魔王が言うには、この魔界にもその昔、魔族と共存する多くの人間が暮らしていたらしい。
「じゃあ、どういうこと? あなたがその人類を滅ぼしてしまったって……」 見上げているわたしに、魔王は言った。 「彼らは旺盛な繁殖力と競争心、そして創造力をもち、この魔界でも大いに繁栄していたのだ……」 しかし、彼らは魔界で無秩序に増えすぎた。 その結果、魔族との間で戦争が起きた。 「そうか。つまり、あなたたち魔族が、その戦争に勝ったというわけね」 魔王はうなづく。 「だが…… その後、人類なきこの魔界は文化的な発展を止めてしまってな。かろうじて維持はできているが、創造を欠いた世界は、いずれ破壊の力に押し潰されよう」 そう言いながら魔王は、目を、ゆっくりとこちらに向けた。 「——そこで余は、お前たち、つがいを魔界に召喚した。人類の持つ創造性を再び導入するためにな」 彼は山羊の顔で、静かに迫る。 「相川るん、かような訳だ。この魔界で、その岸部ハルトと繁殖しろ」 わたしはめまいがして、その場に膝をつきそうになった。 「ちょ、っと待って……」 立っていられず、藁をも掴む思いでハルトミイラの肩に手を置いた。 どう言うこと……繁殖って…… 足に力が入らない。うつむいたまま言う。 「じゃあ、魔王…… あなたはつまり、ハルトとわたしをさせるというか、結婚させようと思って、魔界に召喚したってわけ……」 この言葉に、魔王はうなずく。 「左様。」 そこで、わたしが思いっきりハルトを指差しながら言うと、魔王は少し黙った。 「いやでも!こいつ、死んじゃってますよね!?」 「……そうだな」 いや、そこは反省しないでほしい……。 「しかし魂は内側に残っておるようだ。早急に蘇生させよう。式までに間に合うようにな」 ……シキ? 式って、あの、結婚式か? わたしは、魔王を見上げなおした。 「嫌か?」 「──嫌です! わたし、コイツとだけは無理なんで!」 胸の前で両手をクロスし、るんは首をぶんぶん振った。 「だって、ハルトにはもう――」 そう。もう別の婚約者がいる。わたしが横入りするわけにはいかない。 「お断りします!……それにね、繁殖って言ったって、わたしぶっちゃけ尿酸値が高いし、血圧だって要注意って言われてるんですよ!」 それに貧血で、肩も腰も痛いし、便秘だし冷え性だし! おまけに老眼もきてる。ようするに、わたしはそんなに若くない! 「だから魔王、さっさともとの世界に送り返して! 若くて繁殖だいすきで、地獄が似合いそうなカップルなら代わりをいくらでも見つけて紹介するから!」 連休明けには案件が待っている。なんとしても帰らなきゃならない。 それにこんなハルトでも、たぶん、婚約者さんは待っている……! すると、考え込んでいた魔王は、何かを思いついたかのように前のめりになった。 「──では、こういうのはどうだ。」 わたしはその巨体に気圧されて、ハルトの後ろに隠れながらも、顔だけ出して聞いた。 「はい…… じゃあ聴きますけど。なんですか。条件ですか」 「この魔界にも結婚を斡旋するマッチング業者がある。その者にお前の好みのオスを紹介させよう」 ちょっとま、 「……待てええ! ちっとは聞く耳を持てええええ!」 だけど、魔王は、まあ待てと言いたげに手のひらを見せた。 「それに、今すぐ帰してやってもいいが、その場合、お前たちは元の世界ですでに死んでおるぞ」 わたしは呆然とした。 そして、透けてもいない手をじっと見た。 でも、やっぱり、元の世界では、あの事故で死んじゃってるんだ、わたし、いや、わたしたち……。 ハルトのミイラを見た。 この幼馴染の婚約者に、ものすごく申し訳ない気持ちになってきた。 もしもあの時、居酒屋で席を立たず、四人で仲良く飲んでいたら。 胸が痛いほど塞がって、わたしはうつむいた。 だが、その絶望を待っていたかのように、魔王は口元をつり上げた。 「余も、神ではない。お前たちが持って生まれた死の宿命を覆すことはできぬ」 そう言いながらも魔王は、脚を組みかえる。 「ただし、余の魔力は、地上で〝負のエネルギー〟をためこんで死んだ魂魄を、こうして魔界に召喚することが出来る」 わたしは顔を上げた。魂魄というのは、魂と肉体のことだ。 つまり、記憶の連続性はあるものの、ここにいるわたしとハルトは一種の複製と言うことか。 「──じゃあ、複製のわたしたちを元の世界に送り返すことで、原本の死の宿命を、いわば迂回することならできるってわけね」 魔王は微笑んで、そうだと言って寄越した。 「然り。お前たちを、もとの世界。もと通りの日付。だが事故が起きる場所からすこし離れた場所に戻してやろう」 だが、この魔力とて万能ではないと、魔王は言った。 元の世界、すなわち地上界は、この魔界のひとつ上の次元に存在している。 「ゆえにお前たち二人の送還には、お前自身が心に蓄える膨大な〝正のエネルギー〟が必要となる」 わたしは、生唾を飲み込んだ。 「正の、エネルギー……?」 わたしは身を乗り出した。 「ねえ、魔王! 教えてよ、どうしたらその〝正のエネルギー〟を貯められるの?!」 それを待っていたかのように、魔王は微笑んだ。 「では魔族と人間らしく、ここは契約といこうではないか、相川るん」 息を飲むわたしに、魔王は二つの案を提示した。 「ひとつ目は、お前が心から楽しみながら絵を描き、この魔界に作品を増やすこと」 わたしはうつむいた。 絵は、描きたくないからだ。 それは見越していたように、魔王は次の提案をし、 「ふたつ目は、魔界で子供を産み、創造性あふれる人類の種を蒔くことだ」 そのためなら余はお前に支援を惜しまぬ、と、指先の空間から契約書を取り出した。──翌日。 わたしは、十年ぶりに朝寝坊をした。 生家のベッドで起きると、スマホの画面には「10:00AM」の文字。 どうしてスマホが使えるのかはわからないけど、眠いわたしは、あくにをし、寝癖のついた頭を掻いた。 昨夜、魔王は言っていた。「子を産ませるためなら支援を惜しまない」……と。 見回しているこの生家の寝室も、電話も、そのうちの一つなのだろう。 とりあえず、わたしはこの魔界の〝国賓〟あるいは〝ふたりめのイブ〟らしい。「……フフん」 バックに世界の最高権力者である魔王がついているのだから、親方日の丸どころの話じゃない。 ……とはいえ、のんべんだらりとしてもいられないか。 わたしは魔王と、絵を描かない代わりに、婚活の契約を結んだ。 その期限は、三年。 ベッドを離れ、裏庭の縁側を兼ねた廊下に立つ。 サッシの向こうに、テラスの裏庭と広い湖が見えた。 この湖畔の生家は、魔王のちからで昨晩、地面から生えてきたものだ。 昨夜は馬車でこの地に着いて、降ろされて、呆然と夜の湖を眺めていたら、地面から音を立てて見慣れた実家が生えてきたんだから、シンプルにたまげた。 こうして朝の光のもとで眺めると、湖の浅瀬には、淡く睡蓮が広がっていて美しく、中ほどからは深いのか、ダークブルーの水面にさざなみが立っている。 対岸には、小さな森が見える。 さらに彼方には王都の尖塔が小さく霞んで見える。 湖のほとりに生えたおかげで、良い感じに借景を得たこの廊下からの景色が、何度見ても新鮮だ。 室内を振り返ると、祖母のいた床の間に、なぜだかわたしが三茶のマンションに置いてきたシングルベッドがある。 3LDKの平屋建は、二十年以上も前に火事で失
仰向けに、ベッドで横になる。 しかし、出社しなくて良いとなると…… シンプルに退屈だな。 十一時には来客の予定があるけれど、それまでこうしてベッドの上でゴロゴロしているのも、なんだかもったいない。 スマホを手にしても、地図以外のアプリがない。 仰向けになっていると、昨晩、魔王とした契約が思い浮かんでくる……。 『……よいか、相川るん。 余の魔力は、負のエネルギーを帯びながら死んだ魂を、他の世界からこの魔界へ引き込むことで召喚することができる。 そして逆もまた然り。〝正のエネルギー〟を蓄えれば、次に来る死の瞬間、お前たちを元の世界に押し上げてやることもできよう。 だが、〝正のエネルギー〟つまり、創造の喜びを貯めるのは容易ではない。 いずれ分かることだが、時間がかかるのだ。 その間も、お前の肉体は魔界で歳を重ねる。 だが心配は要らぬ。元の世界へ戻れば、見た目も年齢も、死ぬ前の姿へと戻っているはずだ。 よいか、相川るん。 お前は、お前の絵を描き、あるいは繁殖し、生み出し育むという創造の喜び、すなわち〝正のエネルギー〟を存分に集めよ。 そのこつは、楽しむことだ。 それが心臓に飽和した状態、すなわち、喜びに満たされた上で次の死を迎えた瞬間、お前たちの帰還は果たされる。 そして、その頃には、この魔界にも再び創造の力が満ち溢れるていることだろう……』 ──いつの間にか、眠っていた。 朝か。昼か。 ベッドサイドに身を起こし、明るい寝室で、ぼんやりとする。 手が、うっかり化粧ポーチを引き寄せていた。 いや違う。ここは三茶じゃない。 魔界だ。 もうしばらく出社する予定なんてないのに、手が勝手にポーチを探していたあたり、社畜の強い呪縛を感じる。 「やめた、やめたぁ」 放り出して、髪も二度寝の激しい寝癖のまま、台所で湯を沸かしはじめた。 ──にしても、うっかり明日のことを考えると、不安になるくらいヒマだ。 ほぼっていうか、状況的には完全無職のわたしは、この湖畔に蘇った生家で、いったい何をしたらいいのか。 腕を組んでわたしは考える。 なんでも出来るはずなのに、何をしたいのかが分からない。 じゃあまた横になるかって言うと、このまま寝たら、きっと夜通し起きてることになるんだろう
スマホを手に取る。 鳴動は、着信ではなく、アラームだった。 画面表示の時刻は「10:28」。「──そっか。お客さん、来るんだっけ」 ふと、そこで思い立って、わたしは賭けをする気持ちで、目を閉じた。 これでつぎに目を開けた時、三茶のマンションの天井が見えたらこれは、いわゆる夢オチだなと。 また急いで身支度をして、駅で並んで、身体が持ち上がるような田園都市線に身を押し込むんだ。 それで渋谷駅まで行く。 そして道玄坂を登って…… 忙しすぎて毎日走っていた元の世界と、 暇すぎて不安になる魔界という異世界。 元の世界と、あの魔界。 どっちに、わたしは居たいんだろう。 ──閉じていた目を、わたしは開けた。 けれど場所は変わらず、湖畔の裏庭。 と、言うことは、異世界転生は現実だったんだ。 スマホの時計も、「10:31」のまま。 わたしは、仕方なしに鼻をこする。「ハラ、くくるしかないか……」 気乗りしないけれど、生き返るための婚活を──。 そうなると……まもなく魔王が手配した〝マッチング業者〟とやらが来る、十一時じゃないか。「うわ、ヤッバ!」 急に、お仕事感がぶり返してきた。「マジか! なんもしてない……」 わたしは洗面所に走った。 鏡の前で髪をとめ、水道の蛇口をひねると、そこに前、鏡に映る自分の姿に…… わたしは、驚愕した。 ──若返っていた。 魔王は「いろいろと支度はしておく」と言っていた。 でも、それは化粧水だけじゃなかったようだ。 わたしの容姿というか、身体そのものが、女子高生のころに戻っている。 たしかに昨夜は「腰が痛い」だの「老眼」だの「高血圧」だの言ったけれど、だからと言って、ティーンに戻すのは、ちょっと年齢差別がひどくないかと、ちょっと魔王にムカついた。 すると気になって、わたしは、前髪の生え際にある傷を確かめた。 傷跡は、まだ新しい縫い跡として、残っていた。 水を止めるのも忘れて、わたしは視線を落とした。 もしかして、昨日、ふたりして事故に遭う直前、ハルトが言いかけたのは、この傷のことだったのかなと。 ──午前十一時。 玄関のチャイムが鳴った。 ひとり暮らしの心得で、チェーン錠をしたまま応対する。 ……が、訪問者の姿を見て、わたしはあまりのファンタジーさ加減に力が抜けた。 ─
いや、ちょっと待って、三年で三千人とマッチングって…… 「そ、そうなんだ」 わたしは胸を撫で下ろした。 「よかった…… さすがに日に八人とデートは多すぎるよね……」 なんか、もうすでに、どっと疲れが来て、苦笑するしかなかった。 ウィスカーも、白ウサギそのものな口元を上げて笑む。 「ただし。こちらも魔王さまからのお仕事ということで、どんどんマッチングを組まさせていただきますから、そのおつもりで」 なんか、スマホで読んでた異世界スローライフとなんか違うな…… もっとラクそうと言うか、苦が少ないと言うかご都合主義というか…… まぁ。どこにいっても、お仕事はそれなりに大変だってことだろう。 「しょうちしました……。どうか、お手柔らかに……」 こちらとしてもハルトとの強制復縁は避けたい。だからお見合いっていうか、この異世界マッチングを、数でこなしていくしかない。 だったら、どうせなら幸せに添い遂げられそうな、それこそ魔王が言ったように〝幸福感に包まれながら最期を迎えられるような〟良いパートナーがほしい。 よし、前向きに考えよう。マッチング希望者が三千人あれば、なかには一発くらい大当たりもあるだろうさと。 「よーし」わたしは顔をこすりあげて言った。 「じゃ、まず今日は面談から、ってわけですね。よろしくお願いします、ウィスカーさん」 ウィスカーはうなずいた。 「承知しました。では早速。相川さま側のマッチング相手に対するご希望は?」 わたしは腕を組んだ。王宮に置いてきたミイラのことを考えながら。 「……うーん。保護者きどりとか、束縛してこないひとかな」 「はい。自由にさせてほしい、と。あと他には……?」 「遠距離はむりかな。なるだけ徒歩圏内で」 あと将来像の押し付けとか、仕事への口出しとか、そのくせ野球の日には連絡が取れなくなるとか…… って、ぜんぶハルトの逆だな。うっかり笑っちゃった。 でもこうなったら、ほんとうに心から好きになれる人がいいもんな。本音でいこう。 そのほうがきっと、日々の中で〝正のエネルギー〟を集められそうだし。 すると、つられたようにウサギも、わたしの見ている空を見上げて言った。 「──では、」 そしてファイルをめくりながら、やはり最初ですし、魔王さまのご推薦のこの方がよろし
婚活業者のウィスカーが紹介したのは、青スライムのオス。 資料によれば、年齢は人間でいうところの成人。 まあ、三十二のわたしの精神年齢とは、釣り合うかもしれない。「──でもね、ウィスカーさん、スライムと人間って、その……」 交配、つまり子供ができるのかどうかの問題もある。 すると、ウィスカーは、ウサギ顔の口で、はっきりと断言した。「はい。融合と分裂で、交配は可能ですね」 ゆ、融合?! それって、むしろ、わたしが食べられちゃうってことでは……?! ウィスカーは、じっ、とわたしの顔を見た。「そうとも言いますね」 だめじゃん! いや、しかも、わたし自身もそうだけど、人間って、スライムに恋愛感情を抱けるものなの?「ううーん、どうなんでしょうかウィスカーさん!」 頭を抱えて、そう考えこんでいたら、ウィスカーは横で、そそくさと帰り支度を始めていた。 「──え、この状況で帰る?」「大丈夫です。愛はすべてを超えますので」 赤い目が、笑っていない。 ……もしかして、こいつ、客はあくまで魔王、か? そんなわたしの目にも構わず、ウサギ執事のウィスカーは鞄を抱きあげた。「では私はこれで。──あ。そちらの世界のお茶、草っぽくて美味しかったです」「いや、そうじゃなく……」 引き留めるわたしの手を背にウサギの執事は、玄関と駐車スペースのある家の表に向けて跳ねて行った。 ……とは言え、そのアオさんとのマッチングは、もう決まってしまったわけだしな。 待ち合わせ時間も13:00と迫っているしで、とにかくわたしは縁側から立ち上がる。「──よし、きょうはまずチュートリアルということで!」 そうなると、次の問題はデートに着ていく服がないことだ。 いや、洋服が無いわけではない。 現にこうして、わたしはベッドの上いっぱいに服を広げ、あぐらをかいて頭を悩ませている。 「いろいろと支度しておく」と豪語した魔王だけあって、湖畔に蘇ったこの生家には、むしろ多すぎるほどの衣装が用意されていた。 ただし、それらの全ては十七の頃、わたしが欲しかった服ばかり。 なんというか…… 当時の物欲と願望がそのまま反映されている。 つまるとこと、どれを広げてみても、三十二の今には、心理的なキツさがある。 いやサイズ的にはキツくないんだけど……! ──で
スマホのマップアプリはなぜか、Wi-Fiなしに機能している。 わだちの残る土の道を三本杉まで駆けて、辻の地蔵を右に走ると、待ち合わせの小さな公園がツツジの垣根もむこうに見えてきた。 わたしは公園の塀に背もたれして、息を整えた。 なにしろデートなんて十四年ぶりだ。 しかもスライムがその相手と言うのも、初めてだし。 すべてがシュミレーション不可だ。 …… こんな困難な状況、新人研修のときの飛び込み営業でもなかったよ? てか、人間じゃないものに、なんて声かけたらいいんだ。 スライムにお天気か? 公園だし遊具か? 花壇の植生か? ていうか、そもそも、スライムと会話はできるのか!? スマホを見ると、待ち合わせ時間までは、まだ三分ある。 わたしは公園の塀に身をかがめたまま、中の様子を覗き込んでいく。 すると砂場の向こうに、ふたつ並びのブランコが見えた。その片方で水風船ほどの青い物体が見えた。 それが、楽しそうにブランコを漕いでいる。「……か、」 わたしは、顔を、垣根の後ろに引っ込める。「か、かわいすぎるかよ……」 なぜ赤面しているんだ、わたしは。 我に帰れと、自分の頬にビンタをする。「──グッ……!」 ……いや、あれで、成人、だと!? わたしはスマホを取り出し、あの婚活業者の名刺をもとにウサギ男に電話をかける。 たしかあのウィスカー、マッチング相手のスライムは人間換算で成人の年齢だと言っていた。 でもブランコをこいでいるアレは。どう見たって五歳児だ。『──はいもし! あなたの素敵な婚活、全面サポート、ウ
金曜夜の新宿は、ゴールデンウィーク前の賑わいだ。どこの通りもごった返している。 雑居ビルの居酒屋で、わたしたち三人は待ち合わせしていた。 狭く、古いエレベーターがゆっくりと昇っていく、 地元の高校の同級生、 そろって上京した三人組だ。 扉が開くなり、ふたりが手を振ってきた。 「ひさしぶり〜! 二年ぶりだね」「もうそんなになるんだね〜」 店内は賑やかだが、わたしたちも仕切り個室で再会の乾杯をした。 「るん、いまもギャラリーの仕事してるの?」 そう聞かれて、ちょっと気恥ずかしいのには理由がある。「まあね。社畜だけどね」「うちらの出世頭だね〜」「まあ、何をもって出世とするかだけどね……」 わたしはレモンサワーを一口飲んで、苦笑する。 アートディレクションという仕事は好きだ。クライアント相手に企画を通してデザインや展示をまとめていくのは、創作に似たやりがいがある。「ディレクターだって!」 「やっぱ凄そうじゃん!」「でも、まだサポートだから……要はただの画廊スタッフだよ」 わたしは苦笑する。要はまだ見習い。十年目の使いっぱしりだ。 家も帰れば寝るだけのワンルーム。 慢性的な睡眠不足と、目の奥にじわじわ来ている老眼の兆し。 そして、おなじ場所の空気を吸うだけで心を錆びつかせる上司の身勝手。「かっこいい〜」なんて、とてもとても…… そんな仕事はまだできてないし、三人で思い描いていた生活でもない。 それでもユッコとちーちゃんは、目を輝かせてくれる。「るんるんってさ、美大行ってたよね? てことは今も自分で描いてるの?」 「確かに! るんの絵、めっちゃ上手かったもんね!」「いやいや、もう描いてないよ。今は企画側の仕事だから」「企画側?」「うん。ギャラリーの展示のしかたを企画したり……」「え、なにそれ、やっぱかっこよ……! 展示ってどうやって決まるの?」 簡単に言うと、どのアーティストの作品を、どう見せるかを決める仕事だ。 例えば、この前の企画というかサポートした展示は、インド美術の企画展だったんだけど…… 「並べるだけじゃなくて、〝見え方〟を工夫するのね」 たとえば、柔和な微笑みにしなやかなポーズをしたおっとり系お姉さん女神パールヴァティ像を、現代の美少女アニメのフィギュア作品と並べて、腰のひねりや繊細
ぽんこつなエレベーターが開いて、ハルトが入ってきた。 十年ぶりに見る顔は、相変わらずの半端に長い髪。長旅によれたスーツ。 ふたりは手を挙げて招くけど、わたしは一瞥をくれるのが精一杯だった。 とは言え大人になっても幼なじみ同士、なぜか隣に座らせられ、いつのまにか同級生ふたりとは馴染んだような顔に戻っている。 ふとユッコがちーちゃんとだけにしか通じない部活の話を思い出した弾みに、ハルトがこっちを振り向いた。「るん……」 少し気まずそうにみている。「久しぶり」 「……久しぶり。」言葉を返しながら、わたしは僅かに目を逸らした。 たぶん、このやり取りに空気が殺伐としたのだろう。 ユッコがふと口を手で覆った。「あ…… でも、るんるんとハルトって、雪解けしたんじゃなかった?!」 とんでもない。まだ氷河期よ。 わたしは伝票を手に取る。 今夜は早めに帰れる。久しぶりに布団でちゃんと寝たい。「るんるん、帰るの!?」 「うん。明日も仕事なんだ」 そう言いながら、テーブルに少し多めに割り勘代を置いた。 ユッコにもちーちゃんにも罪はない。 でもハルトがここに来る無神経がわからない。 もう懐かしい時間は終わり。そう思っていたのに。「じゃ、送ってくよ」 ハルトが、当然のように言った。 「ていうか、勝手についてきただけじゃん」 山手線の車内で、わたしは小さくため息をつく。 隣に座っているハルトは、気まずそうに肩をすくめた。「なんか……久しぶりだから、話したくてさ」 ……こういうところだ。 昔から、わたしの意思よりも〝自分のしたいこと〟を優先する。 渋谷で田園都市線に乗り換え、三軒茶屋で降りる。 まっすぐ帰るつもりだったのに、わたしは遠回りをした。「すげー、おれ、三茶ってはじめて」「よかったね」「──ん? 東京にもコメダあるんだ! そうだ、るん、よかったらあそこで話していかないか?」「どうぞお一人で」「なんでだよ、ちょっとくらい。十年ぶりじゃないか」 十年がなんだってんだ。こっちは十週ぶりの定時あがりだぞ。 たばこ屋の前で、わたしは立ち止まる。「ここでいいから。ありがと。帰って」「でも、ここいらって…… マンションとか、ないじゃん」 わたしは、大きくため息をついた。「──いい? わかりや
スマホのマップアプリはなぜか、Wi-Fiなしに機能している。 わだちの残る土の道を三本杉まで駆けて、辻の地蔵を右に走ると、待ち合わせの小さな公園がツツジの垣根もむこうに見えてきた。 わたしは公園の塀に背もたれして、息を整えた。 なにしろデートなんて十四年ぶりだ。 しかもスライムがその相手と言うのも、初めてだし。 すべてがシュミレーション不可だ。 …… こんな困難な状況、新人研修のときの飛び込み営業でもなかったよ? てか、人間じゃないものに、なんて声かけたらいいんだ。 スライムにお天気か? 公園だし遊具か? 花壇の植生か? ていうか、そもそも、スライムと会話はできるのか!? スマホを見ると、待ち合わせ時間までは、まだ三分ある。 わたしは公園の塀に身をかがめたまま、中の様子を覗き込んでいく。 すると砂場の向こうに、ふたつ並びのブランコが見えた。その片方で水風船ほどの青い物体が見えた。 それが、楽しそうにブランコを漕いでいる。「……か、」 わたしは、顔を、垣根の後ろに引っ込める。「か、かわいすぎるかよ……」 なぜ赤面しているんだ、わたしは。 我に帰れと、自分の頬にビンタをする。「──グッ……!」 ……いや、あれで、成人、だと!? わたしはスマホを取り出し、あの婚活業者の名刺をもとにウサギ男に電話をかける。 たしかあのウィスカー、マッチング相手のスライムは人間換算で成人の年齢だと言っていた。 でもブランコをこいでいるアレは。どう見たって五歳児だ。『──はいもし! あなたの素敵な婚活、全面サポート、ウ
婚活業者のウィスカーが紹介したのは、青スライムのオス。 資料によれば、年齢は人間でいうところの成人。 まあ、三十二のわたしの精神年齢とは、釣り合うかもしれない。「──でもね、ウィスカーさん、スライムと人間って、その……」 交配、つまり子供ができるのかどうかの問題もある。 すると、ウィスカーは、ウサギ顔の口で、はっきりと断言した。「はい。融合と分裂で、交配は可能ですね」 ゆ、融合?! それって、むしろ、わたしが食べられちゃうってことでは……?! ウィスカーは、じっ、とわたしの顔を見た。「そうとも言いますね」 だめじゃん! いや、しかも、わたし自身もそうだけど、人間って、スライムに恋愛感情を抱けるものなの?「ううーん、どうなんでしょうかウィスカーさん!」 頭を抱えて、そう考えこんでいたら、ウィスカーは横で、そそくさと帰り支度を始めていた。 「──え、この状況で帰る?」「大丈夫です。愛はすべてを超えますので」 赤い目が、笑っていない。 ……もしかして、こいつ、客はあくまで魔王、か? そんなわたしの目にも構わず、ウサギ執事のウィスカーは鞄を抱きあげた。「では私はこれで。──あ。そちらの世界のお茶、草っぽくて美味しかったです」「いや、そうじゃなく……」 引き留めるわたしの手を背にウサギの執事は、玄関と駐車スペースのある家の表に向けて跳ねて行った。 ……とは言え、そのアオさんとのマッチングは、もう決まってしまったわけだしな。 待ち合わせ時間も13:00と迫っているしで、とにかくわたしは縁側から立ち上がる。「──よし、きょうはまずチュートリアルということで!」 そうなると、次の問題はデートに着ていく服がないことだ。 いや、洋服が無いわけではない。 現にこうして、わたしはベッドの上いっぱいに服を広げ、あぐらをかいて頭を悩ませている。 「いろいろと支度しておく」と豪語した魔王だけあって、湖畔に蘇ったこの生家には、むしろ多すぎるほどの衣装が用意されていた。 ただし、それらの全ては十七の頃、わたしが欲しかった服ばかり。 なんというか…… 当時の物欲と願望がそのまま反映されている。 つまるとこと、どれを広げてみても、三十二の今には、心理的なキツさがある。 いやサイズ的にはキツくないんだけど……! ──で
いや、ちょっと待って、三年で三千人とマッチングって…… 「そ、そうなんだ」 わたしは胸を撫で下ろした。 「よかった…… さすがに日に八人とデートは多すぎるよね……」 なんか、もうすでに、どっと疲れが来て、苦笑するしかなかった。 ウィスカーも、白ウサギそのものな口元を上げて笑む。 「ただし。こちらも魔王さまからのお仕事ということで、どんどんマッチングを組まさせていただきますから、そのおつもりで」 なんか、スマホで読んでた異世界スローライフとなんか違うな…… もっとラクそうと言うか、苦が少ないと言うかご都合主義というか…… まぁ。どこにいっても、お仕事はそれなりに大変だってことだろう。 「しょうちしました……。どうか、お手柔らかに……」 こちらとしてもハルトとの強制復縁は避けたい。だからお見合いっていうか、この異世界マッチングを、数でこなしていくしかない。 だったら、どうせなら幸せに添い遂げられそうな、それこそ魔王が言ったように〝幸福感に包まれながら最期を迎えられるような〟良いパートナーがほしい。 よし、前向きに考えよう。マッチング希望者が三千人あれば、なかには一発くらい大当たりもあるだろうさと。 「よーし」わたしは顔をこすりあげて言った。 「じゃ、まず今日は面談から、ってわけですね。よろしくお願いします、ウィスカーさん」 ウィスカーはうなずいた。 「承知しました。では早速。相川さま側のマッチング相手に対するご希望は?」 わたしは腕を組んだ。王宮に置いてきたミイラのことを考えながら。 「……うーん。保護者きどりとか、束縛してこないひとかな」 「はい。自由にさせてほしい、と。あと他には……?」 「遠距離はむりかな。なるだけ徒歩圏内で」 あと将来像の押し付けとか、仕事への口出しとか、そのくせ野球の日には連絡が取れなくなるとか…… って、ぜんぶハルトの逆だな。うっかり笑っちゃった。 でもこうなったら、ほんとうに心から好きになれる人がいいもんな。本音でいこう。 そのほうがきっと、日々の中で〝正のエネルギー〟を集められそうだし。 すると、つられたようにウサギも、わたしの見ている空を見上げて言った。 「──では、」 そしてファイルをめくりながら、やはり最初ですし、魔王さまのご推薦のこの方がよろし
スマホを手に取る。 鳴動は、着信ではなく、アラームだった。 画面表示の時刻は「10:28」。「──そっか。お客さん、来るんだっけ」 ふと、そこで思い立って、わたしは賭けをする気持ちで、目を閉じた。 これでつぎに目を開けた時、三茶のマンションの天井が見えたらこれは、いわゆる夢オチだなと。 また急いで身支度をして、駅で並んで、身体が持ち上がるような田園都市線に身を押し込むんだ。 それで渋谷駅まで行く。 そして道玄坂を登って…… 忙しすぎて毎日走っていた元の世界と、 暇すぎて不安になる魔界という異世界。 元の世界と、あの魔界。 どっちに、わたしは居たいんだろう。 ──閉じていた目を、わたしは開けた。 けれど場所は変わらず、湖畔の裏庭。 と、言うことは、異世界転生は現実だったんだ。 スマホの時計も、「10:31」のまま。 わたしは、仕方なしに鼻をこする。「ハラ、くくるしかないか……」 気乗りしないけれど、生き返るための婚活を──。 そうなると……まもなく魔王が手配した〝マッチング業者〟とやらが来る、十一時じゃないか。「うわ、ヤッバ!」 急に、お仕事感がぶり返してきた。「マジか! なんもしてない……」 わたしは洗面所に走った。 鏡の前で髪をとめ、水道の蛇口をひねると、そこに前、鏡に映る自分の姿に…… わたしは、驚愕した。 ──若返っていた。 魔王は「いろいろと支度はしておく」と言っていた。 でも、それは化粧水だけじゃなかったようだ。 わたしの容姿というか、身体そのものが、女子高生のころに戻っている。 たしかに昨夜は「腰が痛い」だの「老眼」だの「高血圧」だの言ったけれど、だからと言って、ティーンに戻すのは、ちょっと年齢差別がひどくないかと、ちょっと魔王にムカついた。 すると気になって、わたしは、前髪の生え際にある傷を確かめた。 傷跡は、まだ新しい縫い跡として、残っていた。 水を止めるのも忘れて、わたしは視線を落とした。 もしかして、昨日、ふたりして事故に遭う直前、ハルトが言いかけたのは、この傷のことだったのかなと。 ──午前十一時。 玄関のチャイムが鳴った。 ひとり暮らしの心得で、チェーン錠をしたまま応対する。 ……が、訪問者の姿を見て、わたしはあまりのファンタジーさ加減に力が抜けた。 ─
仰向けに、ベッドで横になる。 しかし、出社しなくて良いとなると…… シンプルに退屈だな。 十一時には来客の予定があるけれど、それまでこうしてベッドの上でゴロゴロしているのも、なんだかもったいない。 スマホを手にしても、地図以外のアプリがない。 仰向けになっていると、昨晩、魔王とした契約が思い浮かんでくる……。 『……よいか、相川るん。 余の魔力は、負のエネルギーを帯びながら死んだ魂を、他の世界からこの魔界へ引き込むことで召喚することができる。 そして逆もまた然り。〝正のエネルギー〟を蓄えれば、次に来る死の瞬間、お前たちを元の世界に押し上げてやることもできよう。 だが、〝正のエネルギー〟つまり、創造の喜びを貯めるのは容易ではない。 いずれ分かることだが、時間がかかるのだ。 その間も、お前の肉体は魔界で歳を重ねる。 だが心配は要らぬ。元の世界へ戻れば、見た目も年齢も、死ぬ前の姿へと戻っているはずだ。 よいか、相川るん。 お前は、お前の絵を描き、あるいは繁殖し、生み出し育むという創造の喜び、すなわち〝正のエネルギー〟を存分に集めよ。 そのこつは、楽しむことだ。 それが心臓に飽和した状態、すなわち、喜びに満たされた上で次の死を迎えた瞬間、お前たちの帰還は果たされる。 そして、その頃には、この魔界にも再び創造の力が満ち溢れるていることだろう……』 ──いつの間にか、眠っていた。 朝か。昼か。 ベッドサイドに身を起こし、明るい寝室で、ぼんやりとする。 手が、うっかり化粧ポーチを引き寄せていた。 いや違う。ここは三茶じゃない。 魔界だ。 もうしばらく出社する予定なんてないのに、手が勝手にポーチを探していたあたり、社畜の強い呪縛を感じる。 「やめた、やめたぁ」 放り出して、髪も二度寝の激しい寝癖のまま、台所で湯を沸かしはじめた。 ──にしても、うっかり明日のことを考えると、不安になるくらいヒマだ。 ほぼっていうか、状況的には完全無職のわたしは、この湖畔に蘇った生家で、いったい何をしたらいいのか。 腕を組んでわたしは考える。 なんでも出来るはずなのに、何をしたいのかが分からない。 じゃあまた横になるかって言うと、このまま寝たら、きっと夜通し起きてることになるんだろう
──翌日。 わたしは、十年ぶりに朝寝坊をした。 生家のベッドで起きると、スマホの画面には「10:00AM」の文字。 どうしてスマホが使えるのかはわからないけど、眠いわたしは、あくにをし、寝癖のついた頭を掻いた。 昨夜、魔王は言っていた。「子を産ませるためなら支援を惜しまない」……と。 見回しているこの生家の寝室も、電話も、そのうちの一つなのだろう。 とりあえず、わたしはこの魔界の〝国賓〟あるいは〝ふたりめのイブ〟らしい。「……フフん」 バックに世界の最高権力者である魔王がついているのだから、親方日の丸どころの話じゃない。 ……とはいえ、のんべんだらりとしてもいられないか。 わたしは魔王と、絵を描かない代わりに、婚活の契約を結んだ。 その期限は、三年。 ベッドを離れ、裏庭の縁側を兼ねた廊下に立つ。 サッシの向こうに、テラスの裏庭と広い湖が見えた。 この湖畔の生家は、魔王のちからで昨晩、地面から生えてきたものだ。 昨夜は馬車でこの地に着いて、降ろされて、呆然と夜の湖を眺めていたら、地面から音を立てて見慣れた実家が生えてきたんだから、シンプルにたまげた。 こうして朝の光のもとで眺めると、湖の浅瀬には、淡く睡蓮が広がっていて美しく、中ほどからは深いのか、ダークブルーの水面にさざなみが立っている。 対岸には、小さな森が見える。 さらに彼方には王都の尖塔が小さく霞んで見える。 湖のほとりに生えたおかげで、良い感じに借景を得たこの廊下からの景色が、何度見ても新鮮だ。 室内を振り返ると、祖母のいた床の間に、なぜだかわたしが三茶のマンションに置いてきたシングルベッドがある。 3LDKの平屋建は、二十年以上も前に火事で失
魔王が言うには、この魔界にもその昔、魔族と共存する多くの人間が暮らしていたらしい。「じゃあ、どういうこと? あなたがその人類を滅ぼしてしまったって……」 見上げているわたしに、魔王は言った。「彼らは旺盛な繁殖力と競争心、そして創造力をもち、この魔界でも大いに繁栄していたのだ……」 しかし、彼らは魔界で無秩序に増えすぎた。 その結果、魔族との間で戦争が起きた。「そうか。つまり、あなたたち魔族が、その戦争に勝ったというわけね」 魔王はうなづく。「だが…… その後、人類なきこの魔界は文化的な発展を止めてしまってな。かろうじて維持はできているが、創造を欠いた世界は、いずれ破壊の力に押し潰されよう」 そう言いながら魔王は、目を、ゆっくりとこちらに向けた。「——そこで余は、お前たち、つがいを魔界に召喚した。人類の持つ創造性を再び導入するためにな」 彼は山羊の顔で、静かに迫る。「相川るん、かような訳だ。この魔界で、その岸部ハルトと繁殖しろ」 わたしはめまいがして、その場に膝をつきそうになった。「ちょ、っと待って……」 立っていられず、藁をも掴む思いでハルトミイラの肩に手を置いた。 どう言うこと……繁殖って…… 足に力が入らない。うつむいたまま言う。「じゃあ、魔王…… あなたはつまり、ハルトとわたしをさせるというか、結婚させようと思って、魔界に召喚したってわけ……」 この言葉に、魔王はうなずく。「左様。」 そこで、わたしが思いっきりハルトを指差しながら言うと、魔王は少し黙った。「いやでも!こいつ、死んじゃってますよね!?」「……そうだな」 いや、そこは反省しないでほしい……。「しかし魂は内側に残っておるようだ。早急に蘇生させよう。式までに間に合うようにな」 ……シキ? 式って、あの、結婚式か? わたしは、魔王を見上げなおした。「嫌か?」「──嫌です! わたし、コイツとだけは無理なんで!」 胸の前で両手をクロスし、るんは首をぶんぶん振った。「だって、ハルトにはもう――」 そう。もう別の婚約者がいる。わたしが横入りするわけにはいかない。「お断りします!……それにね、繁殖って言ったって、わたしぶっちゃけ尿酸値が高いし、血圧だって要注意って言われてるんですよ!」 それに貧血で、肩も腰も痛いし、便秘だし冷え性だし!
わたしは、もともと根っからの文化系。いや、元ひきこもり。 突っ込んでくるトラックを、横に跳んで避けるようなタマじゃない。 だから、今も何が起きたのか分からないまま、反射的に身をこわばらせ、目をきつく閉じたまま、最期の時を待った。 ……が、いつまで経っても衝撃も痛みも訪れない。 不思議に思い、恐る恐る目を開けると—— そこは、見覚えのない石敷きの広間だった。 見回すと、天井は高く、壁際には松明がいくつか灯っている。ゆらめく橙色の光が、広々とした空間に陰影を落としている。 「……ここ、どこ?」 三茶のたばこ屋から、一体どうしてわたしは……こんな場所に? とにかく現状を把握しようとした、そのとき── 石敷きの間に、威厳のある声が響いた。 「——余はホーガン。この魔界を統べるもの」 反射的に、声の主へと視線を向ける。 そこには——山羊頭の巨人が、半裸で玉座に腰をかけていた。「またの名を、魔王。訳あってお前たちを召喚した」 魔王……?召喚……? わたしは戸惑いながら、まず自分の手足を確認した。どこにも傷はない。痛みもない。 ──クルマに突っ込まれたのに、だ。 ……でも、確実におかしい。 そうか、わたしは死んだんだ。 じゃあこの状況は。まさか地獄ってやつか。 広間を見回そうと左に向いた瞬間、わたしは、すぐ隣にある異様な物体と目が合った。 ——立ったままのミイラ。 干からびた肌、 萎びたまま半開きに固まっている口。 右手は少し前に差し出され、乾漆像のように固まっている。 ……眉毛を下げているせいで、どこか悲しげに見えるミイラは、 「……く、空也上人?」 思わず口をついて出た。 でも、服装が違う。よれたスーツに革靴だ。 そして—— どこかで見た、半端にちゃらいロングヘア。 わたしは、その顔の頬を両手で掴んだ。「は…… ? ハルト!?」 わたしは思わず叫んだ。 ——干からびて立っていたのは、元カレのハルトのミイラだった。 魔王の声が、広間に響く。「つがいで召喚をしたのだが、お前の拒絶心も強すぎたようだな……。伴侶のほうが生きながらミイラになってしまったようだ」 「は!?」 わたしは魔王に言った。 「いや待って……! そこ、わたしのせい!?」 魔王と煮干しみたい
ぽんこつなエレベーターが開いて、ハルトが入ってきた。 十年ぶりに見る顔は、相変わらずの半端に長い髪。長旅によれたスーツ。 ふたりは手を挙げて招くけど、わたしは一瞥をくれるのが精一杯だった。 とは言え大人になっても幼なじみ同士、なぜか隣に座らせられ、いつのまにか同級生ふたりとは馴染んだような顔に戻っている。 ふとユッコがちーちゃんとだけにしか通じない部活の話を思い出した弾みに、ハルトがこっちを振り向いた。「るん……」 少し気まずそうにみている。「久しぶり」 「……久しぶり。」言葉を返しながら、わたしは僅かに目を逸らした。 たぶん、このやり取りに空気が殺伐としたのだろう。 ユッコがふと口を手で覆った。「あ…… でも、るんるんとハルトって、雪解けしたんじゃなかった?!」 とんでもない。まだ氷河期よ。 わたしは伝票を手に取る。 今夜は早めに帰れる。久しぶりに布団でちゃんと寝たい。「るんるん、帰るの!?」 「うん。明日も仕事なんだ」 そう言いながら、テーブルに少し多めに割り勘代を置いた。 ユッコにもちーちゃんにも罪はない。 でもハルトがここに来る無神経がわからない。 もう懐かしい時間は終わり。そう思っていたのに。「じゃ、送ってくよ」 ハルトが、当然のように言った。 「ていうか、勝手についてきただけじゃん」 山手線の車内で、わたしは小さくため息をつく。 隣に座っているハルトは、気まずそうに肩をすくめた。「なんか……久しぶりだから、話したくてさ」 ……こういうところだ。 昔から、わたしの意思よりも〝自分のしたいこと〟を優先する。 渋谷で田園都市線に乗り換え、三軒茶屋で降りる。 まっすぐ帰るつもりだったのに、わたしは遠回りをした。「すげー、おれ、三茶ってはじめて」「よかったね」「──ん? 東京にもコメダあるんだ! そうだ、るん、よかったらあそこで話していかないか?」「どうぞお一人で」「なんでだよ、ちょっとくらい。十年ぶりじゃないか」 十年がなんだってんだ。こっちは十週ぶりの定時あがりだぞ。 たばこ屋の前で、わたしは立ち止まる。「ここでいいから。ありがと。帰って」「でも、ここいらって…… マンションとか、ないじゃん」 わたしは、大きくため息をついた。「──いい? わかりや