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第3話

Author: 南波うさぎ
朝からずっと続いていた胸の張りが、楓真の処置でかなり楽になった。

部屋の中には、静寂を破る微かな音だけが響いていた。

気づけば10分ほど経っていたころ、ようやく楓真は私を解放してくれた。

そのときには、胸の痛みもほぼ消えていた。

自分で解消するよりも、彼のやり方のほうがはるかに効果的だったみたい。

私は未だにぼんやりしたままで、服を着直す手さえ震えていた。

そんな私を見て、楓真は手首をそっと掴むと、袖に手を通してくれた。

最後に服の裾を整えると、カーテンを引き開けて言う。

「とりあえず軍事訓練に戻りましょう。薬が必要か確認して、夜に届けます」

その声はどこかよそよそしく、彼は目線を合わせようとしない。

まるで、さっきまで私を積極的に助けていたのが他人だったかのように振る舞う。

私はこくりと頷き、ベッドから降りようとしたけれど、全身が妙に力が入らなくて、ふらついてしまった。

そのまま楓真の胸に倒れ込むと、頭の上から小さな笑い声が聞こえた。

その音に、さっきまでのぼんやり感が吹き飛ぶ。

慌てて立ち直った私に、楓真は落ち着いた声で続けた。

「午後の訓練は18時半に終わりますよね?ご飯を食べて、19時ごろにここに来てください」

私は慌ただしく頷くと、急いで部屋を飛び出した。

外に出ると、強い日差しが肌に刺さる。それでようやく現実に引き戻された気がした。

でも、さっきの出来事を思い出すと、どうにも自分が信じられない。

こんな大胆なことが私に起きるなんて......

幸い、服に汚れが残っていない。これなら誰にもバレないはず。

午後の訓練中、私はずっとぼんやり考え込んでいた。

そのせいで内容はほとんど頭に入らなかったけど、気づけば解散する時間になっていた。

私は医務室に近い食堂を選び、適当に列に並んだ。

すると突然、背中に軽く触れる感触があった。

振り返ると、新しいルームメイトの優奈が笑顔で立っていて、自然な動きで私の前に割り込む。

後ろから文句を言う声が聞こえたけど、みんな新入生だからか、大事にはならない様子だった。

優奈は気にする様子もなく、振り返って私に話しかける。

「ねえ、昼休みどこ行ってたの?なんで戻ってこなかったの?」

医務室での出来事が頭をよぎり、私は思わず顔を赤らめた。

「ちょっと......具合が悪くて
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    「痛かったですか?」「いえ、私が......その......敏感すぎるだけで......」私は慌てて首を振り、勘違いされないように必死で説明した。顔が熱くなるのを感じながら、もう一度目を閉じるしかない。楓真にすべてを任せるしかなかった。しかし、次第に空気が何だかおかしな方向に変わっていった。自分の体なのに、まるで知らないものに思える。彼がようやく手を離し立ち上がったときーーなぜか言葉にできない虚しさが胸の奥に広がった。楓真は工具を片付け、真剣な表情で告げる。「今の段階では原因を断定できません。ただ、このまま放置するともっと悪化する可能性があります。なので、適切に流れを良くしないといけません」その言葉は、私がネットで調べた情報とだいたい一致していた。でも、具体的に「流れを良くする」ってどうやるの?その答えを聞こうとした瞬間―ドアが激しくノックされる音が聞こえた。私は驚いて、とっさに服を引き寄せる。どうやら誰かが何かを借りに来たらしい。私は息を潜めた。誰かに見られたら―この状態を知られたら―恥ずかしくて消えたくなるに違いない。慌てて服を整えたものの、楓真が触れた後の胸元は濡れてしまい、引っ張り上げた服にも痕がにじんでしまっていた。すぐに楓真が鍵をかけ、カーテンをもう一度引いた。「どうしました?」彼が私の顔を見て、不安げに声をかける。その整った顔立ちにまた顔が熱くなりながら、私は口を開いた。「先生、少しだけ......外していただけますか?搾らないと、このまま軍事訓練に戻るのは......」私は恥ずかしさで言葉を詰まらせつつ、なんとか説明した。楓真はしばらく私の様子を見て、それから小さく頷いた。彼がカーテンを閉めたのを確認して、私はどうにかしようと手を動かす。......でも、どうすればいいのかわからない。シャワーを浴びてそのままここに来たから、準備なんて全然していない。それに、この部屋には何もない。搾ったものを入れる容器すらないし、新品のベッドを汚してしまうわけにもいかない。「先......先生、使い捨ての紙コップか何かありませんか?」試すように、恐る恐る楓真にお願いしてみた。すぐに彼の手がカーテンの向こうから差し出され、紙コップを渡してくれた。だけど

  • 医務室の先生は、嘘みたいに甘すぎる   第1話

    私は天川るい。ただの平凡な大学生のはずだった。けれど、最近ずっと悩みのタネが尽きない。恋愛なんてしたこともないのに、ある日突然、謎の現象に襲われたーー乳汁が分泌されるようになったのだ。しかも量がとんでもない!3時間ごとにこっそり搾らないと、乳腺炎になりかねない。最悪なことに、軍事訓練で迷彩服を着て走ったり跳んだりしなきゃいけないから、布が擦れて胸が痛くて痒くて......もう耐えられない!涙が出そうなほど辛い私は、意を決して医務室に向かうことにした。その日、昼休みの時間にこっそりシャワーを浴びたあと、新校舎の3階にある唯一開いている医務室へ急いだ。幸いにも新入生たちは教官のスパルタ指導で疲れ果てているから、廊下には誰もいない。大丈夫、誰にも見られない。そう自分に言い聞かせながら、緊張した気持ちで扉をノックした。「どうぞ」簡潔で落ち着いた男性の声が返ってきた。男の先生だと気づいた瞬間、帰りたくなったけれど、胸の重たい痛みがそれを許さなかった。深呼吸して気持ちを整え、顔を赤らめながらドアを押し開けた。なるべく視線を下げたまま、そっと椅子に腰を下ろす。「どうしましたか?」清らかで穏やかな声が響いた。意外と若そうな印象だ。その声に促されて、私はさらに顔が熱くなるのを感じながら答えた。「えっと、その......先生......」小さな声で震えながら口を開く。「お休みが欲しくて......診断書をお願いできませんか?」「軍事訓練を休みたがる学生は多いですが、本当に具合が悪い場合に限りますよ。どこが調子悪いんですか?」その冷静な質問に、私はどうしようもなく恥ずかしくなって、蚊の鳴くような声で答えた。「む......胸が......」その言葉を口にした瞬間、彼の反応が気になって、私はこっそり視線を上げた。目の前にいたのは―ただの医者じゃなかった。彼の端正な顔立ちは、まるで彫刻みたい。高い鼻梁にかかった金縁眼鏡、その奥で冷静に視線を落としながらペンを走らせる姿はまさに「草食系」そのもの。まさか、こんなにイケメンな人が先生だなんて............いやいや、そんなことに気を取られてる場合じゃない!胸の痛みをどうにかするために来たのだから。彼の白衣姿はまるで光をまとっ

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