旧校舎には幽霊が住んでいる。開かずの扉となっている三階の時計塔からは時折物音や、ピアノの音が聞こえてくる。 旧校舎の裏には小さな稲荷の祠があり、そこに油揚げを供えると願い事をかなえてくれる。 この学校のある山は昔、神の巫女の住む山として祀られており、そこに建てられたこの学校自体が呪われている。 この学校のある山には神田池という沼があり、そこには河童が住んでいると言われている。 この学校がある山には、人面犬が住んでいる。 以上だ。 僕は、それらを指でなぞりながら数えていく。「五個しかないよね」「今のところ見つかったのが五個です」「じゃあ、なんで七不思議って言っちゃったの?」「そのうちあと二つくらいは見つかりますよ」「三つ、四つ見つかることもあるよね?」「数の問題じゃないんです。七不思議っていうのは」「は?」「何でしたら後からいらないのを削ればいいだけですから」「まあ、今の時点であまり学校に関係なさそうなものもあるけどね。というかほとんどこの学校とは関係ない、この学校のある山に関するうわさ話だ」「ともかく、今わかっているこれらを調べていこうと思うんです」 とはいえ、直接学校に関するうわさとしてあるふたつはいずれもこの旧校舎に関するものだ。調べるには簡単な問題ではあるけれど……「まず、この一つ目に関してはすでに解決した問題だな。この旧校舎に幽霊は住んでいない。三階の開かずの間にはちゃんと鍵が存在していて、時々人が出入りしている。そこにピアノが置いてあるし、不思議なことは何もない。 それは、この旧校舎の部室を使っている人たちならみんな知っているはずだ」「競技かるた部を除いてですが」「まあ、それは……」 この旧校舎一階の文芸部ともう一つある教室は、本来競技かるた部の部室だ。しかし以前幽霊騒動があった時に怖がって誰も活動をしなくなり、今はほとんど空き教室になっている。 旧校舎三階の鍵は、数年前に無くなったとされていた。が、それはひょんなところから出てきたのだ。なんと、この文芸部の本棚に差された誰も読まないであろう辞書をくり抜き、その中に鍵を隠してあったのだ。鍵は、職員室へと返却したのだが、僕は当然のようにこっそりとスペアキーを作っている。その鍵は僕が管理をしていて、そのことはこの旧校舎を使う部員たちにとっては既知の事実だが、おそらくそのことをこの学校のほとんどの
今日の調査はこれにて終了。実に、あっという間の出来事だった。 僕たちは文芸部の部室に戻り、我が部室唯一の電化製品の湯沸かしポットに電源を入れる。体が冷えたので温かいコーヒーで休息だ。自前で用意しているマグカップと来客用の紙コップにインスタントのコーヒーの粉を入れ、沸かしたお湯を注ぐ。「上田、砂糖とミルクは?」「いらないです、そのままで大丈夫」 マグカップと紙コップの両方に入ったブラックコーヒーを机に運び、オセロの盤を用意する。 二階で鳴り響く騒音は依然鳴りやむことを知らず、僕と同じく退屈そうにしている上田に相手をしてもらう。 当然のように黒を選んだ上田が必死で盤面を黒く染めようとするが、やはり最終的には白のほうが多くなる。 申し訳ないが、オセロではあまり負ける気がしないのだ。「オセロでなら、上田の考えていることが読めるんだけどなあ」と愚痴をこぼす。「そうですね。ほかのことに関しては、高野君は全然わたしの考えを理解してくれません」「理解も何も……さっきのアレ、どうやったんだ?」「あれ、と言いますと?」 僕は部室の隅の、まだ片付けていない紙コップの群を指さす。「何を言っているんですか? わたしは何も小細工なんかしていませんよ」「していないわけないだろう? だって現に上田が勝っているんだ」「勝つも負けるもないです。あれはただ単に、すごく効くという風の予防薬が手に入ったから皆さんにおすそ分けしたにすぎません。風邪が流行っているようですから、やさしいわたしからのほんの心づてです。でも、とにかくあの薬、めちゃくちゃ苦いのでちょっとしたレクリエーションを織り交ぜたというだけですよ」「なるほど、小細工はしていなかった……そういうことか」「そうです、わたしは何も小細工していませんでした」「我慢していた、ということか」「そうです。わたしはあの薬、普段から飲んでいるのでそれなりに慣れてしまっているんですよ」 つまり、あれは初めから六つすべてが激マズドリンクという名の風邪の予防薬だったのだ。普段から飲んでいる上田は顔色一つ変えずに、自分が当たりを引いたフリができるということだ。「ああ、そうだ。とにかくあの風邪の予防薬、効果抜群なので高野さんも飲んでおいてくださいね」「そこまで苦いとわかっていて、飲む気にはなれないな」「おこちゃまですか?」「子供とかじゃなく、苦すぎるのは誰だっていやだろ
39アイスクリームの店舗は、学校の最寄り駅に向かう道から少し迂回した場所にある昭和を感じさせるような古い商店街を抜けたその先だ。 道すがらにななせが質問をぶつけてくる。「ねえ、マコトは今日。クロ研の上田さんとずっと一緒にいたんだよね」「いや、別に一緒にいたわけじゃないけど……」「さっき部室に行ったとき、マコトのマグカップともうひとつ、紙コップが置いてあったし、オセロのセットの位置が変わってた」「名探偵、ななせ」「もしかしてマコトのことが好きなのかも?」「ははは、それはないな。単に人手がほしかっただけだろう。クロ研は部員が上田一人しかいないみたいだしな。学園七不思議を調べているとか言っていた」 僕は聞かれてもいないのに今日あった出来事をすっかり話してしまった。とはいえ、旧校舎裏の祠に油揚げを供えたことと、オセロをしたことぐらいだ。ほかには何もしていない。「ああ、それで――」とななせは言った。「今日の昼休みにさ、麻里ちゃんが学食に来て、アタシが接客したんだけどね、今日はきつねうどんを頼んだのよ」 伏見ななせは調理科の生徒だ。調理科の生徒は他の科の生徒が昼休みの時間に、授業の一環として学食の調理、運営を行っている。 「うん、なんとなくそんな話は聞いたな」「そう、それでさ、麻里ちゃんは今日、『一生に一度のお願いだから揚げを二枚乗せてくれ』っていうのよ。『お揚げの乗っていないきつねうどんはもはやたぬきうどんだ』ってさ。意味わかんないなって思ったんだけど、そういうことだったのね。一枚でも載っていればちゃんときつねうどんなのにって思ってたんだけど」「いや、そういうことだったじゃないだろ。つか、そこをななせがツッコむのもどうかと思う」「うん? まあ、仕方ないから二枚載せたわけだけどさ、先輩に見つかっちゃったらアタシもヤバいんだけど」「いや、もうどこをツッコんででいいのか……とりあえず、上田にはちゃんとななせに迷惑かけないように言っておくから……」「うん、そうしてくれると助かる」 言っているうちに、39アイスの前に到着した。今日の放課後あんな話をしなければ気づきもしなかったのだけれど、ここの39アイスの隣はソバ屋で、その隣は古本屋だった。やっぱりソバ屋の主人が怪しいなと……いや、その話はもういい。店内に入り、ショーケースに並べられた39種類のアイスを吟味するななせ。僕としてはか
「まず、下の段のライトグリーンのアイスだけど、色的にはシャインマスカットかホワイトチョコミントのどちらかということになるだろう。 ところで上田は今日、部室で僕の淹れたコーヒーに砂糖やミルクはいらないと言ったよね? だから多分それほど甘党ではないと思うんだ。甘党じゃない人は結構ミント味が好きなものなんだよ。僕がそうだからね。つまりは下の段はホワイトチョコミントだ。 そして問題の上の段。まず、それほど甘党でないならバナナ&ストロベリーは違うと思う。あれは結構甘さが強いからね。後はピーチブラマンジェ、ストロベリーリボン、ラズベリーチーズケーキ。 うーん、むつかしいところだけど……ところでさ、上田は家、この辺りなのか?」「ええ、そうですよ。実はすぐこの先なんです。ここの前は毎日通っているから、今日からスノーマンキャンペーンが始まるとわかっていたのでとても楽しみにしていたんですよ」「うん、ありがとう。おかげで答えがわかったよ。ラズベリーチーズケーキにはNEWのマークがついている。つまりこれは新作なわけで、さっきの話だと上田は毎日この前を通っているんだよね。それで今日からスノーマンキャンペーンが始まると知っていた。 だとすれば、おそらく昨日やおとといなんかにはわざわざ来ないだろうと思うんだよね。どうせ来るなら、キャンペーンが始まってからの今日になってからくるのが普通。だから新作のラズベリーチーズケーキは今まで一度も食べていない確率が高い。 にもかかわらず、さっき上田はななせのラズベリーチーズケーキに対して『それおいしいですよね』と言ったんだ。つまり、既に新作の味を知っていたというわけだ、それはつまり、食べたことがあり、味を知っているという意味。 君が食べているアイスは、ずばりホワイトチョコミントとラズベリーチーズケーキだ!」「……………………ざんねん!」「え、嘘だろ? もしかして、シャインマスカットだった?」「違うわよ。そっちはホワイトチョコミントで正解」 そう口にしたのはななせだ。しばらくショーケースを眺めていた彼女が返ってくるなり僕を諫めた。「正解は、ホワイトチョコミントとストロベリーリボンよ」「いや、まさか」「そのまさか。伏見さんが正解よ」「だってさっき上田はラズベリーチーズケーキの味を知っているふうな言葉を……」「それは、その前に食べたからよ。上田さんは、アタシたちが
「なんというか、色味の少ないさみしいアイスですね」「シンプルで美しいと言ってくれ」「まあ、どっちでもいいですけれど……いいんですよね? 本当に当てちゃいますよ」「ああ、当たるものならな。実はこういうシンプルなものほど情報が少なすぎてわからないものだ」「いや、そうでもないですよ。まず、上の段のライトグリーンのアイス。選択肢としてはシャインマスカットかホワイトチョコミントかというところですけど、さっきも高野君が言っていた通り、わたしと同じコーヒーをブラックで飲んでいた高野君ならやっぱりホワイトチョコミントですよね。ブラックコーヒーが好きな人はミント味が好きな人も多い、これは僕と同じだ。みたいなこと言っていましたよね。 問題はこっちのほうです。このシンプルで黒いアイスに該当しそうな候補は三つ。ショコラショコラか、チョコレートモンブランか、ビターコーヒーです。 でも、こっちも考えるほどでもないですよね。ショコラショコラもチョコレートモンブランも39アイスの中ではトップクラスの激甘フレーバーです。甘いものが苦手な高野君が選ぶはずがないです。 答えはホワイトチョコミントと、ビターコーヒーです」「ファイナルアンサー?」「それ、言わなきゃダメですか? はっきり言って寒いのでスルーしたいんですけど」「寒いのは上田がアイスを四玉も食べているからだよ」「ああ、それも寒いですね。そんなことはいいからさっさと負けを認めてください」「そうか……じゃあ、端的に答えを言おう。両方間違いだ。答えは上のがシャインマスカットで、下のがチョコレートモンブランだ」「う、嘘です。本当は当たっているのに悔しいから嘘を言ってるんでしょ」「いや、嘘じゃないぞ。何なら一口食べてみるがいい」 上田はそれぞれを一口ずつスプーンですくって口に運ぶ。「う、うう。まさか、高野君が本当にこんな甘々なチョイスをするとは、考えていませんでした……」「僕の勝ちだね。いやまあ、確かに上田の考察は悪くなかったとは思うよ。だけど、上田は大きな勘違いをしている」「勘違い?」 僕は、手に持ったアイスをななせのほうに差し出す。ななせはそれを僕の手から取り、代わりに持っていた自分のアイスを僕に渡す。ななせは美味しそうに、シャインマスカットのアイスをスプーンですくって口へと運ぶ。「上田さんはさ、まるでななせが僕を普通にアイスクリームデートにでも誘っ
翌日の放課後。やはり寒波の影響で冷たい風が吹いている。旧校舎は新校舎から少し離れた坂をさらに上ったところにある。吹き抜ける風は冷たく、ポケットに手をつっこむ。耳が、ちぎれそうになる。小刻みに震えながら文芸部の教室のドアを開ける。 伏見ななせがそこにいた。僕がいつも座る特等席に腰を掛けてスマホをいじっている。「あ、マコトだ!」「そりゃ、そうだろ。ここは僕の部室で、僕しか来ない場所だ」「最近、上田さんがちょくちょく来ているみたいだけど?」「暇なんだろ。黒魔術研究部って、普段何してるんだ?」「知らないわよ、そんなこと。自分で聞いてみたら? 仲いいんだから」「別に、仲がいいわけじゃない」「でも、エッチな想像をしてオカズにしてるんでしょ?」「してないよ、昨日のあれはなんだ、言葉のあやというか、その場のノリで言ってるだけだ」「どうだか」 ――そんなこと、正直に言えるわけないだろ。「ところで、なんか用か?」「うん、昨日ね、ついに新曲が完成したから聞きに来ないかなって。今から部室で通しで演奏するから聞きに来てよ」「まあ、新曲って言っても、僕としてはもうとっくに知っている曲なんだけどな。なにせ真下で音をずっと聞いてる。何なら、僕が歌うことだってできるかもしれない」「え、まじ? だったらさ、今度演奏するときにコーラス参加してよ」「冗談だろ?」「まじまじ!」「断るよ」「だってマコトは頼まれれば断らないタイプでしょ?」「え、普通に断るよ。絶対嫌だ」「どうしても?」「僕は決して押しに弱くない」「じゃあ、仕方ない。コーラスに参加してもらうのはあきらめるからさ、そのかわり今日は付き合ってよ、今日だけ。お願い。いいでしょ?」 まったく。美少女にこうまでして頼まれると、さすがに断ることなんてできない。「ちょっとだけな」 言いながら、荷物を置いて教室を出る。ななせと二人、軽音部の部室へと向かう。「はーい、みんなー。ギャラリー連れてきたよ」ギャラリーとはいってもどうやら僕一人だけのようだ。 僕の姿を見るなりバンドメンバーは一様に頭を下げる。ここ旧校舎にいるメンバーは僕を含め全員が同い年の一年生なのだが、皆は僕のことを一目置いてくれているように思える。 まずその要因の一つとして、軽音楽部もオカルト研究部も今年の秋に新設されたばかりの新しい部だが、僕のいる文芸部はもっと以前からこの旧校舎を使っていたか
階段を降り、文芸部の部室の戸を開ける。 いつもの僕の指定席に怪しい女が座っていた。 制服の上に学校指定の紺のダッフルコートを着て、漆黒のつやのある髪に、右目には黒い眼帯。そしてさらに今日は大きな黒い布マスクが鼻から口にかけて覆っている。もう、ほとんど真っ黒で、一瞬、ヒグマか何かと勘違いするところだった。 彼女は僕のほうをギロリと睨む。「ねえ、約束。忘れていたでしょう?」 今日の上田は、少し鼻にかかった声を出す。「それより、風でも引いたのか?」「ちょっと調子がわるいだけです」「こんな寒い中、アイスを四玉も食べるからだよ」「それを言うなら、伏見さんだって……」「あいつは特別なんだよ。それに、僕だって少し手伝った」「そう、伏見さんは特別だから手伝ってあげたのね」「それだと少し、意味がちがうくないか?」「厭味で行ったのよ?」「厭味?」 ――よく、意味が解らない。「まあ、ともかく僕は約束を忘れていたわけじゃあないよ。僕だっていろいろと忙しいんだ。っていうか、別に約束はしていないよね?」「そういうヘリクツはいいからさ」「そうだな、とりあえず祠へ行ってみるか」 僕は上着を羽織る。昨日と同じ轍は踏まない。「まあ、そうがっかりするなよ」 昨日油揚げを置いた場所に何ら変わらずそこにあり続ける状態に肩を落とした上田に、僕は優しい声を掛ける。このままここに置いておいて腐ってしまうと見栄えも悪いだろうし、いかんせんそんなことになってしまったら、石像ではあるがキツネ様に悪いような気もして片付けようと近づく僕を「ちょっと待って」と上田が制す。「あの繁みの中から、何かがこっちを見ています」 また上田の中二病的妄想かと思いきや、本当に繁みからこちらをうかがう光る双眸がある。どうやらこちらを警戒しているようだ。僕たちは言葉を交わすことなく、そのまま静かに後ずさりして、旧校舎の陰からじっと祠を観察した。 ほどなくして、繁みから何かが姿を現した。 人面犬。と言えばなかなかしっくりくる言葉ではある。それは小さな子犬ではあるけれど、まるで立派なひげを蓄えた老人の顔にも見える。 確かシュナウザーという犬種だったと思う。全身がグレーの毛並みだが、泥がこびりついていて、薄汚れた上にガビガビしている。怪我でもしているのか、片脚をひきずっているように見える。あたりに誰もいないことを確認したその子犬は、警戒しながら
上田をベッドに寝かせる。コートを脱がせ、呼吸がしにくいだろうと黒いマスクを外し、代わりに白い熱さましシートを額に貼ると、なんだかオセロのゲームのように思えた。黒いものをやたらと好む上田だが、その肌は陶器のように白い。印象が急に黒から白に替わったようだ。右目を覆う黒い眼帯も汗でぬれている。これも外してやったほうがいいかと思いながら、手を触れようとした直前に思い直す。なんだか自分の行為がとてつもなくスケベなことをしているように感じたのだ。眼帯が、黒のレースでできていて、違う何かを連想してしまったのかもしれない。汗にぬれた眼帯は、そのままにしておくことにした。僕はそのまま立ち去ってもよかったのだが、やはりそれは何か無責任のように感じて上田の隣でしばらく待つことにした。 ここはそれなりに静かな場所だ。あるいはここならゆっくりと読書ができるのではないかと無神経な考えが頭をよぎったが、そもそも手元に本を持っていないし、もし持っていたとしてもやはりここでは落ち着いて読むことなんてできないだろう。 しばらくして、上田が目を覚ました。「高野君、ごめんなさい。わたし……」「僕のほうこそ悪かった。気づいてあげられなくて……」「そんなことないの、あれは……」 上田はいつもよりも急にしおらしくなってしまっていて……なんだか急にかわいらしくもある。「気にせずにもう少し休んでいろよ」「うん……」 僕は保健の先生に言われ、部室においてある上田の荷物を取りに行った。帰ってくると上田はもう起き上がっていて、だいぶ楽になったとのことだ。「上田さんはおうちの方は連絡が取れるかしら? 今日は無理しないように迎えに来てもらったほうがいいの思うのだけれど」 保健の先生が気を遣っていってくるが、「今日は、家に誰もいないので……」「あら、そう。それは大変ねえ、どうしようかしら?」「大丈夫です。家、ここから近いので」「そう、なら無理をしないようにね」「はい」「じゃあ、彼氏君は家まで送って行ってあげるのよ」 ――カレシクン? きっと、僕のことを言っているのだろう。僕たちは当然そんな関係ではないのだけど、だからと言ってここで即否定するような野暮なことはしない。そもそも、僕にも責任があるのだから家まで送っていくことくらいは吝かではない。 確か上田の家は39アイスから少し先に行ったところだと聞いている。ならば、歩いたとこ
土曜日。まだ、夜も明けきらないうちに訪問者があった。「ごめん。起こしちゃったかな?」「いえ、大丈夫です。今日は朝早くから予定があったので、早く起きていました」「そう、マコトとデートだものね」「伏見さん、知っていたんですか?」「うん、マコトから聞いたの!」「あ、あの……もしかして……怒ってます?」「怒る? なんで? ああ……そういうこと? ううん、気にしなくていいわ。それよりこれ」 伏見さんが渡してくれたものは、今日予定している河童捜索に持って行くお弁当だった。「そんな、そこまでしてもらうなんていくらなんでも……」「ううん、気にしないで、好きでやってるだけだから!」 それは、言ってみれば強者ならではの余裕のようにも感じた。『好きでやっているだけ』という言葉の意味は、たぶん高野君のことが好きだからやっているだけ。わたしのほうが、おまけなのだと言っているのかもしれない。所詮わたしなんかが高野君と出かけたところで、気にするほどのことでもないと言っているのかもしれない。 伏見さんからお弁当を受け取り、昨日のカラになった二人分のお弁当箱を渡す。 ――たぶん事実そうなのだろう。高野君はいつだって、伏見さんのことしか見ていない。だからわたしは決めたのだ。 この日の河童池の捜索を、最後の思い出にしようって…… そして、この日はいろいろあった。その中で、、一番大事だったこと。 それは、高野君がサンドイッチをおいしいと言ってくれたことだった。 たぶん、これが最初で最後かもしれない。 高野君と伏見さんが相思相愛で、わたしなんかじゃどうにもならないことを知っている。 伏見さんは料理上手で、きっと彼女の作ったお弁当はとてもおいしいのだろう。 でも、これは最後の戦いだった。 わたしは下手なりに頑張って早起きをして、今日のこの日のためにサンドイッチを手作りしたのだ。伏見さんがお弁当を持ってきてくれたけれど、それは家に置いてきた。 だけど、高野君はわたしの作ったサンドイッチをちゃんとおいしいと言ってくれたのだ。 その瞬間に、思わず涙があふれてしまった。――最後に、ちゃんといい思い出が作れたんだと。 伏見さんがわたしのアパートに訪れたのは夕方になってからのことだ。伏見さんの体調もすっかり良くなっているらしく、マスクもしていない。今日一日あったいろいろなことを話したくて、部屋に上がってもらい、
上田麻里の一週間 あきらめないことにした。 希望なんてものもあまりなく、敵はあまりにも強大だ。わたしなんかには到底太刀打ちできないような相手なのだとこの一週間で思い知らされもしたが、それでももう少しだけあがいてみようとは思う。 月曜日の朝。いつもよりも少し早くに目を覚まし、髪を黒く染めなおして、色付きのコンタクトレンズを入れる。黒いレースの眼帯はポケットに忍ばせる。流石にまだすべてをさらけ出すのには勇気が足りないけれど、そのうちいつかは…… 鏡の中の自分を見つめながら、もしかすると、眼鏡をかけたほうがかわいいのかもしれないと考えたりもする。彼が文学的少女に属性を持っている可能性も十分にある。考えてみてもいいかもしれない。 鞄に自分で作ったお弁当を入れる。コンビニで買った総菜パンですますのはもうやめだ。きっと彼は料理上手な女の子のほうが好みだ。 玄関を開け、冷たい空気を胸いっぱいに詰め込み、ゆっくりと吐き出して深呼吸をする。 今日からが本当の戦いだ。 学校へと向かう金山の坂道を歩きながら、はるか前方に高野君の姿を見つけた。その隣には強力なライバルが寄り添う。歩む足を速め、少しでもはやく二人に追いつきたいと思いながら、この一週間を振り返る。 先週の火曜日、高野君が部室でホラー小説を読んでいるのを見かけた。少しうれしい気持ちと反面驚きもあった。高野君もオカルトとかに興味があるというのはチャンスかもしれない。 『学園七不思議を一緒に調べよう!』なんてイベントを思いついたのはその時だ。本当は七不思議なんてあるのかどうかも知らないのだけれど、要するに話をするきっかけがほしかっただけ。旧校舎の裏に稲荷の祠があってそこに油揚げをお供えすると願いが叶うという噂を耳にして、今日はそれを実行しようと油揚げを用意していたからちょうどいい。 少しだけれど、ふたりきりで話も出来たし、今日は自分をよく頑張ったとほめてあげたかった。 でも、ライバルはとても強い。 高野君と二人で39アイスを食べに行くのだと耳にした。わたしは負けじと39アイスに先回りした。甘いものは苦手だけれど、せっかくのスノーマンキャンペーンだからと、二段重ねを注文、しかしそれを食べ終わっても高野君はまだ来ない。食べ終わったのにずっとここにいるのは不自然かと思い、さらに追加で食べることにした。それから少ししてようやく高
眠りに落ちる前に、僕はパソコンを開き、インターネットに接続する。 『カクヨム』という小説投稿サイトに寄稿した記事に目を通してみることに。 先日投稿した『岡山のとある山にまつわる都市伝説について、情報がある方は教えてください』というエッセイのPVはかなり伸びており、多くの都市伝説の情報が寄せられていた。 まったく。僕が頭を悩ませながら必死で推敲した小説のほうはなかなか読んでもらえないのにこういうのばかりが数字が伸びるというのもなかなかに悩ましいものではある。 寄せられたコメントのいくつかは、とるに足らないようなコメントであったが、興味をそそるようなものもいくつかあった。それらをまとめると次のようになる。 ・どうやらあの、河童伝説の神田池のほとりにある家、あそこに住む家族の名前は神田と書き、読み方は「カンダ」ではなく、「カミダ」と読むのだそうだ。 ・神田家は代々あの金山を見守る巫女を世話する役割を与えられていて、人里離れたあの山奥で住んでいたそうだ。・神田家は呪われた一族であり、若くして髪の毛が真っ白な子が時折生まれたという。 ・山の上の巫女は、処女であり続けることが義務付けられており、そのため子孫はなく、新しい巫女は神田家のものがどこからか連れてくるのだという。 ・江戸の末期、最後となったカナヤマの巫女は、左右にそれぞれ赤と黒の違う色の瞳を持った美しい巫女だったという。しかし、世話役の神田家の息子と恋仲になってしまい、ふたりは山のお堂に火をつけて心中してしまったという。これを最後にカナヤマの巫女、と神田家の家は途絶えたのだという。 それともうひとつ、僕は一見別のものに思えるこの書き込みも、一連のエピソードではないかと考える。 ・明治に入り、金山の北のはずれに非常に当たると噂のまじない師が現れた。そのまじない師は若くして白髪、左右に赤と黒の二種の瞳を持つ美しい女性だったという。 これより先は、まったくもって僕の単なる考察に過ぎない。これらのうわさ話が、あくまですべて真実だと仮定し、そのうえでつなぎ合わせた、それはある種の創作とでも思ってくれていい。 江戸の末期、この辺り一帯で大規模な飢饉があった。食べるものさえままならない人々は口減らしのためにカナヤマの山中に子を捨てた。 あるいは、栄養不足などで遺伝子異常の子が生まれ、その子を不憫に思ったり、悪魔の所
「なあ、天野。なんで僕がこんなことをしたのか、わかっているのか?」「それは、ライバルを蹴落とすためだろう」「ライバル……か」「そうだ。高野が伏見のことを好きなことぐらいはわかっている。だけど、伏見は俺たちの軽音楽部に入部して、高野といる時間は少なくなった。伏見は誰の目から見ても美人で、軽音部の皆が彼女のことを好きになりかけているということも見れば誰にだってわかることだ。それが面白くない高野は、俺達軽音部をつぶそうと画策した。違うか? だけど、そんなことを心配する必要がどこにある。井上や河本が、いくら伏見のことを好きになったところで、お前相手に勝てるようには思えない。杞憂というものだ」「いや、まあこんなことを僕が自分で言うのは鼻につく言い方かもしれないけれど、僕だって井上や河本になんて負けるなんて思ってなんかいないよ。天野、なんで自分だけをそこから除外したんだ? 悔しいけれど、ルックス的にも才能的に見ても、一番手ごわそうなライバルは天野なんじゃないのか?」「俺のことは無視してかまわない。俺は伏見のようなしたたかすぎるオンナは苦手でな」「おまえとは相いれないな。ななせは、したたかすぎるからこそ魅力的なんだ」「だったらお前ら、早く付き合えよ。言わせてもらえば、俺としても高野が一番手ごわいライバルなんだよ」 ――なるほど、そういうことだったのか。言ってしまえば天野も、自分が見たい世界を見ようとしていたにすぎないのだ。だけどそれとこれとは、根本的に話が違うのだ。 天野は天野で自分の想いを伝えるために、昼休みや放課後に窓を開けてわざと大きな音であの歯の浮くようなバラードを上田に聞かせていたのだろう。しかしそれがかえって僕たちの気分を害してしまうきっかけとなった。「なあ、天野。恥ずかしい告白をさせてからこんなことを言い出すのもアレなんだが、僕の目的は静かな放課後を取り戻したいだけだったんだよ」「静かな放課後?」「読書に快適な、静かな旧校舎でのひと時」「……」「軽音部が旧校舎にやってきて、初めのウチは演奏の音がそれほど気になってはいなかったんだけど、日に日に少し様子が変わってきた。アンプの音量はどんどん大きくなるし、窓を開けたりして、まるでわざと周りに音を聞かせているようにも感じた。 僕としては、それが少々不愉快だったところもあるんだ」「そう……だったのか、それは悪かったな。
最近になってよく耳にする妖怪に『アマビエ』というやつがいる。 長い髪にとがった口、キラキラした目にうろこの体、そして三本の足。 そのイラストは今や知らない人は誰もいないと言われるほどで、ことの発端は世界的に流行した病に対し、そのアマビエのイラストを貼っておくと病が収まると言われたことだ。 そのつぶらな瞳に人々はかわいいと感じ、しばしば長い髪から連想されやすい女性のイラストとして登場することもある。 しかし、騙されてはいけない。アマビエはおそらくオスである。アマビエの正体は『アマビコ』(阿磨比己)である。 アマビコという妖怪はいわゆる予言獣で、猿のような毛むくじゃらな体に三本の足。海から上がってきて人に予言をするのだ。『間もなくこの国に疫病が蔓延する。我を書いた絵を貼っておけばその難から逃れられる』 このことを受け、巷で多くの民がこのアマビコの絵を買い求め、家に貼った。 おかげで多くの瓦版屋の懐が潤ったことだろう。 それは京都の瓦版屋も例外ではない。 都である京都の多くの民がこのアマビコの絵を掲載された瓦版を買い求め、家に貼るというのは他と同じである。 しかし、その瓦版に書かれていた〝コ〟の文字が〝ヱ〟と紛らわしかったのだ。京都の町で多くの民が手に取ったその瓦版に描かれていた絵というのが有名なあの『アマビエ』の絵であり、京都の町では『アマビヱ』として伝わった。 まあ、名前なんてどうでもいいことだ。アマビコだろうがアマビエだろうが、皆の間に流行ってしまった病を治めてくれるというのならば、それにすがることに異はない。 日曜日だ。明日からはまた学校が始まる。 思えばこの一週間はいろいろあった。 そしていまだ、それらのすべてが解決したわけでもなく、それを抱えたままで明日から過ごすというのは難儀なことである。 いや、そもそもこんなことになってしまったのは、僕にだって責任があるのだ。 だからと言って僕がすべてを解決することのできるような優れた人間ではないということは言うまでもないし、だからそう。 この状況を誰かが何とかしてくれないかなと甘えたことを考える日曜日の朝に、僕のところにめずらしい相手から連絡がきた。『少し話したいことがある。今日、少し時間を作れるか?』 軽音楽部の部長、天野からだ。 長髪で丸眼鏡、少し気取った態度のナルシストタイプの天野が、実は少し苦手ではあ
僕が子犬に近づこうすると、子犬は自分のくわえているそれを奪われるとでも思ったのか、小走りで逃げ出し、脇にあった入口とは別の小さな横穴に入って行った。その場を追いかけてみたけれど、流石に横穴は小さすぎて人間では入れない。横穴にスマホを差し込みライトを照らしてみると、どうやら上のほうに続く縦穴になっているようだ。 その先が、どこにつながっているのか? それは意外にも簡単に想像がついた。子犬が走って逃げたと入れ違いに滑り落ちてきた筒状の金属。僕はそれに見覚えがある。 安物ではあるけれど、災害時などに持っていると便利だろうと買っておいたLED式の懐中電灯だ。 昨日、上田と旧校舎の裏山に行き、その時に井戸らしき場所に落としてしまったライト。それがここにあるということは、おそらくこの場所はちょうどあの井戸の底だということだ。いや、そもそもここは井戸なんかではなかったのかもしれない。この神田池から巫女の住む社へと続く通路。神田池で汲まれた水をこの通路を使って持ってあがっていたのかもしれない。長い年月使用されずにそのほとんどは土で埋まってしまっているが、まだわずかな隙間があり、あの子犬が通路として使っていたのだろう。おそらく子犬はこのボロイ廃屋に住み着いていて、この通路を通って、あの裏山の広場や旧校舎の稲荷のあたりまで餌を探してさまよっているのだろう。 LEDの懐中電灯を拾い上げスイッチを押すとスマホよりもだいぶ明るい光が手に入った。 昨日落した時にはついていたはずの照明が消えていたのでてっきり壊れているかと思ったが、どうやらここまで落下してくる間にどこかでスイッチが押されてしまっただけのようだ。「どうしたんですかそれ?」「昨日あの井戸に落としたライトだよ。ここに落ちていた」「それってつまり……」 上田が何かを言いかけたとき、僕は懐中電灯をさっき子犬が土を掘り返していたあたりを照らす。「ひいぃ!」 オカルト好きのはずの上田もさすがにこれには声を上げずにはいられなかった。 僕は先ほど犬が何か白いものをくわえているのを見たときに、あれは骨だったのではないかと感じたので、それなりの心構えはあった。 だけど、まさかこんなにもヒドイと思っていなかったのでさすがに息をのむ。 小犬が掘り返していたあたり一面、土の中にぎっしりと敷き詰められた人骨。いったい、何人分のものだろう? 多すぎてとても
入山して約一時間ほどしたところで僕たちは山間にひっそりとたたずむ小さな池にたどり着いた。 まかり間違っても、絶景とは言い難い。さほど大きくもなく、水も緑色に濁っていて、その水面の三分の一ほどは落葉に埋め尽くされてしまっている。 その昔、河童が住んでいたというのだからもう少しきれいな水質を予想していたのだが、これでは河童どころか魚もそれほど住んでいるとは思い難い。あるいは昔はもっと、山水の流入が多く水質もきれいだったのかもしれない。「あ、でもこの水中が不透明なところだとか、もしかしたら謎の巨大生物とかいたりする可能性を感じませんか」 オカルト好きな上田は相変わらず夢見ごころなことを言いながら池のほとりに座り込んだ。 散々歩き通して疲れていただろう。僕も横に座り、ペットボトルの水を飲みながらくだらない蘊蓄を垂れる。「残念だけど、この池に巨大生物はいないよ。それに河童にしたって無理だ。もっと流動のある川の様な所なら住んでいてもおかしくないけれど、何しろここは山に降った雨水が集まってできた大きな水たまりみたいなものだ。もちろん、下流で川ともつながっているだろうし、魚が昇ってきて住んでいたっておかしくはないけれど、巨大生物や河童が餌を確保できるほどにはいないだろうね。 ほら、イギリスのネス湖に有名なネッシ―という巨大生物の伝説があるだろう? ネッシーの伝説自体は六世紀ごろから伝えられてはいるけれど、なんといっても有名なのはあの、いわゆる外科医の写真だ。あれはもともとエイプリルフールネタとして作られたおもちゃの潜水艦の写真だったということが公表された今でも多くの人々がネッシーの存在を今でも信じている。 だけど、規模としてはかなり大きいけれど泥炭が流れ込むことで水の透明度の低いネス湖は同時に食物連鎖の底辺となる植物プランクトンも極めて少ないと言える。そのプランクトン量で生存可能な水棲小動物があり、それを餌とする中型水棲動物、それを餌にする大型という風に計算すると、ネス湖はあれだけの大きさがあっても、せいぜいワニが10匹生存できるかどうか程度らしい。で、あれば、古代よりネッシーのような超大型動物が繁殖を行い今日に至るために常に二匹以上のネッシーが存在し続けたということは、どう考えても無理なんじゃないかな」 僕はまた、くだらないことを言ってしまったと思う。悪い癖だ。 隣で、炭酸
十一月の午前七時はまだ薄暗い。 東日本に住んでいる人間からすれば疑問の声も上がるかもしれないが、西日本では実際そうなのである。日本国内ではどこに行っても一つの標準時刻で生活しているが、なにせ日本列島は全長3000キロメートルもあるのだ。その東西では経度の関係上、実質二時間近くの差があるため、統一された一つの時間で語っても、その感じ方は生活の環境次第で違ったものになる。 僕らは皆、そういう世界で生きているのだ。 まだ外は薄暗いにもかかわらず、今日が土曜日だというにもかかわらず、運動部に所属している学生たちはすでにユニフォーム姿のままで登校し、部活動の朝練へと出発しているものも少なくない。実にご苦労なことだ。くだらないことでほとんど眠れなかったと愚痴をこぼしている自分がまるでヒドイ怠け者のように感じてしまう。 電車に乗り上田の住むアパートに到着するころにはしっかりと陽の光も上がってきている。 ドアチャイムを鳴らし、しばらくすると玄関が開き、パジャマ姿で眠そうな上田が出迎えてくれる。「ふああ、すいません。まだ準備ができていなくて……すぐに用意するので少しだけ待っていてください……どうしたんです? 外じゃ寒いので、中に入ってください」「あ、ああ……それにしても上田……お前、寝るときもカラコン、つけたままなのか?」「ふぇ? からこん?」 上田本人も、気づいていなかったようだ。さも寝起き間もないという風体にもかかわらず、上田の左目はいつものような漆黒の瞳。にもかかわらず、たいして右目は真紅の瞳孔だ。「は! はわわわわわわ!」 上田は右てのひらで慌てて赤い目を覆い隠し、部屋の奥へと走って行った。 帰ってくると、いつもの見慣れた黒いレースの眼帯で右目を覆っている。 上田が普段放課後に黒い眼帯をつけていて、しかもその目には赤いカラコンをつけているというのは割と有名なうわさだが、実際に赤い瞳を見ることはあまりない。確かコンタクトレンズを入れたまま眠ると目が腫れるというような話を聞いたこともあるが、ソフトだとかハードだとかそういうのがあるらしくて実際どうなのかはよく知らない。僕は、視力だけはやたらと良いので眼鏡だとかコンタクトレンズだとかそういうものの知識がほとんどない。 上田の部屋に上がり、隅のほうに腰を据える。たとえ上田が一人暮らしだと知っていても、これが通算三度目ともなると僕
「正直に言うとね、僕は河童の正体はカワウソじゃないかと思ってるんだよ」「カワウソ……ですか? それじゃあなんですか? あの名作ギャグマンガのコンビ、かっぱ君とかわうそ君は同族だったとでも?」「まあ、そのギャグ漫画がどうであるかはさておき、今ではほぼ絶滅したと言われている二ホンカワウソだけど、水辺なんがでは割と二足で立ち上がったりするんだよね。身長90センチくらいで水かきもある。頭のてっぺんは平べったくて、水からあがった際にはそこに残った水が太陽の光に反射してお皿のように見えたんじゃないのかって思うわけだ」「それはまあ、確かにそういう事例なんかもあるかもしれないですけれど、だからと言って探さなくてもいいという理由にはなりませんよ? それに、そもそも河童を目撃したその人は、なんで、カワウソを発見したって言わなかったんですか? だってそのほうが普通じゃないですか? それなのにわざわざ河童を見たと証言するのは、それがとてもカワウソには見えなかったからじゃないんですか?」「でもさ、初めから河童とかわうそと両方を知っている人からすればどうだろう?」「そりゃあ、カワウソならカワウソを見た。そうでないものを見たなら河童を見たというの言うのでは?」「僕が思うに、その見たものがどうであれ、河童を見たいと思っている人は河童を見たといい、カワウソを見たいと思っている人ならカワウソを見たと証言するんじゃないかな? 人はどうしても見たい世界を見ようとする癖がある。だから、それを見たときに自分にとって都合の良いところだけを観察して、都合の悪いところは見ても見ぬふりをするんじゃないだろうか?」「うーん……そういう穿った見方をするのは好きじゃないです。ともかく、とりあえずそいつを捕まえればわかることです。つかまえてから、じっくりと河童なのかカワウソなのか判断すればいいんじゃないですか?」「ま、まあ、そうだね……もしかしてこの調査は、河童を捕まえるまで続いたり……しないよね?」「でも、わたしが納得するまでは終わりませんよ。わたし、そう簡単にはあきらめたりしないタイプなので、それが嫌ならなるべく早くに捕まえることをお勧めします」「そう、なのか……まいったなあ」「さあ、話がそれました。本題に戻りましょう。ここ、高野君、わかります? ここじゃないかと思うんです」 僕が手に持ったスマホの航空図とにらめっこを