結婚の一ヶ月前、私の婚約者・藤木一樹(ふじき かずき)が失踪し、街中を探し回ったが見つからなかった。彼が消えて七日目、名井市に現れたという知らせが届いた。私はその夜の便で飛んだ。そして、ある一艘の船の上で、ようやく彼の姿を見つけた。ドアをノックしようとしたその瞬間、中から彼の嘲るような声が聞こえてきた。「白洲直人(しらす なおと)を苛つかせたくて、わざとあの樋口清香(ひぐち さやか)を口説いたんだよ」「手に入れたら、かえってつまらなくなった」私は足を止めた。彼は酔っている様子はなく、むしろ驚くほど冷静な声だった。だからこそ、さらに容赦ない言葉が彼の口から続いた。「それに、あいつと寝てみたけど、まあ……大したことなかったな」部屋の中からは、くすくすと含み笑いが漏れた。「さすが一樹さん、高嶺の花を落としただけあるっすね」お世辞に気を良くしたのか、一樹は満足げに煙をくゆらせながら、さらに口を開いた。「白洲を追ってた頃の清香なんて、命懸けだったのにな。めっちゃ純情なんだよ。ほんと、もったいなかった……」「何がもったいないんですか?」そう誰かが尋ねると、一樹はふうっと長く煙を吐き出した。「俺があいつの初めての男だったけどさ、最初に好きになった男じゃないんだよな」「十年も白洲に惚れてた女だぜ。そんな簡単に気持ち切り替えられると思うか?」「もし白洲とあそこまで敵対してなかったら、清香を追いかけて嫌がらせしようなんて思わなかった。わざわざ陰から見守る一途な男なんて芝居、する必要もなかったんだ」誰かが冗談混じりに言った。「三年も付き合っておいて、今さら何を嘆いてんっすか、一樹さん?」一樹は苛立ったように顔をしかめ、冷たい声で答えた。「長く追いかけた分だけ、引き下がるのが悔しいんだよ」人混みの中から、また別の声が飛んだ。「清香、あちこち探し回ってもう狂いそうだってさ。何日も姿くらまして、大丈夫なの?」一樹は一本煙草を吸い込み、ふっと煙を吐きながら、鼻で笑った。「結婚式すっぽかして恥かかせるって、最高に面白いじゃん」その顔に、後悔も、憐れみも、愛しさもなかった。あったのは、積年の恨みを果たした男の、ゆがんだ達成感だった。ずっとこの瞬間を待っていたんだと、そう言わんばかりの目だった。指先は無意識に掌
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