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第580話

Author: 夜月 アヤメ
「......」

若子は長い間黙っていた。やがて、静かに口を開いた。

「西也、私たちの間にはたくさんのことがあったの。でも信じて、すべてがきっと解決するわ。それまで私がずっとあなたのそばにいるから、お願い......これ以上、私を追い詰めないで」

彼女の目元がほんのり赤くなっているのを見て、西也は視線を落とし、しばらく考え込んだ後、彼女の腕をそっと掴んだ。

「若子、俺はお前を追い詰めたつもりなんてない。ただ、胸の中にどうしようもない疑問があるだけなんだ。でも今、お前が話してくれたから......」

「怒ってる?」若子が尋ねた。「もし怒ってるなら、ちゃんと言って」

西也は首を振った。

「違うよ。怒ってなんかない。ただ、なんだかとても悲しいんだ。それに、心のどこかでこのことを薄々感じていた気がする」

「西也、ごめんなさい。悲しませてしまって」

「若子、直接答えられないくらい複雑な事情なんだろ?話さなかったのは、俺のことを思ってのことだよな。俺は無理に聞こうとは思わない。でも、約束してくれるか?これから何かあったら、ちゃんと俺に話してほしい。お前が嫌なら無理には聞かない。でも、お前が笑っていてくれるなら、それでいい。俺はお前の言うことを全部受け入れるから」

西也の思いやりのある言葉に、若子は安心し、小さく頷いた。そして、彼の手の甲にそっと手を置きながら言った。

「分かったわ。約束する。でも、あなたも約束して。変なことを考えないで。何か疑問があったら、私に聞いて」

西也は静かに「分かった」と答えた。

若子はティッシュを数枚取り出し、彼の額に滲んだ汗を拭いてやった。

「西也、まずは休んで。もう遅いわ」

「今夜はここで寝ないのか?」

若子は頷いた。「ええ。隣の部屋で寝るわ。今は妊娠しているから、一人で寝たほうが楽なの」

西也は無言で彼女のお腹をじっと見つめた。彼女が気にして尋ねる。

「西也、もし何か不安があるなら言って。もしかして、私が前の夫の子供を妊娠したまま、あなたと結婚したことを気にしてる?」

「違う!」西也は慌てて否定した。

「若子の言うことを信じてる。結婚する前にそのことを知ってたんなら、俺は気にしない。でも、こうして記憶を失った状態で突然知ったから、驚かないわけにはいかない。自分の妻が妊娠
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    花が病院を出て行った後、西也も結局ほとんど食事をとらなかった。 軽く片付けた後、彼は再び若子の病室へ向かうことにした。 その途中― ブルブル...... ポケットの中のスマホが振動する。 彼は取り出し、画面を確認した。 ―知らない番号。 一瞬、眉をひそめたが、そのまま通話ボタンを押す。 「......もしもし」 「遠藤さん、ごきげんよう」 その声を聞いた瞬間― 西也の目が鋭く光った。 ―この声......! 「......お前か!」 間違いない。 若子を誘拐した、あの男の声だ。 「おやおや、覚えていてくださったんですね。感動しますよ」 「貴様......!!」 西也は、スマホを握る手に力を込める。 「よくもノコノコ電話をかけてきたな......!!」 「ええ、もちろんですよ。だって、警察の皆さんが全然僕を捕まえてくれないんですもの。待ちくたびれて、いっそ自首しようかと考えたくらいですよ」 ―ふざけるな。 男のふざけた口調に、怒りが込み上げる。 「......で、何の用だ?言っとくけど、若子には、もう指一本触れさせない。もし近づいたら―殺すぞ」 西也の声が低く響く。 だが、男はそれを楽しむように笑った。 「僕が彼女を傷つける?随分とひどいことを言いますね」 「......何?」 「前回、僕が彼女を助けたんですよ?忘れたんですか?」 男は楽しげに言葉を続ける。 「もし僕があの時、あの連中の手から彼女を奪わなかったら―あなたの大切な若子さんは、もっとひどい目に遭っていましたよ」 西也の顔色が、一瞬で変わる。 「......ふざけるな」 「事実ですよ?彼女を無事に返したのは、僕です。それとも、あなたはまさか自分が助けたとでも思っていたんですか?」 「......っ!!」 拳を強く握りしめる。 「それで、何が言いたい?」 「ふふ、落ち着いてくださいよ。単なる世間話です」 男は楽しげに笑うと、少し声を低くした。 「ところで、遠藤さん。あなたはどう思いましたか?あの時、藤沢修の胸に矢が突き刺さった瞬間」 西也の目が、冷たく光る。 「......何が言いたい?」 「あなたはあの光景を見て......嬉しかったですか?

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第746話

    花は話題を変えるように言った。 「そうだ、お兄ちゃん。お父さん、お母さんと離婚したの、知ってる?」 西也は一瞬動きを止め、顔を上げた。 「......離婚?」 花はため息をつく。 「やっぱり、まだ聞いてなかったんだね」 西也は箸を置いた。 「......今日、お父さんが来たのは、その話をするためだったのかもしれないな」 「お兄ちゃんは......お父さんとお母さんの離婚、どう思う?」 「......さあな」 西也の声は淡々としていた。 「二人とも、もう半生を生きてきた。その上で出した決断なら、もう一緒にやっていけなかったんだろう」 彼は昔から、両親の関係が冷え切っているのを知っていた。 花はうつむき、寂しそうに呟く。 「......でも、お母さん、とても悲しんでたよ。お父さんのこと、本当に愛してたんだと思う。でも、お父さんはずっと冷たくて......それが、どんどん関係を悪くしていった」 「......お母さんのこと、心配?」 西也が静かに尋ねると、花はこくりと頷いた。 「うん。昨夜もずっとそばにいたんだけど......お酒をいっぱい飲んで、何か言いたそうにしてた。でも、最後まで何も言わなかった。たぶん......お父さんの悪口を言いたくなかったんだと思う」 しばらく沈黙が流れた後、花がぽつりと呟いた。 「ねえ、お兄ちゃん......お父さん、浮気してるんじゃない?」 「......」 西也は、無言のまま箸を握りしめた。 彼は知っていた。 父が昔から外で女遊びをしていたことを。 だが、それを花に言うわけにはいかない。 「......まあ、お兄ちゃんは記憶を失くしてるから、昔のことは分からないよね」 そう言いながら、少し寂しげに微笑む。 「お兄ちゃん、ずっと大変だったよね。お父さんには厳しくされて、ちょっとしたことで怒られて......お母さんも、そんなお兄ちゃんを気にかけることはなかった。まるで......他人みたいに扱われてた」 花は、ふと遠くを見るように言った。 「それに比べると、私はずっと甘やかされてたな......お母さんは私をかわいがってくれたし、お父さんも私にはあまり厳しくなかった。でも、お兄ちゃんは全部背負わされて......だから、記憶

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第745話

    花はそっと近づき、西也を見上げながら言った。 「お兄ちゃん、若子はまだ眠ってるよ。だから、先にご飯を食べてきて。それから戻ってきても遅くないでしょ?もし彼女が目を覚まして、お兄ちゃんが何も食べてないって知ったら......きっと心配するよ」 西也は小さく息を吐いた。 「......わかった」 ドアの前に立つ護衛たちに若子のことを頼んでから、西也は病室を後にし、食堂へ向かった。 席につくと、花が持ってきた弁当を開き、箸を渡してくる。 「お兄ちゃん、ちゃんと食べて」 西也は箸を手に取ったものの、口に運ぶ気になれなかった。 食べ物の味なんて、今はどうでもいい。 そんな彼の様子をじっと見つめていた花は、不意に眉をひそめた。 「お兄ちゃん......顔、腫れてるよ。痛くない?医者に診てもらった方がいいんじゃない?」 「......大丈夫。そのうち治る」 花は深くため息をつく。 「こんなことになるなんてね......お父さん、伊藤さんのこと、怒るかな?」 西也は淡々と答えた。 「さあ......でも、あの二人、どうやら知り合いみたいだった」 「えっ?」 花が目を丸くする。 「どうしてそう思うの?」 「......なんというか、あの時のお父さんの目......普通じゃなかった」 西也は考え込むように言った。 ―あれは、ただの視線じゃない。 そこには、何かを「所有したい」という執着が滲んでいた。 「......まあ、いいや。お兄ちゃん、早く食べて。冷めちゃうよ」 花は気を取り直すように微笑んだ。 西也は弁当に視線を落としたまま、低く呟いた。 「......俺、若子を殺しかけた」 握りしめた箸が震えている。 「妊娠を諦めれば、若子の命は確実に助かった......なのに俺は、子供を守るために......若子を危険に晒した」 手術は成功した。 結果だけ見れば、彼は「正しい選択」をしたのかもしれない。 でも、もしあと一歩間違えていたら― その考えが頭を離れない。 「お兄ちゃん......」 花は静かに彼の手を握った。 「そんなふうに自分を責めないで。彼女は真実を知らないから、お兄ちゃんを責めてるけど。お兄ちゃんは、若子と約束したんでしょ?だから、これで

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第744話

    病院― 若子が受ける予定だったのは、ただの小手術だった。 だが、彼女の体調が原因で手術は想定以上に難航し、合併症まで引き起こしてしまった。 結果、手術はなんと六時間にも及んだ。 病院の廊下で待ち続けていた西也の顔には、疲労がにじみ出ていた。 時間が経つほどに焦燥感は増し、彼の心は痛みに締めつけられるようだった。 そして― ようやく、手術室の扉が開かれる。 西也は反射的に立ち上がり、駆け寄った。 「先生!若子は......!」 担当医はマスクを外し、大きく息を吐くと、ゆっくりとうなずいた。 「手術は成功しました。母子ともに無事です」 その言葉を聞いた瞬間― 西也の思考が、真っ白になった。 ......無事......?本当に......? 「遠藤さん、大丈夫ですか?」 医者が目の前で手を振る。 だが、西也はその場に立ち尽くしたまま、何も反応できなかった。 次の瞬間― ドサッ......! 彼の膝が床に落ちる。 「遠藤さん!?」 医者が慌てて手を差し出すが、西也はかぶりを振った。 「......大丈夫」 そう言いながら、ふっと笑みをこぼす。 いや、笑った―かと思えば、次の瞬間には涙が溢れていた。 「......無事だ......若子は......!」 声を震わせながら、顔を両手で覆う。 医者の目には、それが狂喜と安堵が入り混じった男の姿に映った。 ―母子ともに無事。 その言葉が、どれほど彼を救ったか。 「......よかった......本当に......よかった......!」 ちょうどその時、看護師たちが手術室から若子をベッドごと運び出した。 「若子......!」 西也は急いで立ち上がり、駆け寄る。 「彼女はいつ目を覚ますのか?」 若子の顔はまだ青白く、眠るように静かだった。 全身に残る手術の余韻―彼女がどれほどの苦しみを耐えたのかが、ありありと伝わる。 医者は疲れた様子で答えた。 「麻酔が切れるまで、まだ時間がかかります。おそらく、明日の午前中には目を覚ますでしょう」 「......そっか......」 「ただし、彼女には絶対に無理をさせないこと。ストレスや刺激は厳禁です。静かに休ませてください」

  • 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私   第743話

    「修......?」 その名前を聞いた瞬間―高峯の目に、怒りの炎が燃え上がった。 「今になっても、まだあいつの息子のことを気にしてるのか!?お前にとって、西也は息子じゃないのか!?あんなにも酷い言葉を浴びせたあの子が......お前の本当の息子だっていうのに、少しも罪悪感を感じないのか!?」 「全部、あんたのせいよ!!もしあんたがもっと早く教えてくれていたら......こんなことにはならなかったのに!!」 光莉は怒りに震えながら叫んだ。 「見なさいよ、西也がどんな風に育ったか......!あの子、あんたそっくりよ!自分勝手で、冷酷で......!!」 「当然だろ!俺の息子なんだからな!」 高峯は嘲笑しながら言った。 「少なくとも、俺はあの子を手元に置いて育てた。遠藤家の跡取りとしてな。それに、紀子も一度だって手を出すことはなかった......!それに比べて、あいつはどうだった?自分の息子のことをちゃんと面倒見てやったか?別の女と浮気して、息子のことなんて放り出してただろ!!」 「......自分のしたことを、誇らしげに語るつもり?」 光莉は冷たい目で睨みつけた。 「笑わせないで。あんたがやったのは、子供を奪ったこと。それなのに、さも『俺が育ててやった』みたいな顔して......!あんたに、そんなことを言う資格なんてないわ!!私から子供を奪ったくせに!!」 高峯は沈黙した。 「......なら、お前は俺と一緒に育てる気はあったのか?」 低く、押し殺した声が響く。 「お前はあのとき、俺を憎んでた。俺のことを拒絶した。だから俺には、こうするしかなかったんだ......!」 「だからって、私から息子を奪っていい理由にはならない!!」 「俺が間違ってたのは認める!でも、お前だって間違ってたんだ!」 高峯は光莉の肩を力強く掴んだ。 「お前は意地を張りすぎた......!だからこそ、母子でこんなに長く引き裂かれたんだ!もう遅いかもしれないが、お前は西也に謝るべきだ。あの子を傷つけたんだからな!何年もの間、お前は彼を罵り、拒絶し、突き放してきた......それなのに、未だに修のことばかり......!どっちもお前の息子だろ!?なんで、そんなに差をつけるんだよ!!」 光莉の頭は混乱し、くらくらと揺れる。

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