親房夕美はこれまで、どんな大きな過ちを犯しても、必ず責任逃れをし、自分は無実だと言い張るか、やむを得なかったと言い訳をしてきた。しかし今回ばかりは、三姫子の言葉に反論せず、ただ止めどなく流れる涙を拭うばかりであった。三姫子は彼女を見つめながら、ため息をついた。この将軍家では、北條正樹はすでに官位を失い、妻も亡くなり、一日中部屋に引きこもったきりだ。北條森は才覚のない男で、武芸も学問もものにならず、期待などできなかった。次男家は関与しないと言い切り、本当に手を引いてしまい、むしろ塀を築き始め、将軍家を二分しようとしていた。結局、北條守だけが頼りになった。特別訓練の合間を縫って家に戻り、夕美の世話をし、家政の采配を取る。帳簿を確認してみれば、将軍家が本当に極貧状態であることが分かった。二時間ほど経った頃、孫橋ばあやが二百両を三姫子の元へ急いで届けに来た。息を切らし、足取りも慌ただしく、明らかに屋敷外から駆けつけてきた様子であった。三姫子はお紅からいろいろと事情を聞いた。美奈子が老夫人に装飾品を質に入れるよう頼んだものの、老夫人は断固として拒否し、そのことで美奈子を叱責したという。しかし今や自身の病の治療費用のため、老夫人は仕方なく装飾品を質入れすることにしたのだ。三姫子は足を運ぶことにしたものの、実のところ徒労に終わるとわかっていた。そのため、証人として孫橋ばあやを連れて行き、彼女には頭巾を被らせることにした。薬王堂に着くと、雪心丸を求めて身分を明かした。初めての来客ということで、医師が応対に出てきた。「お宅様のどなたが心の症でお困りなのでしょうか?雪心丸は丹治先生が直々に診察し、処方せねばなりません。西平大名夫人様、しばらくお待ちいただければ、丹治先生をお呼びして、西平大名邸まで同行させていただきますが」三姫子は言った。「まあ、そこまでご面倒なのですか?診察の結果、心の症でないと雪心丸はお買い求めできないということでしょうか?」「はい、その通りでございます。雪心丸は数に限りがございまして、本当に必要とされる方にお渡しするため、このような手順を取らせていただいております」当直の医師はそう答えた。三姫子は頷いて、「分かりました。では改めて日を改めて参りますわ」礼を言って孫橋ばあやと共に薬王堂を後にした。だが、店の丁稚
北條守は思い切った措置として、かなりの数の下働きを手放すことを決めた。将軍家はもはや持ちこたえられる状況ではなかった。兄は官位を失い、次男家は分家し、自身の復職もいつになるか分からない。収入が途絶えた今、支出を抑えるしかなかった。通常、貴族や勲功家の邸では下働きを手放すようなことはしない。屋敷内には人に知られたくない様々な秘事があり、下働きが良家に仕え直すならまだしも、そうでない場合は恨みを抱いて、内々の醜聞を暴露しかねないからだ。そのため、名家ではこのような行為を最も忌み嫌った。だが今や、将軍家に隠し立てすることなど残っているのだろうか。北條守はもはや気にかけなかった。最も酷い呪詛の言葉が日々民衆の口の端に上っている今、何を恐れることがあろう。家政を任されて初めて、米の貴さを知る。北條守は今、美奈子の立場が痛いほど分かった。まるで自分が美奈子になったかのようだった。今の彼の親房夕美に対する感情は複雑を極めていた。子を失った彼女を心配する一方で、美奈子との諍いに苛立ちも覚えていた。流産の件について問いただしたい気持ちはあったが、このような時期に傷口を広げては彼女を更に苦しめることになると懸念し、問うのを控えた。老夫人の容態は日に日に悪化し、医師の診立てでは年を越すことは難しく、もはや時間の問題だという。北條守は北條涼子に使いを立て、母の見舞いを促したが、彼女は戻ってこなかった。美奈子が亡くなった時も同様だった。縁起でもないと言って、今や将軍家が非難の的となっているこの混乱に巻き込まれるのを避けたのだ。北條老夫人の傍らには今や孫橋ばあや以外誰もおらず、まさに四面楚歌の有様だった。死と絶望は金箍のごとく、彼女の心を死への恐怖に縛り付けていた。冬至の日、一家団欒の食事もままならず、北條老夫人はもはや病床から起き上がることもできなかった。老夫人は孫橋ばあやの手を握りしめ、涙ながらに言った。「北冥親王邸へ行って、上原さくらを呼んでおくれ。私から話があるのだと」孫橋ばあやはため息をつきながら答えた。「老夫人様、王妃様はお見えにはならないかと......」「私が間違っていたと伝えておくれ......」老夫人は虚ろな目で、痩せこけて窪んだ顔はより一層酷薄に見えた。「私が、間違っていたと......」床際に座った孫橋ばあやは涙を
清家本宗は声を荒げた。「たわけた話だ。拙者が男であることは明らかだが、男というものは、好き勝手が許され、正妻に側室と好きなだけ女を囲うことも許され、子なければ養子を迎え、重病に伏せば妻に看病させる。男がこれほど我が儘放題に振る舞っても天下は乱れぬというのに、どうして離縁された女が一つの住み処を得ることが、乱れの元になるというのか」「女に一筋の活路を与えることを、そなたたちは何故これほど恐れる?誰もが望んで選ぶ道ではない。追い詰められての末路だ。まさか、皆でそこまで追い込もうというのではあるまいな?もしそうでないのなら、何を恐れる理由があろう?」清家本宗の発言には明確な意図があった。妻からの指示通り、親王様への全面的な支持を示すためだった。さくらも朝議の場で耳を傾けていたが、女性という立場上、発言は控えていた。女性の代弁者として発言すれば、より激しい反発を招くことは明らかだった。利害関係が立場を決めるのだから。たとえ弁舌さわやかであっても、一人では彼らの舌鋒に太刀打ちできまい。そこで彼女は待っていた。陛下からの言葉を待っていたのだ。案の定、影森玄武と清家本宗、そして群臣たちの議論が白熱する中、天皇が一度咳払いをし、さくらに目を向けた。「上原卿、そなたの意見を聞かせてもらいたい」さくらは、まるで突然名指しされたかのように、衆人の視線を集めながら、とぼけた表情を浮かべた。だが、すぐさま表情を引き締め、一歩前に出て、拝礼しながら答えた。「陛下にお答え申し上げます。私には格別な見識などございませんが、一人の女として、また、かつて離縁を経験した身として、些細な思うところを申し上げても良ろしいでしょうか。諸公にもお聞き入れいただけますでしょうか」おや、これは興味深い話になってきた。彼女の離縁の一件は誰もが知りたがっていた事柄だ。そのため、それまでの議論は一斉に止み、皆が彼女の言葉に耳を傾けた。さくらを敬愛する者たちは、胸が締め付けられる思いだった。さくら様が自ら心の傷を開こうとしているのだから。天皇の眼差しが柔らかくなった。「申せ」「女が嫁ぐということは、いわば第二の人生の始まりでございます。必ずしも豪奢な暮らしを望むわけではなく、夫の家と苦楽を共にし、運命を共にする覚悟でございます。ただし、夫の家が私どもを他所者として扱い、虐げ、
さくらの声は大きすぎず小さすぎず、大広間の隅々まで届いた。「美奈子様のご逝去を、取るに足らぬことと思われる方もいらっしゃるでしょう。ですが、もしそれが皆様の姉妹や娘、親族であったなら?少しは心に響くものがございませんか?この殿にお集まりの方々は、皆、聖賢の書を読み、老いたる者や弱き者を憐れむ心をお持ちのはず。多くの女が離縁される理由は、重病や子を授からぬこと。本来、それは罪などではないはずです」さくらは物憂げにため息をつき、「女の命も、また命なのです。まさか、この世は彼女たちを根絶やしにせよとおっしゃるのでしょうか」「もしそれが皆様のご姉妹や娘、親族であったなら」という言葉に、多くの者は内心で舌打ちした。しかし「聖賢の書を読み、老いたる者や弱き者を憐れむ」という一言が、彼らの首に道徳の枷をはめた。これではもはや、どう反論すればよいというのか。反論すれば、彼らこそが非情な人間となり、女たちを根絶やしにしようとする者と映るではないか。これが男の口から出た言葉なら、まだ反論もしやすかっただろう。しかし、これは女の言葉。広間に女はさくら一人。しかも陛下の命で意見を述べたのだ。女たちへの深い悲しみと共感に満ちたその言葉に、どう反論できよう。反論すれば、それは彼女を虐げることにならないか。これほど大勢の官僚が、たった一人の女官を虐げるというのか。面目もないではないか。しかも彼女は自ら進んで喋り出したわけではない。陛下のお召しによる意見陳述なのだ。かくして広間は静まり返った。不服の色を浮かべながらも、もはやさくらに反論する者はいなかった。清和天皇はここぞとばかりに、時機の熟したのを悟った。もはやこの件を引き延ばす必要もない。あらゆる観点から見ても、これは必要なことだった。大燕国に先例があるのに、我が大和国が後れを取るわけにはいかない。「反対する者もいないようだな。ならば試しに始めることとしよう。朝廷からの出資はないが、刺繍工房は官の監督下に置かれる。女たちを売り飛ばしたり、虐げたりすることは許さん。彼女たちの稼ぎは彼女たちのものだ。もし北冥親王家がこれらの女たちを私利私欲のために利用し、金を稼がせようとしているのが発覚すれば、朕が真っ先に容赦せぬぞ」玄武は片膝をつき、「陛下の御仁徳、まことにありがたき幸せ。臣、深く恩賜を賜り感謝申し上げます
翌日、夫婦で出かける前に、玄武はわざとらしく沢村紫乃に一緒に行かないかと声をかけた。紫乃は不思議そうな目で彼を見た。昨夜、さくらと二人きりで遊びに行くと言っていたではないか。尾張拓磨すら連れていかないと言っていたのに、今さら誘うなんて、ちょっとばかり芝居がかっているのではないだろうか。もっとも、誘われなくても行くつもりはなかった。暇を見つけては刺繍工房の工事の様子を見に行かねばならないし、現場を見守るのは間違いではない。それに、刺繍工房の監督が必要なければ、皇太妃様とお茶を飲みに行ったり、食べ歩きをしたりすればいい。都景楼や金鳳屋だって、素敵な場所ではないか。寒空の下、山に登って冷たい風に肌を切られでもしたら、どれほど楽しいものか分かるだろう。都景楼では、玄武がいくつか料理を注文した。真鯛の蒸し物、豚の角煮、ふかひれの上湯煮込み、菊花模様の豚ひれ肉の炒め物、帆立と青菜と豆腐の煮込み汁、それに海老の醤油煮も追加した。どれも基本的な料理で、特別な高級料理というわけではない。しかし都景楼は、そんな基本的な料理を極限まで美味しく仕上げることで知られていた。これから山に登ることもあり、寒い天気なので、燗酒も一本注文した。さくらは彼の好きにさせておいた。今日は全て彼に任せ、自分は普段以上に端麗な彼の姿を眺めることに専念した。白狐の大衣は脇の衣架に掛けられ、個室には炭火が焚かれ、心地よい暖かさに包まれていた。湖水色の佐賀錦には雲文様と波涛文様が織り込まれ、立襟に細身の袖、冠には翡翠の簪を差している。以前の小麦色の肌も今では随分白くなり、全体的に文官のような優雅な気品を漂わせていた。ただ、鋭い眉が鬢に連なる様だけが武将らしい凛々しさを残していた。さくらは突然、戦場で初めて彼に会った時のことを思い出した。まるで野人のように、顔中に乱れた髭を生やし、作戦を協議する際、何度も彼の髭に目が行き、あの髭はある長さまで伸びると枝分かれするのだろうかと考えていた。思わず吹き出し、「今のあなたと邪馬台で見たあなたが同じ人だなんて、本当に信じられないわ」「あの時の方が良かったんだ」と玄武は言った。「男はあれくらいでないと様にならない」「どちらも素敵よ。今のこの姿も素敵」さくらは手を伸ばして彼の頬に触れ、指先でそっと撫でた。かつての荒々しい感触は
山を登れば登るほど、玄武は何かがおかしいと感じ始めた。天方十一郎が語った花々の咲き乱れる様子も、流れ落ちる滝もなく、ただ裸の木々と一面の銀世界が広がっているだけだった。この時期、滝も渓流も姿を消し、初冬から続く旱魃の影響が色濃く残っていた。雪景色が美しくないわけではない。ただ、辺境の地で過ごした時間が長かったせいか、雪景色にも少々飽きていた。もし渓流や滝があり、雪景色に溶け込み、高山に咲く冬の花々と調和していれば、それは別格の景色になっただろう。だが問題は、この山には冬に咲く花が一つもないことだった。笑ってしまうほどで、梅の木一本すら見当たらない。しかし、金万山の北斜面は急な傾斜が一面に広がり、雪に覆われ、障害物もない。そこなら雪滑りができそうだった。そこで玄武は計画を変更し、さくらと共に軽身功を使いながら駆け足で、北側へと横断した。山頂に着くと、玄武は息を整えながら興奮した様子でさくらに言った。「ここの景色も素晴らしいだろう?夕陽を待って、それを見てから雪滑りで降りようよ。すっごく楽しいはずだ」さくらは目を上げ、小さく頷いた。視界いっぱいに広がる純白の雪と、むき出しの枝だけの木々。確かに、壮大で寂寥感のある独特の美しさがあった。もう少し寒くなければ、だが。北風が刃物のように頬を切り裂き、耳は凍えそうなほどだった。外套の頭巾を被っていても、風は容赦なく中に吹き込んでくる。それでもさくらは微笑みながら言った。「いいわ、ここで夕陽を待ちましょう」師弟が珍しく風流な気分になっているのだから、その気持ちに寄り添い、喜ばせてあげたかった。今はおよそ申の刻。日没まで少なくとも一時間以上待たねばならない。それも、見られればの話だ。今の空は鉛色に沈んでいた。さくらは端麗な師弟を一瞥した。よし、命は預けたわ。ただ、雪滑りの話は冗談に違いないと思っていた。山の傾斜はかなり急だ。雪滑りには板が必要なはずだが、玄武は地形を確認し、雪面を踏み固めながら、外套を敷いて加速をつければ滑り降りられると考えた。邪馬台でもよくやったことだ。二人は山頂の雪の上に腰を下ろし、玄武はさくらを抱き寄せた。寄り添って温もりを分け合うためだ。寒さと強風のせいで、景色の美しさも温かな気持ちも感じられず、内力のすべてを寒さをしのぐことに費やしていた。
まったく、腹立たしくも可笑しくもあった。さくらは足を引きずる玄武を支えながら、ゆっくりと山を下りていった。簪は失くし、髪は乱れ、雪に触れて濡れた髪が風で片側に吹かれ、大きな塊となって凍り立っている様は、まるで妖怪のようだった。顔は青あざに紫あざ、そして赤い擦り傷が混じり、幸い傷は浅く細かいものばかりで、寒さのおかげですぐに出血も止まった。額には鵞卵大の腫れが出来ており、見ていると可哀想でありながらも可笑しかった。武芸も、戦も、官吏の仕事も得意な彼なのに、遊びとなるとこれほど不器用とは。あまりに突っ走りすぎた。雪滑りなど、こんなやり方があるものか。世の人は皆、山を侮るなかれ、水を侮るなかれと知っている。ただ水の方が危険とされるがために、山を軽んじてよいという訳ではない。特に普段は雪に覆われず、厳冬の時だけ雪を纏う山は要注意だ。雪の下に潜む岩々が甘く見られようか。この地形は邪馬台とは違う。それに、戦の時のように鎧も身につけていない。玄武は極度に面目を失っていた。まさか、ただの雪滑りでこれほどの失態を演じることになろうとは。せっかくの休暇に二人で出かけ、共に過ごす時間を大切にして、年老いてから共に懐かしむような思い出を作ろうと思ったのに......ああ、確かにこれは忘れられない思い出になった。きっとさくらは一生この日のことを忘れないだろう。「足が痛むのでしょう?」さくらは、彼の足取りが次第に悪くなるのを見て尋ねた。「大丈夫だ」玄武は顔を背けながら言った。「実は支えなくても、自分で歩ける。お前にこうして支えられていると、まるで不具者のようじゃないか」さくらは手を離さず、甘えるような口調で言った。「いいえ、こうしてあなたにすがって歩きたいの」以前なら、玄武はさぞ喜んだことだろう。だが今は気力が萎え、惨めさは極限に達していた。足の痛みは耐え難く、おそらく骨にひびが入ったのだろう。でなければ、これほどの痛みはないはずだ。さくらに支えられて歩くと、少し力を借りられて楽になった。あの瞬間、なぜ両手で体勢を整えて飛び上がることができなかったのだろう。誇りにしていた軽身功を、どうして使えなかったのか。不測の事態に陥った時、まず頭に浮かんだのは、さくらに笑われるということ。その一瞬の遅れが、あの転がり落ちる結果を招いた
有田先生に中庭の掃除を言い渡された拓磨が去った後、薬王堂から藍雀がやって来た。藍雀は丹治先生の六番目の弟子で、若くして医術に秀でていた。普段は薬王堂で診療に当たり、往診することは稀だった。今日の親王様の怪我に際し、丹治先生が特別に彼を寄越したのは、頭から足まで隈なく診察し、急所に怪我がないか確認するためだった。まだ若く子宝にも恵まれず、あの薬まで服用している身だ。丹治先生が心配するのも無理はない。恵子皇太妃と沢村紫乃が街歩きから戻ると、玄武が怪我をしたと聞いて、皇太妃は慌てて駆けつけた。藍雀が治療を施している傍らで、さくらが付き添っていた。皇太妃の姿を見るや、さくらは深々と礼をして「お義母様」と挨拶した。皇太妃は軽く頷き、すぐさま息子を探す目を向けた。帰府後まだ髪を整える暇もなく、逆立ったままの髪。青や紫のあざだらけの顔に、鵞卵大に腫れ上がった額。皇太妃は心配しながらも思わず笑みを漏らした。「まあ......一体どうしてこんな恰好に?山で雪見をすると言っていたではないの?」「お義母様、親王様が少々転んでしまいまして」とさくらは静かに答えた。「そう」皇太妃は息子の顔をもう一度見つめ、「随分とひどい転び方のようね」紫乃は部屋には入らなかった。有田先生が足の怪我を診る必要があると告げたからだ。袴を捲り上げねばならないとなれば、さくらの夫の素足など見るべきではない。「どうして府医を呼ばなかったの?」と皇太妃が尋ねた。「府医は本日外出しておりまして」とさくらは答えた。「そうね、やはり府医は二人は置いておくべきね」皇太妃は息子の腫れた足を見つめた。若い医師が包帯を巻いて固定している。「怪我の具合はどうなの?」「はい、皇太妃様。親王様は脛骨に亀裂が入っておりますが、大事には至りません。薬を塗り、十日ほど固定すれば概ね回復いたします。他は皮膚の怪我ですので、数日で治るでしょう。ただ、怪我をした足は当分水に触れぬようお気をつけください」と藍雀が答えた。さくらは感謝の思いを込めて、「承知いたしました。藍雀、ご親切に感謝いたします」と言った。藍雀は軽く頷き、小声で告げた。「王妃様、ご安心ください。先ほど親王様の脈を診させていただきましたが、他の箇所に異常は見られません」「他の箇所?」さくらは一瞬意味が分からず、「脈を診て確認する
一同、言葉を失った。平安京の新帝が即位後、必ず鹿背田城の件を追及するだろうとは予想していた。だが、玉座にも温もりが残っていない即位直後から、早くもこの件に着手し、スーランジーを投獄するとは誰も思っていなかった。スーランジーは先の暗殺未遂から命こそ取り留めたものの、まだ完治してはいないはずだ。今この状態で獄に下れば、果たして生き延びられるのだろうか。長い沈黙を破ったのは玄武だった。「平安京新帝の次なる一手は、おそらく大和国との直接対決だろう。鹿背田城の件で」「間違いありませんな」有田先生が頷いた。さくらは玄武に尋ねた。「五島三郎と五郎は、平安京に潜入できた?」二人は七瀬四郎偵察隊の隊員で、茨城県の出身だった。本来なら褒賞の後は故郷に戻るはずだったが、さらなる朝廷への奉仕を志願。帰郷して家族に会った後、すぐに平安京へ向かっていた。「ああ、すでに平安京の都城内に潜伏して、足場も固めている」「二人以外には?」「十三名だ。佐藤八郎殿がすでに潜入させた部隊と合わせると、四、五十名になるな」佐藤八郎は佐藤大将の養子で、ずっと関ヶ原で父に従っていた。現在、佐藤大将の膝下には、片腕を失った三男と八男、それに甥の佐藤六郎がいるのみだった。六郎の父は佐藤大将の異母弟で、双葉郡の知事として十年を過ごし、未だ京への異動はない。家族全員を双葉郡に移している。そのため、佐藤家の京での親戚といえば、上原家と淡嶋親王妃以外にはいなかった。さくらの不安げな表情を見て、玄武は優しく声をかけた。「心配するな。私たちはずっと前からこの事態に備えてきた。もし陛下が外祖父を京に呼び出して問責するようなことがあっても、役所筋にはほぼ手を回してある。不当な罪に問われることはないはずだ」「うん」さくらは動揺を隠せなかったが、それが何の助けにもならないことは分かっていた。冷静にならなければ。深く息を吸い込んで考える。この時期に陛下が御前侍衛を独立させるということは、親衛隊を組織する腹づもりなのだろう。そうなれば、この案件は刑部ではなく、親衛隊が扱うことになるかもしれない。衛士さえも信用できないのだ。衛士は陛下にとって外部の存在で、掌握が難しい。より小さな範囲で、絶対的な忠誠を持つ者たちだけを集めたいのだろう。「御前侍衛を独立させるってことは、外祖父の件
睦月明けの発表というのは、新たな御前侍衛副将が任命されるか、あるいは北條守の服喪問題が自然解消されるか、どちらかということだろう。さくらが退出した後、清和天皇は北條守の休暇願をしばし見つめ、再び御案の前に投げ出すと、吉田内侍に問いかけた。「北條守の服喪、許すべきか否か、そなたの考えは如何?」「陛下」吉田内侍は深々と腰を折った。「朝廷の人事に関わることでございます。老僕如きが口を挟むべきことではございません」「確かに朝廷の人事ではあるが、朕の側近たる御前侍衛の件。遠慮なく申すがよい」吉田内侍はしばし逡巡した後、首を振った。「老僕には分かりかねます」「本当に分からぬのか」天皇の眼差しが鋭く冴えた。「それとも、申すに躊躇うのか」長年天皇に仕えてきた吉田内侍は、その性格をよく理解していた。もし通常の官僚で、起用してもしなくても良いような者なら、この休暇願はとうに認められていたはず。王妃にあれほどの言葉を費やすこともなかっただろう。天皇は北條守を重用したい。その決定に賛同する者を求めているのだ。しかし吉田内侍には、良心に反して北條守を推挙することなどできなかった。たとえ自分の意見が取るに足らず、陛下の決定を左右できないとしても、その言葉を口にすることはできなかった。「吉田内侍、朕はそなたを重用してきたが、どうやらそなたの心は上原家にあるようだな」清和天皇の声は穏やかであったが、その言葉に吉田内侍は背筋を凍らせた。「陛下、老僕が上原家などに――そのようなことは決してございません。陛下への忠誠は揺るぎのないものでございます」吉田内侍は慌てて跪いた。「上原夫人にそなたの命を救われたことは確かに忘れてはならぬ」天皇は冷ややかに告げた。「だが、己の立場もわきまえておくべきではないか」吉田内侍の胸中は大波のように激しく揺れた。なぜ陛下がこの古い話をご存知なのか?もしや、自分のことを調べさせていたのだろうか?「立て」天皇の声は相変わらず冷淡だった。「そなたが北條守を快く思わぬのは、さくらを裏切った男だからであろう」恩命に従って立ち上がった吉田内侍の顔は土気色となっていた。「確かに老僕は上原夫人の恩を忘れぬがために、北條守に良い感情を持てずにおります。それゆえ、偏った考えで陛下のご判断に影響を及ぼすことを恐れ、意見を申し上げることを
その後二、三日は、さくらも客人との付き合いに時間を割く余裕がなかった。玄甲軍の指揮を完全に委譲するわけにもいかず、禁衛府にも戻らねばならなかった。玄武は有田先生と共に女学校の建設予定地を視察した。修繕箇所が多く、拡張工事も必要で、寒さも厳しい。年の変わり目と重なり、工事の進捗は遅れ気味だった。ただ、幸いにも資金は十分で、それさえあれば何とでもなった。年明け八日の朝廷で、北條守は上官であるさくらに母の喪に服するための休暇願を提出。さくらはそれを清和天皇の御前に届けた。天皇は一瞥すると、さくらに問いかけた。「そなたの考えは?」さくらは一瞬戸惑った。自分の考え?「陛下のお尋ねの趣旨を承知いたしかねますが」「武将の喪中休暇については、律に定めがあろう」天皇は言った。さくらは承知していた。だが、それは辺境守備の武将に対する規定であり、北條守は京に在る武官である。とはいえ、天皇の口吻からすると、北條守の休暇を認めるつもりはないということか。「すべて陛下のお心のままに」さくらは慎重に言葉を選んだ。もし北條守の休暇を否定すれば、それは母への孝を欠くことを強いるに等しい。かといって休暇を進言するにしても......天皇がここまで明確な意図を示されている以上、そのような発言は許されるはずもなかった。清和天皇は、さくらがあっさりと判断を委ねたことに微笑を浮かべた。「しばらく置くとしよう。どうせ今は特別訓練中だ。訓練は続行させ、休暇の件は後日改めて検討することとする」「御意に従います。これにて退出させていただきます」「上原卿」天皇はさくらを呼び止め、手で制して着座を促した。「少々話があるのだが」「上原卿」と呼ばれた以上、これは君臣の対話である。さくらは恭しく会釈して下がり、座に着いた。「何なりとお申し付けください」「玄甲軍には御城番、衛士、禁衛府がある。御城番一つを取っても、無為の勲貴の子息らが少なからずおるな。日を送るだけの者も、能無しの上に物分かりの悪い輩もおる。そのような者どもの統制は、さぞ骨が折れることであろう」遠回しな物言いではあったが、さくらには真意が読み取れた。天皇は御城番、衛士、禁衛府に言及しながら、御前侍衛には一切触れなかったのだ。己の立場を弁えているさくらは、天皇の意を汲んで応じることにした。「御慧
紫乃は当初、弟子たちに対して打ち解けた雰囲気で接するつもりだった。お正月のことだし、師としての威厳なんて振りかざす必要はないだろうと思っていたのだ。しかし、三組の夫婦があまりにも恭しく接し、特に村松の妻は下女から茶を受け取ると自ら紫乃に献じ、他の二人の妻も姑に仕えるかのように傍らに控えていた。これでは否が応でも師としての威厳を保たねばならなくなった。だが心の中では首を傾げていた。こんなに気を遣う必要があるのだろうか?赤炎宗にいた頃、自分は師匠にこれほど丁重には仕えていなかった。むしろ、師匠の方が自分を可愛がってくれていたような気がする。お茶の用意など、入門したての弟子の仕事であって、自分のような先輩弟子の務めではなかったはずだ。そもそも、自分が入門した時もこんな風ではなかった。そう思うと、紫乃は師匠に対して少々申し訳ない気持ちになった。実を言えば、少し師匠が恋しくもなっていた。翌日、棒太郎は大きな荷物を抱えて出発することになった。今回の梅月山行きには篭さんと石鎖さんも同行する。年の終わりだから、師匠のもとへ挨拶に行くのが当然だろう。二人の姉弟子は月謝を受け取ることを固辞したが、蘭は布地や女性の日用品、分厚い衣装など、たくさんの贈り物を用意していた。そのため、当初は馬で帰るつもりだったのが、二台の馬車に変更となった。馬車の中はぎっしりと詰まり、外にまでたくさんの荷物が吊り下げられていた。石鎖さんたちが銀子を受け取らないというので、さくらはその分を棒太郎に余計に渡した。彼は迷わず受け取った。前回、棒太郎が紅白粉を買って帰った時は師匠に叱られたが、今回も懲りずに買い込んでいた。彼なりの理由があった――女性には美しく装う権利がある。使うか使わないかは本人次第だが、選択肢として持っているべきだと。もし使いたい人がいれば?という考えだった。紫乃から「誰かが使えば師匠の叱責を受けることになるわよ」と言われても意に介さなかった。美しくなるためには代償が必要なのだ。叱られても構わない、叱られるなら綺麗な姿で叱られようじゃないか、と。一方、親王邸は相変わらず門前市をなしていた。毎日のように訪問の名刺や招待状が届いた。玄武は甥の立場として、京に滞在中の二人の叔父や、他の皇族の年長者たちへの挨拶回りも欠かせなかった。最初に湛輝親王を訪
三姫子の今回の来訪目的は明確だった。刺繍工房と女学校の件について探りを入れるためで、もし北冥親王家で本当に女学校を創設するのであれば、自分の娘のために入学枠を確保したいという魂胆だった。本来なら娘を同伴すべきところだったが、そうすれば目的があからさまになりすぎる。さくらに娘の入学を強要するような印象を与えかねず、却って良くない。そこで娘は連れてこず、まずは入学条件などを聞き出して、準備に取り掛かろうという算段だった。「どうぞ御遠慮なく。奥の間でゆっくりとお話いたしましょう」さくらは微笑みながら三姫子たちを案内し、まだ眠そうな顔をしている玄武を、あくびを連発する清家本宗と共に残していった。「あのー」清家本宗は口を押さえながら、またしてもあくびをかみ殺すように言った。「親王様のところで、横になりながら話せる場所とかございませんかな?」玄武は目を丸くして「......はぁ?」という表情を浮かべた。この年でまだ夜更かしとは。ふしだらな爺めが――伊織屋の立ち上げに紫乃が重要な役割を果たしていることを知っていた清家夫人は、「沢村お嬢様のお姿が見えませんが、伊織屋のことでご相談したいことがございまして」と尋ねた。さくらは紫乃のことを気遣い、もう少し休ませてあげたいと思ったものの、清家夫人から直接問われた以上、使いを立てて起こしてもらうしかなかった。清家夫人には周到な計画があった。伊織屋は工房として機能するものの、場所が辺鄙なため、手工芸品を販売するには別に店舗が必要だという。彼女は店舗を一軒提供し、そこで作品を専門的に販売する意向を示した。売り上げは全て刺繍工房のものとし、制作者それぞれに応じた配分を行うという提案だった。「店の賃料は頂戴いたしません。これも善行の一助とさせていただきたく」清家夫人は続けた。「販売員の丁稚の給金も、収益が出るまでは私が負担いたしましょう。収益が出始めましたら、その中から支払うという形では、いかがでございましょうか」紫乃は少し考えてから口を開いた。「とりあえずはそのような形で進めさせていただければと存じます。まだ刺繍工房に何人の方が集まるかも定かではございませんので。もし順調に運営できるようでしたら、彼女たちの中から話の上手な方を選んで販売を任せるのも一案かと。すでに自活の道を選ばれた方々なのですから、人前に出
書斎では、三人の男たちが一刻以上も話し合いを続けていた。もし本当に淡嶋親王が都にいないとすれば、行き先として三つの可能性があった。一つ目は関ヶ原。彼らはそこに回し者を潜入させているはずだ。二つ目は牟婁郡。私兵がそこに駐屯している。三つ目は都の外れにある駐屯地の衛所だ。おそらく淡嶋親王はこの数年、そこにも密かに手を回していたはずだった。どこに向かったにせよ、それは彼らが行動を起こすということを意味していた。しかし、これまで淡嶋親王は最も冷静さを保てる人物だと考えていた。なぜ今になって最初に動きを見せたのか。有田先生が言った。「恐らく背水の陣を敷いたのでしょう。結局、影森茨子はまだ生きている。怯えて暮らすくらいなら、一か八かに賭けてみようということかもしれません」「単なる捨て身の策とは思えん」玄武は首を振った。「これほど長く謀ってきた者たちだ。邪馬台の戦いの際が最善の好機だったはずだが、その時も兵を動かさなかった。今更、正面から謀反を起こすはずもない。必ず正当な理由が必要なはずだ。むしろ今は、関ヶ原の佐藤大将の方が心配だ」「平安京!」有田先生の目が険しくなった。関ヶ原で最大の不確定要素は平安京だった。恐らく淡嶋親王も平安京の皇帝が重篤だという情報を掴んでいるのだろう。もし本当に平安京を目指しているのなら、そこにも既に手駒を配置していたはずだ。しかも、その人物は新たな皇太子の側近である可能性が高い。関ヶ原、鹿背田城、平安京――これらが組み合わされば、いずれ爆発する火薬のようなものだ。予め対策は講じていたものの、実際に事が起これば、うまく対処できるかどうか。なぜなら、どう考えても変えられない事実がある。関ヶ原の総兵元帅は佐藤大将だということだ。これこそが、皆が最も懸念している点だった。さくらには残された親族が少ない。外祖父の一族は何としても守らねばならない。深水青葉が言った。「まずは穏やかに新年を過ごそう。水無月師妹に手紙を出して、あちらの様子に注意を払うよう伝えておく。動きがあれば、すぐに報告が来るはずだ」「ありがとう、大師兄」玄武は答えた。この年は、やはりしっかりと祝わねばならない。この静けさも、そう長くは続かないのだから。夜更けの丑の刻まで過ごした後、寝台に入ってからも、脚の傷が治った玄武は受けの
宮を辞して馬車に乗ると、さくらは早速玄武にその件について話を切り出した。玄武は有田先生の報告を思い出した。謀反事件以降、淡嶋親王邸は終始穏やかで、淡嶋親王自身もめったに外出しないという。有田先生は常に燕良親王邸と淡嶋親王邸を見張らせていた。淡嶋親王は二、三度ほど外出したが、いずれも酒宴に出かけただけで、その後は足が途絶えていた。「淡嶋親王は病気ではなく、都を離れた可能性もある」玄武は眉をひそめた。「我々の部下が常に監視してはいるものの、これだけ長く続けていれば油断も生じる。淡嶋親王が変装でもすれば、見破れないかもしれない」「この時期に都を離れるとすれば、どこへ?」さくらが尋ねた。「屋敷に戻ってから話そう」玄武は現在の情勢を頭の中で整理しながら、ある推測を巡らせていた。今夜の親王邸も賑やかで、太政大臣家の人々も集まって年越しの宴を共にしていた。しかし沖田家は潤を戻さなかった。宮中の宴会に参加すると知っているので、親王邸より沖田家で過ごさせた方が良いだろうとのことだった。親王邸に戻ると、そこでも賑やかな宴が催された。屋敷中の者たちが年玉をもらいに来て、さくらは気前よく配り、皆が喜んで満足げだった。玄武は有田先生と深水青葉と共に書斎へ入った。さくらは同行せず、彼らに討議を任せた。親王家の出し物は宮中よりずっと面白かった。棒太郎が拳法と剑法を披露し、二十両の賞金を手にした。道枝執事も興を添えようと歌を披露したが、皆は笑いながら耳を押さえ、「ひどい歌声だ!耳の損害賠償を要求する」と冗談を飛ばした。道枝執事にはこの癖があった。下手だと言われても気にせず、自分が良いと思えば歌うのだ。賠償金を払わされても構わないという勢いだった。一曲のつもりが、皆にはやし立てられ、勢い込んで三曲も歌った。音程も外れ、声も割れ、紫乃とさくらは涙が出るほど笑った。使用人たちもそれぞれの芸を披露した。投壺、手裏剣投げ、木登り、切り絵、さらには掃除係の者までが早業の掃除を見せた。紫乃は頬を押さえながら、「もう無理、これ以上笑えない。ご褒美目当てにここまでやるなんて」棒太郎は胸を張って、「もう一つ難しい技を見せてもいいか?」難しい技は十両、普通の出し物は一両の褒美だった。「どんな難しい技?」紫乃は笑い声が掠れ気味だった。棒太郎は目を輝か
さくらでさえ湛輝親王を見やった。今になって孝行者だと分かったということは、つまり、以前はそれほど孝行とは思えなかったということか。少なくとも、そういう印象だったのだろう。ところが、皇族たちは首を傾げるばかりだった。燕良親王はずっと孝行な人物として知られていたはずだ。毎年、母妃の安否を気遣う上奏文を提出し、帰京を願い出ていた。時に許可され、時に却下されながらも、先帝の時代からそうしてきた。その孝心は誰もが感動するものではなかったか。しかし、今日はめでたい席。その言葉の真意を深く考える者は少なかった。ただ、清和天皇は意味深な眼差しで燕良親王を見つめた。燕良親王は一瞬顔色を変えたものの、すぐに平静を装って微笑んだ。「先祖は仁と孝を以て国を治められました。この甥が不孝であってよいはずがございません」玄武は湛輝親王を一瞥したが、何も言わず、さくらとの食事を続けた。宮宴の後、女たちは芝居見物に向かった。年越しの劇団は休むことなく、正月八日の朝廷開きまで公演を続けるのだ。芝居を見ながらの年越しは悪くない。少なくとも、時間が早く過ぎていく。定子妃は身重のため、既に自室に戻っていた。太后は皆と共に夜を過ごしていた。さくらは公務で多忙なため、滅多に参内できない。この貴重な機会に、自然と彼女の手を取って話に花を咲かせたいと思った。淑徳貴太妃も傍らに座り、「婚儀から随分経ちますのに、まだ懐勢なさらないのですか?」と尋ねた。さくらはこの手の質問への対応を最も煩わしく感じていた。子を持つか持たぬか、いつ持つかは、玄武と二人で決めることだった。さくらが答える前に、太后が口を開いた。「今やっと玄甲軍の大将となったところよ。何を急ぐことがありましょう。男が出世と仕途を重んじるように、女もそうあるべきではありませんか」さくらは常々、太后の考えの斬新さに感心していた。太后は女性の自己研鑽を強く奨励していた。以前、葉月琴音が軍に身を投じ、匪賊討伐で功を立てた時も、太后は喜び、琴音を高く評価し、天下の女性の模範と称賛したほどだ。今の「女も仕途を重んじるべき」という言葉に、さくらは深い感銘を受けた。もし他の誰かがこう言えば、玄武の子孫を望まないのだろうと疑われただろう。しかし、これは太后の言葉。さくらには、その真摯な信念が伝わってきた。芝
続いて夜宴となり、燕良親王も正妃、側妃を伴って参上した。太后と帝后に拝謁した後、親族たちとも挨拶を交わした。淡嶋親王家からは淡嶋親王妃だけが参った。淡嶋親王は十二月に風邪を引き、まだ回復していないとのこと。太后は気遣いの言葉をかけ、滋養強壮の貴重な薬材を賜った。年越しの宴は豪勢を極めた。玄武とさくらは並んで座り、さくらの好物を玄武が取り分け、さくらの苦手なものは玄武が引き受けた。その様子を目にした皇后が、ふと微笑んだ。「親王様と王妃様は、本当に仲睦まじいこと」榎井親王と榎井親王妃が顔を上げた。自分たちのことかと思ったが、皇后の視線が玄武とさくらに向けられているのに気付き、彼らの方を見やった。清和天皇は軽く一瞥しただけで何も言わなかったが、酒杯を上げる際、皇后に冷ややかな視線を向けた。さくらは皇后の些細な企みを感じ取り、言葉を添えた。「陛下と皇后様の深い御愛情こそ、私どもの手本でございます」斎藤皇后は微笑むだけで、言葉を返さなかった。胸の内の苦しみは自分だけのものだった。帝后の深い愛情など、人目のためだけのもの。天皇の本当の寵愛を受けているのは定子妃なのだ。天皇が定子妃への愛情の半分でも自分に向けてくれていれば、ここまで息子を追い込む必要もなかったのに。嫡長子による皇位継承に異論などないはずだった。しかし、最も寵愛される定子妃がいつ息子を産んでもおかしくない。実子を持てば、我が子のために動くのは当然ではないか。そんな思いを巡らせている最中、宮人が薬椀を持って定子妃の元へ進み出た。「定子妃様、安胎のお薬の時間でございます」と小声で告げる。皇后の頭の中が轟いた。鋭い光が一瞬、瞳に宿ったが、すぐさま愛らしい笑みを浮かべて言った。「定子妃がお子を?こんな慶事を、なぜ私に知らせてくださらなかったの?」牡丹のように艶やかな定子妃の姿には、確かに妊婦特有の魅力が漂っていた。彼女は軽く目を上げ、微笑んで答えた。「初めは胎の安定が心配で、皇后様にお知らせできませんでした。どうかお許しください」「慶事というものに、許すも許さぬもありませんわ」皇后は笑みを浮かべた。「皇嗣をお宿しになったのですから、むしろ褒美を差し上げねばなりませんね」「恐れ入ります」定子妃は座ったまま、さりげなく応じた。皇后と定子妃の間の微妙な空気は、女性に