「検査結果を見れば、きっとあんた、私にこんなことをしたのを後悔するはずよ」 玲奈は検査結果を待つ間も、そう自信たっぷりに俺に言い放った。 だが俺は適当に椅子に腰掛け、スマホをいじりながら気にも留めなかった。 一時間後、検査結果が出た。 玲奈は結果を一瞥することすらせずに俺へと手渡し、勝ち誇った声を上げる。 「ほらね、これで私が冤罪だったの分かったでしょ。さっさと謝りなさいよ」 彼女の得意げな態度を横目に、俺は結果を確認すると冷たい視線を投げながら報告書を突き返した。 「自分の目でちゃんと確認しろよ」 「何を確認しろっていうの?」 玲奈は不機嫌そうに報告書を受け取り、だるそうに目を通した。 しかし、「妊娠」の二文字を見た途端、顔が真っ青になる。 「ありえない!こんなの絶対おかしい!」 「私が妊娠するなんて、そんなわけないわ!光翔とはただの遊びだったの!ちゃんと対策もしてたんだから!」 玲奈は慌てて俺の腕を掴み、今にも泣きそうな声で訴えてくる。 「陸斗、お願い、信じて。これは何かの間違いだよ」 その光景を見た他の患者たちは、驚きと呆れた表情を隠せない。 小声ながらも明らかに批判的な声が耳に入ってくる。 「あり得ない。彼氏がいるのに、他の男と遊んで、挙句に妊娠?それで病院にまで来るなんて、遊びも大概にしなきゃ」 「彼氏のこと、何だと思ってるんだろうな?ただの都合のいい相手?こんな女、本当にあり得ない」 玲奈はその言葉を聞いて、顔を真っ赤にしてうつむく。 それでも必死で言い訳を続けた。 「違うの!本当にわざとじゃないの!だって、陸斗がいつも忙しくて、私を構ってくれないから、寂しくて……それでつい間違っちゃっただけなの! でも、私の心の中にはずっとあなただけなのよ!信じて!」 俺はそんな彼女の言葉に、思わず笑ってしまった。 「その愛の告白は、君の子どもの父親に言えばいいだろう」 俺がそう言うと同時に、入り口の方を指さした。 「ほら、来たぞ」 実は、俺はすでに光翔に病院の情報を送っておいたのだ。 振り返ると、光翔が勢いよく歩いてきて、玲奈の前で立ち止まった。 彼は満面の笑みを浮かべながら、玲奈に声をかけた。 「玲奈、君、本当に妊娠したの?すごいじゃないか!やっ
ついに、佐倉彩花との撮影日がやってきた。 俺は撮影スタジオの前で緊張しながら足を踏み鳴らしていた。だが、そこに現れたのは全く会いたくない人物だった。 「陸斗、私、あんたに結婚写真を撮ってほしいの」 玲奈は少し離れたところに立っていて、大学時代のように初々しさと恥じらいを漂わせていた。 彼女が着ている白いワンピースも、俺が初めて湖畔で見たときのものとそっくりだった。 玲奈は俺に向かって微笑む。 だが俺は顔をしかめ、冷たく言い放った。 「俺のスタジオはお前を歓迎しない。別のカメラマンを探せ」 「お金なら出すわ」 俺は皮肉を込めて、大きく吹っ掛けてみた。 「二百万だ」 意外にも、玲奈は即答した。 「いいわ」別にお金を断る理由はない。犬の写真を撮ると思えばいいだけだ。 俺は苦笑しながら、スケジュール表を確認し、ビジネスライクに答えた。 「俺の仕事は半年先まで詰まってる。でも、金を出すって言うなら、来月8日、光翔と一緒に来い。一時間だけ空けてやる」 玲奈は首を横に振った。 「彼じゃないの。撮ってほしいのは、あんたと一緒に」 そして、彼女はかつて俺が言った言葉を持ち出してきた。 「覚えてる?あんた、私を世界で一番美しい花嫁にするって言ったでしょ。大学の頃から、ずっとその日を楽しみにしていたの。 私の家族があんたに高額な結婚資金を要求して、あんたがどんなに苦労しても諦めなかったとき、私はもっと確信したの。この人生で結婚したいのは、陸斗だけだって。 陸斗、私、あんたの一番美しい花嫁になりたいの」 玲奈の目には、過去の愛と喜びを懐かしむような輝きが宿っていた。 彼女は俺の言葉を覚えていて、過去の恋を思い出している――少なくとも、そう見えた。 だが、彼女の心は自分が思うほど確固たるものではなかった。 彼女はその愛を他に分け、俺たちが共に歩んだ道を忘れたのだ。 俺はふと思った。 俺自身、写真を撮る仕事をしていながら、自分の写真はほとんど持っていない。 玲奈と二人の写真なんて、一枚もない。 彼女は俺の視線を独占することを楽しんでいたが、俺を見つめ返すことはなかった。 俺の愛は、最初から悲劇的な結末を迎える運命だったのだろう。 「話すことはもう何もない。俺は君と写真なん
俺の心は一気に引き締まった。 そうだ、こんな絶好のチャンスを掴むには、無関係な人間に邪魔されている場合じゃない。 すぐに気持ちを整え、撮影に集中することにした。 彩花の撮影は、まさに完璧だった。 彼女の状態は申し分なく、表情やポージングから多くのインスピレーションをもらえた。 そのおかげで、撮影は驚くほど順調に進んだ。 撮影が終わった後、彩花がパソコンの前に来て写真を確認する。 俺は彼女の評価を待つ間、心の中で不安が膨らんでいた。 しかし、彩花は写真を見るたびに頷き、最後には俺の肩を軽く叩きながら言った。 「あんたの写真、とても気に入ったわ。実はね、近々『C雑誌』の表紙撮影があるの。そのカメラマンに、あんたを指名したい」 『C雑誌』――国内で最も影響力のあるファッション誌。 その表紙を撮れるカメラマンは、すべて国際的に名を馳せている一流ばかりだ。 そんな大きな仕事の依頼が来るとは思わず、俺は思わず目を見開いてしまった。 彩花は呆然としている俺を見て、少し微笑みながら説明する。 「あんたの写真には、未来への無限の可能性を感じたわ」 俺は心から感謝し、その場で依頼を快諾した。 彩花がスタジオを去った後も、俺はまだ頭の中が真っ白だった。 しかし、その空白はやがて明るい光となり、未来への希望が見え始めた気がした。 後日、彩花の写真が公開されると、大きな反響を呼んだ。 それに続き、『C雑誌』から正式に表紙撮影のオファーが舞い込んだ。 三ヶ月後、『C雑誌』の彩花が表紙を飾る号は、売上500万部を突破。 新記録を樹立し、業界で大きな話題となった。 俺は今や、国内で最も注目されるカメラマンとなり、名声と成功を手に入れた。 それに伴い、玲奈との苦い記憶も、もう完全に忘れ去ることができていた。 ある日、友人から玲奈と光翔の話を耳にした。 光翔は玲奈を追い続けていたが、玲奈はあくまで中絶を選んだらしい。 その結果、二人の間で大きな争いが起きたという。 さらに、玲奈が病院で医者から「この妊娠を終わらせれば、もう二度と子どもを持てない可能性がある」と告げられていたことも分かった。 それでも彼女は迷うことなく中絶をし、その後、光翔を訴えたという。 光翔は暴力行為で訴えられ、一年の
今日は俺の彼女、玲奈の誕生日だ。ここ一年、俺は仕事に追われる日々を送っていて、撮影依頼を毎日こなすうちに、彼女に構う時間がほとんど取れなかった。だけど、次の妊婦写真の撮影を終えれば、結婚に必要な資金がついに揃う。今日はそのことを伝えたくて、彼女にサプライズをしようと考えていた。スタジオの扉を開けようとしたそのときだった。中から聞こえてきた彼女の声に、俺は足を止める。「彼、いつも仕事で忙しいんです。だから、今日は私がサプライズをしようと思って。大切な人と一緒に、最高に幸せな写真を残したいんです」俺はその言葉に胸を高鳴らせた。まさか、彼女も俺を驚かせようとしているのか?その思いに応えるため、喜びを抑えながら部屋に飛び込んだ。けれど、そこにあったのはサプライズではなく――冷たく突きつけられる現実だった。彼女は、見知らぬ男の腕に抱かれながら、恥ずかしそうに微笑んでいた。「彼には、今日は誕生日記念の写真だって伝えてあります。本当は妊婦写真を撮るためなんですけどね。父親として、夫としての気持ちを先に少しだけ味わってもらいたくて」その男は「仕方ないな」と言うように微笑みながら、玲奈の鼻を軽くつついた。「今日は君の誕生日だろう?君が主役なんだから、俺は君と一緒にいられるだけで幸せだよ」二人は見つめ合い、微笑み合う。その光景は、これまで俺が撮影してきた数え切れないカップルたちと同じだった。 俺はドアの前に立ち尽くし、胸が切り裂かれるような痛みを感じていた。 同僚は感慨深げに言った。 「本当に仲がいいよな。安心しろよ、神崎さんは、こういうラブラブな新婚夫婦の写真を撮るのが一番得意だからさ」 そうだな。もしこの女が俺の彼女じゃなかったら、俺だってきっともっと気楽に、心からこの撮影に集中できただろう。 でも、彼女は俺が体を酷使してまで働き、何とかして貯めた二千万円の結婚資金で、迎え入れようとした女性なんだ。 ドアの前で呆然とし、手は握りしめすぎて真っ白になり、体がまったく動けなくなった。 そんな私を見つけた同僚が、彼女には何も知られないままこう声をかけた。「神崎さん、早く来て!お客さんが来てるよ!」同僚はさらに、彼女たちにこう紹介した。「この人が、うちで一番腕のいいカメラマン、神崎陸斗(かんざき
しばらくして、玲奈が着替えから戻ってきた。彼女が身にまとっていたのは、ビキニだった。 偽物のお腹をつけていても、彼女の美しいスタイルは何一つ損なわれていない。 光翔の視線は、最初から最後まで彼女の体から離れなかった。 「玲奈、君は本当に綺麗だな。ほら見ろ、俺が言った通りだ。この水着、絶対似合うって。君は間違いなく一番美しい妊婦だよ」 玲奈は頬を赤らめて、ふざけたように言う。 「気に入ったならよかったわ。またいくつか買って帰るから、家でも着てあげる」 俺は横で無言のまま照明をセッティングしていたが、手が思わず止まった。 彼女は俺の前では、いつも控えめな服装をしていた。 足首まで隠れるような長いスカートばかり選び、たとえ夏でもしっかり全身を覆い隠していた。 肌どころか、顔も帽子やマスクで隠していた。 俺はそれを、彼女が美意識を持ち、自分のスタイルを大切にしているのだと思っていた。 だが今になって分かった。玲奈は俺に自分の体を見せたくなかったのだ。一寸たりとも。 思わず彼女を見上げてしまった俺に、彼女は驚いたように防御の態勢を取った。 慌てて上着を羽織り、光翔の後ろに隠れながら警戒心むき出しの声を上げる。 「あんた、勝手に見るんじゃないわよ!訴えるわよ」 光翔は彼女の頭を優しく撫でながら、穏やかな声でなだめた。 「いいんだよ。カメラマンがわざとやったわけじゃない。君が綺麗すぎるから、男なら誰だって目が行ってしまう」 「でもダメなの!私は光翔にしか見せたくないの!」 たった数言で、玲奈はまた光翔に甘える優しい顔に戻っていた。 その変わり身の速さを、俺はただ黙って見ているしかなかった。 俺は道具を取りに外へ出た。 すると、玲奈が追いかけてきた。 彼女は俺を物置部屋へと引っ張り込み、声を押し殺して言う。 「神崎陸斗、あんた、いつまでちんたらやってんの?もし撮れないなら、さっさと他の人に代わりなさいよ。私たちの時間を無駄にしないで」 俺は眉を寄せ、静かに言った。 「やっと俺が誰か分かったのか?何か説明する気はないのか?」 すると彼女は逆にイライラした様子で答えた。 「説明って何?ただの妊婦写真を撮ってるだけでしょ?あんた、仕事ばかりで私に構う暇なんてなかったじゃない。それく
スタジオに戻ると、玲奈が床に寝そべり、光翔を見つめていた。視線はとろけるように甘く、光翔の手は彼女の体を軽く弄ぶように動いている。 最後には、玲奈を妖艶なポーズに整えて、彼は満足そうに微笑んだ。 「玲奈、君は最高に美しいよ。本当に君が妊娠してたらもっと素晴らしいのにな」 玲奈は大胆に言い返す。 「それは今夜のあなた次第でしょ」 彼女が投げた媚びるような視線に、光翔は一気に興奮した様子を見せる。 二人は撮影スタジオの中で完全に周りを気にせず、今にも実演を始めそうな雰囲気だった。 ――ならば俺は、その「最高の監督」を務めてやろう。 俺は冷静に指示を出した。 「いいですね。奥様と旦那様、感情がとてもいい感じです。このまま撮りましょう。 奥様、指で旦那様を誘うような仕草をしてみてください。旦那様、今度は奥様の上に体を乗せるようにして、熱い視線を向けてください」 光翔は俺の言葉通り、玲奈に覆いかぶさるように半身を倒した。 だが、玲奈はさっきまでの余裕たっぷりの様子とは違い、ぎこちなさを見せ始める。 プロのカメラマンとして、その不自然さを見逃すわけにはいかない。 俺は穏やかな声で促した。 「奥様、リラックスして。いつも家でしているような感じで構いませんよ。普段の仲睦まじさを、そのまま見せてください」 玲奈は硬直した体のまま、信じられないものを見るような目で俺を見つめた。 俺はあくまで普通のクライアントに接するような表情で、光翔に向かって笑いながら言った。 「では、旦那様、奥様をリラックスさせるために軽くキスをどうぞ」 光翔は笑顔を浮かべ、優しい声で言う。 「玲奈、カメラの前だと緊張してる?大丈夫だよ。普段みたいにすればいいんだ。いつも家で撮るときと同じようにね」 声を潜めたその言葉も、広いスタジオに響き渡り、俺にはすべて聞こえていた。 冷え切った視線で玲奈を見つめる俺に気づくことはなく、光翔の唇は彼女に近づいていく。 だが、玲奈は突然、何か恐ろしいものでも見たかのように彼を押しのけた。 彼女の視線が不安そうに俺をうかがう。 それに対して俺は、平然とした顔で尋ねた。 「奥様、撮影はもうやめますか?」 玲奈は緊張した表情を崩さずに、口を開く。 「なんで怒らないの……?」
家に戻り、リビングのソファに腰を下ろした。 狭い部屋の中、50平米もないこの空間には、壁一面に玲奈の写真が飾られている。 笑顔の写真、泣いている写真、怒っている写真、静かに佇む写真。 そのすべてが、俺が撮ったものだ。 本当なら、今日はここで玲奈にプロポーズをするつもりだった。 俺たちが出会ったのは大学時代。 当時の俺はプロのカメラマンを目指していて、よく友人たちを誘って写真の練習をしていた。 だけど、彼らからよく言われていたのは「君の写真は悪くないけど、何かが足りない。魂がない」 それが変わったのは、玲奈と出会ったときだ。 初めて彼女を見た瞬間、俺の心はあっという間に引き込まれた。 湖のほとりで静かに本を読んでいる彼女。微風にそよぐ髪、優しく降り注ぐ日差し――すべてが完璧だった。 まるで誘われるように俺はカメラを構え、ファインダー越しに彼女を見たとき、胸が高鳴るのを感じた。 「俺は見つけたんだ……人生で最も撮りたい被写体を」 ドキドキしながら、彼女のもとへ歩み寄り、そっとその写真を見せた。怒られるのではないかと覚悟していたのに、玲奈は驚くほど優しく微笑んでこう言った。 「これは私が今まで撮られた中で、一番きれいな写真だと思う」 その日から、玲奈は俺の専属モデルになった。 周りの友人たちは、「最近の写真、どれも愛に溢れてるね」と冷やかしてきた。 やがて俺も自分の心に素直になり、玲奈に告白した。 彼女は一瞬も迷わずに応えてくれて、こう言ったんだ。 「私のことを、ずっとカメラで見守ってね。私の一番美しい瞬間を、全部撮っておいてほしいの」 大学時代の恋愛は、そんな風に純粋で真っ直ぐだった。 だけど、人は変わるものだ。 大学を卒業してから、俺のカメラマンとしての道は順調とは言えなかった。 俺は風景写真にこだわり、玲奈以外の人物を撮る気にはなれなかったからだ。 最初は彼女も応援してくれていたが、やがて収入が安定しない俺に苛立ち始めた。 ある日、いつものように彼女を撮ろうとカメラを構えた俺に、彼女は突然怒りを爆発させた。 「毎日毎日、写真ばっかり!何も結果を出してないくせに、ただ邪魔なだけ!」 そう叫ぶと、彼女は俺のカメラを奪い、床に叩きつけた。 割れたレンズを見つめる
玲奈にはほとんど触れたことがないし、この一年忙しさにかまけて、彼女と親密な時間を過ごすことすらなかった。 だから、もし彼女が本当に妊娠しているなら――その子の父親が俺であるはずがない。 しばらくして、玲奈が顔面蒼白のまま洗面所から出てきた。 彼女は俺の目を避けるように視線を落としている。 俺は直接切り出した。 「妊娠してるんだろう。相手は月白光翔だ」 玲奈は必死で否定する。 「妊娠なんてしてない!ただ、食べ過ぎて胃の調子が悪いだけ……」 だが彼女の体は正直だ。そう言い終わると、またえづくような音を立てた。 俺はさらに皮肉めいた笑みを浮かべた。 「ちょうどいいな。これでお別れだ。これからは、お腹の中の子どもの父親と仲良くやればいい。 さっさと、ここから出て行け」 玲奈は動けず、その場で硬直していた。 俺は彼女の腕を掴み、無理やり玄関へ引っ張ろうとする。 すると彼女は激しく抵抗し始めた。 「妊娠なんてしてない!本当に妊娠なんてしてないの!陸斗、お願い、信じて!」 俺が無反応でいると、玲奈はついに錯乱したように、自分の腹を何度も叩き始めた。 「ほら見てよ!これで証明できるでしょ!本当に妊娠なんてしてない!」 その姿を見ても、俺はただ冷めた目を向けるだけだった。 「そのへたくそな演技、見てて呆れるよ。とっとと帰って、胎教でも頑張れ。俺は付き合わない」 そう言って、俺は彼女を玄関の外へ押し出した。 玲奈は顔を真っ赤にして怒りをぶつけてきた。 「神崎陸斗、あんた絶対に後悔するから!」 俺は扉を閉めながら短く返した。 「心配無用。絶対に後悔なんかしない」 それ以上彼女に言葉をかける気も起きず、扉をきっぱりと閉めた。 その夜、見知らぬ番号から電話がかかってきた。 通話ボタンを押すと、聞き覚えのある声が響く。 「もしもし、神崎さん。今日はお世話になりました。月白です。玲奈から、あなたが彼女の彼氏だって聞いて、本当に驚きましたよ。まさか今日のカメラマンがあなたとは――偶然ってすごいですね」 芝居がかった調子の話し方からして、玲奈が今光翔のところにいるのだろう。 彼は続ける。 「玲奈がね、神崎さんがちょっと誤解してるって言うから、俺が代わりに説明しようと思って。俺と
俺の心は一気に引き締まった。 そうだ、こんな絶好のチャンスを掴むには、無関係な人間に邪魔されている場合じゃない。 すぐに気持ちを整え、撮影に集中することにした。 彩花の撮影は、まさに完璧だった。 彼女の状態は申し分なく、表情やポージングから多くのインスピレーションをもらえた。 そのおかげで、撮影は驚くほど順調に進んだ。 撮影が終わった後、彩花がパソコンの前に来て写真を確認する。 俺は彼女の評価を待つ間、心の中で不安が膨らんでいた。 しかし、彩花は写真を見るたびに頷き、最後には俺の肩を軽く叩きながら言った。 「あんたの写真、とても気に入ったわ。実はね、近々『C雑誌』の表紙撮影があるの。そのカメラマンに、あんたを指名したい」 『C雑誌』――国内で最も影響力のあるファッション誌。 その表紙を撮れるカメラマンは、すべて国際的に名を馳せている一流ばかりだ。 そんな大きな仕事の依頼が来るとは思わず、俺は思わず目を見開いてしまった。 彩花は呆然としている俺を見て、少し微笑みながら説明する。 「あんたの写真には、未来への無限の可能性を感じたわ」 俺は心から感謝し、その場で依頼を快諾した。 彩花がスタジオを去った後も、俺はまだ頭の中が真っ白だった。 しかし、その空白はやがて明るい光となり、未来への希望が見え始めた気がした。 後日、彩花の写真が公開されると、大きな反響を呼んだ。 それに続き、『C雑誌』から正式に表紙撮影のオファーが舞い込んだ。 三ヶ月後、『C雑誌』の彩花が表紙を飾る号は、売上500万部を突破。 新記録を樹立し、業界で大きな話題となった。 俺は今や、国内で最も注目されるカメラマンとなり、名声と成功を手に入れた。 それに伴い、玲奈との苦い記憶も、もう完全に忘れ去ることができていた。 ある日、友人から玲奈と光翔の話を耳にした。 光翔は玲奈を追い続けていたが、玲奈はあくまで中絶を選んだらしい。 その結果、二人の間で大きな争いが起きたという。 さらに、玲奈が病院で医者から「この妊娠を終わらせれば、もう二度と子どもを持てない可能性がある」と告げられていたことも分かった。 それでも彼女は迷うことなく中絶をし、その後、光翔を訴えたという。 光翔は暴力行為で訴えられ、一年の
ついに、佐倉彩花との撮影日がやってきた。 俺は撮影スタジオの前で緊張しながら足を踏み鳴らしていた。だが、そこに現れたのは全く会いたくない人物だった。 「陸斗、私、あんたに結婚写真を撮ってほしいの」 玲奈は少し離れたところに立っていて、大学時代のように初々しさと恥じらいを漂わせていた。 彼女が着ている白いワンピースも、俺が初めて湖畔で見たときのものとそっくりだった。 玲奈は俺に向かって微笑む。 だが俺は顔をしかめ、冷たく言い放った。 「俺のスタジオはお前を歓迎しない。別のカメラマンを探せ」 「お金なら出すわ」 俺は皮肉を込めて、大きく吹っ掛けてみた。 「二百万だ」 意外にも、玲奈は即答した。 「いいわ」別にお金を断る理由はない。犬の写真を撮ると思えばいいだけだ。 俺は苦笑しながら、スケジュール表を確認し、ビジネスライクに答えた。 「俺の仕事は半年先まで詰まってる。でも、金を出すって言うなら、来月8日、光翔と一緒に来い。一時間だけ空けてやる」 玲奈は首を横に振った。 「彼じゃないの。撮ってほしいのは、あんたと一緒に」 そして、彼女はかつて俺が言った言葉を持ち出してきた。 「覚えてる?あんた、私を世界で一番美しい花嫁にするって言ったでしょ。大学の頃から、ずっとその日を楽しみにしていたの。 私の家族があんたに高額な結婚資金を要求して、あんたがどんなに苦労しても諦めなかったとき、私はもっと確信したの。この人生で結婚したいのは、陸斗だけだって。 陸斗、私、あんたの一番美しい花嫁になりたいの」 玲奈の目には、過去の愛と喜びを懐かしむような輝きが宿っていた。 彼女は俺の言葉を覚えていて、過去の恋を思い出している――少なくとも、そう見えた。 だが、彼女の心は自分が思うほど確固たるものではなかった。 彼女はその愛を他に分け、俺たちが共に歩んだ道を忘れたのだ。 俺はふと思った。 俺自身、写真を撮る仕事をしていながら、自分の写真はほとんど持っていない。 玲奈と二人の写真なんて、一枚もない。 彼女は俺の視線を独占することを楽しんでいたが、俺を見つめ返すことはなかった。 俺の愛は、最初から悲劇的な結末を迎える運命だったのだろう。 「話すことはもう何もない。俺は君と写真なん
「検査結果を見れば、きっとあんた、私にこんなことをしたのを後悔するはずよ」 玲奈は検査結果を待つ間も、そう自信たっぷりに俺に言い放った。 だが俺は適当に椅子に腰掛け、スマホをいじりながら気にも留めなかった。 一時間後、検査結果が出た。 玲奈は結果を一瞥することすらせずに俺へと手渡し、勝ち誇った声を上げる。 「ほらね、これで私が冤罪だったの分かったでしょ。さっさと謝りなさいよ」 彼女の得意げな態度を横目に、俺は結果を確認すると冷たい視線を投げながら報告書を突き返した。 「自分の目でちゃんと確認しろよ」 「何を確認しろっていうの?」 玲奈は不機嫌そうに報告書を受け取り、だるそうに目を通した。 しかし、「妊娠」の二文字を見た途端、顔が真っ青になる。 「ありえない!こんなの絶対おかしい!」 「私が妊娠するなんて、そんなわけないわ!光翔とはただの遊びだったの!ちゃんと対策もしてたんだから!」 玲奈は慌てて俺の腕を掴み、今にも泣きそうな声で訴えてくる。 「陸斗、お願い、信じて。これは何かの間違いだよ」 その光景を見た他の患者たちは、驚きと呆れた表情を隠せない。 小声ながらも明らかに批判的な声が耳に入ってくる。 「あり得ない。彼氏がいるのに、他の男と遊んで、挙句に妊娠?それで病院にまで来るなんて、遊びも大概にしなきゃ」 「彼氏のこと、何だと思ってるんだろうな?ただの都合のいい相手?こんな女、本当にあり得ない」 玲奈はその言葉を聞いて、顔を真っ赤にしてうつむく。 それでも必死で言い訳を続けた。 「違うの!本当にわざとじゃないの!だって、陸斗がいつも忙しくて、私を構ってくれないから、寂しくて……それでつい間違っちゃっただけなの! でも、私の心の中にはずっとあなただけなのよ!信じて!」 俺はそんな彼女の言葉に、思わず笑ってしまった。 「その愛の告白は、君の子どもの父親に言えばいいだろう」 俺がそう言うと同時に、入り口の方を指さした。 「ほら、来たぞ」 実は、俺はすでに光翔に病院の情報を送っておいたのだ。 振り返ると、光翔が勢いよく歩いてきて、玲奈の前で立ち止まった。 彼は満面の笑みを浮かべながら、玲奈に声をかけた。 「玲奈、君、本当に妊娠したの?すごいじゃないか!やっ
撮影は一週間後に予約されていた。俺はその準備を完璧にするため、すでに仕事場に泊まり込みで作業を進めていた。 そんなある夜、玲奈から電話がかかってきた。 ちょうど写真の編集をしていて、発信者を確認せずにそのまま応答してしまった。 「ねえ、今どこにいるの?家に入れないんだけど。鍵を変えたの?早く開けてよ。あんた、私を怒らせたらどうなるか分かってる?」 その聞き慣れた高圧的な口調に、瞬時に眉をひそめた。 玲奈だと気づいた瞬間、やる気がごっそり削がれる。 「どこに行こうが好きにしろ。俺たちはもう別れたんだ」 俺の冷たい対応に、玲奈は一瞬驚いたようだったが、すぐに不満をぶつけてきた。 「陸斗、あんたそれはひどすぎる。ずっと連絡してこないどころか、こんな態度を取るなんて。 こっちは折れてあげてるんだから、少しは素直になりなさいよ!あんた、いったいどうしたいわけ?」 彼女の声には、少しばかりの悲しげな響きさえ混ざっていた。 おそらく、あの日の俺の別れの言葉なんて、彼女はまともに受け止めていなかったのだろう。 冷却期間をおけば、自然と元に戻るとでも思っていたのか。 俺はさらに不機嫌そうに言い返した。 「お前、俺の言葉が理解できないのか?俺たちはもう終わったんだ。俺の態度に文句を言う権利なんかない。 もう二度と電話してくるな」 そう言って電話を切り、そのまま彼女の番号を着信拒否にした。 だが、翌日。外で食事を済ませて仕事場に戻ると、そこには玲奈が待っていた。 まるで何事もなかったかのように、彼女は軽やかに近づいてきて俺の手を掴む。 「ねえ、今夜一緒にご飯行きましょうよ。この前の誕生日を埋め合わせしてあげる」 俺は彼女の手を乱暴に振り払うと、汚いものを見るように何歩も後退した。 警戒心を露わにして問い詰める。 「ここで何してるんだ。さっさと帰れ」 玲奈は怒るどころか、まるで俺が駆け引きをしているとでも思っているのか、ため息交じりに微笑んでみせる。 その目には、どこか甘やかすような色さえ浮かんでいて、ただただ寒気がした。 彼女は自信満々の笑みを浮かべると、俺のオフィスの後ろに掛けてあった布を引き剥がした。 そこには、ぎっしりと貼られた玲奈の写真が――俺がこれまでに撮り、印刷したものだ。
玲奈にはほとんど触れたことがないし、この一年忙しさにかまけて、彼女と親密な時間を過ごすことすらなかった。 だから、もし彼女が本当に妊娠しているなら――その子の父親が俺であるはずがない。 しばらくして、玲奈が顔面蒼白のまま洗面所から出てきた。 彼女は俺の目を避けるように視線を落としている。 俺は直接切り出した。 「妊娠してるんだろう。相手は月白光翔だ」 玲奈は必死で否定する。 「妊娠なんてしてない!ただ、食べ過ぎて胃の調子が悪いだけ……」 だが彼女の体は正直だ。そう言い終わると、またえづくような音を立てた。 俺はさらに皮肉めいた笑みを浮かべた。 「ちょうどいいな。これでお別れだ。これからは、お腹の中の子どもの父親と仲良くやればいい。 さっさと、ここから出て行け」 玲奈は動けず、その場で硬直していた。 俺は彼女の腕を掴み、無理やり玄関へ引っ張ろうとする。 すると彼女は激しく抵抗し始めた。 「妊娠なんてしてない!本当に妊娠なんてしてないの!陸斗、お願い、信じて!」 俺が無反応でいると、玲奈はついに錯乱したように、自分の腹を何度も叩き始めた。 「ほら見てよ!これで証明できるでしょ!本当に妊娠なんてしてない!」 その姿を見ても、俺はただ冷めた目を向けるだけだった。 「そのへたくそな演技、見てて呆れるよ。とっとと帰って、胎教でも頑張れ。俺は付き合わない」 そう言って、俺は彼女を玄関の外へ押し出した。 玲奈は顔を真っ赤にして怒りをぶつけてきた。 「神崎陸斗、あんた絶対に後悔するから!」 俺は扉を閉めながら短く返した。 「心配無用。絶対に後悔なんかしない」 それ以上彼女に言葉をかける気も起きず、扉をきっぱりと閉めた。 その夜、見知らぬ番号から電話がかかってきた。 通話ボタンを押すと、聞き覚えのある声が響く。 「もしもし、神崎さん。今日はお世話になりました。月白です。玲奈から、あなたが彼女の彼氏だって聞いて、本当に驚きましたよ。まさか今日のカメラマンがあなたとは――偶然ってすごいですね」 芝居がかった調子の話し方からして、玲奈が今光翔のところにいるのだろう。 彼は続ける。 「玲奈がね、神崎さんがちょっと誤解してるって言うから、俺が代わりに説明しようと思って。俺と
家に戻り、リビングのソファに腰を下ろした。 狭い部屋の中、50平米もないこの空間には、壁一面に玲奈の写真が飾られている。 笑顔の写真、泣いている写真、怒っている写真、静かに佇む写真。 そのすべてが、俺が撮ったものだ。 本当なら、今日はここで玲奈にプロポーズをするつもりだった。 俺たちが出会ったのは大学時代。 当時の俺はプロのカメラマンを目指していて、よく友人たちを誘って写真の練習をしていた。 だけど、彼らからよく言われていたのは「君の写真は悪くないけど、何かが足りない。魂がない」 それが変わったのは、玲奈と出会ったときだ。 初めて彼女を見た瞬間、俺の心はあっという間に引き込まれた。 湖のほとりで静かに本を読んでいる彼女。微風にそよぐ髪、優しく降り注ぐ日差し――すべてが完璧だった。 まるで誘われるように俺はカメラを構え、ファインダー越しに彼女を見たとき、胸が高鳴るのを感じた。 「俺は見つけたんだ……人生で最も撮りたい被写体を」 ドキドキしながら、彼女のもとへ歩み寄り、そっとその写真を見せた。怒られるのではないかと覚悟していたのに、玲奈は驚くほど優しく微笑んでこう言った。 「これは私が今まで撮られた中で、一番きれいな写真だと思う」 その日から、玲奈は俺の専属モデルになった。 周りの友人たちは、「最近の写真、どれも愛に溢れてるね」と冷やかしてきた。 やがて俺も自分の心に素直になり、玲奈に告白した。 彼女は一瞬も迷わずに応えてくれて、こう言ったんだ。 「私のことを、ずっとカメラで見守ってね。私の一番美しい瞬間を、全部撮っておいてほしいの」 大学時代の恋愛は、そんな風に純粋で真っ直ぐだった。 だけど、人は変わるものだ。 大学を卒業してから、俺のカメラマンとしての道は順調とは言えなかった。 俺は風景写真にこだわり、玲奈以外の人物を撮る気にはなれなかったからだ。 最初は彼女も応援してくれていたが、やがて収入が安定しない俺に苛立ち始めた。 ある日、いつものように彼女を撮ろうとカメラを構えた俺に、彼女は突然怒りを爆発させた。 「毎日毎日、写真ばっかり!何も結果を出してないくせに、ただ邪魔なだけ!」 そう叫ぶと、彼女は俺のカメラを奪い、床に叩きつけた。 割れたレンズを見つめる
スタジオに戻ると、玲奈が床に寝そべり、光翔を見つめていた。視線はとろけるように甘く、光翔の手は彼女の体を軽く弄ぶように動いている。 最後には、玲奈を妖艶なポーズに整えて、彼は満足そうに微笑んだ。 「玲奈、君は最高に美しいよ。本当に君が妊娠してたらもっと素晴らしいのにな」 玲奈は大胆に言い返す。 「それは今夜のあなた次第でしょ」 彼女が投げた媚びるような視線に、光翔は一気に興奮した様子を見せる。 二人は撮影スタジオの中で完全に周りを気にせず、今にも実演を始めそうな雰囲気だった。 ――ならば俺は、その「最高の監督」を務めてやろう。 俺は冷静に指示を出した。 「いいですね。奥様と旦那様、感情がとてもいい感じです。このまま撮りましょう。 奥様、指で旦那様を誘うような仕草をしてみてください。旦那様、今度は奥様の上に体を乗せるようにして、熱い視線を向けてください」 光翔は俺の言葉通り、玲奈に覆いかぶさるように半身を倒した。 だが、玲奈はさっきまでの余裕たっぷりの様子とは違い、ぎこちなさを見せ始める。 プロのカメラマンとして、その不自然さを見逃すわけにはいかない。 俺は穏やかな声で促した。 「奥様、リラックスして。いつも家でしているような感じで構いませんよ。普段の仲睦まじさを、そのまま見せてください」 玲奈は硬直した体のまま、信じられないものを見るような目で俺を見つめた。 俺はあくまで普通のクライアントに接するような表情で、光翔に向かって笑いながら言った。 「では、旦那様、奥様をリラックスさせるために軽くキスをどうぞ」 光翔は笑顔を浮かべ、優しい声で言う。 「玲奈、カメラの前だと緊張してる?大丈夫だよ。普段みたいにすればいいんだ。いつも家で撮るときと同じようにね」 声を潜めたその言葉も、広いスタジオに響き渡り、俺にはすべて聞こえていた。 冷え切った視線で玲奈を見つめる俺に気づくことはなく、光翔の唇は彼女に近づいていく。 だが、玲奈は突然、何か恐ろしいものでも見たかのように彼を押しのけた。 彼女の視線が不安そうに俺をうかがう。 それに対して俺は、平然とした顔で尋ねた。 「奥様、撮影はもうやめますか?」 玲奈は緊張した表情を崩さずに、口を開く。 「なんで怒らないの……?」
しばらくして、玲奈が着替えから戻ってきた。彼女が身にまとっていたのは、ビキニだった。 偽物のお腹をつけていても、彼女の美しいスタイルは何一つ損なわれていない。 光翔の視線は、最初から最後まで彼女の体から離れなかった。 「玲奈、君は本当に綺麗だな。ほら見ろ、俺が言った通りだ。この水着、絶対似合うって。君は間違いなく一番美しい妊婦だよ」 玲奈は頬を赤らめて、ふざけたように言う。 「気に入ったならよかったわ。またいくつか買って帰るから、家でも着てあげる」 俺は横で無言のまま照明をセッティングしていたが、手が思わず止まった。 彼女は俺の前では、いつも控えめな服装をしていた。 足首まで隠れるような長いスカートばかり選び、たとえ夏でもしっかり全身を覆い隠していた。 肌どころか、顔も帽子やマスクで隠していた。 俺はそれを、彼女が美意識を持ち、自分のスタイルを大切にしているのだと思っていた。 だが今になって分かった。玲奈は俺に自分の体を見せたくなかったのだ。一寸たりとも。 思わず彼女を見上げてしまった俺に、彼女は驚いたように防御の態勢を取った。 慌てて上着を羽織り、光翔の後ろに隠れながら警戒心むき出しの声を上げる。 「あんた、勝手に見るんじゃないわよ!訴えるわよ」 光翔は彼女の頭を優しく撫でながら、穏やかな声でなだめた。 「いいんだよ。カメラマンがわざとやったわけじゃない。君が綺麗すぎるから、男なら誰だって目が行ってしまう」 「でもダメなの!私は光翔にしか見せたくないの!」 たった数言で、玲奈はまた光翔に甘える優しい顔に戻っていた。 その変わり身の速さを、俺はただ黙って見ているしかなかった。 俺は道具を取りに外へ出た。 すると、玲奈が追いかけてきた。 彼女は俺を物置部屋へと引っ張り込み、声を押し殺して言う。 「神崎陸斗、あんた、いつまでちんたらやってんの?もし撮れないなら、さっさと他の人に代わりなさいよ。私たちの時間を無駄にしないで」 俺は眉を寄せ、静かに言った。 「やっと俺が誰か分かったのか?何か説明する気はないのか?」 すると彼女は逆にイライラした様子で答えた。 「説明って何?ただの妊婦写真を撮ってるだけでしょ?あんた、仕事ばかりで私に構う暇なんてなかったじゃない。それく
今日は俺の彼女、玲奈の誕生日だ。ここ一年、俺は仕事に追われる日々を送っていて、撮影依頼を毎日こなすうちに、彼女に構う時間がほとんど取れなかった。だけど、次の妊婦写真の撮影を終えれば、結婚に必要な資金がついに揃う。今日はそのことを伝えたくて、彼女にサプライズをしようと考えていた。スタジオの扉を開けようとしたそのときだった。中から聞こえてきた彼女の声に、俺は足を止める。「彼、いつも仕事で忙しいんです。だから、今日は私がサプライズをしようと思って。大切な人と一緒に、最高に幸せな写真を残したいんです」俺はその言葉に胸を高鳴らせた。まさか、彼女も俺を驚かせようとしているのか?その思いに応えるため、喜びを抑えながら部屋に飛び込んだ。けれど、そこにあったのはサプライズではなく――冷たく突きつけられる現実だった。彼女は、見知らぬ男の腕に抱かれながら、恥ずかしそうに微笑んでいた。「彼には、今日は誕生日記念の写真だって伝えてあります。本当は妊婦写真を撮るためなんですけどね。父親として、夫としての気持ちを先に少しだけ味わってもらいたくて」その男は「仕方ないな」と言うように微笑みながら、玲奈の鼻を軽くつついた。「今日は君の誕生日だろう?君が主役なんだから、俺は君と一緒にいられるだけで幸せだよ」二人は見つめ合い、微笑み合う。その光景は、これまで俺が撮影してきた数え切れないカップルたちと同じだった。 俺はドアの前に立ち尽くし、胸が切り裂かれるような痛みを感じていた。 同僚は感慨深げに言った。 「本当に仲がいいよな。安心しろよ、神崎さんは、こういうラブラブな新婚夫婦の写真を撮るのが一番得意だからさ」 そうだな。もしこの女が俺の彼女じゃなかったら、俺だってきっともっと気楽に、心からこの撮影に集中できただろう。 でも、彼女は俺が体を酷使してまで働き、何とかして貯めた二千万円の結婚資金で、迎え入れようとした女性なんだ。 ドアの前で呆然とし、手は握りしめすぎて真っ白になり、体がまったく動けなくなった。 そんな私を見つけた同僚が、彼女には何も知られないままこう声をかけた。「神崎さん、早く来て!お客さんが来てるよ!」同僚はさらに、彼女たちにこう紹介した。「この人が、うちで一番腕のいいカメラマン、神崎陸斗(かんざき