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第8話

作者: ルビーベイビー
「薬姫を育てるには時間がかかる。なら、壊れたものを修復した方が早かろう」

高僧は刃物を研ぎながら告げた。

「私を生贄にするつもり?」

縄に縛られたまま問った。

「そうだ」高僧が訝しげに。「怖くはないのか?右腕も上がらぬようだが」

「何が怖いものか。薬姫になるくらいなら、死んだ方がまし」

諦めたように俯いた。

「悟りきったか。少し見直したぞ。さあ、こちらへ」

素直に近寄った。

「結婚式で穢れを祓い、未熟な薬姫の血で仕上げる。一石二鳥だ」

高僧は薄笑いを浮かべた。

棺の蓋が開いた瞬間。

短刀が棺の中から飛び出し、高僧の胸を貫いた。

「な......何が......」

血を吐きながら、高僧が壁際によろめいた。

「死体の陰に潜み、息を殺すのも骨が折れたぞ」

地獄からのような声と共に、一本の手が棺から伸びた。

血まみれの山伏が這い出てきた。

「お前......なぜ......刃には確かに血が......」

高僧は亡霊でも見たかのように言った。

「些細な傷よ。お前を騙すには十分だった」

山伏は嗤い、短刀を高僧の心臓に突き立て、引き抜いた。

鮮血が部屋中に飛び散った。

「貴様......奴を信じれば......必ず死ぬぞ......」

高僧は血の泡を吹きながら、私を指差して息絶えた。

「ふう、骨が折れた」

山伏が顔を拭った。

「死んだの?」

「ああ、確実に」

山伏が私を見つめ、不気味に笑った。「お前が自らの血で私を救うとはな。未熟とはいえ、命を繋ぐには十分だった」

「約束通り、ここから逃がして」

俯きながら言った。

「約束は守る。だが―」山伏の目が鋭く光った。「お前に生きる力があればな」

仮面を剥ぎ捨て、短刀を振り上げて襲いかかってきた。
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    夜になって村人たちが立ち去った後、母の部屋から険しい言い争いが漏れ聞こえてきた。「生き霊程度と聞いていたのに、化け物が出るとは聞いておらんかった。あいつ真昼に弱っていなかったら、私の命も危なかったぞ」 高僧の声に怒りが滲んでいた。「でもあの山伏は追い払えました。これからは近在で祈祷となれば、ご住職様の独壇場。それに、私の血で化け物を誘き出さなければ、あなたの祈祷もお手上げでしたでしょう?」なるほど。姉が豹変したのも、全て仕組まれていたのだ。 身も凍る思いがした。こんな時でさえ、母は薬姫の値のことばかり。家族の死など、紙切れほどの重みもなかったのか。このままでは私も薬姫に仕立て上げられる。それなら山奥で野垂れ死にした方がまし。死んでからも玩具にされるような運命だけは......覚悟を決めて荷物を背負い、抜け出そうとした瞬間。 戸を開けると、母と高僧が立っていた。 「何処へ行く」「あ、その......」 高僧の目が光った。母の振り上げた手を制しながら、 「手荒なことはよせ。まだ使い道がある」「分かっていますとも。脅しただけです。この子で一山当てなきゃならないんですから」 母の声は冷たく、目は異様な光を帯びていた。「山伏の術は侮れん。始末はつけねばならぬが、我らはここを離れるわけにはいかん」 高僧は静かに言い放った。母が頷いた。「聞こえただろう、みさき。あの男を消せば、今までのことは帳消しだ」帳消しだなんて、全部あんたたちの仕組みだろう。だが、ふと閃いた。これが逃げ出すチャンスかもしれない。 すぐに頷くのは怪しまれる。人を殺めることに躊躇うふりをした。「殺さなければ、お前が殺される。それに、あの男はお前を騙した。本当に村から出してくれると思うのか?姉にも同じ手を使ったのよ」拳を握り締めては開いた。ただ逃げ出したいだけなのに。産まれた時から、自分の意思など持てなかった。 でも、今がチャンス。母の差し出した短刀を受け取り、覚悟を決めた。玄関を出ようとすると、奥から高僧の声が響いた。 「逃げ足は無駄だ。薬姫の気が染みついている。どこへ行こうと、その匂いで追い立てられるぞ」足を止め、「逃げる気などありません」と答えた。血の跡を辿って、ようやく川辺で山伏を見つけた。 私を見る

  • 薬姫異聞   第5話

    ああ、そうか。両親が頻繁に外出していた理由、ようやく分かった。私が山伏の手先になっていることを知っていて、ずっと黙っていたのか。 きっとその時から、高僧と通じていたんだろう。「嘘を言うな!死霊が血の匂いに狂うことなど、皆も知っているはず。騙されるな!」山伏は取り乱した。だが村人の目は既に疑いの色を帯び始めていた。母は私を引き寄せ、背中を強く摘んだ。 痛みで涙が溢れた。母は更に追い打ちをかけるように、山伏の悪事を次々と暴いてきた。 山伏は母を指差したまま、言葉を失っていた。その時、姉が鋭い悲鳴を上げ、突然襲いかかった。 動揺した山伏の動きが鈍る。高僧が素早く身を翻し、次々と札を姉の体に貼り付けた。姉の動きが止まった。「これで一時的に安全だ。火で焼こうものなら、更なる変化を引き起こすところだった。間に合って良かった」 高僧は額の汗を拭いながら告げた。「さすがです」「ありがとうございます」 村人たちは高僧を取り囲んで感謝の言葉を口々に述べた。形勢不利と悟った山伏は逃げ出そうとしたが、機敏な村人に取り押さえられた。「何年も俺たちを騙していたんだな。こいつを叩きのめせ!」 群衆が取り囲み、殴る蹴るの暴行を加えた。 山伏は頭を抱えて悲鳴を上げ、すぐに血を流して気を失った。若い衆が村はずれに放り出した。「死霊を中へ運べ。私が対処する」 高僧の指示に、誰も姉に近づこうとしなかった。私は後ずさったが、母の鋭い目が追った。平手が振り上がるのを見て、急いで姉の体を抱え上げた。 異形の姿より、人の方が恐ろしい。私が先陣を切ると、数人が手伝いに来てくれた。「紅白の幔幕を外し、葬儀の準備を。朱塗りの棺を用意し、死霊を納める。数日で対処するから、もう誰も傷つけはしない」すぐに、姉が客を取らされた部屋は葬儀の間と化した。父の遺体は高僧の確認を経て、既に山に葬られていた。高僧は三本の線香を姉の棺の前で焚き、私と母に何度も頭を下げさせた。 姉の触手が意思を持つかのように、ゆっくりと引っ込んでいく。その光景に、高僧は深いため息をついた。

  • 薬姫異聞   第4話

    しかし姉は何もせず、しばらくして立ち去った。翌朝、村は騒然となった。 家の前には大勢の村人が松明を手に集まり、姉を火あぶりにすると叫んでいた。吉田の死体が玄関先に横たわっていた。胸が裂け、噛みちぎられた腸が零れ落ちていた。他にも数体、この数日間姉の客となった男たちの遺体が並んでいた。「化け物だ!この目で見た!腹が裂けて、牙が生えていた!吉田さんを喰い殺したのも、あいつの親父を殺したのもあの化け物だ!」 誰かが群衆の中から叫んだ。私は黙って門を開けた。「違う!焼くべき化け物は、別にいるのだ!」 母の声が群衆の後ろから響いた。人々が振り返った。「何を言ってんだ。死体が玄関先にあるじゃないか。それに不思議だったんだ、なぜ葬らないで村中を穢してたのか。もう山伏様を呼びに行かせた」 とある未亡人の叫び声。この数日、客足を奪われて恨みがあるらしい。「ふん、自分が稼げないくせに、死人に八つ当たりか」母は鼻で笑い、「山伏なんて要らない。もう高僧様をお連れしたわ」近郷で名高い高僧は、普段なら村人が頼めるような存在ではない。 高僧は髭を撫でながら母の後ろから現れ、玄関先で立ち止まると「これは酷い」と嘆息し、「怨念が強すぎる。一体何をしたのだ」と母に問いかけた。母が答える前に、姉の部屋から激しい音が響き始めた。獣が檻から逃れようとするように、鍵が打ち付けられる。群衆が息を呑む中、扉が粉々に砕け散った。 姉の胸から触手が狂ったように伸び、まるで操り人形のように体を持ち上げる。血走った目が睡りを破られたように光り、裂けた肉の間からは無数の牙が不気味な輝きを放つ。「妖怪だ!」 村人たちは四散した。「何者の仕業か。この地に穢れをもたらすは!」 高僧が人々の前に躍り出る。懐から豆を取り出し、姉の前に撒いた。姉は足を止め、まるで恐れるように後ずさった。 次に黒犬の血を姉に浴びせた。鋭い悲鳴が響く。触手が暴れ狂う。血が肌を焼く音がして、白煙が立ち上る。「何をする!」 山伏が駆けつけ、驚きの声を上げる。「黒犬の血などつかえば壊れて......」 言葉を途中で飲み込んだ。高僧は待ち構えていたように声を上げた。「不思議に思っていた。なぜこの村に死霊が。邪法で屍を操る者がいたとは。皆の衆、こ

  • 薬姫異聞   第3話

    目を覚ますと、村人たちが家に詰めかけ、父の異様な死に様について口々に噂していた。 母は毛布にくるまったまま震えていた。誰が聞いても、姉の異変については頑なに黙り通していた。私が目を覚ましたのを見ると、母は黙ったまま私を引きずるように山伏の屋敷へ連れて行った。「来ることは分かっていた」 山伏は足を組んで涼しい顔をしていた。「あんた、何も言わなかったじゃないの!あんな化け物になるなんて!人を......食うなんて!」 母の歯が震えている。「時期尚早に殺したのはお前たちだ。死してなお穢されれば、怨霊になるのも当然。死ねば良い」 山伏は冷徹に言い放った。「分かったわ」母は私を突き出した。「この子を連れて行って。あの化け物も好きにして。お金さえくれれば何でも......」「お母さん!」 まさか私を差し出すなんて。「黙りなさい!」 母の眼には恐怖の色が浮かんでいた。「みさきは引き取ろう。それが化け物を始末する代償だ。金など一文も渡さんがな」 山伏の言葉に、母は飛び上がった。「冗談じゃない!娼館に売り飛ばしたって金になるのよ!」「構わんさ。私が手を出さねば、今夜にはお前も死体だ。金を使う命があればの話だがな」母は唇を噛みしめ、考え込む様子もなく立ち去った。 「そんな術が使えるのはあんただけじゃないわ。人を騙すことしかできない似非山伏め。地獄へ堕ちるがいい!」母が去ると、山伏は私を見つめ「よくやった」と言った。「騙したわね。姉が......化け物になって、人を喰うなんて!」 押し殺した声で叫んだ。「お前が訊かなかっただけさ。願い通り、村を出られる。お前は金を稼ぎ、姉はお前の血の匂いを辿って両親の部屋へ......お前にも責任があるのさ」「騙されたのよ......」怒りに震えながら立ち上がった。「もう手伝わない。自分の力で出て行く」「お前に何ができる?」山伏は嘲笑う。「ただの女だ。字も読めん。嫁に行くか、薬姫になるしかない。母親も怖さを忘れれば、また目が眩むだろうよ」足が止まって、体も揺れた。 その通りだ。「それに」山伏は不敵に笑う。「お前が姉を殺したと知れば、母親はどうする?金に目がない女だ。殺されるだけなら上等。村の独り者どもが、また楽しみが増えるというもの。安心しろ、私も顔を

  • 薬姫異聞   第2話

    夜更けまで眠れなかった。先ほどの出来事が頭から離れず、布団の中で落ち着かない。ここから逃げ出さなければ。死にたくない。姉のように、死してなお穢されるなんて......闇を切り裂く悲鳴が、静寂を破った。私の背筋が凍った。音は隣の両親の部屋から。布団から抜け出し、おずおずと襖に手をかけた。「何かあったの......?」掠れた声が漏れた。答えは、闇の向こうから響く不気味な音。骨を砕くような、嫌な音が耳に残った。手探りで廊下の灯りを点けると、血の糸が両親の部屋へと這うように伸びていた。半開きの襖に近づくたび、その音は大きくなった。あの薬湯特有の妖しい香りが、鼻をついた。つい先ほど自分が浸かっていた、あの忌まわしい薬湯の匂いだった。おののく手で襖を開けば、白い肌をした何かが父の上にのしかかっていた。母は布団にくるまったまま、棚の脇で気絶している。「姉さん......?」震える声を絞り出すと、白い影がゆっくりとこちらを向いた。廊下から漏れる僅かな光に照らされ、姉の姿が浮かび上がった。全身を血に染め、虚ろな瞳は人形のよう。まるで魂が抜け落ちたかのように。「大丈夫なの......?」その言葉を後悔した。姉の足元には、父の無残な死骸が横たわっていた。引き裂かれた腹から内臓が零れ落ちていた。恐怖で声も出ない私の目の前で、姉の額から腹まで、一筋の血線が浮かび上がった。そして、目を疑うような光景が広がった。姉の体が縦に裂け、両側には無数の牙が並び、まるで異形の口のよう。枯れ枝のような触手が、裂けた体から蠢きながら這い出してきた。その奥には、生々しい肉色と血に染まった内壁が見えた。姉の白い肌とのあまりの対比に、吐き気を覚えた。一瞬の静寂の後、姉が襲いかかってきた。触手を振り乱しながら、まるで獲物を追う獣のように。悲鳴を上げて逃げ出すも、その怪物は疲れを知らなかった。あっという間に部屋の隅に追い詰められた。「やめて......私のせいじゃないの......」崩れ落ちた私の上に、異形の姿が覆い被さった。触手が素肌を這い、粘つく液を垂らした。甘ったるい薬湯の匂いが、吐き気を誘った。胸元に開いた二つの目。血管の浮いた眼球が私を見つめ、漆黒の瞳に映る自分の歪んだ顔。腐臭を帯びた吐息が顔に降りかかり、意識

  • 薬姫異聞   第1話

    これのどこが葬式だろう。死んでもなお、姉を解放してやれないのか。涙で顔を濡らしながら、次々と部屋に入っていく独り者たちを見つめていると、異様に飾り立てられた部屋に入っていく彼らの姿に、背筋が凍るのを感じた。「こりゃたまらねぇ。生きてるみてえだ」村の五十男の吉田が真っ先に部屋に入った。出てきた時、舌なめずりをしながら、札束を父の手に押し付けた。「そりゃそうよ。毎晩薬湯に浸からせたのも、死んでからも瑞々しい体になるためだもの」母は声高に言った。周りの連中に聞こえるように。吉田が最初の客となって以来、他の独り者たちもそわそわし始めた。父と母は焦る様子もなく、入り口に腰掛けて、不気味な笑みを浮かべながら客たちを待っていた。きっと、奴らは我慢できないはず。だって両親は、奴らの食事に薬を紛れ込ませた。量は少なめだが、効き目は確かなもの。「くそ、我慢できねぇ」二人目、三人目と、欲望に目を潰された連中は、姉が死体だということすら気にも留めなかった。三日経っても、姉の部屋への列は途切れなかった。こっそり部屋を覗いてみると、死んでから三日とは思えないほど姉は美しかった。頬は桜色に染まり、肌は雪のように白く、むしろ生前より艶やかになっていた。けれど、姉の姿が異様に変わっていくほど、私の心は恐怖に蝕まれていった。だって、姉が毎日強いられてきた薬湯に、次は私が......「みさき、湯加減がちょうどいいわよ。早くお入りなさい」母がこんな甘ったるい声を出すときは、決して良いことがない。まるで、姉の薬湯を手伝わせた時と同じ声色。「嫌です......怖いです」私は首を振った。バチン!母の平手が頬を打った。「図に乗るんじゃないよ。お前みたいな役立たずが、ご飯食べて屁こいて無駄飯食らってばかりで。恩返しの一つもできないってのかい」「嫌!姉さんみたいになりたくない!」私は頬を押さえて泣き叫んだ。「お前の望みなんか知ったことか。大人しく聞かないと、お父さんの鉄拳で分からせてやるからね」母の目が鋭く光った。玄関に立て掛けてある父の鉄の棒を思い出し、思わず体が震えた。あれで叩かれると骨まで痺れる。まだ生々しい傷跡に触れた。言うことを聞かなければ、もっと早く死ぬことになる。どっちみち死ぬなら..

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