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第3話

Author: 山竹
私が本音をさらけ出したのは、意外にも効果があった。

二人きりのとき、彰真は母や雅貴に対する丁寧すぎる態度を捨てて、普通に話してくれるようになった。

一緒にいるとき、彼は時折、皮肉を込めて母さんを茶化したりした。

「美沙さん、真似するのはいいけど、手が大雑把で大ママみたいなのに、真似して姉さんの好きだったシルクなんか着てどうすんだよ」

たまには苛立たしげに毎月8日になると雅貴を忘恩の徒だと怒鳴り散らした。

「姉さんの墓参りにすら月に一回も行かないくせにさ!」

「なんで毎月8日になるとそんなに怒るの?あんたの姉さん、8日に生理でも来てた?」

私が無邪気に聞くと、彰真の苛立ちはそのまま私に向けられた。

「お前、本当に頭悪いな。姉さんが亡くなったのは去年の1月8日だ。これは命日だぞ」

彼の厳しい口調に、思わず反発してしまう。

「そんなやり方で弔う人いる?普通は一周忌だけで十分だよ!毎月毎月弔うなんて、月イチで来るのは女にとって生理くらいでしょ!」

彼は私をじろりと見て、低く言った。

「お前なんて、女ですらねぇよ。ただのガキだ」

私がさらに反論しようとしたそのとき、母が果物を持ってやってきた。

私の大好きな青いマンゴーを、ちょうど一口サイズに切ってある。

その優しさが妙に腹立たしかったけど、ふと母の手に目を向けてしまった。

彰真が言った通り、母の手はまったく上品ではない。

どれだけ取り繕っても貴婦人には見えないし、態度も手もそうだった。

その手は、記憶の中の祖母の手によく似ていた。

「彰真、梨乃は基礎ができていないけど、よろしくお願いね。でも、頭はいい子だから……」

母の言葉に対し、彰真は無言で私に数学を教え始めた。

私はというと、適当に勉強するふりをする。

これが私たちの無言の共通認識だった。

「あと二ヶ月もすれば、姉さんの命日だな。そのとき一緒に南海の墓に行こう……」

彰真が手を止め、鉛筆を落とす。

私は床に落ちた鉛筆を拾う彼の姿を見てから、母の顔を見上げた。

母はいつも通り穏やかな笑顔を浮かべている。私が見つめると、さらに微笑んでみせる。

その優しさが余計に嫌だった。

「……わかった」

「ありがとう」

最後の「ありがとう」は、母が部屋を出ていくときに彰真が小声で言った。

母にはきっと聞こえなかっただろう、と思うほどの低い声だった。

だから、彰真のその感謝が少しも誠実に思えなかった。

たぶん、姉さんの墓参りを約束通りにするためだろう。

彰真は、母をからかう私の企みに乗らなくなった。

彼が協力してくれなくなると、家の中の空気は確かに少し「平和」になった気がする。

食卓の上で、雅貴が笑顔で口を開いた。

「家の中もだんだん良くなってきたな。お前たちが大学を卒業したら、ぜひうちの会社に来てくれ。彰真は落ち着いてるし、梨乃は活発だから、ちょうど文武両道でいい組み合わせだ」

「じゃあ私は絶対に反乱を起こして、あんたをどこかの秘密の小屋に監禁してやる」

私は心の中でそう毒づきながら、目の前のチキンを思い切り噛みしめた。

「梨乃、来週は誕生日だろ?どこか行きたい場所はあるか?」

「遊園地!」

人間の最大の欠点は、口が脳よりも早く動くことだ。

そう言った瞬間、私は激しく後悔した。

遊園地なんて、本当の親と行くものだ。継父の雅貴なんかに、ふさわしくない!

「じゃあ、梨乃の誕生日には家族全員で遊園地に行こう。ちょうど週末だしな」

「いいわね。ついでに買い物もして、二人に新しい服を買ってあげましょう……」

母は手振りを交えながら楽しそうに提案する。その目には、私にはわからない輝きが宿っていた。

私は横目で彰真を見た。彼はただ穏やかに私を見返してきた。

「嫌だ」と言う言葉は、どうしても口に出せなかった。

その夜、私は我慢できず、彰真の部屋のドアをノックした。

「一緒に行きたくないのか?」

私が勢いよく頷くと、彼は私の頭を軽く揉んだ。

「考え方を変えてみろよ。嫌いな人の金で、自分の好きなことをするんだ。悪くないだろ?」

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    母の声が聞こえた瞬間、私は慌てて御守りを握りしめ、反射的にそれを見られないようにした。 「寒くなってきたわ。こんなところに立ってないで」 母が私の肩にそっと手を置く。その瞬間、二人とも少し驚いた。 私がその手を振り払わないのを確認すると、母の手は微かに震えながらも、私を部屋へと優しく導いていった。 ベッドに横たわる私に、母は布団を掛け直してくれる。 「まだ彰真のこと、怒ってるの?」 母の声は優しく、責めるような響きはない。でも私は、彼女の目を見ることができなかった。 「友達に裏切られるのは、とても辛いことよね。母さんも若い頃、親友に裏切られたことがあるの」 ふと顔を上げると、母の目元が少し潤んでいるのが見えた。 その涙を拭おうとする衝動を抑え、私はまた顔を伏せた。 「でもね、友達に裏切られたのは、梨乃のせいじゃないの。許すか許さないかは梨乃の自由だけど、自分を責めるのはやめなさい。 裏切られること自体が十分な傷になるのに、自分を責めたら、その傷をさらに深くするだけよ」 「でも、母さんは……私のことを怒らないの?」 私は恐る恐る尋ねた。 「梨乃は母さんの子どもだもの。母さんがどうして怒れるの?」 「でも、あの子も……母さんの子どもだったでしょ?」 その言葉に、母はしばらく黙り込んだ。そして、私をそっと抱きしめた。 「たぶんね、私とあの子の縁は、梨乃ほど深くなかったのかもしれないわ。母さんは、あの子も梨乃のことを責めたりしないと信じている」 温かな涙が私の首筋を伝い落ちた。 その温もりに耐えきれなくなって、私は感情を抑えきれずに泣きじゃくった。 背中に触れる母の手は少し粗かったけれど、優しくポンポンと私を撫でてくれた。 それは、幼い頃に何度も夢見た「母親の手」そのものだった。 耳元では柔らかな声が響く。 「大丈夫よ、梨乃。母さんがいるから。ずっと一緒にいるからね」 その夜を境に、私は母と仲直りした。 圧倒的な罪悪感が、私の中にあった不必要な憎しみを一掃した。 そして、私は故郷に向かい、祖母の墓の前で深々と頭を下げた後、心の中で母を赦す決心をした。 「梨乃、おじさんにリンゴを渡してきて」 母が私にリンゴを手渡し、わざと聞こえるような声でそう言った。 彰真はす

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    周りの景色が一瞬にして歪んで拡大し、また縮んだ。 何かが騒がしく耳を打つようでもあり、同時に何も聞こえないようでもあった。 安物の紐では耐えきれなかったのか、御守りが地面に落ちてしまい、人に踏まれて汚れていた。 「梨乃……葉月梨乃……」 次に意識を取り戻したとき、私は病院のベッドの上に横たわっていた。 目を開けると、青白い顔をして厚手の服を着た母と、頬に赤い手形がついている彰真が見えた。 「梨乃、目を覚ましたのね……よかった……本当によかった……」 母は涙に濡れた顔で私を見つめ、安堵の声を漏らした。 私の視線は無意識に彼女の腹部へ向かう。 一年前、私は彼女を憎んでいた。 でも、今では彼女は私にとても優しい。 ――憎んでいるこの娘のために、自分の子を失うほどに。 「彰真、俺はお前の姉さんに約束した。お前を成人するまで育てると。それを果たしたから、今日をもって終わりだ。これがお前の姉さんが残したものだ」 雅貴が部屋に入ってくるなり、スーツケースとカードを彰真に渡した。 「信じるか信じないかは自由だが、俺と美沙が付き合い始めたのはお前の姉さんが亡くなった後だ」 彰真は何も言わなかった。 「もし困ったことがあれば、いつでも頼ってくれ……」 「美織(みおり)さんの命日が過ぎてから話しましょう」 その言葉に、雅貴と彰真が同時に驚いて母を見る。 母は穏やかな笑顔を浮かべ、変わらない優しさを見せていた。 「私は彰真と約束したの。一緒に美織さんのお墓に行くと。子どもとの約束は、破るわけにはいかないわ」 雅貴は母をじっと見つめたまま黙り込んだ。 私は彰真の無表情を装う姿に腹が立ち、手の点滴を引き抜くと、周囲の制止を振り切り、彼の目の前に駆け寄って力強く平手打ちをした。 「彰真、私みたいな雑草は敵と仲良くなんてしない。今日から、もうあんたは私の友達じゃない。おじさん」 彰真は、顔を横に向けられたまま、しばらく動かなかった。 口を開きかけては閉じ、何も言わないまま俯いた。 雅貴も顔を背け、彰真を見ようとしなかった。 母も何か言おうと口を開いたが、結局何も言わず、肩を小さく震わせながら背を向けた。 母も雅貴も、あの失われた子どものことに触れることはなかった。 でも、私は夜な夜な

  • 愛も憎しみも、罪の形   第4話

    「そう考えると確かに悪くないけど……」 「着いたら、あいつらを振り切って、君が遊びたいことを全部しよう」 その言葉に、私は目を輝かせた。 「それで、何が欲しい?」 不意に聞かれ、私はぽかんとしてしまった。 「まぁ、俺が見繕うよ。とりあえず早く寝ろ。明日はテストだろ?」 そう言って彼は早々に眠りについたが、私は一晩中目が冴えてしまった。 プレゼント? 彰真が私にプレゼントを? 誕生日の朝、私はいつもより早起きして準備を整えた。 母の化粧台に忍び込んで香水をひと吹きする余裕まであった。 彰真からのプレゼントへの期待で気持ちがいっぱいになっていたせいか、 普段は嫌だった母の香りも今日はそこまで気にならなかった。それどころか、なぜか落ち着いた気分にすらなった。 準備を終えて彰真の部屋の前に立ったとき、まだ朝6時だった。 学校があってもこんなに早く起きる必要はない時間だ。 「何だ、こんな早起きしてどうした?」 後ろから声が聞こえ、振り向くと、彰真が髪をタオルで拭きながら立っていた。 彼は私に小さな箱を手渡そうとする。 「まさか、俺の誕生日プレゼントを待ってたわけじゃないよな?」 「そ、そんなわけないでしょ!」 核心を突かれた私は赤面し、うつむいて箱を受け取る勇気がなかった。 そんな私を見て、彼は笑いながら、無理やり箱を押し付けてきた。 「これ、俺が手作りしたやつだ。いらないなら捨てるぞ」 「いる!」 慌てて箱を奪い取ると、彼の笑い声がさらに大きくなった。 「まさかここまで恥ずかしがるとはな。今日はそれを絶対に身につけろよ」 「わかった!」 部屋に駆け戻り、ベッドに飛び込む。 胸の鼓動が早すぎて、落ち着くまでに時間がかかった。 しばらくしてから、ようやく箱を開けると、中には精巧な作りの御守りが入っていた。 ゆっくりと御守りを取り出し、首にかける。 そして胸元にぎゅっと押し当てた。 これが、私にとって人生初めての誕生日プレゼントだった。 しかし、私と彰真の逃亡計画は失敗に終わった。 とくに母が私の手を一瞬たりとも離そうとせず、しっかりと握っていたのだ。 家を出たときから、母は別人のように神経質な顔つきだった。 笑顔はどこにもなく、ただ不安

  • 愛も憎しみも、罪の形   第3話

    私が本音をさらけ出したのは、意外にも効果があった。 二人きりのとき、彰真は母や雅貴に対する丁寧すぎる態度を捨てて、普通に話してくれるようになった。 一緒にいるとき、彼は時折、皮肉を込めて母さんを茶化したりした。 「美沙さん、真似するのはいいけど、手が大雑把で大ママみたいなのに、真似して姉さんの好きだったシルクなんか着てどうすんだよ」 たまには苛立たしげに毎月8日になると雅貴を忘恩の徒だと怒鳴り散らした。 「姉さんの墓参りにすら月に一回も行かないくせにさ!」 「なんで毎月8日になるとそんなに怒るの?あんたの姉さん、8日に生理でも来てた?」 私が無邪気に聞くと、彰真の苛立ちはそのまま私に向けられた。 「お前、本当に頭悪いな。姉さんが亡くなったのは去年の1月8日だ。これは命日だぞ」 彼の厳しい口調に、思わず反発してしまう。 「そんなやり方で弔う人いる?普通は一周忌だけで十分だよ!毎月毎月弔うなんて、月イチで来るのは女にとって生理くらいでしょ!」 彼は私をじろりと見て、低く言った。 「お前なんて、女ですらねぇよ。ただのガキだ」 私がさらに反論しようとしたそのとき、母が果物を持ってやってきた。 私の大好きな青いマンゴーを、ちょうど一口サイズに切ってある。 その優しさが妙に腹立たしかったけど、ふと母の手に目を向けてしまった。 彰真が言った通り、母の手はまったく上品ではない。 どれだけ取り繕っても貴婦人には見えないし、態度も手もそうだった。 その手は、記憶の中の祖母の手によく似ていた。 「彰真、梨乃は基礎ができていないけど、よろしくお願いね。でも、頭はいい子だから……」 母の言葉に対し、彰真は無言で私に数学を教え始めた。 私はというと、適当に勉強するふりをする。 これが私たちの無言の共通認識だった。 「あと二ヶ月もすれば、姉さんの命日だな。そのとき一緒に南海の墓に行こう……」 彰真が手を止め、鉛筆を落とす。 私は床に落ちた鉛筆を拾う彼の姿を見てから、母の顔を見上げた。 母はいつも通り穏やかな笑顔を浮かべている。私が見つめると、さらに微笑んでみせる。 その優しさが余計に嫌だった。 「……わかった」 「ありがとう」 最後の「ありがとう」は、母が部屋を出ていくときに彰

  • 愛も憎しみも、罪の形   第2話

    重たい空気が漂う共同生活を続けて半月後、雅貴が小さな家族の集まりを開いた。 メンバーは、私たち四人。表向きは家族でも、心の中ではそれぞれ異なる思惑を抱える集団だ。 「彰真、二人とも、今日の料理はどうかな?君たちの好みに合わせて作ったんだ」 私たちが黙り込む中、母が笑顔で場を和ませようとした。 母には、一種の魔法があると思う。 どんなに彼女を嫌う人でも、一緒に過ごすうちに少しずつ彼女を好きになってしまう。 ――幼い頃の私を除いては。 「美味しいです。ありがとうございます」 「美味しくない。次からは作らないで」 彰真と私が同時に口を開いたが、その評価は正反対だった。 「美味しくないなら、なおさら作るわよ。何度か試せば、きっとあなたの好きな味になるわ」 母はそう言いながら、私と彰真にそれぞれチキンウィングを一つずつ取り分けた。 私は口を尖らせて黙り込み、無意識に彰真の様子を横目で伺った。 彼が仇敵を褒めることを強いられて、屈辱的な表情を浮かべているかどうか、確認したくて。 ところが、彼の顔には驚くほど何もなかった。 その冷静さに私はますます苛立ち、彼の足を思い切り踏んづけた。 次の瞬間、斜向かいに座っていた雅貴が声を上げた。 「彰真、なんで俺の足を踏むんだ?」 彰真が困惑した顔で顔を上げる。私は慌てて俯き、黙々とご飯をかき込んだ。 母の笑い声が頭上で響いていたが、私は一言も発しなかった。 敵対関係の相手と仲良くなるなんて、私にはあり得ないことだった。 母に引き取られるまで、私がいた村では、男たちが一片の土地を巡って血を流し、 祖父・父・孫の三代が互いに絶縁して暮らしていた。 子どもたちは、地面に落ちた砂糖一つを奪い合い、土まみれで転がり回りながら引っ掻き、噛み付いて喧嘩していた。 奪えなかった子は、トイレでしゃがんでいる相手に石を投げつけ、汚物まみれにして復讐していた。 そんな村で育った私は、半月間じっと彰真を観察していた。 母に報復することなく、礼儀正しく振る舞う彼の姿に、正直耐えられなくなってきた。 ある日、車の後部座席で、ついに問いかけた。 「ねえ、あんた、うちの母のこと、恨んでないの?」 雅貴は母を喜ばせようと、わざわざ手を回して私を彰真が通う中学校

  • 愛も憎しみも、罪の形   第1話

    彰真に初めて会ったのは、母さんの結婚式だった。 司会者に無理やり挨拶を促され、私は場を見渡した。 目の前には不倫相手との結婚に晴れ晴れと微笑む母と、妻を亡くしたばかりで再婚を決めた桐生雅貴(きりゅう まさたか)だった。 その光景に、私はこう言い放った。 「では、この不義のカップルが末永く幸せであることを祈りましょう!」 会場はざわめき、まばらな拍手が響いた。 その中で、一際目立つ声が聞こえた。 そちらに目を向けると、喪服姿の少年が微笑みながら立っていた。 その姿に、私の頭にはこう浮かんだ。 「目立ちたければ、喪服を着ろってね」 どうして今日が、私たちの結婚式じゃないんだろう―― そんな厚かましいことを考えた。 少年の目元には怒りが滲んでいたけれど、それでも信じられないくらい美しかった。 「彰真、梨乃はまだ子どもだからともかく、お前が騒ぐのはどういうつもりだ?」 雅貴が彼を叱責したが、私はまだ彼の正体を知らなかった。ただ、それに腹が立った。 「そっちがそんな破廉恥なことをするなら、私たちが騒いでもいいでしょ?その亡くなった奥さんの親族が大人しいだけで、私が彼女の家族だったら、もっと大騒ぎしてる!」 そう言って、私は得意げに彰真の方を振り返った。でも、彼の顔は真っ青になっていた。 何があったのかと困惑していると、背後から母の冷たい声が聞こえた。 「その亡くなった奥さんの家族なら、今、目の前にいるわよ。梨乃、よく見て。あなたが見ているその人が彼女の弟よ」 生まれて初めて、守りたいと思った人ができた。しかも、敵のような相手を。 私はただただ混乱していた。 結婚式場から警備員に引きずり出され、私は未だに呆然としていた。 夜になって、母が牛乳を持って部屋にやってきた。現実に引き戻されるようだった。 「一日中騒いで、まだ寝ていないの?疲れない?」 朝の新妻らしい輝きは消え、今の母は目に見えて疲れ果てていた。 それを見て、私は心の中で自分を褒めた。これで父の仇を少しは取れた気がする、と。 「梨乃、これまであなたを守れなかったのは母さんの責任よ。でも、信じて欲しいの。母さんには――」 「事情があったってことでしょ?」 母が長々と語ろうとするのを、私は冷たく遮った。 しば

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