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第4話

著者: 南の壁
last update 最終更新日: 2024-11-13 10:54:13
嘱言は私の命そのものだった。

この世で唯一の肉親であり、私の全てを注いだ家族。

いつから嘱言を手放そうと思い始めたのだろう。

おそらく、心を込めて作った料理を蔑ろにされた、あの日から。

朝四時から仕込んだ鶏がらスープを床にぶちまけ、その上を踏みながら目を真っ赤にして叫んだ。

「つづみおばさんとケンタッキーに行きたい!こんなスープなんか飲みたくない!」

息子は眉をひそめ、涙目で私を睨みつけた。

「パパの言う通りだよ。ママは本当に口うるさいんだ。これもダメ、あれもダメって。もう嫌いだ!」

そう叫んで部屋に駆け込み、ドアを乱暴に閉めた。

私はダイニングテーブルの前で立ち尽くしたまま。何もできず、胸が締め付けられるような思いだった。

床に広がる薄い黄色のスープと油。割れた食器の破片。

まるでこの家のように、すべてが散り散りになっていた。

今思えば、私はいつも真面目すぎたのかもしれない。

それとも、あの十五夜の日からだろうか。

家族団らんの象徴とも言える特別な日に、息子を迎えに行けなかった時から。

藤田彦治に早く帰るよう頼み、私は息子を迎えに行くと約束した。

幼稚園の門前に三十分も早く着いたのに、下校時間になる直前に警備員に止められた。

担任は私を指差して言った。

「先日の親子行事の時と違う方です。藤田嘱言のお母様は別の方でした。

お顔は似ていますが、雰囲気が全く違います。当園は一流の幼稚園です。園児の安全を第一に考えなければなりません」

先生の言葉に、私は何も言い返せなかった。

息子の通う園でさえ、私を他人だと思っているのだ。

警察に連れて行かれ、事情を聞かれた。

午後、嘱言が気分が悪いと言い、スマートウォッチで連絡を取り、「ママ」に迎えに来てもらったという。

警察から連絡を受けた家族が現れた時、初めて警察のお世話になった嘱言は山本つづみに寄り添っていた。

その後ろには、颯爽とした藤田彦治の姿。

「仲睦まじい家族三人」の姿が、私の目に痛いほど焼き付いた。

警察官が嘱言に尋ねた。なぜおばさんについて行ったのかと。

「つづみおばさんが好きなの。いい香りがするし、きれいだから。

この前の幼稚園の行事も、つづみおばさんと一緒に来てくれて、みんなが羨ましがってたんだ。

ママがパパと離婚するって言ったから、これでパパはつづみお
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    藤田彦治はなかなか帰ってこなかった。スマホには彼のSNSの投稿が表示された。遊園地での様子が9枚の写真に収められていた。嘱言が遊園地で楽しそうに笑っている写真、三人で撮った記念写真、そして山本つづみが藤田彦治の腕に寄り添う親密な姿まであった。そして「取り戻した大切な時間」というコメント付きもあった。昔の私なら、すぐに電話をして、これはどういうことかと問い詰めていただろう。でも、この二ヶ月で私は諦めきっていた。慣れてしまったのだ。完全に無関心になっていた。黙ってその投稿に「いいね」を押した。今日、彼らは帰ってこないだろう。外から聞こえる虫の声が、家の静けさを際立たせる。用意したスーツケースを見つめながら、私も思わず写真を撮った。SNSに投稿し、こう書き添えた。【来ない人を、もう待つ必要はない】それを見た藤田彦治は、案の定、翌朝慌てて帰ってきた。玄関を開けると、ソファで待っている私の姿が目に入った。車の鍵を乱暴にテーブルに叩きつけ、顔を歪めて怒鳴った。「いつまで出て行くだの騒ぐつもりだ?本気なら、今すぐ出て行けよ!SNSにあんなこと書いて、恥ずかしくないのか?俺の立場も考えろ!父さんまで心配して電話してきたんだぞ!わざと皆に知られるように仕向けているのか!」私は彼の取り乱した様子を冷ややかに見つめ、どこか満足感すら覚えた。一体誰が先に恥知らずだったのか。藤田彦治か、それとも彼の「大切な人」山本つづみか。「ええ、本当に出て行くつもりよ」私は冷静な声で言い、バッグから用意していた離婚届を取り出して彼の前に置いた。「藤田さん、サインをお願いします」彼は呆然として私を見つめ、今回の私が本気だと気付いたようだった。「昨日は薬を買って来て手当てするつもりだったんだ。でも、つづみと嘱言にどうしても付き合ってくれって言われて......」彼の言い訳は空しく響いた。「それに、大した怪我じゃないだろう?こんなことで大げさに......」私は冷笑して、氷のような目で彼を見つめ、はっきりと言った。「大げさじゃないわ」藤田彦治の表情が曇った。「本気で離婚するつもりか?」「ええ」躊躇なく答えた。彼は目を細めて言った。「嘱言はどうするつもりだ?」その言葉が胸に突き刺さった。

  • 頼みどころ   第2話

    咄嗟に携帯を掴もうとして、傷口に触れてしまった。「痛っ......」その隙に藤田彦治は電話に出た。受話器から嘱言の幼い声が聞こえてきた。「パパ、つづみおばさんと遊園地に連れて行ってほしいの」続いて、甘えた声で女性が話し始めた。「彦治くん、タクシーが全然捕まらなくて。私と嘱言を遊園地まで送ってもらえないかしら?」何か言おうとした私を完全に無視して、藤田彦治は玄関へ向かいながら「分かった、すぐ行くから」と返事をした。電話を切ると、私を横目で見て「戻ってくるまで待ってろ」と言い残し、出ようとした。「藤田彦治」と呼び止めると、彼は眉をひそめ、うんざりした様子で言った。「何だよ?その程度の怪我なら病院に行く必要もないだろう。もう少し大人になれよ。いつも......」私は冷たく遮った。「ただの注意よ。遊園地は日差しが強いから、嘱言に帽子と水筒を持たせてあげて」私が命がけで産んだ子なのだから、面倒を見るのは当然のことだ。彼は一瞬驚いたような顔をして、「ああ」とだけ言った。少し間を置いて、見下すような口調で続けた。「また止めるのかと思ったよ。ただ遊園地に連れて行くだけじゃないか。そんな狭量なことは止めろよ」彼は必要な物を取ってからこう言って急いで家を出た。「すぐ戻る。家で待ってろ。薬買ってきて傷の手当てをしてやる」昔なら怒鳴り返していただろう。でも今は、もう何も感じない。つい先日のことを思い出した。彼の父の看病で深夜まで病院にいた時のことだった。仕事を終えた時には、外は真っ暗になった。病院は不便な場所にあり、通りには人影もなく、不気味なほど静かだった。夜風が冷たく、背筋が凍るようだった。「お客様のお掛けになった電話は、ただいま通話中です......」藤田彦治の携帯は30分も通話中のままだった。「どうして30分も通話中なの?今、お父さんの病院の前にいるんだけど......」やっと電話が繋がったと言いかける時、イライラした声で遮られた。「今忙しいんだ。つづみの家の電球を替えてるところだ。お前はどうしてそんなに疑り深いんだ。つづみが暗いの苦手だから、ずっと電話で話してただけだろう」そこへ嘱言まで口を挟んできた。「ママ、わがままは良くないよ。自分のことは自分でするって

  • 頼みどころ   第1話

    「今夜帰ってくる?晩ご飯作ったんだけど......」話が終わらないうちに遮られた。「つづみが暗いのが怖がるから、一人にはできないんだ」そう言うと、電話は切れた。もう二ヶ月、夫と息子に会っていない。彼の初恋の人が帰国して以来、彼は息子を連れて、山本つづみのために用意したマンションで暮らしている。「つづみは帰国したばかりで知り合いもいないから、手伝っているだけだよ」息子の嘱言も眉をひそめて私を見た。「ママ、そんな身勝手はダメだよ。つづみおばさんが寂しくて困るでしょ」その真剣な表情は、まるで父親そのもの。まるで私が悪者であるかのようだった。黙って荷物をまとめようと階段を上がったところ、背後から息子の不満げな声が聞こえた。「ママ、もう演技しなくていいよ。パパが言ってた、ママには僕たち以外に身寄りも、行く場所もないって」藤田彦治も階段を上がってきて、私の後ろに立ち、冷ややかな笑みを浮かべた。「この何年も、ちゃんとした服も持ってないくせに。誰に見せたいの、その荷物まとめる芝居は」手が止まった。そうだ、私には行く場所がない。彼らはみんなそれを知っている。だから、私に何をしても逃げられないと思っているのだ。「もういい加減にしろ。つづみが戻っても、大人しくしていれば、この家にいられるんだぞ」藤田彦治は息子を抱き上げ、嘲るような目で私を見て出て行った。力が抜けたように、ベッドに座り込んだ。この二ヶ月は、現実を受け入れるための時間だったのかもしれない。誰からも連絡はなく、多くのことが見えてきた。再び荷物をまとめ、出ようとした時、階下で藤田彦治と鉢合わせた。今日帰ってくるとは知らなかった。私を見た彼も一瞬驚いたような顔をした。すぐに眉をひそめて言った。「また何のつもりだ?今日帰ってくるって分かってたから、また同じ手を使おうとしてるのか?」藤田彦治は嫌そうに言った。「前に出て行くって言ったじゃないか。まだここにいたのか?」「森本すず、こういう駆け引きにはもううんざりだ」面倒くさそうに近づいてきた彼は、プレゼント用の香水を私の前に置いた。「最近元気がないって聞いて、つづみが気を遣って選んでくれたんだ。彼女みたいに気が利くようになったらどうだ?少しは身だしなみを整えて、キッチン

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