アメリカ。 気づけば、子どもが生まれてからもう二ヶ月が経っていた。 若子の体は、ほとんど回復していた。 アメリカに来て、すでに半年ほどが過ぎたことになる。 妊娠中も、彼女は決してじっとしてはいなかった。 金融専門職向けの職業トレーニングを受講し、短期間で実用的な知識やスキルを身につけることに励んだ。 また、金融業界のセミナーや学術会議にも積極的に参加し、専門家の講演を聞いたり、最新の市場動向について学んだりして、多くの学者や実務者と交流を深めた。 出産後の二ヶ月間は、しっかりと産後ケアをしながらも、彼女の学びへの姿勢は変わらなかった。 幸い、赤ん坊の世話は特に問題なく、自由な時間はほとんど勉強に充てることができた。 さらには、大学院の交換プログラムにも申し込むことを決意し、目標とする大学のウェブサイトを調べ、必要な応募書類―志望動機書、推薦状、成績証明書、語学試験のスコアなど―を準備し、締切前にすべて提出した。 この過程で、西也には随分と助けられた。 学費については、運が良かったというより、そもそも彼女には必要のない問題だった。 奨学金を申請する必要もなく、金銭面で悩むこともなかった。 ビザの手続きもすべてスムーズに完了。 ―これが裕福な人間の特権なのだろう。 どの国も、金を持つ者には寛大なのだから。 こうして、すべてが順調に進んでいた。 若子の子どもはアメリカで生まれ、すでにアメリカ国籍を持っていた。 もっとも、彼女は国籍目当てでここに来たわけではなかった。 そもそも、西也の治療に付き添うために渡米し、ちょうどその頃、彼女は妊娠していた。 選択肢がなかっただけの話だ。 だからといって、自分の国籍を変えるつもりは毛頭なかったし、移民する気もない。 子どもが十八歳になったら、本人の意思で国籍を選ばせるつもりだった。 書斎のドアが開く音がした。 顔を上げると、そこには西也の姿があった。 若子はパソコンに向かい、作業に没頭していたが、そんな姿さえも美しく見える。 彼は微笑みながら、彼女のそばへと歩み寄る。 「若子」 若子は顔を上げ、柔らかく微笑んだ。 「西也、来たのね」 「忙しそうだな」 「うん、三日後には大学へ行くからね。今回の交換プログラムは三ヶ
三人は病院の研究センターへと足を踏み入れた。 そこには、世界トップクラスの神経学者、心理学者、専門的なセラピストで構成されたチームがいた。 彼らはこの間ずっと、西也の治療に全力を注いでいた。 すでにいくつかの治療セッションを受けているため、新たな療法を始める前に、医師たちはまず一連の評価とテストを行う。 それにより、彼の記憶がどの程度回復しているのか、どの部分に特徴があるのかを見極め、治療の強度を調整するのだ。 若子はベビーカーを押しながら、西也のそばで静かに寄り添っていた。 彼が治療を受ける様子を、黙って見守る。 今、西也は認知訓練と記憶回復療法を受けていた。 落ち着いた雰囲気の治療室には、記憶を刺激するためのゲームやリハビリツールが並んでいる。 専門のセラピストが、さまざまなトレーニングを通して、彼の奥底に眠る記憶の断片を呼び覚まそうとしていた。 治療は個別にカスタマイズされている。 映像記憶技術を使い、写真や動画を見せて記憶を刺激する。 家族との会話や、過去に聴いていた音楽、手に馴染んだ物を触れることで、記憶を引き出す。 最初は進展が遅かったが、時間が経つにつれ、少しずつ短い記憶の断片が蘇るようになっていた。 少なくとも、医療チームの評価によれば、そういうことになっていた。 今日は、若子と赤ちゃんが一緒にいることもあり、西也の機嫌はとても良かった。 そのおかげか、治療の効果も普段より顕著に現れていた。 しかし、認知訓練だけでは終わらない。 今日の治療は、ここからが本番だった。 医療チームは、ある最先端の医療機器を使用する予定だった。 それは―記憶回復補助装置(MemoryRecoveryAssistDevice,略称MRAD)。 若子がこの装置のことを初めて知ったとき、まるでSFのような話だと感じた。 MRADは、最先端の神経科学技術を駆使した装置だった。 脳波(EEG)と機能的磁気共鳴画像(fMRI)を組み合わせた非侵襲的な技術で、患者の脳と直接インタラクションし、記憶の回復を促進する。 センサー付きのヘッドギアを装着すると、脳の電気活動や血流の変化をリアルタイムで測定し、高性能コンピューターがデータを解析する。 AIによる高度なアルゴリズムが、記憶回復に最適
治療は約一時間ほど続き、やがてドアが開いた。 西也が、静かに部屋から出てくる。 MRAD治療の後、医師たちは毎回「すぐに帰宅せず、広々とした場所を歩いて景色を眺めると、脳に良い影響を与える」と勧めていた。 「西也、今日の治療はどうだった?」 若子が彼を見上げながら尋ねる。 西也はじっと彼女を見つめ、突然、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。 彼はそっと彼女の手を握る。 「......若子、お前、すごく辛い思いをしたんだな」 「え?」若子は驚いたように眉をひそめる。「そんなことないよ。私は何も......」 「いや、お前は苦しんできた。全部、藤沢修のせいで」 その名前が出た瞬間、若子の顔が凍りついた。 「......どうして?」 「思い出したんだ、アイツのことを」 西也の声は低く、けれどはっきりとしていた。 「アイツはお前を傷つけた」 そう言うと、彼は強く彼女を抱きしめた。 「どうして、アイツはお前にそんなひどいことができるんだ?それに、あの屋敷で別の女と......!思い出した。あの時、俺たちはスタッフに変装して、現場を目撃したんだ。 許せない......! お前はこんなにも素晴らしいのに、どうしてアイツはそんなことをするんだ!?」 若子はそっと彼の背中を撫でる。 「もう過ぎたことよ。もう大丈夫。私はもう苦しくないから」 ―彼が思い出した記憶が、せめて幸せなものだったらよかったのに。 だが、それは願うだけ無駄だった。 西也は、彼女の手をぎゅっと握りしめた。 「若子......このままずっと、手を繋いでいてもいいか?」 彼はまるで、彼女から何かを得ようとするかのように、すがるような目を向けてくる。 この治療の後、彼はいつも不安定になった。 若子にとって、それらはすでに過去の記憶に過ぎない。 しかし、西也が記憶を取り戻すたびに、彼にとってはまるでついさっき起きた出来事のように感じられ、その衝撃は計り知れなかった。 医師たちも言っていた。 「記憶が戻るたび、彼の心は大きく揺れ動きます。そのたびに、奥様がしっかりと彼を支えてください」 ―拒めるわけがない。 彼の目が赤くなっているのを見て、若子は静かに頷いた。 「もちろん」 彼を安心させ
ウェイターがランチをテーブルに運んできた。 若子は子どもを抱いたままでは食事がしづらい。 それを見た西也が、そっと言った。 「若子、俺が抱こうか?先に食べなよ」 「大丈夫。抱いたままでも食べられるし、この子はおとなしいから」 そう言いながら、若子は赤ん坊をしっかりと抱き直す。 ―ところが、その言葉が終わるや否や、赤ん坊が突然大きな声で泣き出した。 「えっ......!?」 予想外の反応に、彼女は慌てる。 「どうしたの?どこか痛い?それとも抱き方が悪いの?」 焦りながら腕の位置を変えてみるが、赤ん坊の泣き声は止まらない。 「お願い、泣かないで......」 必死にあやすが、泣き声はむしろ大きくなっていく。 西也はフォークとナイフを置き、すぐに彼女のそばに駆け寄った。 「若子、俺に抱かせて」 「大丈夫、私が泣き止ませるから!」 彼女は、小さな頬を撫でながら必死に語りかける。 「ねえ、お願いだから泣かないで......ママが悪かったなら謝るから......」 その声はかすかに掠れ、涙を堪えているのがわかった。 彼女自身も、もう泣きそうだった。 「大丈夫だ、俺があやせば、すぐに落ち着くよ」 「いや、あなたじゃダメ。私があやすの。私はこの子の母親なのに......どうして私が抱くと泣いちゃうの?こんなの、嫌...... 赤ちゃん、お願い、泣かないで......」 西也は、若子が今にも崩れそうになっているのを感じた。彼はそっと身を屈め、彼女の耳元で静かに囁いた。 「若子、みんな見てるよ。落ち着いて、帰ってから話そう。 それに、これは若子のせいじゃない。赤ちゃんって、そういうものだろ?俺が抱いてても泣く時は泣くし」 「......本当に?」 彼女は不安そうに西也を見上げる。 「本当だよ。ほら、さっきまでは平気だったじゃないか。一度俺に抱かせてみて?」 若子は、迷いながらも彼に赤ん坊を渡した。 西也は、赤ん坊をしっかりと抱き、慣れた手つきであやす。 その動作は、まるで何度も繰り返してきたかのように自然だった。 「ほら、大丈夫だろ?」 しばらくすると、赤ん坊は泣き止み、静かに彼の腕の中に収まる。 若子は小さく息を吐いた。 けれど、その目にはどうし
「違うよ。俺にとっては、これが『公平』なんだ」 西也は優しく言った。 「お前は俺の妻で、俺はこの子の父親だ。だから、父親として当然のことをするだけさ。お前とこの子を守るのは、俺の責任なんだから」 周りの客たちは、彼らの言葉こそ理解できなかったものの、西也の仕草や表情から、彼が妻を慰めていることは一目でわかった。 彼の優しさ、誠実さが伝わり、その場にいた人々は、羨望の眼差しを向けた。 西也は、腕の中の赤ん坊を優しく抱きしめる。 「いい子だな、ほら。ママはお前をとても愛してるんだぞ。でもね、ママはお前を産むのに本当に大変だったんだ。 命がけでお前を守ったんだから、少しは休ませてあげたいんだよ。 だから、次はママの腕の中でも泣かないであげてくれよ?そうしないと、ママが悲しんじゃうからな」 若子は、じっと西也を見つめた。 その姿は、まるで眩いほどの父性の象徴だった。 ―この人は、私の人生で、最も苦しい時にそばにいてくれた。 ―私がどんなに弱っていても、ずっと支えてくれた。 ―それどころか、この子の本当の父親ですらないのに、まるで実の息子のように優しく接してくれる...... 彼女は、出産前に不安に思っていたことを思い出した。 産後うつになったらどうしよう。 感情が不安定になったらどうしよう。 けれど、そのどれもが起こらなかった。 ―西也が、そばにいてくれたから。 この世界には、出産後に一人で育児をし、夫に気にも留められず、ひたすら耐えるしかない女性がたくさんいる。 でも、自分はそうではなかった。 それは、彼が支えてくれたから。 しかも― 彼はこの子の「本当の父親」ではないのに。 彼らは法的には夫婦だが、夫婦としての関係を築いたわけではなかった。 それでも、彼はここまでしてくれる。 若子の心が、張り詰めた糸のように、ぷつりと切れた。 「......ありがとう、私の旦那さま」 そう言って、彼の胸に飛び込んだ。 一瞬、西也の動きが止まった。 彼の腕の中にいる若子が、今、確かに言った。 「......今、何て言った?」 まるで自分の耳を疑うように、彼女を見下ろす。 若子の目には、涙が滲んでいた。 「西也は、私にあまりにも良くしてくれる......私
侑子は初めて若子を目にした。 ―彼女って、こんな人だったんだ。 初対面なのに、不思議と違和感はなかった。 鏡を見ているような感覚はないけれど、それでもどこか似ていると感じる。 けれど、若子のほうがずっと綺麗だった。 そして、彼女の隣にいる男性―優雅で洗練された雰囲気をまとい、圧倒的な存在感を放つその人は、若子を見つめる目にあふれんばかりの愛を宿していた。 侑子は若子がどんな人なのか知らない。 でも、目の前の光景を見るだけでわかる。 彼女は幸せな女性だ。 前夫には今も忘れられず、現在の夫には心から大切にされている。 ―いいな、羨ましい...... そう思ったのも束の間、さらなる驚きが彼女を襲った。 ―二人には、子どもがいる......? その事実を、修は何も言っていなかった。 誰からも聞かされていなかった。 ―もしかして、修も知らなかったの......? 侑子はそっと修の横顔をうかがった。 彼は完全に固まっていた。 目を大きく見開き、何かを信じられないかのように。 「藤沢さん......」 侑子はそっと彼の袖を引いた。 「ここを出ましょう?」 彼の様子が明らかにおかしかった。 このままだと、爆発してしまうかもしれない。 何より、彼がこんなにも愛していた人が、他の男と幸せそうにしている―それは、あまりにも強すぎる刺激だった。 しかし、修は動かなかった。 そのまま、じっと立ち尽くし、若子とその夫、そして彼の腕の中にいる幼い子どもを見つめ続けていた。 ちょうどそのとき、ウェイターが近づいてきた。 「お客様、ご予約はされていますか?」 「すみません、すぐに出ます」 侑子がそう答えて、もう一度修の袖を引く。 「藤沢さん、帰りましょう」 それでも修は動かなかった。 ただ、ひたすらに彼らを見つめ続ける。 特に―あの赤ちゃんを。 修の心が激しく揺れ動く。 ―まさか...... 子どもがいるなんて、思ってもみなかった。 彼らは、いつ子どもを......? 信じられない。 理解できない。 怒りと悲しみが混ざり合い、胸の奥からどうしようもない感情が溢れ出す。 絶望と衝撃が一気に押し寄せ、息が詰まるような感覚に襲われる。
「西也、大丈夫よ」 若子は焦る気持ちを抑えながら、そっと彼の背中をさすった。 「どこにも行かないから。私はずっとあなたのそばにいる。約束したでしょう?」 彼女は一度口にした約束を破ったことがない。これからも、それは変わらない。 西也の息が、徐々に落ち着きを取り戻していく。 そして、力強く彼女を抱きしめた。 「俺たち三人は、ずっと一緒だよな?」 若子は、逃げられないと悟りながらも、小さく頷いた。 「ええ......ずっと一緒」 医者から言われていた。 ―治療を終えたばかりの西也は、絶対に刺激を受けてはいけない。 特に治療から四十八時間は、感情の波を抑えることが最優先。 ―どうしてこんな時に修が来るの? 西也の状況を知っていて、わざと刺激しに来たの? 若子が動揺しているうちに、修はゆっくりと歩を進める。 まっすぐに―彼女の前へと。 息が詰まりそうなほどの重苦しい空気。 若子は涙に滲む視界の中で、彼を見上げた。 胸が痛む。 ずっと会えなかった彼が、今、目の前にいる。 だけど―どうして、このタイミングで? どうして......? 修は、拳を強く握りしめた。 憤りに満ちた目が、彼らを見つめる。 西也の腕の中、すやすやと眠る小さな赤ちゃん。 修は目をそらすことができなかった。 西也が、その小さな体をしっかりと抱いている。 ―パパ。 さっき聞こえた、その言葉が耳に突き刺さる。 若子と西也には、子どもがいる。 計算すればすぐにわかる。 彼らが離婚して、そう時間が経たないうちにできた子どもだ。 ―そういうことか。 修の頭の中で、何かが弾けた。 離婚してすぐに、こいつと関係を持ったってことか? あれだけ「何もない」なんて言っておきながら? 友達だなんて、笑わせる。 これが「ただの友達」だとでも? 子どもまでいるのに? アメリカで、家族三人。 幸せそうに暮らしていたんだな。 なのに、俺は― どれだけ苦しんできたと思ってる? あんなに愛していたのに、何も知らずに、一人で地獄に落ちていたのは俺だけか? ―バカみたいだ。 若子は、修の表情を見て、胸が締めつけられる。 彼の瞳に浮かぶのは、怒り? 悲しみ?
―この人、修とどういう関係? なぜ、こんなにも親しげなの? 若子は、目の前の光景に息を呑んだ。 修の腕が、侑子の腰に回されている。 そして、静かに口を開いた。 「まさか、こんなところで前妻に会うとはな。しかも、彼女の旦那と......彼らの子どもまで」 ―彼らの子ども? 若子の心に、鋭い痛みが走る。 修は......自分の子どもを拒絶したのに。 そのくせ、こうやって「彼らの子ども」だと言い放つなんて― 西也は、腕の中の子どもをしっかりと抱きしめながら、皮肉気に言った。 「確かに驚いたな。俺たち家族で食事に来ただけなのに、まさかお前らまでいるとは」 そして、修の隣にいる侑子をちらりと見て、ゆっくりと問いかける。 「で―その女性とどういう関係?」 修は一瞬だけ、目を細めた。 それから、何事もなかったかのように微笑む。 「俺の彼女だ」 侑子の心臓が、大きく跳ねた。 修が嘘をついているのは分かっている。演技だと理解している。でも、そんな言葉を聞かされたら、どうしても心が揺れてしまう。彼女は感じた。自分と修の距離がまた少し縮まったのだと。それがどれほど貴重なことか……一方、若子はその言葉を聞いた瞬間、まるで鋭い刃で心を刺されたような衝撃を受けていた。 ―修に、恋人がいる? それは、いつから? まさか、数ヶ月前に光莉が言っていた「誰か」が、この女だったの? あの時は、ただの噂だと思っていたのに― 若子は、侑子をまじまじと見つめる。 華奢で、どこか儚げな雰囲気を持つ女。 その姿が、ふと、かつての雅子と重なった。 ―そういうことね。 修の好みは、昔から変わらない。 西也は冷ややかに笑った。 「へえ、恋人ね。いいことじゃないか。みんな、それぞれの人生を歩んでいるわけだ」 そして、ふと目を細め、探るように言葉を続ける。 「それで―お前たちは、アメリカに何しに来た?」 その瞬間、侑子は修の腕が強張るのを感じた。 彼の指先が、腰に食い込むほどの力を込める。 冷静を装っているが、内心は怒りに震えているのだろう。 彼は限界だった。 その怒りを見せることすら、自分に許していないのだ。 侑子は、そっと修の胸に寄り添い、背中に手を回した。 「
―この人、修とどういう関係? なぜ、こんなにも親しげなの? 若子は、目の前の光景に息を呑んだ。 修の腕が、侑子の腰に回されている。 そして、静かに口を開いた。 「まさか、こんなところで前妻に会うとはな。しかも、彼女の旦那と......彼らの子どもまで」 ―彼らの子ども? 若子の心に、鋭い痛みが走る。 修は......自分の子どもを拒絶したのに。 そのくせ、こうやって「彼らの子ども」だと言い放つなんて― 西也は、腕の中の子どもをしっかりと抱きしめながら、皮肉気に言った。 「確かに驚いたな。俺たち家族で食事に来ただけなのに、まさかお前らまでいるとは」 そして、修の隣にいる侑子をちらりと見て、ゆっくりと問いかける。 「で―その女性とどういう関係?」 修は一瞬だけ、目を細めた。 それから、何事もなかったかのように微笑む。 「俺の彼女だ」 侑子の心臓が、大きく跳ねた。 修が嘘をついているのは分かっている。演技だと理解している。でも、そんな言葉を聞かされたら、どうしても心が揺れてしまう。彼女は感じた。自分と修の距離がまた少し縮まったのだと。それがどれほど貴重なことか……一方、若子はその言葉を聞いた瞬間、まるで鋭い刃で心を刺されたような衝撃を受けていた。 ―修に、恋人がいる? それは、いつから? まさか、数ヶ月前に光莉が言っていた「誰か」が、この女だったの? あの時は、ただの噂だと思っていたのに― 若子は、侑子をまじまじと見つめる。 華奢で、どこか儚げな雰囲気を持つ女。 その姿が、ふと、かつての雅子と重なった。 ―そういうことね。 修の好みは、昔から変わらない。 西也は冷ややかに笑った。 「へえ、恋人ね。いいことじゃないか。みんな、それぞれの人生を歩んでいるわけだ」 そして、ふと目を細め、探るように言葉を続ける。 「それで―お前たちは、アメリカに何しに来た?」 その瞬間、侑子は修の腕が強張るのを感じた。 彼の指先が、腰に食い込むほどの力を込める。 冷静を装っているが、内心は怒りに震えているのだろう。 彼は限界だった。 その怒りを見せることすら、自分に許していないのだ。 侑子は、そっと修の胸に寄り添い、背中に手を回した。 「
「西也、大丈夫よ」 若子は焦る気持ちを抑えながら、そっと彼の背中をさすった。 「どこにも行かないから。私はずっとあなたのそばにいる。約束したでしょう?」 彼女は一度口にした約束を破ったことがない。これからも、それは変わらない。 西也の息が、徐々に落ち着きを取り戻していく。 そして、力強く彼女を抱きしめた。 「俺たち三人は、ずっと一緒だよな?」 若子は、逃げられないと悟りながらも、小さく頷いた。 「ええ......ずっと一緒」 医者から言われていた。 ―治療を終えたばかりの西也は、絶対に刺激を受けてはいけない。 特に治療から四十八時間は、感情の波を抑えることが最優先。 ―どうしてこんな時に修が来るの? 西也の状況を知っていて、わざと刺激しに来たの? 若子が動揺しているうちに、修はゆっくりと歩を進める。 まっすぐに―彼女の前へと。 息が詰まりそうなほどの重苦しい空気。 若子は涙に滲む視界の中で、彼を見上げた。 胸が痛む。 ずっと会えなかった彼が、今、目の前にいる。 だけど―どうして、このタイミングで? どうして......? 修は、拳を強く握りしめた。 憤りに満ちた目が、彼らを見つめる。 西也の腕の中、すやすやと眠る小さな赤ちゃん。 修は目をそらすことができなかった。 西也が、その小さな体をしっかりと抱いている。 ―パパ。 さっき聞こえた、その言葉が耳に突き刺さる。 若子と西也には、子どもがいる。 計算すればすぐにわかる。 彼らが離婚して、そう時間が経たないうちにできた子どもだ。 ―そういうことか。 修の頭の中で、何かが弾けた。 離婚してすぐに、こいつと関係を持ったってことか? あれだけ「何もない」なんて言っておきながら? 友達だなんて、笑わせる。 これが「ただの友達」だとでも? 子どもまでいるのに? アメリカで、家族三人。 幸せそうに暮らしていたんだな。 なのに、俺は― どれだけ苦しんできたと思ってる? あんなに愛していたのに、何も知らずに、一人で地獄に落ちていたのは俺だけか? ―バカみたいだ。 若子は、修の表情を見て、胸が締めつけられる。 彼の瞳に浮かぶのは、怒り? 悲しみ?
侑子は初めて若子を目にした。 ―彼女って、こんな人だったんだ。 初対面なのに、不思議と違和感はなかった。 鏡を見ているような感覚はないけれど、それでもどこか似ていると感じる。 けれど、若子のほうがずっと綺麗だった。 そして、彼女の隣にいる男性―優雅で洗練された雰囲気をまとい、圧倒的な存在感を放つその人は、若子を見つめる目にあふれんばかりの愛を宿していた。 侑子は若子がどんな人なのか知らない。 でも、目の前の光景を見るだけでわかる。 彼女は幸せな女性だ。 前夫には今も忘れられず、現在の夫には心から大切にされている。 ―いいな、羨ましい...... そう思ったのも束の間、さらなる驚きが彼女を襲った。 ―二人には、子どもがいる......? その事実を、修は何も言っていなかった。 誰からも聞かされていなかった。 ―もしかして、修も知らなかったの......? 侑子はそっと修の横顔をうかがった。 彼は完全に固まっていた。 目を大きく見開き、何かを信じられないかのように。 「藤沢さん......」 侑子はそっと彼の袖を引いた。 「ここを出ましょう?」 彼の様子が明らかにおかしかった。 このままだと、爆発してしまうかもしれない。 何より、彼がこんなにも愛していた人が、他の男と幸せそうにしている―それは、あまりにも強すぎる刺激だった。 しかし、修は動かなかった。 そのまま、じっと立ち尽くし、若子とその夫、そして彼の腕の中にいる幼い子どもを見つめ続けていた。 ちょうどそのとき、ウェイターが近づいてきた。 「お客様、ご予約はされていますか?」 「すみません、すぐに出ます」 侑子がそう答えて、もう一度修の袖を引く。 「藤沢さん、帰りましょう」 それでも修は動かなかった。 ただ、ひたすらに彼らを見つめ続ける。 特に―あの赤ちゃんを。 修の心が激しく揺れ動く。 ―まさか...... 子どもがいるなんて、思ってもみなかった。 彼らは、いつ子どもを......? 信じられない。 理解できない。 怒りと悲しみが混ざり合い、胸の奥からどうしようもない感情が溢れ出す。 絶望と衝撃が一気に押し寄せ、息が詰まるような感覚に襲われる。
「違うよ。俺にとっては、これが『公平』なんだ」 西也は優しく言った。 「お前は俺の妻で、俺はこの子の父親だ。だから、父親として当然のことをするだけさ。お前とこの子を守るのは、俺の責任なんだから」 周りの客たちは、彼らの言葉こそ理解できなかったものの、西也の仕草や表情から、彼が妻を慰めていることは一目でわかった。 彼の優しさ、誠実さが伝わり、その場にいた人々は、羨望の眼差しを向けた。 西也は、腕の中の赤ん坊を優しく抱きしめる。 「いい子だな、ほら。ママはお前をとても愛してるんだぞ。でもね、ママはお前を産むのに本当に大変だったんだ。 命がけでお前を守ったんだから、少しは休ませてあげたいんだよ。 だから、次はママの腕の中でも泣かないであげてくれよ?そうしないと、ママが悲しんじゃうからな」 若子は、じっと西也を見つめた。 その姿は、まるで眩いほどの父性の象徴だった。 ―この人は、私の人生で、最も苦しい時にそばにいてくれた。 ―私がどんなに弱っていても、ずっと支えてくれた。 ―それどころか、この子の本当の父親ですらないのに、まるで実の息子のように優しく接してくれる...... 彼女は、出産前に不安に思っていたことを思い出した。 産後うつになったらどうしよう。 感情が不安定になったらどうしよう。 けれど、そのどれもが起こらなかった。 ―西也が、そばにいてくれたから。 この世界には、出産後に一人で育児をし、夫に気にも留められず、ひたすら耐えるしかない女性がたくさんいる。 でも、自分はそうではなかった。 それは、彼が支えてくれたから。 しかも― 彼はこの子の「本当の父親」ではないのに。 彼らは法的には夫婦だが、夫婦としての関係を築いたわけではなかった。 それでも、彼はここまでしてくれる。 若子の心が、張り詰めた糸のように、ぷつりと切れた。 「......ありがとう、私の旦那さま」 そう言って、彼の胸に飛び込んだ。 一瞬、西也の動きが止まった。 彼の腕の中にいる若子が、今、確かに言った。 「......今、何て言った?」 まるで自分の耳を疑うように、彼女を見下ろす。 若子の目には、涙が滲んでいた。 「西也は、私にあまりにも良くしてくれる......私
ウェイターがランチをテーブルに運んできた。 若子は子どもを抱いたままでは食事がしづらい。 それを見た西也が、そっと言った。 「若子、俺が抱こうか?先に食べなよ」 「大丈夫。抱いたままでも食べられるし、この子はおとなしいから」 そう言いながら、若子は赤ん坊をしっかりと抱き直す。 ―ところが、その言葉が終わるや否や、赤ん坊が突然大きな声で泣き出した。 「えっ......!?」 予想外の反応に、彼女は慌てる。 「どうしたの?どこか痛い?それとも抱き方が悪いの?」 焦りながら腕の位置を変えてみるが、赤ん坊の泣き声は止まらない。 「お願い、泣かないで......」 必死にあやすが、泣き声はむしろ大きくなっていく。 西也はフォークとナイフを置き、すぐに彼女のそばに駆け寄った。 「若子、俺に抱かせて」 「大丈夫、私が泣き止ませるから!」 彼女は、小さな頬を撫でながら必死に語りかける。 「ねえ、お願いだから泣かないで......ママが悪かったなら謝るから......」 その声はかすかに掠れ、涙を堪えているのがわかった。 彼女自身も、もう泣きそうだった。 「大丈夫だ、俺があやせば、すぐに落ち着くよ」 「いや、あなたじゃダメ。私があやすの。私はこの子の母親なのに......どうして私が抱くと泣いちゃうの?こんなの、嫌...... 赤ちゃん、お願い、泣かないで......」 西也は、若子が今にも崩れそうになっているのを感じた。彼はそっと身を屈め、彼女の耳元で静かに囁いた。 「若子、みんな見てるよ。落ち着いて、帰ってから話そう。 それに、これは若子のせいじゃない。赤ちゃんって、そういうものだろ?俺が抱いてても泣く時は泣くし」 「......本当に?」 彼女は不安そうに西也を見上げる。 「本当だよ。ほら、さっきまでは平気だったじゃないか。一度俺に抱かせてみて?」 若子は、迷いながらも彼に赤ん坊を渡した。 西也は、赤ん坊をしっかりと抱き、慣れた手つきであやす。 その動作は、まるで何度も繰り返してきたかのように自然だった。 「ほら、大丈夫だろ?」 しばらくすると、赤ん坊は泣き止み、静かに彼の腕の中に収まる。 若子は小さく息を吐いた。 けれど、その目にはどうし
治療は約一時間ほど続き、やがてドアが開いた。 西也が、静かに部屋から出てくる。 MRAD治療の後、医師たちは毎回「すぐに帰宅せず、広々とした場所を歩いて景色を眺めると、脳に良い影響を与える」と勧めていた。 「西也、今日の治療はどうだった?」 若子が彼を見上げながら尋ねる。 西也はじっと彼女を見つめ、突然、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。 彼はそっと彼女の手を握る。 「......若子、お前、すごく辛い思いをしたんだな」 「え?」若子は驚いたように眉をひそめる。「そんなことないよ。私は何も......」 「いや、お前は苦しんできた。全部、藤沢修のせいで」 その名前が出た瞬間、若子の顔が凍りついた。 「......どうして?」 「思い出したんだ、アイツのことを」 西也の声は低く、けれどはっきりとしていた。 「アイツはお前を傷つけた」 そう言うと、彼は強く彼女を抱きしめた。 「どうして、アイツはお前にそんなひどいことができるんだ?それに、あの屋敷で別の女と......!思い出した。あの時、俺たちはスタッフに変装して、現場を目撃したんだ。 許せない......! お前はこんなにも素晴らしいのに、どうしてアイツはそんなことをするんだ!?」 若子はそっと彼の背中を撫でる。 「もう過ぎたことよ。もう大丈夫。私はもう苦しくないから」 ―彼が思い出した記憶が、せめて幸せなものだったらよかったのに。 だが、それは願うだけ無駄だった。 西也は、彼女の手をぎゅっと握りしめた。 「若子......このままずっと、手を繋いでいてもいいか?」 彼はまるで、彼女から何かを得ようとするかのように、すがるような目を向けてくる。 この治療の後、彼はいつも不安定になった。 若子にとって、それらはすでに過去の記憶に過ぎない。 しかし、西也が記憶を取り戻すたびに、彼にとってはまるでついさっき起きた出来事のように感じられ、その衝撃は計り知れなかった。 医師たちも言っていた。 「記憶が戻るたび、彼の心は大きく揺れ動きます。そのたびに、奥様がしっかりと彼を支えてください」 ―拒めるわけがない。 彼の目が赤くなっているのを見て、若子は静かに頷いた。 「もちろん」 彼を安心させ
三人は病院の研究センターへと足を踏み入れた。 そこには、世界トップクラスの神経学者、心理学者、専門的なセラピストで構成されたチームがいた。 彼らはこの間ずっと、西也の治療に全力を注いでいた。 すでにいくつかの治療セッションを受けているため、新たな療法を始める前に、医師たちはまず一連の評価とテストを行う。 それにより、彼の記憶がどの程度回復しているのか、どの部分に特徴があるのかを見極め、治療の強度を調整するのだ。 若子はベビーカーを押しながら、西也のそばで静かに寄り添っていた。 彼が治療を受ける様子を、黙って見守る。 今、西也は認知訓練と記憶回復療法を受けていた。 落ち着いた雰囲気の治療室には、記憶を刺激するためのゲームやリハビリツールが並んでいる。 専門のセラピストが、さまざまなトレーニングを通して、彼の奥底に眠る記憶の断片を呼び覚まそうとしていた。 治療は個別にカスタマイズされている。 映像記憶技術を使い、写真や動画を見せて記憶を刺激する。 家族との会話や、過去に聴いていた音楽、手に馴染んだ物を触れることで、記憶を引き出す。 最初は進展が遅かったが、時間が経つにつれ、少しずつ短い記憶の断片が蘇るようになっていた。 少なくとも、医療チームの評価によれば、そういうことになっていた。 今日は、若子と赤ちゃんが一緒にいることもあり、西也の機嫌はとても良かった。 そのおかげか、治療の効果も普段より顕著に現れていた。 しかし、認知訓練だけでは終わらない。 今日の治療は、ここからが本番だった。 医療チームは、ある最先端の医療機器を使用する予定だった。 それは―記憶回復補助装置(MemoryRecoveryAssistDevice,略称MRAD)。 若子がこの装置のことを初めて知ったとき、まるでSFのような話だと感じた。 MRADは、最先端の神経科学技術を駆使した装置だった。 脳波(EEG)と機能的磁気共鳴画像(fMRI)を組み合わせた非侵襲的な技術で、患者の脳と直接インタラクションし、記憶の回復を促進する。 センサー付きのヘッドギアを装着すると、脳の電気活動や血流の変化をリアルタイムで測定し、高性能コンピューターがデータを解析する。 AIによる高度なアルゴリズムが、記憶回復に最適
アメリカ。 気づけば、子どもが生まれてからもう二ヶ月が経っていた。 若子の体は、ほとんど回復していた。 アメリカに来て、すでに半年ほどが過ぎたことになる。 妊娠中も、彼女は決してじっとしてはいなかった。 金融専門職向けの職業トレーニングを受講し、短期間で実用的な知識やスキルを身につけることに励んだ。 また、金融業界のセミナーや学術会議にも積極的に参加し、専門家の講演を聞いたり、最新の市場動向について学んだりして、多くの学者や実務者と交流を深めた。 出産後の二ヶ月間は、しっかりと産後ケアをしながらも、彼女の学びへの姿勢は変わらなかった。 幸い、赤ん坊の世話は特に問題なく、自由な時間はほとんど勉強に充てることができた。 さらには、大学院の交換プログラムにも申し込むことを決意し、目標とする大学のウェブサイトを調べ、必要な応募書類―志望動機書、推薦状、成績証明書、語学試験のスコアなど―を準備し、締切前にすべて提出した。 この過程で、西也には随分と助けられた。 学費については、運が良かったというより、そもそも彼女には必要のない問題だった。 奨学金を申請する必要もなく、金銭面で悩むこともなかった。 ビザの手続きもすべてスムーズに完了。 ―これが裕福な人間の特権なのだろう。 どの国も、金を持つ者には寛大なのだから。 こうして、すべてが順調に進んでいた。 若子の子どもはアメリカで生まれ、すでにアメリカ国籍を持っていた。 もっとも、彼女は国籍目当てでここに来たわけではなかった。 そもそも、西也の治療に付き添うために渡米し、ちょうどその頃、彼女は妊娠していた。 選択肢がなかっただけの話だ。 だからといって、自分の国籍を変えるつもりは毛頭なかったし、移民する気もない。 子どもが十八歳になったら、本人の意思で国籍を選ばせるつもりだった。 書斎のドアが開く音がした。 顔を上げると、そこには西也の姿があった。 若子はパソコンに向かい、作業に没頭していたが、そんな姿さえも美しく見える。 彼は微笑みながら、彼女のそばへと歩み寄る。 「若子」 若子は顔を上げ、柔らかく微笑んだ。 「西也、来たのね」 「忙しそうだな」 「うん、三日後には大学へ行くからね。今回の交換プログラムは三ヶ
侑子は認めざるを得なかった。 光莉の言葉は、自分にとって大きな励ましとなった。 ―本当に、何もかもが替えのきくものなら...... 修がそう言ったのなら、もしかして、いつか彼が愛していた前妻も、誰かに取って代わられる日が来るのではないか? そう思うと、侑子の心は期待と不安でいっぱいになった。 「本当に......私でも大丈夫でしょうか?」 不安げに尋ねる侑子の手に、光莉はそっと手を重ね、優しく微笑んだ。 「もちろんよ。もしあんたに可能性がないなら、私はこんなふうに励ましたりしないわ。あんたなら、きっと修を支えられる。だから、もう自分を卑下するのはやめなさい」 「でも......私なんて普通の人間です。特別な家柄があるわけでもなくて......」 侑子はかすれた声で言った。「それに、藤沢家は名門で......」 「バカなこと言わないの」 光莉の声が少しだけ厳しくなる。 「確かに、うちは名門かもしれない。でも、それが何?私が願っているのは、修が幸せになることだけよ」 少し間を置いて、光莉は静かに続けた。 「それに、修の前妻も特別な家柄の出ではなかったのよ。彼女の両親はすでに亡くなっていて、彼女は藤沢家に引き取られたの。だから、私たちは生まれなんか気にしない。ただ、その人自身が素敵な人かどうか、それだけが大事なのよ」 侑子は驚いた。 まさか、修の前妻がそんな境遇だったとは思わなかった。 そう考えると、少しだけ心が軽くなった。 彼女がそれでも藤沢家に受け入れられたのなら、自分にだって可能性があるのかもしれない。 「ありがとうございます......私を信じてくださって。でも、どうしたらいいのかわかりません。アメリカに一緒に行きたかったのに、彼は『考える』って言ったきり、何の連絡もなくて......」 「そう?」光莉は問いかけた。「修と一緒にアメリカへ行くつもり?」侑子は静かに頷き、状況をありのままに伝えた。話を聞き終えた光莉は、ゆっくりと椅子の背にもたれ、ふっと小さく息を吐いた。 「......修は、まだ彼女を忘れられないのね」 いずれにせよ、修はいずれ若子と再会することになる。 それは誰にも止められない。 「私も、修には前妻とちゃんと会ってほしいと思ってるんです。心の