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All Chapters of 永い愛の嘆き: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

宏は深雪のベッドに横たわり、写真とラブレターをぎゅっと抱きしめたまま、彼女の残り香をかぎ続け、それでも眠りには落ちられなかった。目を閉じるたび、脳裏に浮かぶのは深雪が別れを告げる時の姿ばかり。「行くな……行くな!」あの時の自分に叫びたかった。引き留めさえすれば、彼女は死なずに済んだかもしれない——そんな妄想が、夜明けまで彼を苛んだ。冷蔵庫は金を積めば一夜で完成する。氷の棺に横たわる深雪の傍らで、宏は薄いシャツ一枚のまま寄り添っていた。肌の冷たさは、もはや亡骸と変わらなかった。このままずっと一緒にいたい。だが、まだそれが許されない。深雪の携帯を調べると、最後の着信は風見満からのもの。会った人物も彼女が最後だった。「あの日まで……彼女はここまで絶望していなかった」満と会った直後、深雪は急に意味ありげな言葉を呟き、自ら命を絶った。彼女の死に、風見満が関わっている——宏は確信した。身なりを整え、車で満のアパートへ向かった。到着時、彼女はまだ寝静まっていた。宏はパスコードを知っていた。ドアを開け、室内へ踏み込む。一室しかない部屋ながら、至る所に高価な品が飾られていた。限定香水にオーダーメイドの置物、ブランドの洋服……コップさえも庶民の手が届かない代物だ。「金なんて価値がない、か」唇を歪ませた。「綺麗事を並べた女の家がこれか」一方で「自分は拝金主義だ」と嘯いていた深雪は、治療費のために倹約を重ねていた。嗤いたくなるほどの皮肉だった。ベッドから満を引きずり下ろし、浴槽で亡くなった深雪の写真を突きつける。「説明しろ。お前が彼女を追い詰めたんだろう?」荒れ狂う形相に、満は震えあがった。ようやく絞り出した声は、涙で滲んでいた。「私じゃない……信じて……本当に……」震える手で宏に抱きつこうとするが、彼は冷たく振り払った。「触るな」低くうなる声が部屋に響く。「深雪が死んだ。お前を許さない……たとえ無実でもだ」
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第12話

宏の冷徹な姿を見て、満の心は次第に朽ちていった。彼女は目の前の男を眺めながら、泣き笑いを浮かべた。「ふふっ……私が一言言っただけで、あの子は自殺なんて。馬鹿みたい!」満はこの男の非情さを痛いほど知っていた。宏を指さし、罵声を浴びせた。「はははっ!森崎宏!いい人ぶるのも大概にしろ!小林深雪を殺したのはあんただよ!あんたさえいなければ、彼女は今でも生きてたわ!あんたが追い詰めたのよ!」宏の手下に縛られ、口をテープで塞がれても、満は抵抗しなかった。頬を伝う涙と同じように、胸の奥が軋んだ。彼女だって、宏のような優れた男に求められて、嬉しくないはずがない。ときめかなかったはずがない。自分が「小林深雪」という情けない女に似ていると知った時、満は必死に彼女の真似をした。宏のそばに長くいられるように。宏が自分をかばって小林を虐げる姿を見た時、心底から悦んだ。自分が特別な存在になったと、彼女の代わりになれると錯覚した。だが、全ては宏の計算だった。彼の熱も真心も、小林深雪に注がれきっていた。冷たい男の情熱など、最初から存在しなかった。満は諦めた。宏は彼女を連れ去り、刀で皮膚を切り刻み、止血剤を塗ることを繰り返した。狂気の淵に追いやるために。過去の女たちも同様だ。宏は復讐の鬼と化し、深雪の死への贖罪を求め続けた。しかし、復讐を重ねるうちに、満の言葉が真実だと気付いた。小林深雪を殺したのは、他ならぬ自分自身だった。皮肉なことに、狂った彼の資産は膨れ上がった。彼は銀行口座の数字を眺め、空虚さだけが広がる。「深雪……俺がこんなに金を持っても、一度でいい……夢に出てくれないか?」薄着のまま深雪の氷棺に寄り添い、抗凝固剤を飲み干した宏は、彼女が使ったナイフで手首を切り刻んだ。修復不能なラブレターと写真を抱え、震える指で一枚ずつめくる。「深雪……あの時、お前もこんなに痛かったのか?」血が床に広がる中、森崎は震えながら笑った。もうすぐ会える。それだけで幸せだった。 生き延びたいならもちろんできる。だが、彼は死を選んだ。「愛してる……お前のためなら、死ねる」意識が遠のく瞬間、宏の体はふわふわと浮かぶような感覚に包まれた。握り締めたお守りが突然熱を放ち、まるで時空が歪むような感覚が襲う――時は小林深雪が自殺したあの
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第13話

見知らぬはずの光景に、深雪は後ずさりした。手のひらを強くつねってみた。痛い。夢ではない。彼女はもう自分の病を知ってしまった。これ以上、何も知らないふりをして宏の告白を受け入れ、彼の優しさを当たり前のように享受することなどできなかった。前世であんなにすれ違い、二人ともこの感情に苦しんだ。しかも宏には他の好きな子もいたのだから、今世では始まらない方がいい。深雪は宏から数歩離れた場所に立ち、波のように押し寄せる人混みに二人の距離はますます広がっていった。前世のような勇気はもうない。声をかけ、一緒に山に登り、お参りし、お守りを求め、彼の告白に頷くなんて。深雪は自分が臆病者だと認めた。ようやく手にした「やり直し」の機会を、あの心をすり減らす恋に縛られたくない。遺伝病があるとわかった以上、これからの数年は自分を大切にし、もっと多くの景色を見て、病める母のそばにいよう。ひょっとしたら、またあの可哀想なトントンを見つけられるかもしれない。遠くも近くもない距離に立つ少年を見つめ、深雪の涙が止まらなかった。未熟な少年は星形の小花の束を抱え、必死に待ち人を探している。宏の見慣れた後ろ姿に、深雪は泣きながらも不器用な笑みを浮かべた。バカだわ。山登りに花なんか持ってくるなんて!あの日、嬉しそうに花を受け取り、照れ隠しに無言で山腹まで登り切った自分を今でも覚えていた。疲れ果てた彼女を見て宏が浮かべた申し訳なさそうな表情も、手探りで互いの気持ちを確かめ合い、仏前で震える声で想いを伝え合ったあの瞬間も。「お嬢さん、大丈夫ですか?どうして泣いているんですか?」通りすがりの人が声をかけた。周囲の視線に気づき、深雪は慌てて涙を拭った。「大丈夫です、すみません」涙をこぼしながら山麓を離れる深雪。その時、宏は何かを感じ取ったように振り返った。だが、深雪の姿はもうなかった。宏は胸騒ぎを覚えつつも、その場に立ち尽くし、彼女が現れるのを待ち続けた。帰宅した深雪は震える指でスマホを握りしめ、森崎宏の連絡先を開いた。「宏さん、ごめんなさい。行けません。考えたんです。あなたのことが好きじゃないから、一緒になれない」返信を待たずにブロックし、削除した。スマホが膝から滑り落ち、深雪は膝頭に顔を埋めてようやく声を上げて泣いた。何年
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第14話

深雪は覚悟を決めた。こんな体では、人に迷惑をかけるだけだ。愛情がなくても、きっと生きていける。「深雪ちゃん、どうしてそこでしゃがんでいるの?冷たいでしょう、早く立ちなさい」深雪の母は腰をかがめ、深雪の背中を優しく叩いた。目の前に生き生きと立つ母親を見て、深雪の涙がさらに溢れた。すぐに母に抱きつき、その胸に顔を埋めた。「お母さん……お母さん……本当に会いたかったよ」声が詰まった。深雪の母は今日の娘の様子に戸惑いながらも、深雪の頭を撫でて囁いた。「大丈夫、大丈夫よ。お母さんはここにいるから」「また変なこと言い出して……熱でもあるの?」額と額を合わせて熱を確かめる母。「平熱じゃない。もう、泣くのよそうね。ご飯を作ってくるから」背中をぽんと叩かれ、深雪はなぜか出かけると言っていたのに家にいるのかと問われずに済んだ。きっと恋の悩みだろう、と母は思ったに違いない。深雪は子犬のように母の後をぴったり付いていった。――ああ、お母さんが生きている。今度こそ、早く検査を受けさせて、治療を受けさせる。そうすれば、まだ何年か一緒にいられるかもしれない。チーン宏は携帯を開き、胸を弾ませながら深雪のメッセージを確認した。次の瞬間、冷水を浴びせられたように凍りついた。断りの文面が目に飛び込んできたのだ。昨日まで普通にやり取りしていたのに、なぜ急に?もしかしたら寝坊して恥ずかしがっているだけか、それとも迷っているのか――そう自分に言い聞かせ、慌てて通話ボタンを押した。しかし、赤いエラーマークが残酷に点滅する。「どこがまずかったんだ?寺での告白はダメだったか?デートで山に連れて行ったのが……」自分を誤魔化す思考が渦巻く。そもそも深雪の気持ちすら確かめられていなかった。友達としての接し方を、勘違いしていただけかもしれない。腿に置いたスカシバナの花束を眺めながら、宏は石段を一段ずつ登り、二人分の御守りを握りしめた。何の変哲もない布切れだが、込めた思いだけが特別なのだ。数日前に深雪を誘った時の勇気は、今や跡形もない。「会いに行っていいのか?会ってくれるのか?」宏は臆病で、プライドが低かった。理由も告げずに「死刑」を宣告されたのに、問い詰める勇気さえ持てない。片思いの心は常に不安で、卑屈になりがちなものだ。「あんなに輝い
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第15話

宏は自分が生ける屍のようだと感じていた。同じ寮の連中までが彼の異変に気づき、共同プロジェクトの仲間たちは森崎に何が起きているのか探り始めていた。実を言えば、深雪もわざと宏を避けていたわけではない。彼女はこの前、母親に病院で検査を受けるよう強く勧め、実際に体に異変が見つかってしまったのだ。深雪はこの頃、病院と学校を往復する日々に追われ、宏と顔を合わせても挨拶する余裕などなかった。宏は深雪の時間割を確認し、こっそり後をつけた。だが、彼女の前に現れる勇気は湧かない。ある夜、宏は思いがけず「別の世界」の自分を夢に見た。夢の中で深雪は彼に会いに来て、告白を受け入れてくれた。初恋同士の二人は拙くも可笑しみに満ちた日々を過ごしていた。夢の中の自分と深雪の甘い様子に、宏は嫉妬で理性を失いかけていた。何も知らずに彼女の影で見守るだけの人生もあったはずなのに――しかし、彼は知ってしまった。深雪も自分を想っていたこと、二人が一緒にいればこんなに幸せになれることを。夢が宏に背中を押した。深雪の授業が終わるのを待ち、彼女を呼び止めて全てを打ち明けようと決意する。だが、深雪は焦った様子で足早に歩き続け、宏は訝しみながらも病院まで後をつけた。答えが目前に迫り、宏は足を止めた。この先に進んで良いのか、聞いてはいけないことを耳にするのではないか。それでも心臓が「追え」と叫んでいる。宏は息を殺して廊下に潜み、医師の声が聞こえた。「お母様の病状は複雑です。この遺伝性疾患は現時点で治療法がなく、深雪さんも定期検査が必要です」「ただし、お母様はまだ発症の兆候が初期段階。適切な治療で進行を抑えられます」「将来的な特効薬の保証はできませんが、希望を捨てずに――」深雪は頷いた。「分かりました。ありがとうございます」彼女は内心、医師の言葉が慰めに過ぎないことを知っていた。過去の記憶が蘇る。数年後も有効な薬は登場しないのだ。それでも、深雪は悟った。残された日々を一日ずつ大切に生きよう、と。むしろ母を早く病院に連れてきたことを感謝していた。前の人生のように、手遅れになる前に――宏はその会話を聞き、心が千切れるような痛みに襲われた。冷汗が背中を伝う。突然、頭が割れるように疼きだした。無数の記憶が脳裏を蹂躙する。彼は狂ったように
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第16話

「深雪……深雪……」宏はふらふらと深雪の方向へ歩み寄った。いつの間にか、宏の目尻は涙で濡れていた。思い出した。すべてを思い出したのだ。病室の前まで来た時、ようやく体の制御を取り戻した宏は、泣き笑いを交えながら、長い時間をかけて表情を整えた。トン……トン……ドアを叩く音に、看護師か医者かと思った深雪は急いでドアを開けた。そこに立っていた人物を見た瞬間、全身の血液が逆流するような感覚に襲われた。「どうして……?」深雪は宏の腕を掴み、母親に誤解されないよう外へ引っ張り出そうとした。宏は深雪に導かれるまま、大きな体が薄紙のようにふらりと従った。庭園で向き合った時、宏のまだ幼さの残る顔に、年不相応な深みが滲んでいた。「深雪も……戻ってきたんだよね?」その問いに、深雪の涙は止まらなくなった。「森崎さん、何を言ってるの?」顔を拭い続ける手元が、いかに稚拙な嘘に見えているか、彼女自身が気づいていない様子だった。心の中では答えが分かっていても、かつてと同じように、何も気づかないふりを続けた。「僕を騙さないでくれないか」背の高い男がうつむくと、その威圧感は一瞬で萎んでしまった。深雪を貫くような視線は、彼女の頬を火照らせた。「何の話か分からないわ。用事があるあら、失礼します」そっと手首を引き抜こうとする深雪に、宏は絞り出すように言った。「君がいないと……何もかもが空っぽなんだ」「昔の女たち誰も、風見満も……誰も好きじゃない。深雪さんだけだ。愛してる。ずっと……」言葉の一つひとつが心臓の鼓動に重なった。「君の病気も知ってる。そんなの関係ない」「君が消えた後……仇は討った。僕も死んだ。だから今度は……ずっと一緒にいよう。ねえ、いいだろう?」握られた手のひらから伝わる熱に、深雪は思わず目を伏せた。宏の本心が分かっても、喜びより先に押し寄せたのは徒労感だった。重すぎる愛に、深く沈むほど息苦しくなる。「ごめんなさい……森崎さん……」震える声で深雪は嘘をついた。「母の呼ぶ声がするから」五階の病室から声が届くはずもないのに。宏は静かに手を離した。深雪が臆病者であること、何度も確かめなければ踏み出せない性格を、彼は知っていた。待つ覚悟はある。二人はまだ若い。時間は残されている。深雪
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第17話

宏は今の自分にはまだ大した金がないことを自覚していた。深雪と彼女の母親の病は底なしの穴のようなものだ。彼は必死に稼がなければならなかった。前世の経験から、宏はどの企業やプロジェクトが将来利益を生むかを知っていた。貯めた金を全て計画通りに振り分け、大学に戻ってプロジェクトを早期に完了させた。今の彼にとって金を稼ぐことは、まるで朝露を払うように容易かった。「金さえあれば去っていく人を引き留められるなら、いくらだって払う価値がある」 そう思うと、むしろ自分が稼げる能力を持っていることを感謝さえした。病室に戻ると、深雪はぼんやりと窓の外を見つめていた。「深雪、どうしたの?さっき訪ねてきた人は?中に入ってこなかったわね」と母親が首を傾げた。「別に……看護師さんに呼ばれただけよ。お母さん、リンゴ剥いてあげる」 慌てて笑顔を作りながら包丁を握る深雪の目元は赤く腫れ、声にも泣いた後の濁りが残っていた。扉の隙間から、背の高い青年の影がちらりと見えたことを母親は覚えている。 深雪が口を濁すのを察し、そっと話題を変えた。「私の体調なんて大丈夫よ。好きな人がいるなら、すぐに断ったりしなくていいの。恋愛だって応援するから」母親はまだ、自分と同じ病が娘にも潜んでいることや、治療の見込みの薄さを知らない。穏やかな笑顔に、深雪は手元の包丁を滑らせそうになった。何と答えればいいのか。「うん」と頷くべきか、「病気は治るから」と嘘をつくべきか。結局、彼女はただ黙ってリンゴの皮を剥き続けた。宏がどうやってこの世界に来たのか、深雪にはわからなかった。「自殺したから?」彼の言葉を信じるべきか、それとも……頭の中は糸絡みのようにぐちゃぐちゃで、整理のつけようがなかった。全てが好転しているように見えるのに、なぜこんなに迷うのだろう。自分の体が周囲を苦しめる存在であること、それだけは確かだった。「一人で背負えばいいのに、どうして森崎さんまで巻き込むの?」前世の記憶は死の瞬間で途切れている。彼の言葉が真実かどうかも定かでない。それでも、この二度目の人生を深雪は宝物のように大切にしていた。「もうあの人とは関わりたくない。今の平穏だけでいい」かつて宏が自分を嫌悪していたのは、全て演技だったのだろうか?霧の中を彷徨う
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第18話

宏にとってお金は、単なる口座の数字の羅列に過ぎなかった。大金を手にしたからといって、彼は特に心を揺さぶられることもない。様々な商売仲間たちが、宏の傍らの空いた席に目を付け、彼にありとあらゆるタイプの女性を送り込んできた。彼がそれらの女性を容赦なく拒否し続けると、中には「女が好みじゃないのか」と勘違いした者まで現れ、今度は男を差し向ける者さえいた。宏はそんな連中に微塵も興味がない。前世、彼の周りを次々と女性が囲んだせいで、深雪は深く傷ついていた。再び与えられたこの機会を、彼はただひたすら深雪の傍にいるために使いたかったのだ。自身の資産を整理し終えると、宏は学校の片隅で深雪を追い詰めた。少し時が経っただけで、彼の少年めいた面影は薄れ、痩せていた体躯は引き締まり、鋭い目元には重みが宿り、前世の姿に近づきつつあった。「深雪、これが今の僕の全財産だ。これからもっと稼ぐ。君とお母さんの治療費は全部僕が負担する」壁に片手を突き、深雪を隅に封じ込めるようにして、宏は嗄れた声で続けた。「僕を見捨てないでくれないか?」彼の目の下には隈がくっきりと浮かんでいた。ここ数日、ろくに眠っていないのは明らかだ。その姿に深雪は胸が締めつけられた。「森崎さん……無理しなくてもいいのに」目の前の少年は日に日に前世の青年に近づいている。なぜか居心地の悪さを覚えながらも、どこか懐かしい気持ちがこみ上げた。あの無垢でひたむきだった少年の面影が、早くも消えつつあることが惜しまれるのだ。居心地の悪さの原因は別にあった。今の宏と距離が縮まるたび、前世の光景が脳裏を掠める。あの頃の宏も、他の女性を壁際に押し込めては、激しく吻を交わし、互いを貪り合っていた。その情景を思い出すだけで、深雪は自然と身を引いてしまうのだった。宏の胸を小さな手で押し、深雪はわずかに距離を開けた。「お金が入ったのはおめでとう。でも他人同士なんだから、治療費まで出してもらうわけにはいかないわ。好意だけ受け取っておく」無意識のうちに冷たい態度を取ってしまった自分に、深雪は内心ひりつくものを感じた。宏の胸の奥で、何かが砕ける音がした。それでも彼は深雪を責められない。強引に迫れば、彼女を悲しませるだけだ。欲望は膨らむばかりだった。前世、息を引き取る瞬間に願ったのは「深雪が
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第19話

今回の話し合いはか結果なしに終わったが、小林深雪の存在は一部の思惑を持つ者たちの目に留まっていた。上流社会の多くの人間が、新進気鋭の実業家・森崎宏を注視していた。彼を潰そうとする者もいれば、懐柔しようとする者もいる。宏の手口は冷酷で、この年齢にありがちな未熟さなど微塵も感じさせない。彼の年齢が明らかでなければ、同世代の人間と錯覚する者もいるほどだ。家入グループの会長・家入昇(いえいり のぼる)も早くから宏に目を付けていた。年頃の娘がおり、以前から彼に紹介しようと画策していたが、彼は異性関係に一切の隙を見せず、娘は未だに本人と面会すら叶っていない。家入は宏を徹底的に監視させ、ついにこの日、彼の「弱点」を発見した。小林深雪を調べ上げると、彼女が森崎宏の「叶わぬ想いの女性」であることが判明した。家入は今日の地位を築くために手段を選ばない男だ。小林深雪が森崎宏の恋慕の的と知るや、即座に策略を練り始めた。深雪が授業を終え帰宅途中、突然小さな女の子に袖を引かれた。「電話を貸してお母さんに」という頼みに、周囲に人通りもあったため警戒せず携帯を渡した。電話をかけた瞬間、路駐していたワゴン車から屈強な男が飛び出し、不意を突かれた深雪を車内に引きずり込んだ。布で口を覆われ、彼女はすぐに意識を失った。目が覚めた時、深雪は狭い四角い箱に閉じ込められていた。内部は暗く、数個の豆粒ほどの通気孔だけがかすかな光を漏らしている。頭がぼんやりし、全身が不自然に熱い。着ているのは布切れのような薄い衣類だった。震える腕で体を抱き締め、渇きのような欲望が全身を駆け巡るのを耐えていた。唇を噛みしめ血の味が広がっても、かろうじて正気を保とうとするが無駄だった。「助けて……誰か……」か細い声が漏れる。理性が欲望に飲み込まれかけたその時、扉が開く音がした。鈍く重い足音——来たる者の意識もまた曇っているようだ。視界を奪われた不安が背筋を這う。自分が俎上の魚のように無力だと悟った深雪は、息を殺し、体の反応を抑え込もうとした。「誰かの罠に嵌められ、贈り物として運ばれたのだわ」「でも、相手が誰かまだ……」宏は酔いを帯びた足取りで、部下の支えを振り切りながら自室のベッドに腰を下ろした。完全に正気を失っているわけではないが、視界がかすむ。部屋の中央に置か
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第20話

一夜の激情の後、深雪はようやく自分を見失っていた意識を取り戻した。どうしてこうなったんだろう?事態がこんな風に変わってしまうなんて……距離を置き、もう関わり合わないと誓ったはずなのに。なぜまた絡み合ってしまったのか?深雪は自分の頭を軽く叩き、警戒心と自制心の足りなさに歯がゆさを感じた。全てが予定より大きく逸れていく手応えに、胸がざわめく。卒業後は母と限られた時間で多くの景色を見ようと決めていたのに。宏が彼女の人生に、抗いようのない強さで割り込んできた。前世の記憶が深雪を不安にさせる。宏の本心がわからない。たとえ彼が言葉で説明しても、信じきれない自分がいた。根底にあるのは劣等感だった。病を抱えた自分に枠をはめ込み、前世で宏に冷たくされたことが自信を削いでいた。「こんな身体で人を愛せるのか?子供まで病を受け継いだら……」子供!その瞬間、深雪は避妊薬を飲まねばと気づいた。妊娠など許されない。ふらつく足を引きずりながら、宏のスマホを探しに起き上がる。自身の携帯はパンクしたワゴン車の傍に置き忘れたままだ。宏のスーツジャケットのポケットからスマホと二つの御守りを取り出した。ロック画面に前世の結婚記念日を入力すると、すんなり解除された。今の彼女のパスコードも同じ日付だ。一瞬手が止まり、それから出前アプリで緊急避妊薬を注文した。無地に近い簡素な御守りを掌に載せ、深雪の胸に波紋が広がる。北安寺で求めたものに違いない。前世では二人で山頂まで登り、対の御守りを授かった。今世では登山すらしていないのに、宏は一人で求めてきたのか。ロック画面の数字、肌身離さず持ち歩く御守り、そして彼の周りに誰もいない事実――もしかしたら、この人を信じてもいいのかもしれない。もし前世の宏が本当に別の女性を愛していたなら、今世で先回りしてその人と結ばれてもおかしくない。でも彼はここにいる。甘い安堵が胸を満たしかけた瞬間、配達員の着信が思考を断ち切った。冷たい水で錠剤を二粒飲み込む動作は、慣れすぎていて痛々しいほどだった。目を覚ました宏の視界に、薬を飲み干す深雪の姿が飛び込んだ。発作かと勘違いし、慌てて手を伸ばすが、彼女の動作は速すぎた。「何してるんだ!」グラスが揺れて水が跳ねた。「……ただの薬よ」深雪が横にある薬箱を瞥み、宏は
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