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第3話

著者: 朝月
last update 最終更新日: 2024-12-13 10:37:02
あの光景を見た瞬間、私は心が完全に凍りついた。

信昭はまるでゴミでも放り出すように、私を家の門の外へ引きずり出して手を離した。髪を無理やり掴まれていた頭皮が解放され、まとわりついていた髪がはらはらと彼の手から落ちていく。

その髪を見た途端、目頭が再び熱くなった。

私が泣いているのを見て、信昭は苛立ちを隠さずに言い放つ。

「なんだ、泣くんじゃねえ疫病神が!俺のツキが全部お前の泣き声で飛んじまうだろ!」

さらに腹を立てたのか、私の腹に二発、強烈な蹴りを入れた。

「俺は飯も食わせてやってんだぞ、これ以上お前に尽くせってのか?二度とこの家に戻ってくるんじゃねえ、このクソガキ!」

突然の蹴りで息が詰まり、私は反射的に体を丸め込んだ。耳鳴りが止まず、彼の口がパクパク動いてるのは見えたが、何を言ってるかはもう聞き取れない。

「おい、このクソ娘、まだ俺を睨むのか?反抗する気か?いいぜ、今日ここで叩き殺してやるよ!てめえがどんだけ強情なのか見せてもらおうじゃねえか!」

拳を振り上げる信昭を、私は無気力に見上げるしかなかった。立ち上がるどころか避ける力もない。ぎゅっと目を閉じ、拳が落ちるのを待つ。

――しかし、拳は振り下ろされなかった。

隣家の一彦(かずひこ)が現れたのだ。

信昭は世間体を何より気にする。人に見られるのが嫌で、悔しそうに私を睨みつけると、低く唸った。

「失せろ!」

私はかすかな安堵から、早鐘を打つ心臓を押さえ、痛む体を引きずってあの路地から逃げた。

「ノブさん、なにやってるんだ!子どもをそんなに殴って......」

「カズさん、知らねえだろ?このクソガキは兄貴の食い物を盗むわ、金まで盗むわでどうしようもねえんだ。今のうちに叩き直さねえと先が思いやられる」

「でも、莉子ちゃんは普段おとなしいじゃないか......」

私が路地を離れかけたときに耳に残った言葉は、父が私を貶める嘘の言葉だった。

涙がまた滲む。

私が太っているのは、母、美穂が息子陽翔用の成長ホルモンを捨てるのを惜しみ、無理やり私に飲ませたからだった。

そのせいで太っただけなのに、彼らは私が貪り食う泥棒扱いをしている。

あの夜、痛みに堪えながら公園のベンチで夜を明かした。秋風が冷たく身を刺した。

金もないので、ゴミ箱から拾った新聞紙を敷き、もう一枚を上にかけた。大して暖
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    その頃、八角家はまるで祝宴でも開くかのような浮かれた空気だった。信昭は珍しく高級な焼酎「森伊蔵」を買い、上機嫌で盃を傾けている。「ハハハ!あの小娘が死んでくれて大正解だ!結婚料金なんて目じゃない額だぞ!」「2000万円も手に入るんだ、はるちゃん、頭金にだって回せる!」いつも無表情な陽翔の顔にも、かすかな喜色が浮かぶ。これで嫁を迎えられると安心したのかもしれない。「父さん、妹は長年外で働いてたんだろ?あいつの貯金はどうなってる?」陽翔が尋ねると、信昭は「あっ」と頭を叩いた。「しまった、すっかり忘れてた。ちょっくらあいつが住んでた部屋、探しに行くか」そう言ってふらつきながら立ち上がる。美穂は慌てて支え、「ゆっくり……」と声をかけるが、「行くぞ行くぞ!あのガキは抜け目ないからな!」と、家族三人で私の下宿先へ向かった。陽翔は大学まで出した甲斐があるといわんばかりに頭を使うが、実際私が持っていた金は僅か。ルイヴィトンのバッグを唯さんの誕生日プレゼントに買ってしまい、残りは家賃と生活費で、せいぜい6万円程度しかない。私はため息をつきながら幽霊のまま彼らを追った。わずか数日しか経ってない部屋なのに、もう他人の物のような感覚だ。殺人現場だったため、ドアには封印シールが貼られていた。ここは古い団地で光もなく、暗い。住所を頼りにたどり着いた三人は、封印テープを見て顔を曇らせた。「おい、美穂、開けろ」信昭は乱暴な口調で、美穂を封印されたドアの前へ突き飛ばした。美穂は怯えつつ鍵を差し込み、震える指で慎重に開けた。私は部屋の中のベッドに腰かけ、美穂を真っ向から見下ろす位置に居た。彼女は壁づたいにスイッチを探している。「おい、クソ女、なんでそんなにチンタラしてんだよ!使えねえなあ!」信昭は苛立ち、酒が回ってさらに機嫌が悪い様だ。美穂は焦っているのか、スイッチをなかなか見つけられなかった。腹立たしさが頂点に達した信昭は、自分を支えていた陽翔を振りほどき、美穂へ突進した。「このクソ女、また殴られたいのか!」その瞬間、美穂はようやくスイッチに触れ、電気がついた。だが、ほっとする間もなく、信昭の拳が美穂の背中に入る。美穂は息を詰まらせ、よろめいて私のベッド側に膝をついた。暗黄色のラ

  • 愛されなかった娘   第11話

    「ギイッ」という音とともにドアが開き、唯さんは目を真っ赤に腫らして入ってきた。何も言わず、静かに骨壺を置くと、そのまま部屋を出て行った。私は不安になり、唯さんの後を追う。外はカンカン照りの太陽、私の手に光が差し込むが、暖かさを感じることはできない。唯さんは急に走り出した。多分、感情を抑えきれず、全力で走っているのだろう。私は幽霊だから疲れない。彼女が息を切らしても、私は平然とついていける。唯さんはボロボロになって部屋へ戻り、布団をかぶってまた泣き出した。「もう泣かないで、唯さん。あなたはこの数日で、どれだけ涙を流すの……」私の言葉は届かず、彼女は声を殺して啜り泣いている。「ごめんね、私はもういないけど、あなたは生きていかなきゃ。あなたの夢に入れたらいいのに。ドラマみたいに恨めしい幽霊になれたら、こんな奴らすぐに成敗できるのに、現実はそうもいかない……」そうぼやきながら、唯さんの背中に触れようとした瞬間、奇妙な力が私を引きずり込み、いつの間にか唯さんの身体の中へ吸い込まれたような感覚がした。目の前の景色が変わり、気づけば唯さんと「私」がテーブルでご飯を食べている光景へと移動した。――これは過去、私が初めて給料をもらって唯さんに御馳走した日の記憶だ。どうやら唯さんの夢の中らしい。私はかつての自分の隣に立ち、肩に触れると、私の魂は夢の中の「私」に同化した。目の前には涙をこぼしながら私を見る唯さん。「姉さん、私はもう死んだ。そろそろ気持ちを楽にして」唯さんはハッと私の言葉に反応する。「莉子ちゃん、あなたなのね……」私は頷いて、唯さんの手の甲をそっと叩いた。「ここ数日、私の魂はずっとあなたの側にいた。だから全部知ってるよ」「ごめん……ごめんね、莉子ちゃん……」唯さんが泣きながら謝ると、私も胸が詰まる。涙が自然と頬を伝う。「唯さん、あなたのせいじゃない。あんな家庭にいた私は、どのみち長くは持たなかったと思う。お願いだから、あの八角夫婦なんて相手にしないで。あんな人たちのために命や時間を費やすなんて馬鹿らしい」唯さんは苦渋の表情だが、必死に頷く。「わかった、あなたの言う通りにする」「実は、唯さんに内緒で誕生日プレゼントを買っておいたの。あなたのクローゼットの中の棚を見てね。

  • 愛されなかった娘   第10話

    信昭は歯を食いしばり、周囲をぐるりと見回してから「いいだろう!」と叫んだ。その一言で、示談金を受け取って加害者を許すことが、ほぼ確定したも同然だった。唯さんは、周囲が息を呑む間もなく、信昭の前に躍り出た。「あなたに、莉子ちゃんが許すかどうか決める資格なんてない!」「この畜生が!莉子ちゃんはあんなに苦しんで死んだのに、あんたは金さえ手に入ればそれでいいの?」「人間じゃないわね、あんた!」そう言うなり、唯さんは信昭の頬を3、4発続けて平手打ちした。あまりの突然さに、その場の全員が固まり、信昭が我に返る頃には唯さんは警察官に引き離されていた。「このクソガキ、俺様を殴るなんて……」「生意気だ、殺されてえのか!」信昭は激昂し、今にも唯さんに飛びかかろうとしたが、警察官が大声で止めに入った。「やめろ!これ以上騒ぐなら、全員留置場に入れるぞ!」その一言で場が静まった。唯さんは憎悪に満ちた目で信昭を睨み、信昭も悔しそうに歯ぎしりしながら睨み返す。警察官は「落ち着いて」と双方をなだめ、唯さんは別室に連れて行かれた。私は唯さんにはついて行かず、八角夫妻を睨み据えた。彼らは私が死んだというのに、示談金の話で笑みすら浮かべている。「ねえ、こんだけ金があれば、はるちゃんは楽に嫁さん迎えられるね」美穂がそこそこ聞こえる声で言うと、周囲の警察官たちは一瞬で顔を曇らせた。こんな親がいるのか、といわんばかりの怒りと悲しみが混じった視線を向ける。その視線に気づいた信昭は、はっとして振り向くと、美穂の頬を思い切り打った。「てめえ、バカなこと言うんじゃねえ!」美穂の口元に血が滲むが、彼女は怯えた笑顔で「ご、ごめんなさい……警察の方が見てるからやめて……」と縮こまる。信昭も慌てて警察にペコペコする。「へ、へへ、すみませんねえ、警察さんよ」あまりの異常さに、警察官たちは言葉を失っている。心中ではこの夫婦を逮捕したい気持ちでいっぱいだろう。信昭は美穂に警告するような視線を送り、美穂は小さく身を縮めたまま椅子で小さくなっている。私はこの茶番を冷ややかに見つめるのみ。こうして彼らを見ていても、もう何も感じなかった。この期に及んでまだ金のことしか頭にない親……私の中で、彼らに愛されたいという小さな望

  • 愛されなかった娘   第9話

    翌日、警察から唯さんに連絡が入った。どうやら犯人がわかったらしい。あの村上丈士(みらかみ たけし)が私を殺した張本人だった。防犯カメラなど決定的な証拠があるらしく、捜査は簡単だったようだ。「村上さんが犯人?」唯さんは驚きを隠せない様だった。普段の村上さんは人当たりが良く、そんな凶行に及ぶとは想像できなかっただろう。警察の説明を聞き、唯さんは骨壺を抱きしめて呟く。「莉子ちゃん……私があなたをここに住まわせなければ、あなたは死なずに済んだのかもしれない……」「違うよ、唯さん。あなたのせいじゃない!」私は必死で否定しようとするが、声は届かない。唯さんの罪悪感に私の心は締めつけられる。そこへ再び電話が鳴る。「もしもし、上島さんですか? 被害者の両親が、遺骨を返してほしいと要求しています。お手数ですが警察署まで来ていただけますか?」私は冷笑した。またあの連中か。今さら私の骨をどうしたいんだ?骨壺すら渋った奴らが。唯さんは涙を拭いて、タクシーで警察署へ向かう。私も彼女についていく。警察署のオフィスには、八角夫妻がすでに座っており、唯さんを見るなりヘラヘラと媚びた顔を浮かべる。「上島さんだっけ?莉子を返してくれないかねえ」美穂が目を潤ませて芝居がかった声を出す。「今更誰に見せるつもり?観客はいないわよ」唯さんは冷ややかに答える。「あなたたちは莉子ちゃんが死んでも、全然悲しんでないじゃない。5年間も探しもしなかったくせに」その時、会議室のドアが再び開き、手錠をかけられた村上丈士が入ってきた。村上は唯さんを見ると怯えたような表情になり、八角夫妻を見るなり、いきなり土下座した。「申し訳ない、申し訳ない!お金を払うから、許してくれ!頼むから嘆願書を書いてくれ!」殺人犯がいきなり土下座だと?夫妻は面食らい、一瞬手を伸ばしかける。その滑稽な動きに私の心は微動だにしなかった。「何で手を貸すのよ!あんたたちの娘を殺した犯人よ!」唯さんが怒鳴る。その場にいる全員が真相を知っている中、八角夫妻だけはまるで無関心。いや、関心はある。金に対してだけ。夫妻はちらりと目を合わせると、村上はさらに声を張り上げた。「1000万円出します!」信昭は動揺を隠せない額だった。「20

  • 愛されなかった娘   第8話

    感情が高ぶりすぎているせいか、辺りに不気味な風が吹きはじめた。「ん?父さん母さん、窓ちゃんと閉めてるのに風が入ってくるよ?」陽翔が不審そうに言うと、信昭は美穂に目配せする。美穂は箸を置いて窓を確かめに行った。「全部閉まってるわよ!」そう言い終わるや否や、また冷たい風が一陣吹き、美穂は震え上がる。そして不安げに信昭を見て、唇を震わせた。「ね、ねえ......もしかして莉子が戻ってきたんじゃ......」その一言で居間は静まり返った。真っ先に反応したのは信昭だった。彼は茶碗を勢いよく床に叩きつけ、椅子を軋ませながら立ち上がると、美穂の髪をわしづかみにした。「てめえ、このクソ女!余計なこと言いやがって!」「何であのガキの話なんかするんだ!死にてえのか!」美穂は悲鳴を上げるが、陽翔は無表情でしばらく見てから、自分の部屋へ戻りヘッドホンを装着した。完全なる無関心だ。美穂よ、それがお前が溺愛した息子の本性だ。こんな連中に未練なんて1ミリもない。私はその場を離れ、唯さんのもとへ向かった。その頃、唯さんはベッドでぼんやりと私の骨壺を抱えていた。「ねえ、そんなに落ち込まないで。笑ってよ。お金は枕の下に隠してあるから、それ取って。あいつらに持ってかれたくないし!」私は必死で呼びかけるが、もちろん聞こえない。突然、唯さんは号泣しはじめ、私はどうしていいか分からず右往左往する。「泣かないで、唯さん!私はもう死んじゃったけど、あなたは生きていかないと!ほら、唯さんがいなかったら私はあの秋を生き延びられなかったかもしれないんだよ。あなたがいてくれたから私は救われたんだよ!」私の目頭も熱くなるが、もう涙は出ない。ただ見守ることしかできなかった。唯さんは泣き疲れたのか、いつしか眠りについていた。私はなんとか冷気を操り、彼女に寒さを感じさせ、布団に潜り込ませることに成功した。骨壺を胸に抱いたまま眠る唯さんを眺めながら、しみじみと思う。彼女は私を守ってくれた。優しくて、まるで姉のような人だ。あの頃、私は仕事に不慣れで、遠い職場までは歩いて通い、水ぶくれだらけだった。唯さんはそれに気づいて自転車で送り迎えしてくれた。私がこれまで受けた温もりは、彼女がくれたものばかりだ。

  • 愛されなかった娘   第7話

    懐かしい路地。飄々と敷地内に入ると、5年前に出ていった時と何も変わっていなかった。つまり、この家は貧しく、何の進展もないということ。美穂は当たり前のように台所へ行き、料理を始める。私が死んだところで彼らの生活は微塵も変わらない。私がいた痕跡など最初からなかったかのようだ。狭い庭、安っぽい道具類。昔、私が寝ていたのは柴置き場のような物置。そこへ行ってみるが、もう何もなかった。ああ、そうだ。期待するだけ無駄だと苦笑する。私は陽翔の部屋へ行った。かつての私が踏み入ることを許されなかった神聖な領域だ。そこには明るい照明、清潔な壁、パソコンやフィギュア、専用のバスルームまである。胸が苦しくなる。いいものは全て陽翔に、次に父の信昭、最後に母の美穂、私には何もなかった。社会に出て気づいた。女の子だって自由に好きな物を持てるし、両親は子を平等に愛することもできる。ただ私の運が悪かっただけなんだ。その時、聞き慣れた声がした。「莉子、本当に死んだの?」「うん」「じゃあ、俺の婚約者との結婚料金はどうすればいい?」これは陽翔と信昭の会話だった。信昭が答えた。「はるちゃん、心配するな。必ずお前が嫁をもらえるようにしてやる」私は食卓付近まで漂い、三人の姿を見つめた。怒りが沸騰する。もし私が死んでいなかったら、今度は私を売って陽翔の結婚料金に充てる気だったのか?彼らにとって私は商品に過ぎないのか。母よ、父よ、忘れたの?私はあなたたちの娘なのに。十月十日、お腹で育てたはずの子なのに。魂が震え、笑いが止まらない。なんてひどい笑い話だろう。昔は大きくなって見返してやろうと思った。だが彼らは私の生死にすら興味がなく、ただ兄を優先するだけだった。私が苦労し、わずかな賃金で家賃を工面しながら生き延びたところで、奴らには関係ない。女だから給料が安くても必死に働いた。彼らを見返してやろうと必死だったのに。結局、私なんてただの道具でしかなかったんだ。生まれた時から結末は決まっていた。私の不幸は逃れられない運命だったのかもしれない。

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