選んだやつだった。海外のフラッグシップショップで予約が必要だったから、和真は「そこまで大事なことじゃない」って言って、ずっと後回しにしてた、あの指輪。なのに今、それを奈緒が堂々とつけている。彼女の投稿にはこう書かれていた。「変な女に付きまとわれると、こうなるんですね。夜中に病院で胃洗浄受ける羽目になるなんて。でも、いつも私を守ってくれる恋人がいて本当によかった @北条和真」その投稿には、和真が即「いいね」して、さらに引用リツイートまでしていた。「変な女のせいで気分を害さないようにね。奈緒はステージで輝くべき存在。一部
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第14話

隼人は徹底した行動派だった。たった一本の電話で、晩餐会の主催者に完全な動画を公開させた。レッドカーペットで奈緒のファンが私を攻撃するシーンや、会場内で和真たちに追い詰められる様子まで、すべてがしっかり映っていた。その映像が出回るとすぐに、私に職場いじめの濡れ衣を着せていた元同僚たちには、次々と弁護士からの通知書と解雇通知が届いた。私を踏み台にして利益を得ようとした結果、先に自分たちの職を失うことになったのだ。中でも一番の打撃を受けたのは、やっぱり和真だった。隼人の話によると、彼の工場の生産ライン全体に問題が起きているらしい。そして今、和真は必死で私の行方を追っているのだという。「もしあいつが謝ってきたら、どうする?」そう聞いてきた隼人は、軽く眉間を揉んでいた——それは彼が不安や緊張を感じている時によく出る癖だった。私は焼きたてのケーキを彼に差し出しながら答えた。「和真が自分の非を認めるわけないよ」クリームが隼人の薄い唇にちょこんと付く。その様子が妙にかわいくて、つい見入ってしまう。「どうしてそう思うの?」「前から兆しはあったのよ」私は皮肉っぽく笑った。「でも私が見て見ぬふりをしてただけ」奈緒と初めてキスをしているところをメディアに撮られたあの日、私は泣きながら問い詰めたのに、「子どもっぽい」って一蹴されて、代わりに奈緒を連れてオーロラを見に行った。あの時点で、もうすべてが変わってしまっていたんだと思う。和真の傲慢さは分かってたけど、まさか奈緒のために大規模な花火まで打ち上げて、堂々とプロポーズなんて、そこまでするとは思ってなかった。そして、ネットの工作員たちに誘導された世論は、再び私に牙を向けた。【あの晩餐会で北条さんがやり過ぎたのは事実。でも、変な女に付きまとわれたら誰だってイラつくでしょ】【柊木千夏って自業自得だよね】隼人は私のことになるといつも敏感で、すぐに動こうとした。でも、私は彼の手を制した。「自分でやる」そう静かに言い切った。「和真とは、いつかちゃんと決着をつけなきゃいけないの」和真は、私の最後の感謝の気持ちすらも踏みにじった。だから、今度はもう情けなんてかけない。これまで共に過ごした日々を、ひとつひとつ資料にまとめて、ネットに公開した。も
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第15話

返事はただ一言、「わかった」だけだった。和真とのことは、いつかは決着をつけなきゃいけない――その時が来たのだ。会う場所は、丹沢山に決まった。神浜に引っ越して間もない頃、和真はよく私を山に連れて行ってくれた。あの頃は、お金なんてまったく余裕がなくて、山で摘んだ野花を編んで、花冠やネックレスにしてくれたりもした。少しだけ生活に余裕が出てきてからは、私の誕生日にお寺へ寄付してくれたこともある。仏像の前で手を合わせて、「どうか咲良ちゃんが平和で幸せでありますように」って、真剣に祈っていた彼の姿、今でもはっきり覚えてる。あの時の言葉は今も耳に残ってるけど……もう、状況はまるで変わってしまった。和真は私の脚に目を落としながら言った。「怪我がまだ治りきってないのに、どうして迎えに来させなかったんだよ?」思わず皮肉が口をついて出た。「私がもっとひどい状態だったときだって、あんたはあの人のために無理やりダンスをさせたでしょ?」その言葉に和真はたじろぎ、顔をしかめた。「千夏……あの件は、俺が悪かった。本当に申し訳なかったと思ってる。でもな、俺の立場とか全然考えずに、何かあるたびにネットで発信するのは、さすがにどうかと思うよ。今回、会社がどれだけの損害を受けたか分かってるのか?これまで積み上げてきた努力が、ほとんど水の泡なんだぞ?」語るうちに、最初に見せたわずかな後悔すら消えていった。私は静かに彼を見つめながら思っていた。さて、次はどんな非常識なことを言い出すのかしら、と。「もう、過去のことは水に流そうぜ」和真は深く息を吐き出した。「運が悪かっただけだ。俺が妻に選んだのがお前だったってことがさ」やけに自信満々な口調で続けた。「金はまた稼げる。でも、奈緒の評判は、お前のせいでほとんど地に落ちたんだ」私の反応をうかがいながら、私が黙っているのを見て、和真はニヤッと口元を歪めた。「千夏、ネットに投稿してくれ。『私たちの関係はもう形だけのもので、前から離婚の話は出ていた。成瀬奈緒は第三者じゃない』って」今年聞いた中で、一番笑える話だった。「和真、ネットの人たちをバカだと思ってるの?離婚の話が出てたのに、なんで私が結婚証明書まで公開しなきゃいけなかったの?」和真はいつものように眉をひそめた。
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第16話

パンッ――和真の頬に平手打ちをくらわせた。「……ほんと、吐き気がする」手がまだかすかに震えている。触れたばかりの掌からは、どうしようもない嫌悪感が込み上げてきて、思わず皮膚が擦り切れるほど両手をこすり合わせた。和真の目が怒りでぎらついた。「吐き気?俺に?ベッドでは、雌豚みたいに俺にしがみついて、興奮してたたくせに」そう言いながら、私の腕を強引につかんでくる。「したいなら素直にそう言えばいいんだよ。そんな駆け引きみたいなマネして……車乗れよ、満たしてやる」逃げようとした瞬間、顔に迫ってきた彼の唇を見て、反射的に膝を蹴り上げた。「ぐっ……!千夏、この……!」股間を押さえて悶絶しながら、怒り狂った声を上げる和真。「偉そうにしやがって……一人でこの山からどうやって帰るか、見ものだな」捨て台詞を吐き捨て、荒々しく車を発進させて走り去っていった。丹沢山は郊外にあり、ゆるやかな山道がお寺の入り口まで続いている。ここまではタクシーで来た。天気予報を確認しなかったのがまずかった。あっという間に、バケツをひっくり返したような雨が降り出した。慌てて配車アプリを開いたが、こんな場所に応答してくれる車なんてあるはずもない。せめてお寺で雨宿りしようとした時だった。雨を割るように、一台の見覚えある黒い車が目の前で止まった。ドアが開き、傘を差し出しながら降りてきたのは隼人だった。傘は自然に私の頭の上へと傾けられた。「隼人お兄ちゃん、どうしてここに?」「君が出かけたときから気になってたんだ。どうせ和真に会いに行くんだろうって思って……」そう言って、隼人の上着がふわりと私の肩にかけられた。そこには彼の体温が、まだほんのりと残っていた。こんなふうに優しくされるの、久しぶりだな……心の奥がふっとあたたかくなった。「大丈夫よ。ちゃんと自分で対処できるから。それより、さっき和真とすれ違った?」隼人がクスッと笑った。「すれ違ったどころか、アイツ、わざと僕の車を止めようとしてきたよ」「……平気だった?」「和真の見かけ倒しのスポーツカーが、僕のカスタムSUVに勝てると思ってんのかね」ちょっと得意げな隼人の声。いつもはクールなその顔が、今だけはやけに少年っぽく見えた。ふと、昔お菓子を買ってくれた頃の面影
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第17話

正確には、和真と奈緒だった。どうやら和真が山まで謝りに来た時、奈緒は麓で待機してたらしい。何のつもり?本妻と愛人のバランスでも取る気?そんな技、練習中?またムカムカしてきて、私は隼人の腕をぐっとつかんだ。「……早く行きましょう」その瞬間、和真がこちらに駆け寄ってきた。「篠原社長、少しだけお時間いただけませんか」「無理だ」隼人は即答だった。「篠原社長……」奈緒が、とろけそうな甘い声を出してくる。「ほんのちょっとだけでも……」「駄目だ」隼人の声はさらに冷たくなった。奈緒は一瞬、言葉に詰まった。そして、和真が私の方を向いて言った。「千夏、何か誤解してるんじゃないか?」久しぶりに見せる穏やかな笑顔。私の姿をその目に映しながら、まるでまだ私が彼の全てだと言わんばかりの表情だった。ぼんやりして、頭より先に体が反応しそうになる――うなずきかけたそのとき、隼人が私の首筋をそっとつねった。はっと我に返って、自分をぶん殴りたくなった。和真の笑みがかすかに崩れた。「千夏、約束、忘れたのか?」「……どんな約束?」こんな会話すら馬鹿らしくなってきて、私は吐き捨てるように言った。「もう一度言ってほしいなら、はっきり言ってあげる。北条和真は、妻だった私を裏切って、結婚中に不倫した。成瀬奈緒はそのことを知っていながら関係を続けて、さらにネット工作員まで雇って私を貶めた。晩餐会でのあの行為……私は絶対に許さない」その瞬間、和真と奈緒の顔が一気に険しくなった。でも、隼人だけはどこか楽しんでいるような顔をしていた。彼は私をそっと抱き寄せると、和真を横に押しやって、皮肉たっぷりに言い放った。「北条さん、成瀬さん、末永くお幸せに」隼人の気迫には誰も逆らえず、和真は悔しそうに私を睨みつけるしかなかった。「千夏、お前……どこまで恥さらせば気が済むんだよ!」隼人の腕の筋肉がピクッと緊張したのがわかって、私は慌てて彼の手首をぎゅっと握った。「……あんな奴、無視していいんだよ」最大の侮辱は無視――それで十分だった。今の和真には、それが一番こたえる。その後、数日間、私は徹底して和真を無視し続けた。新しい連絡先は教えてないし、SNSもすでにブロック済み。彼から連絡を取る手段は、もう何一つ残っていない。
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第18話

数ヶ月前、私はとある重要なダンス賞を受賞したばかりだった。それをきっかけにテレビ局から声がかかり、お正月の特番でソロダンスを披露してほしいと依頼された。お正月は、国民にとって特別な意味を持つ日だ。それは、私にとっても同じだった。さらに言えば、このダンスには個人的な願いも込めていた。亡くなった両親に向けて、こう伝えたかったのだ。「私は元気にやってるよ。ちゃんと強く生きてる。そして、今でもあなたたちを信じてる」って。その想いを込めた作品にするため、いくつかの公演もキャンセルして、このダンスに集中することにした。あの頃は毎日、自宅のスタジオにこもりっきりだった。振り付けを一から練り上げて、細部まで何度も詰め直して……とにかくすべてを注ぎ込んだ。ようやく完成したダンスを、私は和真にだけ見せた。彼は「あとで何度も見返したいから」って言って、スマホで撮影していた。それなのに、その大切なダンスを、和真は奈緒に渡したのだ。どういう神経してるの……?怒りがこみ上げ、胸が苦しくてたまらない。このダンスが私にとってどれだけ大事か、和真は知っているはずだ。それなのにわざと奈緒に渡して、彼女が再起するための武器として使わせた。最低。卑怯すぎる。さらに腹立たしいのは、この番組が再放送だったこと。つまり、本当の放送は昨夜。もう、見せたかった人たちには全部見られてしまっていたのだ。震える手でスマホを取り出し、SNSを開いた。案の定、奈緒への評価は急上昇していた。とくに、有名な大物ダンサーが彼女の振り付けをべた褒めしたことで、奈緒のファンたちは「真実の愛に罪はない」とか言い出して、こぞって私のアカウントに押しかけ、道徳的な圧力をかけてきた。【柊木さん、奈緒ちゃんはちゃんと謝ってますよ?先輩なら、そんな細かいことで怒らないでください】【奈緒ちゃん、別に悪くないじゃん。タイミングがちょっと悪かっただけで】【柊木さんも悪くないとは言えないんじゃない?だって、北条さんの気持ちを引き止められなかったんでしょ】【そうそう、奈緒ちゃんはただ傷つけられただけなんだから】奈緒が不倫してたことを知ってて、それでも彼女を支持してる人たちに、まともな理屈なんて通じるわけがない。そんな人たちが何を言おうと気にする必要はないけど――
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第19話

和真は奈緒の方を見て言った。「……本当か?」「そんなわけないじゃない!」奈緒は涙を浮かべながら言い返した。「いくらなんでも、先輩を挑発するようなことなんて、私にはできません!」涙を流しながら必死に訴える姿は、いかにも可哀想に見えた。和真はその様子にあっさり態度を和らげた。「わかった、わかった。そうじゃないならそれでいい。もう泣くなよ」そして今度は私に目を向け、呆れたような声で言った。「千夏、お前の振り付けを奈緒に使わせたのは悪かった。でも、彼女だってお前のせいで仕事を失いかけたんだ。もう許してやれよ。なんでそんな嘘までつくんだ?」和真の後ろで、奈緒が得意げな顔をして私を見ている。彼の信頼はすべて彼女のものになり、7年間「影の妻」だった私には、もう一片の情も残っていない。そう、奈緒はあの表情で見せつけていた。怒りをこらえながら、私は練習場に向かって歩き出した。和真と奈緒が後を追ってきた。窓辺に置いてあった鉢植えを抱え、玄関へ向かうと、和真が眉をひそめて口を開いた。「.どこへ行くつもりだ?」「戻ってくるとでも思ったの?」私は皮肉気に笑った。「ただ、鉢植えを忘れてただけ。淫らな連中の気で汚される前に持って帰るだけよ」和真は苛立った様子で言った。「千夏、何も失ってないだろ。紅原ダンスグループの主役はお前だし、これからいくつも番組に出られるようにしてある。悪い話じゃないだろ」その言葉に思わず笑いが漏れた。「和真、あなたが用意したその『仕事』、全部成瀬さんも関わってるんでしょ?私が主役なら彼女はサブ。私が出る番組には彼女もゲスト。で、私は表で騒がず大人しくしてるって計算して、私の力を使って彼女のイメージを回復させるつもりだったんでしょ?……本当に、卑怯な人ね、あなたって」「千夏!」和真が怒鳴り、そばのテーブルを蹴った。ジュースがこぼれ、カーペットに落ちそうになったのを奈緒が慌てて拭き始めた。そのとき、彼女が使っていた布に目が止まった。私は叫ぶように言った。「やめて!!」呆然とする奈緒の手から、それを奪い取った。ピンクと白のチェック柄のハンカチ――記憶の中の色はすでに黄ばみ、灰色がかっていた。隅に縫い込まれた「咲」の文字は、擦り切れて穴が開いている。「誰がこれを雑巾にしていいって言
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第20話

正気を失いかけたそのとき、私よりも早く誰かが動いた。かすんだ視界の中、誰かが和真を蹴り飛ばすのが見えた。耳に飛び込んできたのは、奈緒の金切り声と、肉がぶつかる鈍い音。その音が、極端な感情に飲み込まれていた私を現実へと引き戻した。目をこすりながら、徐々に視界がはっきりしていく。数歩先では、隼人が和真を押さえつけて、容赦なく殴っていた。和真も決して弱くはない。でも、隼人を相手にしては、まるで手も足も出なかった。呆然とその様子を見つめていたが、やっと我に返った。「隼人お兄ちゃん、もうやめて!」怒り狂う隼人に、私は必死で抱きついた。彼はなおも荒い息を吐きながら、和真を鋭く睨みつけた。「あんた……さっき、どの手で彼女を殴った?」和真は、隼人の迫力に完全に呑まれて、まだ恐怖から抜け出せずにいる。前から隼人の喧嘩の強さは聞いていたけれど、こうして実際に目の前で見て、やっと噂が誇張じゃなかったと気づいたらしい。「篠原社長」口元にアザを作りながら、和真が言った。「他人の家に押し入って暴行だなんて……やりすぎじゃないか?」「それが『暴行』だと?」隼人は全身に殺気をまとい、その険しい眉間には鬼気迫る凄みが漂っていた。「本当の『暴行』がどういうものか、教えてやるよ」ドアのそばに並ぶ黒服のボディーガードに目を向けると、静かに命じた。「あいつの手を潰せ」和真は何とか平静を装いながら言い返した。「ここは法治国家だ。いい加減にしろ。そんな地位にいるあんたが、千夏みたいなバツイチのために人生棒に振るなんて、割に合わないぞ」その瞬間、スキンヘッドのボディーガードが袖から短刀を滑り落とし、今にも振り下ろそうとした。その様子に、ようやく和真は本気で慌てた。「千夏、奴を止めろっ!」その叫び声が、私の意識を完全に現実へと引き戻した。「隼人お兄ちゃん、もうやめて」隼人が私に視線を落とした。その瞳には、納得していない強い拒否の色が浮かんでいた。私は深く息を吸って、感情を抑えながら和真を見据えた。「……あなたは、私を救ってくれたこともある。でも、同じくらい深く傷つけてもきた。今日で、すべて終わりにしましょう」和真は一瞬、何か言いたげに黙りこみ、迷いの表情が見えた。隼人がボディーガードに目配せすると、離婚
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