Chapter: スライムのアオ(後編) スマホのマップアプリはなぜか、Wi-Fiなしに機能している。 わだちの残る土の道を三本杉まで駆けて、辻の地蔵を右に走ると、待ち合わせの小さな公園がツツジの垣根もむこうに見えてきた。 わたしは公園の塀に背もたれして、息を整えた。 なにしろデートなんて十四年ぶりだ。 しかもスライムがその相手と言うのも、初めてだし。 すべてがシュミレーション不可だ。 …… こんな困難な状況、新人研修のときの飛び込み営業でもなかったよ? てか、人間じゃないものに、なんて声かけたらいいんだ。 スライムにお天気か? 公園だし遊具か? 花壇の植生か? ていうか、そもそも、スライムと会話はできるのか!? スマホを見ると、待ち合わせ時間までは、まだ三分ある。 わたしは公園の塀に身をかがめたまま、中の様子を覗き込んでいく。 すると砂場の向こうに、ふたつ並びのブランコが見えた。その片方で水風船ほどの青い物体が見えた。 それが、楽しそうにブランコを漕いでいる。「……か、」 わたしは、顔を、垣根の後ろに引っ込める。「か、かわいすぎるかよ……」 なぜ赤面しているんだ、わたしは。 我に帰れと、自分の頬にビンタをする。「──グッ……!」 ……いや、あれで、成人、だと!? わたしはスマホを取り出し、あの婚活業者の名刺をもとにウサギ男に電話をかける。 たしかあのウィスカー、マッチング相手のスライムは人間換算で成人の年齢だと言っていた。 でもブランコをこいでいるアレは。どう見たって五歳児だ。『──はいもし! あなたの素敵な婚活、全面サポート、ウ
Last Updated: 2025-04-29
Chapter: スライムのアオ(前編) 婚活業者のウィスカーが紹介したのは、青スライムのオス。 資料によれば、年齢は人間でいうところの成人。 まあ、三十二のわたしの精神年齢とは、釣り合うかもしれない。「──でもね、ウィスカーさん、スライムと人間って、その……」 交配、つまり子供ができるのかどうかの問題もある。 すると、ウィスカーは、ウサギ顔の口で、はっきりと断言した。「はい。融合と分裂で、交配は可能ですね」 ゆ、融合?! それって、むしろ、わたしが食べられちゃうってことでは……?! ウィスカーは、じっ、とわたしの顔を見た。「そうとも言いますね」 だめじゃん! いや、しかも、わたし自身もそうだけど、人間って、スライムに恋愛感情を抱けるものなの?「ううーん、どうなんでしょうかウィスカーさん!」 頭を抱えて、そう考えこんでいたら、ウィスカーは横で、そそくさと帰り支度を始めていた。 「──え、この状況で帰る?」「大丈夫です。愛はすべてを超えますので」 赤い目が、笑っていない。 ……もしかして、こいつ、客はあくまで魔王、か? そんなわたしの目にも構わず、ウサギ執事のウィスカーは鞄を抱きあげた。「では私はこれで。──あ。そちらの世界のお茶、草っぽくて美味しかったです」「いや、そうじゃなく……」 引き留めるわたしの手を背にウサギの執事は、玄関と駐車スペースのある家の表に向けて跳ねて行った。 ……とは言え、そのアオさんとのマッチングは、もう決まってしまったわけだしな。 待ち合わせ時間も13:00と迫っているしで、とにかくわたしは縁側から立ち上がる。「──よし、きょうはまずチュートリアルということで!」 そうなると、次の問題はデートに着ていく服がないことだ。 いや、洋服が無いわけではない。 現にこうして、わたしはベッドの上いっぱいに服を広げ、あぐらをかいて頭を悩ませている。 「いろいろと支度しておく」と豪語した魔王だけあって、湖畔に蘇ったこの生家には、むしろ多すぎるほどの衣装が用意されていた。 ただし、それらの全ては十七の頃、わたしが欲しかった服ばかり。 なんというか…… 当時の物欲と願望がそのまま反映されている。 つまるとこと、どれを広げてみても、三十二の今には、心理的なキツさがある。 いやサイズ的にはキツくないんだけど……! ──で
Last Updated: 2025-04-28
Chapter: はじめてのマッチング相手はLv.1 (後編) いや、ちょっと待って、三年で三千人とマッチングって…… 「そ、そうなんだ」 わたしは胸を撫で下ろした。 「よかった…… さすがに日に八人とデートは多すぎるよね……」 なんか、もうすでに、どっと疲れが来て、苦笑するしかなかった。 ウィスカーも、白ウサギそのものな口元を上げて笑む。 「ただし。こちらも魔王さまからのお仕事ということで、どんどんマッチングを組まさせていただきますから、そのおつもりで」 なんか、スマホで読んでた異世界スローライフとなんか違うな…… もっとラクそうと言うか、苦が少ないと言うかご都合主義というか…… まぁ。どこにいっても、お仕事はそれなりに大変だってことだろう。 「しょうちしました……。どうか、お手柔らかに……」 こちらとしてもハルトとの強制復縁は避けたい。だからお見合いっていうか、この異世界マッチングを、数でこなしていくしかない。 だったら、どうせなら幸せに添い遂げられそうな、それこそ魔王が言ったように〝幸福感に包まれながら最期を迎えられるような〟良いパートナーがほしい。 よし、前向きに考えよう。マッチング希望者が三千人あれば、なかには一発くらい大当たりもあるだろうさと。 「よーし」わたしは顔をこすりあげて言った。 「じゃ、まず今日は面談から、ってわけですね。よろしくお願いします、ウィスカーさん」 ウィスカーはうなずいた。 「承知しました。では早速。相川さま側のマッチング相手に対するご希望は?」 わたしは腕を組んだ。王宮に置いてきたミイラのことを考えながら。 「……うーん。保護者きどりとか、束縛してこないひとかな」 「はい。自由にさせてほしい、と。あと他には……?」 「遠距離はむりかな。なるだけ徒歩圏内で」 あと将来像の押し付けとか、仕事への口出しとか、そのくせ野球の日には連絡が取れなくなるとか…… って、ぜんぶハルトの逆だな。うっかり笑っちゃった。 でもこうなったら、ほんとうに心から好きになれる人がいいもんな。本音でいこう。 そのほうがきっと、日々の中で〝正のエネルギー〟を集められそうだし。 すると、つられたようにウサギも、わたしの見ている空を見上げて言った。 「──では、」 そしてファイルをめくりながら、やはり最初ですし、魔王さまのご推薦のこの方がよろし
Last Updated: 2025-04-27
Chapter: はじめてのマッチング相手はLv.1 (前編) スマホを手に取る。 鳴動は、着信ではなく、アラームだった。 画面表示の時刻は「10:28」。「──そっか。お客さん、来るんだっけ」 ふと、そこで思い立って、わたしは賭けをする気持ちで、目を閉じた。 これでつぎに目を開けた時、三茶のマンションの天井が見えたらこれは、いわゆる夢オチだなと。 また急いで身支度をして、駅で並んで、身体が持ち上がるような田園都市線に身を押し込むんだ。 それで渋谷駅まで行く。 そして道玄坂を登って…… 忙しすぎて毎日走っていた元の世界と、 暇すぎて不安になる魔界という異世界。 元の世界と、あの魔界。 どっちに、わたしは居たいんだろう。 ──閉じていた目を、わたしは開けた。 けれど場所は変わらず、湖畔の裏庭。 と、言うことは、異世界転生は現実だったんだ。 スマホの時計も、「10:31」のまま。 わたしは、仕方なしに鼻をこする。「ハラ、くくるしかないか……」 気乗りしないけれど、生き返るための婚活を──。 そうなると……まもなく魔王が手配した〝マッチング業者〟とやらが来る、十一時じゃないか。「うわ、ヤッバ!」 急に、お仕事感がぶり返してきた。「マジか! なんもしてない……」 わたしは洗面所に走った。 鏡の前で髪をとめ、水道の蛇口をひねると、そこに前、鏡に映る自分の姿に…… わたしは、驚愕した。 ──若返っていた。 魔王は「いろいろと支度はしておく」と言っていた。 でも、それは化粧水だけじゃなかったようだ。 わたしの容姿というか、身体そのものが、女子高生のころに戻っている。 たしかに昨夜は「腰が痛い」だの「老眼」だの「高血圧」だの言ったけれど、だからと言って、ティーンに戻すのは、ちょっと年齢差別がひどくないかと、ちょっと魔王にムカついた。 すると気になって、わたしは、前髪の生え際にある傷を確かめた。 傷跡は、まだ新しい縫い跡として、残っていた。 水を止めるのも忘れて、わたしは視線を落とした。 もしかして、昨日、ふたりして事故に遭う直前、ハルトが言いかけたのは、この傷のことだったのかなと。 ──午前十一時。 玄関のチャイムが鳴った。 ひとり暮らしの心得で、チェーン錠をしたまま応対する。 ……が、訪問者の姿を見て、わたしはあまりのファンタジーさ加減に力が抜けた。 ─
Last Updated: 2025-04-26
Chapter: 社畜、ジョブチェンジ(後編)仰向けに、ベッドで横になる。 しかし、出社しなくて良いとなると…… シンプルに退屈だな。 十一時には来客の予定があるけれど、それまでこうしてベッドの上でゴロゴロしているのも、なんだかもったいない。 スマホを手にしても、地図以外のアプリがない。 仰向けになっていると、昨晩、魔王とした契約が思い浮かんでくる……。 『……よいか、相川るん。 余の魔力は、負のエネルギーを帯びながら死んだ魂を、他の世界からこの魔界へ引き込むことで召喚することができる。 そして逆もまた然り。〝正のエネルギー〟を蓄えれば、次に来る死の瞬間、お前たちを元の世界に押し上げてやることもできよう。 だが、〝正のエネルギー〟つまり、創造の喜びを貯めるのは容易ではない。 いずれ分かることだが、時間がかかるのだ。 その間も、お前の肉体は魔界で歳を重ねる。 だが心配は要らぬ。元の世界へ戻れば、見た目も年齢も、死ぬ前の姿へと戻っているはずだ。 よいか、相川るん。 お前は、お前の絵を描き、あるいは繁殖し、生み出し育むという創造の喜び、すなわち〝正のエネルギー〟を存分に集めよ。 そのこつは、楽しむことだ。 それが心臓に飽和した状態、すなわち、喜びに満たされた上で次の死を迎えた瞬間、お前たちの帰還は果たされる。 そして、その頃には、この魔界にも再び創造の力が満ち溢れるていることだろう……』 ──いつの間にか、眠っていた。 朝か。昼か。 ベッドサイドに身を起こし、明るい寝室で、ぼんやりとする。 手が、うっかり化粧ポーチを引き寄せていた。 いや違う。ここは三茶じゃない。 魔界だ。 もうしばらく出社する予定なんてないのに、手が勝手にポーチを探していたあたり、社畜の強い呪縛を感じる。 「やめた、やめたぁ」 放り出して、髪も二度寝の激しい寝癖のまま、台所で湯を沸かしはじめた。 ──にしても、うっかり明日のことを考えると、不安になるくらいヒマだ。 ほぼっていうか、状況的には完全無職のわたしは、この湖畔に蘇った生家で、いったい何をしたらいいのか。 腕を組んでわたしは考える。 なんでも出来るはずなのに、何をしたいのかが分からない。 じゃあまた横になるかって言うと、このまま寝たら、きっと夜通し起きてることになるんだろう
Last Updated: 2025-04-25
Chapter: 社畜、ジョブチェンジ(前編) ──翌日。 わたしは、十年ぶりに朝寝坊をした。 生家のベッドで起きると、スマホの画面には「10:00AM」の文字。 どうしてスマホが使えるのかはわからないけど、眠いわたしは、あくにをし、寝癖のついた頭を掻いた。 昨夜、魔王は言っていた。「子を産ませるためなら支援を惜しまない」……と。 見回しているこの生家の寝室も、電話も、そのうちの一つなのだろう。 とりあえず、わたしはこの魔界の〝国賓〟あるいは〝ふたりめのイブ〟らしい。「……フフん」 バックに世界の最高権力者である魔王がついているのだから、親方日の丸どころの話じゃない。 ……とはいえ、のんべんだらりとしてもいられないか。 わたしは魔王と、絵を描かない代わりに、婚活の契約を結んだ。 その期限は、三年。 ベッドを離れ、裏庭の縁側を兼ねた廊下に立つ。 サッシの向こうに、テラスの裏庭と広い湖が見えた。 この湖畔の生家は、魔王のちからで昨晩、地面から生えてきたものだ。 昨夜は馬車でこの地に着いて、降ろされて、呆然と夜の湖を眺めていたら、地面から音を立てて見慣れた実家が生えてきたんだから、シンプルにたまげた。 こうして朝の光のもとで眺めると、湖の浅瀬には、淡く睡蓮が広がっていて美しく、中ほどからは深いのか、ダークブルーの水面にさざなみが立っている。 対岸には、小さな森が見える。 さらに彼方には王都の尖塔が小さく霞んで見える。 湖のほとりに生えたおかげで、良い感じに借景を得たこの廊下からの景色が、何度見ても新鮮だ。 室内を振り返ると、祖母のいた床の間に、なぜだかわたしが三茶のマンションに置いてきたシングルベッドがある。 3LDKの平屋建は、二十年以上も前に火事で失
Last Updated: 2025-04-24