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第646話
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契約終了、霜村様に手放して欲しい 第1話
霜村冷司が帰国した。彼の秘密の愛人である和泉夕子は、すぐに8号館に迎えられた。契約に従って、彼に会う前には、完璧に清潔にし、香水や化粧品の匂いを一切残さないようにする必要がある。彼の好みに厳格に従い、和泉夕子は自身を徹底的に洗浄し、アイスシルクのナイトガウンに着替えて、2階の寝室に向かった。男はパソコンの前で仕事を処理しており、彼女が入ってくると、一瞥を投げた。「来い」その声は冷たく、感情の欠片もなく、和泉夕子の胸を締め付けるような重苦しさが広がった。彼は無感情で気まぐれな性格であり、和泉夕子は彼の機嫌を損ねることを恐れ、一瞬の遅れも許さず、彼の前に足早に進んだ。まだ立ち止まっていないうちに、霜村冷司は彼女を抱きしめ、その長い指で彼女の顎を掴んだ。彼は頭を下げ、彼女の赤い唇にキスをした。霜村冷司はいつも彼女と多くを語らず、愛撫もせず、彼女に会うとただ体を求めるだけだった。今回もまた海外出張で3ヶ月間も女性に触れておらず、今夜は彼女を簡単に逃がすことはないだろう。彼女が眠りに落ちるまで、男は性行為を終えなかった。目を覚ました時、隣の場所はすでに空で、浴室からは水の音が聞こえてきた。その音に目を向けると、すりガラスに映る長身の影が見えた。和泉夕子は少し驚いた。彼はいつも性行為が終わるとすぐに去り、彼女が目を覚ますまで待つことはなかったのだが、今回はまだいたのか？彼女は疲れた体を支えながら、静かに従順に、男性が出てくるのを待った。数分後、浴室の水音が止み、男はタオルで体を包んで出てきた。髪先の水滴がやや色黒の肌に落ち、ゆっくりと腹筋を伝って滑り落ち、硬く引き締まった線が致命的な誘惑を放っていた。その顔は彫刻のように精巧で、美しく、潤った瞳がとても妖美だが、瞳の中は深く暗くて、冷たい。彼は見事に整った顔立ちを持っていたが、その全身から放たれる冷たい雰囲気が、誰もが簡単に近づけないものだった。霜村冷司は彼女が目を覚ましているのを見て、その冷たい瞳で彼女を一瞥した。「これからは、もう来なくていい」和泉夕子は一瞬、驚いて固まった。「来なくていい」とはどういう意味？霜村冷司は彼女を見ることなく、振り返って一枚の書類を取り、彼女に手渡した。「この契約、前倒しで終了だ」その愛人契約を見た
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第2話
霜村冷司が部屋を出た後、彼の個人秘書である相川涼介が静かに部屋に入り、手にした薬を和泉夕子に差し出した。「和泉さん、お手数をおかけします」それは避妊薬だった。霜村冷司は彼女を愛していない。だからこそ、彼女に子供ができることを許すはずがない。いつもそうだった。彼との性行為が終わるたび、相川涼介は命じられるままに薬を届け、彼女が服用するのをその目で確認しなければならない。白い錠剤を見つめる和泉夕子の心に、またしても鋭い痛みが走った。それは病に侵された心臓の悲鳴なのか、それとも霜村冷司の冷酷さに刺された痛みなのか、彼女自身にも分からなかった。ただ、息が詰まるほどの苦しみが胸を締め付けた。「和泉さん……」相川涼介は彼女の反応がないことに気付き、心配そうに声をかけた。彼女が薬を飲みたくないのではないかと不安に思ったのだ。和泉夕子は彼を一瞥し、無言で薬を受け取った。そのまま、水も飲まずに錠剤を口に含み、飲み込んだ。相川涼介は心配を払拭したような表情を浮かべて、カバンから不動産の権利書と小切手を取り出し、丁寧に彼女の前に並べた。「和泉さん、これは霜村様からの補償です。不動産、高級車に加えて、さらに十億円をご用意いたしました。どうかお受け取りください」その寛大な申し出に感心すべきなのかもしれない。だが、彼女が本当に望んでいたものは、お金ではなかった。和泉夕子は穏やかな微笑みを浮かべ、相川涼介を見つめた。「これらは必要ありません」相川涼介は一瞬戸惑い、驚いた様子で問いかけた。「金額が少なかったでしょうか？」その言葉に、和泉夕子は胸が締め付けられるような痛みを感じた。相川涼介でさえ、彼女が金銭を目当てにしていると考えているのだろう。ましてや霜村冷司も、同じように思っているに違いない。これほどまでに高額な手切れ金を用意するのは、彼女が再び金銭を求めて彼にすがりつかないようにするためなのだろうか？和泉夕子は苦笑し、バッグからブラックカードを取り出して相川涼介に差し出した。「これは彼からもらったものです。返していただけますか。それと、彼に伝えてください。私は一度も彼のお金を使ったことがないので、手切れ金も受け取りません」相川涼介はその言葉に驚愕し、言葉も失った。五年間、和泉夕子が霜村冷司のお金に手をつけて
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第3話
和泉夕子はスーツケースを持って、親友の白石沙耶香の家を訪れた。 彼女は軽くドアをノックした後、横で静かに待っていた。白石沙耶香と彼女は孤児院で育ち、姉妹のように親しい関係である。霜村冷司に連れ去られた時、白石沙耶香は彼女に言った。「夕子、彼があなたを必要としなくなったら、家に戻ってきてね」その言葉があったからこそ、和泉夕子は霜村冷司の家を必要としなかった。白石沙耶香はすぐにドアを開け、来訪者が和泉夕子であることを認識すると、すぐに笑顔を見せた。「夕子、どうしたの？」和泉夕子はスーツケースのハンドルをぎゅっと握りながら、少し恥ずかしそうに言った。「沙耶香、避難してきたの」それを聞いた白石沙耶香は、和泉夕子が持っているスーツケースを見て、表情が固まった。「どうしたの？」和泉夕子は何気なく笑い、「彼と別れたの」と答えた。白石沙耶香は一瞬驚いて、無理やり笑っている和泉夕子を見つめた。その小さな顔は痩せて目の周りが深く凹み、顔色は青白くなっていた。寒風の中に立つ彼女の姿は、まるで紙一重のように感じられた。このような和泉夕子を見て、白石沙耶香は突如として心を痛めた。彼女はすぐに駆け寄り、和泉夕子を強く抱きしめ、「悲しまないで、私がいるからね」と言った。この言葉を聞いて、和泉夕子はうっすらと目を赤くした。彼女は白石沙耶香を抱き返しながら、優しく彼女の背中を撫で、「大丈夫、心配しないで」と答えた。白石沙耶香は和泉夕子が自分を慰めようとしていることを知っていた。和泉夕子が霜村冷司のことをどれほど愛していたか、白石沙耶香にはよくわかっていた。この5年間、２０００万円を返すために、和泉夕子は必死に働いた。彼女はそれで霜村冷司の印象が変わると信じていたが、結局は惨めに捨てられたのだ。白石沙耶香は突然、5年前のあの雨の夜を思い出した。もし和泉夕子が桐生志越のために身を売らず、霜村冷司に出会わなければ、彼女の夕子はもっと幸せになれるだろうに。残念ながら、過去を変えることはできない。和泉夕子は白石沙耶香を悲しませたくなかった。彼女はそっと彼女から離れ、柔らかく微笑み、冗談を言ったように。「私を受け入れたくないの？ずっと外で寒い風に吹かれて、もう凍えそうよ！」白石沙耶香は和泉夕子が以前と変わ
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第4話
「何？ 何？」澤田美咲は何か衝撃的な秘密を聞いたかのように、佐藤敦子を引きつけて興奮していた。「霜村さんは女性に興味がないと言われていたけど、彼にも高嶺の花がいるの？ しかも、うちの会社の新しい女性社長？」佐藤敦子は笑いながら澤田美咲の手を叩いた。「情報が遅いね。上流社会の事も知らないで、どうやってアシスタントでやっていくの？」澤田美咲はすぐに佐藤敦子の袖を引いて甘えた声で言った。「佐藤さん、教えてください！」そこで佐藤敦子は声を低くして言った。「霜村さんと私たちの取締役の娘は幼なじみで、5年前には藤原さんにプロポーズしたそうだ。でも藤原さんは学問のために断った。そのせいでちょっとした諍いがあり、5年間連絡を取っていなかった。しかし、藤原さんが帰国するとすぐに霜村さんが自ら空港まで迎えに行った。これだけで霜村さんがその女性社長に深い愛情を寄せていることがわかる」澤田美咲は口を手で覆い、丸くなった大きな目で興奮して言った。「これ純愛ドラマじゃん！」和泉夕子は胸が苦しくなり、顔色が少しずつ白くなった。霜村冷司が恋人契約を早めに終わらせたのは、彼の高嶺の花が帰ってきたからだったのだ。でも、彼に既に高嶺の花がいるのに、なぜ5年前に彼女を迷わず家に連れて行ったのか？一度寝た後でさえ、彼女に恋人契約を結ばせた。彼女は信じられなかったが、ちょうど聞こうとしたところで、社長専用のエレベーターが突然開いた。取締役の特別補佐である滝川南といくつかの部門の主任が先に出てきた。彼らは中にいる人に向かって一礼し、「霜村社長、藤原社長、こちらが社長室です。どうぞこちらへ」と招いた。言葉が終わると、高価なスーツを着た男性が内部から歩いてきた。彼の顔立ちは美しく、背が高く、冷たい印象を与える。まるで絵から出てきた高貴な公子様で、優雅さと冷淡さを身にまとっており、簡単には目を向けられない。和泉夕子は一目で霜村冷司だと認めた。心臓が急に締め付けられた。彼がなぜ英華インターナショナルに来るのか？考えている内に、霜村冷司がほんの少し身を寄せ、エレベーターの中に手を伸ばした。すぐに、白くて繊細な手が彼の手のひらに置かれた。彼はそっと力を加え、その手を握り、女性を引き寄せた。和泉夕子がその女性の顔を見た瞬間、霜村冷司がなぜ
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第5話
藤原優子は簡単に自己紹介をし、いくつかの社交辞令を述べた後、霜村冷司の腕を取り、滝川南に従って社長室へ向かった。澤田美咲は二人の背中を羨望の眼差しで見つめながら、「初出勤の日に霜村社長が自らエスコートするなんて、これってまさに伝説の俺様系社長と彼の可愛い妻の話？」と言った。佐藤敦子が彼女の肩に手を置き、言った。「それがわからないの？ 彼女が帰国してすぐに社長に就任したんだから、英華インターナショナルの古参株主は納得しないだろうね。初日から霜村社長が直々にエスコートして、彼女の後ろに霜村家がいることを株主に示すのよ」澤田美咲はうらやましそうに両手をあごに当てた。「こんなに早く可愛い妻のために道を整えるなんて、霜村社長は本当に情熱的ね」佐藤敦子も皮肉を込めて言った。「彼女が会長の娘でなければ、A市で力のある男性に選ばれることもなかったわよ」しかし澤田美咲は首を横に振りながら言った。「藤原社長はそれ自体が素晴らしいわ。高学歴で、見た目も良くて。でも、見た目について言うなら…」彼女は和泉夕子を見ながら「夕子って新しい社長に少し似ているかも」佐藤敦子も近づいて一緒に見た。「確かに、少し似てるけど、私は夕子の方が美しいと思うわ！」和泉夕子は顔を青ざめながら「そんなこと言わないで」と一言だけ言って、立ち上がり、洗面所へ向かった。澤田美咲は和泉夕子の弱々しい背中を見て心配そうに「夕子、大丈夫？」とつぶやいた。佐藤敦子は鼻で笑いながら、呟いた。「たぶん、社長に似てるけど、社長の出身を持っていないことが悔しくて嫉妬しているのよ」澤田美咲はこれ以上言い返さず、佐藤敦子は表では一つの顔を見せ、裏では別の顔を見せる人物なので、あまり深く話さない方がいいと考えた。和泉夕子は洗面所に入ると、すぐに心臓の痛みを抑える薬を取り出し、水を飲まずにそのまま飲み込んだ。しばらくして落ち着いた後、彼女は水道をひねって冷たい水で顔を洗い、鏡に映る自分を見つめた。病気に苦しめられた彼女は、顔色が青白く、体も弱々しい。それに対して、藤原優子は……ぼんやりしていると、洗面所のドアが開き、藤原優子がハイヒールの音を立てて入ってきた。彼女の顔は滑らかで、白くて赤みが差し、全身から高貴で優雅な雰囲気が漂っていた。しかも彼女は高
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第6話
和泉夕子は、止まりそうになる心臓を抑えながら、何とかして自分のデスクへ戻った。彼女は退職しなければならない。早く退職しなければならない。もう残された日々で、あの二人が自分の前で愛を見せつける姿を見ることなど耐えられない。耐えられない、我慢できなくなったら、霜村冷司になぜ彼女を身代わりにしたのか問い詰めてしまいそうになる。彼女は退職届を書き終えた後、総務部長の滝川南に承認を求めに行った。滝川南は彼女に対してあまり良い印象を持っていなかったので、形ばかりの引き留めをした後、すぐに退職を承認した。退職手続きには1ヶ月かかるため、すぐには辞められない。仕方なく彼女は半月の有給休暇を申請した。彼女は英華インターナショナルで5年間働き、たまった有給休暇がちょうど15日分あったので、退職前に休むことは特に問題ない。滝川南は彼女の焦りに気づき、ため息をつきながら「休暇をあげるけど、休んだらすぐに戻って仕事を引き継ぎなさい」と言った。和泉夕子は「はい」と答え、すぐに鞄を取り英華インターナショナルから出た。会社を急いで出た途端、林原グループの社長、林原辰也に出くわした。彼はA市で有名な変態で、女性を弄ぶ手口が非常に残酷である。和泉夕子は彼が微笑みながら自分に近づいてくるのを見て、慌てて方向を変えて逃げようとした。しかし、林原辰也は素早く彼女の手をつかみ、そのまま彼女を抱きしめた。「どこへ行くんだ？」そう言うと、彼はわざと彼女の耳元に顔を近づけ、息を吹きかけた。温かい息が和泉夕子の耳に触れ、彼女は身震いした。彼女は必死に林原辰也を押しのけようとしたが、彼は彼女の腰をしっかりと押さえ、動けなくした。「君、いい香りがするな……」和泉夕子はすぐに彼の手を押さえ、冷たい声で「林社長、お控えください」と言った。林原辰也は彼女の耳たぶを軽く噛み、ふざけた口調で「お控えって何のこと？」林原辰也の声は決して悪くないが、彼の言葉にはなぜか不快感を覚える。和泉夕子は彼を拒絶した。彼女は顔を背け、目に嫌悪感を浮かべたが、林原辰也は全く気にしない。女性が拒絶すればするほど、彼の支配欲が高まる。林原辰也は片手で彼女の顎を持ち上げ、その透き通るような白い指で彼女の頬を撫でた。和泉夕子は苛立ちを抑え、彼の手を振り払った
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第7話
霜村冷司が去ってしまうと、林原辰也はようやく相手が霜村家の次男であることに気付き、慌てて和泉夕子を放して追いかけた。だが、霜村冷司はすでに車に乗り込み、ドアを「バタン」と閉めると、外に停めてあった十数台の高級車が一斉に発進した。空振りに終わった林原辰也は仕方なく和泉夕子を探しに戻ったが、彼女はすでにエレベーターの方向へと逃げ去っていた。林原辰也は先ほど和泉夕子にキスした唇に手を触れ、獲物を捕らえる興奮を目に浮かべた。「武、彼女の住所を調べろ」後ろに従っていた林原武はすぐに「了解」と応えた。和泉夕子は家に戻り、バッグを置いた後、ぼんやりとソファに腰掛けた。携帯電話の着信音が鳴り響き、彼女はようやく我に返った。バッグから携帯電話を取り出し、表示された番号を見て、和泉夕子は眉をひそめた。相川涼介からの電話とはどういうことだろう？彼女は少し躊躇しつつも、ロックを解除して通話ボタンを押した。「相川さん、何かご用ですか？」電話の向こうから相川涼介の丁寧な声が聞こえた。「和泉様、先ほど公寓を掃除していたら、お忘れ物が見つかりました。いつ取りに来られますか？」和泉夕子は、霜村冷司が何かを説明したくて連絡してきたのかと思ったが、忘れ物のことだと知り、心が沈んだ。「相川さん、そのまま捨ててください」そう言うと、彼女は相手の返事も待たずに電話を切った。そして、相川涼介と霜村冷司の連絡先をすべて削除した。彼女は昨日まで霜村冷司が連絡してくるかもしれないと期待して、彼の連絡先を残していたが、今ではすべてが明らかになり、完全に心が折れた。携帯電話の電源を切り、ソファに身を沈めて眠りに落ちた。どれほど眠ったのか分からないが、ドアを叩く音で和泉夕子は目を覚ました。最近、白石沙耶香は夜勤が多く、帰りが遅い上に、鍵を和泉夕子に預けている。ノックの音を聞いて、彼女は沙耶香が夜勤から戻ったのかと思い、急いでドアを開けに行った。しかし、ドアを開けると、そこにいたのは沙耶香ではなく、林原辰也だった。その卑劣な顔を目にした途端、和泉夕子の顔色は真っ青になった。彼女は急いでドアを閉めようとしたが、林原辰也は腕を伸ばしてドアを押し開けた。和泉夕子はその行動に驚いて後ずさりした。「林原社長、何をしようとしている
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第8話
林原辰也は、和泉夕子がどんな感情を抱いているかなどお構いなしに、彼女の身にまとった寝間着を一気に引き裂いた。冷たくて嫌な感触の手が彼女の腰に触れた瞬間、和泉夕子は恐怖で叫び声をあげた。「林原辰也！」その耳をつんざくような声が、彼の手の動きを止めた。和泉夕子は彼を殺したいほど憎んでいた。「林原辰也、今日もしあなたが無理矢理しようとするなら、明日私は裁判所に訴える！」林原辰也は、まるで馬鹿げた冗談を聞いたかのように、軽蔑の笑みを浮かべた。「俺が警察を恐れないのに、お前が告訴して何になるっていうんだ？」和泉夕子は拳を握り締め、歯を食いしばって答えた。「林原家がどれだけの権力を持っていても関係ない。今はメディアの時代よ。もしあなたが権力を使って事態をもみ消そうとするなら、私はメディアに実名で告発するわ！」林原辰也はまるで気にしていない様子で眉を上げた。「いいだろう、メディアに暴露しに行けば？どうせ俺も最近、全然トレンドに上がってないし」彼の言葉は、彼が何も恐れていないことを示していた。和泉夕子は突然、深い無力感に襲われた。彼女が相手にしたのは、ただの変態ではなく、権力と地位を持つ富豪の息子であった。彼の一言でニュースは簡単に揉み消されてしまう。彼と正面から戦うことは、まるで卵を以って石を打つようなものだ。和泉夕子は理性を取り戻し、林原辰也のような男には正面から対抗するのは無理だと悟った。彼女には彼の力には対抗できないし、彼の背景には太刀打ちできない。自分を守るためには、もっと賢く立ち回らなければならない。そう考えた和泉夕子は、声のトーンを落とし、優しく言い始めた。「林原様、私が告訴をするつもりなんてないし、メディアを使ってあなたを脅そうとも思っていません。ただ、愛していない人とは、身体の関係を持つことができないんです」彼女の言葉を聞いて、林原辰也の表情が少し緩んだ。しかし、それでも彼がすぐに手を引くことはなさそうだった。彼は顔を近づけ、彼女の鎖骨に強くキスをしながら囁いた。「でも俺は、お前を寝かせたいんだが、どうする？」和泉夕子は胸に広がる嫌悪感を抑えきれなかったが、なんとかそれを飲み込んで答えた。「それなら、少し時間をください。私があなたを愛するようになれば、自然とそういうこともできます。でも
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契約終了、霜村様に手放して欲しい 第646話
ケイシーは墓の前に跪き、後悔の色を浮かべた池内蓮司を見て、優雅な唇の端をゆっくりと上げた。「蓮司、さっき私が言った通り、お前の人生はこの口の悪さで台無しだ。もう服従する気はないのか？」もし池内蓮司が口先だけの態度を取らず、思い上がりもしなければ、今頃穂果ちゃんが彼の娘であることに気づいていただろう。池内蓮司は池内家の御曹司として、幼い頃から人々を上から見下ろすような態度を取り、まるで世界を手中にしているかのように振る舞っていた。その頃、小さな檻の中に閉じ込められていたケイシーは、いつもこう思っていた。彼こそが池内家の長男なのに、なぜ彼は光も見えない檻の中に閉じ込められ、池内蓮司は栄光に包まれ、星々に導かれているのか？ただ母親が娼婦だったからなのか？ケイシーは幼い頃からそれが理解できず、今でもわからない。彼は全ての間違いが、池内蓮司の誕生によって、彼が本来持つべきものを奪われたのだと思っている。もし池内蓮司がいなければ、彼は池内家から追い出され、ホームレスになることもなかったはずだ。彼は覚えている。ホームレスとして、春奈の食べ物を奪おうとして、死ぬほど殴られた時のことを。だが、池内蓮司は車の中に座り、慈善のような言葉をかけただけで、春奈の目は彼に向けられてしまった。なぜなんだ？ただ池内蓮司が春奈の学費を出せたからなのか？ただ彼が車の中で衆人を見下ろす貴公子だったからなのか？だが——彼こそが最初に春奈を知った人間だ......。彼は春奈とともに、恐ろしい夜を何度も過ごした。なのに、なぜ池内蓮司が現れただけで、彼の唯一の光を奪うのか？池内蓮司はすでに彼の家を奪った。なぜ彼の光までも奪うのか？ゴミ箱のそばにうずくまり、雨に打たれて体を震わせているケイシーは、また考えた......いつか、彼は春奈を取り戻し、家を取り戻し、池内蓮司が持つ全てを奪い。返す日を夢見ていたケイシーは、拳銃を手に取り、池内蓮司のそばにしゃがみ込み、深い瞳に妖しい光を浮かべた。「春奈から聞いたんだ。お前は彼女に愛してると言ったことは一度もない。一緒にいても言わなかったんだって。なぜだ？」春奈は池内蓮司に追いつこうと、必死に勉強した。ほんの少しでも、彼に近づきたくて。10年も追いかけて、池内蓮司は一向に彼女に振り向かなかっ
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第645話
ケイシーは腰から拳銃を取り出し、手の中で遊び始めた。「蓮司、穂果ちゃんがとても可愛いから、君もきっと彼女に未練があるんだろう？」池内蓮司は底知れぬ瞳を上げ、ケイシーをしっかりと見つめた。「穂果ちゃんと8ヶ月一緒に過ごさせたのは、俺の未練に賭けたかったからか？」彼はケイシーの目的を察知したが、なぜそんなことをする意味があるのかはわからなかった。自分の娘の命を使って脅迫するなんて、頭がおかしいのか、それとも狂っているのか！しかし、ケイシーはそうは考えていなかった。むしろ、確信を持って池内蓮司を見つめながら笑った。「蓮司、私がお前の命を欲しがってきたことを知っているだろう？」池内蓮司は彼を一瞥した。「お前に俺を殺せるはずがない」もし彼を殺せば、池家全体がケイシーの命を奪うだろう。ケイシーは軽く笑いながら、拳銃に弾を込めた。「もちろん、私にはお前を殺す力はない。だが、お前の娘と、春奈の残したビデオがあれば、お前を殺せる」池内蓮司の暗く光を通さない瞳は、ゆっくりとケイシーの方に移った。「どういう意味だ？」ケイシーは拳銃に弾を込めると、引き金の位置に指を移動し、池内蓮司を見つめた。「昔、私はお前が春奈を愛していると思っていた。彼女が死んだら、お前も彼女の後を追うだろうと。だが、お前はそうしなかった。私の大作戦は無駄になったが、まあいい......」ケイシーは一度言葉を切り、唇の端に浮かべた笑みが、次第に陰湿で不気味なものに変わっていった。「8ヶ月前、穂果ちゃんがよくつけていたネックレスに、偶然チップを見つけた。なぜか神様が私を助けてくれているのか、そのチップには春奈がお前に宛てた遺言が入っていた。お前が知りたい真実が全て詰まっている」「ちょうどその時、お前が穂果ちゃんを奪いに来た。だから、私は穂果ちゃんをお前に奪わせた。お前が狂って、穂果ちゃんを虐待して殺してしまうかもしれない。それで、8ヶ月後、私が真実を教えてやれば、お前は完全に狂い、私にとっては面白いだろうと思ったんだ」「だが、お前は穂果ちゃんを虐待せず、むしろ彼女に感情を抱いてしまった。相手が自分の娘かどうかわからないのに、血の繋がりから感情が生まれることなど、私には退屈でしかない」「だが、お前の娘の命を使ってお前を脅すのも、なかなか面白いじゃないか？」ケイ
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第644話
「蓮司、久しぶりだな」ケイシーは菊の花を手に持ち、大勢のボディガードを引き連れて、階段を登りながらゆっくりと池内蓮司に近づいてきた。墓の前に立つ男は振り返ることさえなく、ただ手にしていた写真を、心臓に近いポケットにしまった。ケイシーと池内蓮司は長年渡り合ってきたので、彼が自分を馬鹿にしていることは知っていた。だから彼が自分に構うかどうかは気にしなかった。ケイシーはためらうことなく池内蓮司の横に立ち、手にした菊の花を墓碑の前に置き、遺影を見上げた。「和泉さん？」なるほど、なぜ彼はこれまで春奈の墓を見つけられなかったのか。『死んだ』のは和泉さんで、春奈ではなかったのだ。池内蓮司は春奈を独り占めするために、本当に全てを用意していた。しかし、それはどうだというのだ、春奈は結局彼を裏切ったのだから......ケイシーは口元を歪ませ、淡々と言った。「蓮司、8ヶ月の期間が過ぎた。穂果ちゃんを私に返すべきだ」最後まで口を開かなかった池内蓮司は、うつむきながらケイシーを冷たく一瞥した。「彼女の遺言は何だ？」ケイシーは背筋を伸ばし、池内蓮司と並んで墓碑の前に立ち、地面の四角い石をじっと見ながら、のんびりと話し始めた。「人が死んだら、遺言なんて重要か？」池内蓮司は両手をスラックスのポケットに突っ込み、孤高の背筋を伸ばしながら、何気なく答えた。「重要じゃない......」ケイシーは彼がまた口先だけの態度を取るのを見て、思わず皮の手袋をはめた手を上げて、池内蓮司の肩を叩いた。「蓮司よ蓮司、お前の人生はこの口の悪さで台無しだ」ケイシーのこの世の全てを見透かすような高慢な態度は、池内蓮司が最も嫌うところだった。彼はケイシーの手を払いのけ、冷たく言い放った。「俺の名前をお前の口から出すな！」池内蓮司の露骨な嫌悪とは違い、偽装の上手いケイシーは、とても落ち着き払っていた。彼は池内蓮司の態度を全く気にせず、むしろ上品で優雅な笑顔を見せた。「春奈の遺言は、比較的長いビデオだ。お前に宛てたものだ」ケイシーはここまで言うと、唇の端の笑みが、無邪気さから次第に狡猾な笑みへと変わっていった。「彼女が何を言ったか、知りたいか？」池内蓮司の表情は、墨が滴り落ちそうなほどに険しいものになった。「言う気があるなら言え、言う気
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第643話
和泉夕子は男性のその美しい顔をしばらく眺めた後、それでもおべっかを使うように、彼の首に手を回した。「冷司、池内蓮司に電話してもいい？」「だめだ」男性に冷たく無情に断られ、和泉夕子は小さな顔を曇らせた。「どうして？」男性は片手で彼女の顎をそっと持ち上げ、強気に言った。「今から、池内蓮司に会ってはいけない、彼と話してはいけない、連絡してはいけない」じゃあ、どうやって池内蓮司に、お姉さんが彼を裏切っていなかったこと、それに穂果ちゃんが彼の実の娘だってことを伝えればいいの？彼女が困った顔をしていると、男性は細長い指を伸ばし、スマホを手に取って電話をかけた。和泉夕子は画面上に表示された番号をちらりと見て、資料に載っていた番号と照らし合わせると、ゆっくりと口角を上げた。彼女に電話をかけさせず、自分で池内蓮司に電話するなんて、この男性は本当にヤキモチ焼きだ。霜村冷司は二度かけたが、どちらも出なかったので、もうかけようとはせず、二つの資料をメールで池内蓮司に送った。そしてスマホを置き、和泉夕子を見上げた。「資料を送った。これからは池内蓮司のことに口を出してはいけない！」和泉夕子は彼が池内蓮司のことをとても気にしているのを見て、大人しく頷いた。ただ、彼女はどうも落ち着かず、事態はそんなに簡単じゃないような気がしていた。霜村冷司は彼女が眉をひそめ、落ち着かない様子を見て、心が柔らかくなり、つい口を開いた。「どうしたんだ？」和泉夕子はうつむき、多くを語ろうとはしなかったが、男性は再び彼女の顎をそっと持ち上げ、自分の方を見させた。「池内蓮司のことが心配なのか？」和泉夕子は慌てて否定した。「心配なんかしてないよ、ただ......どう言えばいいのかな......」彼女は手を上げ、胸の辺りを撫でた。「ここに入っているのは、お姉さんの心臓で、それが池内蓮司のために不安を感じているみたいなの」霜村冷司の目は、彼女の心臓を見つめると、複雑な感情を帯びた。彼は池内蓮司のことをもう関わりたくなかったが、しかし——まあいい、もし池内蓮司が心臓を夕子の中に入れていなかったら、今狂っているのは自分かもしれない。霜村冷司はスマホを手に取り、沢田に電話をかけた。「墓園に行ってくれ」外で兄貴の死の真相を調べていた沢田は指示を受けると、すぐ
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第642話
和泉夕子は、その報告書を見ても、それほど驚きはしなかった。 なぜなら、最初から穂果ちゃんは池内蓮司の娘だと確信していたからだ。 そして今、その確信がはっきりと裏付けられたにすぎない。 つまり、穂果ちゃんが池内蓮司の実の娘である以上、姉は彼を裏切っていなかった。 これまでの長い年月、池内蓮司は恨む相手を間違えていたのだ。 しかし、ケイシーは明らかにこの事実を知っていながら、池内蓮司には知らせず、 むしろ穂果ちゃんを「自分の娘だ」と偽っていた。 ケイシーの目的は一体なんだったのか？ 姉を深く愛していたがゆえに、彼女の残した娘を独占したかったのか、 それとも、池内蓮司に対する復讐のためだったのか―― 和泉夕子が考え込んでいると、霜村冷司が長い指を伸ばし、ボディガードに合図を送った。 「資料を」 ボディガードは即座に理解し、素早く別荘を出て、車の中から一冊のファイルを取り出すと、霜村冷司の前へ恭しく差し出した。 だが、霜村冷司はそれを受け取らず、ただ静かに視線を和泉夕子へと向ける。 それだけでボディガードは察し、恭しくその資料を和泉夕子へと差し出した。 「奥様、こちらが池内蓮司と春奈様に関する資料です」 「ありがとう」 和泉夕子は丁寧に礼を言い、資料袋を開封し、中身を取り出して丁寧に読み始めた。 すると、その最中、霜村冷司の低く心地よい声がそっと耳元に落ちた。 「この資料は数日前には入手していたが、記載されていたDNA鑑定結果が不完全だったため、お前にはすぐに伝えなかった」 それを聞いて、和泉夕子はゆっくり顔を上げ、感謝の気持ちが溢れるままに言葉を紡いだ。 「冷司……ありがとう」 過去に池内蓮司から多くの傷を受けてきたはずの彼が、それでも和泉夕子のために、自ら手を尽くし、彼のことを調べてくれた。 しかも、既に得た資料だけでなく、より確かな証拠を得るために、わざわざ池内蓮司のDNAを採取し、再検査までさせたのは、彼が和泉夕子の信念を理解し、それを何よりも大切にしてくれていたからだ。 ――彼は知っていたのだ。 和泉夕子が「姉は裏切っていない」と強く信じていることを。 だからこそ、その信念を守るために動いた。 それも、た
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第641話
和泉夕子は、彼の関心が池内蓮司に向いていることに驚き、思わず可笑しくなった。 「霜村さん、あなたって、本当に誰にでも嫉妬するのね？」 ソファに座る男は、張り詰めた表情を崩さず、凍てついた雪のように澄んだ瞳に、いくつかの複雑な感情が交錯していた。 彼の沈黙が続くと、対面に座る和泉夕子も、徐々に口元の笑みを収め、緊張と不安の入り混じった眼差しで彼を見つめた。 「池内蓮司とは連絡を取っていないわ。ただ、彼が私とジョージの会話に割り込んで、ケイシーに墓地にいると伝えるように言ったの」 きちんと説明すれば、彼の表情も多少は和らぐかと思っていたが、むしろその顔色はさらに陰りを増し、憂鬱そうに見えた。 和泉夕子はすぐに立ち上がり、霜村冷司の前へ歩み寄ると、その鋭角的な顔にそっと触れた。 「冷司、どうしたの？」 彼女の慎重な手のひらが触れると、霜村冷司の深く刻まれた眉が、徐々に緩んでいく。 「夕子、私は大丈夫だ」 そう言って、美しい指先を伸ばし、彼女の手を引いて隣に座らせると、身体を傾けながら、彼女の顔をじっと見つめた。 「夕子、池内蓮司はお前が誰か、ちゃんと見分けられるのか？」 もし池内蓮司が和泉夕子を見分けられなければ、彼が本当に愛しているのは今も春奈なのだろう。 逆に、彼が和泉夕子を見分けられるのであれば、その視線は決して純粋なものではない。 「分からない……かも」 和泉夕子自身、池内蓮司の本心を理解していなかった。はっきりした答えを出せないまま、戸惑いの色を浮かべる。 彼女の無垢な反応に、霜村冷司の緊張は僅かにほぐれた。 分からなくてもいい―― 霜村冷司は、テーブルの上の名刺を取り上げると、再び和泉夕子に手渡した。 「結果が出るまで、お前の判断は保留しておけ」 和泉夕子はそれを受け取り、不思議そうに問いかける。 「何の結果？」 男は低い声で答える。 「池内蓮司と穂果ちゃんの親子鑑定の結果だ」 和泉夕子は呆然とし、すぐに理解が追いつかなかった。 詳しく聞こうとした矢先、携帯の振動音が会話を遮った。 部屋の入り口で控えていたボディガードが、すぐにスマートフォンを両手で捧げ持ち、霜村冷司の前に差し出した。 「霜村社長、沢
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第640話
和泉夕子は首をかしげて、優しく尋ねた。「どうすれば霜村さんは怒らないの？」ツンデレの霜村さんは、鋭い顎を上げて冷たく鼻を鳴らした。「自分で考えろ」和泉夕子は彼に笑わされながらも、そんな霜村さんに不思議な魅力を感じた。彼女は思わず、白い手を伸ばして霜村冷司の首に絡めた。つま先を立てて、彼の唇の端に軽くキスをした。「これで、足りる？」霜村冷司の瞳が鋭くなり、喉が微かに動いたが、彼はその場から一歩も動かなかった。「足りない」和泉夕子は片手を解き、彼の広い肩から腰にかけて滑らせ、高価なベルトに手を伸ばした。彼女の小さな手が金属のバックルに数秒間留まった後、パチンと解いた——シャツの中に手を入れようとした瞬間、彼は彼女の手を掴んだ。「何をしている？」和泉夕子はつま先をさらに立てて、彼の耳元に口を寄せ、低い声で小さく反問した。「あなたはどう思う？」温かい息が栀子の香りと共に耳元にかかると、霜村冷司の腹部が緊張し、冷たい眉目も一瞬で崩れた。小悪魔め。霜村冷司は緊張した瞳を伏せ、彼女がピンクの唇を噛んでいるのを見て、瞬時に降参した。長い指を彼女の細い腰に移し、力強く引き寄せて彼女を抱きしめた。情熱に駆られた男が狂うと、女性は耐えられない。まさに今の和泉夕子のように、ほとんど窒息しそうなほどキスされていた。断続的にうめき声を上げて許しを乞うと、男は低い声で尋ねた。「ん？挑発しておいて、やる気はないのか？」男がそう言うとき、彼の唇は彼女の唇から離れず、まるで擦り合わせるように、軽く噛むように。とにかく、繰り返し圧し、上下に触れる感覚が和泉夕子の心を痺れさせ、震えさせた。彼女はキスで潤んだ瞳を上げ、壁に押し付けられた男を見上げて許しを乞うた。「わ、私は最近ちょっと疲れていて、できない……」甘く柔らかな声が心に響き、笑みを浮かべた男の表情に淡い笑みが浮かんだ。「それなら、さっきはどうして私のベルトを触ったんだ？」和泉夕子は顔を赤らめて、うつむいた。「それは、あなたをなだめようと思って……」男は彼女の顎を持ち上げ、強引に見つめさせて言った。「次回は、他の男を家に入れるな！」和泉夕子は小さな頭を急いで頷かせ、柴田南を家に入れないと約束し、男はようやく名残惜しそうに彼女を放した。彼は一歩後退し
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第639話
和泉夕子は長い間迷っていたが、結局この電話をかけることはなかった。不安な状態での選択はすべて間違っているので、冷静になってからにしよう。彼女は携帯電話をしまい、書斎に戻ろうとしたとき、ほぼ190センチの男がドアの外から悠然と歩いてきた。男は黒いコートを羽織り、中は白いシャツで、襟元は無造作に開けられ、白くてセクシーな鎖骨が露わになっていた。シャツの裾は黒いベルトで包まれ、細い腰から下はスーツパンツに包まれたまっすぐで長い脚が続いていた。男は逆光で顔の表情は見えなかったが、全身から放たれる冷気が室内の温度を一気に数度下げた。「柴田先生」を抱え、悠々とみかんの皮を剥いていた柴田南は、突然寒気を感じた。「ひゃあ、なんで急に寒くなったんだ？」柴田南は柴田先生を抱きしめ、ハバ犬に寄り添って暖を取ろうとした。しかし柴田先生は彼の腕から飛び出し、短い足でぴょんぴょん跳ねてキッチンに消えていった。柴田南はハバ犬に向かって「抱かせてもくれないくせに、同じ姓を名乗るなんて、全く似合わない！」と吐き捨てた。彼がハバ犬を愚痴っていると、影がガラスのテーブルに映り、美しいシルエットが浮かび上がった。柴田南はゆっくりと振り返り、目を上げて、まるで神が降臨したかのような高くて堂々とした男を見上げた。「し、霜村社長！」逆光の中の人物が誰かを見分けた柴田南は、すぐに椅子から立ち上がり、ぎこちない笑顔を浮かべた。「霜村社長、どうしてここに？」天気がどうなっているのか、この文雅な悪党がここに来るなんて。霜村冷司は濃密なまつげを垂らし、冷淡に柴田南を見下ろした。「その言葉は私が君に聞くべきだ」「えっと……」柴田南は後頭部を掻き、白石沙耶香の家で数日間食べて飲んでいたことを思い出した。「はは、すみません、場所を間違えました。ここはあなたの領地ですね。すぐに出て行きます、すぐに出て行きます！」柴田南はとぼけて、果物の皿を持ち上げてドアの外に逃げようとしたが、背後から冷淡な声が聞こえた。「相川涼介——」ドアの外で待機していた相川涼介は指示を受け、柴田南を一気に止めた。「柴田デザイナー、お送りいたします」相川涼介より頭一つ低い柴田南は、首を突っ張って相手を見上げた。「相川さん、霜村社長はあなたに私を送るよう
契約終了、霜村様に手放して欲しい 第638話
和泉夕子はこらえていた涙がぽろりとこぼれ落ちた。この天真爛漫に見える子供が、実はすべてを知っているのだ。穂果ちゃんはビデオの中で泣いているおばさんを見て、急いで画面に向かって何度もキスをした。「おばさん、泣かないで。穂果ちゃん、もう二度と変なこと言わないから……」和泉夕子は幼い穂果ちゃんがこんなにも他人の感情を気にしているのを見て、ますます心が痛んだ。彼女自身も両親がいなかったため、小さい頃から自卑で敏感になり、他人の感情を自分のものよりも優先する性格になってしまった。まさか穂果ちゃんも自分と同じように、こんなに小さいのに察しが良く、他人を第一に考えるなんて……和泉夕子は穂果ちゃんが大きくなったら、自分と同じように慎重で臆病になるのではないかと思うと、涙がさらに止まらなくなった。「穂果ちゃん、そんなに気を使わなくていいのよ。おばさんの前では、言いたいことを言っていいの。束縛されないでね」穂果ちゃんはよくわからないまま、ぽっちゃりした小さな頭をこくりと頷いた。「じゃあ、おばさんも泣かないでね、いい？」和泉夕子は「いいよ」と答え、手を上げて目尻の涙を拭った。「穂果ちゃん、今どこに住んでるの？」穂果ちゃんは携帯を抱えて方向を変え、画面を墓地の下の家に向けた。「あの小さな家に住んでるの」怪しいおじさんはさすがに怪しいおじさんで、地元の住民に小さな木の家を建てさせて、ここに定住すると言っていた。穂果ちゃんはここが大嫌いだった。夜になると外からいつも幽霊のような泣き声が聞こえてきて、何度も泣き出してしまった。ジョージおじさんがいなければ、もうとっくに小さな荷物をまとめて逃げ出していただろう……和泉夕子は池内蓮司が子供を連れて墓地の下に住んでいるのを見て、眉をひそめた。「穂果ちゃん、携帯をジョージに渡して」穂果ちゃんは「うん」と言って、小さな手で草地に手をついて立ち上がり、歩いて木の下にいるジョージのところへ小走りで行った。「ジョージおじいさん、おばさんが電話に出てって……」ジョージはうとうとしていた目を開け、携帯を受け取りながら穂果ちゃんの膨らんだお腹を指でつついた。「何度も言っただろう、俺はまだ四十歳だ。おじいさんと呼ばれるほど年を取ってないんだ……」穂果ちゃんはもともと彼をおじさんと呼んでいたが
