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6品目:ナイトフィーンドの胆汁酒

last update Last Updated: 2025-04-10 11:00:23

 海の中から見上げる水面のように、青々と澄んだ瞳が僕を見つめていた。

 両方、間違っている……?

 彼女の言葉の意味を僕は計りかねる。いや、考えられるとしたらひとつ。

「あなたは罪を犯していない……?」

 フッ、とエルドリスは小さく笑った。

「YESだと自信満々に言えないのが痛いところだが……そうだな。私視点の事実を語らせてもらうと、私は嵌《は》められた」

「どういうことです?」

「少し……長くなるが、聞く気はあるか」

 僕は頷く。

「なければここに来ていません」

 彼女は口角を僅かに上げると、カサリス・ビートル茶のカップの中に目を落とした。

「ここに投獄される前、私は生まれ育ったセリカの町で、妹と小さなレストランを営んでいた。私が調理し、妹が接客をする。田舎町で女二人、細々と生きていけるくらいには繁盛していたさ」

「あの、もしかして……そのころから魔物の調理を?」

「……どう思う?」

「いや、どうと言われても」

「魔物を調理すること自体は犯罪じゃない。むしろ、やれる調理人は少ないから重宝されるし、金になる」

「その言い方は、YESと捉えますけど」

「やめておけばよかった」

「はい?」

「私が最も後悔することのひとつが、その日の選択だ。帝都から使者がやってきた日。その使者は、私たちの店にアンフィモルフという魔物を生きたまま持ち込み、調理しろと言ってきた」

「アンフィモルフ? 聞いたことがありません」

「私もそうだった。そいつはトロールやゴブリンのような人型の魔物だった。使者はそいつのことを、『我が主《あるじ》の捕獲した希少種』と説明した」

「我が主……」

「その主とやらが、アンフィモルフを食べたいと所望したらしい。帝都中でそいつを開ける調理人を探したが見つからず、セリカのような田舎町にまでやってきたというわけだ」

「調理を、引き受けたんですか?」

「ああ。セリカじゃ考えられない破格の報酬だったからな」

「報酬のため……」

 僕の言葉に、エルドリスはうんざりした風に顔を背け、鉄格子越しの窓外へと目を遣った。

「悪いか。金があれば妹を、帝都の上級魔導医師に診せられると思ったんだ」

「いえ、すみません……。妹さんは、ご病気で?」

 エルドリスの表情が一瞬、儚く歪んで見えた。いや、僕の見間違いだったのかもしれない。

 次の瞬間には、彼女は僕を凛と強い眼差しで見据えていた。

「妹――リュネットは三年前、私と共に第七監獄《グラットリエ》へ投獄されて間もなく死んだ。だが本当は、四年前に死んでいるはずだったんだ。それを私が延命魔法、虚の脈息《ルクス・エヴィータ》で生かし続けた」

 彼女は当時の凄惨な事情を語った。彼女の妹リュネットは、四年前のその日、恋人と町の外へ出掛けていた。そして帰ってくる途中、魔物に遭遇し、恋人は死亡。リュネットは腹を破られ、内臓のほとんどを食われた。

 その彼女を、帰らない妹を心配したエルドリスが見つけ出し、絶命する寸前でなんとか延命魔法をかけることに成功した。

 しかし、エルドリスの延命魔法は一度に30分しか持たない。だからエルドリスはその日以来ずっと、30分に一度、延命魔法をかけ直すことで妹の命を長らえさせていた。

「30分に一度って、そんなこと可能なんですか?」

「可能かどうかという話じゃない。私はやると決めた。そして妹から片時も離れなかった。一年がたち、この第七監獄《グラットリエ》に収監されるまでは」

 彼女の目に明確な怒りが宿る。言われずとも僕は察した。

 30分に一度、延命魔法をかけ直して妹の命を長らえさせる。第七監獄《グラットリエ》に収監されればそれは叶わない。なぜなら第七監獄《グラットリエ》では、収監された囚人たちに魔力封じの魔法をかけるからだ。そのうえ、脱獄を共謀しそうな縁者同士を近づけてはおかない。

「話を戻そう。アンフィモルフの調理を引き受けたところからだな」

 僕は気づかぬ間にずいぶん考え込んでいたらしい。ふと顔を上げて正面のエルドリスを見ると、彼女の瞳からはもう、怒りの色は消えていた。

 いつもの無表情。

「私はレストランの調理場でアンフィモルフを開き、肉を切り出し、いくつかの料理を仕上げた。それを帝都からの使者は、多額の報酬と引き換えに持っていった。だがその翌日、店に再び帝都からの来客があった。奴らはヴェルミリオン帝国司法府直属の特務執行官を名乗り、"人肉を調理し供した"罪で私とリュネットを捕らえた」

「えっ!?」

 聞き間違えかと思った。

「ちょ、ちょっと待ってください。あなたの罪状は"人肉を食した魔物を調理し供したこと"ですよね?」

「表向きにはな。だが実際に私たちに告げられた罪状は今言ったとおり。"人肉を調理し供した"ことだ」

「意味がわかりません」

「私もそう思った。奴らが言うには、私が調理したアンフィモルフなる魔物は本来魔物ではなく、"人間が魔法により一時的に魔物に変えられたモノ"だったそうだ。それが本当だとすれば、恐らくその人間に配慮して、私の罪状は表向きにはぼかされたのだろう」

「なんですかそれ……。エルドリスたちは何も知らなかったんですよね?」

「もちろん。知っていたら調理などしない。どれほどの大金を積まれてもな」

「使者は? アンフィモルフを運んできた使者はどうなったんです? そいつに吐かせれば、エルドリスの無実を証明できます」

「私も同じことを特務執行官に訴えたさ。だが聞き入れられなかった。使者が語った名も偽名だったようで、そんな人物は帝都に存在しないと一笑に付されて終わった」

 エルドリスは淡々と語る。その無感情さはこちらが困惑を覚えるくらいだ。

「そんなことがあったのに……どうしてあなたは今、『30分クッキング』の調理人を? 特別待遇を得るためですか?」

 僕は、終身刑の囚人に似つかわしくない居心地の良い独房内を見回した。どの調度品も、第七監獄《グラットリエ》が囚人向けに常備しているソレではない。

「『30分クッキング』の視聴者層を知っているか」

「……は?」

「あの番組の視聴者のほとんどは、貴族や軍高官などの富裕層・権力者だ。奴らは"魔物を生きたまま、苦しめながら食材にし、調理する"という異常なエンターテインメントに嗜虐《しぎゃく》心の充足を求めている。いわば変態だ。そして、その変態どもの中に、私とリュネットを嵌《は》めた奴がいる」

 僕は身構えた。彼女が次に何を言うか、予想がついたからだ。

「私が『30分クッキング』の調理人をする理由はな、変態どもに極上のエンターテインメントと極上の料理を画面越しに提供し、生で見てみたいと思わせ、私を召喚させるためだ」

 召喚させ、対峙して、見極めようというのだ。自分たちに地獄を味わわせた憎き敵《かたき》が誰なのか。

「あなたは……こんな場所から、復讐を?」

「ああ。私は、私とリュネットを陥れた奴を必ず見つけ出す。使者が"我が主"と語ったその人物を。そしてすべての真相を暴き、リュネットの墓の前で、奴の生首に土下座させてやる」

「ど……どうして、監督官の僕にそんな話……」

 自分から問うたのは事実だが、それでも、そんな回答がくるとは思わなかった。

 僕は監督官だ。彼女がこの第七監獄《グラットリエ》を出て復讐を果たそうと目論《もくろ》んでいるのなら、それを止めることが職務。

「僕は……今の話を上官に報告し、あなたを『30分クッキング』の調理人から外させることだってできてしまいます」

「だが、お前はそうしないだろう」

 と、間髪入れずに返ってきた。

「私がお前に今の話をしたのは、私とお前の目的が一致しているからだ。私は復讐を果たし、無実を証明し、ここを出たい。お前は私をここから出して、私の調理助手《アシスタント》兼監督官という職務から逃れたい」

「それは……」

「それにな、お前がどんな報告をしようと、私は余程のことがない限り、『30分クッキング』の調理人からは外されない。なぜなら、延命魔法を使って魔物を生かしながら調理できる調理人は、私だけだからだ。そもそも私が調理人として選ばれた理由も、この魔法だ」

 言いながら彼女が手のひらを上向けると、そこに白く丸い靄《もや》のような光が集まった。引継ぎ資料で読み、実際に目にもしている延命魔法、虚の脈息《ルクス・エヴィータ》。囚人である彼女に、特別待遇として唯一許された魔法。

 その光がふっと消え、彼女の表情に目を遣った僕へ、碧い瞳が真っ直ぐ向けられていた。

「イオルク監督官。たった今から、私とお前は同志だ」

「同志……」

「盃を交わそう」

 エルドリスは立ち上がると、戸棚から、細長い首に胴がやや膨らんだ形状の漆黒の瓶と、盃を二つ取り出して戻ってきた。

「これは?」

「ナイトフィーンドの胆汁酒だ。B級魔物、ナイトフィーンドの胆嚢から抽出した液を、砂糖と香草で発酵させて作る」

 彼女は二つの盃それぞれに黒紫色の液体を注いだ。濃厚なアルコールの香りが立ち上る。

「これは、互いを裏切らないという誓いの儀式だ。互いの盃に、魔力を少し流してから飲む」

 エルドリスが盃のひとつに指先をかざすと、白く淡い光が黒紫色の液体の表面を滑るように広がった。僕もそれに倣い、もうひとつの盃に指を近づける。

 魔力の操作はあまり得意ではない。それでも、オレンジ色をした僕の魔力はつつがなく湖面に満ちた。

 そして僕たちは盃を交換し合い、互いの魔力の流れた液体を、ひと息にあおった。

 舌に広がるのは、濃厚で甘苦しい味わい。そして、喉元から熱が広がり体がカッと温まる感覚。

「……キツイ酒ですね」

「ふふ、"ひよっこ"め」

 エルドリスは満足そうに笑う。窓から差し込む陽光が、その白い肌を輝かせ、碧い瞳に光の珠を宿す。

 僕はそんな彼女を見て、美しいと思ってしまった。

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     ラシュトに導かれ、僕たちは洞窟の中へと入っていった。 ひんやりとした空気。足元の地面は剥き出しの岩肌で、場所によっては水滴で湿っていて滑りやすい。壁面には光る苔や菌類がまばらに張り付いており、それらが様々な色合いでぼんやりとした微光を放っていた。天井は標準的な成人男性の背丈ぎりぎりくらいの高さしかなく、長身のネイヴァンは常にかがみ気味で、何度も頭をぶつけそうになっている。 洞窟の奥へ進むほどに、湿気と冷気が増していく。水の滴る音がどこからかポチャン、ポチャンと反響する中、ラシュトは楽しそうな鼻歌を歌う。 やがて道が開け、僕たちは広々とした空間へと出た。 天井は高く、壁面は無数の岩が積み重なった形状をしている。その岩々の隙間から新鮮な外気が入り込み、ゆるやかな空気の流れを生み出していた。 中央には焚き火の跡があり、奥には乾いた枯草を敷いた簡素な寝床がある。物を入れる木箱や簡素な木の机、革袋のようなものまであり、それなりの生活を営んでいる様子が伺える。「ここが僕の部屋だよ。まあ、ちょっと狭いけど、十分だよね?」 ラシュトは振り返って、にこりと微笑む。「なかなか悪くないな」 エルドリスが周囲を見回しながら呟いた。「きみが一人でここを作ったのか?」 ネイヴァンが少し驚いたように尋ねると、ラシュトは得意げに頷いた。「そうさ。死刑囚島《タルタロメア》は危険だけど、こうしてちゃんと居場所を作れば生きていけるんだ。さあ、座って」 ラシュトの言葉に従い、僕たちは焚き火の跡の周囲に腰を下ろした。「さて、晩ご飯の準備をしようかな」 ラシュトは焚き火の残骸に火をつけ直し、部屋の端に置かれていた木箱から干し肉らしきもの

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    「おいおい、新人君、今なんて言った? 俺の聞き間違いか?」「聞き間違いじゃありません。彼はA級殺人犯です」 ネイヴァンは眉をひそめて、少年をまじまじと見つめる。しかし、見たところでわかるものでもない。囚人に、その罪状と等級ごとに刻まれる魔導印は、人道的な理由により監獄の監督官にしか見えないようになっている。「死刑囚島《タルタロメア》に送られた囚人の生き残りか」 エルドリスが冷静に呟いた。 そうでしかあり得ないと僕も思っているが、疑問は残る。「最後に死刑囚が送られたのは約一か月前です。仮に彼がそのときの死刑囚だとしても、一か月間この島で生き抜いたことになる。そんなのは前代未聞です。大抵は数日で魔物に襲われて命を落とします」 少年に注意を払いつつ小声で話していると、少年は突然にこりと微笑んだ。「ねぇ、あなたたちも死刑囚?」 不意に発せられた問いに、僕は思わず違うと答えそうになったが、その前にエルドリスが進み出て答えた。「そうだ」 僕はぎょっとして彼女の横顔を見る。その表情には何か思惑がありそうだった。 少年は興味深そうに僕たちを見つめながら、「罪状は?」「連続強盗殺人。三人ともグルだ」 少年の目が楽しげに輝いた。「へぇ! じゃあ僕と似たようなものだね」 それは笑顔で言う台詞か? 背筋にぞくりと寒気が走った。「僕はラシュト」 少年――ラシュトに促され、僕たちはエルドリスから順に名乗った。「ラシュト

  • 生きた魔モノの開き方   23人目:見つけろ、そして、見つかるな

     三人の総意により、フワドルの子どもは逃がしてやることにした。 だが僕が俊足の鎖《ラピッドチェイン》を解いてやると、白くふわふわした小さな魔物は走り去らず、エルドリスの足にぴょんと飛びついた。「なんだ」 エルドリスが面倒くさそうに見下ろす。「きゅるる♪」 甘えた声を出して彼女の足にすり寄るフワドル。その小さな前足で彼女のズボンをカシカシと引っかき、まるで注意を引きたいかのようだ。「おいおい、可愛いじゃあないか。ママになってやれよエリィ」 ネイヴァンが楽しげに笑うが、それも含めてエルドリスには鬱陶しいようで、彼女は大きめの舌打ちをする。「お前がパパでも何でもなってやれ。……おい、まとわりつくな、離れろ」 エルドリスは足を振ってフワドルを引き剝がそうとしたが、フワドルはまるでそれが遊びの一環であるかのように喜び、ますます彼女にじゃれついた。「きゅっきゅ♪」「……ああもう、好きにしろ」 諦めた様子でため息をつくエルドリス。 そんな彼女を見ながら、ネイヴァンが「そうだ」と手を打った。「このフワドルに、擬態してたあの気色悪い魔物をどのあたりで見たのか聞いてみようぜ。案内させれば話が早いだろ」「フワドルって会話できるんですか?」「試してみりゃあいい」 そう言ってネイヴァンは、エルドリスの足にしがみつくフワドルのそばにしゃがみ込んだ。「おい、チビ助。お前が擬態してたあの魔物、どこで見かけた?」 魔物に人間の言葉が通じるはずがない。それも

  • 生きた魔モノの開き方   22説目:可愛いモノには弱い

     捕えた魔物を前にして、僕たちは互いに顔を見合わせた。「さて、こいつをどうするか」 ネイヴァンが腕を組んで魔物を見下ろす。エルドリスは、僕の俊足の鎖《ラピッドチェイン》でがんじがらめにされている魔物を靴底で蹴って転がし、あらゆる角度から観察しているようだった。 ひび割れた皮膚。位置のズレた不自然な関節。形の歪んだ頭部。白く濁った目。 不気味すぎて到底人間とは思えない、人間に酷似したモノ。 ナイフの刃先で魔物の顎を持ち上げて顔を凝視していたエルドリスはため息をつくと、低く言った。「やはり見ただけではわからない」 その言葉の意味するところを察し、僕の胃が縮み上がる。 やっぱり、そうなるのか……。 どうやって拒否しようかと考えていた、その時――「きゅーぅぅ♪」 思わず全員が固まった。 なんだ今の音……いや、声か? 発生源を三人で見下ろす。 聞き間違いか? 今、この魔物が頓狂な鳴き声を上げたような……。 次の瞬間、魔物の体がぼわんと破裂し、白い煙が立ち上る。「全員下がれ! 煙を吸うな!」 服の袖を口元に当てて防御しながらエルドリスが鋭く叫ぶ。僕とネイヴァンも同じように口元を覆い、離れた場所から煙が晴れるのを待った。 逃げられてはいない手応えはあった。監獄の監督官が会得する俊足の鎖《ラピッドチェイン》は、そう易々《やすやす》と破れるものではない。僕の鎖はまだ何かを捕らえている。 しかし、その対象物は随分と

  • 生きた魔モノの開き方   21戦目:魔モノ

     朝焼けのもと、僕たちは再び島の奥へと足を踏み入れた。ネイヴァンの転移魔法で昨日、クラ―グルと遭遇した場所まで一気に移動し、そこからさらに進んでいく。 高い樹々に日光を遮られた森は晴天の朝でも薄暗く、空気は冷たく湿っていて、不気味な雰囲気があった。明確な気配こそ感じないが、どこか草葉の隙間から、僕たちを狙う上級魔物が様子を伺っているのではないかと嫌な想像をしてしまうくらいだ。「周囲をよく観察しながら進め。普通の魔物の痕跡とは異なるモノが見つかるかもしれない」 エルドリスは僕とネイヴァンにそう指示し、先頭を勇ましく歩いていく。 僕は彼女の背中を見つめながら尋ねた。「エルドリス、もしも本当に、魔物にされた人間かもしれないモノを見つけたら、どうするんですか」 エルドリスは間髪入れずに答えた。「捕えて観察する」「それで、元人間かどうかがわかりますか?」「個体によるだろう。会話ができれば間違いない。それが無理でも人間だったころの名残が見受けられれば、そうとわかる。例えば指輪をしているだとか、歯に治療痕があるだとか」「そういうのがまったくなくて、判別できなかったときは?」「……お前が頼りだ」 やっぱりな。「ねえエルドリス、わかっていますか。人間が人間を食べること――カニバリズムは禁忌です。僕に禁忌を犯させるんです?」「私のために犯してくれ。いや、私たちの目的のために」「あなたには、人の心がないんですね」「すまない。だが他に方法がない。お前に支払わせる代償は大きいが、その分私もあとから同じだけ代償を支払おう」「別に道連れを求めているわけじゃ……」 ネイヴァンが背後で軽薄に笑った。

  • 生きた魔モノの開き方   20品目:クラ―グルの活け造り

     夜の帳が下りる中、焚き火の炎が砂浜を揺らめかせる。「皆さま、こんばんは。『30分クッキング』です」 いつものように調理台の手前に立ち、僕は魔導カメラへ語る。「本日も特別企画として、死刑囚島《タルタロメア》よりお届けしております。食材はこちら、クラ―グルです」 調理台の上に横たわるのは、蛸に似た巨大な魔物。無数の触手は束ねられて、ぎちぎちと締め上げられているが、まだ抵抗の意思があるのか、拘束の下でしきりに蠢《うごめ》いている。「クラ―グルはA級魔物に分類される非常に危険な存在ですが、味は絶品と言われています。本日はこのクラ―グルを、活け造りにしていきます」 エルドリスがナイフを手に取り、クラ―グルの巨体に歩み寄る。「まずは、触手の一本を開く」 刃が触手の表皮に触れた瞬間、クラ―グルが激しくもがき出す。しかし、エルドリスは構わず、縦一直線に浅く切り込みを入れた。そして切り込みに両手の親指を差し入れる。「クグルゥゥゥゥ……ガァ……」 ズルッ、メリメリッと嫌な音を立てて皮を剥いでいく。剥ぎ終えると、手際よく内側の肉を削ぎ始める。「ピィィィィィィィ……ギャアアア……」「薄く削いだ方が、食感が良くなる」 削ぎ取られた肉は透き通るような白色。それを、まだ生きているクラ―グルの顔の上に飾り付けていく。趣向を凝らした活け造りだ。「次に、頭部を処理する」 エルドリスは、クラ―グルの頭部に垂直に刃先を当てる。そして体重をかけて刺し込む。

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