「真奈!何だ、その口の利き方は!何様のつもりで母さんを問い詰めるんだ!」貴史は椅子を乱暴に押しのけ、今にも殴りかかりそうな勢いで立ち上がった。真奈は冷ややかな視線を二人に投げ、淡々と言った。「私が瀬川家の当主だからよ。問い詰めるだけじゃない、おばさんを刑務所に送るのも、この私の権利よ」瀬川家は家柄が大きく、代々伝わるしきたりも重い。その言葉を聞いた瞬間、貴史の顔色がみるみるうちに変わった。秦氏は慌てて口を開いた。「誤解だよ……お嬢様、これは全部、ただの誤解なんだよ……」「誤解ですって?おばさんの狙いは、私を冬城のベッドに送り込むことだったんじゃないの?」秦氏は一瞬、口を閉ざした。彼女の考えていたことは、まさにその通りだった。けれど、真奈が戻ってきたことで、すべての計画が狂ってしまったのだ。真奈は冷たく言った。「今まで数回許してきました。それは私の寛容だったのですが、今回はもう容赦はしませんわ」そう言うと、真奈は携帯を取り出した。それを見た貴史が顔をこわばらせ、すぐさま飛びかかった。「何をする気だ!」「警察を呼ぶのよ」真奈は冷たい声で言った。「今日のあなたたちの行動は、もう誘拐に当たるわ。前にあなたが私を殺そうとしたときは、まだ若いからと思って大目に見た。でもそれは、私が甘いとか、弱いとか、そういうわけじゃないの」「ダメよ、貴史!通報させちゃダメ!警察に通報されたら、私たちは本当に終わりよ!」秦氏は取り乱し、貴史を見て助けを求めるように叫んだ。すでに成人して力もある貴史は、その声を聞いた瞬間、真奈の携帯を奪おうと一気に手を伸ばした。ちょうどその時、騒ぎを聞きつけた瀬川の叔父も階上から降りてきた。目の前の光景を見た彼は、思わず戸惑った声を上げた。「何があったんだ?どうして騒いでるんだ?」「あなた……私……」秦氏はどう説明すればいいのか分からず、口ごもっていた。その瞬間、貴史がテーブルの上にあった灰皿を手に取り、何も言わず真奈の後頭部に向かって振り下ろした。真奈は一瞬きょとんとした。まさか貴史が本気で手を上げてくるとは思ってもいなかった。振り返った彼女の目に映ったのは、怒りに歪みきった貴史の顔だった。「貴史!何してるんだ?!」階段の上からこの一部始終を見た瀬川の叔父が、慌てて駆け下り、真奈のも
秦氏はひとつ覚悟を決めると、瀬川の叔父の体を引きずってソファに放り投げ、すぐさま貴史に向かって言った。「今のうちよ、真奈を冬城のベッドに送り込むの。冬城家の規則は私たちよりずっと厳しいし、冬城おばあさんは一筋縄ではいかない相手。真奈が冬城夫人であるかぎり、冬城家は彼女が瀬川家を掌握することなんて絶対に許さない。だからこそ、今のうちに片をつければ、私たちが会社を引き継ぐ道も見えてくるわ」「じゃあ、俺が真奈をホテルへ運ぶ。母さんはこっちを頼む」「ええ!」貴史は地面に倒れている真奈に目を落とし、なんの苦もなくその体を肩に担ぐと、ガレージへと下りていき、後部座席に彼女を放り込んだ。その頃、瀬川家の外では大塚がまだ真奈の消息を待っていた。と、その目の前を、1台のスポーツカーが走り抜けていった。大塚は眉をひそめ、何かおかしいと感じた。彼は携帯を取り出して真奈に電話をかけたが、ずっと応答がない状態だった。「まずい!」大塚は事態の重大さを感じ、すぐに黒澤に電話をかけた。「もしもし?」「黒澤様、瀬川さんが何かあったかもしれません!」大塚そう言いながら、先ほど疾走していったスポーツカーを追いかけた。しかし、そのスポーツカーの速度は速すぎて、大塚はかすかに車の後部を見るだけだった。「リアルタイムの位置を教えてくれ、すぐに向かう」黒澤は電話を切った。もともと真奈に説明をしに行くつもりだった彼の車は、すでに瀬川家へ向かう途中だった。だがその瞬間、ブレーキを鳴らして急停止し、ハンドルを切って進路を変えた。一方その頃、貴史の車はロイヤルホテルのガレージに滑り込んでいた。後部座席に横たわる真奈を一瞥し、彼は顔を歪めて呟いた。「真奈、これはお前が俺を追い詰めた結果だ。奪ったんだよ、もともと俺のものだったはずのすべてをな」そう言いながら彼は、真奈の体を肩に担ぎ上げた。「おとなしく冬城夫人をやってりゃいいのに、わざわざ冬城に逆らいやがって。これは瀬川家のためだ。目が覚めたら、俺に感謝するんだな」苦労しながらも、貴史は真奈をホテルの8023号室まで運び込んだ。部屋の中には誰もいなかった。彼はそのまま真奈の体をベッドの上に放り投げる。人気のない室内を確認し、貴史は唇を吊り上げた。冷笑を浮かべながら真奈の服に手をかけて引き裂き、ポケットか
「離して!」真奈は力を込めて抵抗しようとした。だが、男の力はあまりにも強く、彼女には冬城の拘束から逃れる術がなかった。真奈が鋭く冷えた光を宿す。「冬城、こんなことをして、私があなたを愛すると思ってるの?そんなことをすればするほど、私はあなたを憎むだけよ!」「そばにいてくれるなら――お前が俺を好きでも嫌いでも、かまわない」冬城の瞳には深い情が宿っていた。まるで、前世で真奈が経験したすべてが、ただの悪い夢だったかのように。だが真奈は、夢なんかではないとはっきりわかっていた。前世、冬城が自分に何をしたか。その記憶は今もなお、鮮明に焼きついている。一度命を奪った相手に、もはや愛情など残っているはずがなかった。「でも私は、あなたのそばにいたくない。たとえあなたがどんな手段で瀬川家を追い詰めても、私は絶対にあなたのもとには戻らない」真奈は冬城の指にこめられた力がじわじわと強くなっているのを感じた。彼は激しい感情を抑え込むように言った。「真奈……頼む、俺を追い詰めないでくれ」「冬城総裁が、いつから女を無理やり従わせるようなことをするようになったの?あなた、今の自分がどう見えてるか分かってる?必死で愛を乞う、哀れな男よ。そのプライドは捨てたの?誘拐までして?そんなあなたを見ていると、私はただ嫌悪しか感じない。吐き気すらする」その言葉は、一つ一つ、確実に冬城の心を打ち抜いていた。だが真奈は、知っていた。これらの言葉は前世で、冬城が彼女に言ったそのままだった。彼女はいまだに覚えている。前世で、冬城と一夜を共にした、その翌日のことを。冬城は真奈を見下ろしながら、顔をしかめて吐き捨てた。「瀬川家の令嬢が、いつからこんな汚い手を使うようになったのか?そのプライドは捨てたのか?薬を使うまでして!そんなお前を見ていると、俺はただ嫌悪しか感じない。吐き気すらするぞ」今、彼女はその言葉をそのまま冬城に返しただけだった。冬城はこれまで、誰かの前でここまでの屈辱を受けたことなど一度もなかった。案の定、彼の表情は瞬く間に陰りを帯びる。「真奈、お前は俺の妻だ。俺がお前を愛して何が悪い?お前が離婚したいと言っても、俺は絶対に同意しない」そう言いながら、冬城は真奈の服に手をかけて引き裂き、身体をかがめてその唇に触れようとした。だがそのとき、彼の
黒澤は上着を脱ぎ、それで真奈の身体をしっかりと包み込むように覆い、そっと彼女を腕の中に抱きしめた。「冬城、お前は本当に卑劣だな」黒澤の声は冷たく、抑えきれない怒気がにじんでいた。ドアの外では、大塚が黒澤より一歩遅れて到着し、すでに息を切らしていた。さっき黒澤が階段を一気に駆け上がったとき、大塚はついていくこともできなかったのだ。「瀬川社長!」大塚が入ってきて言った。「先ほど警察に通報しました。もうすぐ到着するはずです」「警察に通報?」冬城の目が冷たくなり、黒澤を見て冷笑を浮かべた。「お前、頭がおかしいのか?」黒澤はどういう男だ?闇の産業に手を染めている!そんな彼が、警察に通報するなんて?それを聞いて、真奈も驚き、低い声で叱った。「黒澤!自分が何をしているか分かっているの?」黒澤が関わっている闇の仕事が、海城まで手を伸ばしているかどうかは真奈には分からない。だが、もし本当にそうなら、警察沙汰は非常に危険な行動だった。長年その道で生きてきた黒澤が、そんなことも分からないはずがない。「某社長が深夜に妻を拉致し、強姦未遂の後に警察に逮捕される。明日の朝刊の一面にはちょうどいいニュースになるだろうな」黒澤の声は氷のように冷たく、冬城の胸にじわりと重くのしかかる。こういう相手に大打撃を与えつつ、自分もそれなりの痛手を負うようなやり方は、確かに黒澤がやりそうなことだ。「総裁!警察が来ました!早く!」中井が息を切らしながら駆け込んできて報せたが、すでに手遅れだった。冬城の顔は真っ黒で、黒澤を冷たく睨んだ。警察が上がってきて、部屋の明かりをつけ、警官が冬城を頭からつま先までじろじろと見て問いかける。「冬城司さんですか?通報がありました。あなたが拉致と強姦をしたという内容です」「はい、冬城だ」冬城の目はずっと真奈を見つめていた。だが真奈は、黒澤の腕の中に身を預けたまま、一度も彼に視線を送ることはなかった。警官があたりを見回し、尋ねる。「通報したのは、どなたですか?」「私です」大塚の話がまだ終わらないうちに、真奈が言葉を遮った。「私が秘書に通報させました」大塚は元々黒澤の部下だった。そのため過去に黒い仕事に関与していたかもしれない。もしここで事情聴取に連れていかれれば、黒澤に危険が及ぶ
どうやら今回、冬城は何の巻き添えも食わずに済みそうだ。「お三方、まずは警察署までご同行ください」警察の態度はかなり和らいでいたが、この結果は明らかに冬城が望んでいたものではなかった。冬城は眉をひそめ、中井も冷たい声で言った。「署長から事情を説明されていないのですか?」「署長からは伺っています。ただ、やはりお三方には署で事情をお聞かせいただく必要があります」警察の態度がすべてを決めた。冬城はすぐに視線を黒澤に向けた。黒澤が、裏で何かを仕組んだのか?真奈も眉をひそめた。彼女は知らなかった。黒澤の勢力がすでに海城に根を張っていたことを。確か前世では、黒澤が海城に足場を築いたのは三年後のはずだった。なのにどうして今、これほどまでに影響力を持っているのか。「私たちも公務を執行しているだけですので、どうかご協力をお願いします、冬城総裁」そう言って、警察は手振りで「こちらへ」と促した。今回の警察署行きは、行かざるを得ないようだ。冬城は冷ややかな視線を黒澤に投げた。「黒澤様、たいした手際だな」「お互い様だ」黒澤は真奈を庇いながら、ホテルを後にした。二人の警察官が冬城を挟むようにして護り、外に出ると、ホテルの前には記者たちが溢れ返っていた。冬城が姿を現した瞬間、フラッシュの嵐が途切れることなく続いた。「冬城総裁!妻を誘拐し、強姦を企てたとの噂がありますが、事実でしょうか?」「冬城総裁、先日瀬川さんが葬儀で離婚を申し出た件は、総裁との間に何か対立があったからですか?」「冬城総裁、外にお子さんがいるという話もありますが、それは本当ですか?今は夫婦関係の修復を望んでいらっしゃるのですか?」……記者たちの問いかけが、次から次へと飛び交った。黒澤は真奈をパトカーに乗せ、真奈は黒澤を見て尋ねた。「あなたがやったの?」「ちょっとした戒めだ」冬城家は昔から、何よりも名声を重んじてきた。とりわけ冬城の祖母・冬城おばあさんは、家の体面を何よりも重く見る人だった。今日のようなスキャンダルは、冬城おばあさんにとっては決して望まない出来事だ。「まさか、黒澤様の勢力がこんなに早く広がるとは思わなかった」真奈は顔を背け、それ以上口を開こうとはしなかった。黒澤は声を落として問いかけた。「まだ怒っている
真奈は、黒澤の視線から逃れられなかった。その瞳には、一片の揺らぎもない真剣さが宿っていた。「俺は、借りを作るのが嫌いなんだ。だから外で女と遊んで尻尾を引いているわけがない。真奈、俺の心は最初から、今も、そしてこれからも、君だけのものだ」「黒澤、私は愛なんて、信じていないの」真奈の声は淡々としていた。「もし、以前の私だったら……きっとあなたを好きになっていた。でも今の私は、もう簡単に誰かを愛したくない」前世での教訓は、それだけで充分すぎるほど痛かった。確かに、彼女の心は一瞬だけ黒澤に傾いたことがある。けれど、それだけで今後の人生のすべてを賭ける気にはなれなかった。人生は貴重だ。それも、ようやく取り戻した二度目の人生だ。だからもう、情に流されるような生き方はしない。「わかった。じゃあ、君が俺を受け入れてくれるその日まで、俺はずっとそばにいる」「黒澤……」真奈はまだ説得しようとしたが、運転手が車に乗り込み、車内の曖昧な雰囲気を打ち破った。「黒澤様、瀬川さん、お手数ですが、ご同行いただけますか。すぐに終わりますので」助手席に座っていた警察官は丁寧で、とても友好的な態度だった。真奈はふと思い出した。黒澤家はかつては軍人の家系であり、その影響力は軍内でも強大だった。この海城でも、威を振るっていた。ただ、やがて黒澤の祖父が引退し、それに伴って多くの古参も引退した。そう考えれば、黒澤が警察に対してある程度の力を持っているのも、何ら不思議ではない。なのに、自分はさっきまで黒澤のことを心配していたなんて。本当に馬鹿みたいだ。『チン』『チン』『チン』車内の人々の携帯が次々と鳴り響いた。真奈も携帯を取り出し、案の定、画面には大きなニュースが表示されていた。さきほどホテルの外にいた記者たちは、すでに写真と記事をネットに上げており、深夜にもかかわらず大きな注目を集めていた。「某社長、深夜に妻を拉致 強姦未遂で警察に逮捕」この目を引く見出しが、トレンドの一位に躍り出た。真奈は横の黒澤を見た。黒澤は悠然としていた。彼が多くのメディアを呼び集めたのは、このためだったのだ。彼女はすぐに気づいた。パトカーは遠回りし続けていた。本来なら十数分で着くはずの距離を、すでに二十分以上走っている。周囲にはカメラのフラッ
小林は冬城おばあさんのその言葉を聞いて、心の中で喜びが弾けた。「はい、大奥様!」パトカーは外を30分ほど回ってから、ゆっくりと警察署に到着した。車を降りるとき、冬城の顔は険しく、側にいる中井も怒りを堪えていた。運転手がわざと遠回りをしたのは、パトカーに護送される姿を市民に見せつけ、世論の波をさらに煽るためだった。まさか、黒澤がどうしてこんな卑劣な手段を使うとは……「黒澤様、瀬川さん、どうぞお降りください」もう一台のパトカーの中、真奈は黒澤のコートを羽織って車を降り、冬城と視線が交わったとき、その目は冷たかった。冬城は黒澤を一瞥し、冷ややかに言った。「黒澤様、本当に見事な手段だ。勉強になった」黒澤は謙遜せずに言った。「冬城総裁と比べれば、俺のやり方は少し巧みなだけだ」「冬城さん、どうぞ中で供述をお願いします」警察は冬城を連れて行った。その去り際、冬城の視線が真奈のもとに静かに向けられた。だが真奈は目を逸らし、もう彼を見返すことはなかった。「行くぞ」黒澤が真奈を庇うように連れて中へと歩き出したが、まだ警察署の入口にたどり着く前、一台の車のヘッドライトが二人の身体を強く照らした。その車から、怒りに満ちた冬城おばあさんが勢いよく降りてくる。彼女は何も言わずに手を上げてビンタをしようとしたが、その手は真奈に掴まれて止められた。「大奥様、互いには顔がきく人でしょう。そんなことをなさる必要、ありますか?」「真奈!あんたは外で大騒ぎをして、冬城家の顔を完全に踏みにじっている!今や自分の夫を警察に突き出すなんて、この世にあんたほど冷酷な女がいるとは思わなかった!こんなことになるくらいなら、最初からあんたなんかを冬城家に入れるべきじゃなかった!」冬城おばあさん息を切らしながら、その目は今にも真奈を食いちぎりそうだった。「そうですよ、瀬川さん。どうしてそんなことをするんですか?早く警察にちゃんと説明して、司お兄ちゃんを釈放してもらってください!」小林は堂々と言った。真奈は思わず笑いそうになった。「小林さん、あなたはいったいどんな立場で私に命令しているの?私を誘拐して、強姦しようとしたのは冬城なのよ。私は被害者よ?どうして私が警察に説明しなきゃいけないの?それに、どうして私が彼の釈放を頼まなきゃいけないの?
「待て」黒澤が不意に呼び止めると、冬城おばあさんは訝しげに振り返った。彼を見るその目には、はっきりとした軽蔑の色が浮かんでいる。「どうしたの?あなたのような若輩者、それも黒澤家の私生児にすぎない男が、この私を説教しようというの?」「その通りだ」黒澤の何気なく放ったその一言が、真奈の胸に大きな波紋を広げた。冬城おばあさんは年配者であり、この海城でも名の知れた人物だ。男たちの商業戦争とは違う。これは女同士の問題、本来なら彼が口を出すことではない。それでも、黒澤は真奈のために前に出る。冬城おばあさんは黒澤を見、次に真奈を睨みつけると、吐き捨てるように言った。「そういうことね。あんたたちはグルだったのね。見事な共犯関係じゃない!真奈、あんたもう司を裏切ってたんでしょ?黒澤に乗り換えてたわけだ。そりゃ離婚を急ぐわけよね。上手くやったつもりなんでしょう、豪族に嫁いでいけるって」「大奥様、私はこれまで、年長者としての敬意をもって言葉を控えてきました。でも、あなたがあまりにも理不尽なことを言い続けるなら、私も黙ってはいません」前世、真奈は冬城おばあさんに心を尽くした。けれど、返ってきたのは悲惨な結末だけだった。冬城家の人間は、根っこのところで冷たい。それでも彼女は、相手が年配の人だからと目をつぶってきた。だが、それをいいことに侮辱され続けるいわれはない。「じゃあ見せてもらおうじゃない、あんたが私にどう出るっていうのか。あんた、まさか海城を甘く見てるんじゃないでしょうね?冬城家が簡単に舐められる家だと思ってるの?あんたが私に何かしてみなさい。司が黙ってると思うの?」そう言うと、冬城おばあさんは小林を引っ張って警察署の中へ入っていった。真奈は黒澤の方に顔を向け、問いかけた。「さっき、本当に手を出すつもりだったの?」「年寄りを殴る?」黒澤は眉をひそめて言った。「やったことはないが、試してみてもいいかもな」「本気なの?」「安心しろ、人を殴るなんてのは、一番下の手段だ」そう言いながら、黒澤は真奈の頭にそっと手を置き、優しく撫でた。「でも、彼女が君を平気で侮辱するなら、その代償がどんなものか、本人の目で見せてやる。今夜の自分の言動を後悔させる」「黒澤様、瀬川さん、中に入りますか?」そばにいた警察官が静かに口
藤木署長は今でも冬城にいくらかの顔を立てる必要があると考えていた。冬城が口を開いたのを見て、そばで一言も発していなかった黒澤に視線を送り、言った。「冬城総裁、私が総裁を困らせたいわけではありません。ただ……」藤木署長は言外の意味を匂わせ、冬城は黒澤を見やり、冷ややかに言った。「この海城は一体誰が取り仕切っているのか、藤木署長、よく考えたほうがいい」黒澤はそっけなく口を開いた。「海城はかつてはお前のものだったかもしれないが、これからは俺のものだ」二人の間の空気が険しくなった。その時、真奈の携帯に突然何枚かの写真が届いた。写真を見た瞬間、真奈の瞳が冷たさを増し、冬城を見る目にも嫌悪の色が加わった。「冬城総裁、これはあなたの仕業なの?」冬城には何が起きたのか理解できなかった。真奈は携帯を取り上げ、写真を見せた。写真には真奈の服が引き裂かれ、薄暗い部分で気を失っている姿が写っていた。これらの写真は見る者に様々な想像を掻き立て、冬城は眉間に深いしわを寄せた。「俺じゃない、真奈……」「もういい!」真奈は冷たい声で言った。「冬城総裁、この数枚の写真で私を脅せると思っているの?」「俺は……」黒澤は真奈の携帯を取り、中の内容を見た瞬間、表情が一瞬で険しくなった。冬城おばあさんは冷ややかに嘲りながら言った。「真奈、それは瀬川家の仕業でしょ、冬城家に勝手に押し付けないで!司はさっきからずっとここにいるじゃないの。誰が写真を送ったのか、自分で分かっているでしょう!」場が混乱するのを見て、中井はすぐに割って入った。「奥様!この件は総裁とは絶対に関係ありません!これはきっと誤解です!」「誤解?それなら、私と冬城総裁の間には随分と誤解が多いようだね」真奈は藤木署長を見て淡々と言った。「藤木署長、冬城総裁の秘書が、冬城総裁は私を誘拐したのではなく、ただ私を救おうとしただけだと言っているので、この件はここで終わりにしましょう」「お、終わりにするのですか?」藤岡署長は自分の耳を疑い、思わず黒澤を見やり、彼の判断を待った。黒澤は真奈の携帯を彼女に返した。「真奈の言葉は、俺の言葉だ」「は、はい!そ、それではここまでとします!」藤木署長は後ろにいる二人の警官に言った。「釈放しろ!」藤岡署長が釈放を命じるのを見て、真奈はす
「司!正気じゃないわ!」冬城おばあさんの顔色がさっと変わった。さっきまでどうにか冬城を庇おうとしていた小林の顔も、みるみるうちに青ざめていった。彼女は勇気を振り絞ってあんなことを言ったのに、冬城のたった一言で、彼女は完全にその場の人々の笑いものになってしまった。一瞬にして、小林の目には涙が浮かんだ。冬城おばあさんは真奈に怒鳴りつけた。「真奈、あんた、うちの孫に一体どんな魔法でもかけたの?彼にあんなことを言わせるなんて!」「おばあさま、彼女とは関係ない」冬城の目にはなおも熱が宿り、真奈は思わずその視線を逸らした。そばにいた警官が口を開いた。「冬城さんの証言によれば、瀬川さんを誘拐したのは彼女の家族である瀬川貴史と秦めぐみとのことです」「よし、それならただちに瀬川貴史と秦めぐみを逮捕しろ!」「かしこまりました」数人の警官が一斉に動き出した。冬城は最初から最後まで自分を弁明するつもりはなかった。冬城おばあさん歯を食いしばって言った。「司、たかが女一人のために、冬城家の名に泥を塗るつもりなの?」「俺がやったことだ。腹を括ってる」冬城はそばに付き添っていた中井に向かって言った。「中井、おばあさまを家まで送っていってくれ」「総裁……」中井は一瞬ためらったが、真奈の方を見て口を開いた。「奥様、総裁は今回の件とは無関係です!秦めぐみから連絡を受けた総裁は、奥様の身を案じてホテルに向かっただけで、秦めぐみと共謀して奥様を誘拐しようとしたわけではないんです!」真奈は軽く眉をひそめたが、冬城は冷たく言った。「大奥様を送れと言ったのに、なぜ余計なことを言うんだ?」「総裁……」「出ていけ!」冬城は怒りを押し殺して言った。冬城おばあさんはその言葉を聞くなり、何か救いを見つけたかのように周囲を指さしながら叫んだ。「聞いたわよね、みんな!司とは関係ないって!これは全部、瀬川家が冬城家という後ろ盾にすがりつこうとして仕組んだ罠なのよ!」冬城おばあさんは真奈に向かって冷ややかに嘲った。「大したもんだわね、真奈。他人の前では立派な顔をして離婚すると言いながら、裏では家族と組んで司に身を捧げる気だったなんて。どうせ離婚なんて口だけで、冬城家にしがみついて得をしようとしてるだけでしょう?」真奈は眉をひそめ、口を開こう
冬城おばあさんは、藤木署長がここまで面子を潰してくるとは思ってもおらず、目を見開いて叫んだ。「あんた!」「藤木署長、そこまで怒る必要はない」傍らにいた黒澤が淡々と口を開いた。「冬城は名の知れた人物だ。こうして公に捕まえられるとなると、さすがに影響が大きい。取り調べが済んで問題がなければ、解放した方がいいだろう」それを聞いて、藤木署長は何度も頷きながら言った。「黒澤様のおっしゃる通りです。黒澤様のご判断に従いましょう」その様子を見た冬城おばあさんの顔色が、見る間に真っ青になった。黒澤は話の調子を変え、続けた。「ただ、冬城家の大奥様はどうやら分を弁えておられないようだ。下の者にきっちり教えてもらうべきだね」その言葉を聞いた瞬間、冬城おばあさんは足元から這い上がってくるような寒気に襲われ、思わず身を震わせた。小林は眉をひそめて言った。「黒澤さん、大奥様はもうご高齢なんです。あまりにも酷い言い方じゃないですか!」だが黒澤はまるで相手にするつもりもなく、小林の言葉を無視した。それを見た藤木署長がすぐに前へ出て言った。「この小娘、誰なんだよ?冬城家の大奥様が規則を知らないのは、年寄りだからと見逃すが、お前まで分を弁えないつもりか?」「その……」小林は一瞬、どう答えるべきか分からず口ごもった。その時、冬城おばあさんが前に出てきて言った。「この子は小林香織、うち冬城家の未来の嫁だよ!藤木署長、言葉には気をつけるんだね。うちの司が出てきたとき、後悔しても遅いよ!」藤木署長は、多少なりとも冬城に対しての遠慮があった。冬城おばあさんの「未来の嫁」という言葉を聞いた瞬間、言葉が詰まり、それ以上きついことは言えなくなった。その様子を見ていた真奈が、微笑みながら口を開いた。「大奥様、冬城家のお嫁さんになるのはずいぶん簡単なんですね。ちょっと目を離せば、人が入れ替わっているわけです。この前、子供を身ごもった浅井さんも冬城家に嫁ぐと言っていましたが、まさか冬城が二人の冬城夫人を迎えるつもりですか?」冬城おばあさんは冷ややかに笑い返した。「これはうち冬城家の問題よ。あなたが口を挟む話ではないわね」冬城おばあさんの言葉が終わると、冬城が奥の取り調べ室から出てきた。彼の視線は真奈に注がれ、その目は深く、何を考えているのかわからなかった。冬城おば
「あんた……!なんて言い方するの?」冬城おばあさんはこれまで外部の人からこんなに無礼に「おばあさん」と呼ばれたことがなく、あまりの屈辱に胸が震えいた。「もうお前に十分礼を尽くしている!入ってきたときから署長に会わせろと言ってるが、署長は誰でも会えるような人間だと思ってるのか?まったく、話が通じないおばあさんだ!」「あんた……」冬城おばあさんは目の前の人を指さし、手が震えていた。「何だよ!ここは警察署だ!お前が勝手に騒ぎ立てる場所じゃない!」その一言に、冬城おばあさんは怒りで視界が暗くなるほどだった。それを見て、黒澤は片手を上げて、警官の話を制止した。黒澤は淡々と言った。「年配の方には、それなりの態度というものがある」「はい!黒澤様のおっしゃる通りです。私の配慮が行き届いておりませんでした」黒澤は口元に薄く笑みを浮かべながら続けた。「大奥様が署長に会いたいと仰っているなら、呼べばいい」「はい、黒澤様。すぐに署長に電話します」警官はすぐさま外に出て署長に電話をかけ、しばらくして走って戻ってきた。「黒澤様、署長が申しておりました。黒澤様のご要望であれば、すぐに伺うとのことです。少々お待ちください」その光景を見た冬城おばあさんの顔色は一気に変わった。黒澤はこれで、海城において自分の影響力が彼には到底及ばないことを、はっきりと示したのだ。冬城おばあさんは怒りにまかせて机を叩いた。「藤木邦光(ふじき くにみつ)!私の顔をここまで潰すなんて!あの男、自分がまだ巡査部長だった頃、私に取り入ろうとしてたくせに!私は会うのも面倒で断ってたのよ!」小林は傍らで冬城おばあさんの背をさすりながら、なだめるように言った。「大奥様、どうかご気分を落ち着けてください。藤木署長がいらしたら、そのときにしっかり叱ってやればいいんですから」冬城おばあさん小林の言葉を聞いて、やっと少し気が静まった。一連の様子を見ていた真奈は、心の中で冷笑した。冬城おばあさんはいつも優雅に暮らし、人に持ち上げられることに慣れてきた。世間の流れがどう変わっているのか、きっと何も見えていない。かつて藤木邦光が「巡査部長」だった頃は、確かに冬城おばあさんに取り入る必要があっただろう。だが今の彼は署長で、もはや当時のように顔色をうかがう立場ではない。そ
「待て」黒澤が不意に呼び止めると、冬城おばあさんは訝しげに振り返った。彼を見るその目には、はっきりとした軽蔑の色が浮かんでいる。「どうしたの?あなたのような若輩者、それも黒澤家の私生児にすぎない男が、この私を説教しようというの?」「その通りだ」黒澤の何気なく放ったその一言が、真奈の胸に大きな波紋を広げた。冬城おばあさんは年配者であり、この海城でも名の知れた人物だ。男たちの商業戦争とは違う。これは女同士の問題、本来なら彼が口を出すことではない。それでも、黒澤は真奈のために前に出る。冬城おばあさんは黒澤を見、次に真奈を睨みつけると、吐き捨てるように言った。「そういうことね。あんたたちはグルだったのね。見事な共犯関係じゃない!真奈、あんたもう司を裏切ってたんでしょ?黒澤に乗り換えてたわけだ。そりゃ離婚を急ぐわけよね。上手くやったつもりなんでしょう、豪族に嫁いでいけるって」「大奥様、私はこれまで、年長者としての敬意をもって言葉を控えてきました。でも、あなたがあまりにも理不尽なことを言い続けるなら、私も黙ってはいません」前世、真奈は冬城おばあさんに心を尽くした。けれど、返ってきたのは悲惨な結末だけだった。冬城家の人間は、根っこのところで冷たい。それでも彼女は、相手が年配の人だからと目をつぶってきた。だが、それをいいことに侮辱され続けるいわれはない。「じゃあ見せてもらおうじゃない、あんたが私にどう出るっていうのか。あんた、まさか海城を甘く見てるんじゃないでしょうね?冬城家が簡単に舐められる家だと思ってるの?あんたが私に何かしてみなさい。司が黙ってると思うの?」そう言うと、冬城おばあさんは小林を引っ張って警察署の中へ入っていった。真奈は黒澤の方に顔を向け、問いかけた。「さっき、本当に手を出すつもりだったの?」「年寄りを殴る?」黒澤は眉をひそめて言った。「やったことはないが、試してみてもいいかもな」「本気なの?」「安心しろ、人を殴るなんてのは、一番下の手段だ」そう言いながら、黒澤は真奈の頭にそっと手を置き、優しく撫でた。「でも、彼女が君を平気で侮辱するなら、その代償がどんなものか、本人の目で見せてやる。今夜の自分の言動を後悔させる」「黒澤様、瀬川さん、中に入りますか?」そばにいた警察官が静かに口
小林は冬城おばあさんのその言葉を聞いて、心の中で喜びが弾けた。「はい、大奥様!」パトカーは外を30分ほど回ってから、ゆっくりと警察署に到着した。車を降りるとき、冬城の顔は険しく、側にいる中井も怒りを堪えていた。運転手がわざと遠回りをしたのは、パトカーに護送される姿を市民に見せつけ、世論の波をさらに煽るためだった。まさか、黒澤がどうしてこんな卑劣な手段を使うとは……「黒澤様、瀬川さん、どうぞお降りください」もう一台のパトカーの中、真奈は黒澤のコートを羽織って車を降り、冬城と視線が交わったとき、その目は冷たかった。冬城は黒澤を一瞥し、冷ややかに言った。「黒澤様、本当に見事な手段だ。勉強になった」黒澤は謙遜せずに言った。「冬城総裁と比べれば、俺のやり方は少し巧みなだけだ」「冬城さん、どうぞ中で供述をお願いします」警察は冬城を連れて行った。その去り際、冬城の視線が真奈のもとに静かに向けられた。だが真奈は目を逸らし、もう彼を見返すことはなかった。「行くぞ」黒澤が真奈を庇うように連れて中へと歩き出したが、まだ警察署の入口にたどり着く前、一台の車のヘッドライトが二人の身体を強く照らした。その車から、怒りに満ちた冬城おばあさんが勢いよく降りてくる。彼女は何も言わずに手を上げてビンタをしようとしたが、その手は真奈に掴まれて止められた。「大奥様、互いには顔がきく人でしょう。そんなことをなさる必要、ありますか?」「真奈!あんたは外で大騒ぎをして、冬城家の顔を完全に踏みにじっている!今や自分の夫を警察に突き出すなんて、この世にあんたほど冷酷な女がいるとは思わなかった!こんなことになるくらいなら、最初からあんたなんかを冬城家に入れるべきじゃなかった!」冬城おばあさん息を切らしながら、その目は今にも真奈を食いちぎりそうだった。「そうですよ、瀬川さん。どうしてそんなことをするんですか?早く警察にちゃんと説明して、司お兄ちゃんを釈放してもらってください!」小林は堂々と言った。真奈は思わず笑いそうになった。「小林さん、あなたはいったいどんな立場で私に命令しているの?私を誘拐して、強姦しようとしたのは冬城なのよ。私は被害者よ?どうして私が警察に説明しなきゃいけないの?それに、どうして私が彼の釈放を頼まなきゃいけないの?
真奈は、黒澤の視線から逃れられなかった。その瞳には、一片の揺らぎもない真剣さが宿っていた。「俺は、借りを作るのが嫌いなんだ。だから外で女と遊んで尻尾を引いているわけがない。真奈、俺の心は最初から、今も、そしてこれからも、君だけのものだ」「黒澤、私は愛なんて、信じていないの」真奈の声は淡々としていた。「もし、以前の私だったら……きっとあなたを好きになっていた。でも今の私は、もう簡単に誰かを愛したくない」前世での教訓は、それだけで充分すぎるほど痛かった。確かに、彼女の心は一瞬だけ黒澤に傾いたことがある。けれど、それだけで今後の人生のすべてを賭ける気にはなれなかった。人生は貴重だ。それも、ようやく取り戻した二度目の人生だ。だからもう、情に流されるような生き方はしない。「わかった。じゃあ、君が俺を受け入れてくれるその日まで、俺はずっとそばにいる」「黒澤……」真奈はまだ説得しようとしたが、運転手が車に乗り込み、車内の曖昧な雰囲気を打ち破った。「黒澤様、瀬川さん、お手数ですが、ご同行いただけますか。すぐに終わりますので」助手席に座っていた警察官は丁寧で、とても友好的な態度だった。真奈はふと思い出した。黒澤家はかつては軍人の家系であり、その影響力は軍内でも強大だった。この海城でも、威を振るっていた。ただ、やがて黒澤の祖父が引退し、それに伴って多くの古参も引退した。そう考えれば、黒澤が警察に対してある程度の力を持っているのも、何ら不思議ではない。なのに、自分はさっきまで黒澤のことを心配していたなんて。本当に馬鹿みたいだ。『チン』『チン』『チン』車内の人々の携帯が次々と鳴り響いた。真奈も携帯を取り出し、案の定、画面には大きなニュースが表示されていた。さきほどホテルの外にいた記者たちは、すでに写真と記事をネットに上げており、深夜にもかかわらず大きな注目を集めていた。「某社長、深夜に妻を拉致 強姦未遂で警察に逮捕」この目を引く見出しが、トレンドの一位に躍り出た。真奈は横の黒澤を見た。黒澤は悠然としていた。彼が多くのメディアを呼び集めたのは、このためだったのだ。彼女はすぐに気づいた。パトカーは遠回りし続けていた。本来なら十数分で着くはずの距離を、すでに二十分以上走っている。周囲にはカメラのフラッ
どうやら今回、冬城は何の巻き添えも食わずに済みそうだ。「お三方、まずは警察署までご同行ください」警察の態度はかなり和らいでいたが、この結果は明らかに冬城が望んでいたものではなかった。冬城は眉をひそめ、中井も冷たい声で言った。「署長から事情を説明されていないのですか?」「署長からは伺っています。ただ、やはりお三方には署で事情をお聞かせいただく必要があります」警察の態度がすべてを決めた。冬城はすぐに視線を黒澤に向けた。黒澤が、裏で何かを仕組んだのか?真奈も眉をひそめた。彼女は知らなかった。黒澤の勢力がすでに海城に根を張っていたことを。確か前世では、黒澤が海城に足場を築いたのは三年後のはずだった。なのにどうして今、これほどまでに影響力を持っているのか。「私たちも公務を執行しているだけですので、どうかご協力をお願いします、冬城総裁」そう言って、警察は手振りで「こちらへ」と促した。今回の警察署行きは、行かざるを得ないようだ。冬城は冷ややかな視線を黒澤に投げた。「黒澤様、たいした手際だな」「お互い様だ」黒澤は真奈を庇いながら、ホテルを後にした。二人の警察官が冬城を挟むようにして護り、外に出ると、ホテルの前には記者たちが溢れ返っていた。冬城が姿を現した瞬間、フラッシュの嵐が途切れることなく続いた。「冬城総裁!妻を誘拐し、強姦を企てたとの噂がありますが、事実でしょうか?」「冬城総裁、先日瀬川さんが葬儀で離婚を申し出た件は、総裁との間に何か対立があったからですか?」「冬城総裁、外にお子さんがいるという話もありますが、それは本当ですか?今は夫婦関係の修復を望んでいらっしゃるのですか?」……記者たちの問いかけが、次から次へと飛び交った。黒澤は真奈をパトカーに乗せ、真奈は黒澤を見て尋ねた。「あなたがやったの?」「ちょっとした戒めだ」冬城家は昔から、何よりも名声を重んじてきた。とりわけ冬城の祖母・冬城おばあさんは、家の体面を何よりも重く見る人だった。今日のようなスキャンダルは、冬城おばあさんにとっては決して望まない出来事だ。「まさか、黒澤様の勢力がこんなに早く広がるとは思わなかった」真奈は顔を背け、それ以上口を開こうとはしなかった。黒澤は声を落として問いかけた。「まだ怒っている
黒澤は上着を脱ぎ、それで真奈の身体をしっかりと包み込むように覆い、そっと彼女を腕の中に抱きしめた。「冬城、お前は本当に卑劣だな」黒澤の声は冷たく、抑えきれない怒気がにじんでいた。ドアの外では、大塚が黒澤より一歩遅れて到着し、すでに息を切らしていた。さっき黒澤が階段を一気に駆け上がったとき、大塚はついていくこともできなかったのだ。「瀬川社長!」大塚が入ってきて言った。「先ほど警察に通報しました。もうすぐ到着するはずです」「警察に通報?」冬城の目が冷たくなり、黒澤を見て冷笑を浮かべた。「お前、頭がおかしいのか?」黒澤はどういう男だ?闇の産業に手を染めている!そんな彼が、警察に通報するなんて?それを聞いて、真奈も驚き、低い声で叱った。「黒澤!自分が何をしているか分かっているの?」黒澤が関わっている闇の仕事が、海城まで手を伸ばしているかどうかは真奈には分からない。だが、もし本当にそうなら、警察沙汰は非常に危険な行動だった。長年その道で生きてきた黒澤が、そんなことも分からないはずがない。「某社長が深夜に妻を拉致し、強姦未遂の後に警察に逮捕される。明日の朝刊の一面にはちょうどいいニュースになるだろうな」黒澤の声は氷のように冷たく、冬城の胸にじわりと重くのしかかる。こういう相手に大打撃を与えつつ、自分もそれなりの痛手を負うようなやり方は、確かに黒澤がやりそうなことだ。「総裁!警察が来ました!早く!」中井が息を切らしながら駆け込んできて報せたが、すでに手遅れだった。冬城の顔は真っ黒で、黒澤を冷たく睨んだ。警察が上がってきて、部屋の明かりをつけ、警官が冬城を頭からつま先までじろじろと見て問いかける。「冬城司さんですか?通報がありました。あなたが拉致と強姦をしたという内容です」「はい、冬城だ」冬城の目はずっと真奈を見つめていた。だが真奈は、黒澤の腕の中に身を預けたまま、一度も彼に視線を送ることはなかった。警官があたりを見回し、尋ねる。「通報したのは、どなたですか?」「私です」大塚の話がまだ終わらないうちに、真奈が言葉を遮った。「私が秘書に通報させました」大塚は元々黒澤の部下だった。そのため過去に黒い仕事に関与していたかもしれない。もしここで事情聴取に連れていかれれば、黒澤に危険が及ぶ