第7話

修一の軽くて冗談めいた声が聞こえてきたけど、振り向く気にもならなかった。

私は尚之とは関わりたくない、修一とはなおさら深く関わるなんてまっぴらごめんだ。

彼は私のそばまで来て、腕を組みながら臆面もなく私をじろじろと見ていた。そして顎に手を当てながら続けてこう言った。

「君、噂と全然違うじゃないか。皆が言うには、尚之を追いかけまわして、まるで張り付いて離れない湿布みたいだって聞いたけどさ。さっき見た限りじゃ、距離を置こうとしてるように見えたぜ？」

そう言うと、修一は突然私に顔を近づけ、息が頬にかかるほどだった。「新しい手口か？駆け引きってやつ？」

私は初対面の人間に近づかれるのが嫌いだ。条件反射で身を引こうとしたが、その前に肩を温かな大きな手にがっしりと掴まれた。

彼に後ろへ引かれるようにして倒れ込むと、雪松のような木の香りが漂うおなじみの腕に抱き寄せられた。

「彼女から離れろ！」尚之の声は冷たかった。

思わず顔を上げると、尚之の引き締まった唇と、嫌気が滲む目元が見えた。彼が何に苛立っているのか私にはわからなかった。でも、この親密すぎる動作に、私の全身が落ち着かなかった。

「離して」

私は彼の腕を振りほどき、2歩下がって距離を取った。

尚之は私が後退するとは思わなかったようで、数秒間私を見つめた。何か言おうとした瞬間、瑠奈が急に駆け寄って彼の腕を引っ張った。

「尚之くん、水を買うのにどうしてこんなに時間がかかるの？」

そう言い終わると、瑠奈は私がいることに気づいたようで気軽そうに言った。「あら、遥もいたのね」

私は彼女を一瞥し、短く「うん」と答えた。

瑠奈は私と尚之を交互に見てから、天真爛漫な可愛らしい声で言い放った。

「遥、ひょっとして尚之くんをこっそり追ってきたんじゃない？尚之くん、夜も遅いんだから、ストーカーのことなんて水に流してあげなよ。女の子なんだから、一人だと危ないしね」

瑠奈の言葉には棘があった。私は何か言い返そうとしたが、それより早く修一が表情を険しくして声を上げた。

「お嬢さん、言葉に責任を持たないと法に触れるよ？」

修一という男は、普段は温柔な雰囲気だが、実際には冷淡で情の薄い人間だ。仮面を取れば、暗くて攻撃的な一面を見せる。

まるで草原のヒョウのようだ。昼寝をしていたかと思えば、次の瞬間牙を剥いて獲物の喉元に噛みつく。

瑠奈は彼に怯えて尚之の胸に逃げ込み、泣きじゃくるように言った。「尚之くん、彼、何が言いたいのかわからない！」

尚之は瑠奈を押しのけることもなく、彼女を軽く支えて庇うような態度を見せた。そして私に冷たい視線を送ると、先ほどよりも厳しい声で告げた。

「謝れ」

尚之が偏る場面を何度も目の当たりにしてきたが、また目にするとやっぱり胸が痛む。

彼は、今夜の宴会のせいで私がここにいるのを知っているはずだ。それなのに瑠奈が好き勝手言うのを黙認する。

私はこの茶番に巻き込まれたくもなければ、彼らの争いに利用されたくもない。でも、時にはそれを避けられないこともある。

「何を謝るの？それとも、誰が誰に謝るの？」

表情を変えずに尚之をしっかり見つめると、挑発的な口調で返した。

尚之の表情は険しくなり、周りの空気が一瞬で凍りついたようだった。私は薄く微笑むと、その場を後にした。

偏る人は、永遠に偏るものだ。

道端に差し掛かったところで、手首を尚之に掴まれた。

冷たい声で彼は言った。「俺が行っていいと言ってないだろ」

呆れたように笑って返した。「なんであなたに許可されなきゃいけないの？菅原くん、自分が何様だと思ってるの？」

尚之、私はもうあなたに従わない。これからも従うつもりはない。

「遥！」尚之はさらに手首を強く握り、痛みで手首が折れそうな勢いだった。「さっき言ったこと、もう一度言ってみろ」

「彼女を痛めつけるなよ」

修一がやってきて、私の手を尚之の手から引き離し、私を背中の後ろに隠してくれた。修一は私の前で、それ以上一歩も踏ませないように立ちはだかった。

「どけ！」尚之が修一の襟を掴み、鋭い声を放った。

「何の権利があって俺にどけなんて言えるんだ？」修一は尚之の掴んだ手を力強く握り返し、挑発的に笑みを浮かべた。「それとも遥に聞いてみるか？彼女が一体誰にどけって言うのか、な」

尚之は視線を私に移し、不穏な目つきで私をじっと見つめた。

私は思わず眉をひそめた。二人に向かって「私がどくよ」と言おうとしたとき、瑠奈が勢いよく現れて修一の手を掴んだ。

「尚之くんを放して、放して！」

そう言って、今度は怒ったように私を睨んできた。

「遥、あんたは黙って見てるつもりなの？この二人を喧嘩させるの？」

「私に何の関係があるの？」私は掴まれて赤くなった手首を見ながら、やっと我慢の限界がきた。「今夜、最初から最後まで、誰にも何の迷惑も掛けてない。何かあるなら、自分たちで勝手に解決して。私の時間を奪わないで」

言うや否や、振り返ることなく、タクシーを止めて乗り込んだ。

タクシーの中、私は窓に寄りかかって、流れていく街並みをボーッと眺めていた。

なぜかわからないが、全身がどっと疲れていた。

再び生きることができたこの人生、私はもう執着なんてしたくない。ただ、前世で私を傷つけた人たちと縁を切って、自分の道を歩むだけでいい。

しかし現実は、尚之、瑠奈、そして前世ではあと2年後に出会うはずだった修一に、なぜかまた巻き込まれてしまう。

少し怖くなった。過去の運命から抜け出せないのではないかと。

藍が私を迎えに来たときには、すっかり打ちのめされていた。

藍はとても気遣ってくれて、顔色が悪い私に何も聞かず、「ちゃんと休むんだよ」とだけ言ってくれた。

感謝の気持ちを伝えて、シャワーを浴びて服を着替え、無理やり眠りにつこうとした。

どんな運命が待ち受けていようと、私はそれを受け止めるしかない。来る前から怖じ気づいてなんかいられない。

そう考えると、胸の中に溜まっていたモヤモヤもずいぶん軽くなった気がした。

試験が終わるまで、あと5日。次の目標に向け、全力を尽くさなければならない。

前世で、私は好きだったファッションデザインを学べず、デザイナーになれなかった。

でもこの人生では、絶対に夢が叶える。

翌日。

藍と一緒に問題集に没頭していると、彼女のスマホが震えた。

藍はスマホを取って電話に出る。「うん、うん」と言うだけで、さほど気にせずにいた私は、数学の復習ノートを探しているところだった。

まだ解答を見つけていないところで、藍がそばにやってきた。

唇を噛みしめながら座り込み、しばらくの間、一文字も書かないままだった。

彼女には何か思うところがありそうだった。

手元の試験問題を置いて、髪をポニーテールに束ねながら問いかけた。「誰からの電話？なんでそんなに上の空なの？」

藍はペンを置き、向かい合うように体を反転させた。だが、すぐには言葉が出てこないようだった。

彼女の反応が面白くて、ついその頬をつねりながらからかった。

「ほら、さっさと言いなよ。そんな顔してたら可哀想になっちゃうよ」

「本当に言っていいの？」藍は私の顔色を探るように覗き込んだ。

私は頷くと、彼女は深く息を吸い込んで、まるで決心したかのように話し始めた。

「菅原くんから電話があった。彼、うちの家の前で待ってるって」